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2017年3月30日 (木)

三千百: 私達の本来の政治システムである「直接民主制」について

■:はじめに

この記事は長くなりましたので、読みやすいように章立てしています。

■:古来から続く政治システムを見て

私の記憶する限り、世界の様々な「政治家」と呼ばれる人々の汚職の報道というのは、古来より絶えないようです。

現在のテレビや新聞を見ても、世界各国の政治家と呼ばれる人々の汚職騒動が少なからず、あっているようです。

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それらの汚職騒ぎが、本当の事なのか、それとも、虚偽の事なのかはわかりません。
きっと、様々なケースがあるでしょう。
捏造されたものもあるでしょう。

しかし、「政治家の汚職騒ぎ」というのが、いつから発生しているかわからないぐらい昔から、起こっていることに多くの人は気が付くでしょう。

それらを見ていて、以下のように考える人も増えて来るのではないでしょうか。

  「私達の政治システムが変わらない限り、古来より続いている様々な政治家達の汚職騒ぎが無くなることはないだろう」

と。

ふっと思い出してみても、どんな人の記憶にも残っていると思うのですが、様々な政治家の汚職がありました。

そして、それらに関係する政党とか、それらに関係した政治家が、「金輪際、二度と、私達の間で汚職が起きないよう、努力いたします」等のようなセリフを、何回聞いたことでしょうか。

つまり、私達の巨大ピラミッドの構造をした社会システム、政治システムが変わらない限り、これからも、ずっと、上のセリフ「金輪際、二度と、私達の間で汚職が起きないよう、、、」という、この手のセリフを、多くの人々は永遠に聞くことになるのではないでしょうか。

■:コンピューターとインターネットの出現によって実現可能となった「直接民主制」

「私達が使用している」と言われている政治システムは、民主主義です。
この民主主義システムには、2通りの方法があります。

以前書いたことを繰り返すのですが、再び引用を踏まえて書いてみたいと思います。

(『法律のことがよくわかる事典』(川口 均 監修、西東社)より)
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●EDITOR NOTE

直接民主主義と代表民主主義

わが国では、日本国憲法によって国の主権は国民にあるとされています(これを主権在民という)。

そのため本来であれば国のルールにあたる法律も、国民すべての議論にもとづいて決めるべきところ(これを直接民主制という)ですが、それはとうてい無理な話。
そこで選挙によって選ばれた代議士が、国民に代わってこれを行っています(これを代表民主制という)。

また、この代表民主制を正常に機能させていくため、すべての国民には一定の年齢に達した場合、国会議員、知事や市長、地方議会の議員などに立候補する権利やそれらを選ぶ権利、すなわち選挙権が与えられているのです。
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(引用終わり)

つまり、民主主義には2通りの方法があります。
それは、「直接民主制」と「代表民主制」です。

上の引用文に、「国民すべての議論にもとづいて決めるべきところ(これを直接民主制という)ですが、それはとうてい無理な話」とありますが、以前にも書いたように、私達の科学技術の発達により「それはとうてい無理な話」ではなくなってきているのがわかるでしょう。

私達がお茶の間のテレビで見かけるアイドル・グループの「何とか総選挙」というものが、実施されていることに気が付きます。
インターネットを利用したものですね。

これと同じ事が政治上でも実行できることに気が付くでしょう。

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私達の日本でも、全国民によって、法律を作りたければ、一人一人の国民の目の前にあるディスプレイ上に設けられた「はい」ボタンか「いいえ」ボタンを押すだけで、その法律に対する賛否を集計できます。

しかも、インターネットを使っていますから、それはコンピューター制御なので、一瞬の内に集計が終わり、ほとんど、瞬時に、テレビ画面の上に、その法律の採決の票数結果が表示されるでしょう。

これにより、全国民の手によって、法律を制定できますので、民主主義の本線であるところの「直接民主制」の実行が可能である、と私達はわかるでしょう。

この「直接民主制」の実行が「それはとうてい無理な話」ではなく、私達の科学技術の発達により、理論上、無理ではなくなったことが現実に私達にわかるでしょう。

そして、過去、「(直接民主制は)それはとうてい無理な話」と、過去、言われていたので、間に合わせの手段として、私達がテレビの中でも、現在、よく見かける政治スタイルの「代表民主制」が行われていたのだ、と気が付くでしょう。

ですから、「直接民主制が可能となった」と、民主主義の本線で行けそうなので、当然、人は以下のように考えるのではないでしょうか。

  「民主主義の本線である直接民主制の、実行可能ラインが見えてきたので、私達は、それの導入を進めた方が良いだろう」

と。

インターネットを使用した投票で考えられる課題としては以下のものがあります。

それは、サーバー・コンピューターがハッキングされて、投票結果を改竄されたりするケースです。

この課題自体はあるでしょうが、いずれにしても、政治システムにコンピューターとインターネットを導入することにより実現する「直接民主制」によって、読者の方々も「税金を大幅に省くことが出来るだろう」と気が付かれるでしょう。

また、「直接民主制」の実行によって、いわゆる、「政治上の権力者」という存在が無くなるのにも気が付かれるでしょう。

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読者の方も気が付くでしょう。

要するに、現在、私達が見かけているところの政治家というものが必要無くなるのだ、と。

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この民主主義の本懐(ほんかい)は、「国民一人一人が政治家だ」というのが目的なのです。

ですから、上に書いたように、国民の一人一人がインターネットによる、法律制定等のための投票を行えば、つまり、「国民一人一人が政治家だ」というのも実現できることもわかるでしょう。

日頃は「私達が見かけている『政治専門』と呼ばれる人々が『政治家』だ」という認識がありますが、「直接民主制」が実現されれば、全ての国民が政治家となっただけなので、世に言う「政治家」という概念が変わるだけです。

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結局、直接民主制が実行されたら、国会議事堂も不要になるし、現在見られる少数の「政治家」と呼ばれる人々もいなくなります(つまり、権力の集中が避けられます)。
そして、選挙管理委員会というのも不要になってくるとわかるでしょう。
当然、議員宿舎というものも不要になってくるでしょう。

この「直接民主制が実行される」というのは、これは現代版の大政奉還(たいせいほうかん)と言えるのではないでしょうか。

■:テレビ電話会議を使用した国会

しかし、「地域の代表者」という人々もいても良いと思います。

その人達が、全国に散らばっているその他の代表者と、会議をしたくなる時もあるでしょう。

そんな時に使用するのは、私達のお茶の間のテレビでも有名になって、もはや誰もが知っているテレビ電話会議を実行すれば良いことに気が付くでしょう。

今でも、政治の世界では、地域の代表者達が、なぜか、選挙で選ばれた後、中央都市に行って、そこに住んで、国会に出席して、話し合っている光景を私達は、よく見かけます。

しかし、現代の私達の間でも、おなじみとなった、『Skype』のような、テレビ電話会議を使えば、十分に会議が出来るでしょう。

ですから、「国の中央都市に設けられた巨大会議場で、地方の代議士達が集まって、そこで会議を行う」というのは、一時代前の会議のスタイルではないでしょうか。

また、国会議事堂の維持費とか運営費とか光熱費用を考えても、莫大な額がかかっているでしょう。
ですから、テレビ電話会議や、パソコンにつないだビデオ・カメラとマイクがあれば、「かなり、大幅に税金を省くことが出来るだろう」と、読者の方々も気が付かれるでしょう。

■:私達は、なぜ、「国」という組織を必要とするのか

しかし、それでも、「現代の巨大ピラミッド型システムのような政治機構が必要なのだ」という意見を出す方もおられると思います。

要するに、現代まで続いている「国(くに)」の政治システムですね。

ですから、ここでは、「なぜ、私達は『国(くに)』と呼ばれる概念が必要なのか」を書いてみたいと思います。

日本だと、縄文時代が終わり、弥生時代が始まりました。

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縄文時代には、日本の土地の内部には、『国(くに)』と呼ばれるシステムはありませんでした。

弥生時代になって、大陸から稲作が伝わり、大量の食料(米)が生産できるようになりました。
ある村で、美味しいお米が取れて、豊富なカロリーをその村の内部の人々は、摂取できるようになりました。

そして、その村の周囲の人々が、そのお米を略奪したり、その稲作システムを奪取しようとしたところから、村の内部の人々と、村の外で暮らす人々との間で、戦争が起こるようになったそうです。

この、それまで、日本の内部では、ほとんど、人々の争いは無かったでしょうが、村と村の間で戦争が起きるようになり始めました。

この時代のことを、隣の国、中国の古書(魏志倭人伝)によると『倭国(わこく)大乱の時代』と表現されています。

多発する当時の戦争の原因について書くことも出来ますが、要は、私達の間での「国の成り立ち」というのは、「他国との戦争に勝って、自分達が存在を続けるため」と書けるでしょう。

弥生時代の『倭国大乱の時代』の表現を見ても、わかるように、当時は、隣村の侵略を防ぐために、人々は戦争の用意をしないといけなかったのでしょう。

この戦争状態だと、多くの人は、現代に見られる巨大ピラミッド型システムを必要とするのです。

その巨大ピラミッド型システムは言ってみれば、一人の巨人です。

その巨人には、頭脳と呼べる分野の人々が必要で、目と呼べる分野の人々も必要で、腕と呼べる分野の人々も必要で、足と呼べる分野の人々も必要です。

このような人々の分業化により、村中の人々が集まって、一人の巨人と化すのです。

そして、この「一人の巨人」のちからによって、隣村からの侵略行為を防ぐのです。

この「一人の巨人」を生み出す習わしが、今の今まで続いて、私達が現に見かけている巨大ピラミッド型システムが存在しているわけです。

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ですから、私達の住む地球には、様々な国がありますが、もし本当に多くの人々が政府の必要無しに、共に協調して、楽しく生活するのならば、国の中央におかれている「政府」というものが必要無くなることがわかるでしょう。

逆を言えば、私達の周囲の土地に、私達の敵と思える人々がいればいる程、「私達は政府というものを欲するのだ」となることがわかるでしょう。

そう、国というものは、その役目のほとんどが、「外敵から身を守るために存在している」とわかるでしょう。

外敵というものが存在しなくなれば、政府というものの必要性が薄れますので、逆に言えば、政府の人々は、「私達には外敵と見える人々がいるので、私達は存在価値があるのだ」と、なるでしょう。

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この外敵作りの遠因として、各国の間で、何らかの競争をさせるのも、ある意味、国家存在を守る手段ともなることがわかるでしょう。

例えば、「私達の国よりもA国やB国の方が競争に勝っている」と、多くの人々に伝えておけば、その国の内部の人々は、「A国やB国に負けてはいけない」という心理が働くので、そこに、A国やB国と、それらの人々の国の国境線の色を強く引くことが出来ることがわかります。

そして、それらの人々は、以下のように考えることでしょう。

  「A国やB国に負けてはいけない。だから、政府の人々を頼ろう」

と。

こうなってくると、政府の価値が高まるので、つまり、政府の人々にとっては、ありがたい話となるでしょう。

要は、世界中の人々が、それぞれ自発的に、仲睦まじく、共に助け合って生きていければ、私達の間に政府というものの存在価値は低くなることがわかるでしょう。

■:代表民主制の落とし穴

また、私達は「政治的な詭弁(きべん)」についても、考えることが出来ます。

例えば、ある政治家が以下のように言ったと仮定します。

  「私は、国民の意見を国政に反映させたい」

と。

なんとなく、よく私達が耳にする言葉のような気がしますが。

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その政治家の地元の人々の大勢の意見が一致して、例えば、それらの大勢の人の意見として、「私達(その地元の大勢の人々)は、この公共工事の必要性を認めない」となったとしましょう。

その意見を、その政治家が政治に反映させようとしますが、何らかの都合の結果、「私(その政治家)は、この公共工事の必要性を認める」となったとしましょう。

すると、議会の場に、その政治家は、その地元の大勢の人々の意見とは違う内容を出すことになります。
しかし、「その政治家も国民の一人である」と私達は気が付くでしょう。

ですから、議会で、その政治家は以下のように主張できることに、私達は気が付くでしょう。

  「私の地元では、大勢の人々の意見として『この公共工事の必要性を認めない』となりました。しかし、私個人としては、後によく考え直したところ、『この公共工事の必要性を認める』となりました。ですから、私の意見は少数派となりますが、私も国民の一人です。ですから、国民の意見として(自分の意見として)、『この公共工事の必要性を認める』と議会で主張することが出来ます。私の意見は少数派の意見となりますが、私も国民の一人なので、自分の意見も国民の意見なので、この議会の場で推すことが出来ます。自分一人の意見も国民の意見と言えますので。私も国民の一人なので」

と。

つまり、議会の場で、その地元の大勢の人々の一致した意見を、堂々と否定し、彼が全く、その逆の個人的な意見を推すことも可能だ、と、わかるでしょう。

ですから、上に書いた仮の政治家のセリフ「私は、国民の意見を国政に反映させたい」は、以下のように書きなおせるとも気が付くでしょう。

  「私は、(自分自身という名の)国民の意見を国政に反映させたい」

と。

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つまり、このような、詭弁とも思えるような形で、自分一人の意見を貫くことが、議会でも実行できることがわかるでしょう。
なぜならば、その政治家も国民の一人なのですから。

この手段を使えば、結局、「自分一人のための政治が実行できる」となり、「たとえ、民主主義政治の実行下でも、独裁政治と呼べるものが実行可能だ」と人は気が付き始めるのではないでしょうか。

これが「なぜ、実行可能なのか?」と、私達が考えるに、「これは、現代まで続いている代表民主制の民主主義政治の欠陥あるいは落とし穴だ」と感じるのではないでしょうか。

■:代表民主制が導く方向として

外国でも、選挙カーが走っているかどうかはわかりませんが、選挙に立候補した人が、選挙カーに乗って、マイクで以下のように言っているのを記憶しています。

  「どうか、私に政治をお任せください」

と。

そして、有権者の中でも「あの人に政治を任せよう」ということで、投票する人もいると思います。

私は、これは良くないと思います。
人は、自分の幸福は自分で作らないといけません。
しかし、「誰かに政治をお任せし、その政治家(その当選した立候補者)が、政治を実行することにより、投票した有権者達(私達)に、幸福を配ってくれる筈だ」あるいは「他の人(政治家)が私達(有権者達)に幸福を持って来てくれる筈だ」という考えになり、こうなると、その投票した有権者達が次第に、依存的な性格になるように感じます。

「依存的な性格」というのは、わかりやすく書くと、「甘えの心」です。

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依存的な性格というのは、その性格を持つ人の、自立心を妨げます。

今の代表民主制というのは、これは結局、「政治を、少数の人達にお任せしよう。そうすることにより、その少数の人達が、私達に幸福な生活をもたらしてくれるだろう」という、他者(立候補者達)に対しての、お頼みの精神、つまり、依存的な性格の形成を助長しているように見えます。

また、ここまででわかるものの一つに、今までは、本来ならば、民主主義は直接民主制で行われなければいけないところを、時代環境が整わなかったので、いた仕方なく、仮の政治システムである、代表民主制が実行されていたのだ、と気が付くでしょう。

私達がテレビや新聞で、よく見かけている政治システムは、代表民主制であり、つまり、これは「仮の政治システムだったのだ」と、私達が思い出せば、当然、「真の政治システムであるところの、直接民主制を実行しないといけないだろう」と、自然になるでしょう。

■:終わりに

ですから、私としては、民主主義の本懐であるところの、直接民主制の実現可能ラインも見つかった事ですので、直接民主制の実現・実行を多くの人々が願えば良いのではないかと思います。

本記事は長くなりましたが、ここまで読んで下さり、ありがとうございました。


                                        坂本  誠

2017年3月16日 (木)

三千九十五: 私達の焦りや欲を考えて

結婚相談機関とか、車のCMを見ていて、感じることがあります。

確かに、人間は恋人がいた方が楽しいかと思います。
しかし、無理に恋人を作るというのも、ちょっとおかしいかと思います。

結婚相談機関のCMとか、あるいは、世間の誰も彼もが、「人間は結婚するべきだ」とか、「彼(あるいは彼女)を作りましょう」と言っているからこそ、そんなに恋人や配偶者を欲しくないと考えている人も、つい、欲しくなるのではないでしょうか。

つまり、周囲の声とか意見とかで、かなり大勢の人が、「人間は結婚するべきだ」とか、「彼(あるいは彼女)を作りましょう」と言えば、恋人や配偶者の欲しくない人でも、「何となく、恋人や配偶者を作らないと、自分の肩身が狭くなる」という思いが生じてしまうのでは、という気がします。

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つまり、私達は必要以上に焦らされていないでしょうか。

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車とかもそうですが、新しい車のCMを見たり、隣の家の人の車が自分の家の車よりも良ければ、なんとなく、欲しくならないでしょうか。

つまり、私達は周囲のものを見て、必要以上に焦らされていたり、あるいは、欲が出てくる事により、その焦りと欲によって、私達は不幸になっていないでしょうか。

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もちろん、結婚相談機関とか車だけでなく、世の様々なことにおいても、同じだとわかるでしょう。

確かに、それらが必要で欲しい人は、手に入れれば良いと思います。
人間には、自由が与えられていますので。

しかし、私達の身の回りを見るに、よく考えてみたら、上のケースと同じように「必要以上に焦らされていた」とか、「必要以上に購買欲求を煽られていた」というケースも、かなり多いのではないだろうか、と感じてしまいました。


                                        坂本  誠

2017年3月 9日 (木)

三千九十二: お知らせ

こんばんわ。

今、ちょっと忙しいので、ブログ更新が遅れています。
何卒、ご了承ください。


                                        坂本  誠

2017年2月 2日 (木)

三千六十九: 『三千六十八:資本主義の束縛から、どうやって徐々に逃れるか』の続き

こんばんわ。

三千六十八:資本主義の束縛から、どうやって徐々に逃れるか』の続きのようになります。

前段では、余談として書いたものもありましたので、その余談部分も含めて、続きを書いてみます。
ですから、この一つの段落中には、二つの話題を書きます。

引用文中に、私の気になりました部分には、アンダーラインを引いたり、太字にしています。

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■①:

一つ目の話題です。

『七十六:News_No.238』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2013/06/news_no238-04de.html
(以下、『朝日新聞』朝刊、2013/6/15記事。6ページ目の経済欄に掲載の記事を引用します。)
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●5・23暴落「すべて想定通りだった」 米ヘッジファンド暗躍

523__1

日経平均株価の終値が13、14の両日に1万2千円台になり、日本銀行が4月に大規模緩和を始める前の水準に戻った。
一時は1万5600円を超えたが、5月23日に1143円暴落し、下落に転じた。
背後にいたのは、米国のヘッジファンドだった。

米西海岸に拠点を置くヘッジファンドの首脳は実は、23日の1週間も前から大規模売りの準備に入っていた。(、、、以下、省略)
-----------------------
(引用終わり)

前段でも、同じ新聞の切り抜きをご紹介しました。

世には、株式市場の知識を、あまり持っていない方もいます。
ですから、私が株の話題をしても、「坂本さん、私は株の話をされても、あまりわかりません」と言われる方もいると思います。
ですから、上の記事を、わかりやすく、私達の馴染み深い言葉で言い換えると、実感を得やすいかと思います。

上の新聞記事の内容を、わかりやすく、私達の馴染み深い言葉で言い換えると、

  『2013年の5月23日に、日本の多くのお金が、アメリカのヘッジファンドによって、カモられた』

となります。

アメリカのヘッジファンドの人も、今頃は、

  「やっと、カモ(達)が気付き始めたか」

と考えているのではないでしょうか。

『四百八十二:私の見かけたビデオについて_No.46』の「●スライヴ (THRIVE Japanese) 」でも言われています。
該当記事に書かなかったのですが、概要を書きますと、要するに、銀行家や資本家などの人々が、大量の株を売ったりして大恐慌を引き起こしたり、金利を上げたり、下げたりして、いわゆる景気を作り出している事がわかります。

『四百八十二:私の見かけたビデオについて_No.46』
●スライヴ (THRIVE Japanese)
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2013/10/_no46-104c.html
http://www.youtube.com/watch?v=yp0ZhgEYoBI


YouTube: スライヴ (THRIVE Japanese)

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上記のビデオの1時間3分目ぐらいから見ても、わかるのですが、過去の世界レベルの大恐慌も、銀行家や資本家などの人々が、大量の株を売ったりして大恐慌を引き起こしたり、金利を上げたり、下げたりして、いわゆる景気を作り出している事がわかります。

「株」というのも、これは地上の人間が売買しているので、どこかの誰かが売買することによって、大恐慌というのが導き出されていたのです。

ですから、丁寧に、株の売買のやり取りを追えば、「この人間が、この株を大量に売った事により、恐慌が起きた」ということがわかるでしょう。
それが、彼等だった、とビデオ中で説明されています。

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■②:

『三千六十八:資本主義の束縛から、どうやって徐々に逃れるか』中で、余談的に、ビルダーバーグ会議について紹介しました。

「現実に、ビルダーバーグ会議というものは実在する」という事が読者の方々にも理解できたでしょう。

wikipediaの説明にも、「ジャーナリストやコラムニスト等も招待されるが、会議での討議内容は非公開であり記事になることはない[3]」とあります。

これに関しての引用文を紹介します。

(以下、『旧・ほんとうがいちばん』様、2013/6/6記事より引用)
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●1954年以来全く報道されることのない 「ビルダーバーグ会議」 が始まる―6月6日~9日イギリスにて
http://mizu888.at.webry.info/201306/article_22.html

イギリス独立党議員が欧州議会でビルダーバーグ会議に言及

(※:筆者注:理由はわかりませんが、なぜか該当ビデオは削除されています。)

ビルダーバーグ会議 : 欧州議会で取り上げられる (UKIP) #seiji イギリス独立党  http://youtu.be/UcmRjiX_t_M
公開日: 2013/05/22

ビデオ(概要)より転載

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「パットン議員(イギリス独立党)どうぞ」

「次回のビルダーバーグ会議はイギリスで開催され、場所はワットフォードのグローブホテル、6月6日から9日とされています。」

「この年次会議は権力と富と影響力を持った人々---政界、ビジネス、金融関係が参加するサミットです。」

「この会議の最大のミステリーは主流新聞、放送関係者は、1954年以来、報道しないと決めていることです。」

「しかしインターネットの時代では、この存在は秘密にできません。」

「イギリスのすべての主流メディア、テレビ局に対して、報道することを書名で要請しました。」

「報道しないならば、なぜなのか?」

「情報公開条例を使い、ハートフォード州警察責任者に、どのような根拠で警察業務が提供され、誰が費用を払っているのかを、照会中です。」

「回答を楽しみに待っています。」

"The biggest mystery surrounding them is why the mainstream newspapers and broadcasters have chosen not to report on them since 1954 however in the internet age their existence cannot remain secret." - Gerard Batten

Published on 20 May 2013
https://www.youtube.com/watch?v=5A5jN...
Why don't the mainstream media report on Bilderberg meetings - Gerard Batten MEP
--------------
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(引用終わり)

私も上記のビデオを直接見たのですが、なぜかは知りませんが、同上ビデオは削除されています。

EU会議場で、イギリスのパットン議員が上のように語っていました。

彼のセリフの中で、「この会議の最大のミステリーは主流新聞、放送関係者は、1954年以来、報道しないと決めていることです」とあります。

「(ビルダーバーグ会議に関して)なぜ、報道しないのか」は、私もわかりません。

また、主流新聞、放送関係者が、どのような取り決めの下に「報道しない」と決めているのかはわかりません。

ですから、現実に、「かなり多くの人々に向けての、テレビや新聞などで、伝えられないニュースがある」ということが存在する、ということがわかるでしょう。

で、そのビルダーバーグ会議の内容として、どのようなものがあるかというと、以下に幾つかの引用を挙げてみます。

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◆引用1:

『二百八:News_No.281』
●イルミナティの計画&ブッシュ一族とロスチャイルドの戦い。
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2013/07/news_no281-3617.html
http://blog.livedoor.jp/wisdomkeeper/archives/51891464.html
http://the-tap.blogspot.jp/2013/07/how-bilderberg-fringe-was-controlled.html

(上記記事より抜粋引用、●ケリー・キャシディさんによる)
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ケリー・キャシディさんによる、帝国の真実と題したプロジェクト・キャメロットの番組(ロンドンから)の中から、以下の内容が伝えられました。
・・・ビルダーバーグ会議では、デービッド・アイク、アレックス・ジョーンズを含む1000人の市民が会議場に入るのを許されました。
歴史的な事です。
あるイギリスの国会議員は、自分達が国を運営しているのではない、ビルダーバーグが世界中の国々を運営しているのだ、とはっきり言いました。
そして多くの人々がビルダーバーグに反撃し始めました。
エリート組織(イルミナティ)は、我々から隠れ続けるのを止めました。
我々は彼等から直接攻撃を受けています。
エリート組織は、自分達を第4帝国であると呼んでいます。
そして彼等は誇り高く世界の人口の3分の2を消滅させると言いました。
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(引用終わり)

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◆引用2:

『三十六: 私の見かけたビデオについて_No.7』
●ビルダーバーグ2012ロンポール死への策略が明かされる
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2013/06/_no7-fc7a.html
http://www.youtube.com/watch?v=tBzz5dRxsS4



(上記ビデオより抜粋引用)
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▲デスク・キャスター(ダリン・マックブリン)
「INFOWARSの夜のニュースへようこそ。」
「2012年6月1日金曜日です。」
「私はダリン・マックブリンです。」
「今夜のラインナップを素早く見てみましょう。」

「今夜のINFOWARSの夜のニュースでは、来るビルダーバーグ出席者の抗議が上がりました。」
「ビルダーバーグ調査をしてきたジム・タッカーはロン・ポール暗殺の策略を明かしました。」
      :
     (中略)
      :
「その時、企業化されていない真実の提供に基づいた新しいメディアの即時の仕事により、ここに巨大メディアニュースが絶滅する。」
      :
     (中略)
      :
■ジム・タッカー
「彼らはロン・ポールについて非常に厳しい事を言っていました。」
「なぜなら彼は非常に愛国的に議会を指揮していて、これら政策条約の承認を停止させ、彼らの大事な組織が傷つくようにしていて、」
「ですから、その過酷な話は近くにいた男から出て来て、ロン・ポールと彼の支持者達を飛行機に乗せて、そこでイスラム教徒の自爆策略で彼を落とそうというものです。」
「それも最も過酷なコメントで、彼らの主なスクリプトは私のところには来ていません。」
「ビルダーバーグの声はホテルのロビーに集まっています。」
      :
     (中略)
      :
▲デスク・キャスター
「そしてビルダーバーグのメンバーがロン・ポールを脅かしたのはこれが初めてではありません。」
「あなたは2007年の時のことを思い出すかもしれません。」
「私達に明かされたのは、米国諜報がロン・ポール革命を脱線させるために暗殺を検討していた事です。
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(引用終わり)

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◆引用③:

前置きが長くなるのですが、2013/4/29から2013/5/3までの間に、米国のワシントンDCのナショナルプレスクラブで、米市民達が、UFOの目撃や証言を前米国議員の前で行う、という公聴会があります。
このイベントの正式名称は、「Citizen Hearing on Disclosure(以下、CHDと略す)」と言います。

このCHD開催中には、この公聴会の事を聞きつけた世界の人々が(わざわざ外国から米国のその会場に来て)、アメリカ人と共に、UFO目撃体験や、あるいは、宇宙人遭遇体験を語りました。

私も、当時、英語版「THE HUFFINGTON POST」に同記事が紹介されていましたので、翻訳していたものです。
それらの翻訳文を読まれたい方は、以下のURLにジャンプして、そこから、さらに様々な記事にジャンプしてください。

『七百七十四:UFO・ディスクロージャー・シリーズの目次』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2014/01/ufo-4c4a.html

そして、そのCHDの最後に、元カナダ防衛大臣、ポール・ヘリヤーが証言した内容の中にも、ビルダーバーグ会議のことが出ています。
その時のビデオがJessica0701さんによって、邦訳されていますので、そのビデオから紹介します。

『七百八十六:ディスクロージャーについて_No.46』
●元カナダ防衛大臣によるUFOエイリアン情報開示
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2014/01/_no46-ffce.html
http://www.youtube.com/watch?v=dpWPRd56D-0



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(YouTube概要より引用)
ポール・ヘリヤー:ポール・ヘリヤーはカナダ議会の最年少議員になった人物であり、ル-イ・サンローラン政権下で最も若くして閣僚となった人物である。
彼は2005年9月25日に、「UFOは飛行機が上空を飛んでいるのと同じくらい現実的なものである」と公に発表し、国際的に大きく報じられた。
この事により、彼はG8国家の閣僚レベルでUFOの存在を認める発言をした最初の人物となった。
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(上記ビデオより抜粋引用)
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今から私の関心は完全なる情報開示です。
それから・・・私の唯一の注意点ですが、おそらく95から98%の完全な情報開示になります。

それは私達が様々な種類の生命で一杯の宇宙に住んでいるという事です。
それは存在し、私達の運命を支配する同じ既得権益により秘密にされているのです。
外交問題評議会、ビルダーバーグのメンバー、三極委員会、国際銀行カルテル、石油カルテル、様々な諜報組織のメンバーおよび軍事政権の選ばれたメンバー達です。
彼等は共にアメリカのみならず、欧米世界の多くの影の政府となっているのです。
ゲームの目的は世界政府であり、秘密結社のメンバーが含まれていて、誰からも選ばれていない人物であり、誰に対しても責任を持たない人物なのです。
そしてロックフェラー氏によると、計画は上手く進んでいるのです。

何故、私達の市民権が奪われているのかこれで理解するのに役立ったでしょうか?
"私達"と言いました。
何故ならカナダも壮大な計画に含まれているからです。
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(引用終わり)

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後は、読者の方々も、ご自身で調べることができるでしょう。

また、やんごとなき方々(一般に、「身分の高い」と言われている人々のこと)が、そのような情報を嫌って、キャンセルさせるところも、以下のビデオの内容から理解できると思います。

『三百三十七: イルミナティについて_No.4』
●ジェイ・パーカーインタビュー④
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2013/09/_no4-9e49.html
http://www.youtube.com/watch?v=9Gl-yNEoGyI



(上記ビデオより抜粋引用)
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●ジェイ・パーカー
「そういったビデオがあるのかどうかは僕はわからないけれど、私は目撃して、ネットに書き込んでキャンセルさせた事があるんですよ。」
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(引用終わり)

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これらの、テレビや新聞では伝えられない情報を、多くの人々が見るに、「私達は、本当にマトリックス(偽造社会の意味で)に閉じ込められていたのだ」と、実感し出すと思います。

映画『マトリックス』では、映画中では、人類は、うなじの部分に人工的なソケットを取り付けられており、そのソケットを通して、巨大コンピューターで作成された、偽造社会を一つの夢として、体験させられています。

現実の私達には、もちろん、うなじの部分に人工的なソケットは取り付けられていません。
ですから、巨大コンピューターの作成した「マトリックス」とは言えませんが、ある種の偽造された社会を提供する方法としては、特に、人工的なソケットを作る必要は無く、別の手段でも、マトリックスを作ることは可能だ、と、私達にわかります。

これらの情報を知ることによって、人は少しずつ、私達の周囲に張られたマトリックスから解放されていくかと思います。

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最近のマンガで『進撃の巨人』というものがあります。

この『進撃の巨人』は、SFなんですが、劇中の人間世界に巨大な壁が築かれており、壁の外には巨人がいて、壁の中に残された人類が住んでいる、という設定になっています。

そして、その壁の中の人類には、その壁が作られた本当の由来と壁の中の人類についての正当な歴史を教えてもらっていません。

これも「マトリックス」的な話題の一つと言えるかもしれませんね。

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最近、巷では「偽(にせ)のニュース」という表現が出回っているようです。

しかし、私がここで挙げたのは「偽のニュース」ではなく、「(マスメディアでは)伝えられない情報」とか「(マスメディアでは)教えられない情報」とでも表現するものです。

ですから、ここに挙げた情報は「偽のニュース」と呼ぶべきものではないです。

「偽のニュース」というからには、一つの情報に対してAという状態が正しい状態と仮定するならば、そのAの状態とは違ったBの状態が存在し、そのBの状態のニュースが巷に流される、という感じになるでしょうか。

ですから、私が上に幾つか挙げた情報は「偽のニュース」と呼ぶべきものではないですね。


                                        坂本  誠

2017年1月29日 (日)

三千六十七: 私達の社会でのロボットの大量導入を考えて

■:はじめに

こんばんわ。

三千六十四: 転換の時代を考える_No.3』の続きのような感じになります。

前の段にも、私が以前に書いていましたが、もう一度書き出しておくと、

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ロボットやコンピューターの多用によって、人の仕事が少なくなるだろう。
その結果、多くの人が仕事を失う結果、資本主義経済が後退するだろう。

また、科学技術の発達の結果、高性能の機器が多くの人に行き渡るだろう。
その結果、高性能の機器は壊れにくく、全ての製品が省エネする方向に向かうので、結果、機器の売れ行きも鈍り、資本主義経済が後退するだろう。
-----------------------

です。

これについて、具体的な例を挙げて、さらに踏み込んで書いてみます。

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■:ロボットを導入する店の例から

ロボットを導入したい企業(お店)をお菓子屋さんと惣菜屋さんの二つとしておきます。

お菓子屋さんと惣菜屋さんの両方の経営者も、コスト削減のために、幾つかのロボットを導入したとします。
今でも、そうなのですが、だいたい、どこのお菓子屋さんと惣菜屋さんでなくても、その会社の従業員の人も、自分の会社のために、余裕のある時は、自分の会社のお菓子とか惣菜を買っていくでしょう。

Youmetown_5

 

ですが、この例でのお菓子屋さんと惣菜屋さんは、幾つかのロボットを導入したため、その会社の従業員の方に辞めてもらったとします。
すると、その退職した元の従業員達は、しばらくは仕事が無いですから、今までの会社の製品であるところの、お菓子や惣菜を買えないケースも多いことでしょう(あるいは、元の従業員達は、怒ってしまって、もう二度と、自分が元居た、お菓子屋さんと惣菜屋さんのお菓子と惣菜を買わなくなるかもしれません)。

つまり、会社の自動化(オフィス・オートメーション。ロボットやコンピューターを導入することによる、人員削減)は、自分の会社のお客さんをも失うことがわかるでしょう。

そして、その退職した元の従業員達は、しばらくは仕事が無いですから、当然、日用品の購入も少なくなるでしょう。

ですから、上の例で行くと、お菓子屋さんから、退職した元の従業員達は、元居た自分のお菓子屋さんのお菓子も買わなくなり、かつ、惣菜屋さんの惣菜を買うことも少なくなります。

もう一つの例である、惣菜屋さんから、退職した元の従業員達も、上と全く同じ事が起きるでしょう。

ですから、お菓子屋さんの経営者は、惣菜屋さんの経営者に言うかもしれません。

  「あなたの会社で、ロボットを導入しないで下さい。なぜならば、私のお店である、お菓子屋へのお客さんが減るからです」

と。

惣菜屋さんの経営者は、お菓子屋さんの経営者に言うかもしれません。

  「あなたの会社で、ロボットを導入しないで下さい。なぜならば、私のお店である、惣菜屋へのお客さんが減るからです」

と。

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■:ロボットが大量に私達の生活に入って来ると

ここまで書くと、読者の方々もわかってくると思います。

現在、資本主義社会では、上の例でのお菓子屋さんと惣菜屋さんだけでなく、大量の職場に、大量のロボットが導入されている、と。

つまり、資本主義社会での大量ロボット導入は、大量の失業者を作り出す、と。
つまり、「大量の失業者を作り出す」ということは、「資本主義社会で大量のお客さんの減少を作り出す」と。

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ですから、結局、上の例で挙げた、コスト削減のための、お菓子屋さんと惣菜屋さんのロボット導入による、人員削減の行為は、回り回って、他ならぬ、「自分のお店の顧客を失わせる行為だった」と、あなたも理解できるでしょう。

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■:矛盾が導き出された

現在の資本主義社会での流行の最先端とされている、「ロボット導入」の行為が、他ならぬ、資本主義社会の大幅な後退行為や縮小行為そのものであることに、人は気付くでしょう。

この資本主義社会での、たった今、目の前に起きている事象を見て、あなたも以下のように感じるかもしれません。
  「これは矛盾だ」

あるいは、

  「資本主義社会とは、自分の尻尾(しっぽ)を食べている、蛇(ヘビ)のようなものだ」

と。

_1

 

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上の仮想例の状態で、さらに私達は仮想的に時計の針を進めてみましょう。

(人員削減によって)お客さんの少なくなった、お菓子屋さんと惣菜屋さんは、当然、お客さんが少なくなったことにより、経営が悪化してきて、やがて、淘汰などが起こり、世のお菓子屋さんと惣菜屋さんの数が少なくなります。

現代だと、最近のオフィス・オートメーションの流行により、ロボット・メーカーの羽振りは、少しばかり良いと報道されています。

しかし、上の例の流れから、世のお菓子屋さんと惣菜屋さんの数の減少により、つまり、ロボット・メーカーのお客さんの数が少なくなることがわかるでしょう。

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つまり、現代での大量のロボット導入を行うと、やがては、数多くのお店での人員削減は、大量の失業者を生むので、それらのお店自体の大量の顧客喪失が起きるので、さらに、それらのお店にロボットを提供していた筈の、ロボット・メーカーも、顧客喪失が始まると予想されます。

ですから、現代での大量のロボット導入の行為は、産業社会から人間が消えていくことを意味していますから、人間の産業社会の仕組みであるところの、資本主義システムを壊しているのに気が付くでしょう。

なので、人はさらに気が付くでしょう。

  「資本主義を後退させようとする人々とは、他ならぬ、資本主義を押し進めようとしている人々のことだ」と。

また、資本主義を後退させようとする人々とは、上の例から借りれば、お菓子屋さんと惣菜屋さんの経営者であり、また、世にロボットの普及を図るロボット・メーカーであり、あるいは、大量のロボットの導入を考えている国の政府の人々だ、ということになるでしょう。

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■:この矛盾は大自然の摂理の一つなのか

私は上に、

  「資本主義社会とは、自分の尻尾(しっぽ)を食べている、蛇(ヘビ)のようなものだ」

という喩えを書きました。

Photo_4

 

しかし、柔らかな雰囲気で、別の方面から表現してみようと思います。

三千六十二:転換の時代を考える_No.1』の中で、私は、「■:北米大陸で行われた草食動物と肉食動物の個体数調査結果」という章を書きました。
詳しくは、該当HPを読んでほしいのですが、簡単に書きます。

草食動物が幾ら殖えたくても、その草食動物が殖えたことにより、肉食動物も殖えるので、多くの草食動物は捕食されるので、草食動物は減ります。
また、草食動物が減ると、それを餌とする肉食動物も捕食対象が減少することにより、肉食動物も個体数を減らすので、草食動物は天敵がいなくなるので、再び、草食動物の個体数が殖えます。

この「草食動物と肉食動物の個体数調査結果」から、読者の方も以下のことを感じるかもしれません。

  「増加の行いの中には、既に、減少の傾向の芽を、必ず孕(はら)んでいる。同様に、減少の行いの中には、既に、増加の傾向の芽を、必ず孕(はら)んでいる」

と。

大自然の一つの摂理として。

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上の流れでの、「資本主義の発達によって、科学技術が発達して、大量のロボットが生産される」というのは、読者の方も、自然な流れを感じるでしょう。

ところが、その「自然な流れ」そのものが、資本主義の後退をも、自然に招いているのに気が付くでしょう。

ですから、私が上に書いた

  「増加の行いの中には、既に、減少の傾向の芽を、必ず孕(はら)んでいる。同様に、減少の行いの中には、既に、増加の傾向の芽を、必ず孕(はら)んでいる」

の、表現の方は、大自然の一つの摂理として感じるでしょうから、「資本主義社会とは、自分の尻尾(しっぽ)を食べている、蛇(ヘビ)のようなものだ」の表現よりも、柔らかく、人に受け入れられるかもしれません。

ですから、現在、たった今でも、行われている資本主義でのロボットの大量導入も、「大自然が私達に一つの摂理を見せてくれて、学ばせてもらっている」、と感じれば、心が穏やかになって、澄んだ眼差しで、私達の社会現象を見ることができるかもしれません。
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思い出せば、『三千六十二:転換の時代を考える_No.1』で「■:日本での少子化」を書きました。

子供達の教育費の増大も、思えば、資本主義の自然な流れでした。
ですから、教育費の増加を考慮して、多くの人々が、少子化の流れに入った(つまり、顧客数の減少方向に入った)のですが、これも、資本主義の自然な流れだったと言えるかもしれません。

ここからも、上の「増加の行いの中には、既に、減少の傾向の芽を、必ず孕(はら)んで、、、」が連想できるでしょう。

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■:私達はこの現象をどう見たら良いのか

ここで、少し別の角度から、この現象を見てみましょう。

_1_2

 

「雇用の減少は恐ろしい」と、多くの人は感じているかもしれません。

しかし、煎じ詰めて、見てみると、雇用の減少そのものが怖いのではなく、雇用の減少の結果から生じるところの、「手持ちのお金の減少」、これが、本当に人が恐れている実体なのだと気が付くでしょう。

ですから、仮に、私達の社会で、一切、お金が使用されていない社会だと考えてみると、上からずっと論じている、「資本主義でのロボットの大量導入」も、スムーズに導入されているのではないでしょうか。

なぜならば、世に、お金が無いので、失業から生じる、「手持ちのお金の減少」という心配事が起きることは無いからです。

また、逆の目から見れば、「お金の存在が、私達の社会での、ロボットの大量導入を妨げている」とも見なせるでしょう。

このように、完全に私達の視界から離れた地点に、一歩、意識を持って行って、そこから眺めて、考えると、「私達の社会に、大量のロボットを導入すべきか、どうか」の二者択一の答えとか対処方法よりも、別の角度からの答えあるいは対処方法が得られるかもしれません。

具体的には、「私達の社会に、大量のロボットを導入すべきか、どうか」よりも、「私達の心の底にまで潜んでいるお金に対する意識の状態を変えてみるのはどうか」という視点からの、アプローチも効果的だと感じます。

それか、現在でも、かなり阻まれています、フリー・エネルギーの導入の事を考えていたら、気分が落ち着く方も増えるかと思います。

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■:終わりに(老荘思想に学ぶ)

  「増加の行いの中には、既に、減少の傾向の芽を、必ず孕(はら)んでいる。同様に、減少の行いの中には、既に、増加の傾向の芽を、必ず孕(はら)んでいる」

と、表現しましたが、古来から言われている事の一つなのかもしれません。

上の表現から、私は、古人の言葉を思い出します。

誰が言ったかまではわからないのですが、中国の老荘思想の中の一つにあったと記憶しています。

その古人の言葉とは、

  「陰極まりて陽を成し、陽極まりて陰を成す(いんきわまりてようをなし、ようきわまりていんをなす)」

という言葉です。

P8220173

 

イメージ的な図柄でも表現されています。

その図とは、読者の方もどこかで見たことがあるかもしれません。

黒と白のヒスイのような二つの図形が、お互いの形を持って、ピッタリと合わさり、一つの円を成しているのです。

そして、その黒と白のヒスイの中心に当たるような部分には、それぞれ、互いの色であるところの、白と黒の点があるのです。

陰極まりて陽を成し、陽極まりて陰を成す」という古人の言葉と、私の書いた表現の絡みを、うまく書けないのですが、雰囲気だけを読者の方が感じて頂ければ幸いです。

何かの上手い表現が見つかったら、再び書いてみたいと思います。

P8220174



(以下、過去記事、関連記事、及び、参考文献)
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(以下、『Gigazine』、2016/5/26記事より文章と写真を引用)
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●マクドナルド元CEOが最低賃金がこのまま上昇し続けるならすべてロボットに置き換えられると予測
http://gigazine.net/news/20160526-mcdonalds-worker-robot/

特別な知識やスキルを必要としない職業は、人工知能やロボットで代替される可能性が高いと推測されていますが、マクドナルドの元CEOが人間を雇うよりも、ロボットを導入する方が安く済むと発言しています。

Fmr. McDonald's USA CEO: $35K Robots Cheaper Than Hiring at $15 Per Hour | Fox Business
http://www.foxbusiness.com/features/2016/05/24/fmr-mcdonalds-usa-ceo-35k-robots-cheaper-than-hiring-at-15-per-hour.html

Ceo

マクドナルドUSAの元CEOであるエド・レンシ氏は、(、、、以下、省略)
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(引用終わり)


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『三千六十四: 転換の時代を考える_No.3』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2017/01/_no3-282b.html

■:資本主義の大骨子「利子」について
■:「利子」やお金の問題点についての資料紹介(ビデオ)
■:資本主義の行方
■:現在の社会システムの状態
■:「転換の時代」には、どのような方向に道を見いだした方が良いか
■:「転換」とは、バランスを取るためにある
■:終わりに

『二千五百八十三:銀行制度についての種々の話題_No.8』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2015/07/_no8-c8e8.html
●お金の問題点_0002.wmv
https://www.youtube.com/watch?v=3ibrKBohE8o



『二千五百八十六:銀行制度についての種々の話題_No.10』
●「お金の問題点」の続き
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2015/07/_no10-9079.html
https://www.youtube.com/watch?v=T8DcvHSi-C8



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『三千六十三: 転換の時代を考える_No.2』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2017/01/_no2-dbc8.html

■:価格の上下をさせるだけで、切り抜けられるか
■:お客さんの存在
■:氷河期時代を連想すると

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『三千六十二:転換の時代を考える_No.1』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2017/01/_no1-6ecc.html

■:はじめに
■:北米大陸で行われた草食動物と肉食動物の個体数調査結果
■:資本主義社会の狙い
■:日本での少子化


                                        坂本  誠

2017年1月23日 (月)

三千六十: 私の見かけたニュース_No.95

私の見かけたニュースをお届けしたいと思います。
新聞記事中に、既に太字が使用されていましたので、その部分は、太字のままにしています。
私の気になった部分には、アンダーラインを引かせて頂きました。

(以下、『Gigazine』、2017/1/23記事より文章と写真を引用)
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●ビル・ゲイツが「新しい形のテロリズムがやってくる」と警告
http://gigazine.net/news/20170123-bill-gates-warns-bio-terrorism/

現地時間2017年1月19日(木)に行われた世界経済フォーラムで、ビル・ゲイツ氏が新たな形のテロが近いうちにやってくることを警告しました。
「新たなテロ」は国境を無意味にするものですが、国や人はまだテロと戦う準備ができていないとのこと。

Bill Gates warns about bio-terrorism threat - Business Insider
http://www.businessinsider.com/bill-gates-warns-about-bio-terrorism-threat-2017-1

Photo

新しいタイプのテロリズムとは、バイオテロ、あるいは意図を持って伝染病を広げるテロのこと。
「バイオテロが起こる確率を見積もるのは難しいが、潜在的な可能性は非常に高い」とゲイツ氏は語っており、今後起こる可能性のあるバイオテロに対抗する方法について、いますぐ議論を始める必要があると警告しました。

1月17日から行われていた世界経済フォーラムの前半で、ゲイツ氏は自然発生する病気と意図的に生み出された病気の両方の危険性について語っていました。
自然発生するにしろ意図的に発生させられうにしろ、1万人が死亡する感染症がまん延する可能性があるとゲイツ氏は見ており、2月にミュンヘンで行われるカンファレスにて、これらの問題について議論する予定があるとのこと。

2016年10月に公開されたTelegraphの取材記事の中でも、ゲイツ氏は世界が「良い方向に移り変わっていると強く信じている」としながらも、懸念しなければいけない3つの「暗い雲」として、「生物兵器や核兵器を持つテロリストによってパンデミックがもたらされる危険」「人工知能などの技術が適切に使われない危険」「民主主義自体が崩壊する危険」について語っていました。

Yコンビネータ社長のサム・オルトマン氏もゲイツ氏と考えを同じくしており、The New Yorkerの取材の中では「オランダの研究者らが猛毒性鳥インフルエンザウイルス(H5N1)をほ乳類間で空気感染することを可能にしてから5年たち、次の20年間で人工的に作られた致死性のウイルスが放たれる可能性はゼロではない」と語られています。

by UGA College of Ag & Environmental Sciences - OCCS

バイオテロは国境を容易に超えていくため、各国は協力してテロ対策に取り組む必要がある、とゲイツ氏。
ビル&メリンダ・ゲイツ財団はパンデミックの可能性があるにも関わらず市場性に乏しい感染症に対するワクチン開発を促進するCoalition for Epidemic Preparedness Innovation(CEPI)という組織をウェルカム・トラストや世界経済フォーラムと協力し設立しており、CEPIは約7億ドル(約800億円)の資金をもって対策にあたっていますが、7億ドルではパンデミックの脅威を取り除くのに不十分だとゲイツ氏は考えているとのことです。
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(引用終わり)


(以下、上記記事を読みながら思い出していた過去記事、関連記事、及び、参考文献)
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『五百十六:ワクチンについて_No.4』
●ビル・ゲイツ 「ワクチンで人口削減が可能」
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2013/11/_no4-ec01.html
http://www.youtube.com/watch?v=b4vE8AdSPGc



(上記ビデオより抜粋引用)
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でも、ちょっと見て下さい。
最初に人口があります。
世界の人口は現在68億人で、もうすぐ90億人になります。
もし私達が新たなワクチンや健康管理や生殖に関する健康管理について真に取り組めば、人口を10から15%削減することが出来ます。

この10年間、私達は新たなワクチンの生産、またそれが必要な子供達への供給に関して、大きな進歩を遂げる事が出来ると信じています。
それに成功すれば、毎年死亡する子供の数を900万人からその半分に減らす事が出来ます。
これには、病人の減少、人口増加の減少などの利益があります。
この発明が実現した日には、社会が社会自体の世話をすることができるチャンスを手にします。
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(引用終わり)


『七百三:ワクチンについて_No.6』
●ビル&メリンダ・ゲイツ財団のワクチン接種後に麻痺したアフリカの子供達
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2013/12/_no6-0f13.html
http://www.youtube.com/watch?v=UnGimRJdGRM



(上記ビデオより抜粋引用)
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「そして最近アフリカの小さな村で、小さな村があって、そこで50人の子供達が麻痺したのです。」
「この時間内の時点で、実質的にどのメディアもこの重要な話を拾い上げてはいません。」
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(引用終わり)


『八百六十九:ワクチンについて_No.8』
●白衣・薬を信じるかは己が決めよ!ポリオワクチン暴露!人口削減計画
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2014/02/_no8-22df.html
http://www.youtube.com/watch?v=rkpwW2o-e3A



(上記ビデオより抜粋引用)
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彼等が言うには、2003年ナイジェリア北部では政治的指導者・イスラム指導者が接種キャンペーンの"子どものワクチン接種の拒否"を親にうったえかけ停止させました。
「子供達にワクチン接種をさせないように」と両親達に呼びかけたのです。
これら指導者達が主張したのは、ワクチンが不妊薬、HIV、癌性のウィルスで汚染されていると警告しました。
これは「ユニセフのナイジェリアのポリオワクチンは不妊薬で汚染されていた!」と科学者が突き止めた記事です。
でっち上げではないという事になってしまいました。

とてもショッキングです。
なぜならGAVIは、ここに書いてあるように、ビルとメリンダ・ゲイツ・子供達のワクチンプログラム、ロックフェラー財団、ユニセフ、WHO、世界銀行などのパートナーを誇る高い筈の組織だからです。
それらの全ての評判の高い組織が関与しているのに、どうしたらそのような事が起こりえるのでしょうか?

では、評判のいい組織のリストに戻りましょう。
まず最初に、ビルとメリンダ・ゲイツ、ゲイツ・子供達のワクチンプログラム。
ビル・ゲイツは一度会見で、もしワクチンと生殖に関係する健康分野でもし本当に良い仕事をしたのなら、人口増加を15%減らす事が出来ると発言した人物だです。

そして、ロックフェラー財団がありますね。
慈善団体ですね。
コロンビアで約4万人の女性達を不妊化するプログラムをかつて実行していました。
著者であるポニー・マスによると、ロックフェラー家にあるロック・フェラー財団はそのメンバーには米国優生学ソサエティからジョンDロックフェラーがいます。
彼は1952年に人口協議会へ資金提供し、言っていたのが、我々は貧しい国の政府や指導者達に、彼等には深刻な人口問題があると説得しなければなりません。
我々の人口制御を介してどのように解決するかを彼等に示さなければならない。
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(引用終わり)


『百四十四:『人口削減計画』等について_No.5』
●NASAの未来計画文書③
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2013/07/_no5-0b84.html
http://www.youtube.com/watch?v=2Ww0U-TMGnE



(上記記事より抜粋して引用)
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Nasa


●デボラ:
これが彼等が私達に伝えている事で、98ページには、『典型的なシナリオ、10人と1000万ドルによって、アメリカを破壊しろ。』2成分生物学的製剤(輸入されたビタミン剤、服等、食料供給・・・を通して)毒が入れられます。ワクチンとウィルスによるテロ攻撃、私達の線路が攻撃される事について話しています。

■コブラ:
「これら全ての情報をありがとうございました。」
「デボラ・ティベラ、私達はあなたのウェブサイトをチェックし、これが拡散され、外に情報が出るように努力します。」
「どうもありがとうございました。」

●デボラ:
「ありがとうございました。」
-----------------
(引用終わり)


                                        坂本  誠

2017年1月19日 (木)

三千五十七: 民主主義と代議士の関係を考えて

以前にも、「政治に、代議士(政治家)というものが必要か?」という手合いの記事を書きましたが、さらに説得があるように、文献を紹介しつつ、あるいは、想定される状態を紹介しつつ、この手の記事を書き進めていきたいと思います。

まずは、以下の引用から始めます。

(『法律のことがよくわかる事典』(川口 均 監修、西東社)より)
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●EDITOR NOTE

直接民主主義と代表民主主義

わが国では、日本国憲法によって国の主権は国民にあるとされています(これを主権在民という)。

そのため本来であれば国のルールにあたる法律も、国民すべての議論にもとづいて決めるべきところ(これを直接民主制という)ですが、それはとうてい無理な話。
そこで選挙によって選ばれた代議士が、国民に代わってこれを行っています(これを代表民主制という)。

また、この代表民主制を正常に機能させていくため、すべての国民には一定の年齢に達した場合、国会議員、知事や市長、地方議会の議員などに立候補する権利やそれらを選ぶ権利、すなわち選挙権が与えられているのです。
-----------------------------------
(引用終わり)

(※:訂正事項:以前のブログ記事の中では、上記の「代表民主制」のことを「間接民主制」と、私は書いていました。「直接民主制」という単語が頭に残っていたので、その逆の「代表民主制」のことを「間接民主制」と書いていました。「間接民主制」と書いても、「代表民主制」と書いても、内容は同じことを意味するのですが、今後は、「代表民主制」の単語を使っていきたいと思います。)

上の引用文献をよく考えてみましょう。

そのため本来であれば国のルールにあたる法律も、国民すべての議論にもとづいて決めるべきところ(これを直接民主制という)ですが、それはとうてい無理な話

とあります。

民主主義政治では、「国民の全てが行う」というのが根本柱であることがわかります。
なぜならば、「そのため本来であれば国のルールにあたる法律も、国民すべての議論にもとづいて決めるべきところ」とありますので。

しかし、その後に、以下の文章があります。
それはとうてい無理な話」とあります。

これが、現代の科学技術の発達した私達の社会で、無理かどうかを、私達は検討してみましょう。
私達の社会でも、お気づきの通り、通信が発達しました。

20110411123724

 

最近では、「あるアイドル・グループの中で、誰が一番か?」ということを知るために、ネット上で、『何々総選挙』という、催し物も見られますね。

また、テレビでも、「双方交通信」といって、テレビのリモコンを見ると、様々なスイッチがあり、それらのスイッチを使うと、例えば、「ある音楽番組の中で、紅組の誰々が歌った音楽が一番良かった」とか「ある音楽番組の中の催し物で、白組の催し物が一番良かった」等のアンケートを回収するのも一瞬で出来ることがわかります。
また、そのアンケート結果の集計も、コンピューターを使って、一瞬で、表示されています。

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また、最近では、テレビ電話も普及しています。
ですから、様々なテレビ番組を見ても、多くの人が見た記憶があると思いますが、遠く離れた人とでも、テレビ電話を使用して、議論や会議が行えます。

ですから、私達の政治などで見受けられています、国会議員を選出して、それらの国会議員を中央都市にまで、費用付きで派遣して、さらに、巨大な議事堂を維持しつつも、その中で、議論を行い、法律を決めてもらう、というのは、莫大な費用がかかっていることに、誰もが気が付くことでしょう。

まず、巨大な議事堂を維持する必要も無いし、中央都市に、数多くの選出された代議士を送って、議論してもらう、等というのは、莫大な費用がかかります。

選出された代議士を中央都市に費用付きで派遣せずとも、テレビ電話で議論する方が、ずっと安上がりでしょう。
ですから、現在、中央都市では、『議員宿舎』というものもありますが、これすらも不要だとわかるでしょう。

20110408080155

 

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ここまで来れば、「私達の地方で、代議士を選出する」ということですら、不要なものとわかるでしょう。

代議士を選出せずとも、議論をしたい人が、そのテレビ電話を使って、日本の中の、その手の議論をしたい人と議論をすれば良いわけです。

そして、その議論の内容をネット中継すれば、これぞ、「国民に開かれた政治」になることが誰でもわかるでしょう。

そして、最終的な、ルール決め、わかりやすく言えば、法律制定のための投票ですが、上の例で挙げたように、アイドル・グループ等にも使用されている『何々総選挙』みたいな感じで、インターネットを使って、画面上に出ている「はい」か「いいえ」のボタンを押すだけです。
(もちろん、人々には、そのボタンを押すか押さないかの選択も出来るでしょう。なぜならば、政治に興味の無い人には、それを強いることも出来ませんし、また、何かの病気で病院のベッドの中で苦しんでいる人も中にはいますので。)

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この段落の主旨である「それはとうてい無理な話」の、「それは本当に無理かどうか」を、私達は議論していたわけですが、ここまで直接民主主義の実行のあらましを私達がイメージできると、「現代科学の発達によって、直接民主主義の実行は可能となった」と、考えることが出来るでしょう。

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私達の間で、「今や、直接民主主義の実行は可能となった」ということがわかりますと、それは、つまり、現代の中央集権制である、代表民主制が不要になってきたとわかるでしょう。

「民主主義の本来の道筋である、直接民主主義の実行が可能となってきた」ということは、当然、多くの議員が不要になってくるとわかるでしょう。

当然、選挙すら、必要無くなるのです。

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しかし、ここから先は、一種の抵抗があることも、読者の方は予想できるでしょう。
例えば、この、めでたくもある筈の「民主主義の本来の道筋である、直接民主主義の実行」されれば、現在の国会議員が、その職を失うことになり、当然、彼等の給与は無くなるからです。

ですから、ある代議士になると、「自分の職を失うわけにはいかないので、何としてでも、(民主主義の本来の道筋である)直接民主主義の実行を阻止せねば」と、考える人も出て来るでしょう。

しかし、その阻止活動自体が、民主主義の本来の道筋である直接民主主義の実行を妨げようとしているので、「その人は、民主主義を実行しようとしていない人だ」と、有権者から言われることでしょう。

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私がここに出した、「直接民主主義の実行」の件は、何も、私が新しいことを言ったわけではないことがわかると思います。
ただ、民主主義の始まった頃の、真の民主主義の実行方法についてを、ここに書きだしただけだ、ということがおわかりになるでしょう。

「政治家不要論」と書いてしまえば、多くの人は、「そんな非常識なことを言うんじゃない」という、声を荒げた批判が聞こえそうな気がするのですが、本来の民主主義の実行方法とは、「政治家不要論」の方が当然であったのだ、と深く実感できたと思います。

要は、この「直接民主主義の実行」の件について、人々が忘れさせられていただけです。
そして、「科学技術の発展や、その他の社会の流れの変更によって、本来の直接民主主義の実行が、可能かどうか」を常に検討されているのが、本筋な筈ですが、これも、日常の中で、忘れさせられるように、させられていたこともわかってくると思います。

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私が思うに、多くの人は、憲法の変更を嫌うと思います。
その大きな原因を考えるに、「軍事憲法になったら、困る」とか「独裁憲法になったら、困る」という原因が、考えられるでしょうか。

確かに、私も、上記のような憲法になってもらったら困るので、嫌です。

しかし、現行の憲法というのは、これは、世界各国の憲法でも、ほぼ、民主主義の「代表民主制」を実現している憲法です。

日本国憲法でも、「代議士を選出して、国会議員にして、政治を行う」という主旨の文章があります。
しかし、これはおわかりのように、「代議士を選出する」というのは、「代表民主制」を実現しているわけです。

ですから、あくまで、「仮の政治システム」とされてきた「代表民主制」を実現させずとも、民主主義の本来の路線である、「直接民主主義の実行可能が見えてきた」と、あるならば、当然、「直接民主主義」の実行が可能な憲法に変更される必要が出て来ると思います。

憲法や法律に限らず、その他の何かのルールにしても、時や環境が変われば、それに合わせて、それらのルールを変更する必要性が出て来るのは、実は、当然なことなのです。

当然、日本国憲法でさえも、どこかの時点で、変更をかけなければいけない時が、私が上に挙げた以外にも、出て来ると思います。
しかし、もし、憲法変更となれば、日本国憲法の草案作成時のように、アメリカの意思が関わってきたとか、あるいは、その時の一握りの憲法学者達が、その草案を作成した、ということが起きないように、してもらいたいものだ、と思います。

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                                        坂本  誠

2017年1月17日 (火)

三千五十五: 私達の間の嫉妬について

私達の間の嫉妬について考える機会がありました。

三千五十四:楽園とは(独白)』で、私達の楽園について書いたのですが、もし、私達が楽園を作りたいと思えば、その楽園作りに欠かせないと思えるのが、私達の間の妬み(ねたみ)を失くすことです。

私達の社会では、妬みが蔓延(まんえん)していると感じる私です。

もともと、妬みというのは、他人の生活を羨んだり、他人の持っている何かのものを妬むことです。

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色々と言われているように、他人の生活を羨んだり、あるいは、他人の持っている何かのものを妬んでも、その妬む人も幸福にならないし、妬まれた人も幸福になりません。

妬んで幸福になれない以上、それは楽園を作っているとは言い難いのですので、私達は妬みを無くす方向に歩んだ方が良いとわかります。

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ですから、私達の社会で、どのような状況で、妬みが発生しているかを子細に見ることの方が先だとわかります。

一つには、学校での、子供達に対するテストです。
あるいは、偏差値教育です。

学校で実施されるテストによって、子供達の学力が1番から、最下位までが決められています。
このように、誰でもが学校の中で順序付けられていると、学力が1番より下の子供達が、それぞれに妬むことでしょう。
偏差値でもそうですね。

このように、子供達は幼い頃から、競争意識を持たされていることがわかります。
つまり、「妬み」とか「悔しさ」という、ネガティブな感情が、競争社会に利用されていることがわかります。

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そして、私達は、幼い頃から、競争ばかりをさせられるので、それに慣らされてしまい、現在の競争社会に対しての疑問を持たせられないようにされているでしょう。

一方では、「妬みは良くない」と言われているにも関わらず、その逆の順位付けだけは、確実に行われているのに気が付きます。

これも、「どこか、おかしいぞ」と、人は気付き始めることでしょう。

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そのまま、幼い頃から、競争に慣らされた私達は、そのまま、大人の社会に出ます。

大人の社会に出ると、今度は、主に人の所持金とか、会社での給与の額が、テストの点数と同じであることに私達は気づくでしょう。

自分の給与の額と、隣人の給与の額を比較して、隣人の給与の額が高いと、人は、どこか自然と、その隣人を妬むことが多いでしょう。
「隣の芝生は良く見える」という諺がありますが、この現代版は、人の所持金とか、会社での給与の額となります。

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会社間でも、競争ばかりさせられています。

会社間ならば、その会社の売上高とか、あるいは、純利益と言われるものです。
これらも、お金で測られていることがわかります。

誰もがわかることですが、この会社間の競争の、皺寄せ(しわよせ)が、多くの人々の長時間労働に化けて来ます。

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資本主義社会では、お金を使って、会社間の競争をさせていますから、その資本主義の根本の理屈に終止符を打たない限り、私達の社会、つまり、資本主義社会での、日増しに増加する長時間労働も無くならないと思います。

つまり、資本主義社会というのは、「競争をさせよう」というのが、メインの目的ですから、その細部を構成している筈の一人一人の人間にも、幼い頃からの競争が義務付けられるような感じとなるのです。

この、資本主義社会の中の、ほとんど全ての人間に対して、競争を強いられますから、一人一人の人間の心の内部でも、競争意識が高められます。

その結果、私達は、私達の生活の終止に至るまで、闘争の意識をまとっているかのようになり、つまり、妬みや嫉妬の心も抱かされますので、結局、私達は私達の楽園と思えし状態から遠ざかるわけです。

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会社間の競争だと、主に売上高や純利益等の金銭的な数値が競争道具に使用されていますが、他にも、まだ、あるので、ちょっと、具体的に挙げてみれば、例えば、テレビ会社だと、自社の制作した番組の視聴率とか、あるいは、何かの製造会社だったら、その製造品の生産の値です。

他にも、まだ、何らかの競争道具があるでしょう。

私達の社会の間での、主に使用されている競争道具は、上に挙げたものを書けば、「テストの点数」とか「所持金の多寡」とか、「会社の売上高や純利益」とかです。

これを、グローバル的に見ると、当然、一国の売上高に相当するGDP(国内総生産)というものになります。

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上に挙げたように、とにかく、数値の多用がなされています。

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私達の社会に存在する様々なものを、大量に数値化することにより、それらは、常に比較されているのです。

比較ばかりされると、結局、私達は心の中に妬みを作ってしまい、それによって、私達は不幸を感じてしまうのです。

これが、大量の人々に適用されているのに気が付くでしょう。

ですから、私達は、自分達の欲する楽園からは、遠ざけられようとしているのです。

つまり、このように大量の競争を礼賛(らいさん)するシステムが、資本主義社会であり、それは意図的に組まれたことがわかります。

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ですから、私達は、自分達の楽園を作るに当たっては、これらの大量に数値化されたものを、逆に意図的に、冷淡に眺めた方が良いでしょう。

どこかの学生の方が、私のブログを読んでいるかどうかは、私はわかりませんが、学生の方だったら、例えば、よく学校の教諭が、あなたたちに、「あなたがた(学生の方)のことを思って、言うのだが、もっともっと勉強しなさい」と、いつものお馴染みの言葉を言ってくる教諭も多いことでしょう。

このような時には、

  「彼等も、仕事で言っているのだ」

と、思い出して、軽く受け流した方が良いと思います。

もっとも、子供の頃の「学習意欲」そのものと、子供以外の大人達が、競争社会を助長させるために、子供達に学を強制するのは大きな違いがあります。

子供の頃の「学習意欲」というのは、純粋に、子供の好奇心によって、自発的に、どんどんと世界の知識を自らに取り入れていくことです。

この状態だと、子供達は自分の学びに飽くことはありません。
また、その学び自体に非常に喜びを感じます。

ところが、そのような自発的な学びの意欲ではなく、周囲の親のような人々が、その子供に対して、学を強制するのは違いがあります。
その子供達は、学を強制されたので、次第に学校が嫌になります。

結果、その子供自体の成績が落ちることが多いです。

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また、何よりも、そのような学を強制する程の教育熱心な親自体が、まず、子供達の競争に巻き込まれていることに気が付くでしょう。

その親自体が、子供達の持ち帰るテストの点数に心を奪われて、苦しんでいるのです。

よくある話ですが、例えば、隣の家の子供の方が良いテストの点数を取って来て、自分の子供のテストの点数の方が低いと、そこに、子供の競争の苦しみを先取りして、その親自身が、競争意識に苦しめられていることが、多くの人々にわかります。

結果、その親自体も、妬みや恨みの感情に支配される結果、その親御さん自体が、幸福感から遠ざけられます。

ですから、ここで、私達が知っておいた方が良い事は、「資本主義社会のこの世では、大量の競争が意図的に行われており、私達は、非常に巧妙に、競争を礼賛するように誘導されている」ということでしょう。

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ですから、ここまで読むと、今まで、競争を礼賛して来た方々も、「ハタッ」と、一旦、足を止めて、自分達の社会を、生まれて来た時の幼子のような眼を持って、客観視出来るかと思います。

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                                        坂本  誠

2016年12月30日 (金)

三千四十六: 雰囲気の良い単語を列挙してみると

こんばんわ。

日本語の文章を書いていると、時々、その日本語の単語の中でも、特に、高潔な雰囲気を持った単語に触れる機会があります。
そして、それらの単語の持つ、清らかな響きを耳にし、かつ、それらの単語の持つ意味を噛みしめるように何度も味わいつつ、その雰囲気を深く想像すること自体に、趣深い一時を味わえる機会があります。

私なりに、幾つかのそれらの単語を下に列挙させて頂きますと、

    創造、叡智(えいち)、歓喜(かんき)、感謝、

    内奥(ないおう)、合一(ごういつ)、調和、向上、

    謙虚(けんきょ)、探求、久遠(くおん)、静寂(せいじゃく)、

    進化、美、清楚(せいそ)、祈り

です。

しかし、他にも、まだまだ、色々な味わい深い雰囲気を持った日本語の単語があるかもしれません。
人によっても違いがありますので。

ですが、このように、味わい深い単語を、一挙に列挙して、それらを見続けているだけでも、それらの雰囲気に酔える時があるものです。

このように、日本語の文章にはなっていないものの、上の単語を列挙しただけで、それらをまとめた雰囲気を同時に味わうこともできるので、列挙するだけでも意味があるかもしれません。

また、これらの単語の雰囲気を合一化させた雰囲気を、目を閉じて、瞑想してみるのも、興味があり、意義のある一時を作れるかも知れませんね。

例えば、目を閉じた暗黒の視界の中に、曼荼羅(マンダラ)の絵画が浮かび上がって、その絵画から、上記の単語の発するエネルギーの河が、絵画の中心から流れて出ている、とか。

私は日本人なので、主に日本語しか使わないので、外国語については、あまり詳しくないのですが、外国語にも、上記で紹介したような単語の一覧を作成できるかもしれませんね。

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                                        坂本  誠

2016年12月27日 (火)

三千四十五: 私達の社会を見ていると(独白)_No.2

三千四十四:私達の社会を見ていると(独白)』で、競争について考えていたのだけど、完全に「競争」というものが悪いばかりでないのに私達は気がつく。

例えば、スポーツでも、よく競技として競争が行われている。
他にも幾つかの知的ゲームでも、勝敗を競っているから、それらも競争と言えることに私達は気がつく。

何らかのスポーツ大会で、出場選手達が自分達の鍛えてきた技術を競い、多くの人々に披露している。
私達は側で見ていて、それらのスポーツ競技には、一抹の爽やかさや美しさを感じることもある。

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スポーツ競技や知的ゲームの競技の、競争に、悪質性を感じる人は少ないと思う。
そして、それらの大会では、人の能力の順位を決めてはいるけれど、原則として、その場限りである。
だから、ある意味、人はそれらの競争には爽やかさを感じるのだろう。

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ところが、私達の社会生活上の競争は、かなり違っていることに気がつく。

例えば、会社間で行われている競争などは、人の死活問題に直結している。
同じ業界のライバル会社が、その業界で優位になると、時として、その業界の幾つかの会社が倒産する場合もある。

それは「自分の勤めている会社が倒産すると、職無しになり、給与という名のお金が手に入らないので、飢え死にしてしまう」という恐怖感を込められた、競争である。

あるいは、私達が幼い頃から学校などで学習(刷り込み)を続けられている、教育上の競争も、死活問題の絡んだ競争といえるかもしれない。
なぜならば、学校教育の延長上に、現代の資本主義競争社会が配置されているのだから。

だから、スポーツ競技や知的ゲームの競争と、資本主義社会システムの競争には、著しい違いがあることが、私達にわかる。

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普通、私達、人間の間では、「幸福な世界を作ろう」とか「幸福な世界を追求しよう」というのがモットーになっている。

しかし、一方では、同時に、多くの会社の間で、あるいは、様々な産業生活の中では、「もっと我々は産業上の競争に励もう」という目標をも推奨している。

ところが、その産業生活の中の「競争」とは、上に書いたように、人の死活問題をはらんだ競争であることが私達に理解済みである。
どんな人でも直感的に理解できるけど、「死活問題」というのは、私達の幸福とは直結していない。
なぜならば、その二つは、お互いに逆方向に向いているベクトルだから。

(競争が闘争になり、闘争が戦争になる。)

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だから、私達の間で、

  「幸福な世界を作ろう」

と、言いつつ、一方では、

  「もっと我々は産業上の競争に励もう」

と、言っているのは、矛盾を行っていることに、私達は気がつく。

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早い話が、私達は矛盾を行っているのだから、永遠に、その二つのゴールのどちら側にも到着することが出来ない。
なぜならば、相反する目標を掲げているのだから。
一つの船には、2つ以上の進行方向を持てないのだから。

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上の話の流れから、わかるのだけど、資本主義社会での「成功」というものは、本来、存在していないことがわかる。

多くの人も経験済みだろうけれど、資本主義社会で、何らかの目標が達成されても、その社会のトップの人間は、その達成された目的よりも、常に1ランク上の目標を掲げるだけだ。

それを、ずっと永遠に続けようとしているだけなのだ。
こうすることにより、そのトップの人間達は、多くの人々を永遠に、奴隷労働させようとしていることも実感できる。

だから、多くの人々も、次から次へと、欲望が高められ続ける結果、得られるのは、物資を手に入れた際の満足感ではなく、次から次へと「あれも欲しい、これも欲しい、もっともっと、たくさん欲しい」という、永遠に満たされない欲望感と、その焦燥感に苦しめられ続ける。

この状況になると、その人は、自分の苦しみの原因を、しっかりと把握できなくなることが多い。
なぜならば、どんどんと物資を手に入れているにも関わらず、「さらにもっともっと欲しい」という欲望自体が高められているので、その欲望自身に苦しめられているから。

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だから、その人は、物資の不足感に悩んでいるのではなく、「さらにもっともっと欲しい」という欲望感に悩んでいるので、「自分自身の心の状態に原因がある」とは気付きにくい。
その人が苦痛を感じている際の心は、「物資が不足しているから、私は苦しいのだ」という、ものだ。
だから、その人が、その考えをずっと抱き続ける限り、その誤ったと推測される心の状態から抜け出るのが難しい。

なので、周囲の人々が、

  「あなたの苦しみの原因は、あなたの周囲の物資が不足しているからではなく、あなた自身の物資獲得のための欲望感が高められた結果、その欲望感自体に、あなたは苦しめられているのですよ」

と、老婆心を持って、教えてあげた方が良いのかもしれない。

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とりわけ、私達の社会のトップとされている人間達は、上に書いたような、人の心の「欲望感」を高めたり、あおったり技術に長けている。
(要するに、早い話が、彼等は人を苦しめる技術に長けている。そして、また、それらの人を苦しめる技術を持っていても、周囲の人々に、「これは、あなた達を苦しめる技術ではなく、あなた達を幸せにする技術です」と、周囲の人々に誤認させる(嘘をつく)技術にも長けていた。)

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彼等は人の心の欲をあおったり、人をたぶらかす技術に長けているのだが、このように、私達は彼等に欲をあおられたり、たぶらかされたりした結果、大量の物資を生み出す資本主義社会が生み出された。
そして、この資本主義社会を維持するためには、多くの人々の欲をあおり続けたり、あるいは、ひたすら、忙しいまでの競争をさせておけば、人々は、自分達の住んでいる社会システムを、じっくりと洞察することができないから、彼等としては、ひたすら、

  「競争というものは(あまり理由は無いけれど)、非常に素晴らしいものなのですよ」

と、人々に(彼等なりの)その常識を刷り込む必要性があったのだ。

だから、彼等は、お金に対しても、私達に非情なまでの焦燥感をあおり続けている。

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結局、「スポーツ競技や知的ゲームの競争を、あたかも(スポーツマン・シップの精神に則って)、そのスポーツマン・シップの競争の感覚を、私達の社会システム(資本主義社会)にも、導入しよう」、という、表面上は綺麗に飾り立てたような、うわべの言葉を持って、私達の社会に、その競争精神を導入し続けた。

しかし、現実には、その社会システムの競争には、「人の死活問題」を、盛り込んでいたのだから、そろそろ、彼等の作り上げてきた、社会システムを、見直す必要があるのではないだろうか。


                                        坂本  誠

2016年12月24日 (土)

三千四十四: 私達の社会を見ていると(独白)

何気なく私達の社会を見ていると、競争社会であることに気がつく。

世の中を生きていく一つの心構えとして、「周囲の人と自分を比較をしないほうが良い。なぜならば、比較することにより、差を感じてしまい、嫉妬するから」と、よく聞く。

しかし、これだと、私達の社会は、「嫉妬ばかりを作る世界だ」と言えるだろう。
そして、「嫉妬をする」というのは、他ならぬ、不幸感覚だから、私達の社会は、不幸を作る世界だと言えてしまう。

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なぜならば、私達の社会は競争を推奨されているのだから。

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私達は幼い時から学校に通わされて、テストの点数ばかりを競わされる。
当然、大人になると、会社の中に入って、その会社の中でも競争を強いられる。
平社員とか課長とか部長などのようにランク付けがある。
あるいは、隣の家の人の給与の額が、1000円でも高ければ、その隣人の方が勝っているのだから、当然、比較が起きており、その分だけ、嫉妬している人も、世の中には大勢いることだろう。
また、世界に目をやれば、ほとんど全ての国のGDP(国民総生産)という数値が打ち出され、「どこの国が勝っているか」という競争ばかりをさせられている。
また、世界の国々の子供達の学力も比較され、その結果も、あたかも大本営発表のように、大々的に報道されている。

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こんな感じで、私達の周囲には、莫大な数の競争を強いられていることに誰もが気が付き始める。

つまり、「私達の社会は幸福を目指している」と言われているが、同時に、莫大な数の競争を暗黙の内に推奨されているので、つまり、「私達の社会は不幸を目指している」とも言えるだろう。

これは、明らかな矛盾だ。

だから、私達の社会に存在する莫大な量の競争を見て、「これは自然のシステムではない」と気が付く。

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私のブログで時々紹介しているカバールやイルミナティに言わせてみれば、「単純に、この競争社会の幸福とは、あなたが所属しているグループの中で、トップになれば、あなたは勝者の喜びを得るでしょう。その『勝者の喜び』こそが、あなたの幸福ですよ」とでも言いたいのかもしれない。

しかし、たとえ、あなたがあなたの所属しているグループの内部でトップに立っても、カバールやイルミナティは、また、別のグループを用意するだけだということがわかる。

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例えば、小学校でトップだった子供がいても、その上の中学に行けば、より多くの子供達と競わされるので、その子供はトップで無くなる。
仮に、その子供が中学で努力して、トップになっても、その上の高校に行けば、さらにより多くの子供達と競わされるので、その子供はトップで無くなる。
仮に、その子供が高校で努力して、トップになっても、その上の大学に行けば、さらにより多くの子供達と競わされるので、その子供はトップで無くなる。
仮に、その子供(もはや子供ではなくて青年だけど、わかりやすいように)が大学で努力して、トップになっても、その上の会社に行けば、さらにより多くの子供達と競わされるので、その子供はトップで無くなる。
仮に、その子供(もはや子供ではなくて青年だけど、わかりやすいように)がその会社で努力して、トップになっても、さらに世界中を見せて、数多くの会社を見せれば、さらにより多くの子供達と競わされるので、その子供はトップで無くなる。
仮に、、(、、、以下、同様、、、)

上記のような感じで、カバールやイルミナティは、どんどん、私達に新しい環境を与えることによって、新たな競争の中に埋没させるように、私達の社会をセットしていることに、やがて、誰もが気が付き始めるだろう。

つまり、カバールやイルミナティは、私達を、休むことの出来ない、永遠の競争社会の内部に閉じ込めようとしている、と、私達は気が付き始めるだろう。

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だから、私達の社会を、うまく表現している一つの寓話(ぐうわ)としては、『賽の河原(さいのかわら)』というものがある。

これを、かい、つまんで書いてみる。

亡者の子供達が、あの世の川原で、ひたすら、川原の石を積み上げて、石の塔を作っている。
しかし、ある一定の高さまで、石が積み上げられたら、鬼達がやって来て、その石の塔を壊すのだ。
だから、泣く泣く、亡者の子供達は再び、石の塔を最初から積み上げ始めるのだ。
そして、その苦しみが永遠に続く。

私達の社会は、さながら、『賽の河原』と言えるだろう。
私達は、あの世の川原にいる子供達であり、石の塔を壊しにやって来る鬼達は、カバールやイルミナティに相当していることがわかる。

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だから、私達の周囲に存在している莫大な量の競争を見て、「これは自然な社会システムである」と、決め付けてはいけないだろう。

つまり、カバールやイルミナティからすれば、多くの人々が競争に酔いしれている姿を欲していることがわかる。

カバールやイルミナティは地球上の全人類を奴隷化したいのだから、彼等は支配者であることを欲していることが周知されている。

私達は競走馬であり、カバールやイルミナティはその競走馬(私達)の上にまたがる騎手と見なせるだろうか。
騎手(カバールやイルミナティ)の仕事としては、私達(競走馬)の鼻の前にぶら下がっているニンジン(お金や位階など)を、遠ざけたり、近づけたりしないといけないだろう。
競走馬の鼻の前のニンジンを、遠ざけたり、近づけたりすることによって、その競走馬は早く走ったりする。
その競走馬の早く走る姿が、カバールやイルミナティからすれば、全人類に対する奴隷労働ということになる。

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ところが、ここから、もう一歩先を考えてみよう。

カバールやイルミナティは、彼等(騎手)の仕事として、私達(競走馬)の鼻の前にぶら下がっているニンジンを遠ざけたり、近づけたりしないといけない。
カバールやイルミナティにしてみれば、そのようなことは私達に対する労働と言えるのだから、カバールやイルミナティは、これすらも嫌がり始めるだろう。

カバールやイルミナティとしては、馬達(私達)に、以下のように教えるのだ。

  「あなた達(競走馬)が、自発的に、一生懸命、走れば、とても良いことが起こりますよ」

と。
(その「『とても良いこと』とは何ですか?」と尋ねても、彼等は絶対に答えないし、また、最初から、その「とても良いこと」とは存在しないのだけど。)

こうすることによって、競走馬達が自ら、一生懸命に、競争を愛するようになれば、カバールやイルミナティは、何もしなくて良くなる。
彼等は、この状態を望んでいることだろう。

だから、私達の社会には、大量の競争が推奨されている。

そして、自ら、深く競争を愛して、その内部に埋没すれば、「なぜ、私達は、お互いに競争し続けているのか?」という疑問すらも、浮かばなくなるだろう。
なぜならば、そのような社会システム(マトリックス)の内部に、幼い頃から監禁されていると、数多くの競争の存在を不思議に思わなくなるのだから。

しかも、かなり多くの人が、幼い頃から、このマトリックスに閉じ込められていると、いよいよ持って、この競争社会の不自然さに気がつきにくくなる。

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私達は、「協調が大事だ」と教えられ続けたのだけど、その一方で、大量の競争が推奨されているのだから、これは、いたって矛盾した理屈が、私達の社会にまかり通っていることに、人は気が付くだろう。

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日本語では、「協調(きょうちょう)」と「競争(きょうそう)」という単語は、響きも似ているし、なんとなく、語呂も似ている。

ところが、その二つの単語の内蔵しているベクトルは、全く正反対の方向に、その矢印が向っていることに、気が付くだろう。

だから、私達の社会では、一方では協調を推奨しつつも、全く逆の方向である競争をも推奨していたので、現在の私達の社会にみられるように、矛盾が露呈しつつあるので、私達は、その矛盾に引き裂かれている。

一つの船が、同時に二つの進行方向を持つことが出来ないように。

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私達は、どのようにして、カバールやイルミナティが私達に押し付けようとしている、競争社会から逃れることが出来るだろうか。

その一つの脱出手口として、考えることが出来るのは、数値だろう。
私達の身の回りには、数多くの数値が使用されている。

冒頭の小学校の子供の例でもわかるように、学校では、主にテストの点数や偏差値によって、競争させられている。
成人に出れば、主に、その人の収入であるところの金銭の多寡の数値によって、競争させられている(あるいは、どこかの企業内のように、その役職名によって、競争させられている)。

だから、カバールやイルミナティの強いている競争社会から抜け出す、方法の一つとしては、「私達は私達の能力を数値で表現しないこと」が挙げられると思う。

具体的には、学校でのテストを止めて、偏差値も止めて、お金も止める、ということが言えるだろうか。

「私達は個々の人の能力の数値表現を止める」となると、上のような帰結が導き出せるだろうか。

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ともかく、私達は、身の回りに、溢れている莫大な量の競争を見て、

  「私達の身の回りに、これほど、大量の競争が存在することは、果たして、正しいことだろうか?」

という、疑問を抱いてみるのも、大事なことかと思ってしまう。

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余談ですが、私のブログを世の子供達と称される方々が読んでいるかどうかはわかりません。
しかし、私のブログに、時々、出てくるカバールやイルミナティについての世の大人達の対応を、世間の子供達は、以下のように思ってるかもしれませんね。

「これだから、世の大人達は信用できないのさ。奇麗事ばかりは口からよく出てくるけれど、カバールやイルミナティについては、大人達は『当たらず、触れず』の精神で逃げるんだから。そんな大人達が、私達に『あれをしろ、これをしろ』とか、『もっと勉強して、偉い人になりなさい』とか、立派そうなお説教を言ってくるんだからな。あ~、あんな、醜い大人達には、なりたくないもんだ」

のような、独り言を胸の中で言ってるかもしれませんね。


                                        坂本  誠

2016年12月13日 (火)

三千三十五: 公開討論会(フリー・ディスカッション)の奨め

この段落は、『三千二十八:「私達の常識」を考えてみると』の姉妹編です。

「フリー・ディスカッション」というのは、日本語の「公開討論会」という意味です。
しかし、ここでは、語呂として、「フリー・ディスカッション」と書いた方が響きが良いので、「フリー・ディスカッション」を使わせてください。

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『三千二十八:「私達の常識」を考えてみると』で、明治時代初期に、民主主義的なやり方で決められなかった、その後の日本の社会スタイルを、幾つか挙げました。
以下に列挙してみます。

1.義務教育制度

2.結婚制度

3.金納制

4.中央銀行システム

5.株式市場

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これらの上記の項目について、現代に仮想的に意見を出し合って、
現代社会で、民主主義的に導入を検討するならば、フリー・ディスカッションをするのも面白いことではないでしょうか。

つまり、ある程度、SFの世界に似ていますね。
それか、「もし歴史が、こうだったら」という、歴史上で行われたかもしれない、仮想的な過去の状況について、私達が自由に民主主義的に意見を出し合うわけです。

全ての人が政治に参加することが、本来の民主主義政治です。
しかし、現在、多くの国で採用されている政治スタイルは、「間接民主主義」と言われているものです。

これは、全ての人が政治に参加することが理想的なのですが、全ての人が自由に意見を討論して決めるのは、難しいですから、国民の代表者を選挙で選んで、一握りの代議士に、政治をしてもらおう、というスタイルです。

しかし、本来の民主主義政治とは、「直接民主主義」と言われているものです。
これは、全ての国民が政治に参加します(もちろん、政治に参加したくない自由もありますので、「私は政治に参加したくないから、政治的な意見を述べません」というのも、一つの政治と言えるでしょう)。

現代の「議会政治」というものが作られた頃の、17世紀とか18世紀には、交通の便や通信の都合もまだ悪い状態でした。
しかし、現代のように、通信網が発展し、また、交通の便も図れるようになれば、民主主義政治の本来の状態である、「直接民主主義」の実施の可能性が見えてきたでしょう。

例えば、インターネットを使って、多くの人々が様々な意見を出したり、あるいは、インターネットを使って、国策に関する、全ての国民の直接選挙を行えるようになるでしょう。

現代の多くの国々では、選ばれた数人の代議士達によって、国策であるところの、法律制定のための投票などが行われています。
しかし、これは、本来の民主主義政治の目指しているところではありません。
17世紀とか18世紀には、発達していない交通網や通信の都合の便宜のため、仕方なく、設けられた「間接民主主義」が、そのまま生き残っているので、国会内で、代議士達が、私達の政治を代行しているだけに過ぎないのです。

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ですから、民主主義、本来の政治システムを行うかのように、インターネットの自分のブログなり、あるいは、何らかのコミュニティ・サイト上の自分の日記の中で、自由に自分の意見を出し合っても良いわけです。

フリー・ディスカッションですね。

また、現代でも、「間接民主主義」が残っていますが、そのような時勢でも、国民が、自分の意見を出しても良いわけです。
その意見が、すぐさま、国政に反映されるわけではないのですから。

「これぞ、開けた、本来の民主主義政治が行われるようになった」と感じて、内心、喜ぶ人々も多いのではないでしょうか。

(もちろん、「何らかの法律を定めるための投票」というのも、本来は、全ての国民の投票によって、決定されるべきものなのです。一部の代議士達の投票結果によるものではなく。本来の民主主義政治であるところの「直接民主主義」で行くならば。)

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前置きが長くなりましたが、私が冒頭に列挙した、「明治時代初期に、民主主義的なやり方で決められなかった、その後の日本の社会スタイル」を、自由に意見を出してみたいと思います。

①:義務教育制度について

この義務教育制度も、当時の日本の全ての人々の意見を聞かずに、無理矢理、導入されたものです。
現代でも、様々な問題により、小学校や中学校に行きたくない人達が大勢いると聞きます。

ですから、そのような人達のことも考慮すれば、「明治時代の初期に、義務教育制度は導入されるべきではなかった」と思います。

もちろん、学問を学びたい人も大勢いますので、そのような方々には、江戸時代で言うところの「寺子屋(てらこや)」とか「藩校(はんこう)」に相当する教育システムは、残しておいた方が良かったと思います。

(「子供達や多くの学生達を競争させて、競争社会に入れさせたい」というのは、これは、競争を推奨しているカバールやイルミナティの狙いが込められているからです。多くの人々が競争を愛するようになると、お互いに競争しますので、それだけ、大量の必要物資を生産するようになります。その姿が、カバールやイルミナティが狙っている、全人類に対する強制作業に当たりますので。)

②:結婚制度について

これも、国家が恋愛中の男女を、拘束・監視をしてしまうことになる(正確には、戸籍法)ので、「明治時代の初期に、結婚制度は導入されるべきではなかった」と思います。

また、もし、本当に、明治時代の初期に民主主義的に、「このような婚姻制度や戸籍法を、全国民に適用したいのですが、あなた達(全国民)は賛成ですか?」と、とある政治家が、私達に聞いても、その当時の人々の本音としては、「そのようなものを採用してもらいたくない」と考えるのではないでしょうか。

③:金納制について

これなどは、ある程度、答えが出ていると思います。

私が、よく引用する文章を、再び以下に引用します。

『二千八百二十五:歴史について』
司馬遼太郎『街道を行く 9 信州佐久平みち、潟のみちほか』(朝日文芸文庫)より文章と写真を引用
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2016/01/post-8b14.html

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明治維新後、太政官の財政基礎は、徳川幕府と同様、米穀である。

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維新で太政官は徳川家の直轄領を没収したから、ほぼ六百万石から八百万石ほどの所帯であったであろう。
維新後、太政官の内部で、米が財政の基礎をなしていることに疑問をもつむきが多かった。


欧米は、国家が来期にやるべき仕事を、その前年において予算として組んでおく。
ところが日本ではそれができない。
というのは、旧幕同様、米が貨幣の代りになっているからである。
米というのは豊凶さまざまで、来年の穫れ高の予想ができないから、従って米を基礎にしていては予算が組み上がらない。
よろしく金を基礎とすべきであり、在来、百姓に米で租税を納めさせていたものを、金で納めさせるべきである

明治五年、三十歳足らずで地租改正局長になった陸奥宗光が、その職につく前、大意右のようなことを建白している(※筆者注:この私のエッセイ内では「右」ではなく、「上」となります)。
武士の俸給が米で支払われることに馴れていたひとびとにとっては、この程度の建白でも、驚天動地のことであったであろう。

が、金納制というのは、農民にとってたまったものではなかった。
農民の暮らしというのは、弥生式稲作が入って以来、商品経済とはあまりかかわりなくつづいてきて、現金要らずの自給自足のままやってきている。

『米もまた商品であり、農民は商品生産者である』というヨーロッパ風の考えを持ちこまれても、現実の農民は、上代以来、現金の顔などほとんど見ることなく暮らしてきたし、たいていの自作農は、米を金に換えうる力などもっていなかった。

どうすれば自作農たちが金納しうるかということについては、政府にその思想も施策も指導能力もなにもなく、ただ明治六年七月に「地租改正条例」がいきなりといっていい印象で施行されただけである。

これが高率であったこと、各地の実情にそぐわなかったことなどもふくめて、明治初年、各地に大規模な農民一揆が頻発するのだが、木崎村は、このときには一揆を起こしていない。
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(引用終わり)

上記の引用に見えるように、「金納制というのは、農民にとってたまったものではなかった」あるいは「どうすれば自作農たちが金納しうるかということについては、政府にその思想も施策も指導能力もなにもなく、ただ明治六年七月に「地租改正条例」がいきなりといっていい印象で施行されただけ」あるいは「これが高率であったこと、各地の実情にそぐわなかったことなどもふくめて、明治初年、各地に大規模な農民一揆(※筆者注:現代で言うところのデモ)が頻発する」とあります。

要するに、当時の多くの日本人の意志に、逆らってでも、当時の政府が、全く国民の意見も聞かず、かつ、「政府にその思想も施策も指導能力もなにもなく」強引に導入したことがわかります。

ですから、これは民主主義的に言ったら、導入できるシステムでなかったのですから、「明治時代の初期に、金納制は導入されるべきではなかった」と思います。

④.「中央銀行システム」と「株式市場」について

結局、「③:金納制について」でも、考慮しましたが、当時の日本に、全く見慣れないものを導入しようとしていたことがわかります。

金納制についても、引用文にあるように、「武士の俸給が米で支払われることに馴れていたひとびとにとっては、この程度の建白でも、驚天動地のことであった」と、あるぐらいだから、「中央銀行システム」と「株式市場」についても、当時の日本人にとっては、全く見慣れないものを、無理矢理に導入したことが、読者の方々にも理解できるでしょう。

ですから、まず、民主主義的に、それらのシステムが導入されなかったのだから、民主主義な見方からしたら、「明治時代の初期に、中央銀行システムと株式市場は導入されるべきではなかった」と思います。

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結局、今現在の私達が、当時のこれらの西洋のシステムを詳細に見直すと、政府の側の、一握りの人間達が、その他の多くの人々(全国民)を、一元管理できることに、読者の方々は気が付くでしょう。

また、実際に、西洋社会システムが、多くの人々を一元管理しようとしていた、カバールやイルミナティの下に、案出・創生されたことを考慮しても、「明治時代の初期に、それらの多くの社会システムは導入されるべきではなかった」と、感じる方も多いのではないでしょうか。

ブログ上ではありますが、明治時代の初期に導入された、現代社会にも見られる、社会システムについて、私なりに、フリー・ディスカッションさせて頂きました。


                                        坂本  誠

2016年12月 5日 (月)

三千三十: 霊感の泉を考えて(独白)

私の方に、「もう詩を書くのは辞めたのですか」と、人から聞かれることがある。

これについては、「現在、休憩中です」のような、ご返事を私は返している。
どうして、詩を書くのを中断しているかを、しっかりと洞察して見ることにした。

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詩を書く人や、小説を書く人でも、急に筆を置くことも多く、傍からみれば中断したように見える。
他の人が、「彼(彼女)の、創造の源泉や霊感の泉が枯渇したのだ」と、評することも多い。

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確かに、他の多くの詩を書く人の個人史を見ても、その人の青春時代に詩作が多いようだ。
そして、青春時代を超えると、急に詩作に関心を失い、他の何かのことをしているケースも多い。

人間の若々しさが、その人の詩作の興味関心に大きく影響を与えているのかもしれない。

確かに、人間の一時期を通り越すと、人は、その興味関心を別のものに向けることも多いだろう。

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私の場合でも、そうかもしれない。

しかし、私などは、「宗教的な観点から」というよりも、ごく自然に、転生輪廻、つまり、生まれ変わりを信じている。
だから、私が生まれ変わって、また、新しい肉体を手に入れて、青春時代になれば、再び、詩を愛する心が高まり、たくさん詩を書くだろう、とも予想している。

だから、私に言わせてみれば、「詩作を辞めた」というよりも、「詩作を一時休憩している」としか、感じていない。

しかし、その休憩期間が短いか長いかは、私自身も知らない。

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これは、私のやっている他の全てのことにも当てはまる。

かつては何かの勉強が好きであり、今では、興味を失っているものもあるけれど、上の理屈や理由から、「それらのジャンルの追求自体は、現在、休暇中である」と考えて、日々を過ごしている。

また、生まれ変わるよりも前に、当然、老いてからでも、詩作なり、その他の休憩中のジャンルに興味・関心が再び湧き出でることもあるだろうから、その時は、それを真剣に追求することだろう。

だから、よほど、自分自身で、「このジャンルの追求は、これ以上は行わない」と、意識や宣言をしない限り、自分の興味のある分野の追及を辞めることは無い。

後の全てのジャンルについては、「休憩中」ということになる。

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ここで、世にも言われているけれど、あるジャンル上を休憩中の創作家が、その人の創造の源泉や霊感の泉も休暇中なのだけど、無理矢理に創作に励もうとする結果、いわゆる、面白くない作品を世に紹介しているケースがあると言われる。

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その創作家にしてみれば、単に、そのジャンル上は休憩中なのだけど、その創作家のファン達が、その創作家に、暗に、新作品発表の無理をお願いしているのかもしれない。
その結果、その創作家は無理に、そのジャンル上の創作を続けるのかもしれない。

あるいは、私達の「仕事」と言われるものは、金銭に直結されているため、生活の収入のために、創作活動をしてしまうのかもしれない。
すると、結局、お金のために創作活動が行われるので、「その作品を生み出したかった」という、本来の創作の原点を外してしまった結果、面白い作品にならないものも多いと思われる。

創作家が、情熱を持って、自分自身の分身であるかのような、創作物を生み出す時と、金銭の必要性から、仕方なく、筆を動かして、創作する時は、「その心境には、かなりの隔たりがあるだろう」と、私達は容易に想像できる。

「創作時の、この心境や情熱の隔たりが、生み落とされた創作物の出来具合や素晴らしさを大きく左右しているだろう」と、私達は自然に推察するだろう。

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さらに進んでみる。

私達の社会常識の一つとして、「いったん、自分の手仕事なる職種を手に入れれば、その唯一の仕事から、自分の収入賃金を得るべきである」というものがある。

だから、ある創作家が、その人の胸中の創造の源泉や霊感の泉が休暇中となれば、当然、そのジャンル上での良い作品を生み出せなくなるのだけれど、かつ、そのジャンル上で引き続いて、「収入賃金を得る作業を行う」ということになり、ここに、無理が発生する。

また、生活賃金と言うものは、減っていくのだから、要するに手持ちのお金の減少により、その人の胸中に「焦り」が生み出されてしまう。

その「焦り」、逼迫感(ひっぱくかん)とも言われているのだけど、その焦りの心が、さらに創作時の心境を悪化させてしまうので、さらに、良い作品が生まれないケースも数多いことだろう。

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私は自分のブログ上でも、時々、カバールイルミナティの事を紹介しているけれど、ここから、彼等の狙いが重なってくる。

カバールやイルミナティは、人類支配と人類奴隷化のために、地球上に巨大ピラミッド社会を建設し続けた。
そして、人々に多くの事を考えさせないためにも、多くの人々に対して分業化を進め続けた。

だから、「人の仕事は、一生上、たった一つの分野だけに留まり、そのたった一つの仕事から、自分の生活のための収入賃金を得るべきだ」という、思い込みを、ほとんど多くの人に、(誤っているかと思われる)その手の常識を広め続けた。

つまり、カバールやイルミナティは、「自分の奴隷達(地球人類)に、二つ以上の仕事を持つ事を許さないし、もちろん奨励していない」ということがわかる。

かつ、その上、カバールやイルミナティは、「世の全ての物資の交換の際に、紙幣やコインを仲介させよ」そして「お金と言うものを、多くの人々が手に入れるためには、多くの人々の持っている、たった一つの手職からのみ、その手職の代価として、お金を得させよ」と、私達の社会に、その手の常識を広め続けた。

結果、創作家のみならず、全ての人が、自分自身の収入賃金獲得のための、「焦り」の心を持たされるようになった。

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だから、他の多くの創作家や芸術家も気付いているだろうけれど、早い話が、賃金獲得のための「焦り」の精神によって、十分に満足・納得する作品を生み出せないことに気が付いている人も多いと思われる。

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確かに、冒頭にも書いたように、年齢の違いによって、創造の源泉や霊感の泉が休暇中になるケースも多い。

しかし、すぐ上に書いたように、「賃金獲得のための、『焦り』の心によって、創造の源泉や霊感の泉が汚染された」という、ケースも数多いことだと感じる。

このケースだと、創造の源泉や霊感の泉が「休暇中」ではなく、「汚染」だから、話のレベルは、全く次元が違ってくる。

早い話が、「お金を獲得する」という欲が、幼子のような純真な心を保てないために、十分に満足・納得する作品を生み出せないことになる。

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もっとも、上の2つのパターンである、「創造の源泉や霊感の泉の休暇中」と「創造の源泉や霊感の泉の汚染」というものが、全く気にならず、そのまま、創作出来て、継続できる人も、どこかにいるかもしれないので、そういう方は、全く気になさらずに、旺盛に創作し続けた方が良いと思います。

「霊感の泉が、どんどんと湧き出でている」という状態ならば、それを止めるのは、その人にとっても、惜しい話だから。

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ここから、冒頭から書いている、創作家の創造の源泉や霊感の泉を復活させるための方法を考えてみる。

上にも書いているように、私の考えでは、創作家の創作中断の原因は2つある。

1つは、「創造の源泉や霊感の泉の休暇中」のケースだ。
このケースだと、他ならぬ、本人が休みたいのだから、本人の納得のいくまで、休んだ方が良いと思う。
その方が自然だから。

また、もし、どうしても、本人が、何らかの理由によって、再び、そのジャンル上で、早期に復活したいのならば、その人が以前に親しんでいた、その方面の作品に、再び、触れてみるのも、何らかの刺激の効果があるかもしれない。
詩を書く人ならば、昔、よく読んだ詩の本を読んだり、あるいは最新の詩を読んだりする。
絵を描く人ならば、昔、よく見た絵画の本を開いたり、あるいは最新の絵画を見たりする。
小説を書く人ならば、昔、よく読んだ小説を読んだり、あるいは最新の小説を読んだりする。

「創作家」と一言で書いても、そのジャンルは、かなり数が多い。
だから、あらゆる職種をも、「創作家」と言えるかもしれないので、上に3つ挙げただけではありません。
要は、「そのジャンルの道の初心に帰って、初心を学び返す」ということになるかもしれない。

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私としては、無理に、創造の源泉や霊感の泉に「再起動(リ・ブート)」をかけないほうが良いと思う。
なぜならば、創造の源泉や霊感の泉が休暇中ということは、その本人が自分の生活の上で、何らかの理由のために、何か他のことをしなければいけないために、それらが休暇中だと思われる。
だから、その本人にとって、本当にそれらの泉が必要な場合だと、自然に、それらの泉の湧出が始まると思われる。
それらの泉は、自然に休暇しただけなので。
だから、その本人や周囲の人々が焦って、無理矢理に、それらの泉に「再起動」をかけない方が良いと思う。
無理に再起動をかければ、かえって、変な具合に泉の水が湧出し、泉の水の味も、かなり変化して、人工的な味になっているかもしれない。

そして、もう1つのケースは、「創造の源泉や霊感の泉の汚染」のケースだ。
このケースだと、これは、ひとえに創作家自身の問題ではない。

カバールやイルミナティが、私達、人間社会に広め続けてきた、社会常識が問題となっている。
「常識」というものは、人々の間で使用される。
だから、これは人間関係の問題だと気が付く。
だから、この「創造の源泉や霊感の泉の汚染」のケースだと、カバールやイルミナティという輩(やから)達との説得行為になってしまう。

河川や湖を積極的に汚染している人がいれば、たいていは、その河川や湖付近の住民達との間で、人間関係上の問題が発生したりする。
それと同じことだ。

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創作家が、普段、感じてはいるかもしれないけれど、なかなか言い出しにくいかもしれないような話題を、書いてみた。


                                        坂本  誠

2016年12月 2日 (金)

三千二十八: 「私達の常識」を考えてみると

こんばんわ。

三千二十七:「奇妙なこと」を考えると』の姉妹編です。

結局、この「奇妙なことを考える」というのは、「私達の常識を見直してみる」ということになるでしょう。
というのも、「どうして、このようなことを奨めているのか」と聞かれますと、私のブログで時々書いているカバールやイルミナティの人類奴隷計画の強い方針として、「人間達の常識を作り上げる」という点に気付くからです。

もっとも、「私はカバールやイルミナティが好きだから、彼等の常識を私達の常識として迎え入れたい」という人がいるかも知れず、また、そのような自由も許されているかもしれないので、彼等よりの生活を好んでも自由です。

しかし、ほとんど多くの方が、正直に言って、カバールやイルミナティを嫌うのではないでしょうか。

私達の巨大なまでに作り上げられたピラミッド社会を維持するには、数多くの常識を作り、その常識を使うわけです。
多くの人々は、「これが私達の常識だ」となり、その常識を守ろうとするので、カバールやイルミナティにとっては、カバールやイルミナティ自身を守ってくれる事に気が付くでしょう。

つまり、彼等は暗黙の内に彼等の常識を私達の心の奥底に刷り込もうとしていることがわかるでしょう。

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彼等の常識作りを見てみましょう。

一番、大きな常識は「お金」だと気が付くでしょう。
カバールやイルミナティが大好きなお金を私達の世界に広めました。
そして、お金を私達の常識としました。

その状況は、何度も引用していますので、以下のURLにジャンプしてください。
あまり、何回も引用していると、冗長になりますので。

『二千八百二十五:歴史について』
司馬遼太郎『街道を行く 9 信州佐久平みち、潟のみちほか』(朝日文芸文庫)より文章と写真を引用
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2016/01/post-8b14.html

結局、このお金を常識とすると、この世界で一番の権力者は、「所有しているお金の数値の一番高い人」となります。
ですから、カバールやイルミナティは最初から、自分達がお金を作れるようにしています。
これをすることで、この地球上社会での最高権力者となるようにセットしているのです。

ですから、彼等の本当の狙いは、「所有しているお金の数値の更なる拡大」ではありません。
どうやったら、「地球社会を支配できるか」ですから、要するに「権力の獲得」であることがわかります。

お金を世界中の全ての人の常識とすると、地球の全ての人の暗黙の了解により、カバールやイルミナティが、「地球上の闇の帝王」として君臨できる事がわかるでしょう。

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現代の「結婚制度」にも不思議を気が付くでしょう。

通常、結婚でない、私達の恋愛では、一人の男と一人の女が自然に近づいて、恋愛が始まります。
そして、その二人の恋愛の間柄には、誰も干渉や束縛をしません。
ですから、その男女の愛が冷めたり、あるいは、もっと、愛し合うかは、その二人の心のみに委ねられています。

しかし、現代では、恋愛の最高峰と思われる「結婚」がこの状態とは違っている事に気が付くでしょう。
「一人の男と一人の女が結婚する」となると、「婚姻届」を役所(つまり、行政)に提出しないといけないのです。
そして、一人の男と一人の女が離婚する時も、役所(つまり、行政)に離婚届を提出しないといけないのです。
つまり、結婚という恋愛体系を政府が監視しているのに気がつくでしょう。
男女の恋愛に自由が与えられておらず、あまつさえ、政府がその恋愛を監視している事に気が付くでしょう。

そして、「いざ、離婚する」となった時に、「やれ、慰謝料だ、何だ」となっています。

なぜ、行政や政府が、男と女の愛(結婚)を監視するのでしょうか。
で、よく考えてみると、「行政や政府が、人の頭数を知りたい」という、この意向から、結婚という名の恋愛を監視している事がわかるでしょう。
結婚生活をしたら、たいていのカップルの間には子供が生まれます。
つまり、人が増えるので、人口の数が増えます。
人口を把握しておかないと、課税する事が出来ません。

そう、要するに、「行政や政府が、男と女の愛(結婚)を監視する」というのは、「人の頭数を把握して、その人数分だけ課税する」というのが、結婚監視の目的である、と私達は考え始めるでしょう。

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現代の学校制度も常識となっています。

この常識もしっかりと考えてみましょう。
元々、現代の義務教育というのは、明治時代に入って、欧米システムを見習って導入されました。
江戸時代には義務教育はありませんでした。

江戸時代には「寺子屋(てらこや)」と呼ばれる小規模の塾がありました。
もちろん、子供達がその寺子屋に行くか行かないかは、自分の意志で決める事が出来ました。
さらに、寺子屋の上には「藩校(はんこう)」と呼ばれる教育システムもありました。

確かに、新しい知識とか、自分にとって面白い知識を仕入れたい人は、必ずいますので、その分の教養を伝えるシステムは存在していたのです。

しかし、「どうして、明治時代に入って、日本全国に義務教育が強制されたのか」を見てみましょう。
当時の日本としては、富国強兵策が貫かれていました。
ですから、「国全体が強くなるために」とあるならば、日本人全員の教育レベルを上げる必要があるでしょう。
なので、自然と学校教育システムを欧米から取り入れた事がわかります。

ですから、多くの歴史書では、「明治時代に入って、全ての人が義務教育を受ける事が出来るようになったのは素晴らしい事だ」と褒め上げています。
しかし、実際には、一握りの政府の役人達の意向によって、その義務教育を日本全国に強要させた事も事実なのです。
なぜならば、それらのシステムが導入されたのは、「大日本帝国会議」という、今で言う「国会」承認の下に、決められたことではなかったからです。
ですから、政府の一握りの人がその教育システムを、専制的に日本に広げたことがわかります。

(余談的ですが、明治時代の初期に、これらの現代の私達の常識とされている数多くの社会システムが、強制的に導入されている事がわかります。当然、それらの導入に当たっては、全ての国民の審判があったわけではありません。また、当然、それらの導入に当たっては、全ての国民の意見を伺う機会も無く、当然ながら、国民の意見が反映されたわけではありません。そして、明治時代の初期には、「大日本帝国会議」という、今で言う「国会」が存在していませんでしたので、数人の為政者による、専制政治が行えた事もわかります。そして、ある程度、そのような彼等の定めた社会常識を広げた、少し後に、「日本でも民主主義をしないといけないから、国会を開かないといけない」となって、その当時の民主主義に似たような大日本帝国会議が始まりましたね。ですから、彼等としては、政府の一握りの人が専制的に定めた社会システムを、「これが全ての国民の決めたことだ」と、言いながら、彼等自身の決めたシステムや決まりを、自由に実行できたことでしょう。ですから、明治中期の政治家というのは、それこそ、何でもかんでも、好きなように、やれたことでしょうね。現実には日本の支配者として君臨できたでしょうから。)

(余談的ですが、現代の、ほとんどの歴史の教科書や歴史マンガで、明治時代初期の「政治家」と言われている人々を英雄視扱いばかりしているのに、疑問を感じます。私が考えるに、多くの人々に対して、現代の政治家と言われる存在達のバックを輝かしい存在に見せておかないと、彼等が世間に対して、「親の七光り」程度に、良い顔を維持できないからだと感じます。)

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また、全国にまたがる銀行システムも、明治時代の初期に導入されました。

(wikipediaより引用)
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日本銀行 wiki
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E9%8A%80%E8%A1%8C

1882年(明治15年)6月 - 日本銀行条例公布。
10月10日 - 開業。

最終更新 2015年3月6日 (金) 13:39 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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(引用終わり)

この原稿を書いている今は2016年の暮れですから、約130年前からですね。
今、私達の見ている、お金社会というのは。

当然、「株式市場」というのも、明治時代に作られました。

つまり、この欧米から始まった資本主義社会の導入により、全ての日本の産業的なグループの多くが「株式会社」となりました。
「株式会社」となると、株を売買するので、お金が基本となります。
ですから、現代の全ての会社には、「自分達の銀行を明らかにしなさい」ということで、関係銀行を持っている事が、ほぼ絶対の条件になっています。

つまり、人々は産業活動において、お金から、全く頭が離れないようになったことがわかります。

また、その上、

『二千八百二十五:歴史について』
司馬遼太郎『街道を行く 9 信州佐久平みち、潟のみちほか』(朝日文芸文庫)より文章と写真を引用
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2016/01/post-8b14.html

にもあるように、「全ての国民の、政府や行政に対する納税については、お金を使いなさい」となったので、日本の全ての人々は、朝から晩まで、お金を追い続けることしか出来ないにセットされた事がわかるでしょう。

このように、私達の社会は、明治時代初期の、いわゆる一握りの為政者によって、私達国民の意見も聞かれない内に、強制的にレールがセットされていったことに気が付くでしょう。

(ですから、いったん、彼等が自分達の進みたいレールを完全に敷き終えた後なので、「民主主義を始めよう」と言って、議会を始めたのですが、自分達のレールは敷いた後なので、その後は、彼等は、かなり、やりやすかったことでしょう。)

このような手段も、カバールやイルミナティやイルミノイドからすれば、彼等にとっては好ましい事だったでしょう。
なぜならば、多くの人々が、自由に様々に考えることが、彼等にとっては非常に恐ろしい事だからです。

その点、多くの人々が、「お金の数値の上昇のみを、それ一つだけを、真剣に考えている」となると、彼等にとっては好都合、この上ない事です。
なぜならば、多くの人々がお金の数値の上昇のみを、考えてばかりいるので、当然、闇の支配者となろうとしている、カバールやイルミナティの存在まで、人々が考えなくなるからです。

ですから、カバールやイルミナティにとっては、お金も、自分達を隠す「煙幕」の一つと言えたでしょう。
カバールやイルミナティが自分達の姿を消すためには、多くの人々に、それこそ、かなり忙しい目標を与えて、それに没頭させれば、カバールやイルミナティは、自分達の姿を上手に隠すことが出来るのです。

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上のように、明治時代の初期に、日本は欧米の(当時は「進んだ」と言われていた)既存のシステムを取り入れてきたのは、多くの人の知るところです。

ですから、今度は、「なぜ、欧米は、そのような社会システムを持っていたのか」という疑問が私達に出てきます。

ここで、再び、私達は歴史を紐解く必要が出てきます。

私の方の過去記事にも書いていますが、また、世界史上でも明らかですが、欧米の全世界に対する植民地政策時代(あるいは帝国主義時代)が、長々と続きました。
アフリカとか、アジアとか、中国地域に、欧米の「列強」と言われる国々は、争って、それらの国々を襲って、植民地にしたり、あるいは、奴隷を得ました。

もちろん、現代の全てのヨーロッパ人種の方々が、地球支配を望んではいない事がわかります。
しかし、当時の欧米の王族とか、それら近辺の人々が、そのような社会システムを生み出し、まず、自国内部を支配していった事がわかります。
金融システムにしてもそうでしょう。

三千十三:藩札(はんさつ)という紙幣について』でも、紹介・引用したのですが、

●スライヴ (THRIVE Japanese)
http://www.youtube.com/watch?v=yp0ZhgEYoBI



(上記ビデオより引用)
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(ビデオの56分目辺りから)

これは、金(きん)で取引が行われていた17世紀の金細工師から始まっているようです。
金(きん)は携帯するには重いので、実物は金庫室に保管しておき、その受領証を取引していました。

この受領証が最初の紙幣でした。

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一定の期間に金(きん)を引き出す人の数は限られているため、金庫室の所有者、現在の銀行は、実際に持っている金(きん)よりも多い受領証を発行するようになりました。

この受領証を貸し出して、実際には持っていないカネ、つまりは、金(きん)に対して利子をかけたのです。

これが部分準備制度の始まりです。

この制度では、人々がせっせと働いてお金を稼がなければならないのに、銀行家は、無からお金を作りだすことが出来ます。

大衆が、銀行に借金を返済するために働く、、、現代版の農奴制と言えるでしょう。

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(引用終わり)

金融システムでもそうですが、教育システムにしても、富国強兵策的に、年上の人から、年下の人に無理矢理に教育させる点においても、その常識とされているものを、もう一度、じっくりと自身の感情や理性にしっかりと照らし合わせて、吟味・精査した方が良いのではないでしょうか。

長々と書きましたが、まだ、その他の多くの私達の常識についても検討出来るのですが、結局、私達の社会システムで「常識」とされている多くのものは、(残念に感じるのですが、)「支配のために」セットされている、と、私は感じています。


(以下、上記記事に関連するかと思われる過去記事、関連記事、及び、参考文献)
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『千三十二:イルミナティについて_No.17』
●ロスチャイルド 元イルミナティ ジョン・トッド氏の証言1/11 #illuminati #rothschilds
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2014/04/_no17-534a.html
http://www.youtube.com/watch?v=YLN1cLqD2uU



(上記ビデオより抜粋引用)
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それはキリスト教の本ではなく、政治の本でもなく、イルミナティの本です。
この本は、当時イルミナティのリーダーであったフィリップ・ロスチャイルドによって命令され、書かれて出版されました。

そして本に書かれていることは、全米を乗っ取ることによって全世界を段階的に乗っ取る計画です。
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『二千五百九十九:銀行制度についての種々の話題_No.11』
●スライヴ (THRIVE Japanese)
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2015/08/_no11-48fe.html
http://www.youtube.com/watch?v=yp0ZhgEYoBI

ビデオでは、1時間21分33秒近辺から紹介されています。
引用した文章と写真は、同ビデオからのものです。



(ジョン・パーキンス)
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使った手法は多くありますが、もっともよく使った手法は、石油のように企業が欲しがる資源を持つ国に行って、世界銀行やその系列の組織から、その国への巨額の融資を手配すると言うものです。

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しかし、貸し出された資金の大半は、その国でなく、ベクテルやハリーバートン、ジェネラル・モーターズ、ジェネラル・エレクトリックといった、米国企業の手に渡り、その国に強大なインフラを構築します。

富裕層のための発電所、高速道路、港、工業団地などで、貧困層はその恩恵をほとんど受けられません。
むしろ、貧困層は巨額な貸り入れの返済のツケを被ります。
教育、医療などの社会福祉に充てられるべき金が借金返済に充てられるのです。

意図的に、国に莫大な負債が残るようになっています。
すると、エコノミック・ヒットマンが、また行って、言うのです。
「こんなに借金があるのに、どのようにしても払ってもらうからな」。

反米の大統領が選出されると、すぐに行きます。

「おめでとうございます。私は大統領とご家族を大金持ちにして差し上げる事が出来ます。私達の方法に従えば、このポケットの数億ドルは大統領のものです。そうしないなら、もう一つのポケットには、貴方の名前入りの弾の入ったピストルが入っています。選挙公約を守って、我々を追い出そうとした時のためにね、、、アメリカの石油会社の安く石油を売るか、次の国連投票でアメリカに賛同するか、イラク等世界のどこかに、米軍を支援する部隊を送って下さい」。

このようにして世界帝国を築いたのですが、その事を実際に知っている人は、ほとんどいませんでした。
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(引用終わり)

『三百十九: イルミナティについて 』
●ジェイ・パーカーインタビュー①
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2013/09/_no35-53fe.html
http://www.youtube.com/watch?v=W02bxSqtc-I



●ジェイ・パーカー:
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字幕:「ジェイ・パーカー:どの様に3400万人の悪魔崇拝イルミナティアメリカ人達が地球を混乱させ続けるよう助けているのか。」

「イルミナティや他の闇のカルトネットワークはおそらく、9600BCの地球大変動にまで遡ります。」
「大変動の後に、地上の人類は衝撃と落胆の状態にありました。」
「私の調査からその特定の時代は、、、、闇のカルト信者達はインドやバビロンでの文明の再起動において、決めたのです。」

「地球全体を支配してもいい筈だとね。」

「人々を闇に閉じ込め続け、私達は基本的には邪悪な司祭職になり、そして彼等のマインドを支配するんです。」
「ですからその様にして彼等は神よりも金持ちになったのです。」
「そして一旦お金を持つと、政治家や王族を腐敗させる事が出来ますし、そして基本的にはゆっくりと社会を支配していく事ができるのです。」
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                                        坂本  誠

2016年12月 1日 (木)

三千二十七: 「奇妙なこと」を考えると

こんばんわ。

たまには、笑い話を交えながら、ちょっと奇妙なことを考えてみたいと思います。
この「奇妙なこと」を考えていたら、人は「現代社会の盲点」とか「現代社会の死角」を見出しやすくなるのですね。

私達は、夏場になると海水浴をしたり、プールで遊んだりします。
その際に、私達は水着を着用します。

で、この水着をよく見ると、ほとんど下着と言えることにも気が付きます。
現代では、下着も生地の厚いものもありますし、黒っぽいものも多いです。
ですから、海水浴やプールでも、下着で泳いでも、わからないものもあるでしょう。
私達が着用している、水着と下着には、大きな違いがあるのでしょうか。

しかし、なぜか、その下着で海水浴やプールをしたら、問題になるケースもあるのではないでしょうか。
例えば、私達が水着を着用して、浜辺やプール・サイドに出ても恥ずかしくないのでしょう。
しかし、ほとんど見かけの変わらない下着で浜辺やプール・サイドに立てば、周囲の人から変な目で見られる、というのは、ちょっと疑問に感じないでしょうか。

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あと、似たようなケースで、私の身の上にあったことを書いてみます。

高校を卒業して、間もない方が、私の中学や高校の頃の卒業アルバムを見ました。
私の中学や高校の頃の体操服と、今頃の学校の体操服には違いがあるのですね。

ですから、その高校を卒業して、間もない方が、私に言ってきたのですが、

  「当時の皆さんは、こんな格好をして体操して、恥ずかしくなかったんですか?」

と。

この疑問の答えとしては、「恥ずかしくなかった」です。

というのも、私の学校時代の生徒達の体操服は、全て、そのデザインでしたから、みんなが同じ格好をしていたら、違和感を感じなくなるのですね。

ですが、時代を超えて、私の学校時代のスタイルの体操服を着用して、現代の学校に行って、多くの学生達と同じ体操をしたら、恥ずかしいものを感じるかもしれません。

ですから、私に質問をした人でも、その人の身の上で、10年か20年以上経ったら、以下のような出来事もあるかもしれません。

私に質問をした人に、さらに、その未来での高校で、体操服のデザインが、かなり変更されていると仮定します。
すると、その未来に高校を卒業したばかりのような年齢の人が、「私に質問をした人」に、さらに、以下のような質問をするかもしれません。

  「当時の皆さんは、こんな格好をして体操して、恥ずかしくなかったんですか?」

と。

このようなケースも、十分に考えられるわけです。

江戸時代のヘア・スタイルとしては、「ちょんまげ」とか「銀杏曲げ(いちょうまげ)」とか言われるものがあったのでしょうか。
当時は、ほとんど全ての人が、そのヘア・スタイルをしていたので、町に出ても、何の違和感も無かったでしょう。
しかし、時代が経って、人々の慣習や風習が変わっただけで、「そのようなヘア・スタイルや体操服は禁忌ものだ」と人は感じるわけです。
人の慣習や風習から作り上げられる「常識」というものにも、メスを入れた方が良いのではないでしょうか。

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あとは、最近の陸上選手の衣服も、私の学生時代の頃に見かけたものとは、違ったデザインになってきています。

例えば、おへそが見える上着で、陸上競技場を走ったり、公道を走ったりしています。

実際には、「おへそルック」と言われる衣服のデザインが禁止されてはいません。
ですから、陸上選手でない私達でも、(たとえ冬でも)、おへそルックをして、街の中を歩いても問題ないことがわかります。

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このような笑い話からも、現代社会の私達の常識を、再び見直すための新鮮な着眼点が得られるのではないでしょうか。


                                        坂本  誠

2016年11月24日 (木)

三千二十三: お知らせ

風邪を引きましたので、お休みします。


                                        坂本  誠

2016年11月22日 (火)

三千二十二: 高層マンションを見ながら

こんばんわ。

街の中で歩いていると、誰でも、高層マンションをよく見かけると思います。
しかし、最近の人口減少により、中には、高層マンションでも、もう誰も住んでいないものもあると思います。
そんな、空いてしまった高層マンションを見上げながら、何気なく、考える機会がありました。

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「高層マンション」とか「高層アパート」等は、高いものでは、20階建てぐらいものもあるでしょうか。
遠くから見ても、かなり目立ちますが、空いている高層マンションともなると、さらに目立つような気がします。
私が時々、このブログで書いているカバールイルミナティ達による『人口削減計画』のせいで、人口が減少したのか、空き室の多い高層マンションも目立ちます。

それらのマンションを見て感じるのですが、マンションの管理人よりも、マンションのオーナーは大変だと感じます。
「マンションの管理人」だと、マンションの雑事を取り扱うのですが、マンションのオーナーの仕事は、マンション経営と言えるでしょう。

ところが、上から書いているように、マンションに空き室が増えてくると、マンションオーナーは困るでしょう。
「人口減少」も、マンションオーナーの大きな障害だと言えるでしょうが、まだ、ほかにも原因がありそうです。

ある人ならば、「人口が減少しただけだったら、困るのは賃貸料金だけだろう。だったら、賃貸料金だけを値上げすれば良いのでは」と考える人もいるでしょう。
しかし、単純に、賃貸料金を値上げだけをすれば、今度は、借り手側の住人が、より安価な賃貸料金で住める物件(より部屋代の安いマンションやアパートのこと)を求めて、元住んでいたマンションやアパートから移住してしまうケースも多いことでしょう。
つまり、その方面で、値下げ競争のようなことが始まることもわかります。

ですから、資本主義的に金銭獲得の上昇を狙った、値上げのみを考えただけでは、うまく行かないことがわかります。

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マンションやアパートの空室原因について、私が考える原因を以下に書いていきます。

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戦後、「アパート」というものが多く建設されていた時代では、それらの集合住宅に対する重要なサービスは、電気、ガス、水道だったでしょうか。
3つのライフラインの提供だけが、マンションに課せられていたと思います。

しかし、時代の流れは速いものです。

自動車の普及と共に、集合住宅のオーナー側は、集合住宅の他にも、自動車用の駐車場のスペースが必要になってきたと思います。
オーナーの側は、それらの駐車場獲得にも、苦労したことでしょう。

しかし、さらに月日が流れると、エアコンとか衛星テレビとかケーブル・テレビの普及がありました。
一戸建ての住宅ならば、これらの設備の増加は、そんなに高額では無いと思います。

しかし、「高層マンション」とか「高層アパート」等は、巨大建築なので、その内部の多くの部屋も同時に、それらの設備を新設・増設しないといけなくなるでしょう。
おそらく、その費用は、安いものでは無いでしょう。

また、時代が経って、インターネットとか、最新の設備では、太陽光発電システムでしょうか。
太陽光発電システムにしても、最新型のものがあって、高性能のバッテリー付きだと、夜間も省エネできますから、そのような最新式の設備を搭載した住宅を好む人も多いと思います。

ここまで書いていて、想像が付くと思うのですが、「高層マンション」とか「高層アパート」等の巨大建築物に、次々と現れる新型設備を搭載し続けるのは、並大抵の苦労ではないと誰もが想像できることでしょう。

今まで挙げたのは、インフラ形式です。
しかし、インフラだけでなく、防犯設備とか、ないしは、各部屋の内部のインテリア・デザインも変わり続けていることでしょう。

一戸建ての住宅ならば、それらに追いつける人もいるでしょうが、巨大建築物のリフォームと比較すれば、それらは桁が違う事がわかります。

ですから、マンションのオーナーにしてみれば、テレビなどで流れる「住宅最新設備」の手合いの番組を見たら、ちょっと怖いものを感じる人もいるかもしれません。

また、最新の建築技術から設計された耐震技術とか、台風などの災害対策技術も、どんどん登場していると思います。
しかし、当然、それらの災害対策技術を、高層建築物にリフォーム時に取り入れることは、不可能でしょう。

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この原稿を書いている今は、2016年の暮れですが、今後、どのような新しい住宅設備が現れるかはわかりません。

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しかし、今までの科学の発展と、それらの普及状況を考えると、「高層マンション」とか「高層アパート」等のオーナーの方々のリスクは高いと考えざるを得ません。

冒頭にも書いていますが、「人口減少」という理由によって、「最近のマンションの空室も多くなった」と考える人も多いでしょう。

しかし、「設備の老朽化」という理由によって、「新しいマンションに移った」とか「新しいアパートに移った」という人も多いのではないでしょうか。

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2階建てや3階建ての建築物ならば、まだ、リフォームは簡単でしょう。
高層建築になればなるほど、それらのリフォームが難しくなると、誰でも理解できます。
ですから、高層建築の集合住宅ならば、未然に、家賃の中に、10年先や20年先に予定されているであろうリフォームに関しての代金が含まれている可能性もあるでしょう。

しかし、その場合でも、10年先や20年先でのリフォームによって、納得のいくだけのリフォーム内容が得られるかどうかはわかりません。
未来のことはわからないので。

居住者の方々にも、リフォームということで、その分の負担金をお願いすることは多いと思います。
しかし、居住者の方々全員が、快く、首を縦に振るかどうかはわかりません。

ですから、巨大建築物のリフォームは、やはり難しいと思います。

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ですから、マンションやアパートの借り手の側の人から見ても、このような情報を聞いていると、「2階建てや3階建ての集合住宅の方が小回りが効くので、良いかもしれない」と、考えるのではないでしょうか。

ここまで書いたように、マンションやアパートの空室が多い状況も、このような状況から生まれていると思います。

現在でも、中には、「成功した、高層マンションのオーナー」という人もいるかもしれません。
しかし、現代では、かなり苦労なさっているマンションのオーナーが多いのが実情ではないでしょうか。


                                        坂本  誠

2016年11月 7日 (月)

三千十六: お金の影響を考える

時々、お金のことについて書いている私です。

この段落も、お金に関していますが、自分の素直な気持ちも書き留めていたいので、この記事に書き留めておきます。

三千十三:藩札(はんさつ)という紙幣について』でも説明しましたが、カバールやイルミナティは、現実上、「無からお金を無制限に作っている」と、その状況を書きました。

まあ、これだけでも、悔しがる人もいるでしょう。
また、ある人などは「私は、経済上の格差があっても、お金が好きだから、現代のピラミッド上の社会構成があっても、それでも良いよ」という人もいるかもしれません。

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しかし、「お金が無から作られている」という事実から、さらにわかる事実を考えてみましょう。
紙幣などで、無からお金が作られ、かつ、銀行オンライン・システムのテン・キー・ボードの入力により、お金が無制限に作られるとどうなるのでしょうか。

多くのカバールやイルミナティが、現在のアメリカ合衆国に住んでいる事がわかっています。
そして、お金が無から作られ、無制限に作られている限り、それこそ、無制限に兵器を作ることが出来る事がわかるでしょう。
また、現在のアメリカ合衆国は、世界中に、かの軍隊を派遣していますが、その軍隊の軍人達にも、無制限に給与として、お金を払えることに気が付くでしょう。

そして、現実に、アメリカ合衆国では、巨大な空母や爆撃機とかミサイルとかが、延々と作り続けているでしょう。

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カバールやイルミナティは、経済的にも、私達を支配したいのですが、現実に「世界支配を実行したい」となると、地球上の多くの人々に「にらみ」を効かせるためにも、「世界最強の軍隊」を所有していないといけないことが私達にわかるでしょう。

そう、「お金を無から作り上げることができる」という事実は、「無制限に、強大な軍事力を作成・維持することができる」と理解できるでしょう。

多くの人々が、カバールやイルミナティの作っているお金に価値を与える限り、カバールやイルミナティは永遠に、その強大な軍事力を維持することが出来るのです。

カバールやイルミナティの狙いは、地球支配と地球全人類の奴隷化ですから。
そして、現実の世界も、彼等の思惑通りに進んでいたこともわかるでしょう。

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私達のよく見かける巨大土木工事でも、カバールやイルミナティの思惑を見かけることが出来るでしょう(巨大な空母や爆撃機とかミサイルの作成も、巨大土木工事の一種と言えるかもしれません)。

最近、私達の間でも、「巨大土木工事が行われる」と聞いた時に、その近辺の人々が「工事反対、建設反対」を訴えているシーンを見かける機会が増えていると思います。

これは、どういうことかと言うと、その地元の近辺の人々が、「その巨大土木工事や、巨大建築物建設は必要無い」と感じているからです。

(ですから、最近の巨大土木工事や、巨大建築物建設の工事の最大の難関とは、「その地域住民の説得行為」と言えるかもしれません。以前のこの手の巨大土木工事や、巨大建築物建設の工事の難関とは、主に、「地球という自然環境の作り上げた難題を、どのように土木技術的に、あるいは、建設技術的に、クリアーするか」というのが、工事の最大難関と言われ続けてきました。しかし、私が上に書いたように、現代の巨大土木工事や、巨大建築物建設の工事の最大の難関とは「その地域住民に対する工事着工のための説得行為」と言えるかもしれません。)

しかし、「なぜ、作る側が、そのような巨大土木工事や、巨大建築物建設が必要なのか」と考えると、その一つには、「土木関連の会社や、その手の行政組織が、お金が欲しいから」があるでしょう。

そのような巨大土木工事や、巨大建築物建設が、その土地の「地理情勢」の実情に必要無くても、その土地の「お金回りの良さ」、つまり、「その土地の経済問題」のために、無理矢理、巨大土木工事や巨大建築物建設が行われる、というパターンです。

もっと噛み砕いて書いてみると、「本当は、その工事の必要性は無いのだが、お金回りのために工事を実行する」というパターンです。

今までの記事で書いているように、お金を作っている側のカバールやイルミナティは、無から無制限にお金を作れます。
ですから、彼等は延々と、土木工事や建設作業を命じることでしょう。
なぜならば、それがお金というものを使った、資本主義のカラクリだから、もし、そのプロセスを断てば、資本主義が終わるし、同時に彼等は自分達の権力を失うからです。
たとえ、地球が穴ボコだらけになったとしても。

結局、お金のためだけに、工事を実行すると、やがて、地球は、虫食いだらけのリンゴの芯のような姿となるでしょう。
または、地球という惑星の、中心まで、機械化が進められた星となり、「機械化惑星」と呼べるものになるでしょう。
工事だけが、延々と行われるので。

そのような星の状態で、「この星は、私達、人間にとって、非常に住みやすい星だ」と感じる人もいるかもしれません。
そのようなことを感じる自由もありますからね。

しかし、カバールやイルミナティにとっては、どのようになっても気になりません。
なぜならば、「支配」が彼等の目的だから、地球が傷つこうが、地球が「機械化惑星」になろうが関係無いわけです。

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かなり多くの人々が、カバールやイルミナティの進めてきた、「地球お金政策」を後押しし、かつ、お金を愛するようになりました。

その理由というのも、カバールやイルミナティが「私達の作っているお金が無いと、あなた達(彼等を除く全地球人)は生きていけないよ」という感じで、世界中にお金が広められたからです。

また、そのようなカバールやイルミナティの秘められた意志を徹底的に隠蔽し続けたとあるのだから、彼等を除く全地球人がカバールやイルミナティの狙いを見抜くことも出来なかったのです。

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ですから、この状況を考えるに、「カバールやイルミナティは、最初から受け入れるわけにはいかない」と、人は考えることでしょう。
あまりにも、度を越えています。

通常、私達は、「人に心を開いて、平等に付き合いましょう」ということが推奨されています。
しかし、当のカバールやイルミナティが心も開かず、「他の人々を支配してやろう」という、彼等の狙いを心の奥底にひた隠しに隠して、その上で付き合う、というのならば、これは「平等な、お付き合い」とは言わないはずです。

現実問題として、「過去に犯罪を犯した」という人ならば、私達の世界での、その例を見ると、保護施設に類した施設等に入所して、仮出所の際には、保護観察等の監視が行われて、「本当に心身から更正した」という判断を持って、初めて、その人は自由の身になります。

カバールやイルミナティの場合は、「これすらも経ていない」とわかるでしょう(カバールやイルミナティ自身が、自分達の人類支配という願い自体は、正当な願いだ、と、彼等は信じてもいるので)。

彼等の「人類支配」という狙いが秘められたまま、また、他の人々が彼等の心の状態をつかめないままで、他の人々と、自由平等に付き合う、というのなら、これは「平等な、お付き合い」とは言わないはずです。

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なので、私の方の結論としては、「カバールやイルミナティは、最初から受け入れるわけにはいかない」となります。

この状況ですと、カバールやイルミナティに必要な環境とは、私達の世界で見るならば、保護施設とか福祉施設などです。
上にも省察しましたが、多くの人々は自由意志を持って生活できますが、彼等の意志を持って、その他の人々と自由平等に付き合う、というのは、これは、既に、「平等とは言わない」と言えるからです。

私達の日常生活でも、ある日、見知らぬ人が初めて訪ねてきて、「お付き合いして欲しい」と、その人が言ってきたと仮定します。
ところが、その人が、心の中で、『あなたが気付かないような感じで、少しずつ、あなたを私の奴隷にしてやろう』という意志を持っていたとします。
それならば、私達は、「当然、お付き合いするわけにはいきません。それよりも、私と付き合う前に、あなたは病院で生活するか、設備が整った施設で、長期間、暮らす必要があるでしょう」と、多くの人は、その見知らぬ人に言うでしょう。

これと全く同じです。

また、カバールやイルミナティが、彼等以外の人々と付き合うと、彼等の心が変化するのか、というと、これもほぼ無かったでしょう。
だからこそ、今まで、カバールやイルミナティが、人類支配という計画を実行できたのですから。

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私のブログの過去記事でも、「宇宙人もの」がありますが、その中でも、この「カバールやイルミナティの祖先は、宇宙人であるところのアヌンナキとかレプティリアンと呼ばれる種族であった」と紹介しています。

もし、それが正しいとすれば、この「アヌンナキとかレプティリアンという種族は、最初から、地球に入れてはいけない」ということになります。
また、同様に、「他の平和な惑星があり、その惑星に平和を愛する人々がいるならば、アヌンナキとかレプティリアンという種族を、最初から、その惑星に入れてはいけない」ということになります。

なぜならば、そのアヌンナキとかレプティリアンという種族は、上から書いてきているように、保護施設とか福祉施設とも呼べるような、環境こそが必要とされたからです。

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ですから、「『地球がカバールやイルミナティを受け入れた』ということは、間違っていた」と言えると思います。
現実に、上から書いているように、かつ、私のブログの過去記事を読んでもわかるように、私達の住む地球の上では、物理的にも精神的にも大被害が起きた。

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そして、このカバールやイルミナティを受け入れた時の計画自体は、とうの昔に失敗しており、その後は、もはや何重にも焼き直された計画が実行されていると思います。
ですから、最初の計画自体の、遥かな昔に立てられたゴールとは、著しく、ずれたものとなっているから、普通は、その状態を、「計画の失敗」と言いますので、「カバールやイルミナティを、その状態のままで、他の人々と平等にお付き合いさせよう」というのは、これは間違っていたと思います。

それは、あまりにも軽率な試みだったと感じます。

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「カバールやイルミナティを受け入れてみよう」という試みがあった時に、おそらく、何人かの周囲の存在達は、大反対したのではないでしょうか。

その諌めの反対を聞いたのだけど、とにかく、「カバールやイルミナティを受け入れた」ということは、それを実行した存在は、結果的には、「かなり大きな間違いを得た」、と思います。
そして、カバールやイルミナティを受け入れたことにより、これまで大きく歪曲して、歩んできた地球の道のりの修正を必要とされていると思います。

過去、カバールやイルミナティに対しては、深い慈悲の思いからなる愛により、地球に受け入れたのかも知れないけれど、その、カバールやイルミナティに対する慈悲的な愛を実践が、その結果は、彼等以外の他の人々に不幸をもたらした、と私は見ています。

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結局、カバールやイルミナティに必要だったのは、保護施設とか福祉施設とも呼べるような環境であり、彼等の心の状況を持っての、彼等以外の人々との交際は、「これは自由・平等な交際とは言えない」ということです。

他の方々の意見は違っているかもしれませんが。

願わくば、私達の未来には、これと同様の間違いや失敗が起きないことを、心より祈ります。


                                        坂本  誠

2016年9月16日 (金)

二千九百八十九: 依存傾向の強い人と現代社会システムの絡み等々を考えて

カバールやイルミナティが進めている人類奴隷化計画の一つとして、多くの人々を依存症にさせようとするものがあるでしょう。
「依存症」というよりも、「依存関係の強い人々を作りたい」と言った方が正確でしょうか。

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「依存傾向の強い人」というのは、幸せになれません。
依存の強い人というのは、「どこからか、誰かが私に幸せを持って来てくれる」と考えている人を指すでしょう。
まあ、言ってみれば、幼児のように、口を開けて待っていたら、どこかの誰かが、口の中にチョコレートを入れてくれた、とか、こんな感じでしょう。

「依存傾向の強い人」というのは、とにかく、自分の手で、あるいは、自分のちからで、自分の幸福を作ろうとしません。
「どこからか、自然に、誰かが私に幸せを持って来てくれる」と考えていますので、その人にとっての不幸は、全て、その人の周囲の人が作った、という風に、依存傾向の強い人は考えています。

なぜならば、依存傾向の強い人の幸福とは、他の誰かが自然に持ってきてくれるので、その人が不幸を感じていると、「誰も私に幸福を持ってこない。だから、周囲の人々が悪いのだ」という理屈に陥っています。

結局、依存傾向の強い人の苦しみの原因は、その依存傾向の強さにあることが、私達にわかります。
自分のちからで、自分の幸福を作ろうとしていないので、それが、その人の苦しみの原因となっているのです。
ですから、依存傾向の強い人が、「私の不幸は、私の周囲の人が作った」と考えているわけですが、客観的に見たら、その依存傾向の強い人の、その苦しみは、その人の依存傾向にあるわけですから、ここから言っても、「自分の不幸は自分自身が作っている。また、自分の幸福も自分自身のみが作っている」と私達にわかります。

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ところで、カバールやイルミナティが、このような依存傾向の強い人を、大勢、養成しようとしていることがわかります。
当然、依存傾向が強ければ強いほど、現在、私達の見ている、現代社会システムにすがろうとするからです。
カバールやイルミナティが、全人類奴隷計画を進めているので、彼等にとっては、自分達の作った檻(おり)の中からは出てもらいたくないわけです。

また、上に書いたように、依存傾向の強い人というのは、結局、不幸な人なわけですが、カバールやイルミナティは不幸な人々を作りたいわけです。
そうでないと、巨大ピラミッド・システムの頂点に君臨することは難しいでしょう。

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問題は、「どのようにして、カバールやイルミナティは依存傾向の強い人々を作り上げているのか?」という点です。
これも、お金を使って、依存傾向の強い人々を作り上げていることがわかります。

例えば、ある家庭を思い浮かべてみます。
その家庭の内に、何人かが会社に出て働いていたとします。
そして、その内の一人が、仕事を無くしたと仮定します。

すると、現代の社会システムだと、その家庭に入ってくる、現金は一人分、減るでしょう。
そして、その家庭が経済的に苦しくなるかもしれない。
まさに、この点です。

つまり、幾ら、一つの家庭の中の人間といえども、あくまで失職したのは一人です。
ですから、失職した人は、それは確かに、その人の個人的な不幸な出来事といえるかもしれません。
しかし、幾ら、その一つの家庭の中の住人といえども、失職した人は、それは、その人の不幸かもしれませんが、それ以外の人にとっては、それは不幸な出来事ではないわけです。

で、「何が不幸に感じるのか?」というと、その家に入ってくる現金が少なくなる事により、あたかも、その家の全ての人々が、経済的な苦しさを感じる事です。
現代社会では、一家に入ってくる現金が少なくなると、まるで、その一家の中の共同責任のように、「その家に住んでいる全ての住人が、不幸感覚を味わいなさい」という感じになっていると思います。

上の例で、失職したのが、Aさんとします。
そして、その他の家の中の住人として、BさんとCさんがいたと仮定します。
BさんとCさんは失職していないのです。
ですから、これをじっくりと考えると、本来ならば、BさんとCさんは不幸感覚を感じなくても良いでしょう。
しかし、Aさんが失職した事により、その家の現金収入が減るので、経済事情が悪くなるのです。

結果として、BさんとCさんは不幸感覚を感じなくて良いのに、Aさんが失職した事により、BさんとCさんも不幸を感じ始めたりします。
そして、BさんとCさんが感じるには、「Aさんが私達(BさんとCさん)に不幸を持ってきた」という風に感じるでしょう。

つまり、この状況は、上からずっと書いている、「その一家の中の、Aさん、Bさん、そして、Cさんは依存関係を深め合っている」ということが、他人の目から見たらわかるでしょう。

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依存の強い人になったら、他の人に頼ってばかりになりますから、カバールやイルミナティから見たら、そのような人々が、ピラミッドの頂点付近にいるカバールやイルミナティを頼ってきますから、ますます、彼等のピラミッドが堅固になるわけです。

また、当然、上の例で挙げた一家だと、もっと、お金に依存していく事になるでしょう。
つまり、「お金に依存する人」というのは、これは、カバールやイルミナティの作成したピラミッド社会に依存しているわけですから、当然、カバールやイルミナティにとって、好都合な人となるわけです。
カバールやイルミナティにとっては、「奴隷」ということになるので。

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また、カバールやイルミナティの進めている人々の「分業化」というのも、依存傾向の強い人を作り出します。
以前にも、同じ例を挙げましたが、机職人ならば、その机職人に椅子を作る事を禁じます。
椅子職人ならば、その椅子職人に机を作る事を禁じます。

このように、分業化を進めたのです。
ですから、机職人の腕ぐらいならば、椅子も作れるでしょう。
また、椅子職人だって、机も作れるでしょう。
ですが、それをさせない事により、彼等の欲求不満を高めるのです。
「分業化」によっても、依存傾向の強い人を作る事が出来ます。

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わかりやすく言えば、現代社会で、よく見られている、「ある企業内の他業種のアルバイトの禁止(副業の禁止)」です。

もともと、労働基準法では、副業を禁止していないわけです。
ですから、ある人ならば、実際に副業を持っている人もいます。

また、「アフター5以降の副業を禁止する」というのも、実は、これは労働基準法に違反している事がわかります。
なぜならば、就業時間以外は、従業員を拘束してはいけないのですが、ある企業がある従業員に「アフター5以降の副業を禁止する」と、それは、つまり、就業時間以外の従業員を拘束している事になるからです。

また、ある企業が、自分の社の従業員に対して「他業種のアルバイトの禁止(副業の禁止)」をする、というのは、以下のような理由もあるでしょう。

企業にしてみたら、従業員に給与(お金)を払っています。
アルバイトをすると、そのアルバイト先からも、その従業員は給与(お金)をもらえる事になります。

ところが、従業員にアルバイトを禁止すると、その従業員は、その企業だけからしか給与(お金)をもらう事が出来ません。
つまり、「お金が、生きていくのに不可欠な道具だ」という考えが私達の心の中にあるので、その給与(お金)を一箇所だけしか、もらえないようにすると、その従業員は、その会社の命令ばかりに従うようになるでしょう。
つまり、企業側から見れば、「生きていくのに不可欠な道具、お金を出しているのは、お前にとっては、私(企業)一人だ。だから、絶対に私(企業)の命令を聞け」となり、多くの人々を支配できるのに気が付かれるでしょう。

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20101005144019

 

ですから、実際に、私達は非常に依存関係の強い社会に生きている事が実感できるでしょう。

確かに、私達は独りで生きていくことは出来ないでしょう。
私達は、様々な人々との関わりの中で生活しています。
その関わりも大事ですが、あまりにも、依存の強い状態になると、そのような社会は不幸を生み出している事もわかります。

ですから、依存傾向の強い人が、「人間、協力が大事だ」とか「私達は絆(きずな)が大事だ」と言っているシーンを思い浮かべると、どのように、あなたは感じるでしょうか?

確かに、「協力」というのも大事な事だとわかりますが、それ以上に「自立」というのも大事だとわかるでしょう。

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「自立」というのも大事だと私達にわかるのですが、ここで、また危ない事には、「自立」と書くと、「自立とは、経済的な自立のことなのだ」と考えがちなことです。
これは、陥りやすい罠と言えるでしょう。

なぜならば、「経済的な自立を目指そう」となると、多くの人は、「たくさん、お金を稼ごう」という風に感じるからです。
つまり、この方向は、「カバールやイルミナティの作った、お金を愛する」という方向です。
ですから、その方向だと、カバールやイルミナティに手玉を取られるように、操られる、というわけです。

ですから、ここで言う「自立」とは、経済的な自立ではなく、精神的な自立です。
つまり、お金を愛さない方向ですね。

私達がお金を愛して、溺愛すれば、その状態こそ、カバールやイルミナティの最大の念願ですから。
その状態こそ、カバールやイルミナティが私達を奴隷操作を施す、最高の状態なのですから。


                                        坂本  誠

2016年9月13日 (火)

二千九百八十八: 小さな疑問_No.5

二千九百八十五:小さな疑問_No.4』の続きです。
二千九百七十七:小さな疑問_No.3』ともリンクしています。

『二千九百七十七:小さな疑問_No.3』で、「記者会見のシステムやからくりはどうなっているのだろう?」という疑問を抱きました。
記者会見を開きたい人は、お金を報道会社に入れないと、記者会見の時に、多くの記者達が集まらないのではないのか?」という疑問でした。

上記の疑問の解答を、まだ得ていないのですが、おそらく、お金が報道社に入れられるので、多くの記者が集まっていると思うのです。
なぜならば、記者と言えども、記者会見の開かれる現場まで、移動しないといけません。
しかも、大勢の記者が来ないといけません。
ですから、その移動費用もかなりかかるでしょうから、その費用は、おそらく、報道社が自腹を切ってはいないと思うのです。
なので、おそらく、記者会見を開く側の人が、お金を払って、記者会見を開いて、その内容を全国に報道してもらっていると思います。

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上に書いた事を踏まえつつ、『二千九百八十五:小さな疑問_No.4』で書いたことも挙げます。
その要旨は、「日本の役所や省庁でもない、日本銀行が、多くの記者会見を開いていますが、、、」という手合いの事を書きました。

つまり、これだと、やはり、お金持ちが、頻繁に記者会見を開けますから、当然、それを大量に、何回も、報道してもらえば、彼等の独占的な世論誘導が行えたのではないでしょうか?

「これと同じような方法で、彼等はマスメディアを独占できたでしょうから、ここまで、世界支配が進んだのではないだろうか、、、」というのが、今回の私の小さな疑問です。


(以下、上記記事に関する過去記事、関連記事、及び、参考文献)
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『二千五百四十一: 銀行制度についての種々の話題_No.4』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2015/06/_no4-8a1f.html

(上記記事より抜粋)
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●スライヴ (THRIVE Japanese)
http://www.youtube.com/watch?v=yp0ZhgEYoBI



ビデオの1時間00分06秒辺りからです。

●聞き手:
連邦準備銀行の議長とアメリカ合衆国大統領は、どのような関係が適切ですか?

Thrive_japanese__greenspan_2

■アラン・グリーンスパン(連邦準備銀行(FRB)、元議長):
まず第一に言う事は、連邦準備銀行(※筆者注:FRBのこと)は独立機関ですので、基本的に我々が行う措置をくつがえす事の出来る政府機関というのは存在しないのです。
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『二千九百八十五:小さな疑問_No.4』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2016/09/_no4-6df6.html

(上記記事より抜粋)
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そもそも、日本の役所の一つとして、『財務省』というものがあります。
これはれっきとした日本の役所です。

しかし、『二千九百八十三:貨幣経済システムとマトリックスを考えて』で書いたことですが、「日本銀行は国の役所とか省庁ではありません」。
日本銀行は、一つの法人あつかいです。

ですから、私達の生活を見ると、まるで、財務省と日本銀行の2系統で、日本経済のやりくりが行われているように見えるでしょう。

ですから、「2系統あったら冗長ですから、中央銀行である日本銀行の方を廃して、財務省の1系統で、日本の経済システムを行っても良いのでは?」という、意見めいた疑問を持った人も出てくるかと思います。
まあ、上記の事が私に思い浮かんだ疑問です。
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(引用終わり)

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『二千九百七十七:小さな疑問_No.3』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2016/08/_no3-b677.html

(上記記事より抜粋)
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テレビで見かける「記者会見」を見ていると、官公庁とか、あるいは、一般企業とか、一般の人も記者会見を開いているようです。
記者会見を開いて、報道各社の記者達を集めて、何か自分の伝えたい事を語って、それを広く世間に広めたいのでしょう。
しかし、記者会見を開くに当たっては、報道各社の多くの記者達を集めないといけないことがわかります。

ですから、記者会見を開きたい人は、報道各社にギャラを支払って、大勢の記者の方々を集めているのでしょうか?

記者会見を開く予定の無い人だったら、通常だったら、ネットで自分の言いたい事を発信したり、あるいは、個人で街頭演説をするのみになるでしょう。
なので、記者会見を開く人は、お金をマスメディアに払っているから、自分の言いたい事を世間に広める事が出来るのでしょうか。
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(引用終わり)

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『二千八百七十五:小さな疑問_No.2』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2016/03/_no2-fa7f.html

(上記記事より抜粋)
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『小さな疑問_No.2』と題して、現在、話題となっています「長時間労働」について書いてみます。

昨今、政府の方でも、企業で行われている長時間労働のために、法律を変えて、「残業代を無くそう」としている動きがあったことが報じられています。
しかし、この話を聞いて、「ちょっと、おかしいぞ」と疑問を抱く人もいたのではないでしょうか。

なぜならば、現行の労働基準法でも、8時間以上の労働は、原則として禁止されています。
ですから、上のように政府の方が、「今では、違法なまでの長時間労働が様々な企業で行われている」と気が付いていた事がわかります。
ですから、現行の労働基準法に則って、政府の方が様々な地方に立てられている労働基準局を動かして、その違法なまでに長時間労働を行っている企業を取り締まらなくてはいけなかったことがわかるでしょう。

ところが、政府の方がそれに気がついていたにもかかわらず、代わりに打ち出した方針は、「現行の労働基準法を変更して、長時間労働を認めよう」というものでした。

本来の政府のやり方ならば、「この長時間労働は労働基準法に違反しているから、国の決めた法律を遵守させるために、多くの企業を取り締まらなければいけない」と、他の役人や他の人々も考えなかったでしょうか。

しかし、行政側に、逆に見られたことは、行政の決めた法律そのものを曲げる方針を打ち出した事でした。
読者の方々も矛盾を感じると思います。

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政府や行政は労働基準法の遵守を実行する側と定められています。
しかし、上の流れからですが、これだと、政府や行政が多くの企業の長時間労働の実態を知りつつも、それを改善するための労働基準法の実行をしなければいけなかった筈でしょう。
しかし、「政府や行政が労働基準法を実行しなかった」ということになるでしょう。
ですから、「政府や行政が労働基準法を守らなかった」ということになるのではないでしょうか。

この記事を読まれている読者の方も、

  「そういや、そうだね」

と、感じる方も出て来るのではないでしょうか。
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(引用終わり)

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『二千三百十:小さな疑問』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2014/11/post-a1bd.html

(上記記事より抜粋)
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小さな疑問を持つ機会がありました。

つい、先ほど、NHKの『海外ネット』を見ていたら、以下のサブタイトルに沿った海外情報が流れていました。

「『イスラム国』の横暴、人身売買された少女は」

テレビを眺めていたら、イスラム国の兵士に奴隷として人身売買された少女達は、ドル札で売買されたそうです。
ここで、疑問を抱きました。

イスラム国の兵士達がどうして、人身売買のためのお金としてドル札を持っているのでしょうか?
また、人身売買にもドル札が使用されるぐらいだから、当然、イスラム国の兵士達の日常生活でドル札が使用されているのでしょう。
イスラム国の兵士達の軍資金である、そのドル札はどこから、もたらされているのでしょうか?

小さな疑問を書かせていただきました。

(以下、新ブログ『光と輝き』からのイスラム国に関する過去記事、関連記事、及び、参考文献)
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『二千二百三十一:News_No.526』
●ISIS(イスラム国)テロ集団の指揮官は・・・元米陸軍大将
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2014/10/news_no526-143e.html
http://blog.livedoor.jp/wisdomkeeper/archives/51940247.html
http://the-tap.blogspot.jp/2014/10/senior-commander-of-isis-is-retired-us.html

(以下、上記記事より抜粋して引用)
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(↑ ポール・E・バレー氏)

ベテランズ・トゥデーのゴードン・ダフ氏によると:
ISISの指揮官は、元米陸軍大将のポール・E・バレー氏(Paul E. Vallely)であることが分かり(、、、以下、省略)
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(引用終わり)

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(引用終わり)


                                        坂本  誠

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