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2017年6月14日 (水)

三千百二十九: 幸福と自主性を考えて(独白)

幸福になれない人の心理パターンとして、昨今から考えている。

幸福になれない人は、自分自身で幸福を作ろうとしていないけれど、幾つか、それに付随した行動パターンを身に着けてしまうようだ。

例えば、「私自身は、与えられたことをこなしている。だから、それ以上はやらない」というものだろう。

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この「与えられたこと」というのを具体的に考えてみると、例えば、組織の中で与えられた仕事とか、社会生活の中での、何らかのその人の役割とか、あるいは、古来から現在に至るまでの社会の中で、伝統的・慣習的に「これは、私に習慣づけられている行動の筈だ」と、本人が堅く信じ込んでいる行動等である。

つまり、このケースでさえも、その人自身が自発的にその行動を求めたのではなく、その人自身の外部から、「この行動をしなさい」と言われたかのような感じの下で、引き受けたような感じになっている。

だから、結局、自主的ではない。

また、ここまで読んでわかるように、「そのような人は自立精神に欠けているように感じる」と、読者の方も感じるだろう。

だから、結局、その人の言い分として、以下のような要求事項を、周囲の人に与えることだろう。

  「私は、今現在、これをやってあげているから、あなたは私に幸福を持って来なくてはいけない」

等である。

その人がやっている行動と言うのは、その人からしてみたら、どこかの誰かが、「これをしなさい」という感じで命令を与えられて、「自分は、今現在、この行動をやっている」というものである。

だから、その人からしてみたら、

  「自分の現在実行している行動は、あなたが私に命じたものだから、その見返りとして、あなたは私に幸福を持って来ないといけない」

という思考パターンに陥っているようだ。

結局、本当に自分のやりたいことを自発的に選択して、実行していない。

だから、この手の幸福になれない人も、周囲の人が見て、精神的な未熟さを感じることだろう。

私が書いている「周囲の人」というのは、もちろん、親兄弟などの肉親も含む。

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また、このタイプの人を見るに、自分で精神的な成長をストップさせているとわかるだろう。

この状況だと、その人にとっては、自分の実行している行動は、どこかの誰かから命じられて、与えられたようなものだから、それを超える何かの状況が発生すると、その人は、それ以上考えないし、また、通常とは違った出来事に対しての、自ら創出した、新しい行動に踏み込むことはまず無い。

与えられた箱の外に出ようとすれば、その人は、認知が混乱し、心理的にパニックに陥りやすい。

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このことについて、わかりやすい例を考えてみた。

与えられたこと以外には、考えたくないし、それに関係した事には、何も実行したくない人がいると仮定しよう。

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その人の目の前に、急にUFOが現れて、中から、宇宙人が出て来て、その宇宙人が「Hello! World!」と言って、挨拶してきたとしよう。

彼(あるいは彼女)にとっては、UFOとか宇宙人の存在を知らされなかったどころか、彼は、全く信じていなかったので、彼は混乱することだろう。

そして、いきなり、家に閉じこもって、スマホを取出し、政府のような役所の機関に連絡し、対応を願うことだろう。

なぜならば、彼(あるいは彼女)にとっては、この手の「第三種接近遭遇」と呼ばれている出来事については、「自分は、その役割を与えられていない」と思っているので、「自分以外の存在、つまり、政府のような役場の機関が、その役割を代行するに違いない」と堅く信じているからである。

そして、電話を受けた政府の側の人間にとっても、政府の長年の縦割り行政の結果から、電話を受けた、その人間も、以下のような返答をするのではないだろうか。

  「こちらの方で、その出来事に対応予定の担当部署があるかどうかを確認してみます」

と。

ところが、現実には、その出来事に対応する予定の担当部署が作られていないので、やがて、この手の「第三種接近遭遇」と呼ばれている出来事については、うやむやにされていく。

(余談なのだけど、政府とか、地球上の支配者だと自認している人々が、UFOの中にいるとされている宇宙人の存在を認めないのは、それなりの理由がある、と聞いた事がある。その聞いた内容と言うのは、もし、政府とか、地球上の支配者だと自認している人々が、宇宙人の存在を認めてしまえば、地球上の支配者だと自認している人々が、この地球上の支配者なのに、それ以外にも広い世界があって、その広い世界から見れば、地球上の支配者だと自認している人々が、その広い世界までも支配していない、あるいは支配できないことがわかる。つまり、地球上の多くの人々から見たら、「地球上の支配者だと自認している人々は、井の中の蛙だ」と理解するのである。その結果、地球上の支配者だと自認している人々の、地球支配の実行力が弱まってしまう。だからこそ、政府とか、地球上の支配者だと自認している人々は、UFOや宇宙人の話題となると、かたくなに、その話題を拒否する、と、私は聞いた事がある。また、その手の話題を拒否するために、その手の話題を行う人に対して、「あなたは奇妙な事を言っているので、多くの人々から馬鹿にされて、嗤われるだろう」等のように嘲笑したり、辱めることによって、その手の話題に「議論の必要性は無い」ことを、多くの人々に、強制的に納得させようとしている、と私は聞いた事がある。)

少しだけ話題が反れたのだけど、つまり、「与えられたこと以外には、何もしたくない」と言う人は、結局、それ以外の事に対しては人任せにするようになる。

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比喩的に見てみると、そのような人は箱の中に入っているだけで、その箱の外に出ようとはしない。

だから、知識も広がらないし、もっと広がる筈の知識に応じただけの行動力も出てこない。

結果として、周囲の人が見るに、そのような人は一種の自閉症のように見えるだろう。

この手の比喩的な、自閉症の人は、上に書いているように、自分で自分自身の成長をストップさせているとも言えるだろう。

このタイプの人にとっては、何か新しいことが身の回りに起きると、対応不能なので、容易に認知が混乱し、心理的なパニックに陥りやすいだろう。

つまり、そのパニックは、その人にとっての不幸と言えるだろうけれど、上の流れから理解出来るように、他ならぬ、そのパニックに陥る原因を作ったのは、他ならぬ、その人であるとわかるだろう。

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「幸福は自分の手で作らないといけない」と書いているのだけど、結局、その言葉を聞くと、「自主性」とか「精神的な自立」という言葉を連想すると思う。

「私は与えられたこと以外には、何もしない」という人任せをする人は、上に書いているように、「自分の成長を自ら止めている」ということになる。
だから、「自主性」とか「精神的な自立」の精神を押し留めていることになる。

なので、身の回りに起きてくる、新しい出来事に対応できず、心理的なパニック状態になり、つまり、不幸感覚を得てしまう。

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だから、「幸福を手に入れる」という観点からすると、「私は与えられたこと以外には、何もしない」という考えを持たない方が良いと思う。
また、当然、それを実行しない方が良いと思う。

しかし、人は自由を許されているので、もちろん、「私は与えられたこと以外には、何もしない」という考えを実行しても良いのである。

しかし、上の流れからわかるように、幸福を求めたい人ならば、それを実行しない方が良いだろう。

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次に、「どうして、『私は与えられたこと以外には、何もしない』という人が増えたのだろう?」という疑問が、私達の心中に湧いてくるだろう。

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これを考えるに、これは私達の世界で、よく見られる「組織」が原因と言えるだろう。

私達の周囲には、様々な組織がある。

その組織の内部では、組織の目的に沿って、一人一人の構成員に何らかの特定の役割が与えられる。

その、一人一人の構成員が自分の役割を超えた事柄を行ってしまうと、組織のトップの人間から見たら、その人間は扱いにくい。

その結果、組織の中では、「お前に授けたこと以外に、お前は考えてはいけないし、お前に授けたこと以外の事を実行してはならない」となる。

つまり、組織としては、一人一人の構成員というのは、意思や感情や意見を持たない、ロボットであってくれれば助かるのだ。

だから、私達の周囲に様々に見受けられる「組織」というものが、一人一人の人員をロボットのような、あるいは上に書いているような自閉症のような人材を育て続けてきたことがわかる。

私達の社会に様々に見受ける、多くの「組織」というものは、不要かと思われる。

現在に至るまで、「外敵に備えるため」という名目の下に、あまりにも数多くの組織が必要とされてきたのだが、これは誤りではなかったか。

もっとも、組織というものも、必要とされる時がある。

それは、人間一人だけでは、どうしても達成することが難しいと思われることを実行する目的が、多くの人に認められた時に、また、多くの人が納得した時に、何らかの組織が組まれる時がある。

しかし、通常は、その目的が達成されたのならば、当然、その組織も不要なものとなる。

だから、その組織も解体される時がいつかは訪れる。

また、上の流れからわかるように、組織が個々の人の自由性を奪った結果、「私は与えられたこと以外には、何もしない」ということになり、さらにその結果、不幸な人が増えた、と言えるだろう。


                                       坂本 誠

2017年6月 1日 (木)

三千百二十四: ゲームとギャンブルの違いを考えて

前書き:

前段『三千百二十三:麻雀ゲームを通じての人生論を聞いてみて』で引用した、サイト先のURLを間違えて記載していました。

かなり、シリーズが多かったので、URLを間違えたようです。
以下のように修正しています。

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■修正前:

●土田のオカルト 132.感性を豊かにする方法 | 麻雀ウォッチ
http://mj-news.net/column/tsuchida-mjall/tsuchida_occult/2017052957307

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■修正後:

●土田のオカルト 132.感性を豊かにする方法 | 麻雀ウォッチ
http://mj-news.net/column/tsuchida-mjall/tsuchida_occult/2017052757303

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ちなみに、修正前のURL「http://mj-news.net/column/tsuchida-mjall/tsuchida_occult/2017052957307」は、「土田のオカルト 134.強さには限界点がない」を指していました。

前書き終わり

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こんばんわ。

前段『三千百二十三:麻雀ゲームを通じての人生論を聞いてみて』で、麻雀のことについて書いてみました。

前段を書いた後で思いついたのですが、最近では、「法的にカジノを許可しよう」という法律が出来そうだと聞いています。

このカジノに関する法律は、別名ギャンブル法とも言われていますね。

このゲームとギャンブルの違いについてのエッセイを書いてみようと思い立ちました。

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「ゲーム」というものは、何らかの人の遊び事だと言えるでしょう。

一人か、複数の人が集まって、何らかの遊具を使って、楽しむものだと書けるでしょう。

そして、「ギャンブル」というものについて迫ってみましょう。

私が考えるに、この「ギャンブル」というものは、何らかの運の要素の強いものを使って、その運に沿って、金銭を入手する手段だと言えないでしょうか。

私達の生活の中でも、ゲームの中には運の要素の強いものがあります。

そして、その運の要素の強いゲームを使って、そのゲームに金銭獲得の手段を絡(から)ませたものが、いわゆる、「ギャンブル」というものになっているケースが多いのではないでしょうか。

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ですから、麻雀でも、最近では「ノーレート・マージャン」とか「健康麻雀」と言われているものがあります。

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この「ノーレート・マージャン」というのは、いわゆる、金銭を賭けない麻雀です。

さらに、「健康麻雀」となると、「ノーレート・マージャン」が採用されている上に、対局中は禁煙が義務付けられています。

「ノーレート・マージャン」とか「健康麻雀」になると、人はそれに賭博性を感じないでしょうから、それらは、つまり、ゲームと言えるでしょう。

しかし、これとは逆に、金銭獲得の手段に転用されたゲームが「ギャンブル」と言えるようになるのではないでしょうか。

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巷では、「カジノ法と呼ばれるものが決まれば、世に、ギャンブルを行う人が増えて困る」という懸念がなされているようです。

つまり、この手の真の問題とは、ゲームそのものでは無く、何らかのゲームに対して、金銭獲得の手段を絡めて、そのゲームを使って、ギャンブルを行うことに問題を感じる、と言っていることになるでしょう。

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さらに今一歩、このギャンブルというものの問題を考えてみたいと思います。

「このギャンブルによって、金銭を獲得することに問題がある」と言われているようです。

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このギャンブラーと言われている人は、何らかのゲームを使用した、ギャンブルを行って、お金を入手するのかも、知れませんが、ギャンブルに使われているゲームには運の要素の強いものが多いので、いつも、勝つわけとは限らないようです。

いつもいつも、そのギャンブルで勝っていれば、常に安定した収入となるのでしょう。

しかし、運の要素が強いので、いつも勝つとは限らないので、負ける日もあることでしょう。

結果として、ゲームを愛好するのではなく、ギャンブルを愛好するようになれば、手持ちの現金の増え具合とか減り具合が激しくなり、その人の生活が荒れることでしょう。

報道でも、よく報じられているケースで、「ギャンブルには非常に問題がある」とされているのは、このケースだと思います。

つまり、この手の「困ったギャンブラー」というのは、「ゲームそのものを愛好している」というよりも、「ゲームを転用した、金銭獲得手段であるギャンブルを愛好している」と言えるでしょう。

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つまり、私の見立てによると、この手のギャンブルの問題というのは、実はお金の問題と言えると思います。

私のブログを昔から読んで下さっている読者ならば、私が以前から、お金の問題点等を書いていることをご存じでしょう。

ですから、このように、お金の問題について、ストレートに語ることが出来ます。

しかし、お金の問題点について、多くの方は語りたくないかもしれませんから、私がここまで書いたように、「ギャンブルの問題とは、ゲームそのものの問題ではなく、実は、お金の問題なのだ」と、素直に語りにくいかもしれません。

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ですから、世には「自分はギャンブル依存症から抜け出たい」と願っている方もおられるかもしれません。

そのような願いを持たれている方が、私のブログを読む機会があるかどうかはわかりませんが、上の流れをふまえつつ、以下のような自問自答してみると、ギャンブル依存症から抜け出せる機会となるのではないでしょうか。

  「私は、ゲームそのものを楽しんでいる、というよりも、金銭そのものの方を愛好しているのではないだろうか?」

と。

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ところが、私達の間に普及しているゲームとして、例えば、将棋とか囲碁とか麻雀とかチェスとかオセロ等があると思います。

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将棋とか囲碁とか麻雀とかチェスとかオセロ等のゲームだと、金銭を賭けていない人も多いことでしょう。

実際、それらのゲームを楽しむ際には、金銭を賭けていなくても面白いのですね。

つまり、これらのゲームを楽しむ人は、それらのゲームに込められているゲームの面白さ自体を楽しんでいることがわかるでしょう。

つまり、それらのゲームと金銭を切り離すことが可能なのです。

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しかし、これとは逆に、金銭が非常に絡められたゲームがあります。

中には、「金銭のやり取りが絡められていないゲームというのは、非常に面白さを感じない」というゲームも世にはあるかもしれません。

こうなってくると、「それはギャンブルだ」と言えるでしょう。

また、もし仮に、未来において地球上から金銭というものが消えたと仮定しても、将棋とか囲碁とか麻雀とかチェスとかオセロ等のゲームが廃れることは無いことが私達にわかります。

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私が見るに、非常に偶然性の要素の強い、つまり、運の要素の強いゲームが、ギャンブルに転用されているようにも見えます。

「それらのゲームにも奥の深いものがありますよ」という手合いの解説書も出回っているようです。

だから、私もそれらの解説書を読めば、奥の深いものを感じるのかもしれません。

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私はそのようなゲームをしないからわからないのだけど、もし仮にこの地球上からお金が消えたと仮定するならば、「私がそれらのゲームに何らかの醍醐味や面白さを感じるだろうか」という疑問を持っています。

金銭のやり取りに非常に主眼を置いているゲームというのは、いわゆる、お金の方に重きを置いているのだから、ゲーム自体の面白さからは外れているように感じます。

ですから、「楽しいゲーム」というものではなく、ゲームという名称を与えることが出来ずに、「金銭のやり取りを行い、それを楽しむシステム」と言えないでしょうか。

そのシステム名こそがギャンブルとか賭博と言われているものではないでしょうか。

様々なゲームの指南書が出ているし、また、世には数多くのゲームがあります。
私も、この世の全てのゲームを体験したわけではないし、それぞれのゲームにはゲームの指南書もあることから、各々のゲームの醍醐味や面白さやリスクを全て把握しているわけではありません。

しかし、「ギャンブル」と言われるシステムから遠ざかりたい、と願うのならば、その娯楽システムと金銭のやり取りが密接に絡んでいると見受けられるものには近づかない方が良いかと思います。

だから、その手のゲームの指南書を紐解いてみると、金銭のことが、ほとんど書かれておらず、そのゲーム自体の面白い点が、ただひたすら記述されていることでしょう。

なので、「何かのゲームを楽しみながら学んでみたい」と思って、何かの新しいゲームの道に入ろうとする時に、その手のゲームの指南書が、金銭のことについて、ほとんど書かれていないのだけど、人に、そのゲームの面白さを宣伝しているのならば、その手のゲームは安全性が高いと思われます。

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こぼれ話程度に書くのですが、太平洋戦争の前だと、いわゆる「賭け将棋」というものが非公式に存在したそうです。

対局者同士が、高額なお金を賭けて、その将棋を実行していた事もあったそうです。

しかし、現在では(中にはいるかもしれないけれど)、そのような「賭け将棋」を行うプレイヤーは存在しないのではないでしょうか。

現在では「賭け将棋」というものは、ほとんど行われていないでしょうから、「将棋は健全なゲームである」と、多くの人々は思っていることでしょう。

しかし、ここで書いているように、人間の側が「健全なゲーム」とされているものに対して、賭博の要素を与えると、その「健全なゲーム」に対して、急に「汚らわしいゲームのように感じる」と、人は感じるのではないでしょうか。

(ですから、現代でも「賭け将棋」というものを実行することも可能だとわかるでしょう。)

要は、人間の道具を善用するか悪用するかの問題であると、私は見ています。

そして、巷では、「ギャンブルというゲームには非常に問題がある」と言われていますが、この本質を突き詰めていくと、それは、「ギャンブルというものの本質の問題とは、人間の金銭への問題が絡められたもの」と、私は見ています。

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                                       坂本 誠

2017年5月25日 (木)

三千百二十一: 依存心の強い人を見るに(独白)

「日々の生活を送る」ということは、誰でもが毎日、人間観察をするということである。

人によっては、朝から晩まで、たった一人きりの環境で自分自身を相手として生活をするパターンもある。
しかし、そのようなケースだと、他ならぬ自分自身を観察している。
あるいは、過去、交際した人を振り返って、その友人を観察している場合もある。

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そのような誰でもが行っている人間観察を、何気なく、行うと、私の脳裏に一つのパターンを持った人々が現れる。

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以前から書いているのだけど、その「一つのパターンを持った人々」の特徴というと、「自分自身で自分の幸福を作ろうとしない人」と言えると思う。

以前、このタイプの人の事を「椅子に座ったままで、その状態で、どこかの誰かが自分の口に大量のチョコレートを入れてくれるのを、いつも期待している人」と書いた。

要するに、このタイプの人の性格の特徴は、「自分自身で自分の幸福を作ろうとせず、どこかの誰かが、自分に大量の幸福を持って来てくれる」と、願っている。

だから、このタイプの人は、その人の周囲の人に対して、多くの要求が出してくる。

そのタイプの人のその手の発言は、時と状況に応じて、無数の変化をするけれど、煎じ詰めて要約してみると、常に以下のセリフを周囲の人に言っていることになる。

  「あなたは、私のために幸福を持って来い。そのためには、私の言うことを聞きなさい。そして、私のために尽くすのだ」

あるいは、

  「あなたの行動の具合が悪いから、私がその影響を受けて不幸になるのだ。だから、あなたが悪い」

あるいは、

  「あなたが私の言うことを聞かないから、私が不幸になるのだ。だから、あなたは私の言うこと(命令や要求等)を、正確に実行しなければいけない」

云々等々。

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他にも、時と場合に応じて、様々なセリフを考えられるけど、以上の3つの例を挙げれば、充分だと思う。

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このタイプの人の、そのようなセリフは数々のパターンがあるけれど、ほぼたった一つのことを、様々に言いまわしているのに過ぎない。

結局、その人の言わんとしている、たった一つの内容としては、

  「私は自分の手で自分の幸福は作らないけれど、あなたが私の幸福を持ってくるべきなのだ。その、あなたが私に幸福を持って来ないので、あなたが悪いのだ」

だろう。

この、たった一つの内容を、極めて多量のバリエーションを作って、そのバリエーションであるところの、彼(あるいは彼女)の要求を、周囲の人に突き付けて来るのだ。

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つまり、彼(あるいは彼女)の身なりが、以下に大人の体型をしていようとも、あるいは、彼(あるいは彼女)が、いくら白髪頭をした老人の姿をしていようとも、彼(あるいは彼女)の心は、非常に未熟であり、幼年時代の精神状態を、そのまま、ひきずっていることがわかる。

そして、このタイプの人々の心の内から発せられる、不満やそれから発生する、周囲の人々への、強い要求や命令が、幾つも行われる。

だから、彼(あるいは彼女)の周囲の人々は、彼の愚痴や不満や要求や命令(等々)を日々に聞かされるので、うんざりしてくる。

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(ここで、あらかじめ断っておきたいのだけど、「自分の幸福は自分で作らないといけない」と書いているけれど、幸福 =(イコール) 金銭 とは書いていない。金銭の多寡の状態と、その人の幸福の度合いは違っているからだ。しかし、あらゆる人には思想の自由が許されているから、「幸福とは大量の金銭を保有している状態だ」と考えても良いわけです。そして、当然、その大量の金銭を保有している状態になりたい、と願って、その行動を実行することも許されています。ただし、私が感じるに、他ならぬ、その方向自体が、不幸を招く方向である、と感じたりするのだけど)

要は、このタイプの人々は、依存心の非常に強い人間だと、私達はわかる。

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そして、他ならぬ、このタイプの人々には、常に、その人に身に不幸が訪れていることになる。
なぜならば、その人の周囲の人々が、常に、彼の口の中に大量のチョコレートを放り込み続けないといけないので、彼は常に飢えているのだから。

彼(あるいは彼女)は、日頃、以下のように言う。

  「私の不幸の源は、常に、自分の周囲の人からやって来ている」

と主張している(要は、自分の幸福を自分の手で作ろうとしていないだけなのだけど)。

彼(あるいは彼女)が、「あの人が悪い。この人が悪い。その人が悪い。あなたが悪い、周りの全部が悪い、、、」と果てしなく繰り返すので、彼は次第にノイローゼや、その他の精神病に罹っているような気がするので、彼は、やがて精神科の門をくぐるかもしれない。

また、上に書いた、例としてのセリフ「あの人が悪い。この人が悪い。その人が、、、」の文面を見ただけでも、このようなことを言う人は、不満と不幸を感じているから、それらのネガティブな雰囲気をばらまいている、ともわかる。

彼(あるいは彼女)から見れば、「常に、私の外部から私の内部へと、私の不幸が流れ込み続けている」と、感じていることだろう。

しかし、上からの流れでわかるように、この手のノイローゼに塗る薬は存在しない。

彼(あるいは彼女)にとって、本当に必要な真の処方箋とは、「他の人に頼らず、自分の幸福は自分で作りなさい」であり、読者の方々は、上からの流れでわかるように、すでに、あなたの胸中で、その答えを手にしていることだろう。

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(上に「他の人に頼らず、自分の幸福は自分で作りなさい」と書いたのだけど、ここで、ある人が一念発起して、「自分の幸福は自分の手で作ろう」と思い立ち、「幸福 イコール 金銭だ。だから、私は大量の金銭を追いかけよう」となると、その人は、「大量の金銭の所有欲」を持っていることになる。だから、その手の欲に、その人は振り回されて、不幸になる。なぜならば、「金銭のカラクリ」というものは、イルミナティ達が作った。要するに、私達が日頃よく見かける金銭には、彼等の作った大量の罠が仕掛けられていた。この段落で、彼等の作った大量の罠を紹介するには、余りにも紙数が足りない。だから、ネットの検索等で、初めて、私のこの記事にヒットした方は、御面倒でも、このブログの過去記事を紐解いて、どうか丁寧に読まれてください。)

(他ならぬ、このイルミナティ達こそが、上に書いた、非常に依存心の強過ぎる人間達であることもわかるけれど。)

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また、この手のタイプの人は、「自分の外部から幸福が流れ込んでくるもの」と固く信じ込んでいるから、外面にこだわることが多い。

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例えば、「自分のルックスはどうか」とか「自分は、どんな豪華な衣装を身に着けているか」とか「自分は、どんな立派な自動車を持っているか」とか「自分は、どれほど立派な肩書を持っているか」とか「自分は、どれほど豪華な家を持っているか」等々、、、

「自分の内部には幸福があまり住んでいないので、自分の外部のものに自分の幸福が宿っている」と思いがちである。

このような状況だと、資本主義社会の商業主義によって、大量の華やかな物品を見せつけられて、それらを欲してしまい、大金を失いがちになってしまうだろう。

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だから、このタイプの人からの「あなたは私の命令通りに動きなさい」というたった一つの真の思いから派生した、非常に諸々のバージョンのセリフを聞かされる周囲の人は、うんざりしてくるだろう。
そして、そのうんざりとなった、周囲の人が彼(あるいは彼女)に出す、真の処方箋の言葉「自分の幸福は自分で作らないといけない」を伝える機会も出てくるかと思われる。

しかし、上の言葉「自分の幸福は自分で作らないといけない」を、彼(あるいは彼女)に処方する際には、その時と場所を選び、かつ、冷静に、慎重に伝えた方が良いかと思われる。

また、当然、処方される彼(あるいは彼女)との会話の際には、もちろん双方とも激情に駆られずに冷静に伝え合った方が良いと思われる。

なぜならば、時と場所を間違えたり、激情を交わすような会話に陥ってしまえば、比喩的な表現をすると、彼(あるいは彼女)が、あなたに噛み付いてくるかもしれないのだから。


                                       坂本 誠

2017年5月15日 (月)

三千百十七: 私達の社会のルール作りを考えて(独白)

私達の世界を見てみると、どんな国でも、憲法とか法律と言われる、ルールが存在しているのに気が付く。

そのルールというのは、その国、つまり、その地域のグループの内部の人達の間で使用されていると言われている。

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現在、多くの国があるのだけど、どこの国の法律も、かなりの量が作成されているらしい。

例えば、日本の法律だと、その「日本全体の法律をほぼ網羅している」と言われている本が、本屋さんに並んでいる。

その本を見てみると、かなり分厚い量であることがわかる。
つまり、毎年毎年、日本でも多くの法律が作成されている。
そして、そのような本のページ数は、どんどん増加していることが誰にでもわかる。

私達は以下のように考えないだろうか。

  「日本の法律を収録した本の厚さが、富士山の高さを超えるのは、いつの日になるだろうか?」

と。

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外国の法律も、事情は、ほぼ同じだろう。

だから、上のセリフを、ちょっとアレンジしてみると、

  「我が国の法律を収録した本の厚さが、エベレスト山の高さを超えるのは、いつの日になるだろうか?」

と。

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要は、人は、果てしなく作り続けられている、おびただしい量の法律の数の多さを見て、

  「人が記憶できない程の量、つまり、これほど大量のルールが、私達に本当に必要だろうか?」

と、感じる日も近いのではないだろうか。

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日本でも、国会の開催されている期間だと、ほぼ、毎日のように、法案が審議されている。

だが、それらのおびただしい量の法案を、多くの人が見て、本当に必要性を感じるだろうか。

普通、人はあまり言わないけれど、多くの人は以下のように心の中でつぶやいているのではないだろうか。

  「これ以上の数の法律は必要ないよ」

と。

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と言うのも、もし私達が、「これ以上の数の法律は要らないよ」となると、結局、代議士(国会議員)の仕事が無くなる、ということを意味していることがわかる。

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つまり、これだと、代議士達の仕事が無くなるので、彼等の職が無くなることを意味している。

そうなると、彼等は一月150万円ぐらいの給与と言う名のお金を手にすることも出来なくなる。

日本だけとは限らないけれど、各国の代議士達(国会議員達)が、あれほど「この法案は、我が国の国民にとって、非常に重要であり、、、(云々、等々)」と、声高にマイクに向かって、叫び続け、国民達の目を向けさせようとしているのは、自分達の存在感が薄れないようにさせるための、決死なまでの悲痛な叫び声ではないだろうか?

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巷に流れる、新聞記事やニュースを、多くの人が見るにつけ、もはや、「我々(代議士達)は、これからも、大量の法律作りに、更に更に励まなくてはいけない」という、心意気を感じる事が無いだろうか。

増え続ける法律を、無理矢理なまでに、更に増やそうとしているように見えてくるかもしれない。

人は、それほど多くのルールを欲さないことだろう。

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人々が、大量の法律(ルール)を必要しなくなると、上に書いたように、各国の代議士達(国会議員達)が失職することになる。

だが、それだけではない。

なぜならば、現在でも、法律関係の様々な職業がある。
裁判所とか、法律事務所とか、社労士とか、法律学校の関係者とか、法律関係の出版社、、、等々の、様々な人がいる。
要するに、法律作りの下には、様々な一大組織、一大産業が出来上がっている。

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当然、もし、「これ以上、大量の法律を作らない」となると、その人達も数多くが失職してしまうと予想される。

だから、きっと、「法律作りの下にある、様々な一大組織、一大産業」の人々は、代議士達(国会議員達)の言い分を持ち上げたり、あるいは、褒めちぎるかもしれない。

あるいは、そのような人達は、大量の法律作りの行為を賛美するような主張を行うかもしれない。

(以前から書いているのだけど、要は、失職の恐ろしさが私達に与えられている。本当は仕事を失うことが恐ろしいのではなく、従事していた業務から降りて来ていた、「給与と言う名のお金が得られなくなる」と言うことが、真に恐ろしい、と感じさせられているのだけど。)

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要は、私達の目で見ている社会はマトリックスなのだ。

「マトリックス」の本当の意味は「行列」と言う意味だけど、過去、SF映画で『マトリックス』というものが上映され、その映画が大ヒットした。

そのSF映画『マトリックス』のあらすじというのは、「私達の見たり聞いたりしている社会の全ては偽造社会である」というものだった。

ここから、多くの人々が「マトリックス」という単語を聞いて、すぐに思い浮かべるイメージとして、「マトリックス =(イコール) 偽造社会」を思い浮かべるようになった。

もちろん、私がここで書いている「マトリックス」の意味も「偽造社会」の意味だ。

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上から書いているように、「法律(ルール)も、そんなに大量に必要ないだろう」とは感じるものの、いまだに、大量の法律が作られている。

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そして、その法律や法案の内容を見てみるに、「それらの法律や法案に、どこか恐ろしいものを感じる」と感じる人々も増えているのではないだろうか。

もともと、どんな人々の間でも、若干のルールが求められたりする。

しかし、それらのルールというのは、結局は人々を安心させ、守るためにある。

しかし、人が昨今の法律や法案の内容を見てみるに、多くの人を威圧したり、あるいは、恐ろしさを感じるものではないだろうか。

「人々の安全、暮らし、あるいは幸福の向上を図るためのルール(法律)作り」ではなく、「それとは全く反対の方向を向いているのではないだろうか」と、感じる人々が増えているのではないだろうか。

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日本だけとは限らず、「私達が我が国の法律を制定します」と言っている人達がいる。

その人達は代議士(国会議員)と言われている。

しかし、世界の多くの人々達も、自国の代議士(国会議員)を見て、「彼等は私達(有権者)の代表者だ」と思わずに、「彼等は、どこかの国の王様に仕える親衛隊か近衛兵(このえへい)のように見える」と感じる人も多いのではないだろうか。

国とか国家と呼ばれるものは、その国に住む国民の集合体のことである。

しかし、「どこかの国の王様に仕える親衛隊か近衛兵」となると、彼等の作業と言うのは、自国の民人のためになされているのではなく、「どこかの国の王様」のためにやっているのだから、その国のための作業とはならなくなる。

20101103132759

 

あるいは、その親衛隊か近衛兵の人々が、自分達のグループのためのルール作りをしているように見えるかもしれない。

上に書いた「自分達のグループ」というのは、「親衛隊」とか「近衛兵」である。

彼等は、その「親衛隊」とか「近衛兵」内部で適用されるであろう、グループ内のルール作りをしているかのように見えるのだけど、その「親衛隊とか近衛兵でのグループ内部のルール」を、「この国全体のルール(法律)とさせよう」と、彼等が言っているように感じる人も出てくるのではないだろうか。

(あるいは、代議士のような存在を、どこか遠い他国の人のように感じる人も世にはいるのではないだろうか。)

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このような、私達の間でのルール(法律)作りも、私が上に書いてきたように、様々な弊害が考えられるようになってきた。

だから、こういったルール作りも、現行の代表民主制ではなく、コンピューターとインターネットを使用した、「直接民主制」を実施された方が良いと思う。

私が上に書いた、直接民主制についての詳細は、『三千百:私達の本来の政治システムである「直接民主制」について』を、どうか参照して下さい。

でも、代表民主制を終了させて、直接民主制を実行させるとなると、日本で言うならば、衆議院と参議院の廃止となるから、日本国憲法の変更が必要になってくるのだけど。


                                       坂本 誠

2017年5月11日 (木)

三千百十六: お知らせ

こんにちは。

現在、パソコンの整備中にて、少々、お休みを頂きます。

何卒、ご了承下さい。

                                       坂本 誠

2017年5月 8日 (月)

三千百十四: 幸福の追求方法と地球の問題を考えて(独白)

どんな人でも、自分の幸福は自分で作っている。

これを言い換えると、自分の不幸は自分が作っていることになる。
他の誰かがやって来て、「その人に不幸を与えた」ということにはならない。

また、これだと、自分の幸福というものは、他の人が作り出すことは出来ない。

他の人がやって来て、何かをその人に与えても、その人は、なんとなく、「自分の幸福が他の人からもたらされた」ように見える。
しかし、本当は、その与えられたものは幸福ではなく、施し物(ほどこしもの)と言い換えられるものだと気が付く。

「他人からもらった施し物」と「その人の幸福」というものは、これはイコールの関係では無い。

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喩えてみると、どこかの誰かが、大量のチョコレートを持って来て、椅子に座っている人の口に、その大量のチョコレートを入れ込んだとしよう。

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その大量のチョコレートを自分の口の中に入れ込まれた人は、その時は、かなりの嬉しさを感じるかもしれない。

なんとなれば、全く苦労も無しに、美味しいお菓子が手に入ったのだから。

ところが、その後は、そのチョコレートを頂いた人は、だんだん、不幸感覚を抱くようになる。

なぜならば、そのチョコレートを頂いた人は以下のように思い始めるから。

  「どうして、誰も私の口に、大量のチョコレートを入れ込み続けてくれないのだ。以前、私は何の苦労も無しに、美味しい大量のチョコレートを手に入れたのに、今では、誰も、チョコレートを私の口に放り込んでくれないから、今現在の私は不幸だ」

と。

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上の喩え話のように、何の苦労も無しに、美味しいお菓子とか面白いプレゼント等を大量の施し物として受け取っていた人は、やがて、不幸を感じ始める。

最初は、何の苦労も無しに、それらのありがたい施し物を受けていたのだが、周囲の人が、その人にその施し物を与えなくなると、その施し物を受けていた人は、周囲の人に対して、強い要求や不満を突き付けるようになる。

Pa120146

 

「自分以外の周囲の人に対して、何らかの強い要求や不満の念を抱く」というだけでも、かなりの不幸感覚だろうけど、これがさらに進めば、周囲の人に対する恨みや呪いの念となるだろう。

「そのような恨みや呪いの念を抱く」となると、施し物を受けていた人の心は、現在、非常に不幸だと言えるだろう。

このような人が身近にいると、周囲の人々の顔は、かなり曇ることだろう。
マンガ的な表現を使うと、「(悪い意味での)背後霊が背中にびったりと貼りついている」ということになるだろう。
その背後霊が「あなたは私の面倒を見続けなさい」と苦渋の顔をして言い続けてくるのだから。

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上の喩え話から考えても、「自分の幸福は自分が作らないといけない」となる。

また、「どこかの他人が、自分に施し物を与えてくれる時もあるかもしれない。『自分に与えられた施し物』と『自分の幸福』とは違っている」と、人は感じるかもしれない。

この点を進めると、人は気が付いてくる。

  「他の人に対する要求は、少なくしないといけない。なぜならば、周囲に人に何らかの出来事を期待しても、それは自分に対する、周囲の人からの自分への施し物と言えるから」

と。

つまり、私達が周囲を見回すに「他人に対する、要求の強い人」というのは、かなり不幸感覚が強いことがわかる。

なぜならば、様々なケースがあるけれど、そのような人は、その人自身の理想状況を他人に押し付けたり、その人自身の願いを他人に押し付けたり、あるいは、何らかの状態を他人に強要しているのだから。

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要するに、「他人に対する、要求の強い人」というのは、他の人に向かって、「私の幸福のために、あれをしろ。これをしろ」と言っていることになる。

そして、その命令を与られた人が、その命令を実行して、その実行の結果が「他人に対する、要求の強い人」にとって、気に食わなければ、「お前の命令の実行具合が悪いので、私が不幸感覚に陥るのだ」と言っていることになる。

つまり、他人に対する願い事というのは、その願い事を他人が実行して、その他人の実行の具合を、その願い事を与えた人が気に入らないといけないので、なかなか、その願いが叶うことは非常に少ない。

だから、「他人に対する、要求の強い人」というのは、常に不幸感覚も強く、始終、曲がった口や不愉快な目つきをしたり、尖った口調をしているかもしれない。

(「世の王様を気取っているような人の苦しみというのは、このようなものだ」と、読者の方々は考えるかもしれない。人類史の中で、数多くの王様が現れるけど、彼等は数多くの人々に対して、何かの要求(命令)を下し、自分の望む状況を手に入れようとしたのだけど、「なぜ、あんなに数多くの怒り狂ったシーンが描写されたのか」の理由を考えるに、しっかりと、その王様達の心を洞察した方が良い。)
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上の流れから進むに、「私達は、どうやって幸福を手に入れたら良いのか?」となる。

その方法としては、他の人に対する要求を低くし(あるいは、全く要求せずに)、そして、自分の幸福は自分が作らないといけないから、極力、自分自身の手で自分の欲しい物を作ったり、あるいは、何らかの自分の欲しい境遇・環境を自分自身の手で作らないといけない、と、人は気が付く。

要するに、他人に対する要求(願いや依頼)の心が強ければ強い程、その人は、それに比例して、強く不幸であることがわかる。

ましてや、私のブログで時々紹介しているカバールやイルミナティ達は人類支配を考えている。

だから、上の流れから行くと、彼等の不幸感覚は、人類最大クラスのものと言えるだろう。

(彼等は人類の社会構造を巨大ピラミッドにして、その巨大ピラミッドの頂点に君臨したいそうだけど、その巨大ピラミッドの頂点に彼等の作っている最大の苦しみが置かれている、という光景を、想像するに、私は、何か奇妙なものを感じてしまう。)

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(実は、ここからが、この段落の本題なのだけど。)

しかし、ここで重要なことに思い当ってしまう。

というのも、誰でもそうだけど、「私達が生きている間には、その全ての生活必需品を、自分一人で作り出すことが出来ない」というポイントだ。

私達が生きている間、全ての衣食住や全てのエネルギーをたった一人で作り出すことは出来ない。

もし、私達、一人一人が、自分自身が必要とする全ての衣食住や全てのエネルギーをたった一人で作り出すことが出来れば、おそらく、その人は、他の人に対する要求や願い事は一つも無いから、その人は一生涯、幸福と言えるだろう。

しかし、現実には、それは出来ない。

だから、生きている間には、どうしても、他人に依存する何かが出来てしまう。

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実に、私達の社会では、これが最も重要なことだったと言えるかもしれない。

だから、このような社会だと、一番上の例に挙げた「大量のチョコレートを欲しがる人」のように、非常に依存傾向の強い人物が生まれ育つ可能性があったと思う。

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私達が植物のように、太陽光線を受けて、光合成によって、活動エネルギーを得られる存在だったと仮定しよう。

つまり、これだと、私達は「食べる」という一日三度の儀式が無かったことだろう。

だから、他人に対する依存の度合いは非常に少ないと言えただろうから、その植物性の人間は幸せだったと言えるかもしれない。
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しかし、反面で言えば、「その植物性の人間は、額に汗して努力して、その努力の結果を見て、幸福感を得る」という手合いの幸福を手に入れられなかっただろう。

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しかし、今現在の私達としては、そのような植物性の人間ではないのだから、ある意味、常に飢餓の恐怖に怯えつつも、その恐怖を克服するために、努力をしているのかもしれない。

しかし、やはり、反面から言えば、人間には「飢餓の恐怖」というものを与えられていた。
だから、食糧の略奪・横領とかエネルギーの奪い合いとか、それの延長として、他の人々よりも多くの財産や富や金銭の貯蓄が非常に推奨される、というケースになったかと思う。

この状況によって、日本の歴史で言うならば、弥生時代に稲作システムが大陸から伝えられた時に、「倭国大乱(わこくたいらん)」と呼ばれる、大戦争時代があったけど、このような「飢餓の恐怖を克服しよう」という、その意向自体や、稲作システムが、別の意味の人間の不幸を作ったと言える。
なので、「人心の成長のために、反面教師として『飢餓の恐怖』を与えてみよう」という、地球の造物主(地球にいるかもしれないけれど)の、そのような試みの半分は成功して、残りの半分は失敗したのではないかと、私は考えている。

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また、別の例から考えてみる。

私達が死んだ後、天国の住人になると(「天国」というものではないのかもしれないけれど)、その状態だと、私達には胃袋も無く、また、肉体も持たない、と言われている。

つまり、その故人には、飢餓の苦しみもなく、何一つエネルギー不足にも悩むことも無いだろう。

つまり、この状態だと、その人は何一つ生産していないけれど、何も困ることは無いから、つまり、他の人に対する要求が一切無いことがわかる。

だから、全く確かに、その存在は幸せだと予想出来る。

世には数多くの人がいるのだから、人によっては、そのような状況が必要なのかもしれない。

しかし、ある意味、そのようなエネルギー体のみの生活となると、他の人も想像できるように、「それは、ずっと、揺り籠(ゆりかご)の中で生活している人」と言えるかもしれない。

だから、そのようなエネルギー体のみの生活をし続けた人が、初めて、私達の地上に生を受けてみて、いざ、生活を始めて見ると、一番冒頭に挙げた人のように、「大量のチョコレートを欲しがる人」になってしまうかもしれない。

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だから、この点から考えてみると、私達の暮らしている生活というのは、現在の私達のライフ・スタイルを欲する人も出てくるだろうし、あるいは、そのライフ・スタイルを好まない人も出てくるかと思われる。

Pa190149

 

このようなポイントがあるのだから、(地球にいるかも知れない)造物主としては、ある意味、成功して、ある意味、失敗したとも考えられる。
だから、そのようなライフ・スタイルを好むか好まないかによって、それぞれの人の進みたい方向に進ませるのが、造物主のしないといけないことではないだろうか。

ある個体ならば、そのようなライフ・スタイルを送るのに了承するかもしれない。
しかし、ある個体ならば、そのようなライフ・スタイルを選択せずに、何かの別の他のライフ・スタイルを選択するかもしれない。

ある個体が別のライフ・スタイルを好み、選択しているのに、その個体と(地球にいるかも知れない)造物主の間に、わだかまりを持ち続けて生活するというのは、それは双方にとっての不幸と言えるだろうから。

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いずれにしても、あまりにも難しい課題と思われるものを実行していることに関しては、それを実行している造物主と言われる存在も心中に、何らかの、わだかまりや、こだわりがあるのかもしれない。

また、そのようなライフ・スタイルを享受して、日々を送っている個体の方も、「何か別の方向を模索してみたい」という意向があるならば、そのような意向や意見も十分に尊重されないといけないと思ってしまう。

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しかし、私達の地球のライフ・スタイルは一変しようとしているのかもしれない。

なぜならば、私のブログでも紹介しているけれど、現在、たった今でも、人間の労働現場に大量のロボットが進出している。
だから、大量の人間の労働が、ロボットの代行作業として置き換えられつつある。

また、以前、不食(ブリザリアン)の人の紹介として、私は以下の過去記事を出したことがある。

『九百七十六:私の見かけた情報_No.19』
●宇宙の粒子や空気を食べて生きていると主張するウクライナの「ブリザリアン(不食)」モデルの話から「松果体とエネルギー」にまで考えが飛躍してしまいました
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2014/03/_no19-db8f.html
http://oka-jp.seesaa.net/article/391713988.html
http://www.dailymail.co.uk/femail/article-2570013/Human-Barbie-Valeria-Lukyanova-reveals-STARVES-Breatharian-believes-live-air-containing-cosmic-micro-food.html

(上記記事より抜粋して引用)
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自称ブリザニアンでリアルバービーと呼ばれるウクライナのモデル、ヴァレリア・ルキャノバさん

Valerialukyanovatop1

インド人、プラーラド・ヤニ氏

Afpinedia1

イロム・シャーミラ・チャヌ、公民権活動家、政治活動家

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(引用終わり)

地球上の全ての人が不食(ブリザリアン)の人となることを受け入れるかどうかは、私はわからない。

この「不食」の状態だと、私達は食の喜びを失うことにはなる。
しかし、別の側面から言うと「食に関する苦しみから永遠に解放された」とも言える。

そのような人々が増えるかどうかはわからない。
しかし、これらの情報を見る限り、地球上で長らく続いた、「人類の反面教師として、与えられた飢餓の恐怖」とか、それらから大量に派生したと思われる、かなり多くの苦しみ・不幸等々から人間が解放される方向にあるように見える、となると、「私達の地上社会でのライフ・スタイルに、かなり大がかりな変化が起きているらしい」となる。

なので、その変更具合も、かなりしっかりと実感・体感してみる必要があるように、私は感じてしまう。

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                                       坂本 誠

2017年5月 4日 (木)

三千百十三: 憲法記念日に憲法のことを考えると

こんばんわ。

昨日の5月3日は、日本では憲法記念日の祝日でした。

ですから、日本国憲法に関する話題を書いてみたいと思います(ちょっと長くなったのですが)。

もちろん、こんな手の話題ですから、出来るだけ、肩の凝らないような雰囲気で書きます。

まずは、日本国憲法の前文を紹介します。

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日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。
そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。
これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。
われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。

日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。
われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。
われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。

われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。

日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。
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日本国憲法は100条以上ありますが、一番大事なのは、この「前文」と呼ばれているものです。

そして、重要なことですが、この日本国憲法の「著者」と呼ばれている方の著者名が無いのに、あなたは気が付くと思います。

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そして、アメリカとかフランスとか中国の憲法を見ても、この「前文」に相当する部分があるのですが、各国の憲法の前文にも、「著者、誰それ」というのは書かれていません。

その代わりに書かれているのが、上の日本国憲法の前文にあるように、「日本国民」とあります。
日本国憲法の前文の主語は「日本国民」となっています。

つまり、「この日本国憲法の前文や日本国憲法の全ての条文を誰が書いたのか?」という疑問の答えは、「日本国憲法を書いたのは、全ての日本国民である」となります。

外国の憲法の前文を見ても、各国なりにその文章は違いますが、文章の中身を読んでみると、例えば、「国民の総意に基づいて」とか、「私達の国の国民の総意に基づいて」等の文章が書かれています。

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ですから、全ての法律は、憲法から派生して作られたものですから、「なぜ、日本の法律は、全ての日本人の適用されているのか?」という疑問の答えとしては、「『全ての日本人が日本国憲法を作った』、ということになっているから、その憲法の下にある法律が、全ての日本人に適用されている」ということになります。

あるいは、「全ての日本人は日本国憲法の前文を了承して、認めている」という前提があります。
つまり、この記事の読者である、あなたが、どこかの誰かが書いたであろうところの、日本国憲法の前文を受け入れて、認めているからこそ、あなたには、日本の全ての法律が適用されています、という形になります。

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実際には、この日本国憲法の前文を書いたのは、日本の戦後の、どこかの誰かでしょう。

その人には、特定の名前があり、色々な人と相談して書いたことでしょう。

また、日本国憲法を書くに当たり、当時、日本を占領していた、アメリカのGHQの意向が、相当盛り込まれているそうです。

しかし、そのような経緯があるにせよ、いずれにしても、この日本国憲法を書いた人は、当時の日本人の内の数パーセントとか、あるいは、0.00001パーセントぐらいの人間が、「日本国憲法は、このような方向であることが望ましい」という、彼らの想いが込められて書かれたことは間違いがありません。

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ですから、日本の戦後まもない頃の0.00001パーセントぐらいの人間の書いた「日本国憲法」を、当時の全ての日本人に見せて、読ませて、当時の全ての日本人が「私達、全ての日本人の同意の下に、この日本国憲法が書かれた」ということは、ありえません。

なので、現行の日本国憲法を定めようとしていた、戦後、間もない頃でも、現行の日本国憲法の草文に反対していた人もいるそうです。

これは、実は日本国憲法だけではなく、外国の憲法も同じです。

外国の憲法制定の際にも、例えば、フランスならば、フランス憲法を定める際にも、「そのフランス憲法の全ての条文に、全てのフランス国民が同意した」という、完全な事実(文字通り、本当に、完全に100パーセントのフランス人が、完全に、フランス憲法に賛成した、という事実)は、現実には起こっていない筈です。

にも関わらず、ほとんど全ての国の憲法というのは、どこかで、いきなり強引に、何人かの実力者の行う強行採決のように、一方的に決めたのだ、ということが私達にわかります。

そして、全ての国の憲法の前文には、「私達の国の全ての人間は」とか「我が国の国民の総意に基づいて」とか「われら、全てが決めたところには」等の文章を、その憲法の前文を実際に書いた、実際の人物が、実際に書き込んでいるわけです。

実際には、「どこかの国の憲法を制定する」という段階になると、法律関係の学者と呼ばれている人が書いたりします。
しかし、「憲法や法律の文章とは、このように書かなければいけない」というスタイルがあって、それに基づいて憲法の文章は書かれています。

その「スタイル」というのが、上から書いているように、「我が国の国民の総意に基づいて」とか「われら、全てが決めたところには」等の文章というわけです。

その国の全ての国民に対して、法律を有効化しないといけないので、そのような文章スタイルで書かないと、法律が有効化されないのです。

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外国の憲法でもそうなのですが、私達の身近にある日本国憲法で考えましょう。

つまり、「日本国憲法は全ての日本人によって書かれた」というのが前提になっています(現実には違いますが)。

ですから、日本国憲法の下に、日本の法律が作られますから、「日本の法律は、全ての日本人が決めた」というのが前提になっています(現実には違う筈ですが)。

ですから、「日本のルール(法律)は、全ての日本人が決めた」と、なりますから、全ての日本人に、全ての法律が有効化されています。

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この記事を読まれる読者の方々も、小学校に入ってから、社会科の時間に、この「日本国憲法」のあらましを、学校の先生から聞かされたことでしょう。

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小学校時代の、あなたは、社会科の時間に、小学校の先生の語る「日本国憲法」のあらましを、おそらく、なんとなく、ぼんやりと聞いていたことでしょう。

しかし、小学校時代の、あなたは、その社会科の時間に、しっかりと、この日本国憲法に、同意した記憶があるでしょうか?

ましてや、小学校時代の、あなた自身が、「あなた自身が、その日本国憲法を書いたことになっています」と、目の前の小学校の先生に、もし言われたとしても、その時点で、その先生の言葉を信じることが出来たでしょうか?(いや、とても信じることは出来なかったでしょう)

(ですから、この色々な国の憲法を書く際の文章スタイルというのは、「一種の強制を行う文章だ」と、私は感じるのですが、読者の方々である、あなたは、どのように感じるでしょうか。以前、「日本国憲法の前文で美文だなあ」という手合いの記事を書いた事があるんですが、最近では、上のような感じからもおわかりのように、あまり、日本国憲法の前文を美文だと感じなくなりました。)

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現在でも、毎日の新聞やテレビのニュースの時間に、「何某の人が、何々の法律を破ったので、その何某の人が逮捕されました」等のニュースを、私達は、よく見たり、聞いたりします。

そこで、ちょっと、想定的に話を作ってみます。

Aさんが、日本の法律を破った、犯罪者と仮定します。
そして、Bさんを、日本の警察官と仮定します。

BさんがAさんを逮捕しに来ました。

◆Bさん:
「あなたは、日本の法律である、何々を破りましたので、私があなたを逮捕しに来ました」

●Aさん:
「私は、そんな法律を認めませんよ」

◆Bさん:
「いや、現に、日本の法律が、このように定められていますので、あなたを逮捕します」

●Aさん:
「そんな法律を決めたのは、私ではなく国会議員でしょう。私は、そんな法律を認めませんよ」

◆Bさん:
「いや、日本の法律(ルール)というのは、『必要である』と判断されて、日本国憲法から派生して作られたのです。そして、『Aさん自身が日本国憲法を作った(あるいは、日本国憲法の全てを認めて、受け入れている)』ということになっています。ですから、この日本の法律は、Aさんが決めた((あるいは、Aさんが日本の全てを法律を認めて、受け入れている)ということになっています。つまり、日本の法律(ルール)というのは、Aさんが作りました。ですから、私は、あなたを引っ張って行けるのです」

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私が上に仮定して作った話題が、現実の様々なケースに当てはめて、行われている、ということがわかるでしょう。

現実には、Aさんが日本国憲法を書いたわけでもなく、また、Aさん自身が「日本国憲法を認めて、受け入れた」という記憶も、あまり無いでしょうが、Bさんや司法関係の人から見たら、「Aさんは、暗黙の内に、日本国憲法を認めて、受け入れているに違いない」という前提(想定?)の下に、Aさんを逮捕しようとしていることが私達にわかります。

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ですから、上の話から、読者の方々も想像できるでしょうけど、AさんがBさんに逮捕されないようにするには、Aさんが「私は日本国憲法を受け入れません(あるいは『私は日本国憲法を書きませんでした』)」と、公言することです。

20100801055045

 

Aさんが「私は日本国憲法を受け入れません」と、Bさんに公言すれば、同時に、日本国憲法の下に配置されてある、全ての日本の法律が、Aさんに対して無効化されます。

しかし、Aさんが「私は日本国憲法を受け入れません」と、公言した時点で、Aさんは、日本の国内に住みつつも、その時点で、日本の国籍を失うことにもなることが、読者の方々もわかるでしょう。

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この手の話題ですから、堅くならないように、面白い話題を交えて、笑えるような感じでも書くつもりの私でしたから、許していただきたい部分もあるのですが、仮に、「私は日本国憲法を受け入れません」という意向のある人ならば、裸になって、日本の街を歩いても、「その人には、日本国憲法を適用することが出来ない」と、周囲の人がわかるので、おそらく、その人は逮捕されずに済むかもしれません。

しかし、読者である、あなたも容易に想像できると思うのですが、たとえ、その「私は日本国憲法を受け入れたくない」という意向を持った人がいたとしても、「時と場所をよく考えて、自らの実行したいことを、うまくやった方が良いだろう」と、あなたも考えることでしょう。

現に、「私は日本国憲法を受け入れません(あるいは、私は日本国憲法を受け入れた記憶がありません)」という意向を持った人がいたとしても、それを公言した時点で、その人は、日本の国籍を同時に失うからです。

もちろん、この記事だと、例として、日本国憲法を挙げて、私は書いているのですが、様々な国の憲法で考えても同じだと、読者の方々もわかるでしょう。

上の喩え話に出てくる、Aさんのような人が、もし日本の中にいると想定するならば、その人物は、様々な角度から色々な事を考えて、ケース・バイ・ケースで様々な出来事に関する差引勘定や損得勘定に上達し、日々の生活の、向上に励めば、よろしいのではないかと思います。

ちょっと長くなりましたが、ここまで読んで下さり、ありがとうございました。



(以下、過去記事、関連記事、及び、参考文献)
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『二千六百八十二:News_No.587』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2015/10/news_no587-2810.html
(以下、『後世に残したいラジオの話』、2013/3/23記事より抜粋引用)
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●伊藤真弁護士が語る『ご存知ですか?日本国民は憲法を守る義務なんてありません。』
http://radiotalkrecording.blog.fc2.com/blog-entry-91.html

■会話をしている人物

伊藤真 (弁護士 / 資格試験指導校「伊藤塾」を主宰)
青木理(あおきおさむ / ジャーナリスト)
江藤愛(TBSアナウンサー / 青山学院大学文学部英米文学科卒)

伊藤 憲法ってのは我々国民が守る義務は全くないんですよ。

青木 うん
江藤 えっ、そうなんだ

(、、、中略、、、)

伊藤 憲法は、政治家とか官僚とか裁判官とか自治体の知事、えー、首長とか職員さんとか、公務員の皆さんたち。もっと言えば、国の側や自治体の側で仕事をする、そういう皆さんたちが守らなければいけない法なんですね

江藤 うん?

伊藤 まぁちょっと、代表して分かりやすく官僚、政治家でいきましょうか。官僚や政治家の皆さんたちが守らなければいけなくて、『じゃあ国民はどうすんのよ?』。国民は彼らに守らせる責任があるだけなんですよ。(、、、以下、省略)
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(抜粋引用終わり)


                                       坂本 誠

2017年5月 2日 (火)

三千百十二: 偽旗作戦について

こんばんわ。

先日、『三千百十一:「嘘臭さ」とか「芝居じみたもの」を感じる時に』を掲載した際にも、「偽旗作戦」というものも紹介していた方が良いかと思いましたが、段落を変えて紹介することにしました。

以前にも、偽旗作戦についての記事を書いたことがありました。

今回は、偽旗作戦についての他の記事を読まれた方が、より、読者の方々の理解が進んだり、実感が湧きやすくなるかと思います。
ですので、その手の記事を以下に列挙しておきます。

私の気になった部分には、アンダーラインを引いたり、太字にさせてもらっています。

(以下、Wikipediaより引用)
------------------
●偽旗作戦
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%81%BD%E6%97%97%E4%BD%9C%E6%88%A6

偽旗作戦(にせはたさくせん、false flag)とは、あたかも他の存在によって実施されているように見せかける、政府、法人、あるいはその他の団体が行う秘密作戦である。
平たく言えば、敵になりすまして行動し、結果の責任を相手側になすりつける行為である。
名称は自国以外の国旗、つまり偽の国旗を掲げて敵方を欺くという軍の構想に由来する。
偽旗作戦は、戦争や対反乱作戦に限定されたものではなく、平時にも使用される。
偽旗工作・偽旗軍事行動とも呼ばれる。
英語ではしばしば false flag operation(s)(偽旗作戦)、false flag technique(偽旗技法)、false flag tactics(偽旗戦術)、false flag attack(s)(偽旗攻撃)等の句として用いられる。

      :
     (中略)
      :

1964年8月 - トンキン湾事件

      :
     (中略)
      :

最終更新 2017年3月30日 (木) 12:27 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
------------------
(引用終わり)


『二千六百八十八:私の見かけたビデオ_No.67』
●スライヴ (THRIVE Japanese)
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2015/10/_no67-29ed.html
https://www.youtube.com/watch?v=yp0ZhgEYoBI



1:28:34
(当ビデオの1時間28分34秒目辺りから)

(上記ビデオより抜粋引用)
------------------
◆デービッド・アイク

社会を変えたいのですが、あからさまだと拒絶反応が起きるので、こっそりやるわけです。
問題、反応、解決の手順で行きます。

Thrive_fals_ope_2

 

第1段階。
問題を作り出す。

爆弾テロでも、9.11でも、取り付け騒ぎでも、株式市場の大暴落でも、政府の崩壊でも良いのですが、誰のせいでこうなったのか、なぜ起きたのか、自説を他人に語ります。

ここで、行動をちゃんと行うメディアが存在すると、問題、対応、解決の手順は失敗します。

しかし、主流メディアは、事件の公式見解を伝える広報室となるのです。

(、、、中略、、、)

この事件に関する、大衆の唯一の情報源は主流メディアとなります。

問題、反応、解決の第2段階は、激しい怒りと非常に大事な恐怖の反応を起こします。

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そして、大衆が政府に訴えることを期待します。
「なんとかしなければ、このままではダメだ。どうするつもりなのか。」

そこで第3段階。
嘘の話に対する大衆の反応を収集して、自ら作り出した問題の解決法を正々堂々と提案します。

●キャスター(フォスター・ギャンブル):
悲劇的事件をでっち上げたり、利用するという発想は、彼等が目標達成のために、どこまでやるつもりか、を理解する上で非常に重要なものでした。

アメリカが偽りの口実で、ベトナム戦争に介入したのは、裏付けのある事実です。
ロバート・マクナマラ元国防長官は、トンキン湾での、軍艦攻撃は実際には無かったことを認めています。

■ロバート・マクナマラ:
「あの日、攻撃されたという判断は誤りで、攻撃は無かったのです。」

●キャスター:


最近では、ブッシュ元大統領が存在しない大量破壊兵器を口実にイラクを侵略しました。

このような戦術は偽旗作戦とも呼ばれます。

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------------------
(引用終わり)


『二百九十七: 私の見かけたビデオについて_No.33』
●初めて実行員が暴露した、アメリカの国際陰謀・工作秘史
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2013/09/_no33-6b51.html
https://www.youtube.com/watch?v=BhfCgO0ItY8


YouTube: 初めて実行員が暴露した、アメリカの国際陰謀・工作秘史

公開日: 2011/01/19 

(上記ビデオより抜粋引用)
------------------
■字幕:
「国家を征服しその国民を奴隷化するためには、二つの方法がある。一つは武力であり、もう一つは負債である。(John Adams 1735 - 1826)」
      :
     (中略)
      :
----- VENEZUELA 2002 -----

「、、、、エコノミック・ヒットマンの能力はこの間どんどん上がり続けましたがね・・・。、、、」

「ごく最近では1988年、ベネズエラでチャベスが大統領に勝利しました・・・、、、」
      :
     (中略)
      :

__2


「このクーデターの起こし方は、カーミット・ルーズベルトがイランで行ったやり方と同じものです。」
「民衆をお金で買収してデモ行進をさせ、暴動を起こさせます。」
「『チャベスがとても不人気だ』と思わせるようなことを言わせながら起こすのです。」
「2,3千人の人をテレビの前に集めれば、国中が反対していると思わせることが可能です。」
「そしてそこからは、マッシュルームのように増加していくのです。」
      :
     (中略)
      :
------------------
(引用終わり)


『三百五: 私の見かけたビデオについて_No.34』
●元CIA アメリカは存在しない敵と戦っている イスラエル・リビア・イラン・シリア #cia #enemy
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2013/09/_no34-67d0.html
https://www.youtube.com/watch?v=xsIhwHzvqko



(上記ビデオより抜粋引用)
------------------
■マイケル・ショイヤー:

「私達は本当に非常に冷血に、シリア人達が政府に撃たれるであろうことを知りながら、彼等に路上で出るようしきりに促します。」

「私達は、この20年間の今日、敵を作り出すことにおいて非常に効率的です。」

「全米の安全を創造することにおいて、私達はそれほど効率的ではありません。」
------------------
(引用終わり)


                                       坂本 誠

2017年4月30日 (日)

三千百十一: 「嘘臭さ」とか「芝居じみたもの」を感じる時に

こんばんわ。

最近、私達は、中東情勢の緊張とか、朝鮮半島の緊張の状況を、よく見かけるかと思います。

それらの状況を見るに、どこか、「嘘臭さ(うそくささ)」とか「芝居じみたもの」を感じる方々も多いのではないでしょうか。

世の為政者と言われるような人々が多くの人々の前に現れ、出て来て、「交戦行為が必要だ」と必要以上に煽(あお)っているように感じないでしょうか。

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多くの人々を何かの行為に駆り立てようとする行為のことを「煽動行為(せんどうこうい)」というのですけど、人は、為政者の言動や行動に、この煽動行為を感じるようになったら、それらの為政者達の語っている言葉を綺麗さっぱりに忘れた方が良いと思います。

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以前、日本で使用された言葉ですが、「劇場型犯罪」という単語がありました。

この「劇場型犯罪」というのは、犯罪者達が「マスメディアを多用して、多くの家庭の居間の中にも、お茶の間の中にも、これらの状況をバーチャル的に繰り広げて、世を必要以上に騒がせよう」という意図があったかと思います。

そのような「劇場型犯罪」に似たような雰囲気を、人は現在の中東情勢の緊張とか、朝鮮半島の緊張の状況の中にも感じないでしょうか。

ですから、「劇場型犯罪」を文字って、「劇場型の戦争煽動行為」とでも、それらに名づけられるような気がします。

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過去の日本であった「劇場型犯罪」ですけど、今、私が思い返してみるに、その劇場型犯罪にしても、日本のある地域で、日本の総人口と比較しても、それらの関係者達は、ごくわずかでした。

しかし、そのように関係者達は、日本の総人口と比較しても、ごく少数なのに、マスメディアを通じて、日本全国の人々に見られるようになると、あたかも、日本の全土に、「その劇場型犯罪に関係した何かが起こっているようだ」と、多くの人々が誤認します。

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わかりやすい例を挙げると、例えば、福岡県北九州市という名の土地で暴力団関係の出来事があり、その関連事項が毎日のように、全国報道されていた時期がありました。

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実際には、それらの出来事は、福岡県北九州市のごく一部で起こっていた事であり、土地の大きさや人口と比較しても、それらの出来事は、実際に報道されていた雰囲気よりも、100万分の1程度のものではなかったでしょうか。

確かに、現実に、少数の人々が、その出来事に関係したのは事実であり、その方々には同情します。

しかし、それらの出来事は、その土地の広さや大きさと比較しても、かなり小規模レベルと言えたのでしょう。
しかし、その小規模レベルな事でも、トップ・ニュースとして、連日のように、全国報道されると、日本の全ての人々は、「福岡県北九州市では、数多くの暴力団が存在して、連日のように、その手の問題が多発しているのだ」と誤認することは問題があるように感じます。

確かに、小なりと言えども、暴力団関係の出来事というのは、人々の間でのトラブルの出来事と言えるので、その手の解決の方向が求められるでしょう。

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しかし、暴力団関係の記事でなくても、他の出来事でも良いのですが、マスメディアが使用されると、日本の限られた地域での小さな出来事でも、遠く離れて、それを視聴した人が、「あたかも、自分の隣近所でも、そのような出来事が多発している」と感じるに至っては、何かの問題を感じないでしょうか。

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暴力団関係の記事でなく、他の出来事を思い起こしてみます。
例えば、「日本人で、ある若い人が、何かの犯罪的な行動を行った」と報道されたとしましょう。
その報道を受け取った、日本の他の地域の多くの人々が、「そのような人が、私の住んでいる隣近所にも、大勢居るに違いないから(実際には何も起こっていないけれど)、私達も、その手の防犯行動を数多く取り組むべきだ」とか「私達の周囲には、何もしてはいない人は多いけれど、疑心暗鬼の目と疑いの目を持って、周囲の人々を見た(ある意味、監視)方が良い」という状況が多発したのではないでしょうか。

実際には、上の例の「日本人で、ある若い人が、何かの犯罪的な行動を行った」という出来事を見るに、たった一人です。

現在の日本の人口を1億人と仮定すると、「その手の何かの犯罪的な行動を行った」という人物は、日本の中での1億分の1です。

「1億分の1」というのは、私達にとっては、かなり低い確率でしょう。
しかし、マスメディアで、全国報道されると、多くの人々は、その「1億分の1」という数字を「1億分の1万」とか「1億分の100万」と感じる、誤認の雰囲気が生まれたりするので、人はそれに対して、何か、多少の問題を感じるのではないでしょうか。

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かなり話が横に反れたのですが、中東情勢の緊張とか、朝鮮半島の緊張の状況に、「嘘臭さ(うそくささ)」とか「芝居じみたもの」とか「劇場型の戦争煽動行為」を感じるようであれば、それからは離れた方が良いと感じます。

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戦争の煽動行為と思われる行動を、多くの人々が見て、そして、「多くの人々の『参戦やむなし』という交戦賛成論を求める輩達(やからたち)、つまり、多くの国民の参戦意欲を高めて、それを募(つの)っている輩達が、どうも、この世にいるらしい」と、読者の方々は何となく感じないでしょうか。

戦争が起きれば、武器商人達が喜び、戦争で破壊された設備の修復のために、多額のお金が動くことにより喜ぶ人物がいることも知られ、また、何よりも、戦争行為というドサクサの忙しさに紛れて、隠し込めることも多々あることが知られています。

それらについては、私の方の『過去記事、関連記事、及び、参考文献』の方に、まとめて掲載しておきますので、読者の方々が、それらの過去記事を読んで、何をかを想起して頂けることを、私は期待しています。

私の気になりました部分には、アンダーラインを引いたり、太字にさせてもらっています。


(以下、過去記事、関連記事、及び、参考文献)
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『三百二十四: イルミナティについて_No.2』
●ジェイ・パーカーインタビュー②
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2013/09/_no2-299b.html
http://www.youtube.com/watch?v=b-MG_sojSz4



(上記ビデオより抜粋引用)
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「これは銀行、英国、米国がどの様にソ連を作ったかについてです。」
「『ヒトラーとウォール街』もです。」
「どの様にウォール街や英国銀行家達が、ヒトラーを資金援助したかについてです。」
「第二次世界大戦終戦の一か月前まで、国際決済銀行はスイスでナチスからアメリカや英国の銀行へと支払利息を受け取っていたんです。」
「ですから、彼等はヒトラーへの投資で支払いを受けていたんですよ。」
「第二次世界大戦終戦の1ヶ月前までね。」

「ですから、全ては詐欺なんですよ。本当にね。」
「全てはあなたを楽しませ続け、異なる政治的派閥がそこに実際にあると思わせる為の大きなステージショーなんですよ。」
「イルミナティの承認無しにこの地球上で何も動かされる事はないんです。」
「そういうものなんですよ。、、、」
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(引用終わり)

『二千六百五十七:お知らせ』
●ファラカ-ン 銀行家の悪徳を告発する
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2015/09/post-e5e5.html
https://www.youtube.com/watch?v=EpwW1KdKlOs



(上記ビデオより写真と文章を抜粋引用)
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「、、、1912年12月22日に、アメリカの中央銀行は幾つかの一族の手に握られました。」
「通貨を発行する連邦準備銀行は政府に属してはいないのです。、、、」

「なぜなら、通貨を支配する人々は、国の負債を増加させることを知っていました。」

「しかし黒幕がドアの後ろに隠れていて、その人々は、負債を増やす唯一の方法は、アメリカを1914年に始まった戦争に何らかの形で関わらせることだと知っていました。」
「それでルシタニアという船の火事の裏工作を行い、アメリカはドイツに宣戦布告しました。」

「ユダヤ人のウォーバーグ家とロスチャイルド家です。」
「アメリカに、ヒットラーに融資した人がいるのです。」
---------------------------
(引用終わり)

『二千六百八十八:私の見かけたビデオ_No.67』
●スライヴ (THRIVE Japanese)
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2015/10/_no67-29ed.html
https://www.youtube.com/watch?v=yp0ZhgEYoBI



1:29:29ぐらいから、同ビデオのキャスター、フォスター・ギャンブルが現れます。
そして、アメリカ合衆国のロバート・マクナマラ元国防長官が同ビデオの、1:30:31ぐらいから登場します。
ロバート・マクナマラの写真は、同ビデオからの引用です。

(上記ビデオより抜粋して引用)
-----------------------
●キャスター(フォスター・ギャンブル):
アメリカが偽りの口実で、ベトナム戦争に介入したのは、裏付けのある事実です。
ロバート・マクナマラ元国防長官は、トンキン湾での、軍艦攻撃は実際には無かったことを認めています。

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■ロバート・マクナマラ:
「あの日、攻撃されたという判断は誤りで、攻撃は無かったのです。」
-----------------------
(引用終わり)

『千二:私の見かけた情報_No.20』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2014/03/_no20-f01a.html
●米国がクーデターのどさくさに紛れウクライナの金塊33トンを略奪していた~国会で浜田議員が衝撃発言
http://saigaijyouhou.com/blog-entry-2128.html

(上記記事より抜粋引用)
-----------------------
浜田議員が衝撃発言!米国がクーデターのどさくさに紛れ、ウクライナの金塊33トンを略奪!浜田議員「火事場泥棒に等しい行為」

国会で浜田議員が衝撃的な発言をしていたのでご紹介します。
参議院予算委員会で安倍首相らに対して浜田議員は、「ウクライナの金33トンをNY連銀に持ち出し、米の穀物メジャーのカーギルや石油メジャーのシェブロンなどの大手企業は農業、資源を収奪するかのごとく企業買収した」と発言し、ウクライナ騒動の裏でアメリカが金塊を盗んでいたことを暴露しました。

アメリカの企業がウクライナに介入していたのは知っていましたが、金塊が盗まれていることは私も初耳です。
海外の報道でも、「ウクライナの金が米国に輸送された」と言うような記事があるので、今回の件は事実であると考えられます。
イラクやアフガンでも似たような事をしているアメリカならば、この程度の事は造作も無いはずです。

ウクライナは世界有数の穀倉地帯でもあり、今はモンサント社のような遺伝子組み換え企業も次々に乗り込んでいます。
暫定政府の主要メンバーは相変わらずネオ・ナチス系の過激派ばかりですし、このままウクライナを放置していては、非常に不味いと言えるでしょう。

☆浜田議員が衝撃発言! 米はウクライナ支援と言いながら火事場泥棒やった
https://www.youtube.com/watch?v=OSjNxw4HpMI



公開日: 2014/03/19
------------------------------------------
(引用終わり)

『二百六十四: 私の見かけたビデオについて_No.29』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2013/08/_no29-e6d0.html
●リビア 反政府派はアルカイダ 米国が資金援助 元CIA証言 #libjp #midjp #syrjp
http://www.youtube.com/watch?v=0yQaUhCCMeE
●アルカイダは存在しない テロの真の首謀者・資金源
http://www.youtube.com/watch?v=K9aNZvs0H4o



(※筆者注:なぜか、ビデオの埋め込みがうまく行かないので、読者の方は、ビデオのURLをお手持ちのブラウザのURLボックスに入力すると、ビデオが見れます。)

(以下、ビデオ『アルカイダは存在しない テロの真の首謀者・資金源 』からの引用)
--------
●男性キャスター:
「、、、テロの2か月前にアメリカがビンラディンに取引を提案したのは確かなのですね。」

■本の著者:
「ドバイのCIA責任者ラリー・ミッチェルが2001年7月12日にビンラディンと会ったのは事実で、それは最終交渉を実現するためでした。」
--------
(引用終わり)

『三百九十三:911の看板を見て』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2013/10/911-e410.html
http://richardkoshimizu.at.webry.info/201309/article_66.html

(以下、上記記事から写真を引用)
--------

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--------
(引用終わり)

「WTC7 -- This is an Orange - YouTube」
http://www.youtube.com/watch?v=Zv7BImVvEyk



『二百六十一:私の見かけたビデオについて_No.28』
●ヒラリー・クリントン-私達がアルカイダを作った
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2013/08/_no28-8f79.html
http://www.youtube.com/watch?v=CWK9j41BY6c



公開日: 2012/05/24
==========================
(以下、上記ビデオ概要)
==========================
「私達はパキスタンに出入りしているような歴史もまたあるのです。」
「そしてここで思い出してみて下さい。」
「今日私達が戦っている人々は、私達が資金援助したのです。」
「20年前にです。」
「私達はそうしました。なぜならソ連とのこの闘争で身動きが取れなくなったからです。」

「パキスタン軍統合情報局やパキスタン軍と契約しましょう。」
「ムジャーヒディーンをリクルートに行きましょう。』だとか『素晴らしい、サウジアラビアやその他の場所からも何人かリクルートしてイスラム協会へ連れ込み、そうしたら我々はソ連を倒す事ができるんです。』とね。」
「彼等は撤退し、数十億ドルを失い、ソ連崩壊に繋がったのです。」
「ですからここには非常に強い論争もありますが、それはソ連を終わらせるのには悪い投資ではなかったというものです。」
==========================

『二千六百七十一:私の見かけたビデオ_No.64』
●ヒラリー・クリントンと対決 なぜシリアとリビアでアルカイダを支援したんですか?
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2015/09/_no64-4bfa.html
https://www.youtube.com/watch?v=5efqPLpJFYA



(以下、上記ビデオより抜粋引用)
------------------------------
●リポーター:
ねえ、ヒラリー、なぜシリアとリビアでアルカイダを支援したんですか?
ただ笑うつもりですか?
真剣な質問です、ヒラリー・クリントンさん。
なぜシリアとリビアでアルカイダを支援したんですか?
------------------------------
(引用終わり)


                                        坂本 誠

2017年3月30日 (木)

三千百: 私達の本来の政治システムである「直接民主制」について

■:はじめに

この記事は長くなりましたので、読みやすいように章立てしています。

■:古来から続く政治システムを見て

私の記憶する限り、世界の様々な「政治家」と呼ばれる人々の汚職の報道というのは、古来より絶えないようです。

現在のテレビや新聞を見ても、世界各国の政治家と呼ばれる人々の汚職騒動が少なからず、あっているようです。

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それらの汚職騒ぎが、本当の事なのか、それとも、虚偽の事なのかはわかりません。
きっと、様々なケースがあるでしょう。
捏造されたものもあるでしょう。

しかし、「政治家の汚職騒ぎ」というのが、いつから発生しているかわからないぐらい昔から、起こっていることに多くの人は気が付くでしょう。

それらを見ていて、以下のように考える人も増えて来るのではないでしょうか。

  「私達の政治システムが変わらない限り、古来より続いている様々な政治家達の汚職騒ぎが無くなることはないだろう」

と。

ふっと思い出してみても、どんな人の記憶にも残っていると思うのですが、様々な政治家の汚職がありました。

そして、それらに関係する政党とか、それらに関係した政治家が、「金輪際、二度と、私達の間で汚職が起きないよう、努力いたします」等のようなセリフを、何回聞いたことでしょうか。

つまり、私達の巨大ピラミッドの構造をした社会システム、政治システムが変わらない限り、これからも、ずっと、上のセリフ「金輪際、二度と、私達の間で汚職が起きないよう、、、」という、この手のセリフを、多くの人々は永遠に聞くことになるのではないでしょうか。

■:コンピューターとインターネットの出現によって実現可能となった「直接民主制」

「私達が使用している」と言われている政治システムは、民主主義です。
この民主主義システムには、2通りの方法があります。

以前書いたことを繰り返すのですが、再び引用を踏まえて書いてみたいと思います。

(『法律のことがよくわかる事典』(川口 均 監修、西東社)より)
--------------------------------------
●EDITOR NOTE

直接民主主義と代表民主主義

わが国では、日本国憲法によって国の主権は国民にあるとされています(これを主権在民という)。

そのため本来であれば国のルールにあたる法律も、国民すべての議論にもとづいて決めるべきところ(これを直接民主制という)ですが、それはとうてい無理な話。
そこで選挙によって選ばれた代議士が、国民に代わってこれを行っています(これを代表民主制という)。

また、この代表民主制を正常に機能させていくため、すべての国民には一定の年齢に達した場合、国会議員、知事や市長、地方議会の議員などに立候補する権利やそれらを選ぶ権利、すなわち選挙権が与えられているのです。
-----------------------------------
(引用終わり)

つまり、民主主義には2通りの方法があります。
それは、「直接民主制」と「代表民主制」です。

上の引用文に、「国民すべての議論にもとづいて決めるべきところ(これを直接民主制という)ですが、それはとうてい無理な話」とありますが、以前にも書いたように、私達の科学技術の発達により「それはとうてい無理な話」ではなくなってきているのがわかるでしょう。

私達がお茶の間のテレビで見かけるアイドル・グループの「何とか総選挙」というものが、実施されていることに気が付きます。
インターネットを利用したものですね。

これと同じ事が政治上でも実行できることに気が付くでしょう。

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私達の日本でも、全国民によって、法律を作りたければ、一人一人の国民の目の前にあるディスプレイ上に設けられた「はい」ボタンか「いいえ」ボタンを押すだけで、その法律に対する賛否を集計できます。

しかも、インターネットを使っていますから、それはコンピューター制御なので、一瞬の内に集計が終わり、ほとんど、瞬時に、テレビ画面の上に、その法律の採決の票数結果が表示されるでしょう。

これにより、全国民の手によって、法律を制定できますので、民主主義の本線であるところの「直接民主制」の実行が可能である、と私達はわかるでしょう。

この「直接民主制」の実行が「それはとうてい無理な話」ではなく、私達の科学技術の発達により、理論上、無理ではなくなったことが現実に私達にわかるでしょう。

そして、過去、「(直接民主制は)それはとうてい無理な話」と、過去、言われていたので、間に合わせの手段として、私達がテレビの中でも、現在、よく見かける政治スタイルの「代表民主制」が行われていたのだ、と気が付くでしょう。

ですから、「直接民主制が可能となった」と、民主主義の本線で行けそうなので、当然、人は以下のように考えるのではないでしょうか。

  「民主主義の本線である直接民主制の、実行可能ラインが見えてきたので、私達は、それの導入を進めた方が良いだろう」

と。

インターネットを使用した投票で考えられる課題としては以下のものがあります。

それは、サーバー・コンピューターがハッキングされて、投票結果を改竄されたりするケースです。

この課題自体はあるでしょうが、いずれにしても、政治システムにコンピューターとインターネットを導入することにより実現する「直接民主制」によって、読者の方々も「税金を大幅に省くことが出来るだろう」と気が付かれるでしょう。

また、「直接民主制」の実行によって、いわゆる、「政治上の権力者」という存在が無くなるのにも気が付かれるでしょう。

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読者の方も気が付くでしょう。

要するに、現在、私達が見かけているところの政治家というものが必要無くなるのだ、と。

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この民主主義の本懐(ほんかい)は、「国民一人一人が政治家だ」というのが目的なのです。

ですから、上に書いたように、国民の一人一人がインターネットによる、法律制定等のための投票を行えば、つまり、「国民一人一人が政治家だ」というのも実現できることもわかるでしょう。

日頃は「私達が見かけている『政治専門』と呼ばれる人々が『政治家』だ」という認識がありますが、「直接民主制」が実現されれば、全ての国民が政治家となっただけなので、世に言う「政治家」という概念が変わるだけです。

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結局、直接民主制が実行されたら、国会議事堂も不要になるし、現在見られる少数の「政治家」と呼ばれる人々もいなくなります(つまり、権力の集中が避けられます)。
そして、選挙管理委員会というのも不要になってくるとわかるでしょう。
当然、議員宿舎というものも不要になってくるでしょう。

この「直接民主制が実行される」というのは、これは現代版の大政奉還(たいせいほうかん)と言えるのではないでしょうか。

■:テレビ電話会議を使用した国会

しかし、「地域の代表者」という人々もいても良いと思います。

その人達が、全国に散らばっているその他の代表者と、会議をしたくなる時もあるでしょう。

そんな時に使用するのは、私達のお茶の間のテレビでも有名になって、もはや誰もが知っているテレビ電話会議を実行すれば良いことに気が付くでしょう。

今でも、政治の世界では、地域の代表者達が、なぜか、選挙で選ばれた後、中央都市に行って、そこに住んで、国会に出席して、話し合っている光景を私達は、よく見かけます。

しかし、現代の私達の間でも、おなじみとなった、『Skype』のような、テレビ電話会議を使えば、十分に会議が出来るでしょう。

ですから、「国の中央都市に設けられた巨大会議場で、地方の代議士達が集まって、そこで会議を行う」というのは、一時代前の会議のスタイルではないでしょうか。

また、国会議事堂の維持費とか運営費とか光熱費用を考えても、莫大な額がかかっているでしょう。
ですから、テレビ電話会議や、パソコンにつないだビデオ・カメラとマイクがあれば、「かなり、大幅に税金を省くことが出来るだろう」と、読者の方々も気が付かれるでしょう。

■:私達は、なぜ、「国」という組織を必要とするのか

しかし、それでも、「現代の巨大ピラミッド型システムのような政治機構が必要なのだ」という意見を出す方もおられると思います。

要するに、現代まで続いている「国(くに)」の政治システムですね。

ですから、ここでは、「なぜ、私達は『国(くに)』と呼ばれる概念が必要なのか」を書いてみたいと思います。

日本だと、縄文時代が終わり、弥生時代が始まりました。

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縄文時代には、日本の土地の内部には、『国(くに)』と呼ばれるシステムはありませんでした。

弥生時代になって、大陸から稲作が伝わり、大量の食料(米)が生産できるようになりました。
ある村で、美味しいお米が取れて、豊富なカロリーをその村の内部の人々は、摂取できるようになりました。

そして、その村の周囲の人々が、そのお米を略奪したり、その稲作システムを奪取しようとしたところから、村の内部の人々と、村の外で暮らす人々との間で、戦争が起こるようになったそうです。

この、それまで、日本の内部では、ほとんど、人々の争いは無かったでしょうが、村と村の間で戦争が起きるようになり始めました。

この時代のことを、隣の国、中国の古書(魏志倭人伝)によると『倭国(わこく)大乱の時代』と表現されています。

多発する当時の戦争の原因について書くことも出来ますが、要は、私達の間での「国の成り立ち」というのは、「他国との戦争に勝って、自分達が存在を続けるため」と書けるでしょう。

弥生時代の『倭国大乱の時代』の表現を見ても、わかるように、当時は、隣村の侵略を防ぐために、人々は戦争の用意をしないといけなかったのでしょう。

この戦争状態だと、多くの人は、現代に見られる巨大ピラミッド型システムを必要とするのです。

その巨大ピラミッド型システムは言ってみれば、一人の巨人です。

その巨人には、頭脳と呼べる分野の人々が必要で、目と呼べる分野の人々も必要で、腕と呼べる分野の人々も必要で、足と呼べる分野の人々も必要です。

このような人々の分業化により、村中の人々が集まって、一人の巨人と化すのです。

そして、この「一人の巨人」のちからによって、隣村からの侵略行為を防ぐのです。

この「一人の巨人」を生み出す習わしが、今の今まで続いて、私達が現に見かけている巨大ピラミッド型システムが存在しているわけです。

--------------------------------

ですから、私達の住む地球には、様々な国がありますが、もし本当に多くの人々が政府の必要無しに、共に協調して、楽しく生活するのならば、国の中央におかれている「政府」というものが必要無くなることがわかるでしょう。

逆を言えば、私達の周囲の土地に、私達の敵と思える人々がいればいる程、「私達は政府というものを欲するのだ」となることがわかるでしょう。

そう、国というものは、その役目のほとんどが、「外敵から身を守るために存在している」とわかるでしょう。

外敵というものが存在しなくなれば、政府というものの必要性が薄れますので、逆に言えば、政府の人々は、「私達には外敵と見える人々がいるので、私達は存在価値があるのだ」と、なるでしょう。

--------------------------------

この外敵作りの遠因として、各国の間で、何らかの競争をさせるのも、ある意味、国家存在を守る手段ともなることがわかるでしょう。

例えば、「私達の国よりもA国やB国の方が競争に勝っている」と、多くの人々に伝えておけば、その国の内部の人々は、「A国やB国に負けてはいけない」という心理が働くので、そこに、A国やB国と、それらの人々の国の国境線の色を強く引くことが出来ることがわかります。

そして、それらの人々は、以下のように考えることでしょう。

  「A国やB国に負けてはいけない。だから、政府の人々を頼ろう」

と。

こうなってくると、政府の価値が高まるので、つまり、政府の人々にとっては、ありがたい話となるでしょう。

要は、世界中の人々が、それぞれ自発的に、仲睦まじく、共に助け合って生きていければ、私達の間に政府というものの存在価値は低くなることがわかるでしょう。

■:代表民主制の落とし穴

また、私達は「政治的な詭弁(きべん)」についても、考えることが出来ます。

例えば、ある政治家が以下のように言ったと仮定します。

  「私は、国民の意見を国政に反映させたい」

と。

なんとなく、よく私達が耳にする言葉のような気がしますが。

20100525153811

 

その政治家の地元の人々の大勢の意見が一致して、例えば、それらの大勢の人の意見として、「私達(その地元の大勢の人々)は、この公共工事の必要性を認めない」となったとしましょう。

その意見を、その政治家が政治に反映させようとしますが、何らかの都合の結果、「私(その政治家)は、この公共工事の必要性を認める」となったとしましょう。

すると、議会の場に、その政治家は、その地元の大勢の人々の意見とは違う内容を出すことになります。
しかし、「その政治家も国民の一人である」と私達は気が付くでしょう。

ですから、議会で、その政治家は以下のように主張できることに、私達は気が付くでしょう。

  「私の地元では、大勢の人々の意見として『この公共工事の必要性を認めない』となりました。しかし、私個人としては、後によく考え直したところ、『この公共工事の必要性を認める』となりました。ですから、私の意見は少数派となりますが、私も国民の一人です。ですから、国民の意見として(自分の意見として)、『この公共工事の必要性を認める』と議会で主張することが出来ます。私の意見は少数派の意見となりますが、私も国民の一人なので、自分の意見も国民の意見なので、この議会の場で推すことが出来ます。自分一人の意見も国民の意見と言えますので。私も国民の一人なので」

と。

つまり、議会の場で、その地元の大勢の人々の一致した意見を、堂々と否定し、彼が全く、その逆の個人的な意見を推すことも可能だ、と、わかるでしょう。

ですから、上に書いた仮の政治家のセリフ「私は、国民の意見を国政に反映させたい」は、以下のように書きなおせるとも気が付くでしょう。

  「私は、(自分自身という名の)国民の意見を国政に反映させたい」

と。

--------------------------------

つまり、このような、詭弁とも思えるような形で、自分一人の意見を貫くことが、議会でも実行できることがわかるでしょう。
なぜならば、その政治家も国民の一人なのですから。

この手段を使えば、結局、「自分一人のための政治が実行できる」となり、「たとえ、民主主義政治の実行下でも、独裁政治と呼べるものが実行可能だ」と人は気が付き始めるのではないでしょうか。

これが「なぜ、実行可能なのか?」と、私達が考えるに、「これは、現代まで続いている代表民主制の民主主義政治の欠陥あるいは落とし穴だ」と感じるのではないでしょうか。

■:代表民主制が導く方向として

外国でも、選挙カーが走っているかどうかはわかりませんが、選挙に立候補した人が、選挙カーに乗って、マイクで以下のように言っているのを記憶しています。

  「どうか、私に政治をお任せください」

と。

そして、有権者の中でも「あの人に政治を任せよう」ということで、投票する人もいると思います。

私は、これは良くないと思います。
人は、自分の幸福は自分で作らないといけません。
しかし、「誰かに政治をお任せし、その政治家(その当選した立候補者)が、政治を実行することにより、投票した有権者達(私達)に、幸福を配ってくれる筈だ」あるいは「他の人(政治家)が私達(有権者達)に幸福を持って来てくれる筈だ」という考えになり、こうなると、その投票した有権者達が次第に、依存的な性格になるように感じます。

「依存的な性格」というのは、わかりやすく書くと、「甘えの心」です。

20100610133325

 

依存的な性格というのは、その性格を持つ人の、自立心を妨げます。

今の代表民主制というのは、これは結局、「政治を、少数の人達にお任せしよう。そうすることにより、その少数の人達が、私達に幸福な生活をもたらしてくれるだろう」という、他者(立候補者達)に対しての、お頼みの精神、つまり、依存的な性格の形成を助長しているように見えます。

また、ここまででわかるものの一つに、今までは、本来ならば、民主主義は直接民主制で行われなければいけないところを、時代環境が整わなかったので、いた仕方なく、仮の政治システムである、代表民主制が実行されていたのだ、と気が付くでしょう。

私達がテレビや新聞で、よく見かけている政治システムは、代表民主制であり、つまり、これは「仮の政治システムだったのだ」と、私達が思い出せば、当然、「真の政治システムであるところの、直接民主制を実行しないといけないだろう」と、自然になるでしょう。

■:終わりに

ですから、私としては、民主主義の本懐であるところの、直接民主制の実現可能ラインも見つかった事ですので、直接民主制の実現・実行を多くの人々が願えば良いのではないかと思います。

本記事は長くなりましたが、ここまで読んで下さり、ありがとうございました。


                                        坂本  誠

2017年3月16日 (木)

三千九十五: 私達の焦りや欲を考えて

結婚相談機関とか、車のCMを見ていて、感じることがあります。

確かに、人間は恋人がいた方が楽しいかと思います。
しかし、無理に恋人を作るというのも、ちょっとおかしいかと思います。

結婚相談機関のCMとか、あるいは、世間の誰も彼もが、「人間は結婚するべきだ」とか、「彼(あるいは彼女)を作りましょう」と言っているからこそ、そんなに恋人や配偶者を欲しくないと考えている人も、つい、欲しくなるのではないでしょうか。

つまり、周囲の声とか意見とかで、かなり大勢の人が、「人間は結婚するべきだ」とか、「彼(あるいは彼女)を作りましょう」と言えば、恋人や配偶者の欲しくない人でも、「何となく、恋人や配偶者を作らないと、自分の肩身が狭くなる」という思いが生じてしまうのでは、という気がします。

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つまり、私達は必要以上に焦らされていないでしょうか。

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車とかもそうですが、新しい車のCMを見たり、隣の家の人の車が自分の家の車よりも良ければ、なんとなく、欲しくならないでしょうか。

つまり、私達は周囲のものを見て、必要以上に焦らされていたり、あるいは、欲が出てくる事により、その焦りと欲によって、私達は不幸になっていないでしょうか。

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もちろん、結婚相談機関とか車だけでなく、世の様々なことにおいても、同じだとわかるでしょう。

確かに、それらが必要で欲しい人は、手に入れれば良いと思います。
人間には、自由が与えられていますので。

しかし、私達の身の回りを見るに、よく考えてみたら、上のケースと同じように「必要以上に焦らされていた」とか、「必要以上に購買欲求を煽られていた」というケースも、かなり多いのではないだろうか、と感じてしまいました。


                                        坂本  誠

2017年3月 9日 (木)

三千九十二: お知らせ

こんばんわ。

今、ちょっと忙しいので、ブログ更新が遅れています。
何卒、ご了承ください。


                                        坂本  誠

2017年2月 2日 (木)

三千六十九: 『三千六十八:資本主義の束縛から、どうやって徐々に逃れるか』の続き

こんばんわ。

三千六十八:資本主義の束縛から、どうやって徐々に逃れるか』の続きのようになります。

前段では、余談として書いたものもありましたので、その余談部分も含めて、続きを書いてみます。
ですから、この一つの段落中には、二つの話題を書きます。

引用文中に、私の気になりました部分には、アンダーラインを引いたり、太字にしています。

/////////////////////////////////
■①:

一つ目の話題です。

『七十六:News_No.238』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2013/06/news_no238-04de.html
(以下、『朝日新聞』朝刊、2013/6/15記事。6ページ目の経済欄に掲載の記事を引用します。)
-----------------------
●5・23暴落「すべて想定通りだった」 米ヘッジファンド暗躍

523__1

日経平均株価の終値が13、14の両日に1万2千円台になり、日本銀行が4月に大規模緩和を始める前の水準に戻った。
一時は1万5600円を超えたが、5月23日に1143円暴落し、下落に転じた。
背後にいたのは、米国のヘッジファンドだった。

米西海岸に拠点を置くヘッジファンドの首脳は実は、23日の1週間も前から大規模売りの準備に入っていた。(、、、以下、省略)
-----------------------
(引用終わり)

前段でも、同じ新聞の切り抜きをご紹介しました。

世には、株式市場の知識を、あまり持っていない方もいます。
ですから、私が株の話題をしても、「坂本さん、私は株の話をされても、あまりわかりません」と言われる方もいると思います。
ですから、上の記事を、わかりやすく、私達の馴染み深い言葉で言い換えると、実感を得やすいかと思います。

上の新聞記事の内容を、わかりやすく、私達の馴染み深い言葉で言い換えると、

  『2013年の5月23日に、日本の多くのお金が、アメリカのヘッジファンドによって、カモられた』

となります。

アメリカのヘッジファンドの人も、今頃は、

  「やっと、カモ(達)が気付き始めたか」

と考えているのではないでしょうか。

『四百八十二:私の見かけたビデオについて_No.46』の「●スライヴ (THRIVE Japanese) 」でも言われています。
該当記事に書かなかったのですが、概要を書きますと、要するに、銀行家や資本家などの人々が、大量の株を売ったりして大恐慌を引き起こしたり、金利を上げたり、下げたりして、いわゆる景気を作り出している事がわかります。

『四百八十二:私の見かけたビデオについて_No.46』
●スライヴ (THRIVE Japanese)
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2013/10/_no46-104c.html
http://www.youtube.com/watch?v=yp0ZhgEYoBI


YouTube: スライヴ (THRIVE Japanese)

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上記のビデオの1時間3分目ぐらいから見ても、わかるのですが、過去の世界レベルの大恐慌も、銀行家や資本家などの人々が、大量の株を売ったりして大恐慌を引き起こしたり、金利を上げたり、下げたりして、いわゆる景気を作り出している事がわかります。

「株」というのも、これは地上の人間が売買しているので、どこかの誰かが売買することによって、大恐慌というのが導き出されていたのです。

ですから、丁寧に、株の売買のやり取りを追えば、「この人間が、この株を大量に売った事により、恐慌が起きた」ということがわかるでしょう。
それが、彼等だった、とビデオ中で説明されています。

/////////////////////////////////
■②:

『三千六十八:資本主義の束縛から、どうやって徐々に逃れるか』中で、余談的に、ビルダーバーグ会議について紹介しました。

「現実に、ビルダーバーグ会議というものは実在する」という事が読者の方々にも理解できたでしょう。

wikipediaの説明にも、「ジャーナリストやコラムニスト等も招待されるが、会議での討議内容は非公開であり記事になることはない[3]」とあります。

これに関しての引用文を紹介します。

(以下、『旧・ほんとうがいちばん』様、2013/6/6記事より引用)
------------------------------------------
●1954年以来全く報道されることのない 「ビルダーバーグ会議」 が始まる―6月6日~9日イギリスにて
http://mizu888.at.webry.info/201306/article_22.html

イギリス独立党議員が欧州議会でビルダーバーグ会議に言及

(※:筆者注:理由はわかりませんが、なぜか該当ビデオは削除されています。)

ビルダーバーグ会議 : 欧州議会で取り上げられる (UKIP) #seiji イギリス独立党  http://youtu.be/UcmRjiX_t_M
公開日: 2013/05/22

ビデオ(概要)より転載

--------------
「パットン議員(イギリス独立党)どうぞ」

「次回のビルダーバーグ会議はイギリスで開催され、場所はワットフォードのグローブホテル、6月6日から9日とされています。」

「この年次会議は権力と富と影響力を持った人々---政界、ビジネス、金融関係が参加するサミットです。」

「この会議の最大のミステリーは主流新聞、放送関係者は、1954年以来、報道しないと決めていることです。」

「しかしインターネットの時代では、この存在は秘密にできません。」

「イギリスのすべての主流メディア、テレビ局に対して、報道することを書名で要請しました。」

「報道しないならば、なぜなのか?」

「情報公開条例を使い、ハートフォード州警察責任者に、どのような根拠で警察業務が提供され、誰が費用を払っているのかを、照会中です。」

「回答を楽しみに待っています。」

"The biggest mystery surrounding them is why the mainstream newspapers and broadcasters have chosen not to report on them since 1954 however in the internet age their existence cannot remain secret." - Gerard Batten

Published on 20 May 2013
https://www.youtube.com/watch?v=5A5jN...
Why don't the mainstream media report on Bilderberg meetings - Gerard Batten MEP
--------------
------------------------------
(引用終わり)

私も上記のビデオを直接見たのですが、なぜかは知りませんが、同上ビデオは削除されています。

EU会議場で、イギリスのパットン議員が上のように語っていました。

彼のセリフの中で、「この会議の最大のミステリーは主流新聞、放送関係者は、1954年以来、報道しないと決めていることです」とあります。

「(ビルダーバーグ会議に関して)なぜ、報道しないのか」は、私もわかりません。

また、主流新聞、放送関係者が、どのような取り決めの下に「報道しない」と決めているのかはわかりません。

ですから、現実に、「かなり多くの人々に向けての、テレビや新聞などで、伝えられないニュースがある」ということが存在する、ということがわかるでしょう。

で、そのビルダーバーグ会議の内容として、どのようなものがあるかというと、以下に幾つかの引用を挙げてみます。

////////////////////////////

◆引用1:

『二百八:News_No.281』
●イルミナティの計画&ブッシュ一族とロスチャイルドの戦い。
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2013/07/news_no281-3617.html
http://blog.livedoor.jp/wisdomkeeper/archives/51891464.html
http://the-tap.blogspot.jp/2013/07/how-bilderberg-fringe-was-controlled.html

(上記記事より抜粋引用、●ケリー・キャシディさんによる)
------------------
ケリー・キャシディさんによる、帝国の真実と題したプロジェクト・キャメロットの番組(ロンドンから)の中から、以下の内容が伝えられました。
・・・ビルダーバーグ会議では、デービッド・アイク、アレックス・ジョーンズを含む1000人の市民が会議場に入るのを許されました。
歴史的な事です。
あるイギリスの国会議員は、自分達が国を運営しているのではない、ビルダーバーグが世界中の国々を運営しているのだ、とはっきり言いました。
そして多くの人々がビルダーバーグに反撃し始めました。
エリート組織(イルミナティ)は、我々から隠れ続けるのを止めました。
我々は彼等から直接攻撃を受けています。
エリート組織は、自分達を第4帝国であると呼んでいます。
そして彼等は誇り高く世界の人口の3分の2を消滅させると言いました。
------------------
(引用終わり)

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◆引用2:

『三十六: 私の見かけたビデオについて_No.7』
●ビルダーバーグ2012ロンポール死への策略が明かされる
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2013/06/_no7-fc7a.html
http://www.youtube.com/watch?v=tBzz5dRxsS4



(上記ビデオより抜粋引用)
-------------------------
▲デスク・キャスター(ダリン・マックブリン)
「INFOWARSの夜のニュースへようこそ。」
「2012年6月1日金曜日です。」
「私はダリン・マックブリンです。」
「今夜のラインナップを素早く見てみましょう。」

「今夜のINFOWARSの夜のニュースでは、来るビルダーバーグ出席者の抗議が上がりました。」
「ビルダーバーグ調査をしてきたジム・タッカーはロン・ポール暗殺の策略を明かしました。」
      :
     (中略)
      :
「その時、企業化されていない真実の提供に基づいた新しいメディアの即時の仕事により、ここに巨大メディアニュースが絶滅する。」
      :
     (中略)
      :
■ジム・タッカー
「彼らはロン・ポールについて非常に厳しい事を言っていました。」
「なぜなら彼は非常に愛国的に議会を指揮していて、これら政策条約の承認を停止させ、彼らの大事な組織が傷つくようにしていて、」
「ですから、その過酷な話は近くにいた男から出て来て、ロン・ポールと彼の支持者達を飛行機に乗せて、そこでイスラム教徒の自爆策略で彼を落とそうというものです。」
「それも最も過酷なコメントで、彼らの主なスクリプトは私のところには来ていません。」
「ビルダーバーグの声はホテルのロビーに集まっています。」
      :
     (中略)
      :
▲デスク・キャスター
「そしてビルダーバーグのメンバーがロン・ポールを脅かしたのはこれが初めてではありません。」
「あなたは2007年の時のことを思い出すかもしれません。」
「私達に明かされたのは、米国諜報がロン・ポール革命を脱線させるために暗殺を検討していた事です。
-------------------------
(引用終わり)

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◆引用③:

前置きが長くなるのですが、2013/4/29から2013/5/3までの間に、米国のワシントンDCのナショナルプレスクラブで、米市民達が、UFOの目撃や証言を前米国議員の前で行う、という公聴会があります。
このイベントの正式名称は、「Citizen Hearing on Disclosure(以下、CHDと略す)」と言います。

このCHD開催中には、この公聴会の事を聞きつけた世界の人々が(わざわざ外国から米国のその会場に来て)、アメリカ人と共に、UFO目撃体験や、あるいは、宇宙人遭遇体験を語りました。

私も、当時、英語版「THE HUFFINGTON POST」に同記事が紹介されていましたので、翻訳していたものです。
それらの翻訳文を読まれたい方は、以下のURLにジャンプして、そこから、さらに様々な記事にジャンプしてください。

『七百七十四:UFO・ディスクロージャー・シリーズの目次』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2014/01/ufo-4c4a.html

そして、そのCHDの最後に、元カナダ防衛大臣、ポール・ヘリヤーが証言した内容の中にも、ビルダーバーグ会議のことが出ています。
その時のビデオがJessica0701さんによって、邦訳されていますので、そのビデオから紹介します。

『七百八十六:ディスクロージャーについて_No.46』
●元カナダ防衛大臣によるUFOエイリアン情報開示
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2014/01/_no46-ffce.html
http://www.youtube.com/watch?v=dpWPRd56D-0



--------------------
(YouTube概要より引用)
ポール・ヘリヤー:ポール・ヘリヤーはカナダ議会の最年少議員になった人物であり、ル-イ・サンローラン政権下で最も若くして閣僚となった人物である。
彼は2005年9月25日に、「UFOは飛行機が上空を飛んでいるのと同じくらい現実的なものである」と公に発表し、国際的に大きく報じられた。
この事により、彼はG8国家の閣僚レベルでUFOの存在を認める発言をした最初の人物となった。
--------------------

(上記ビデオより抜粋引用)
---------------
今から私の関心は完全なる情報開示です。
それから・・・私の唯一の注意点ですが、おそらく95から98%の完全な情報開示になります。

それは私達が様々な種類の生命で一杯の宇宙に住んでいるという事です。
それは存在し、私達の運命を支配する同じ既得権益により秘密にされているのです。
外交問題評議会、ビルダーバーグのメンバー、三極委員会、国際銀行カルテル、石油カルテル、様々な諜報組織のメンバーおよび軍事政権の選ばれたメンバー達です。
彼等は共にアメリカのみならず、欧米世界の多くの影の政府となっているのです。
ゲームの目的は世界政府であり、秘密結社のメンバーが含まれていて、誰からも選ばれていない人物であり、誰に対しても責任を持たない人物なのです。
そしてロックフェラー氏によると、計画は上手く進んでいるのです。

何故、私達の市民権が奪われているのかこれで理解するのに役立ったでしょうか?
"私達"と言いました。
何故ならカナダも壮大な計画に含まれているからです。
---------------
(引用終わり)

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後は、読者の方々も、ご自身で調べることができるでしょう。

また、やんごとなき方々(一般に、「身分の高い」と言われている人々のこと)が、そのような情報を嫌って、キャンセルさせるところも、以下のビデオの内容から理解できると思います。

『三百三十七: イルミナティについて_No.4』
●ジェイ・パーカーインタビュー④
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2013/09/_no4-9e49.html
http://www.youtube.com/watch?v=9Gl-yNEoGyI



(上記ビデオより抜粋引用)
---------------
●ジェイ・パーカー
「そういったビデオがあるのかどうかは僕はわからないけれど、私は目撃して、ネットに書き込んでキャンセルさせた事があるんですよ。」
---------------
(引用終わり)

////////////////////////////

これらの、テレビや新聞では伝えられない情報を、多くの人々が見るに、「私達は、本当にマトリックス(偽造社会の意味で)に閉じ込められていたのだ」と、実感し出すと思います。

映画『マトリックス』では、映画中では、人類は、うなじの部分に人工的なソケットを取り付けられており、そのソケットを通して、巨大コンピューターで作成された、偽造社会を一つの夢として、体験させられています。

現実の私達には、もちろん、うなじの部分に人工的なソケットは取り付けられていません。
ですから、巨大コンピューターの作成した「マトリックス」とは言えませんが、ある種の偽造された社会を提供する方法としては、特に、人工的なソケットを作る必要は無く、別の手段でも、マトリックスを作ることは可能だ、と、私達にわかります。

これらの情報を知ることによって、人は少しずつ、私達の周囲に張られたマトリックスから解放されていくかと思います。

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最近のマンガで『進撃の巨人』というものがあります。

この『進撃の巨人』は、SFなんですが、劇中の人間世界に巨大な壁が築かれており、壁の外には巨人がいて、壁の中に残された人類が住んでいる、という設定になっています。

そして、その壁の中の人類には、その壁が作られた本当の由来と壁の中の人類についての正当な歴史を教えてもらっていません。

これも「マトリックス」的な話題の一つと言えるかもしれませんね。

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最近、巷では「偽(にせ)のニュース」という表現が出回っているようです。

しかし、私がここで挙げたのは「偽のニュース」ではなく、「(マスメディアでは)伝えられない情報」とか「(マスメディアでは)教えられない情報」とでも表現するものです。

ですから、ここに挙げた情報は「偽のニュース」と呼ぶべきものではないです。

「偽のニュース」というからには、一つの情報に対してAという状態が正しい状態と仮定するならば、そのAの状態とは違ったBの状態が存在し、そのBの状態のニュースが巷に流される、という感じになるでしょうか。

ですから、私が上に幾つか挙げた情報は「偽のニュース」と呼ぶべきものではないですね。


                                        坂本  誠

2017年1月29日 (日)

三千六十七: 私達の社会でのロボットの大量導入を考えて

■:はじめに

こんばんわ。

三千六十四: 転換の時代を考える_No.3』の続きのような感じになります。

前の段にも、私が以前に書いていましたが、もう一度書き出しておくと、

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ロボットやコンピューターの多用によって、人の仕事が少なくなるだろう。
その結果、多くの人が仕事を失う結果、資本主義経済が後退するだろう。

また、科学技術の発達の結果、高性能の機器が多くの人に行き渡るだろう。
その結果、高性能の機器は壊れにくく、全ての製品が省エネする方向に向かうので、結果、機器の売れ行きも鈍り、資本主義経済が後退するだろう。
-----------------------

です。

これについて、具体的な例を挙げて、さらに踏み込んで書いてみます。

////////////////////////////////

■:ロボットを導入する店の例から

ロボットを導入したい企業(お店)をお菓子屋さんと惣菜屋さんの二つとしておきます。

お菓子屋さんと惣菜屋さんの両方の経営者も、コスト削減のために、幾つかのロボットを導入したとします。
今でも、そうなのですが、だいたい、どこのお菓子屋さんと惣菜屋さんでなくても、その会社の従業員の人も、自分の会社のために、余裕のある時は、自分の会社のお菓子とか惣菜を買っていくでしょう。

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ですが、この例でのお菓子屋さんと惣菜屋さんは、幾つかのロボットを導入したため、その会社の従業員の方に辞めてもらったとします。
すると、その退職した元の従業員達は、しばらくは仕事が無いですから、今までの会社の製品であるところの、お菓子や惣菜を買えないケースも多いことでしょう(あるいは、元の従業員達は、怒ってしまって、もう二度と、自分が元居た、お菓子屋さんと惣菜屋さんのお菓子と惣菜を買わなくなるかもしれません)。

つまり、会社の自動化(オフィス・オートメーション。ロボットやコンピューターを導入することによる、人員削減)は、自分の会社のお客さんをも失うことがわかるでしょう。

そして、その退職した元の従業員達は、しばらくは仕事が無いですから、当然、日用品の購入も少なくなるでしょう。

ですから、上の例で行くと、お菓子屋さんから、退職した元の従業員達は、元居た自分のお菓子屋さんのお菓子も買わなくなり、かつ、惣菜屋さんの惣菜を買うことも少なくなります。

もう一つの例である、惣菜屋さんから、退職した元の従業員達も、上と全く同じ事が起きるでしょう。

ですから、お菓子屋さんの経営者は、惣菜屋さんの経営者に言うかもしれません。

  「あなたの会社で、ロボットを導入しないで下さい。なぜならば、私のお店である、お菓子屋へのお客さんが減るからです」

と。

惣菜屋さんの経営者は、お菓子屋さんの経営者に言うかもしれません。

  「あなたの会社で、ロボットを導入しないで下さい。なぜならば、私のお店である、惣菜屋へのお客さんが減るからです」

と。

////////////////////////////////

■:ロボットが大量に私達の生活に入って来ると

ここまで書くと、読者の方々もわかってくると思います。

現在、資本主義社会では、上の例でのお菓子屋さんと惣菜屋さんだけでなく、大量の職場に、大量のロボットが導入されている、と。

つまり、資本主義社会での大量ロボット導入は、大量の失業者を作り出す、と。
つまり、「大量の失業者を作り出す」ということは、「資本主義社会で大量のお客さんの減少を作り出す」と。

------------------------------

ですから、結局、上の例で挙げた、コスト削減のための、お菓子屋さんと惣菜屋さんのロボット導入による、人員削減の行為は、回り回って、他ならぬ、「自分のお店の顧客を失わせる行為だった」と、あなたも理解できるでしょう。

////////////////////////////////

■:矛盾が導き出された

現在の資本主義社会での流行の最先端とされている、「ロボット導入」の行為が、他ならぬ、資本主義社会の大幅な後退行為や縮小行為そのものであることに、人は気付くでしょう。

この資本主義社会での、たった今、目の前に起きている事象を見て、あなたも以下のように感じるかもしれません。
  「これは矛盾だ」

あるいは、

  「資本主義社会とは、自分の尻尾(しっぽ)を食べている、蛇(ヘビ)のようなものだ」

と。

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------------------------------

上の仮想例の状態で、さらに私達は仮想的に時計の針を進めてみましょう。

(人員削減によって)お客さんの少なくなった、お菓子屋さんと惣菜屋さんは、当然、お客さんが少なくなったことにより、経営が悪化してきて、やがて、淘汰などが起こり、世のお菓子屋さんと惣菜屋さんの数が少なくなります。

現代だと、最近のオフィス・オートメーションの流行により、ロボット・メーカーの羽振りは、少しばかり良いと報道されています。

しかし、上の例の流れから、世のお菓子屋さんと惣菜屋さんの数の減少により、つまり、ロボット・メーカーのお客さんの数が少なくなることがわかるでしょう。

------------------------------

つまり、現代での大量のロボット導入を行うと、やがては、数多くのお店での人員削減は、大量の失業者を生むので、それらのお店自体の大量の顧客喪失が起きるので、さらに、それらのお店にロボットを提供していた筈の、ロボット・メーカーも、顧客喪失が始まると予想されます。

ですから、現代での大量のロボット導入の行為は、産業社会から人間が消えていくことを意味していますから、人間の産業社会の仕組みであるところの、資本主義システムを壊しているのに気が付くでしょう。

なので、人はさらに気が付くでしょう。

  「資本主義を後退させようとする人々とは、他ならぬ、資本主義を押し進めようとしている人々のことだ」と。

また、資本主義を後退させようとする人々とは、上の例から借りれば、お菓子屋さんと惣菜屋さんの経営者であり、また、世にロボットの普及を図るロボット・メーカーであり、あるいは、大量のロボットの導入を考えている国の政府の人々だ、ということになるでしょう。

////////////////////////////////

■:この矛盾は大自然の摂理の一つなのか

私は上に、

  「資本主義社会とは、自分の尻尾(しっぽ)を食べている、蛇(ヘビ)のようなものだ」

という喩えを書きました。

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しかし、柔らかな雰囲気で、別の方面から表現してみようと思います。

三千六十二:転換の時代を考える_No.1』の中で、私は、「■:北米大陸で行われた草食動物と肉食動物の個体数調査結果」という章を書きました。
詳しくは、該当HPを読んでほしいのですが、簡単に書きます。

草食動物が幾ら殖えたくても、その草食動物が殖えたことにより、肉食動物も殖えるので、多くの草食動物は捕食されるので、草食動物は減ります。
また、草食動物が減ると、それを餌とする肉食動物も捕食対象が減少することにより、肉食動物も個体数を減らすので、草食動物は天敵がいなくなるので、再び、草食動物の個体数が殖えます。

この「草食動物と肉食動物の個体数調査結果」から、読者の方も以下のことを感じるかもしれません。

  「増加の行いの中には、既に、減少の傾向の芽を、必ず孕(はら)んでいる。同様に、減少の行いの中には、既に、増加の傾向の芽を、必ず孕(はら)んでいる」

と。

大自然の一つの摂理として。

------------------------------

上の流れでの、「資本主義の発達によって、科学技術が発達して、大量のロボットが生産される」というのは、読者の方も、自然な流れを感じるでしょう。

ところが、その「自然な流れ」そのものが、資本主義の後退をも、自然に招いているのに気が付くでしょう。

ですから、私が上に書いた

  「増加の行いの中には、既に、減少の傾向の芽を、必ず孕(はら)んでいる。同様に、減少の行いの中には、既に、増加の傾向の芽を、必ず孕(はら)んでいる」

の、表現の方は、大自然の一つの摂理として感じるでしょうから、「資本主義社会とは、自分の尻尾(しっぽ)を食べている、蛇(ヘビ)のようなものだ」の表現よりも、柔らかく、人に受け入れられるかもしれません。

ですから、現在、たった今でも、行われている資本主義でのロボットの大量導入も、「大自然が私達に一つの摂理を見せてくれて、学ばせてもらっている」、と感じれば、心が穏やかになって、澄んだ眼差しで、私達の社会現象を見ることができるかもしれません。
------------------------------

思い出せば、『三千六十二:転換の時代を考える_No.1』で「■:日本での少子化」を書きました。

子供達の教育費の増大も、思えば、資本主義の自然な流れでした。
ですから、教育費の増加を考慮して、多くの人々が、少子化の流れに入った(つまり、顧客数の減少方向に入った)のですが、これも、資本主義の自然な流れだったと言えるかもしれません。

ここからも、上の「増加の行いの中には、既に、減少の傾向の芽を、必ず孕(はら)んで、、、」が連想できるでしょう。

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■:私達はこの現象をどう見たら良いのか

ここで、少し別の角度から、この現象を見てみましょう。

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「雇用の減少は恐ろしい」と、多くの人は感じているかもしれません。

しかし、煎じ詰めて、見てみると、雇用の減少そのものが怖いのではなく、雇用の減少の結果から生じるところの、「手持ちのお金の減少」、これが、本当に人が恐れている実体なのだと気が付くでしょう。

ですから、仮に、私達の社会で、一切、お金が使用されていない社会だと考えてみると、上からずっと論じている、「資本主義でのロボットの大量導入」も、スムーズに導入されているのではないでしょうか。

なぜならば、世に、お金が無いので、失業から生じる、「手持ちのお金の減少」という心配事が起きることは無いからです。

また、逆の目から見れば、「お金の存在が、私達の社会での、ロボットの大量導入を妨げている」とも見なせるでしょう。

このように、完全に私達の視界から離れた地点に、一歩、意識を持って行って、そこから眺めて、考えると、「私達の社会に、大量のロボットを導入すべきか、どうか」の二者択一の答えとか対処方法よりも、別の角度からの答えあるいは対処方法が得られるかもしれません。

具体的には、「私達の社会に、大量のロボットを導入すべきか、どうか」よりも、「私達の心の底にまで潜んでいるお金に対する意識の状態を変えてみるのはどうか」という視点からの、アプローチも効果的だと感じます。

それか、現在でも、かなり阻まれています、フリー・エネルギーの導入の事を考えていたら、気分が落ち着く方も増えるかと思います。

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■:終わりに(老荘思想に学ぶ)

  「増加の行いの中には、既に、減少の傾向の芽を、必ず孕(はら)んでいる。同様に、減少の行いの中には、既に、増加の傾向の芽を、必ず孕(はら)んでいる」

と、表現しましたが、古来から言われている事の一つなのかもしれません。

上の表現から、私は、古人の言葉を思い出します。

誰が言ったかまではわからないのですが、中国の老荘思想の中の一つにあったと記憶しています。

その古人の言葉とは、

  「陰極まりて陽を成し、陽極まりて陰を成す(いんきわまりてようをなし、ようきわまりていんをなす)」

という言葉です。

P8220173

 

イメージ的な図柄でも表現されています。

その図とは、読者の方もどこかで見たことがあるかもしれません。

黒と白のヒスイのような二つの図形が、お互いの形を持って、ピッタリと合わさり、一つの円を成しているのです。

そして、その黒と白のヒスイの中心に当たるような部分には、それぞれ、互いの色であるところの、白と黒の点があるのです。

陰極まりて陽を成し、陽極まりて陰を成す」という古人の言葉と、私の書いた表現の絡みを、うまく書けないのですが、雰囲気だけを読者の方が感じて頂ければ幸いです。

何かの上手い表現が見つかったら、再び書いてみたいと思います。

P8220174



(以下、過去記事、関連記事、及び、参考文献)
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(以下、『Gigazine』、2016/5/26記事より文章と写真を引用)
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●マクドナルド元CEOが最低賃金がこのまま上昇し続けるならすべてロボットに置き換えられると予測
http://gigazine.net/news/20160526-mcdonalds-worker-robot/

特別な知識やスキルを必要としない職業は、人工知能やロボットで代替される可能性が高いと推測されていますが、マクドナルドの元CEOが人間を雇うよりも、ロボットを導入する方が安く済むと発言しています。

Fmr. McDonald's USA CEO: $35K Robots Cheaper Than Hiring at $15 Per Hour | Fox Business
http://www.foxbusiness.com/features/2016/05/24/fmr-mcdonalds-usa-ceo-35k-robots-cheaper-than-hiring-at-15-per-hour.html

Ceo

マクドナルドUSAの元CEOであるエド・レンシ氏は、(、、、以下、省略)
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(引用終わり)


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『三千六十四: 転換の時代を考える_No.3』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2017/01/_no3-282b.html

■:資本主義の大骨子「利子」について
■:「利子」やお金の問題点についての資料紹介(ビデオ)
■:資本主義の行方
■:現在の社会システムの状態
■:「転換の時代」には、どのような方向に道を見いだした方が良いか
■:「転換」とは、バランスを取るためにある
■:終わりに

『二千五百八十三:銀行制度についての種々の話題_No.8』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2015/07/_no8-c8e8.html
●お金の問題点_0002.wmv
https://www.youtube.com/watch?v=3ibrKBohE8o



『二千五百八十六:銀行制度についての種々の話題_No.10』
●「お金の問題点」の続き
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2015/07/_no10-9079.html
https://www.youtube.com/watch?v=T8DcvHSi-C8



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『三千六十三: 転換の時代を考える_No.2』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2017/01/_no2-dbc8.html

■:価格の上下をさせるだけで、切り抜けられるか
■:お客さんの存在
■:氷河期時代を連想すると

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『三千六十二:転換の時代を考える_No.1』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2017/01/_no1-6ecc.html

■:はじめに
■:北米大陸で行われた草食動物と肉食動物の個体数調査結果
■:資本主義社会の狙い
■:日本での少子化


                                        坂本  誠

2017年1月23日 (月)

三千六十: 私の見かけたニュース_No.95

私の見かけたニュースをお届けしたいと思います。
新聞記事中に、既に太字が使用されていましたので、その部分は、太字のままにしています。
私の気になった部分には、アンダーラインを引かせて頂きました。

(以下、『Gigazine』、2017/1/23記事より文章と写真を引用)
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●ビル・ゲイツが「新しい形のテロリズムがやってくる」と警告
http://gigazine.net/news/20170123-bill-gates-warns-bio-terrorism/

現地時間2017年1月19日(木)に行われた世界経済フォーラムで、ビル・ゲイツ氏が新たな形のテロが近いうちにやってくることを警告しました。
「新たなテロ」は国境を無意味にするものですが、国や人はまだテロと戦う準備ができていないとのこと。

Bill Gates warns about bio-terrorism threat - Business Insider
http://www.businessinsider.com/bill-gates-warns-about-bio-terrorism-threat-2017-1

Photo

新しいタイプのテロリズムとは、バイオテロ、あるいは意図を持って伝染病を広げるテロのこと。
「バイオテロが起こる確率を見積もるのは難しいが、潜在的な可能性は非常に高い」とゲイツ氏は語っており、今後起こる可能性のあるバイオテロに対抗する方法について、いますぐ議論を始める必要があると警告しました。

1月17日から行われていた世界経済フォーラムの前半で、ゲイツ氏は自然発生する病気と意図的に生み出された病気の両方の危険性について語っていました。
自然発生するにしろ意図的に発生させられうにしろ、1万人が死亡する感染症がまん延する可能性があるとゲイツ氏は見ており、2月にミュンヘンで行われるカンファレスにて、これらの問題について議論する予定があるとのこと。

2016年10月に公開されたTelegraphの取材記事の中でも、ゲイツ氏は世界が「良い方向に移り変わっていると強く信じている」としながらも、懸念しなければいけない3つの「暗い雲」として、「生物兵器や核兵器を持つテロリストによってパンデミックがもたらされる危険」「人工知能などの技術が適切に使われない危険」「民主主義自体が崩壊する危険」について語っていました。

Yコンビネータ社長のサム・オルトマン氏もゲイツ氏と考えを同じくしており、The New Yorkerの取材の中では「オランダの研究者らが猛毒性鳥インフルエンザウイルス(H5N1)をほ乳類間で空気感染することを可能にしてから5年たち、次の20年間で人工的に作られた致死性のウイルスが放たれる可能性はゼロではない」と語られています。

by UGA College of Ag & Environmental Sciences - OCCS

バイオテロは国境を容易に超えていくため、各国は協力してテロ対策に取り組む必要がある、とゲイツ氏。
ビル&メリンダ・ゲイツ財団はパンデミックの可能性があるにも関わらず市場性に乏しい感染症に対するワクチン開発を促進するCoalition for Epidemic Preparedness Innovation(CEPI)という組織をウェルカム・トラストや世界経済フォーラムと協力し設立しており、CEPIは約7億ドル(約800億円)の資金をもって対策にあたっていますが、7億ドルではパンデミックの脅威を取り除くのに不十分だとゲイツ氏は考えているとのことです。
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(引用終わり)


(以下、上記記事を読みながら思い出していた過去記事、関連記事、及び、参考文献)
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『五百十六:ワクチンについて_No.4』
●ビル・ゲイツ 「ワクチンで人口削減が可能」
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2013/11/_no4-ec01.html
http://www.youtube.com/watch?v=b4vE8AdSPGc



(上記ビデオより抜粋引用)
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でも、ちょっと見て下さい。
最初に人口があります。
世界の人口は現在68億人で、もうすぐ90億人になります。
もし私達が新たなワクチンや健康管理や生殖に関する健康管理について真に取り組めば、人口を10から15%削減することが出来ます。

この10年間、私達は新たなワクチンの生産、またそれが必要な子供達への供給に関して、大きな進歩を遂げる事が出来ると信じています。
それに成功すれば、毎年死亡する子供の数を900万人からその半分に減らす事が出来ます。
これには、病人の減少、人口増加の減少などの利益があります。
この発明が実現した日には、社会が社会自体の世話をすることができるチャンスを手にします。
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(引用終わり)


『七百三:ワクチンについて_No.6』
●ビル&メリンダ・ゲイツ財団のワクチン接種後に麻痺したアフリカの子供達
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2013/12/_no6-0f13.html
http://www.youtube.com/watch?v=UnGimRJdGRM



(上記ビデオより抜粋引用)
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「そして最近アフリカの小さな村で、小さな村があって、そこで50人の子供達が麻痺したのです。」
「この時間内の時点で、実質的にどのメディアもこの重要な話を拾い上げてはいません。」
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(引用終わり)


『八百六十九:ワクチンについて_No.8』
●白衣・薬を信じるかは己が決めよ!ポリオワクチン暴露!人口削減計画
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2014/02/_no8-22df.html
http://www.youtube.com/watch?v=rkpwW2o-e3A



(上記ビデオより抜粋引用)
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彼等が言うには、2003年ナイジェリア北部では政治的指導者・イスラム指導者が接種キャンペーンの"子どものワクチン接種の拒否"を親にうったえかけ停止させました。
「子供達にワクチン接種をさせないように」と両親達に呼びかけたのです。
これら指導者達が主張したのは、ワクチンが不妊薬、HIV、癌性のウィルスで汚染されていると警告しました。
これは「ユニセフのナイジェリアのポリオワクチンは不妊薬で汚染されていた!」と科学者が突き止めた記事です。
でっち上げではないという事になってしまいました。

とてもショッキングです。
なぜならGAVIは、ここに書いてあるように、ビルとメリンダ・ゲイツ・子供達のワクチンプログラム、ロックフェラー財団、ユニセフ、WHO、世界銀行などのパートナーを誇る高い筈の組織だからです。
それらの全ての評判の高い組織が関与しているのに、どうしたらそのような事が起こりえるのでしょうか?

では、評判のいい組織のリストに戻りましょう。
まず最初に、ビルとメリンダ・ゲイツ、ゲイツ・子供達のワクチンプログラム。
ビル・ゲイツは一度会見で、もしワクチンと生殖に関係する健康分野でもし本当に良い仕事をしたのなら、人口増加を15%減らす事が出来ると発言した人物だです。

そして、ロックフェラー財団がありますね。
慈善団体ですね。
コロンビアで約4万人の女性達を不妊化するプログラムをかつて実行していました。
著者であるポニー・マスによると、ロックフェラー家にあるロック・フェラー財団はそのメンバーには米国優生学ソサエティからジョンDロックフェラーがいます。
彼は1952年に人口協議会へ資金提供し、言っていたのが、我々は貧しい国の政府や指導者達に、彼等には深刻な人口問題があると説得しなければなりません。
我々の人口制御を介してどのように解決するかを彼等に示さなければならない。
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(引用終わり)


『百四十四:『人口削減計画』等について_No.5』
●NASAの未来計画文書③
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2013/07/_no5-0b84.html
http://www.youtube.com/watch?v=2Ww0U-TMGnE



(上記記事より抜粋して引用)
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Nasa


●デボラ:
これが彼等が私達に伝えている事で、98ページには、『典型的なシナリオ、10人と1000万ドルによって、アメリカを破壊しろ。』2成分生物学的製剤(輸入されたビタミン剤、服等、食料供給・・・を通して)毒が入れられます。ワクチンとウィルスによるテロ攻撃、私達の線路が攻撃される事について話しています。

■コブラ:
「これら全ての情報をありがとうございました。」
「デボラ・ティベラ、私達はあなたのウェブサイトをチェックし、これが拡散され、外に情報が出るように努力します。」
「どうもありがとうございました。」

●デボラ:
「ありがとうございました。」
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(引用終わり)


                                        坂本  誠

2017年1月19日 (木)

三千五十七: 民主主義と代議士の関係を考えて

以前にも、「政治に、代議士(政治家)というものが必要か?」という手合いの記事を書きましたが、さらに説得があるように、文献を紹介しつつ、あるいは、想定される状態を紹介しつつ、この手の記事を書き進めていきたいと思います。

まずは、以下の引用から始めます。

(『法律のことがよくわかる事典』(川口 均 監修、西東社)より)
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●EDITOR NOTE

直接民主主義と代表民主主義

わが国では、日本国憲法によって国の主権は国民にあるとされています(これを主権在民という)。

そのため本来であれば国のルールにあたる法律も、国民すべての議論にもとづいて決めるべきところ(これを直接民主制という)ですが、それはとうてい無理な話。
そこで選挙によって選ばれた代議士が、国民に代わってこれを行っています(これを代表民主制という)。

また、この代表民主制を正常に機能させていくため、すべての国民には一定の年齢に達した場合、国会議員、知事や市長、地方議会の議員などに立候補する権利やそれらを選ぶ権利、すなわち選挙権が与えられているのです。
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(引用終わり)

(※:訂正事項:以前のブログ記事の中では、上記の「代表民主制」のことを「間接民主制」と、私は書いていました。「直接民主制」という単語が頭に残っていたので、その逆の「代表民主制」のことを「間接民主制」と書いていました。「間接民主制」と書いても、「代表民主制」と書いても、内容は同じことを意味するのですが、今後は、「代表民主制」の単語を使っていきたいと思います。)

上の引用文献をよく考えてみましょう。

そのため本来であれば国のルールにあたる法律も、国民すべての議論にもとづいて決めるべきところ(これを直接民主制という)ですが、それはとうてい無理な話

とあります。

民主主義政治では、「国民の全てが行う」というのが根本柱であることがわかります。
なぜならば、「そのため本来であれば国のルールにあたる法律も、国民すべての議論にもとづいて決めるべきところ」とありますので。

しかし、その後に、以下の文章があります。
それはとうてい無理な話」とあります。

これが、現代の科学技術の発達した私達の社会で、無理かどうかを、私達は検討してみましょう。
私達の社会でも、お気づきの通り、通信が発達しました。

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最近では、「あるアイドル・グループの中で、誰が一番か?」ということを知るために、ネット上で、『何々総選挙』という、催し物も見られますね。

また、テレビでも、「双方交通信」といって、テレビのリモコンを見ると、様々なスイッチがあり、それらのスイッチを使うと、例えば、「ある音楽番組の中で、紅組の誰々が歌った音楽が一番良かった」とか「ある音楽番組の中の催し物で、白組の催し物が一番良かった」等のアンケートを回収するのも一瞬で出来ることがわかります。
また、そのアンケート結果の集計も、コンピューターを使って、一瞬で、表示されています。

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また、最近では、テレビ電話も普及しています。
ですから、様々なテレビ番組を見ても、多くの人が見た記憶があると思いますが、遠く離れた人とでも、テレビ電話を使用して、議論や会議が行えます。

ですから、私達の政治などで見受けられています、国会議員を選出して、それらの国会議員を中央都市にまで、費用付きで派遣して、さらに、巨大な議事堂を維持しつつも、その中で、議論を行い、法律を決めてもらう、というのは、莫大な費用がかかっていることに、誰もが気が付くことでしょう。

まず、巨大な議事堂を維持する必要も無いし、中央都市に、数多くの選出された代議士を送って、議論してもらう、等というのは、莫大な費用がかかります。

選出された代議士を中央都市に費用付きで派遣せずとも、テレビ電話で議論する方が、ずっと安上がりでしょう。
ですから、現在、中央都市では、『議員宿舎』というものもありますが、これすらも不要だとわかるでしょう。

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ここまで来れば、「私達の地方で、代議士を選出する」ということですら、不要なものとわかるでしょう。

代議士を選出せずとも、議論をしたい人が、そのテレビ電話を使って、日本の中の、その手の議論をしたい人と議論をすれば良いわけです。

そして、その議論の内容をネット中継すれば、これぞ、「国民に開かれた政治」になることが誰でもわかるでしょう。

そして、最終的な、ルール決め、わかりやすく言えば、法律制定のための投票ですが、上の例で挙げたように、アイドル・グループ等にも使用されている『何々総選挙』みたいな感じで、インターネットを使って、画面上に出ている「はい」か「いいえ」のボタンを押すだけです。
(もちろん、人々には、そのボタンを押すか押さないかの選択も出来るでしょう。なぜならば、政治に興味の無い人には、それを強いることも出来ませんし、また、何かの病気で病院のベッドの中で苦しんでいる人も中にはいますので。)

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この段落の主旨である「それはとうてい無理な話」の、「それは本当に無理かどうか」を、私達は議論していたわけですが、ここまで直接民主主義の実行のあらましを私達がイメージできると、「現代科学の発達によって、直接民主主義の実行は可能となった」と、考えることが出来るでしょう。

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私達の間で、「今や、直接民主主義の実行は可能となった」ということがわかりますと、それは、つまり、現代の中央集権制である、代表民主制が不要になってきたとわかるでしょう。

「民主主義の本来の道筋である、直接民主主義の実行が可能となってきた」ということは、当然、多くの議員が不要になってくるとわかるでしょう。

当然、選挙すら、必要無くなるのです。

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しかし、ここから先は、一種の抵抗があることも、読者の方は予想できるでしょう。
例えば、この、めでたくもある筈の「民主主義の本来の道筋である、直接民主主義の実行」されれば、現在の国会議員が、その職を失うことになり、当然、彼等の給与は無くなるからです。

ですから、ある代議士になると、「自分の職を失うわけにはいかないので、何としてでも、(民主主義の本来の道筋である)直接民主主義の実行を阻止せねば」と、考える人も出て来るでしょう。

しかし、その阻止活動自体が、民主主義の本来の道筋である直接民主主義の実行を妨げようとしているので、「その人は、民主主義を実行しようとしていない人だ」と、有権者から言われることでしょう。

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私がここに出した、「直接民主主義の実行」の件は、何も、私が新しいことを言ったわけではないことがわかると思います。
ただ、民主主義の始まった頃の、真の民主主義の実行方法についてを、ここに書きだしただけだ、ということがおわかりになるでしょう。

「政治家不要論」と書いてしまえば、多くの人は、「そんな非常識なことを言うんじゃない」という、声を荒げた批判が聞こえそうな気がするのですが、本来の民主主義の実行方法とは、「政治家不要論」の方が当然であったのだ、と深く実感できたと思います。

要は、この「直接民主主義の実行」の件について、人々が忘れさせられていただけです。
そして、「科学技術の発展や、その他の社会の流れの変更によって、本来の直接民主主義の実行が、可能かどうか」を常に検討されているのが、本筋な筈ですが、これも、日常の中で、忘れさせられるように、させられていたこともわかってくると思います。

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私が思うに、多くの人は、憲法の変更を嫌うと思います。
その大きな原因を考えるに、「軍事憲法になったら、困る」とか「独裁憲法になったら、困る」という原因が、考えられるでしょうか。

確かに、私も、上記のような憲法になってもらったら困るので、嫌です。

しかし、現行の憲法というのは、これは、世界各国の憲法でも、ほぼ、民主主義の「代表民主制」を実現している憲法です。

日本国憲法でも、「代議士を選出して、国会議員にして、政治を行う」という主旨の文章があります。
しかし、これはおわかりのように、「代議士を選出する」というのは、「代表民主制」を実現しているわけです。

ですから、あくまで、「仮の政治システム」とされてきた「代表民主制」を実現させずとも、民主主義の本来の路線である、「直接民主主義の実行可能が見えてきた」と、あるならば、当然、「直接民主主義」の実行が可能な憲法に変更される必要が出て来ると思います。

憲法や法律に限らず、その他の何かのルールにしても、時や環境が変われば、それに合わせて、それらのルールを変更する必要性が出て来るのは、実は、当然なことなのです。

当然、日本国憲法でさえも、どこかの時点で、変更をかけなければいけない時が、私が上に挙げた以外にも、出て来ると思います。
しかし、もし、憲法変更となれば、日本国憲法の草案作成時のように、アメリカの意思が関わってきたとか、あるいは、その時の一握りの憲法学者達が、その草案を作成した、ということが起きないように、してもらいたいものだ、と思います。

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                                        坂本  誠

2017年1月17日 (火)

三千五十五: 私達の間の嫉妬について

私達の間の嫉妬について考える機会がありました。

三千五十四:楽園とは(独白)』で、私達の楽園について書いたのですが、もし、私達が楽園を作りたいと思えば、その楽園作りに欠かせないと思えるのが、私達の間の妬み(ねたみ)を失くすことです。

私達の社会では、妬みが蔓延(まんえん)していると感じる私です。

もともと、妬みというのは、他人の生活を羨んだり、他人の持っている何かのものを妬むことです。

Photo

 

色々と言われているように、他人の生活を羨んだり、あるいは、他人の持っている何かのものを妬んでも、その妬む人も幸福にならないし、妬まれた人も幸福になりません。

妬んで幸福になれない以上、それは楽園を作っているとは言い難いのですので、私達は妬みを無くす方向に歩んだ方が良いとわかります。

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ですから、私達の社会で、どのような状況で、妬みが発生しているかを子細に見ることの方が先だとわかります。

一つには、学校での、子供達に対するテストです。
あるいは、偏差値教育です。

学校で実施されるテストによって、子供達の学力が1番から、最下位までが決められています。
このように、誰でもが学校の中で順序付けられていると、学力が1番より下の子供達が、それぞれに妬むことでしょう。
偏差値でもそうですね。

このように、子供達は幼い頃から、競争意識を持たされていることがわかります。
つまり、「妬み」とか「悔しさ」という、ネガティブな感情が、競争社会に利用されていることがわかります。

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そして、私達は、幼い頃から、競争ばかりをさせられるので、それに慣らされてしまい、現在の競争社会に対しての疑問を持たせられないようにされているでしょう。

一方では、「妬みは良くない」と言われているにも関わらず、その逆の順位付けだけは、確実に行われているのに気が付きます。

これも、「どこか、おかしいぞ」と、人は気付き始めることでしょう。

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そのまま、幼い頃から、競争に慣らされた私達は、そのまま、大人の社会に出ます。

大人の社会に出ると、今度は、主に人の所持金とか、会社での給与の額が、テストの点数と同じであることに私達は気づくでしょう。

自分の給与の額と、隣人の給与の額を比較して、隣人の給与の額が高いと、人は、どこか自然と、その隣人を妬むことが多いでしょう。
「隣の芝生は良く見える」という諺がありますが、この現代版は、人の所持金とか、会社での給与の額となります。

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会社間でも、競争ばかりさせられています。

会社間ならば、その会社の売上高とか、あるいは、純利益と言われるものです。
これらも、お金で測られていることがわかります。

誰もがわかることですが、この会社間の競争の、皺寄せ(しわよせ)が、多くの人々の長時間労働に化けて来ます。

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資本主義社会では、お金を使って、会社間の競争をさせていますから、その資本主義の根本の理屈に終止符を打たない限り、私達の社会、つまり、資本主義社会での、日増しに増加する長時間労働も無くならないと思います。

つまり、資本主義社会というのは、「競争をさせよう」というのが、メインの目的ですから、その細部を構成している筈の一人一人の人間にも、幼い頃からの競争が義務付けられるような感じとなるのです。

この、資本主義社会の中の、ほとんど全ての人間に対して、競争を強いられますから、一人一人の人間の心の内部でも、競争意識が高められます。

その結果、私達は、私達の生活の終止に至るまで、闘争の意識をまとっているかのようになり、つまり、妬みや嫉妬の心も抱かされますので、結局、私達は私達の楽園と思えし状態から遠ざかるわけです。

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会社間の競争だと、主に売上高や純利益等の金銭的な数値が競争道具に使用されていますが、他にも、まだ、あるので、ちょっと、具体的に挙げてみれば、例えば、テレビ会社だと、自社の制作した番組の視聴率とか、あるいは、何かの製造会社だったら、その製造品の生産の値です。

他にも、まだ、何らかの競争道具があるでしょう。

私達の社会の間での、主に使用されている競争道具は、上に挙げたものを書けば、「テストの点数」とか「所持金の多寡」とか、「会社の売上高や純利益」とかです。

これを、グローバル的に見ると、当然、一国の売上高に相当するGDP(国内総生産)というものになります。

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上に挙げたように、とにかく、数値の多用がなされています。

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私達の社会に存在する様々なものを、大量に数値化することにより、それらは、常に比較されているのです。

比較ばかりされると、結局、私達は心の中に妬みを作ってしまい、それによって、私達は不幸を感じてしまうのです。

これが、大量の人々に適用されているのに気が付くでしょう。

ですから、私達は、自分達の欲する楽園からは、遠ざけられようとしているのです。

つまり、このように大量の競争を礼賛(らいさん)するシステムが、資本主義社会であり、それは意図的に組まれたことがわかります。

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ですから、私達は、自分達の楽園を作るに当たっては、これらの大量に数値化されたものを、逆に意図的に、冷淡に眺めた方が良いでしょう。

どこかの学生の方が、私のブログを読んでいるかどうかは、私はわかりませんが、学生の方だったら、例えば、よく学校の教諭が、あなたたちに、「あなたがた(学生の方)のことを思って、言うのだが、もっともっと勉強しなさい」と、いつものお馴染みの言葉を言ってくる教諭も多いことでしょう。

このような時には、

  「彼等も、仕事で言っているのだ」

と、思い出して、軽く受け流した方が良いと思います。

もっとも、子供の頃の「学習意欲」そのものと、子供以外の大人達が、競争社会を助長させるために、子供達に学を強制するのは大きな違いがあります。

子供の頃の「学習意欲」というのは、純粋に、子供の好奇心によって、自発的に、どんどんと世界の知識を自らに取り入れていくことです。

この状態だと、子供達は自分の学びに飽くことはありません。
また、その学び自体に非常に喜びを感じます。

ところが、そのような自発的な学びの意欲ではなく、周囲の親のような人々が、その子供に対して、学を強制するのは違いがあります。
その子供達は、学を強制されたので、次第に学校が嫌になります。

結果、その子供自体の成績が落ちることが多いです。

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また、何よりも、そのような学を強制する程の教育熱心な親自体が、まず、子供達の競争に巻き込まれていることに気が付くでしょう。

その親自体が、子供達の持ち帰るテストの点数に心を奪われて、苦しんでいるのです。

よくある話ですが、例えば、隣の家の子供の方が良いテストの点数を取って来て、自分の子供のテストの点数の方が低いと、そこに、子供の競争の苦しみを先取りして、その親自身が、競争意識に苦しめられていることが、多くの人々にわかります。

結果、その親自体も、妬みや恨みの感情に支配される結果、その親御さん自体が、幸福感から遠ざけられます。

ですから、ここで、私達が知っておいた方が良い事は、「資本主義社会のこの世では、大量の競争が意図的に行われており、私達は、非常に巧妙に、競争を礼賛するように誘導されている」ということでしょう。

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ですから、ここまで読むと、今まで、競争を礼賛して来た方々も、「ハタッ」と、一旦、足を止めて、自分達の社会を、生まれて来た時の幼子のような眼を持って、客観視出来るかと思います。

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                                        坂本  誠

2016年12月30日 (金)

三千四十六: 雰囲気の良い単語を列挙してみると

こんばんわ。

日本語の文章を書いていると、時々、その日本語の単語の中でも、特に、高潔な雰囲気を持った単語に触れる機会があります。
そして、それらの単語の持つ、清らかな響きを耳にし、かつ、それらの単語の持つ意味を噛みしめるように何度も味わいつつ、その雰囲気を深く想像すること自体に、趣深い一時を味わえる機会があります。

私なりに、幾つかのそれらの単語を下に列挙させて頂きますと、

    創造、叡智(えいち)、歓喜(かんき)、感謝、

    内奥(ないおう)、合一(ごういつ)、調和、向上、

    謙虚(けんきょ)、探求、久遠(くおん)、静寂(せいじゃく)、

    進化、美、清楚(せいそ)、祈り

です。

しかし、他にも、まだまだ、色々な味わい深い雰囲気を持った日本語の単語があるかもしれません。
人によっても違いがありますので。

ですが、このように、味わい深い単語を、一挙に列挙して、それらを見続けているだけでも、それらの雰囲気に酔える時があるものです。

このように、日本語の文章にはなっていないものの、上の単語を列挙しただけで、それらをまとめた雰囲気を同時に味わうこともできるので、列挙するだけでも意味があるかもしれません。

また、これらの単語の雰囲気を合一化させた雰囲気を、目を閉じて、瞑想してみるのも、興味があり、意義のある一時を作れるかも知れませんね。

例えば、目を閉じた暗黒の視界の中に、曼荼羅(マンダラ)の絵画が浮かび上がって、その絵画から、上記の単語の発するエネルギーの河が、絵画の中心から流れて出ている、とか。

私は日本人なので、主に日本語しか使わないので、外国語については、あまり詳しくないのですが、外国語にも、上記で紹介したような単語の一覧を作成できるかもしれませんね。

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                                        坂本  誠

2016年12月27日 (火)

三千四十五: 私達の社会を見ていると(独白)_No.2

三千四十四:私達の社会を見ていると(独白)』で、競争について考えていたのだけど、完全に「競争」というものが悪いばかりでないのに私達は気がつく。

例えば、スポーツでも、よく競技として競争が行われている。
他にも幾つかの知的ゲームでも、勝敗を競っているから、それらも競争と言えることに私達は気がつく。

何らかのスポーツ大会で、出場選手達が自分達の鍛えてきた技術を競い、多くの人々に披露している。
私達は側で見ていて、それらのスポーツ競技には、一抹の爽やかさや美しさを感じることもある。

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スポーツ競技や知的ゲームの競技の、競争に、悪質性を感じる人は少ないと思う。
そして、それらの大会では、人の能力の順位を決めてはいるけれど、原則として、その場限りである。
だから、ある意味、人はそれらの競争には爽やかさを感じるのだろう。

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ところが、私達の社会生活上の競争は、かなり違っていることに気がつく。

例えば、会社間で行われている競争などは、人の死活問題に直結している。
同じ業界のライバル会社が、その業界で優位になると、時として、その業界の幾つかの会社が倒産する場合もある。

それは「自分の勤めている会社が倒産すると、職無しになり、給与という名のお金が手に入らないので、飢え死にしてしまう」という恐怖感を込められた、競争である。

あるいは、私達が幼い頃から学校などで学習(刷り込み)を続けられている、教育上の競争も、死活問題の絡んだ競争といえるかもしれない。
なぜならば、学校教育の延長上に、現代の資本主義競争社会が配置されているのだから。

だから、スポーツ競技や知的ゲームの競争と、資本主義社会システムの競争には、著しい違いがあることが、私達にわかる。

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普通、私達、人間の間では、「幸福な世界を作ろう」とか「幸福な世界を追求しよう」というのがモットーになっている。

しかし、一方では、同時に、多くの会社の間で、あるいは、様々な産業生活の中では、「もっと我々は産業上の競争に励もう」という目標をも推奨している。

ところが、その産業生活の中の「競争」とは、上に書いたように、人の死活問題をはらんだ競争であることが私達に理解済みである。
どんな人でも直感的に理解できるけど、「死活問題」というのは、私達の幸福とは直結していない。
なぜならば、その二つは、お互いに逆方向に向いているベクトルだから。

(競争が闘争になり、闘争が戦争になる。)

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だから、私達の間で、

  「幸福な世界を作ろう」

と、言いつつ、一方では、

  「もっと我々は産業上の競争に励もう」

と、言っているのは、矛盾を行っていることに、私達は気がつく。

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早い話が、私達は矛盾を行っているのだから、永遠に、その二つのゴールのどちら側にも到着することが出来ない。
なぜならば、相反する目標を掲げているのだから。
一つの船には、2つ以上の進行方向を持てないのだから。

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上の話の流れから、わかるのだけど、資本主義社会での「成功」というものは、本来、存在していないことがわかる。

多くの人も経験済みだろうけれど、資本主義社会で、何らかの目標が達成されても、その社会のトップの人間は、その達成された目的よりも、常に1ランク上の目標を掲げるだけだ。

それを、ずっと永遠に続けようとしているだけなのだ。
こうすることにより、そのトップの人間達は、多くの人々を永遠に、奴隷労働させようとしていることも実感できる。

だから、多くの人々も、次から次へと、欲望が高められ続ける結果、得られるのは、物資を手に入れた際の満足感ではなく、次から次へと「あれも欲しい、これも欲しい、もっともっと、たくさん欲しい」という、永遠に満たされない欲望感と、その焦燥感に苦しめられ続ける。

この状況になると、その人は、自分の苦しみの原因を、しっかりと把握できなくなることが多い。
なぜならば、どんどんと物資を手に入れているにも関わらず、「さらにもっともっと欲しい」という欲望自体が高められているので、その欲望自身に苦しめられているから。

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だから、その人は、物資の不足感に悩んでいるのではなく、「さらにもっともっと欲しい」という欲望感に悩んでいるので、「自分自身の心の状態に原因がある」とは気付きにくい。
その人が苦痛を感じている際の心は、「物資が不足しているから、私は苦しいのだ」という、ものだ。
だから、その人が、その考えをずっと抱き続ける限り、その誤ったと推測される心の状態から抜け出るのが難しい。

なので、周囲の人々が、

  「あなたの苦しみの原因は、あなたの周囲の物資が不足しているからではなく、あなた自身の物資獲得のための欲望感が高められた結果、その欲望感自体に、あなたは苦しめられているのですよ」

と、老婆心を持って、教えてあげた方が良いのかもしれない。

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とりわけ、私達の社会のトップとされている人間達は、上に書いたような、人の心の「欲望感」を高めたり、あおったり技術に長けている。
(要するに、早い話が、彼等は人を苦しめる技術に長けている。そして、また、それらの人を苦しめる技術を持っていても、周囲の人々に、「これは、あなた達を苦しめる技術ではなく、あなた達を幸せにする技術です」と、周囲の人々に誤認させる(嘘をつく)技術にも長けていた。)

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彼等は人の心の欲をあおったり、人をたぶらかす技術に長けているのだが、このように、私達は彼等に欲をあおられたり、たぶらかされたりした結果、大量の物資を生み出す資本主義社会が生み出された。
そして、この資本主義社会を維持するためには、多くの人々の欲をあおり続けたり、あるいは、ひたすら、忙しいまでの競争をさせておけば、人々は、自分達の住んでいる社会システムを、じっくりと洞察することができないから、彼等としては、ひたすら、

  「競争というものは(あまり理由は無いけれど)、非常に素晴らしいものなのですよ」

と、人々に(彼等なりの)その常識を刷り込む必要性があったのだ。

だから、彼等は、お金に対しても、私達に非情なまでの焦燥感をあおり続けている。

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結局、「スポーツ競技や知的ゲームの競争を、あたかも(スポーツマン・シップの精神に則って)、そのスポーツマン・シップの競争の感覚を、私達の社会システム(資本主義社会)にも、導入しよう」、という、表面上は綺麗に飾り立てたような、うわべの言葉を持って、私達の社会に、その競争精神を導入し続けた。

しかし、現実には、その社会システムの競争には、「人の死活問題」を、盛り込んでいたのだから、そろそろ、彼等の作り上げてきた、社会システムを、見直す必要があるのではないだろうか。


                                        坂本  誠

2016年12月24日 (土)

三千四十四: 私達の社会を見ていると(独白)

何気なく私達の社会を見ていると、競争社会であることに気がつく。

世の中を生きていく一つの心構えとして、「周囲の人と自分を比較をしないほうが良い。なぜならば、比較することにより、差を感じてしまい、嫉妬するから」と、よく聞く。

しかし、これだと、私達の社会は、「嫉妬ばかりを作る世界だ」と言えるだろう。
そして、「嫉妬をする」というのは、他ならぬ、不幸感覚だから、私達の社会は、不幸を作る世界だと言えてしまう。

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なぜならば、私達の社会は競争を推奨されているのだから。

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私達は幼い時から学校に通わされて、テストの点数ばかりを競わされる。
当然、大人になると、会社の中に入って、その会社の中でも競争を強いられる。
平社員とか課長とか部長などのようにランク付けがある。
あるいは、隣の家の人の給与の額が、1000円でも高ければ、その隣人の方が勝っているのだから、当然、比較が起きており、その分だけ、嫉妬している人も、世の中には大勢いることだろう。
また、世界に目をやれば、ほとんど全ての国のGDP(国民総生産)という数値が打ち出され、「どこの国が勝っているか」という競争ばかりをさせられている。
また、世界の国々の子供達の学力も比較され、その結果も、あたかも大本営発表のように、大々的に報道されている。

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こんな感じで、私達の周囲には、莫大な数の競争を強いられていることに誰もが気が付き始める。

つまり、「私達の社会は幸福を目指している」と言われているが、同時に、莫大な数の競争を暗黙の内に推奨されているので、つまり、「私達の社会は不幸を目指している」とも言えるだろう。

これは、明らかな矛盾だ。

だから、私達の社会に存在する莫大な量の競争を見て、「これは自然のシステムではない」と気が付く。

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私のブログで時々紹介しているカバールやイルミナティに言わせてみれば、「単純に、この競争社会の幸福とは、あなたが所属しているグループの中で、トップになれば、あなたは勝者の喜びを得るでしょう。その『勝者の喜び』こそが、あなたの幸福ですよ」とでも言いたいのかもしれない。

しかし、たとえ、あなたがあなたの所属しているグループの内部でトップに立っても、カバールやイルミナティは、また、別のグループを用意するだけだということがわかる。

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例えば、小学校でトップだった子供がいても、その上の中学に行けば、より多くの子供達と競わされるので、その子供はトップで無くなる。
仮に、その子供が中学で努力して、トップになっても、その上の高校に行けば、さらにより多くの子供達と競わされるので、その子供はトップで無くなる。
仮に、その子供が高校で努力して、トップになっても、その上の大学に行けば、さらにより多くの子供達と競わされるので、その子供はトップで無くなる。
仮に、その子供(もはや子供ではなくて青年だけど、わかりやすいように)が大学で努力して、トップになっても、その上の会社に行けば、さらにより多くの子供達と競わされるので、その子供はトップで無くなる。
仮に、その子供(もはや子供ではなくて青年だけど、わかりやすいように)がその会社で努力して、トップになっても、さらに世界中を見せて、数多くの会社を見せれば、さらにより多くの子供達と競わされるので、その子供はトップで無くなる。
仮に、、(、、、以下、同様、、、)

上記のような感じで、カバールやイルミナティは、どんどん、私達に新しい環境を与えることによって、新たな競争の中に埋没させるように、私達の社会をセットしていることに、やがて、誰もが気が付き始めるだろう。

つまり、カバールやイルミナティは、私達を、休むことの出来ない、永遠の競争社会の内部に閉じ込めようとしている、と、私達は気が付き始めるだろう。

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だから、私達の社会を、うまく表現している一つの寓話(ぐうわ)としては、『賽の河原(さいのかわら)』というものがある。

これを、かい、つまんで書いてみる。

亡者の子供達が、あの世の川原で、ひたすら、川原の石を積み上げて、石の塔を作っている。
しかし、ある一定の高さまで、石が積み上げられたら、鬼達がやって来て、その石の塔を壊すのだ。
だから、泣く泣く、亡者の子供達は再び、石の塔を最初から積み上げ始めるのだ。
そして、その苦しみが永遠に続く。

私達の社会は、さながら、『賽の河原』と言えるだろう。
私達は、あの世の川原にいる子供達であり、石の塔を壊しにやって来る鬼達は、カバールやイルミナティに相当していることがわかる。

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だから、私達の周囲に存在している莫大な量の競争を見て、「これは自然な社会システムである」と、決め付けてはいけないだろう。

つまり、カバールやイルミナティからすれば、多くの人々が競争に酔いしれている姿を欲していることがわかる。

カバールやイルミナティは地球上の全人類を奴隷化したいのだから、彼等は支配者であることを欲していることが周知されている。

私達は競走馬であり、カバールやイルミナティはその競走馬(私達)の上にまたがる騎手と見なせるだろうか。
騎手(カバールやイルミナティ)の仕事としては、私達(競走馬)の鼻の前にぶら下がっているニンジン(お金や位階など)を、遠ざけたり、近づけたりしないといけないだろう。
競走馬の鼻の前のニンジンを、遠ざけたり、近づけたりすることによって、その競走馬は早く走ったりする。
その競走馬の早く走る姿が、カバールやイルミナティからすれば、全人類に対する奴隷労働ということになる。

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ところが、ここから、もう一歩先を考えてみよう。

カバールやイルミナティは、彼等(騎手)の仕事として、私達(競走馬)の鼻の前にぶら下がっているニンジンを遠ざけたり、近づけたりしないといけない。
カバールやイルミナティにしてみれば、そのようなことは私達に対する労働と言えるのだから、カバールやイルミナティは、これすらも嫌がり始めるだろう。

カバールやイルミナティとしては、馬達(私達)に、以下のように教えるのだ。

  「あなた達(競走馬)が、自発的に、一生懸命、走れば、とても良いことが起こりますよ」

と。
(その「『とても良いこと』とは何ですか?」と尋ねても、彼等は絶対に答えないし、また、最初から、その「とても良いこと」とは存在しないのだけど。)

こうすることによって、競走馬達が自ら、一生懸命に、競争を愛するようになれば、カバールやイルミナティは、何もしなくて良くなる。
彼等は、この状態を望んでいることだろう。

だから、私達の社会には、大量の競争が推奨されている。

そして、自ら、深く競争を愛して、その内部に埋没すれば、「なぜ、私達は、お互いに競争し続けているのか?」という疑問すらも、浮かばなくなるだろう。
なぜならば、そのような社会システム(マトリックス)の内部に、幼い頃から監禁されていると、数多くの競争の存在を不思議に思わなくなるのだから。

しかも、かなり多くの人が、幼い頃から、このマトリックスに閉じ込められていると、いよいよ持って、この競争社会の不自然さに気がつきにくくなる。

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私達は、「協調が大事だ」と教えられ続けたのだけど、その一方で、大量の競争が推奨されているのだから、これは、いたって矛盾した理屈が、私達の社会にまかり通っていることに、人は気が付くだろう。

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日本語では、「協調(きょうちょう)」と「競争(きょうそう)」という単語は、響きも似ているし、なんとなく、語呂も似ている。

ところが、その二つの単語の内蔵しているベクトルは、全く正反対の方向に、その矢印が向っていることに、気が付くだろう。

だから、私達の社会では、一方では協調を推奨しつつも、全く逆の方向である競争をも推奨していたので、現在の私達の社会にみられるように、矛盾が露呈しつつあるので、私達は、その矛盾に引き裂かれている。

一つの船が、同時に二つの進行方向を持つことが出来ないように。

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私達は、どのようにして、カバールやイルミナティが私達に押し付けようとしている、競争社会から逃れることが出来るだろうか。

その一つの脱出手口として、考えることが出来るのは、数値だろう。
私達の身の回りには、数多くの数値が使用されている。

冒頭の小学校の子供の例でもわかるように、学校では、主にテストの点数や偏差値によって、競争させられている。
成人に出れば、主に、その人の収入であるところの金銭の多寡の数値によって、競争させられている(あるいは、どこかの企業内のように、その役職名によって、競争させられている)。

だから、カバールやイルミナティの強いている競争社会から抜け出す、方法の一つとしては、「私達は私達の能力を数値で表現しないこと」が挙げられると思う。

具体的には、学校でのテストを止めて、偏差値も止めて、お金も止める、ということが言えるだろうか。

「私達は個々の人の能力の数値表現を止める」となると、上のような帰結が導き出せるだろうか。

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ともかく、私達は、身の回りに、溢れている莫大な量の競争を見て、

  「私達の身の回りに、これほど、大量の競争が存在することは、果たして、正しいことだろうか?」

という、疑問を抱いてみるのも、大事なことかと思ってしまう。

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余談ですが、私のブログを世の子供達と称される方々が読んでいるかどうかはわかりません。
しかし、私のブログに、時々、出てくるカバールやイルミナティについての世の大人達の対応を、世間の子供達は、以下のように思ってるかもしれませんね。

「これだから、世の大人達は信用できないのさ。奇麗事ばかりは口からよく出てくるけれど、カバールやイルミナティについては、大人達は『当たらず、触れず』の精神で逃げるんだから。そんな大人達が、私達に『あれをしろ、これをしろ』とか、『もっと勉強して、偉い人になりなさい』とか、立派そうなお説教を言ってくるんだからな。あ~、あんな、醜い大人達には、なりたくないもんだ」

のような、独り言を胸の中で言ってるかもしれませんね。


                                        坂本  誠

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