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2018年9月11日 (火)

三千二百九十:心と翼

       心と翼

      心に翼を。
  
  

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                                       坂本 誠

2018年6月24日 (日)

三千二百六十八: 湖の水滴

       湖の水滴


  湖の上に
   一つの水が 浮かんでいる。
   湖の上で 物思いに沈む人のように。

  その水が震えているのは
   大気の流れゆえにか。
   あるいは 大気の精妙さゆえにか。

  湖の上の人が
   大気の風に そよいでいるように
   あるいは 大気の清冽さに感極まっているかのように。

  一つの音が 木霊しているかのような
   きりりと 引き締まった
   空間の中で。


                                       坂本 誠

2018年6月17日 (日)

三千二百六十四: 詩の思い出_No.3

こんばんわ。

『三千二百五十三: 詩の思い出_No.2』の続きです。

今日は、時節がら、夏にちなんだ私の詩を集めてみました。

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      梅雨(つゆ)のアジサイ

    黒い雲が低く垂れこめる。
    僕等の気持を押しつぶすよう。

    その雲から大きな雨粒が降り注ぐ。
    僕等の意志をうがつよう。

    梅雨の日に カサを傾けて 
    天の頂きを見上げても そこには 澄みきった青空はない。

    だけど 道ばたには
    多くの青いアジサイが咲いている。

    アジサイは 彼等がつぼみの頃の
    五月晴れを吸収していたのか。

    梅雨の空の下で
    青いアジサイを見て 今はない青空を感じる。

    そのアジサイは
    黒い雲の下に降りてきた 小さな青空。

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この「梅雨のアジサイ」の正確な制作日がわかりませんが、2004年以前であることは確かです。

この原稿を書いている、ちょうど、今頃がアジサイの季節です。

20100524151030


アジサイを見ていて、美しいと思い、その美しさに春の青空を感じたのですね。

それが、この詩となりました。

やはり、梅雨の時期の曇り空と、地上のアジサイの色が対照的なのは、自然界の奏でる一つの不思議と言えないでしょうか。

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          まつり
          
          
    こぶし 突き出す。
    こぶし 突き上げる。
    あえて みこしの中の重い神 持ち上げる。
    男の顔 歪む。
    肩の皮 むける。
    その痛みは喜びか。
    暑い夏。
    汗の雨 降る。

    太鼓 打つ。
    荒れ狂う音 空に響く。
    雷神の如く。
    風神の如く。
    仁王の腕が伸びるが如く。
    渦巻く。

    こぶし 突く。
    突く。
    突き続ける。

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この詩の制作日は2014年3月23日となっています。
早春ですね。
早春ですが、どこか初夏の祭りを思い出して書いた記憶があります。

梅雨の終わりにかけて、夏祭りが始まる地域が多いものです。
まだ、梅雨が完全に明けきれない頃から、全国で夏祭りが始まります。

祭りのイメージと夏のイメージは、どこか、シンクロを感じさせます。

雷の多い季節に、勇壮な夏祭りがあるというのも、良いものですね。

秋や冬にもお祭りはありますが、やはり、一番ちから強さを感じるのは、夏祭りでしょうか。

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          夏の思い出
          
          
    晴れた日の
    白くて大きな雲を見ていると、
    子供の頃の夏を思い出す。

    流れ続ける水道の水に
    転がされ続けるスイカ。
    水の音にも転がされているようだ。

    幾つもの穴の開いた セミの羽。
    その穴から、幾つもの陽射が こぼれてくる。

    夏休みの思い出が よみがえってくる。

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この詩の制作日は2009年4月10日となっています。
この詩も春に書いてますね。
春から夏に向かうシーズンが一番夏を感じさせるからでしょうか。

20100817143537


夏本番になってしまうと、暑さのせいで、「早く秋が来てほしい」と願いますから、夏の真っ盛りには、夏の詩が出来ないように感じます。

ですから、制作日を調べてみると、夏本番の季節には、どこか涼を感じさせる秋の詩が多いかもしれません。

誰でも子供の頃に、夏休みの思い出を持つものですが、その思い出自体を、大事に感じるのは、少年期を過ぎてからかもしれません。

大人になってから、子供の頃の夏の思い出を偲ぶというのも、一興ではないでしょうか。

今から夏本番の季節に入って行くのですが、皆さんも、どうか、良い夏をお過ごしください。


(以下、過去記事、関連記事、及び、参考文献)
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『三千二百五十三:詩の思い出_No.2』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2018/05/_no2-2d26.html

              波紋

    僕は春の公園にいる。
    そこは深い水の底。
    空気と言う名の水の底。
    息の詰まることもなく、
    更に清冽な大気の水を吸う。

    散りゆく桜の花びらに、広げた両の手の人差し指で触れてみる。
    そこから波紋が広がる。
    宙に広がる波紋。
    僕は走る。
    次々と指が触れてゆくたびに、いくつも、いくつも、波紋ができてゆく。
    桜の花びらが両手の五指に触れるごとに
    空中に幾つもの波紋が重なり、広がってゆく。

    走るのをやめる。
    大きな息を吐く。
    大きな波紋になってゆく。
    春の深い水の底で。

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『三千百七十九:詩の思い出』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2017/09/post-6c15.html

          音

    雲海が やわらかく広がる朝
    一つの音が 宙を漂う。
    音は 翼を 羽ばたかせ、雲の上を 静かに舞う。
    穏やかな ほほえみを持って。

    羽毛のような 音の響きが 翼そのものか。
    音と音が 宙を 軽く すれ違う時
    触れ合う 彼等のその笑顔に
    暖かい 光を感じる。

    音が ほほえむ時
    音そのものが
    かすかに 光る。
    蛍のように。

    その淡い光が 音の周囲に
    きらめきわたる。
    芳香(ほうこう)が漂うかのように。
    また 虹のかけらが流れるかのように。

    竪琴(たてごと)に 触れる指と その絃(げん)から
    光と音が 靄(もや)のように にじみ出し
    春の せせらぎのように
    遠方(おちかた)に 流れていくかのように。

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『三千百五十五:詩作の思い出』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/.s/blog/2017/08/post-c72d.html

      愛と光

    愛が光となり、光が愛となり、
    光と愛が結ばれ合い、
    羽毛のように 触れ合い、
    お互いの中で響き合う。

    光と愛が 織(お)り合わされる中、
    速くもあり 遅くもある
    一つの やわらかな音楽が流れ続ける。

    その音楽に のせて
    光と愛が
    私達の胸に やって来る。
    一組の男と女のように。

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                                       坂本 誠

2018年5月 6日 (日)

三千二百五十三: 詩の思い出_No.2

こんばんわ。

今日は、4回目のブログ更新です。
三千百七十九:詩の思い出』の2段目です。

まず、最初に掲載しているのは、『長崎』です。

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            長崎

                    聖母に

    屋内の人々が 心を清めている。
    組み合わされた両の掌。
    そこから 一つの線が 天に向かって
    羽ばたき 飛び立っている。
    それらの多くの線を
    街の上に立つ
    巨大な女性が
    胸で受け止めている。

    洋風の館から 流れ出す気。
    カステラの味が 宙に漂っているかのよう。
    孔子の廟から 線香の匂いが流れている。
    北京ダックの味が 舌をかすめる。
    社(やしろ)の中で龍が踊って遊んでいる。
    龍の動きの線が 社の外に流れ出す。

    西洋から来た時と
    中華から来た時と
    日本から来た時が 流れている。
    何本かの時が 交錯し続けて
    大和(やまと)している。

    おわんのような大地に
    夜 家々の放つ 光が共鳴し合い
    何本もの時が行きかう様を
    街の上から
    巨大な女性が 静かな笑みを浮かべて
    見守っている。


    かつて
    その女性は
    やさしさ故にか 甘んじて
    プルトニウムの臭いも嗅いだ。

    しかし
    プルトニウムの臭いは
    人々の心までも
    毒することは出来なかった。

    今、幾つもの笑顔が 行きかい
    混じり合う様を
    彼女は 静かに 見ている。

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この作品は、2009年2月8日に出来ています。

掲載している写真は、大浦天主堂の聖母マリア像です。

Photo_3

 

九州の長崎市は、風光明媚な観光都市として、昔から有名です。
私も幾つか、ブログで長崎に関する記事を書いています。

何と言っても、異国情緒の漂う街で、その雰囲気を、うまく記述することが出来ません。
いわゆる、この状態が、「絶句(ぜっく)」と呼ばれるものでしょうか。

日本の他の都市では、このような異国情緒を味わうのは難しいことでしょう。
長崎以外にも、日本には街があり、それらの街には、西洋風味の文化で飾られた物が多いです。

しかし、長崎の持つ西洋情緒を、日本の他の都市は持っていません。
というのも、多くの人の知るとおり、江戸時代において約300年間も、海外に開かれた街は、ここ長崎のみであり、その時代分の西洋情緒が街と融合しているからです。
その約300年間分の差異を、日本の他の都市が表現できないのです。

例えば、掲載している写真の聖母マリア像ですが、注意深く、街の中を歩いてみると、大浦天主堂だけではなく、街の様々な場所に、さりげなく、聖母マリア像があります。

その、聖母マリア像が街に何体あるかはわかりませんが、かなり多いようです。
また、そのように、「街全体の至る所に、聖母マリア像が飾られている」という点も、日本の他の都市には、一切存在しない光景です。

また、長崎の街では、キリスト像も飾られていますが、そのキリスト像よりも、遥かに多い数の聖母マリア像が飾られています。

他にも言えるのは、中華風味の建築、服装、お祭りなども、上記のマリア像のように、街に飾られています。
特に、中華街の近くにです。

ですから、日本の他の都市で、観光的に西洋風味の趣を多めに出そうとしても、やはり、ここ長崎の所有している約300年間分の時間的な差異を埋めることは出来ません。

これが、「長崎は異国情緒溢れる街」と言われるゆえんです。

詩の方に、そのような異国情緒を描いたつもりですが、感じて頂ければ幸いです。
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              波紋


    僕は春の公園にいる。
    そこは深い水の底。
    空気と言う名の水の底。
    息の詰まることもなく、
    更に清冽な大気の水を吸う。

    散りゆく桜の花びらに、広げた両の手の人差し指で触れてみる。
    そこから波紋が広がる。
    宙に広がる波紋。
    僕は走る。
    次々と指が触れてゆくたびに、いくつも、いくつも、波紋ができてゆく。
    桜の花びらが両手の五指に触れるごとに
    空中に幾つもの波紋が重なり、広がってゆく。

    走るのをやめる。
    大きな息を吐く。
    大きな波紋になってゆく。
    春の深い水の底で。

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この作品は、2008年12月10日に出来ています。

作った季節は、冬でしたが、暖かい春の陽射しを想像して書きました。
私も子供の頃は、冬も好きでしたが、年齢を重ねると同時に、春の方が好きになって来たでしょうか。

詩の景色としては、春の青空の下に私がいるのですが、その「春の青空」そのものを、「春の青い水」と感じているところが気に入っています。

「春の青空」を、ちょうど、春の小川の底を泳いでいる魚のような気持ちになって、描いた作品です。
芸術作品を描く際には、想像力、イマジネーションが、かなり要求されると言われますが、私もそうだと思います。

詩のジャンルでは、その想像力は、主に比喩表現で現されます。
しかし、他の芸術ジャンルでも、想像力が必要とされ、その想像力が比喩表現や絵画表現、最近では、映像表現に開花されると思います。

この想像力を豊かにするには、やはり、美しい自然に触れたり、静かな空間の中で、自分のお気に入りの音楽を聞くことでしょうか。
当然、これらをする間にも、心が清まるので、一石二鳥のような部分が、創作活動にはあると思います。
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        歌と刃(やいば)


    激しい 戦いの中で、
    刃が 交わされる中、
    やわらかい 女の歌声が
    私達の 心の中に
    やさしく 響きわたる。
    やがて その歌声は
    冷たい 刃の中にも
    届いてゆく。

    それは
    愛の奔流(ほんりゅう)が
    数多(あまた)の
    刃を折る ちから か。

    一人の女の歌声が
    翼を広げ、
    軽々と 空に 舞い上がる時、
    一人の男の 勇気が
    一つの闇を 裂(さ)いてゆく。


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この作品は、2011年3月24日に出来ています。

最近の芸術家の方々も、色濃く、アニメの影響を受けていると思います。
アニメというのは、一種の総合芸術と言えるので。

ですから、私の方でも、アニメの影響を無視することは出来ません。
アニメの中でも、特に、人々を感動させるものには、当然、心が、うるわしい方向に振れますので、そのような影響を受けた作品が仕上がって来るものです。

昔から時折、『超時空要塞マクロス・愛・おぼえていますか』を、見る機会がありまして、見終えた後に、「これ(マクロス)、いいよねぇ」と何度でも、一人で、うなずく私でした。

しかし、単純に、感動しただけでは私なりに不足であって、その感動を別の形で表現しようと、瞑想しながら、努めることが大事だと感じます。

(以下、過去記事、関連記事、及び、参考文献)
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『三千百七十九:詩の思い出』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2017/09/post-6c15.html

          遠い星へ向かう時


    遠い星へ向かっている時、
    その星から 一つのやわらかい声が聞こえてくる。
    慈雨のように 上から降り注いでくるよう。
    その星が僕を迷わぬようにしてくれたのだ。

    僕の両腕は二つの音か。

    星に向かっている時の
    凄いスピードが 遅いスピードのようだ。

    僕は一つの音楽。
    音楽が音楽の上に乗っている。


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          音


    雲海が やわらかく広がる朝
    一つの音が 宙を漂う。
    音は 翼を 羽ばたかせ、雲の上を 静かに舞う。
    穏やかな ほほえみを持って。

    羽毛のような 音の響きが 翼そのものか。
    音と音が 宙を 軽く すれ違う時
    触れ合う 彼等のその笑顔に
    暖かい 光を感じる。

    音が ほほえむ時
    音そのものが
    かすかに 光る。
    蛍のように。

    その淡い光が 音の周囲に
    きらめきわたる。
    芳香(ほうこう)が漂うかのように。
    また 虹のかけらが流れるかのように。

    竪琴(たてごと)に 触れる指と その絃(げん)から
    光と音が 靄(もや)のように にじみ出し
    春の せせらぎのように
    遠方(おちかた)に 流れていくかのように。


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『三千百五十五:詩作の思い出』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/.s/blog/2017/08/post-c72d.html

      愛と光


    愛が光となり、光が愛となり、
    光と愛が結ばれ合い、
    羽毛のように 触れ合い、
    お互いの中で響き合う。

    光と愛が 織(お)り合わされる中、
    速くもあり 遅くもある
    一つの やわらかな音楽が流れ続ける。

    その音楽に のせて
    光と愛が
    私達の胸に やって来る。
    一組の男と女のように。


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                                       坂本 誠

2018年4月23日 (月)

三千二百四十四: 緑の飛翔

       緑の飛翔


  緑の萌え始める中
  草原の上で 車を走らせている。
  若木の枝々が 草原の両脇から
  幾つもの緑の手を
  水平に伸ばしてくるかのよう。
  
    柔らかい陽射しが
    若木の芽をかすめて
    淡い緑のシャワーを降らせてくる。
    梢(こずえ)の間の青空から
    散乱する光を織り交ぜながら。
  
  車のタイヤが空を切りつつ
  僕を運びゆく。
  車道の脇から伸びてくる
  若木の枝々と 僕の両腕が
  結びつき 絡み合い 融け合ってゆく。
  
    心の腕が 青い天頂目がけて 伸びてゆく。
    青空からは 天の腕が伸びて来て
    僕の手と 静かに 組み合わされてゆく。
    草原の上を 羽が生えながら 無心に抜けてゆく。
    一つの音が 草原の上を 軽やかに 流れるかのように。


       坂本 誠

2018年2月21日 (水)

三千二百二十一: 紫の海の底で

       紫の海の底で


   何かの気がかりな夢を後にして
   紫の海の底で目を開くと
   日曜朝の目覚めのように
   いつまでも 寝たふりをして
   まどろみ続ける。

      どうやら
      人は紫の海の底で覚醒しても
      呼吸できるようだ。
      強い水圧かもしれないが
      その水の抵抗すらも感じない。

   紫の海水が
   乳白色にも見える。
   今は
   夕暮れ時か
   朝焼け時かもしれない。

      潮のそよぎが
      そのまま 海草の流れになって
      その海草の動きが
      まねきのように
      髪と絡み合う。

   まるで
   潮の手が
   脳みその中に入り込み
   私の脳の ひだの間を
   洗髪しているかのよう。

      紫の海の底で わずかな記憶を紡ぎながら
      再び 眠りの中へと 沈み込んでゆく。
      「次に目を覚ますのは
      大気の底かもしれない」
      と 予感しつつも。


                                       坂本 誠

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2018年1月29日 (月)

三千二百十五: 跳躍

       跳躍


   高度一万メートルに ジャンプして
   浮遊しながら
   大地を見下ろす。

   高速移動しているのだけど
   スローモーションで移動しているように感じる。
   高速が低速に感じる時の面白さ。

   ジェット・エンジンのような轟音すらも
   赤子の寝息のように
   遥か遠方から 徐(おもむろ)に響き渡る。

   足元に広がる青空と
   頭上に広がる黒い宇宙が 混ざり合う
   静寂の中で 横滑りし続ける。

   小さな音楽が流れている。
   その音楽は ニジマスの背の 鱗(うろこ)のように
   幽(かす)かな光を明滅させている。

   その音楽をこねて
   小さな雲にして
   足の爪先で そっと立つ。

   翼を大きく広げているのに その翼を微動だにせず
   氷上を横滑りし続ける我。
   高度一万メートルの清冽(せいれつ)な大気を吸いながら。


                                       坂本 誠

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2017年11月28日 (火)

三千百九十七: 涙

       涙


    塩辛い水が流れて
    口の中に入る時。


                                       坂本 誠

2017年9月26日 (火)

三千百七十九: 詩の思い出

こんばんわ。

時々、私の過去に書いた詩を再掲載しながら、それらのエピソードなり、感慨深いものを書き添えている関係のものです。

以前から、音楽と親和性の深いものが、自分のお気に入りの詩になるような気がします。

今日は、3つの詩について、書いてみます。

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          朝のボロブドゥール遺跡

 

    インドネシアの密林の奥深く
    ボロブドゥールという謎の遺跡が横たわっている。
    早朝の曙光の射す中、
    遺跡の千の仏塔の上に
    千人の千手観音がいる。
    千手観音が千の剣を持っている。

 

    千手観音が
    朝日に感謝の祈りを捧げるため、
    剣の舞いを始める。

 

    一糸乱れぬ千の剣。
    一糸乱れぬ千の観音。
    一糸乱れぬ千の笑顔。
    千の仏塔の上で、千の観音が軽く宙にステップする。
    朝の光が千×千の剣に反射して、きらめいている。
    遺跡が輝いているようだ。

 

    千手観音の たゆたう虹色の衣から、
    虹色の香りが出て、
    緑の密林をかぐわせている。
    その香りは
    千手観音の喜びなのだ。

 

            坂本 誠
            
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この、『朝のボロブドゥール遺跡』という詩は、2009年1月12日に作成されています。
今から、8年前ですね。

『ボロブドゥール』という遺跡は、インドネシアの密林の地中に深く埋められていたのですが、近代になって発見された、謎の仏教関係遺跡と言えます。

秀麗な形をしています。

その『ボロブドゥール遺跡』の壁面には、様々なレリーフ(彫刻)が彫られていて、そのレリーフの中に、美神のダンスの踊りがあったでしょうか。

あるいは、今はもう覚えておられない人もおられるでしょうが、『レナウン』衣服関係の会社のCMのレナウン3人娘が、この『ボロブドゥール遺跡』まで出かけて、CM中で踊っていました。

しかし、インドネシア等の東南アジアで、古来より伝わる、仏教関係の舞踊音楽中には、女神をかたどった、艶やかな(あでやかな)踊りが有名です。

上の『朝のボロブドゥール遺跡』の詩にも、そのような雰囲気が漂っていると思います。

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          遠い星へ向かう時

 

    遠い星へ向かっている時、
    その星から 一つのやわらかい声が聞こえてくる。
    慈雨のように 上から降り注いでくるよう。
    その星が僕を迷わぬようにしてくれたのだ。

 

    僕の両腕は二つの音か。

 

    星に向かっている時の
    凄いスピードが 遅いスピードのようだ。

 

    僕は一つの音楽。
    音楽が音楽の上に乗っている。

 

          坂本 誠

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この、『遠い星へ向かう時』という詩は、2009年6月26日に作成されています。

自分の内面に向かうかのような、時は、それなりに、アルファ波ミュージックの雰囲気が、心の内部に漂わないといけません。

自分の内面に向かうかのような雰囲気、それ自体が、自分の内面に向かうかのようでいて、実は、宇宙空間に向かって飛び立っていた時に、『遠い星へ向かう時』のような詩が出来るのに気が付きます。

誰でもが、自らの心の中央と、大宇宙の中心はリンクしているのかもしれませんね。

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          音

 

    雲海が やわらかく広がる朝
    一つの音が 宙を漂う。
    音は 翼を 羽ばたかせ、雲の上を 静かに舞う。
    穏やかな ほほえみを持って。

 

    羽毛のような 音の響きが 翼そのものか。
    音と音が 宙を 軽く すれ違う時
    触れ合う 彼等のその笑顔に
    暖かい 光を感じる。

 

    音が ほほえむ時
    音そのものが
    かすかに 光る。
    蛍のように。

 

    その淡い光が 音の周囲に
    きらめきわたる。
    芳香(ほうこう)が漂うかのように。
    また 虹のかけらが流れるかのように。

 

    竪琴(たてごと)に 触れる指と その絃(げん)から
    光と音が 靄(もや)のように にじみ出し
    春の せせらぎのように
    遠方(おちかた)に 流れていくかのように。

 

        坂本 誠  

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この、『音』という詩は、2012年11月18日に作成されています。

海の上に漂う霧の上に、音楽が漂い舞うような感じでしょうか。

前作『遠い星へ向かう時』という詩には、宇宙の雰囲気がありますが、こちらは、地球上の自然、海や山などを感じていました。

音楽の中の音を擬人化したところが気に入っています。
音が天使として、浮遊している感じでしょうか。

では、また、いつか、このシリーズの続編を掲載します。


                                       坂本 誠

2017年9月17日 (日)

三千百七十五: 冬の祭典

                 冬の祭典


         白い峰々に囲まれて
         盆地が開けている。
         夕陽が 一つの峰の上に落ちる時
         冷えゆく大気の中で
         オレンジの光の明滅と
         黒の帳(とばり)の 饗宴が始まる。

         盆地の上に
         巨大な氷の塊が浮かんでいるかのよう。

         夕陽の光が 一つの音楽のように流れ
         その氷の中に入り込み
         つらぬいて
         氷の中で響き渡っているかのよう。
         乱反射する光のように。

         氷の側面を壁として
         何重にも反響し合っている。
         氷の中に 音楽を閉じ込めたかのよう。


                                         坂本 誠

2017年8月28日 (月)

三千百六十七: サバンナ

          サバンナ


      見渡す限りの 草原が広がる。
      地平線の上には
      青のみが広がり
      地平線の下には
      緑のみが広がる。

      乾き切った 陽射しが
      青空の中に 草原の上に
      散乱している。
      キラキラ光る 粉のように。
      ミラー・ボールで散らされた 光線のように。

      一陣の風に吹かれて
      草原が波打つ様は
      大自然の巨大な指が
      ピアノの鍵を
      遊び触れる様と同じか。

      そんな風を受け続けていると
      身体が透けてきて
      薄緑に染まりつつ、
      一つの緑の風と化して
      そっと大地を離れ、

      サバンナの上を
      無数の風と共に流れゆく。
      草々を なでながら。
      地平線 目がけて。
      どこまでも。


 

                                       坂本 誠

2017年8月 2日 (水)

三千百五十五: 詩作の思い出

たまには、私の詩作の背景も書いてみたいと思います。

私自身も気に入っている詩で『愛と光』というものがあります。
以下に掲げておきます。

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        愛と光


    愛が光となり、光が愛となり、
    光と愛が結ばれ合い、
    羽毛のように 触れ合い、
    お互いの中で響き合う。

    光と愛が 織(お)り合わされる中、
    速くもあり 遅くもある
    一つの やわらかな音楽が流れ続ける。

    その音楽に のせて
    光と愛が
    私達の胸に やって来る。
    一組の男と女のように。


       2010年12月31日
        坂本 誠

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詩作の日は、「2010年12月31日」付けで、旧ブログ『悲喜憐偉』に発表したのは、2011年1月1日の「七百二十一:音楽の輪」で、ご紹介しています。

大晦日に、試作したのですが、当時、『超時空要塞マクロス』をしきりにみていたのを思い出します。
ですから、詩の中に、「男と女」が入っていて、かつ、音楽性のある詩になっていると思います。

当時、私は、『超時空要塞マクロス』の主題歌「Do You Remember Love ?」を心の中で歌っていたものです。
音楽や、同映画の雰囲気があるかもしれません。

私が詩を作る時は、どこで生まれるかはわかりません。
つまり、一定していません。

草原の中で思いついたり、本屋の中の棚の間を巡っていて、急に思いついたり、部屋の中で思いついたり、と様々です。
しかし、一概に言えば、大自然に接している時とか、部屋の中で、一人でいる時に思いつくことが多いようです。

いずれにしても、心が高揚している時に、思いつくことが多いと思います。

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また、この詩『愛と光』を作る際にも、また、この詩『愛と光』を思い出すたびに、それにつれて思い出す詩が『邂逅(かいこう)』という、私の詩です。

その詩『邂逅』は、2011年5月17日に作成され、旧ブログ『悲喜憐偉』に発表したのは、2011年5月17日付で、『千二 :邂逅』として掲載しています。

『邂逅』のイメージが拡大して、『愛と光』に受け継がれています。

        邂逅


    闇の中から
    一つの中心より
    赤い光が 右の円をなし、
    青い光が 左の円をなし、
    多くの時間をかけ
    巨大な空間を横切り、

    やがて
    再び 一つの円を結ぶ時
    互いに欠けたる色が 混じり合い
    一つの完全な
    強力な光を放つ。
    以前よりも 強い光が。


       2011年5月17日         

       坂本 誠

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それと、この詩を掲載する際に、よく載せている写真が、右のものです。

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この写真は、2009年3月26日に公園の夜桜を撮影したものです。
夜桜の背後に、電灯が光っています。

写真を撮影した時には、気付かなかったのですが、パソコンに入れて、見なおしてみると、電灯の光が大きな青い光と、その青い光から、小さな赤い光が分裂しているように映っていました。

もちろん、この写真には、加工はしていないので、撮影時に、電灯の光が夜桜をかすめる際に、分光して、青の光と赤の光に別れているのではないかと思います。

しかし、この写真自体も、「詩『愛と光』にマッチしているようだ」との思いから、同時に掲載しています。


        Love & Light


    Love becomes light, and light becomes love,
      Light & love are connecting each other,
    They are touching like feathers each other,
      They are echoing in themselves each other.

    While light & love have been weaved each other,
      One soft music is flowing
        slowly and speedy.

    Light & love are coming
      to our chests on the music.
    Like one man & one women .
      Like one couple .


 

                                       坂本 誠

2017年7月31日 (月)

三千百五十三: 夏のピアノ

       夏のピアノ


   鍵盤の上の
   指先から あふれ出る ピアノの音は
   ガラスで作られた
   ビリヤードの玉のよう。

   その 虹色を帯びた 幾つもの玉が 
   重なり合い 触れ合い 叩き合い 離れ合いながら
   種々の乾いた音を放つ。
   七色の光が 虚空で 薄く 散乱するかのように。

   その 幾つもの虹色の音が 織り重ねられ
   青空高く 木霊(こだま)しつつ
   天頂 目指して 上に落ちてゆく。
   夏風に流される 幾つもの シャボン玉のように。


                                       坂本 誠

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2017年7月 4日 (火)

三千百四十一: 指の上に

       指の上に


   ある秋の午後
   僕は草原に寝転んだ。
   風に吹かれて
   緑はなびいていた。

   丸い大きな空が広がっていた。
   はてしなく青かった。
   僕は青空を見つめた。
   青空も僕を見つめた。

   青空は流れていた。
   赤とんぼの群れが浮かんでいた。
   僕は青空を指さした。
   青空の中心をどこまでも突き破るように。

   赤とんぼが僕の指先にとまった。

   青い空、緑の大地の自然と
   赤とんぼの生命と
   僕の心とが
   一つに集まっていた。

   小さな 僕の指の上に。


                                       坂本 誠

2017年6月 7日 (水)

三千百二十六: 青空下り

       青空下り


   目を閉じて
   自分の心の中に広がる 青空へと 飛び降りる。
   遥か下方に見える
   白い山の頂を目指して
   ゆっくりと降りてゆく。

   鳥が 青空を波として その波の上を滑るように、
   私の心の中央から奏でられ 広げられる 音楽の波の上に乗って
   ゆったりと 空を舞う。
   その様(さま)は 空と海を背景にした
   一艘(いっそう)の白い小舟か。

   乾いた風の音(ね)が聞こえるのみで
   天の頂から
   白い陽の光が 
   さらさらと流れ降る(くだる)のを見ていると、
   まるで 時が静止しているかのよう。

   その 静止した時の流れの中で
   鳥と両手をつなぎ 輪を描きながら、
   下方の山の頂 目がけて 降りてゆく。
   陽射しを背中に かざしつつ。
   心の中の 青空の中で。

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                                       坂本 誠

2017年2月22日 (水)

三千八十二: 音の流れ

       音の流れ


   音で作られた 風景を眺める様は
   夜空にかかる
   オーロラの流れを 見るかのよう。

   その流れや
   響きは
   小川の囁きにも似る。

   音に触れること、
   柔らかいクッションのよう。
   また 真白き綿(わた)に触れるかのよう。

   胸底に眠る
   郷愁の想いが 形を成して 指の動きと化し
   音の調べ へと 変換されゆく。

   また 健やかな生を受け
   世を生きる日々の内に
   音で編まれた 盾(たて)を張り、
   
   その盾を掲げ
   邪(よこしま)なる思いを
   柔らかに 弾(はじ)かん。

 

                                        坂本  誠

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2016年9月16日 (金)

二千九百九十: 黄昏

        黄昏


   僕は山の頂きに来た。
   そのうち 夕暮れがやって来た。

   黄昏の薄い闇の空に
   一つ一つと星が光りだす。
   それと呼応するように
   山のふもとに広がる街にも
   一つ一つと明かりがともりだす。
   星の光と街の明かりの間に
   細い光の柱が立っていくかのよう。

   闇が濃くなるにつれて
   夜空は星の光で満ちあふれる。
   夜の街は人々の営みの明かりで満たされる。

   星の光と街の明かりが 共鳴して
   キラキラとした音楽を奏でているかのよう。

   僕のいる山の頂きで
   光の音楽がただよう。


                                        坂本  誠

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2016年9月 8日 (木)

二千九百八十二:   長崎

            長崎
            
                    聖母に


  屋内の人々が 心を清めている。
  組み合わされた両の掌。
  そこから 一つの線が 天に向かって
  羽ばたき 飛び立っている。
  それらの多くの線を
  街の上に立つ
  巨大な女性が
  胸で受け止めている。

  洋風の館から 流れ出す気。
  カステラの味が 宙に漂っているかのよう。
  孔子の廟から 線香の匂いが流れている。
  北京ダックの味が 舌をかすめる。
  社(やしろ)の中で龍が踊って遊んでいる。
  龍の動きの線が 社の外に流れ出す。

  西洋から来た時と
  中華から来た時と
  日本から来た時が 流れている。
  何本かの時が 交錯し続けて
  大和(やまと)している。

  おわんのような大地に
  夜 家々の放つ 光が共鳴し合い
  何本もの時が行きかう様を
  街の上から
  巨大な女性が 静かな笑みを浮かべて
  見守っている。

  かつて
  その女性は
  やさしさ故にか 甘んじて
  プルトニウムの臭いも嗅いだ。

  しかし
  プルトニウムの臭いは
  人々の心までも
  毒することは出来なかった。

  今、幾つもの笑顔が 行きかい
  混じり合う様を
  彼女は 静かに 見ている。


                                        坂本  誠

Yakei

2016年8月14日 (日)

二千九百六十七:   水

        水


   花を愛でる心が
   水になる。


                                        坂本  誠

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2016年8月 8日 (月)

二千九百六十三: 喜び

          喜び


   私は両手を
   青空に高く差し伸べる。
   私の両手は
   爪先から
   多くのハトになって
   飛び立って 散ってゆく。
   まるで 紙ふぶきが
   青空に舞い上がっていくよう。
   ああ 私の喜びよ。


                                        坂本  誠

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