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2017年3月31日 (金)

三千百一: テレビ電話会議システムの更なる応用を考えて

前段『三千百:私達の本来の政治システムである「直接民主制」について』で、「■:テレビ電話会議を使用した国会」という章を書きました。

その章の概略としては、「各国の国会も、議事堂で行わずに、自宅のパソコンを利用したテレビ電話会議システムを使った方が良いでしょう」というものでした。

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現在、人々のゲームもインターネット上で、様々な対戦ソフトが出ているのは、多くの方もご存じだと思います。

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しかし、そのゲームのプロの方々の対戦となると、そのようなソフトウェアが、あまり出回っていないのに気が付きます。

将棋や囲碁のプロの方々の試合となると、テレビでよく見かけます。
現実のリアル対戦が多く、対局者同士が、お互いの目の前に、数十センチ程度離れた距離で、試合をしている状態が多いでしょうか。
相手の息を感じながら、リアル対戦を行っている光景をよく見かけます。
そして、その光景をテレビ・カメラが撮影して、多くの視聴者に、その熱戦を報道しているケースが多いです。

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将棋の世界もそうですが、ネットを使わないリアル対戦が求められているせいか、将棋棋士のほとんどが中央都市に集められているのに気が付きます。
あるいは、関西にも将棋のプロ達が集まっています。

ですが、これなども、現代の『Skype』のような、インターネットを利用したテレビ電話会議システムを使用すれば、棋士達も、自分の好きな場所から、対局できることがわかります。

(『Skype』というと、一種の商品名となりますので、他の企業もテレビ電話会議システムを普及しているかもしれません。ですので、今後は、ちょっと長いのですが、一般名称と考えられる、テレビ電話会議システムという名称を使います。)

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この場合でも、プロ同士の対局者の顔が見られれば、視聴者達には、その臨場感が伝わるのではないかと思います。

一般にインターネット上に出回っているオンライン・ゲームソフトには、対局者の顔が出ないので、多くのユーザーは使用しているのかもしれません。

しかし、「プロ同士の対局」というものは、その手のゲームのファンからしてみると、

  「プロが指している、その場の臨場感を見てみたい。味わってみたい」

というのが、多くの視聴者の望むことかと思います。

ですから、この場合だと、「テレビ電話会議システムを使用したプロ同士の対局」というのは、以下のようなスタイルになるのではないでしょうか。

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まず、パソコンがあって、そのパソコンと周辺機器には、テレビ電話会議システムが設置されてあります。
それによって、プロの対局者同士が指せます。

しかし、「プロ同士の対局」ですから、プロの顔を撮影するための、テレビカメラが、もう一台必要になってくるでしょう。

プロの顔を撮影するための、テレビカメラが、常時、プロの横顔を映し出すことにより、テレビ対局を見る時のような臨場感をインターネット・ユーザーも味わえるでしょう。

プロ同士の指す、駒や将棋盤は、どうしても、コンピューター・グラフィックスで描かれたものになるでしょうが。

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当然、囲碁のプロの方でも、同様に、ネット対局をネット・ユーザーの方に鑑賞してもらえると思います。

また、最近では、麻雀の分野にも、数多くの麻雀の協会が作られており、それらに所属している、数多くのプロの方々も出ています。

ですから、囲碁にしても、麻雀にしても、同じように、離れた場所にいる、プレーヤー同士のネット対局を、ネット・ユーザーのファンに、対局を披露することが出来ると思います。

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また、今一つ、ここから考えられることがあります。
それは師弟制度です。

例えば、昔から、将棋のプロになるためには、どこかのプロ棋士の弟子となる必要があります。

このために、現在でもそうでしょうが、小学生などの将棋ファンで、プロを目指している子供が、中学生の時点で、故郷を離れ、遠く、中央都市まで引っ越して、宿先も見つけて、その中央都市に住んでいるプロ棋士の下に弟子入りして、そこで将棋の実力を培っている人もいるでしょう。

しかし、小学生や中学生の時点で、故郷を離れ、中央都市まで引っ越して来て、その道の研鑽をする、というのは、大変なことです。
また、「その道の研鑽に励みつつ、引っ越し先での中央都市の生活に慣れる」というのは、これは周囲の人が見ても、「ある意味、子供に大きな負担をかけているケースも多いだろう」と思うでしょう。

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しかし、上の話の流れから、このゲーム界における師弟制度にも、テレビ電話会議システムの導入を考えることが出来ます。

以下のようなケースを想定してみます。

師匠の方は、中央都市に住んでいます。
そして、弟子は地方都市に住んでいるとします。
そして、ある一定の、決め合わせた時刻になれば、師匠も弟子も、パソコンを起動して、テレビ電話会議システムを使用して、師匠の側が、弟子の育成に当たり、弟子の側は師匠から技術を学ぶのです。

このようにすれば、弟子の方が、中央都市に引っ越さずに、かつ、「プロ棋士にも弟子入りしていた」となり、その道を進むのに、地方都市に居ながらにして、実現可能ではないでしょうか。

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もちろん、このようなことが実現するには、その師匠に、その手の深いご理解が求められるでしょうが。

そして、このような感じで、その道に励んだ弟子が、プロになれば、当然、プロ対局も、インターネット使用のテレビ電話会議システムを使って、上記に説明したプロ対局を行うわけです。

こうすれば、プロになりたい少年少女達も費用や負担もぐっと減ることがわかります。
また、その手の道の実現への壁も、「引越」とか「引っ越した先での生活への慣れ」という、その道以外の困難さを無くすことが出来るでしょう。

私は、囲碁の方は、あまり知らないのですが、将棋の世界と、実情は、ほとんど似ているのではないでしょうか。

当然、囲碁界や麻雀界においても、中央都市だけではなく、地方都市からの十分な人材発掘、あるいは、地方での「盛り上げ」というのにも使えるのではないでしょうか。

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もっとも、「プロ対局」ですから、自分の目と鼻の先に、現実の対局者がいて、その対局者の息を感じつつ、リアル対局を行う、というのも、ファンから求められる事ですから、時間と余裕のある限り、中央都市でのようなリアル対局も行われた方が良いと思います。

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さらに、ここから進めることがあるのに、読者の方々も気が付かれるでしょう。

最近では、少子化になり、多くの小学校が閉校しています。
小学校の数が減っているので、それなりに、小学校に通うのに、非常に多くの通学時間を必要とする小学生も増えているのではないでしょうか。

このまま、小学校の数が減り続けると、通学時間の増加の結果、「とても、小学校には行けない」という小学生達も増えてくるでしょう。

そうなった時、考えられるのは、やはり、上記から説明しているテレビ電話会議システムです。

当然、小学校という校舎そのものには通学しないものの、テレビ電話会議システムを使って、その小学生は学を修めるわけです。

その状況が、どんどん進むと、「本当に義務教育は必要か?」という疑問を持たれる方々も出てくるかとは思いますが、その疑問に対する意見などは、今回の記事とは別件になりますので、その内に改めて、どこかで書いてみたいと思います。


(以下、過去記事、関連記事、及び、参考文献)
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『二千九百六十六:ゲーム(独白)』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2016/08/post-d3c8.html

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 「奇跡は誰にでも一度は起きる。だが誰も起きたことには気づかない」

                『わたしは真悟』(楳図かずお 作)より引用

  Everybody has had a miracle once .
  But , nobody has realized the miracle at all .

                 quotation from "MY NAME IS SHINGO ."
                   Author:Umezu Kazuo
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『二千四百五十三:コンピューター将棋と妙手を考える』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2015/04/post-69e8.html
(以下、『YAHOO! JAPAN NEWS』、2015/4/11記事より引用)
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●「将棋電王戦」最終局はソフト側21手で電撃投了、3勝2敗でプロ棋士が勝ち越し
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150411-00000029-mycomj-ent

マイナビニュース 4月11日(土)11時56分配信
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(引用終わり)


                                        坂本  誠

2016年8月14日 (日)

二千九百六十六:ゲーム(独白)

どんな人でも、人生の一時期にはゲームにふけった記憶があると思う。

私は、小学校の時に、よくゲームを覚えた。
将棋とか囲碁とか麻雀だった。

将棋と囲碁に関しては、興味深いことがある。
私は、囲碁よりも将棋の方を好きになった。

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だから、将棋の方は強くなったのだけど、囲碁の方は次第に忘れていく事になった。
だから、今でも、囲碁の差し方がわからない。
というよりも、囲碁の差し方を全く忘れてしまった。

将棋と囲碁を覚えた人にとって、たいていの人の場合、どちらか、一方に熱中してしまうようだ。
だから、一方をほとんど忘れたり、あるいは、あまり強くならないようだ。
たとえば、将棋を好きな人は、ほとんど囲碁を忘れてしまう。
逆に、囲碁を選んだ人は、将棋を忘れてしまう。

自分の好きになった分野を研究するあまり、他方をよく学べないらしい。
だから、将棋も囲碁も、同時に強い人を、ほとんど見かける機会が無い。

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やはり、小学校の時に、麻雀を覚えた。

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この麻雀は奥が深い。
自分の手役を揃えるゲームなのだけど、対戦ゲームにもなっている。
また、麻雀は偶然だけのゲームではない。

将棋や囲碁に代表されているように、きちんとしたセオリーがある。
このように偶然の要素(確率)と技術(本人の腕)が絡み、かつ、その手役の組み合わせは、極めて膨大な数に上るので、麻雀にかなり奥深いものを見た人は多いと思う。

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ゲームに、はまった時期もあったが、最近は、落ち着いてきた。

麻雀の場合だと、たしかに綺麗な手役を上がると楽しくて嬉しい。
気付いたのだが、ゲームに勝った時の喜びとは、「楽しい」とか「嬉しい」と言ったものだ。
しかし、それらの喜びは、「心の奥底からこみあげてくる深い感動」ではない事に気が付く。
美しい景色を見た時とか、何らかの人間関係の際に、心の奥底から吹き上げてくる「深い深い喜び」ではない事に気が付く。

ゲームで勝つ時の喜びは、どこか、心の表面上、つまり、比較的、心の浅い部分での、「はしゃぐような喜び」とも言えるだろうか。

だから、最近では、あまりにも、ゲームに没頭しなくても済むようになった。
しかし、ゲームなのだから、大いにはしゃいでも良いので、遊ぶ時は遊ぶ。

つまり、「浅い喜び」とか「深い喜び」というように、喜びにも違いがある事がわかったので、使い分けているように感じる。
どちらの喜びも、うまく使い分けた方が良いように感じる。

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学生の頃、友人に誘われて、競輪とかパチンコをしたことがある。
私は、これらについては、そのゲームに面白さを感じることが出来なかった。
競輪やパチンコをやっていたら、あっという間に、お金が消えたり、あるいは、自分の気付かない内に、パチンコの玉が全部無くなっていた。

競輪やパチンコの好きな人ならば、その面白さを語る事が出来るのだろうけど、現に、私を誘った友人は、競輪とパチンコの面白さを私に語ったのだけど、私にはその面白さを感じることが出来なかった。

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この手の面白さを追求すると、ゲームを追求するのだけど、ゲームの手を休めて、奥深い喜びを求めたくなる。
私にとって、奥深い喜びとは美しい風景を見た時に起こる事が多い。

「美しい風景を見る」、つまり、「景勝地への旅」ということになる。

多くの人も、美しい景色を見ただけで、奥深い感動をした経験があるだろうけれど、なぜ、「美しい風景を見る」ことが、人の心に感動を与えるのかは、きっと誰にもわからないことだと思う。
これは一つの謎だと言えると思う。
だから、この点においても、私達の身近な場所にも、多くのオカルトが潜んでいると思う。
しかし、誰も、その手のオカルトに対して、不思議さを感じる人はいない。
その「そのオカルトに対して、不思議さを感じる人はいない」という、その点自体も、一つのオカルトだと感じてしまう。

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これと似たようなものは、幾らでもある。
例えば、「なぜ男女は愛し合うのか」とか「なぜ、私達はお腹が減るのか」とか「なぜ、人は美しいものに惹かれるのか」と言ったことだ。
私達の身近にありふれて、触れることの出来る場所に、このような考えてもわからない疑問が多く存在している。

だから、かえって、「私達の身の周りはオカルトだらけだ」と言えるかもしれない。
この手のオカルトを考えていても、解明することは出来ないのだから、「私達はオカルトを解明できずに終わるだろう」とも言えるかもしれない。
二千九百五十八:オカルトがオカルトで無くなる日』と言うものを書いたのだけど、その段落では、「いつの日にか科学技術の発達で、全てのオカルトは解明できるだろう」と言う手合いの事を書いたのだけど、これとは全く逆に、「私達はオカルトを解明できずにそのまま終わるだろう」とも言えるかもしれない。

こんなことを書いている間に、一つの言葉をなんとなく思い出していた。


 「奇跡は誰にでも一度おきる。だがおきたことには誰も気がつかない」

              『わたしは真悟』(楳図 かずお 作)より引用

  Everybody has had a miracle once .
  But , nobody has realized the miracle at all .

                 quotation from "MY NAME IS SHINGO ."
                   Author:Umezu Kazuo




                                        坂本  誠

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2016年6月30日 (木)

二千九百四十:私達のゲームを考える

この記事は、問題提起のような記事となりました。

私達の間にあるゲームについて考える機会がありました。
私達の周囲を見回すと、将棋があったり、囲碁があったり、麻雀があったり、あるいは西洋社会ではチェスがあります。

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また、オセロに親しむ人々も多い事でしょう。

実際に、これらのゲームの愛好家の人数も、かなりの数に昇ると思います。
確かに、これらのゲームは面白くもあり、醍醐味も知られたものです。

しかし、これらのゲームに共通して言える事があります。
それは、「勝負を決める」という点です。
あまりにも、当然のようになっていますが、要するに勝ち負けを競うゲームです。

つまり、上で書いた競技ゲームは、優秀性が伝えられていますが、この「競争」をしているという点に着目をしました。

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私が、過去に考えたことなのですが、「なぜ、私達の社会では競争が当たり前となっているのか」という疑問を抱いた事がありました。
別に上に挙げたゲームでなくても、私達は学校や社会生活の中で競争ばかりをしている事に気が付いたからです。

この私の疑問に答えを得る事が出来たのが、以下のものでした。

(以下、『あなたはどの星から来たのか?』(ファルス著 ヒカルランド)から引用)
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そのひずみの間にスーッと入り込んだのが、非ヒューマノイド型の生命体(レプティリアン種、通称レプ種)の浸食です。
そうしてあなたがたは、徐々に能力を制限されていくようになり、やがて囚われと制限のある世界の住人となることを選んでしまいました。
それは主に電磁波によるコントロールシステムを使って行われました。

時を同じくして、幾度目かの大がかりな宇宙戦争もありました。
大別するとヒューマノイド型と、別宇宙(アナザーユニバース)から転生してきた非ヒューマノイド型との侵略戦争です。
この戦争においてはヒューマノイド型はとても不利でした。
というのは、もともとヒューマノイド型は、非侵害、不可侵という思考システムで活動していたため、所有という概念もなく、ましてや戦闘や防御といった体制も持っていなかったのです。
      :
    (中略)
      :
現時空から見た計時測によると、今から31万2000年前に、あなたがたの遺伝子組み換えが行われたのです。
地球人による科学ではそれをミッシング・リンク(失われた輪)と呼んでいます。

その部位は脳幹にあります。

Rコンプレックスといわれる爬虫類脳の部分に、彼らの遺伝子コードが組み込まれていくことで、あなたたちは恐怖や不安、縄張り意識、支配と隷属、競争、嫉妬といった遺伝子コードが活性化されたのでした。

それはいわば電磁波的な壁のようなもので、私たちはその壁をネットコントロール(網支配)と呼んでいます。
それはまるで漁師が目の細かい網で、そこにいる魚をすべてすくい取る網のように見えたからです。
      :
    (中略)
      :
というわけで、あなたがたの中にあるRコンプレックス部分の周波数を、まるごと認め、愛し、手放すことによって、その特性であった恐怖や混乱、支配、競争といった周波数帯と同調しなくなり、さらに高い周波数域である、愛と創造性に基づいた、高次のシステムと共振していくことが可能になることでしょう。
このことはいくら強調してもいいほどです。
      :
    (中略)
      :
今まで、あなたたちが創り出したと思っている社会や思考システムのほとんどは、彼らによる至高の雛形が具現化したものです。
それは大変な影響力を持ちました。
まるで、家に屈強な父親が一人いて家族を管理しているかのようです。

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(引用終わり)

「私達の社会は、なぜ、競争社会なのか?」という疑問に対する解答を見かけたのは、少なくとも、私にとってはこれだけでした。
ですから、上の引用文から考えると、31万2000年前からの宇宙人レプティリアンの社会風習が、地球人の社会スタイルに注入されたために、私達の社会は競争社会になったと考えられます。

ですから、将棋とか囲碁とかチェスとか麻雀とかも、競争しています。
あるいは、ゲームでなくても、スポーツも一種のゲーム化されているため、得点争いをしています。

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なので、「私達のよく見かける将棋なども、レプティリアンの文化が生み出した」と言えないでしょうか。

一般に、「私達が、あまりにも競争に没頭すると、私達の体内のレプティリアンの遺伝子が活性化してくる」とも聞いた事があります。

確かに、「レプティリアンが地球人を支配する」というのは、これは多くの人々は反対する事でしょう。

しかし、レプティリアン文化が生み出したと考えられる将棋とか囲碁とかチェスとか麻雀とか、その他のゲームでも、忌み嫌われて、忘れ去られるべきでしょうか?

勝ち負けを競うゲームですから、確かに、これらのゲームの世界でもピラミッド型の社会となり、次第に人々がレプティリアンの文化スタイルとなるかもしれません。
当然、ピラミッドの世界ですから、ゲームの勝者は幸福感を感じたりするでしょうが、ゲームの敗者はピラミッドの下にやられるので、不幸感覚が増えるかもしれません。

また、スポーツでも、ゲームとして点数を争うのが普通です。

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この点数を競わせる事により、今まで、それらの多くのゲームから「妙手」とか「名手」が生まれてきました。
あるいはスポーツの上でなら、「名プレー」と呼ばれるシーンも数多く生まれました。

この競争を競わせるゲームにおいて、人々をして、「素晴らしい(エクセレント)」と言わしめるものが数多くあったのです。

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私達がレプティリアンの文化を捨て去ろうとしたら、それは次第に、将棋とか囲碁とかの、優秀とされるゲームも人々が失う事になるでしょう。
なぜならば、私達の社会に存在するゲームの、そのほとんど全てが「競争」を行っているからです。

ですから、「私達の身の回りに数多く存在する、勝敗を競うゲームの未来は、どうなるのか?」という疑問が生じています。

レプティリアンの地球支配のためのピラミッド社会の創出には、私は反対します。
しかし、数多く生まれた、この、勝敗を競うゲームについて、私達、人間は、どのように接していくのかが、私もわからないところです。
元々、ゲームというのは、一人では出来ず、複数以上の人が存在するからこそ、それらのゲームが成り立つ事に気が付きます。
ですから、これらのゲームを愛好する多くの人々の意思によって、これらのゲームへの接し方や、存続が語り合われると思います。

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また、一つ、私が考えられない状況があります。
それは、この記事でも出てきているレプティリアンですけど、レプティリアンという宇宙人が存在しているので、当然、レプティリアン以外の、他の多くの宇宙人もいると思います。

それらの宇宙人には、彼等なりの文化があるのでしょう。
しかし、レプティリアン以外の、他の多くの宇宙人の文化スタイルは、とにかく、競争社会では無いと予想されます。
ですから、参考的に、「レプティリアン以外の、他の多くの宇宙人の娯楽には、どんなものがあるのだろう?」と、この記事の読者の方も想像すると思います。

つまり、このゲームの点において、私達の参考とする情報が足りないと感じるのです。

ですから、以下は、あくまで私の予想なのですが、競争の存在しない社会の娯楽ですから、そのような娯楽を考えるに、まずは、芸術活動を挙げられるでしょうか。
絵を描いたり、小説を書いたり、あるいは、音楽を作ったりするのが、レプティリアン以外の、他の多くの宇宙人の娯楽なのでしょうか?

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また、ひょっとしたら、「娯楽ゲーム」という概念すらも、存在していないかもしれません。

通常、私達の社会では、物資の生産活動は、仕事として捉えられている機会が多いです。
ですが、この「ものづくり」というのも、これも人々の喜びの一つである事がわかります。
「物資の生産活動」というのも、堅くて、苦しいような雰囲気を持った「仕事」というものではなく、自らの喜びの表現として、物資の生産に励む人々も多いわけです。

ですから、「仕事」つまり、「物資の生産活動」とか、その他多くのスタイルの仕事がありますが、これら自体も、一つの自らの喜びの表現として、「娯楽」という意味で、レプティリアン以外の他の多くの宇宙人は捉えているかもしれません。

ですが、何にせよ、「レプティリアン以外の他の多くの宇宙人の、さりげないライフ・スタイルは、どのようなものなのか?」という疑問が、私が書いたこの記事の、「勝敗を競うゲームは、どうあるべきか?」とか「どのように、新たな見方を使って、どのように感じるか?」という、疑問の答えを導いていくのではないかと感じています。

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もちろん、この記事は、あくまでも問題提起の形を得ている記事なので、何かの主張がメインである、という作文ではありません。


                                        坂本  誠

2015年4月11日 (土)

二千四百五十三: コンピューター将棋と妙手を考える

コンピューター将棋と妙手を考える機会がありました。
まず、私の気になったニュースをご紹介させてください。

(以下、『YAHOO! JAPAN NEWS』、2015/4/11記事より引用)
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●「将棋電王戦」最終局はソフト側21手で電撃投了、3勝2敗でプロ棋士が勝ち越し
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150411-00000029-mycomj-ent

マイナビニュース 4月11日(土)11時56分配信

5人のプロ将棋棋士がコンピュータ将棋ソフトと団体戦で戦う「将棋電王戦FINAL」の第5局・阿久津主税八段 対 AWAKEの対局が11日、東京・将棋会館にて行われた。

第5局は10時49分、「第2回将棋電王トーナメント」第1位の将棋ソフト・AWAKEが、21手で投了し、両陣営勝ち越しをかけた第5局は阿久津八段が勝利。
「将棋電王戦FINAL」はプロ棋士が3勝2敗で勝ち越す結果となった。
将棋は、先手の阿久津八段は、序盤で角交換四間飛車と呼ばれる形に進めたが、そこからあえて自陣に隙をつくって角を打たせる特殊な作戦を選択。
その直後にコンピュータ将棋ソフトAWAKEが21手で投了するというハプニングが発生し、対局開始から1時間も経たずに終局となった。
消費時間は阿久津八段が13分、 AWAKEが30分。

AWAKEは「将棋電王戦FINAL」出場に先立って、アマチュアと対戦する企画に出場していたが、その際本局と同じ展開から敗れており、第5局でも同じ形を阿久津八段が採用するかどうか注目が集まっていた。
開発者の巨瀬亮一氏は、アマチュア対戦企画の敗戦と同じ形に進んだら投了すると決めており、開発者の意思として投了を選択したという。

終局後の会見で阿久津八段は「(AWAKEの弱点は)ソフトを貸し出してもらって3日目か4日目ぐらいに気づきました。
(特殊な作戦について)普段やらない形なので葛藤もありましたが、一番勝ちやすい形を選ぼうと思いました。
(団体戦勝利については)素直にうれしいという感じではないですが、とりあえずはよかったなと」と振り返り、AWAKEの開発者・巨瀬亮一氏は「△2八角と打ってしまったら▲2六香と上がられたところで投了しようと決めていた。アマチュアが指した形なのでプロが指してくるかどうかはわからないと思っていた。こうした穴があるのは、しかたがないところもある。最初から勝ちにはそれほどこだわっていなかった」「アマチュアが先に指した手なので、プロは指してこない可能性もあると思った」と語っている。(、、、以下、省略)
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(引用終わり)

私も長いこと将棋を指していないのですが、この記事は気になりました。

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最近のコンピューター将棋がかなり強い事は将棋好きの人の間でもかなり知られています。
ですから、プロの棋士もコンピューター将棋に負けている事が報道されています。

ですから、この対局は棋士の間でも、後日のためのかなりの研究の対象となると感じます。
コンピューター側の負け方に注目されるでしょう。
将棋をあまり知らない方のために書くと、上記記事の「角交換四間飛車」というのは、ほとんどの人が指さない手段です。
将棋の好きな人ならば、やはり人気のある手段を指します。
例えば、「矢倉」とか「四間飛車」とか「穴熊」とかの有名な手段を使います。
この「有名な手段」は「定石(じょうせき)」と呼ばれています。

ですが、この定石と呼ばれる対戦方法は、たいていの本屋に行ってもわかるとおり、数多くの書籍が出回っています。
ですから、かなり多くの棋士が定石を研究しています。
なので、コンピュータ将棋ソフトの開発者の方も、この定石をプログラム化したものをコンピューターにインストール済みです。
そして、開発者の作ったソフトがそのインストールされたプログラムを参考にして、対戦相手の打ってくる手を予想します。
ですから、人間の棋士の間で好まれているタイプの定石を棋士が使うと、多くは人間棋士が負けてしまう事がわかります。

なので、今回の勝負でわかった事は、「人間の間で、ほとんどなじみの無い手段の戦法を採用すると、コンピューターが予想できず、投了するパターンがある」という事でしょう。

つまり、人間棋士の間で知られている有名な定石の戦法ほど、コンピュータにとって勝ち易いという事になるでしょう。
逆に、人間棋士の間でほとんど知られていない戦法ほど、コンピュータにとって負け易いという事になります。

また、ここから予想できる事があります。
「記事中のコンピュータ将棋ソフトには、『角交換四間飛車』の一連の手段が、ほぼ、インストールされていなかっただろう」という予想です。
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ここから思いついたのが、将棋の棋譜での「妙手(みょうしゅ)」でした。
以前も書きましたが、妙手と言うのは好手の一つです。
しかし、ほとんどの人にとって、この妙手は気付きにくいものとされています。
ですから、「妙(たえ)なる手」、つまり、非常に素晴らしい一手、妙手と言われているのでしょう。

上のコンピューター将棋の対戦も、なんとなく、この妙手に似ていると人は言うかも知れません。
つまり、多くの棋士の気付きにくい方法で、コンピューターに勝ったのです。
ですから、この対戦自体が妙手と言えるかも知れません。
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妙手の傾向を考えても面白いものがあります。
一般に妙手が多いのは、駒を打つ時に多いような気がします。

将棋は対戦中に相手の駒を取得でき、そして、その駒を盤上に打つことが出来ます。
ですから、普通の駒の動きよりも、「打つ」という手段において、多彩な動きがありますから、打つ手に妙手が多いような気がします。

そして、たいてい、大駒と呼ばれている「飛車」や「角」よりも、「歩」とか「香車」とか「桂馬」のような比較的、軽い感じの駒の打つ手に妙手が多いような気がします。
そして、大駒でも、飛車よりも角の方に妙手が多いような気がします。

なぜ、そうなるのかは私もわかりません。
打つ手が多いのが、比較的、駒を取ったり取られやすい、小さな駒の方が多いからかもしれません。
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そして、将棋好きの人が言うには、「たいていの妙手は右脳の作用によって生まれる」とか言われています。
基本的に、将棋は左脳のゲームだと言われています。
左脳は計算エリアです。
ですから、左脳の動きや働きが将棋にはよく使われます。
また、将棋の基本は左脳ゲームですから、コンピュータでも得意とするところです。
コンピューターは計算の世界ですから、当然の話になります。

しかし、人間の棋士が対戦中に「妙手」を思いつく時、つまり、閃く一瞬ですが、これは右脳の働きだと言われています。
右脳の働きは直感とか、感情とか空間での物の動きを得るエリアです。

ですので、冒頭に書いた記事の対戦でも、多くの棋士は普通は左脳を使って対戦するところを、その対戦では右脳を使って勝ったとも言えるでしょう。
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現代社会では、「左脳の動きにおいて、コンピューターの方が人間の左脳の動きより勝った」とも言われています。
コンピューターの進歩が目覚しく、かつ、対戦中だと、コンピューターは光の速さで計算し、人間を押してきますので。

ですから、冒頭の記事のように、「コンピュータ将棋ソフトとの対戦方法には右脳プレーが有効だ」とも言えるかもしれません。
今後は右脳活用により、コンピュータ将棋ソフトとの新たな対戦方法が見つかったと言えるかも知れません。

やはり、その対戦方法とは、冒頭の記事や妙手のように、気付きにくい手段と言えるでしょうか。
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また、思い出して見れば、コンピュータ将棋ソフトの指し方には妙手が少ないような気がします。
確かに、好手と呼ばれるような差し手をコンピュータ将棋ソフトは指してきます。
しかし、どことなく、計算尽くめのような一手が多いです。

ですから、今まで、コンピュータ将棋ソフトの差し手に「妙手」と呼ばれるだけの指し手が少ないような気がします。
コンピュータ将棋ソフトは、かなり先読みをして、次の一手を打ってきます。
なので、コンピュータ将棋ソフトが独特な手を指してきても、「意外性」と言うよりも、「先読みにより計算され尽くした次の一手」を指してくるので知られています。

これと人間の出してきた妙手は違いがあります。
人間の妙手の場合は、頭に脈絡も無く閃くとも言われています。
つまり、計算尽くめではないのです。
自然に頭の中に、「次の一手」が閃き、それを行うと「妙手となり、後の戦いを有利にさせた」というケースが多い筈です。
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ここまで来ると、将棋と言うゲームを超えて、「これからの右脳開発分野が将棋の盤上にある」とも考えられるかもしれません。
右脳の働きは、まだあまり進んでいないと聞きます。
また、チェスや囲碁や将棋でも、コンピューターソフトを作成して、人間の脳と対比なりが考慮されてきました。
しかし、それはあくまで、左脳の分野においての研究でした。

今後は、このような事を契機にして、「将棋はゲームだけではない。将棋は、コンピュータ将棋ソフトと人間の右脳を使う事により、人間の右脳までも研究する分野である」と、分野の拡張までも行われるような気がします。

 

                                        坂本  誠

2014年1月 2日 (木)

七百五十六: マジック・ショーを見て

今日(2014年1月1日)、元日の日に、ショッピング・センターに行ってきました。

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何かのショッピングが目的ではなく、「元日の日のショッピング・センターはどうなっているだろう?」という思いから、何気なく、ぶらつきました。

新春の買い物のための人が多かったのは言うまでもありません。
すると、マジック・ショーがアトラクション広場で行われていました。
よくテレビなどで、マジック・ショーが見られますが、やはり、目の前で見ると、臨場感というものが違いました。
テレビの画像で見るのとは、かなり違っていました。

これは旅行なども同じ事がわかります。
テレビで有名な観光地を見るのと、実際に自分の目で、その観光地を見るのとでは、かなりの違いがあります。
臨場感の違いと言えます。
また、「肌触りの違い」と言えるでしょうか。
テレビでは、実際の臨場感を味わうまではいかないからです。

少し話が横に反れました。
マジックというのは、多くの人も知るように、手品の一種です。
どこから、取り出したのかわからないように、マジシャンの手からハンカチや鳥がいきなり出て来るとか。
あるいは、ある人物を空中浮揚させるとか。
あるいは、よく見かけるように、ある人物を特定の箱に入れて、その内部に剣を差し込むとか。

マジックというのは、一種の娯楽ですから、その手品の仕掛け、つまり、「トリック」を考えるのが、そのマジシャンの楽しみである事もわかります。
しかし、それを、どんどん複雑化させていくのが、マジシャンの仕事の一つとも言えるでしょう。

「ある人物を特定の箱に入れて、その内部に剣を差し込む」というのは、多くの人々も見たことが多いと思います。
以前、私もその手の「トリック」が紹介された本を見た事があります。
その本を見ると、箱の中に入った人物は、かなり複雑な姿勢をしていることがわかりました。
そして、箱の外から剣を突き刺す側の人間と、呼吸を合わせて、その箱の中の人物の姿勢に沿って、剣を入れるのです。
ですから、箱の中の人物は傷つきません。

しかし、このように、すでに本で紹介されているようなタイプの「箱の中への剣入れ」の種は、かなり、古いものです。
現在では、これにもっともっと工夫が凝らされています。
また、その工夫を凝らす事がマジシャンの仕事であります。

やはり、多くの人々が見て、驚くような感じでの剣差しが行われていました。
これも、「種と仕掛けがわかれば何でもない」というものでしょうが、その「種と仕掛け」を伝えないからこそ、アトラクション広場で行われるマジック・ショーに、盛大な拍手が行われます。

ですから、このマジックの複雑さを考える人は、面白くて、そのマジックの「種と仕掛け」を、真剣に考慮している事がわかります。
そして、その奇妙な光景の行われたマジックに対して、多くの人々の拍手喝采が浴びせられるのは言うまでもありません。
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元日の日に賑やかなショッピング・センターで見た、臨場感溢れるマジック・ショーに、時を忘れて、私も心からの拍手を送っていました。

 

                                        坂本  誠

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