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2016年11月21日 (月)

三千二十一: 本屋さんを考える_No.2

こんばんわ。
二千七百八十:本屋さんを考える』の続きです。

最近は、なかなか、街の本屋さんで、新刊書を買わなくなりました。
それでも、私の方でも、幾つかの本を買っています。

個人的な、一消費者の、どのような書店へのニーズがあったのか」というケースを書いてみると、書店の方でも、参考データとなるかもしれません。

私の場合、最近、本屋さんで買った本は、以外にも、『郷土史』関係の本でした。
しかも、私の地元の郷土に関係した本ではありません。

私は個人的に旅行が好きなせいか、私の土地以外にも足を伸ばします。
すると、旅行好きな方ならば、誰でも、自分好みの旅行場所を手に入れることが多いでしょう。
そして、その旅行先へのリピーター(繰り返し、その旅先の土地を訪れる観光客のこと)となるケースも多いでしょう。

ある旅先へのリピーターともなれば、その気に入った旅先の情報を、もっと仕入れたくなります。
その状況のニーズだと、例えば、旅行雑誌とか、あるいは、インターネット上でも、あまり掲載されていません。
しかも、多くの旅行雑誌でも、掲載情報については、「浅く、広く」が主流だと感じます。

また、ある旅先の土地の郷土史を知りたいならば、その土地の市の管轄している図書館の郷土史コーナーを訪れれば、拝読することができます。
しかし、当然ながら、リピーターが、自分の土地に帰ってしまえば、当然、その旅先の図書館を利用することができません。

また、自分の土地に帰ってしまえば、自分の街の図書館や本屋には、旅行で訪れた土地の郷土史関係の書籍は、ほとんど完全に、目にすることができません。

旅先の古本屋さんで目的の本を探すという手段も考えられますが、その古本屋さんを探し出して、かつ、目的の書籍を探し出すのは、かなり難しいようです。

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自分の街の本屋さんでも都合が付かず、インターネットでも都合が付かず、自分の街の図書館でも都合が付かず、旅先での古本屋さんにも、自分の手に入れたい本が無かった、ということで、旅先の本屋さんで、その土地の詳細情報に関する書籍を買いました。

ある土地の「詳細情報」というのは、一種の専門情報であることがわかります。

「現代でも、このような死角があったものだ」と感じました。

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しかし、ある街の本屋さんから見れば、「そうそう、頻繁に旅行者の方が、本屋にやって来て、自分の土地の詳細情報関係の書籍を購入するケースは少ないだろう」と考える人も多いと思います。

しかし、自分の身の上に起こったケースを書いて見ることにしました。

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自分の街の本屋さんを訪ねて見ると、自分の街の郷土史コーナーの近くに、「紀行物」の棚がありました。
その「紀行物」の棚の本の幾つかの背表紙を見てみると、日本の有名観光地に関する幾つかの書籍が並んでいました。

ですから、有名観光地ぐらいになると、「紀行物」として、その土地の郷土史や現在の土地情勢とか地理情勢とか、その他様々な、詳しいデータに触れることが出来るのでしょう。
そのようなデータだと、訪れたい旅先の詳細情報に対する、ある程度の需要があると言えるかもしれません。

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この路線で言ったら、結局、「町興し」とか「地域興し」とか言われているものが大事になってくるでしょう。
「自分の土地以外の場所の、その土地の人々が、どのように観光客として、自分の街を訪れてくれるか」が焦点になるでしょうから。

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自分の身の上に起こった、本屋さんへのニーズを書いてみました。


(以下、過去記事、関連記事、及び、参考文献)
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『二千三百二十一:出版業界について考えた事』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2014/12/post-c92b.html

『二千七百八十:本屋さんを考える』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2015/12/post-da80.html

『二千九百七十二:物流と本の販売を考える』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2016/08/post-3217.html


                                        坂本  誠

2016年10月11日 (火)

三千四: 『明日は、今日より強くなる』を読んで

明日は、今日より強くなる』。
"Tomorrow , I will become stronger than me on today ."

女流プロ雀士の姉妹、二階堂亜樹、二階堂瑠美氏の共著である、『明日は、今日より強くなる 女流プロ雀士 二階堂姉妹の流儀』(KADOKAWA)の本のタイトルです。
右の写真は、Amazonの広告からの引用です。

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いつか、どこかで、多くの人も、「明日は、今日より強くなる」とか「明日は、今日よりもっと良くなる」という言葉を聞いたことがあると思います。
しかし、改めて、『明日は、今日より強くなる』と、本のタイトルにもなり、その本を手に取るたびに、真っ先に『明日は、今日より強くなる』と、本のタイトルが目に飛び込んできて、自然に自分自身に言い聞かせてみると、自分の心の奥底に、ふつふつとちから強さが湧いてくるのを感じる人も多いのではないでしょうか。

勝負師の方が、『明日は、今日より強くなる』と口に出せば、それは自分の腕が向上することを意味するでしょう。
しかし、勝負師でない人にしてみれば、この言葉は、「明日は、今日よりもっと良くなる」あるいは「明日は、今日よりもっと幸せになる」という言葉に言い変えることができるでしょう。

「なんと肯定的な言葉だろう」と、人は感じるかもしれません。
どこかで聞いたことのあるような言葉でも、改めて、意識的に、何度も繰り返し、その言葉を噛み続け、玩味していると、その言霊(ことだま)などを人は趣深く感じるようになるかもしれません。

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最近は、将棋や囲碁等の知的ゲームのジャンルでも、何気ない自伝的なエッセーの本を見かけるようになりました。
もちろん、将棋や囲碁等の知的ゲームのジャンルでは、圧倒的に、「定石解説・研究」とか「セオリー分析」あるいは「上達方法」が書かれた本が多いです。

しかし、最近では、それらの世界に従事している人々が、「定石解説・研究」等の類の本だけでなく、さりげない、日常生活の自分を題材にしたエッセーなどの本も増えています。

彼等は自分の属している世界での上達を目指しているのですが、いざ、「自分のいる世界(仕事)が、自分にどのような影響を与えているか?」という、疑問に答えるようなエッセーも増えてきています。

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一人の人生があります。
その人の人生において、幾つかの職を選ぶことは可能です。
しかし、「自分の職業が、どのように自分に影響を与えているか」を、時々、振り返ってみることは、大事なことだと感じます。

ある意味、自分の職の技術を高めることよりも、「自分の職が、どのように自分の人生観を作っているか」の方が、遥かに、質的に大事なことだと思います。

なぜならば、その道の技術だけを研鑽できても、不幸を感じる人もいるでしょう。
なので、技術向上だけでなく、「その道を歩んでいる時に、どれだけ、自分がその道に幸福を感じているか、あるいは、感じたか」の方が、ウェイトが高いでしょう。

技術の高下よりも、幸福感の高下の方が、多くの人は大事さを感じるからです。

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現在、人の世に数多くのジャンル(仕事)があります。
そして、そのジャンルの多くには、そのジャンル内の技術を計るために、数え切れないぐらいのテストがあります。
それらのテストを使えば、私達は簡単に自分の技術力の高下を図ることができます。
その自らの技術の高下を見て、私達は一喜一憂するかもしれません。
その自らの技術の度合いを確認して、幸福を感じる人もいるかもしれません。

しかし、人がある道の上にいて、自分の技術の度合いを知ることよりも、自分の選んだ道の上で、「どれだけ幸福感を感じるか」の方が、技術の度合いよりも遥かに、人に重要なことがわかります。
上にも書いたのですが、その道の技術のみを研鑽し続けても、不幸を感じる人もいるからです。

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反対に、自分の選んだ道から得られる幸福感を数値にすることは難しいものです。
また、自分の幸福感が数値的に表されたら、それこそ、自分の選んだ道に、喜びの姿勢とか追求の姿勢等が現れなくなるかもしれません。

「そのジャンルの世界での技術テストでは、私は何点か?」という疑問よりも、「そのジャンルの世界で、私はどれだけ幸福か?」という後者の疑問の方が、かなり深遠で味わい深いものだからです。

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ですから、本来ならば、「定石解説・研究」の類の本よりも、そのジャンルの道で得られた「人生観」が語られた本の方が、ずっと価値が高いと私は感じます。

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将棋、囲碁、麻雀にとどまらず、様々なジャンルの道があります。
その他のジャンル上の人も、自分なりの技術本を世に出しています。

しかし、そのような自分なりの技術本を世に贈る人々でも、ときおり、自分の職を題材とした「人生観のエッセー」とか「自伝的エッセー」の本を出してもいます。

そして、どちらかと言うと、後者の方である、「人生観のエッセー」とか「自伝的エッセー」の方が、より多くの読者に共感され、求められるケースが多いのを見かけます。

これはなぜかということも書いてみたいと思います。

自分なりの技術本を世に問うても、その本の読者は、その手のジャンルを好む人にしか受け入れられないからです。

例えば、建築に関係した人が、建築技術上の自分の得た大量のノウハウを詰め込んだ本を世に出しても、建築技術に関心の無い人から見たら、その本を必要とはしないからです。

しかし、その建築に関係した人が、自分の仕事上で得られた、人生に対する深い洞察とか、職業観とか、その仕事上で得られた幸福感とか、あるいは、建築の世界を超えて、様々な人間社会のジャンルに普遍的な教訓が書かれた本などは、建築技術に関心の無い人でも、そのような本を求めたりもします。

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なぜならば、そのような本の中は、その人の人生観や哲学が描かれることが多く、そのジャンルの専門知識や専門用語なども、ほとんど無いから、他のジャンルの人でも、その本を読めるからです。
また、味わい深く読めます。
また、建築の世界を超えた、多くのジャンルに必要とされる共通知識と呼ばれるものが、書かれており、それらを読者の方のジャンルにも、応用知識として、組み込めるからです。
また、3番目には、建築に関係した人が、その自伝的な本を書いたのですから、他の人から見て、「建築業界に入れば、このような幸福感を味わえる」とか、その他の点においても、様々な参考となる情報が多く記載されているからです。

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ですから、この記事でも紹介している書籍『明日は、今日より強くなる 女流プロ雀士 二階堂姉妹の流儀』も、中を開いてみると、麻雀に関したセオリー紹介とか定石紹介とか技術向上のための新テクニックといった類の情報は一切書かれていません。
書かれているのは自伝的なことであったり、あるいは、その道の上で得られている自分自身の人生観のみが書かれています。

ですから、全く、麻雀を知らない人でも、「この人の選んだ人生行路の上で、この人は、どのような幸福を見出したり、あるいは、人生哲学の上で、どのような新しい発見を得ているだろうか」の視点から、同書を読むことができます。

なので、このような本を見て、人が感じるのは、人間ドラマでしょう。
数多くのテレビ・ドラマや映画などで、それぞれの職業ジャンル上で有名になった人のドラマがあります。

自分の選んだジャンルでは無いけれど、このような、他の人の人生行路が描かれたドラマを見て、自分の人生のための有意義な参考情報を得られます。

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長くなったのですが、同書『明日は、今日より強くなる 女流プロ雀士 二階堂姉妹の流儀』を、麻雀を知らない人が読んでも、中身を読む前に、同書のタイトルがそのまま現しているように、

  「明日は、今日より強くなろう

とか

  「明日は、今日よりもっと良くなろう(良くしよう)

とか

  「明日は、今日よりもっと幸せになろう(幸せを作ろう)

という、座右の銘(ざうのめい)にしても良いような、あるいは、常に右肩上がりのグラフのような、肯定的な言葉を、すでに得られたと思います。


(以下、日本の名言に関する過去記事、関連記事、及び、参考文献)
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『二千九百六十六:ゲーム(独白)』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2016/08/post-d3c8.html

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 「奇跡は誰にでも一度は起きる。だが誰も起きたことには気づかない

                『わたしは真悟』(楳図かずお 作)より引用

  Everybody has had a miracle once .
  But , nobody has realized the miracle at all .

                 quotation from "MY NAME IS SHINGO ."
                   Author:Umezu Kazuo
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『二千七百八十一:映画、蒼き(あおき)衣の者を見て』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2015/12/post-730d.html

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    その者 蒼き衣を まといて
    金色の野に 降り立つべし。
    失われし 大地との絆(きずな)を結び、
    ついに 人々を蒼き清浄の地に導かん。

                          (映画『風の谷のナウシカ』より)

    The person in blue
      should fall down on the gold field.
    The person will bind the lost tie with our Earth,
      and will lead people to the blue and pure land , finally.

                 (quotation from "Nausicaä in the Valley of Wind")
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                                        坂本  誠

2016年8月24日 (水)

二千九百七十二: 物流と本の販売を考える

この記事は、書いていたら、少々、長くなってしまいました。

以前も、物流と書籍の販売について書いた事があります。
再び、これについて書いてみたいと思います。

私達が、書店に並ぶ本を見る時、誰でも、その本の販売価格を目にします。
しかし、その販売価格が安売りになったり、あるいは、変更される事は、ほとんどありません。

これは、本の販売ルートが複雑な事が原因の一端となっています。

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1冊の本の値段を考えてみましょう。

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すると、その本の販売価格には、どれだけの人々が関わっているでしょうか。

多くの人々が考えやすいのが、本の著者さんへの著作料です。
その次には、その本の出版社でしょうか。
出版社だけでなく、本を印刷した印刷会社に渡る金額も含まれていることでしょう。
これだけでなく、その本の並ぶ本屋さんに渡る金額も含まれている事がわかります。

まだ、その他にも、本の問屋さんである「取次(とりつぎ)」と呼ばれる物流会社の人々にも渡る金額が含まれている事がわかります。
その「取次(とりつぎ)」の下に存在している運送会社に渡る金額も含まれているでしょう。

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「取次(とりつぎ)」と言われている物流会社そのものが運送会社とは限りません。
かなり似通った間柄ですが、両者の間柄はイコールの関係ではありません。

「取次」などの「物流会社」は別名、「卸売業(おろしうりぎょう)」と呼ばれる範疇に置かれています。
この「卸売業」とは、結局、商社のことです。
もっとわかりやすく言うならば、この「卸売業」というのも、一つの「お店」と言えるのです。

ですから、私達が街の中で見かける本屋さんもお店の一つですが、「書店関係の取次」の位置づけとなると、「本屋さんの本屋さん」とも言えます。
私達が街の中で見かける本屋さんが、この「取次」と呼ばれる上位の本屋さんから、店の棚に並べる本を購入している感じになります。

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書籍関係の「取次」だけでなく、様々なお店にも、さらにその上位のお店とも感じられる「卸売業」、つまり、問屋さんの存在があります。

ですから、私達が街の中のお店で見かける様々な商品の多くは、問屋さん(卸売業の商社)を通している事になりますので、色々な物品の価格には、問屋さんに渡る金額が含まれています。

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ですから、今回の記事は、「問屋さん(卸売業)について考えてみましょう」ということにもなります。

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世界にも問屋さんがあるかもしれませんが、ここでは国内の問屋さんについて書いていきます。

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インターネット百科事典のwikipediaにも書いてありましたが、日本の問屋業界は、おおよそ鎌倉時代から始まっているそうです。

おそらく、この時代ぐらいから、日本の各地に、地域で産出される物品を、その物品に対する需要のある地域まで、輸送する必要が出てきたのでしょう。
つまり、日本の運送屋の歴史も、この時代ぐらいから始まっている事が分かります。

当時の運送事情を考えるならば、地上輸送もあったでしょうが、多くの物品を運ぶために、海上輸送が流行ったでしょう。
当然、多くの船を維持する必要があるので、その地域の実力者で無いと、それだけ多くの船舶を所持できなかったでしょう。
陸上輸送の割合は、低かったでしょうが、それでも、歩行よりも馬での輸送とかがあったでしょう。

おそらく、その頃の庶民は、ほとんど、自分の馬を持てなかったでしょうから、やはり、陸上輸送においても、かなりの実力者で無いと、その輸送ルートを維持することは出来なかったでしょう。
しかし、馬でも、大量の物品を移動させる事は出来なかったでしょう。

この「輸送ルート上の実力者の存在」が、現代に至るまで、日本の輸送事情に大きな影響を与え続けてきたことは、比較的に私達に想像しやすいことです。

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しかし、現代では、この輸送事情にも、誰もが認める大きな変化があることがわかります。

現代の日本では、かなり多くの人々が、運転免許を持っている事が知られています。
また、それだけ、多くの自動車の存在があります。

現代でも、いまだ海上輸送に関しては、多くの人々は、それに関する手段を持っていないものの、陸上輸送については、多くの人々がその輸送ルートを車両で確保できる事がわかります。

現代では、どこかのお店でも、大型トラックまでは運転できない人がいるでしょうが、様々にトラックを運転できる人も増えたことでしょう。
ですから、比較的に近距離ならば、手の空いている従業員にトラックを運転させて、品を集荷したり、あるいは、分荷・配送することも可能だとわかります。

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つまり、運転免許の所有者の多さや、トラックの多さを考えると、陸上輸送に関しては、ほぼ、どんなお店でも、ある程度の問屋さんレベルの能力を出せることがわかります。

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これが、過去の日本の輸送事情と、最大に違っているポイントです。
鎌倉時代などの、人々の輸送能力と、現代のそれとは、かなり大きな違いがあります。
これが、現代の物流事情、輸送事情に大きな影響を与えているでしょう。

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ですから、書籍の分野ではないのですが、現代の、大きなチェーン店のお店では、自分でも、問屋さんレベルの巨大な配送センターを所有しているところがあります。
当然、お店と問屋さんが合体している雰囲気がありますので、その分、物品の値段が、その店では安くなっているようです。
しかし、どうしても、自分の店の輸送ルートで集荷できない物品については、問屋さんを通して、卸しているので、そのような物品は割高のように感じます。

また、私は確認したわけではないのですが、ある店では「産地直送」という品を見かけたりもします。
この「産地直送」の札のかかっている物品は、比較的に安いです。
「産地直送」という単語から考えるに、問屋さんを通さずに、産地の人とお店の人が直接、やり取りした物品だから安くなっているのでしょうか。
おそらくそうではないかと考えているのですが、現代の多様化する輸送事情から考えるに、そのような「産地直送」の物品は問屋さんを仲介していないだろう、と、私は考えています。

また、ごくわずかのケースですが、ある書店が問屋さん(取次)を通さずに、本を出版・流通させたので、本の価格を安くすることが出来、その安価な値段を、読者たちに提供できた、と聞いたことがあります。

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今後も、私達の輸送事情・物流事情は、大きく変わる見込みがあるので、同じく、今後も、問屋業界を含んだ物流事情は、変化せずにはいられないかと考えられます。

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また、今一つ、出版業界での、サービス上の違いも考えました。
それは、レンタル業界の出現です。

レンタル・ショップでは、DVDやCD、マンガのコミックも大量にレンタルされています。
マンガのコミックの新刊でも、私の身近のレンタル・ショップでは、1ヶ月ほど、遅れてレンタルが開始されるようです。
当然、世間で注目されているマンガならば、大量に同一の品が揃えられ、それらがレンタルされます。
当然、借りる人も多いので、何日か待たないと、自分の借りたいマンガを借りる事は出来ません。
ですから、レンタル業で、日本のマンガ業界は、商業的にも、やっていけているのではないかと感じます。

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しかし、マンガではない活字の本、つまり、新刊書とか実用書とか、小説とかですが、それらがレンタルされている事は無いようです。

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現代のレンタル業界とマンガの出版業界の間で、何らかの契約が過去、成立したのでしょう。
しかし、その契約成立の際に、活字の本、新刊書とか実用書とか、小説等が含まれていなかった事は確かです。
ですから、今でも、レンタルショップの棚には、新刊書や実用書や小説等が並んでいる事はありません。

この辺りの、過去の契約の成立動向が、どのようであったのかが気になる所です。
もしかしたら、マンガのように、レンタルショップにも、一般の書籍が流通していたら、現代の出版事情が、どうなっていたかはわかりません。
確かに、一般の書籍がレンタルショップに流通していたとしても、どれだけ、流行っていたかはわかりません。

ただ、現代の商業事情から考えると、「売れるか、売れないか」は、あまり、問題の本質になっていないと思います。
現代の商業事情で問題になっているのは、「採算が取れるか、取れないか」だと思います。
分かりやすく言えば、「元(もと)が取れるか、取れないか」が問題の核心になっていると思います。

ですから、「本が何万部売れたか」とか「ある品物が何万台売れたか」が、問題の本質ではなく、「元(もと)が取れるか、取れないか」が、本当の問題ですから、「元(もと)が取れる」と言うのならば、レンタル・コミックのように、大量にレンタルして、そのレンタル料で、「元手(もとで)を回収する」という事も、十分だとわかります。

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もっとも、新刊書や実用書や小説がレンタル・ショップに出回っても、どれだけ、元が取れるのかは、現実に、今、行われていないので、私にはわかりません。
ただし、「一般書籍の分野では、マンガのように、消費者に対するサービスの多様化が、少ないのが現状だ」とは言えるでしょう。

「インターネットの出現が、書店のちからの減少の原因である」とは、よく言われますが、それだけではなく、冒頭に書いたように、現代の交通事情・物流事情を考慮しても、過去の物流システムが書籍関係の世界に残されていると感じます。

わかりやすく書けば、インターネットもそうですが、現代の多様化する世界やニーズに対して、あまりにも古くから続いている物流システムを、現状維持し続けても、サービスの多様化が、進まないのは、誰が見ても理解できると思います。

ですから、多様化する私達の世界に合わせて、物流の販売システム上でも、新規サービスの創出・提供をしないと、この世界の分野(出版業界)の促進が行われないのではないでしょうか。

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上では、主に書籍に関した社会システムを考えてみました。

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書籍に関した社会システムでないとして、変わり続ける社会に、何らかの形で、対応しない社会システムが存在すると仮定します。

そのような社会システムを構成している人々がいます。
書籍に関した物流システムだと、例えば、専業ライターとか作家と言われる人々です。
専業ライターとか、作家の生活している書籍システムが変わらないのですが、その専業ライターとか作家の人々は、これまた、変わり続ける社会にも、同時に住んで生活しているわけです。

その「変わり続ける社会」とは、上で私が書いた例を挙げるとわかりやすいので、そのまま書きますが、交通事情の発達した社会とか、マンガの流通が流行している世界とか、書籍関係以外の物流システムでしょう。
専業ライターとか、作家も、それらの新しいシステムを使うわけですが、その専業ライターとか、作家が主に活躍している世界に変更が無いとなれば、その専業ライターとか作家が、新しいシステムを使いにくくなります。
なぜならば、その専業ライターとか、作家が生活で活用している主だった社会システムと、変わり続ける方の新しいシステムの方と比較して、「ずれ」が出来るからです。

その「ずれ」の差が、一つには、私が上記で書いた問題になって来ると思います。

ですから、ある変更されない古いタイプのシステムが維持される限り、それは、いわゆる時代遅れになって来て、その世界に主に住む人々が生活しにくくなるでしょうから、結局、その人々のライフ・スタイルに変化が起きると私は思います。

上の例を活用すれば、主に専業ライターとか、作家の人々のライフ・スタイルに何らかの変更が出始めると思います。
なんとなれば、専業ライターとか、作家の人々が主に使っている社会システムが、周囲の変わり続けて、更新され続けている別の社会システムとの間の、「ずれ」が大きくなるので、その「ずれ」を埋めるために、何かを変更しないといけないからです。
また、専業ライターとか作家の人々が主に使っている社会システムが、周囲に合わせて変更しないとあるならば、専業ライターとか作家の人々の個々の人のライフ・スタイルを変更して、新しい変化に対応していかないといけないからです。

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これと似たようなケースは、私達の歴史上にも幾つかあります。

しかし、今、私達の周囲に起きている変化と、あるレールの上に流れてきた一つの社会システムとの間に現れた問題を、私達は見ていることになります。
ですから、ある程度、私達はこの問題に注目して、ある程度は、記憶していた方が良いのではないかと、私は感じます。


                                        坂本  誠

2016年4月22日 (金)

二千八百九十: 竹取物語を読んで

こんばんわ。

ふと思い立つ事があって、『竹取物語』を読む機会がありました。
『竹取物語』というのは、「かぐや姫」で有名な、あの日本の古典です。

読んだ本は『竹取物語』(星新一 訳/角川文庫)です。
現代語訳された竹取物語ですね。

いや~、正直言って、面白かったですね。

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あらすじは、多くの日本の方も知っていると思いますが、改めて、細部までも読むと、意外なものを発見できます。
ある日、おじいさんが竹やぶの中に出かけて、竹を取りに行っていると、光り輝く竹があり、その竹を切ってみると、小さな女の子がいます。
そして、竹取のおじいさんは、その小さな女の子を家に連れて帰り、自分の娘のように育てます。
その小さな女の子が「かぐや姫」です。

成長した「かぐや姫」は、相当な美女として有名になります。
ですから、多くの男性から求婚されます。
しかし、かぐや姫は全く結婚に応じようとしません。
ですから、竹取のおじいさんは、かぐや姫を心配して、結婚させようとします。
以下に、その辺りの文を書き出します。

私の気になった部分には、アンダーラインを引いたり、太字にしています。

(以下、引用)
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「ある年ごろになると、男は女のかたと結婚し、女は男のかたと結婚する。これがよのならわしです。それによって、子も出来、一族が栄える事になります。私は生きているうちに、そのお世話をすませたい。どうでしょう、男のかたをお選びになりませんか」

すると、かぐや姫は表情も変えずに言った。
「そうしなければならないって、なぜですの。わかりませんわ」

あまりのことに、竹取りじいさん、口ごもった。
理由など考えたこともない。
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(引用終わり)

読者の方も、改めて、意外に感じるのではないでしょうか。
つまり、私達の社会では、「絶対に男女は結婚しなくてはいけない」という決まりは何処にも無いからです。
しかし、その竹取物語が書かれた平安時代でも、男女の結婚が多かったならば、それが「よのならわし」でもあるかも知れませんが、「決まり」では無かったわけです。

ですから、上の引用文にあるように、竹取りじいさんは「口ごも」るわけです。
そして、竹取りじいさんが気付いた事には、「なぜ、男女が結婚というライフ・スタイルを築かねばいけないのか」という「理由など考えたこともない」という事実です。

しかも、かぐや姫が上の疑問をおじいさんに投げかける時、「表情も変え」なかったわけです。

ほとんどの方も知っておられると思うのですが、竹取物語のラストで、かぐや姫の正体が明かされます。
原文によると、かぐや姫は「月のかなたから来た人」と明かされますから、結局、かぐや姫は宇宙人なのです。

ですから、かぐや姫の元いた星には、結婚の風習など無かったと推測されます。

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私達の現代社会でも、外国から訪れた外国人の風習が日本のそれと変わっているので、私達は改めて、今までの自分達の常識の理由を考えたり、見直す事が出来ます。

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私達の社会や風習や常識について、新しい発見をしたり、新たな側面を見る、という新鮮な機会を得る事が出来ます。

ですから、この日本の平安時代に書かれた竹取物語は、宇宙人の視線で、地球人のライフ・スタイルを見直す事が出来ることがわかります。

この竹取物語は作者不詳です。
しかし、この竹取物語の作者は、かなりのSF作家である事もわかります。

平安時代にも、日本の上空にUFOが飛んでいたかもしれません。
そうでなければ、宇宙人を題材とした、この小説を描くのは難しいような気がします。
現代ならば、世界の様々な国のSF作家が、様々な宇宙人もの映画を作ったり、小説を書いたりしています。

しかし、日本の平安時代に、既に「宇宙人が存在している」と考えて、その宇宙人と地球人の相違を本作中に描いているのです。
過去のSF小説として有名な、イギリスのH.G.ウェルズの『宇宙戦争』というSF小説があります。
しかし、これなども、せいぜい100年前かそれぐらいです。

しかし、この竹取物語は、現代からさかのぼる事、約1000年前ですから、これほどのものを「一作者が想像できた」というのは驚く事ではないでしょうか。

ですから、この竹取物語の細部をよく見ると、「この小説の作者は、日本の約1000年前の平安時代に宇宙人とファースト・コンタクトをなし終えていたのではないのか?」という疑問が私達に浮かびます。

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物語のラストの方で、かぐや姫の迎えがやって来ます。
ですから、ラストの方に、その宇宙人の状況が詳しく描かれています。

ラストに近づくに従って、かぐや姫は夜の月を見て、泣くようになります。
おじいさんとおばあさんが心配して、かぐや姫に尋ねます。
すると、思いを決したかぐや姫は告白します。
自分は月に返らなくてはならない、と。

そして、どのようにして、かぐや姫がその情報を得たのかも面白いものがあります。

(以下、引用)
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「はい。そのかなたから、月を経て送られてきました。なにかわけがあって、この国へと来ることになってしまいました。くわしいことは、おぼえていません」
「そうとはなあ」
「それが今や、もとの場所へと帰らなければならなくなりました。月の方角から、そのことが伝わってくるのです。この十五日の夜がその時です」
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(引用終わり)

上の引用文からわかることは、「月の方角から」、かぐや姫に向けて、かぐや姫のための情報が、「伝わってくる」ことがわかります。
読者の方も想像できると思うのですが、これは現代で言うならば、「テレパシー」と呼ばれるものです。

ですから、この竹取物語の中には、既に、「テレパシー」の考えもある事がわかります。
そして、さらに、そのテレパシーを宇宙人が使っていることもわかります。

果たして、名前が伝わっていない平安時代のSF作家が、ここまでの空想力や想像力があったと、私達は考えるべきでしょうか。

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その後、かぐや姫を迎えに来た宇宙人が姿を現します。
当然、地球の竹取りじいさんの家の上空に宇宙人が現れます。

竹取りじいさんの家の周囲には、「かぐや姫を連れさらさせてはいけない」という考えから、ミカドが軍勢を配置して、宇宙人と戦おうとしています。

(以下、引用)
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竹取の家のあたりが明るくなり、満月の光が十倍にもなったようだ。
その明るさが、さらに増し、昼かと思えるほど。
そばの人の髪の毛も一本ずつ、見分けられる。

その光のなかを、高い空から、何人かの人が雲に乗って、おりてきた。
そして、地面から人間の高さあたりの場所に、浮かんだまま並んだ。

これを見ると、家にたてこもった人たちも、そとにいた人たちも、なにかの力で勢いを押さえられたようになった。
戦おうという気持ちが、うすれる。

このままではと、なんとか弓矢を手にしようとしても、にぎる力が出ない。
いつも勇ましいのがとりえの者が、やっとのことで、矢を放った。
しかし、ちがった方角へ、少し飛んだだけ。
-------------------------
(引用終わり)

上の引用文に出ている「雲」というものが、私達がよくSF映画で見るUFO、宇宙船と同じと言えるでしょう。

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当然、平安時代のこのSF作家も、「UFOや宇宙船は、宇宙や空間を移動する乗り物」という認識があることもわかります。

そして、さらに続くことには、「そとにいた人たちも、なにかの力で勢いを押さえられたようになった」というくだりでしょう。
これは、当然、現代で言えば、念力、サイコキネシスと考えられるでしょう。

さらに言えることは、「戦おうという気持ちが、うすれる」というくだりです。
竹取じいさんの家の周囲に配置されている兵士達の戦意が薄れる事がわかります。

これは、現代で言うならば、「洗脳」と言えるかもしれません。
相手の気持ちを変えさせるのですから。

ですから、平安時代の一人のSF作家が、現代の洗脳方法である「MK-ウルトラ」さながらの、洗脳方法も書いています。
なので、ここまで来ると、「平安時代の一人のSF作家が、ここまで、自分の頭の中で想像できたのだろうか?」と、私達は疑問を感じるでしょう。

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他にも、気になる部分を挙げておきます。

(以下、引用)
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たちまちのうちに、締めてあった戸がひとりでに開く。
各所の格子戸も、人がさわりもしないのに、みな開いた。
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(引用終わり)

これなども、宇宙人の念力の描写と言えるでしょう。

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最後に、かぐや姫は羽衣を着せられます。
そのくだりも書いておきます。

(以下、引用)
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そこで羽衣が着せられた。

すぐに心が変わった。
竹取りのじいさんたちへの、気の毒だ、悲しいことだとの思いは、なくなった。
この国への心残りも消えた。
羽衣とは、そういう力をそなえている。
-------------------------
(引用終わり)

上に挙げた洗脳装置「MK-ウルトラ」の作用とも似ていますが、現代の洗脳装置の多くには、頭に電極を付けて、その信号で洗脳することが多いでしょうか。

ですから、既に「羽衣に触れるだけで心が変わる」というレベルの宇宙人の科学力が伺えます。
しかし、この竹取物語はSFなのですから、この作者が、一応、その作者の頭の中で、その宇宙人の科学力も想像していた、という事になっているでしょう。

ですから、「現代社会に住んでいる私達の想像力をも、遥かに超えたものを持って、竹取物語の作者が描き切った」という事になりますが、ここまで来ると、あまりにも、「想像力のみで書いた」とは信じがたいものがあるのではないでしょうか。

それこそ、「宇宙人が竹取物語の作者の頭の中に、テレパシーを使って、その小説を地球の地上で書かせていた」とも想像できなくはないでしょうか。

上のかぐや姫と宇宙人の交信のように。

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昔から、竹取物語は、日本人の間で有名です。

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しかし、現代語訳をされた竹取物語を子細に読んでみると、新たな発見や笑える部分を再発見できるかと思います。

本記事では省略しましたが、かぐや姫に求婚する5人の男性の物語が、竹取物語の中部を占めています。
かぐや姫が、自分と結婚したがっている5人の男性に無理難題を与えて、結婚を諦めさせようとしています。

かぐや姫が言うには、「東の海の蓬莱(ほうらい)という山に生えている木で、根は銀、幹や枝は黄金、実は白い玉である、枝を持ってきてください」とか「龍の首についている五色に光る玉」とかのような、つまり「現実には存在しないものを持ってきてください」と、求婚者達に言います。

まあ、このあたりも読んでいて、面白かったのですが、この記事では省略させて頂きました。


                                        坂本  誠

2015年12月 8日 (火)

二千七百八十: 本屋さんを考える

本屋さんについて考える機会がありました。

省エネ話でも書いていたのですが、最近ではインターネットや古本屋さんとかレンタル・ショップとか図書館の台頭もありますので、出版業界の有様は様々な場所で話題となっています。
私達の身近な場所では、本屋さんの事が、まず話題となると思います。

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私も小さい頃から本が好きでした。
今でも、本が好きです。
ただ、上に挙げた事情から、なかなか新刊書を購入していないと言うのも事実です。
これは、本の好きな多くの方も似たり寄ったりの状況だと思います。

情報伝達の分散化は避けられないと思いますが、ただ、街の本屋さんの勢いが衰えるのを虚しく思う方も多いと思います。
最近では、マスメディアで、新しい本屋さんの取り組みについて、報道しているケースも見かけます。
というわけで、「本屋さんの新しいサービスとは、どのようなものが考えられるだろうか」と私なりに考えてみました。
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やはり、本屋さんのサービスの多角化でしょうか。
ただし、私の考えた事を、そのまま実行して、何かあっても、私の方では責は負いません。
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ちょっと大きめの本屋さんならば、本屋の片隅を改造して、喫茶店のような部屋を作ってみます。

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そして、その部屋に入る時は、本屋さんの維持のために、幾ばくかの部屋の貸出料を取って、入って頂いて、その部屋の中で書店の棚の本を座って、読んでもらうというものです。
そして、本屋さんの資金力にもよりますが、ちょっとした厨房を備えるとか。
厨房を建設したらお金がかかりますから、紙カップで飲める100円ぐらいで購入できるジュースの自動販売機を備えておいて、それで、飲み物を飲んで頂くとか。
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当然、本を汚した場合は、それなりの金額で本を引き取っていただくとかのように喫茶店ルームの規約を定めるとか。
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そして、いつも、その本屋の一角の喫茶ルームをご愛用して頂いているお客さんには、サービス券のような物を渡して、通常の店頭価格よりも本を安い値段で買えるようにしてみるとか。
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そして、資金があるのならば、CDショップに見かけるような、ヘッドフォンで音楽を聞けるようなサービスを幾ばくかの値段でお客さんにサービスして、読書を楽しんで頂くとか。
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結局、本屋さんと喫茶店との融合とか、あるいは、CDショップとの組み合わせのような感じに似てくるでしょうか。
しかし、あくまで本屋さんだから、本がメインである事には違いがありません。
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あるいは、うまく行けたら、新刊本の貸し出しを行ってみるとか。
私の身近のレンタル・ショップでも、マンガの貸し出しは多く見かけるものの、小説とか評論などの新刊書の貸し出しまでは行っていないように見えます。
ですから、「新刊書の貸し出し業務を本屋さんの仕事の一つにする」となると、出版社とか書籍問屋さんとの話し合いが必要になってくるのかもしれませんが、この辺りは私はわかりません。

でも、まあ、私が考えるとするならば、「本屋の一角に作った喫茶ルームを安い値段で貸し出す」とか「新刊書の貸し出しによる、新たな新刊書に対する売り上げ」というものを考えてみるかもしれません。
何も、全てが全て、新刊書の購買による売り上げ獲得だけを狙わないでも良いかと思います。
マンガではない新刊書でも貸し出しによるマージン獲得を考えてみるとか。
当然、新刊書をそのまま買いたい人もいるだろうから、それは、それなりの値段で売るとか。

ですから、このコースだと、私達の目にする本に、2つの値段が付くような感じになるでしょう。
1つは今までどおりのように目にしている本の価格です。
そして、もう一つの価格は、「新刊書の貸し出し価格」になるでしょうか。
このように、1冊の本の購買と貸し出しの二重の路線を狙ってみるとか。

これが本屋さんの一店舗で実現可能なのか、どうかはわかりません。

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なぜならば、一冊の本の値段の中には、著者さんへのお金と、出版社さんへのお金と、書籍問屋さんへのお金と、運送会社さんへのお金と、本屋さんの収入に対するお金が含まれているからです。

ですから、1冊の本に「購買時金額」と「貸し出し金額」の2つが付くとなると、本屋さんだけではない方々との話し合いが必要になってくるかと思います。
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しかし、メリットも考えられます。
当然、新刊書を有料で貸し出す事により、図書館とか古本屋さんとか、書籍関係のレンタル・ショップへの対抗策として使えるかもしれません。
当然、より多くの人に新刊書の内容を広める事もできるかと思います。

それか、書店の方に、売り出し専用の本と、貸し出し専用の本の2種類を棚においておくということも考えられるかもしれません。
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他にも考えられるかもしれませんが、結局、サービスの多様化と価格の多様化ですね。
私が考えるならば。
もっとも、私としては、このような事を考えてみると、「どういう事が考えられるか」と言う事で考えてみました。


                                        坂本  誠

2015年9月26日 (土)

二千六百六十六: ある本からの引用

今日は、ある本からの引用をご紹介させてください。
私のブログ記事では、

『五百五十八:日本の秘密保護法案など』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2013/11/post-e88e.html

に、既出しましたが、すこしだけ長くなりますが、もうちょっと追加してみようと思います。

引用文献は、

『二人だけが知っている超アンダーグラウンドのしくみ』 ベンジャミン・フルフォード&飛鳥昭雄
  植草さんの件と検察の捏造(ねつぞう)

です。

私の気になりました部分には、アンダーラインを引かせて頂きました。

(上記本より)
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●フルフォード:
(前略)、、、検察のバックはどこかと調べたら、結局、ロックフェラー一族なんですよ。

◆飛鳥:アメリカだ。

●フルフォード:
アメリカの中のロックフェラーとか、あっちのグループの手先なんですよ。

◆飛鳥:
だって、今の検察機構を作ったのはGHQだもの。
僕も調べたけど、あれは基本的に今の霞が関の官僚体制を守るための組織だ。
要は、国策に対して不平を言ったりすると捕まえる。
国策というのはアメリカの国策なんだけどね。
今の検察って、ほとんど無敵状態だよね。
彼らを取りしまる法律はない。

、、、(中略)、、、

◆飛鳥:
、、、もちろん、現場で頑張る検察官には、まじめな者も多いが、キャリアと呼ばれるエリート層が腐っている。
、、、(中略)、、、

◆飛鳥:
そうだよ。
アメリカだけが得をするようになっているからね。

●フルフォード:
結局、あの人たちは、日本人の貯金を手渡す作業をしていたわけです。
、、、(中略)、、、
りそな銀行(大和銀行)が、竹中平蔵が財務大臣だったときに、銀行の株の支配権、要するに実際にボスになる33.4%を外資に手渡された。
その外資の裏を調べると、ロックフェラー、ロスチャイルドなんですよ。
りそなは『あんな連中にうちの銀行を渡すものか』と言ってそれに猛反対した。
それで、監査法人の人が変な死に方をして、いきなり決算書が悪いことになって、だめな銀行になったんですけれども、それを調べていたのが植草さん。

◆飛鳥:
だから、アメリカにとって一番邪魔だったのが植草。

、、、(中略)、、、

●フルフォード:
、、、りそなのケースを調べていた税務署の人間が、植草さんと同じく、女の人のパンツを鏡で見て逮捕された。
、、、(中略)、、、
あと、鈴木啓一という朝日新聞の論説委員がりそなの連載を始めようとしたら、連載の第一回が出た次の朝に、その人の遺体が東京湾で見つかった。、、、(中略)

◆飛鳥:
、、、日本は推定無罪じゃなくて、推定有罪。
後ろ指差されたら有罪。
小沢もこれでやられちゃったわけだ。
それを徹底的に利用するのが検察なんだ。
やりたい放題だ。
今、何でもできる。

、、、(中略)、、、

◆飛鳥:
仲間同士なんだよ。
ひどいのはマスコミだ、マスメディア。
検察の言う事は100%出しちゃう。

●フルフォード:
それにもコツがある。
マスコミは必ず若い、何も知らない人たちにその現場の仕事をやらせる。
余り長くやると見えちゃうから。
おっ、検察、すごい」というまだおしりの青い人でないと操れない。
ちょっとおかしいなと思って上に文句を言うと、圧力をかけられて、それであきらめて、とにかくこの新聞社のポストが惜しいから黙って我慢するか、やめてフリーになるか、どっちかだね。

、、、(中略)、、、

◆飛鳥:
警察と検察って、実は違うんだよ。
地方自治体に属するのは警察なんだけど、根っこは一緒だ。
もっと言うと、裁判所も一緒なんだよ。
同期生が裁判官になるか、弁護士になるか、検察に行くかの違いで、同じ釜の飯を食った仲間なんだよ。
裁判所は最もひどくて、どう考えても検察の誘導尋問でやられたのに、ほとんど有罪にしちゃうんだ。
だから、訴えられた段階で、日本は99%有罪。

●フルフォード:
それは私と対談本を出したウォルフレンも言ってましたね。

◆飛鳥:
私がやりましたという自供がものすごく重視される体制で、中には例外がいるんだけど、ああいうことで無罪にしちゃった裁判官は大体外されちゃう。
これは戦前よりもひどい。

●フルフォード:
正義感のある人が地方に飛ばされますね。

◆飛鳥:
そうそう、飛ばされちゃう。
だから、出世とかに物すごくかかわってくる。
最大の悲劇は、そういう状況であることを一般の人たちは知らない。
心ある人は飛ばされたり、ひどいときは逮捕されちゃう。
別件逮捕もしくは証拠を勝手につくられちゃう。

●フルフォード:
ただ、別件逮捕は、石井紘基みたいに殺されるよりはましかもしれない。
その人のもっているイメージが殺される。
でも本人は生き残る。

(、、、以下、省略)
--------------------------
(引用終わり)

上記の引用文中の「、、、」の部分等に、まだ本文が残されているのですが、長くなりますので、省略しました。
それらの省略された本文を読みたい方は、直接、本書を手にとって読まれて下さい。

(以下、上記記事に関すると思われる箇所の新ブログ『光と輝き』からの過去記事、関連記事、及び、参考文献)
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『二千四百三十八:News_No.561』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2015/03/news_no561-cec5.html
(以下、『新・ほんとうがいちばん』様、2015/3/14記事より引用)
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●鳩山由紀夫氏:首相の時はわからなかった「見えない敵」の正体/『それはつまり「日米合同委員会」の決定事項が、憲法も含めた日本の法律よりも優先されるということ』
http://mizu8882.blog.fc2.com/blog-entry-518.html

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▲[矢部宏治氏]日本を支配する“憲法より上の法”の正体とは?|転載元:シャンティフーラさんより

転載元:週プレNEWS 2014年12月15日(月)6時0分配信より
「日本はなぜ基地と原発を止められないのか」で話題の矢部宏治が
鳩山友紀夫と“日本の真の支配者”を語った!【前編】

鳩山友紀夫元首相(右)と矢部宏治氏が、
日本が「真の独立国」として新しい戦後を歩むための方法を議論

(、、、中略、、、)

なかでも一番の問題は、日米合同委員会のメンバーである法務官僚が、法務省のトップである事務次官に占める割合は過去17人中12人、そのうち9人が検事総長にまで上り詰めている。
つまり、米軍と日本の高級官僚をメンバーとするこの共同体が、検察権力を事実上握っているということなんです。(、、、以下、省略)
------------------------------------------
(引用終わり)

『三百五十七:News_No.328』
●福岡高検:取り調べ中にナイフの検事 不起訴処分に
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2013/09/news_no328-93bf.html
http://mainichi.jp/select/news/20130925k0000m040042000c.html

(上記記事より抜粋して引用)
------------------
◇佐賀地検が訓告処分

福岡高検は24日、取り調べ中の容疑者の男にカッターナイフの刃を向けたとして特別公務員暴行陵虐容疑で告発された佐賀地検の男性検事について(、、、以下、省略)
------------------
(引用終わり)

『二千百七十:罰金や保釈金について_No.2』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2014/09/_no2-00fa.html

(上記記事より抜粋して引用)
------------------
、、、「世界の国々で徴収された罰金や保釈金は、その後、どのように処理されているのだろう?」と多くの人々が考えるかもしれません。
------------------

 

                                        坂本  誠

2015年7月21日 (火)

二千五百九十: 本屋での休息(独白)

落ち着きたい時に、本屋に行くことが多い。
街には、幾つもの本屋があるけれど、本屋のオーナーの趣味が現れる。

例えば、マンガの好きなオーナーだと、当然、店の棚にマンガが増える。
オーソドックスに小説が好きだったり、ハードカバーの好きなオーナーならば、それらの本が多い本屋になる。
つまり、本の品揃えも、オーナーの趣味が現れる。

だから、街の本屋さんと言っても、その内装や外装のデザインは様々だ。
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以前、本屋の立ち読みが嫌がられていた時代もあったと記憶している。
しかし、今、本屋さんに行ってみると、幾つものイスが並べられてあり、そのイスに腰掛けて読むことも出来る。

現代社会は、様々なルートから情報を仕入れる事が出来るようになった。
しかし、昔と変わらず、本屋さんは巨大情報の倉庫でもある。
今でも、大きな本屋さんに行くと、その数多くの背表紙の向こうに並んでいる本の中の活字の量は大変な量だろう。

だから、街の本屋さんに行くと、いかにも情報倉庫に来ているような気がする。
この感覚は、テレビやラジオやインターネットでは味わいにくい。
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自分の落ち着けるような本屋さんに行くと、そこには、美しいクラシック音楽が流れている。
静かな本屋さんの奥に行って、本棚の間に立ち、クラシック音楽に聞き惚れていると、いつもとは違った空間に来ているような感じがする。

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私にしてみれば、本屋さんの中に流れるBGMが、その本屋さんの個性をよく現しているように感じてしまう。
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本屋さんに行って、落ち着きを得られる人は多いかと感じてしまう。
なぜならば、本屋さんは図書館と同じような雰囲気がある以上、基本的に人々は静かだ。
また、流れるBGMも静かな感じのものが多いから、落ち着けるのかも知れない。

だから、気分転換のために、本屋さんに行くのも良いと感じてしまう。
=================
また、今一つは情報の仕入れ方だ。
世の中にパソコンが普及し、そして、インターネットも普及した。

しかし、インターネットでの情報の仕入れ方と、書籍関係での情報の仕入れ方に違いを感じる。
インターネットのブラウザでの検索だと、自分の知りたい単語について、調べる事が出来る。
要するに、ネットの検索は、「自分が知りたい情報を手に入れる」という感覚が強い。

しかし、書籍関係は違う。
例えば、本屋に行ってみると、そこには、自分の知りたくない情報を記した数々の書籍が並んでいる。
そして、たまたま、表紙の気になった本や、あるいは背表紙を飾っているタイトルの文字が気になり、その本を手にする。
そして、パラパラと読み進めると、偶然、その本に書いてあった情報が今の自分に非常に素晴らしいものであり、その情報を元にして、何らかの成功とか、良い経験をするケースもある。
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ネットの検索だと、自分の知りたい情報をピンポイントで探す事になる。

ところが、書籍や紙などから得られる情報は、ピンポイント検索ではない。
もっと、視野を大きく広げながら、様々なジャンルから、「自分の求めたいものを得る」感じだ。
だから、ネット検索は左脳的な検索だと感じてしまう。
また、書籍や紙の媒介物から得られる情報の場合は、右脳的な情報取得方法と言えるかもしれない。
右脳的な情報取得方法は大局的な検索といえるかもしれない。
自分の思っても見なかったジャンルから、現在の自分の問題のための正解を得る場合もあるのだから。
-----------------
この場合、面白い事がある。
ネットの検索だと、人の目が「一点注視」と言って、画面の中央部分に視線が集まる。
だから、人は画面の四隅をあまり見ないので、画面の端に記載された情報を見落とすケースも多い。

しかし、人が紙の媒体物に書かれた文字などを見る場合は違う。
新聞を読むときに気が付くのだけど、新聞紙は大きいので、紙面の四隅に書かれた情報を読むために、首をよく動かして読んでいるのに気が付く。
つまり、自分の首の動きが大きい。
それだけ、視線が移動している。
目だけでなく、首を動かしながら、様々な方向を見ている。
だから、一概に「見る」という動作は、目の動きだけではない事に気が付く。

そのように、首をあちこちと動きまわすから、それだけ、目に触れる情報が多い。 ネット検索時の目の使い方とは、かなり違っているような気がする。

道を歩いている時でも、人は首をよく動かして、周囲を見ると、かなりの情報が得られる。
だから、このような感じで、人が情報を求めていると、胸の奥にしまった事柄に関する情報に触れた時、その胸の奥にしまいこんだ何らかの情報をためるだろう。
つまり、右脳的な情報収集方法だと、「自分の忘れかけている手がかり」までも探している事になるので、上に書いたような情報を得られるケースも増えるかも知れない。

 

                                        坂本  誠

2014年12月 7日 (日)

二千三百二十二: 余談と息抜きを考える

最近、あるジャンルの書物を読む機会がありました。
私の方でも知識を入手するために、本を読みます。

ちょっとした専門書だったのですが、読んでみたいジャンルの本で2冊の本がありました。
どちらかを選択する際に、ページをめくって、少しだけ中身を見ました。

そして、著者の日頃の生活とか思い出話が、ある程度、掲載されている本の方を選びました。
そして、その本を選んで正解だった思いました。

というのも、学生時代の授業を思い出しました。
ちょっと堅い科目の先生でも、教えるのが上手い先生と、そうではない先生がいます。
たいてい、教えるのが上手い先生というのは、思い出してみれば、授業時間内の息抜きの話があったので、くつろげて、授業に聞き入った事を思い出します。
その先生の昨日体験した話題とか、今、教えている授業の内容にまつわる自分の思い出とか。

そのような息抜きの話自体は、授業で教える本当のレッスンの内容とは関係ありません。
しかし、そのような先生は生徒達が、あまりに堅苦しくしさを感じさせないために、そのような息抜きの話を交えて、堅い授業を教えていたのに気が付きます。
一方、全くほとんど言って良いほど、余談の無い先生もいました。
ですから、私としては、堅苦しさばかりを感じて、あまりその授業に面白さを感じない事が多かったです。
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このような事も考えると、「息抜きの話の上手さ」とか「余談の面白さ」といったものの、面白い授業にさせるかどうかの材料になるのかもしれません。
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それと同じ事が、専門書と呼ばれるものにもあると思います。

私が手に入れなかった本の方は、固い内容が多いのですが、著者のその内容に対する日頃の思いとか語られていませんでした。
ないしは、それにまつわる余談とか、面白い感じの話題が無く、ひたすら教科書的でした。

ですが、私が手にした方の本は、それとは対照的に、少し肩のちからを抜きながら読める雰囲気になっていました。
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ですから、このようなことを考えると、著者の人の自分の書きたい内容にも、何気なく、さりげない思いが書かれていた方が、より受け入れやすいだろう、と感じました。

もっとも、「余談とか、著者のさりげない思いの全く書かれていない教科書的な本の方が素晴らしい」と感じる人もいるでしょう。
ですから、それは、選ぶ人の個々の自由になると思います。

 

                                        坂本  誠

二千三百二十一: 出版業界について考えた事

出版業界の事について考える機会がありました。

普通の出版社というのは、ほとんどが文芸を広めるために存在していると聞いた事があります。
普通に、人間社会にとっての健やかな向上のある情報を広めるのが出版社の使命だと聞いた事があります。

ところが、様々な出版物を見ると、かなり、問題とされるような出版物が出回っているのにも人は気が付くと思います。
個々の人によって、様々に出版物の意義は違ってきます。
ですから、具体的なそれらの情報については書かないものの、「見ていて気分が悪くなる」とか「猟奇的な趣味がある」とか「健やかなものを感じない」と言えるでしょうか。

「見ていて気分が悪くなる」という類のものも、時折、私達が目にする必要がある時があります。
例えば、犯罪の現場で、おぞましい光景を目にしても、警察官などは、そのような現場を直接見ないといけません。
また、それらの光景を納めた写真でも、証拠として、人々に見せる必要があるので、今現在、完全に私達が「見ていて気分が悪くなる」という写真も、耐えつつも見ないといけない機会が少しながらあります。

「猟奇的な趣味がある」とか「健やかなものを感じない」という類のものも、個々の人によって、差があるので、このような出版内容のものが時折、報道で色々と話題になる時があります。
そのような時に、色々と個人差があるので、「問題である」とか「問題ではない」と、人々の間で熱い意見が交わされているのを多くに人も見かけた記憶があると思います。

しかし、どうも、問題は広めようとしている人に悪意があるかどうかが、判断の分かれ目になるような気がします。
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確かに、冒頭に書いた「人間社会にとっての健やかな向上のある情報を広めるのが出版社の使命」と書けば、聞こえは良いのですが、一般に「売れる」という路線が、それとは一致しない事があるからです。

普通、私達が面白おかしく笑えるような情報でも、人々の心を明るくする情報だと言えるでしょう。
ですから、「笑う」というのは素晴らしい事です。
なので、「健やかに屈託無く笑える」という情報を広める事にも意義があることがわかります。

ただ、その「健やかな笑い」というのと、お金の数値は一致しないわけです。
ですから、出版社の本当の問題は、お金とか戦いだと聞いた事があります。
出版社は出版社で、「素晴らしい情報を世に広めたい」と聞いた事があります。
しかし、その「素晴らしい情報」=「お金」とは限らないわけです。

ここに、再び、お金を作っている彼等が問題になってくると思います。
要は、彼等がお金という彼等の道具を使って、多くの人々を拘束している事に気が付くでしょう。

ですから、出版社は出版社でその出版倫理を貫きたいのでしょうが、その「出版の目的」=「お金」とは一致していないわけです。
考えようによれば、世の出版社というのは、自分の本当の目的と、彼等の要求する目的に板ばさみにされているように感じるでしょう。

ですから、この世界でも、彼等の意向と、私達の倫理の目的に食い違いがあるのに人は気付くかもしれません。

 

                                        坂本  誠

2014年10月24日 (金)

二千二百五十九: 本屋での音楽(独白)

本屋に行くと、綺麗な音楽が流れている事が多い。
静かな本屋の中の雰囲気を否応でも静けさを高める。

そんな場所に行くと、リラックス出来る。
その音楽と何気なく手に取った本を開いて、その場所の文章を読んでみると、音楽とマッチして、何かのアイデアが浮かぶ時もある。
落ち着ける場所、リラックス出来る時間や空間は人によりけりだけど、このような場所があるとホッとしてしまう。
人は何かの行動に追われているものだ。
だから、こんな場所で、時が止まったような雰囲気を感じるのは大事なように感じてしまう。

時空を抜けるような一時と場所というのは、私にとってはこんな場所だ。
本屋の棚の間に流れる美しい音楽を感じるのは素晴らしい一時だ。
そして、その背後に見え隠れする無数の本の背表紙の文字を眺めるのも。

あと、本屋の雰囲気と紅茶の香りも、かなりマッチしているかもしれない。

昔から本が好きだった。
最近はインターネットで何かの文献を読む機会も多いけど、本を読む雰囲気とネットに触れる雰囲気には、かなりの違いを感じてしまう。

本が好きな人は世に多いだろうけど、どうして、本が好きなのかは、誰もよくわからないと思う。

  「どうして、あなたは本が好きなのですか?」

と、聞かれれば、

  「そこに本があるからさ」

と、答える人もいるかもしれない。

 

                                        坂本  誠

2014年10月10日 (金)

二千二百三十九: 思索の秋

こんにちわ。

秋たけなわの今日のこの頃です。
夏の青空と違い、どこか涼しく、澄み切った雰囲気があるのが秋の青空の特徴です。
読書の秋とか、芸術の秋とか、食欲の秋とか、スポーツの秋とかも言われるように、涼しさの中に、どこか人間の喜びを求める活動が求められるかのようです。

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「読書の秋」という言葉は有名ですけど、「思索の秋」という言葉もあります。
「本を読む」という事は、色々と考える事ですから、「読書の秋」という事は「思索の秋」を意味しています。

この二つが「思索の秋」にふさわしいような気がします。
たいてい、私の記憶に残った本も「いつもとは違った角度で、何かを見る事が出来た」という事で記憶に残ります。
「いつもとは違った角度で見る」という事は「違った角度から光が当たった」とも言えます。
ですから、例えば、今、私の目の前にあるコップにしても、「コップとは違った何かを考えさせてくれた」という新鮮な見方を提供してくれたので、そのような感動が残りますので、いつまでも記憶に残ります。

私の過去に読んだ本で、アナトール・フランスの「エピクロスの園」(岩波文庫 大塚幸男 訳)とショーペンハウアーの「幸福について」(新潮文庫 橋本文夫 訳)があります。
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アナトール・フランスの「エピクロスの園」はエッセイ集です。
「断章」と呼ばれる短いエッセイでアナトール・フランスのこの世を見て、感じた事が記載されています。

例えば、『』だと、

  「また、あの無数の星は、われわれの眼には見えない無数の星とともに、みんな、血やリンパ液の小さな球を形作っているにすぎないのかもしれない。」

  「われわれは宇宙は広大であると思っている。
   しかしそれは全く人間的な考えである。
   もしも宇宙が突如としてはしばみの実ほどの小さなものになったとして、すべての物がそれに比例して小さくなったとしたら、われわれは何らその変化に気付くことはできないであろう。
   、、、、(中略)、、、、
   感嘆すべきは、星空があんなにも広大であることではなく、人間がそれを測定したことである。」

普段、私達は宇宙は広大であると信じているのですが、別の視点から見たら、宇宙でさえも小さなものかもしれない、という所にアナトール・フランスの新鮮なものの見方があります。

また、例えば、『科学的真理とモラル』だと、

  「いや! いや! 地球が大きかろうと小さかろうと、そんなことは人間にとってはどうでもいいことだ。
   人がそこで苦しみ、そこで愛しさえすれば、地球は充分に大きい。
   、、、、(中略)、、、、
   しかし、人が苦しむのは地球上においてだけだとすれば、地球は世界の他の全てのものよりも大きい。
   いや、わたくしは何をいっているのか?

地球自体も私達のとって、かなり大きく感じますが、アナトール・フランスにとっては、大きかろうが小さかろうがそれは全く関係なしに、そこで行われている事が素晴らしいかどうかで、大きさが決まる、という感じです。
物の大きさと感情の大きさは比例しないし、全く別個のように感じられるでしょう。
要は「物質よりも、精神的なことの方が、価値がある」と彼は書いていると思います。
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ショーペンハウアーという人は哲学者として位置づけられているようです。
しかし、彼の本を読む限り、哲学者のようには感じません。
なぜならば、哲学の本につき物の難しい表現が無いからです。
確かにほんの少しだけ難しい単語が出てきます。
しかし、彼の文体はエッセイであり、とても人にわかりやすい文章で書いています。

ですから、彼の本は哲学書というよりもエッセイ集として読めます。
確かに、ショーペンハウアーという人は厭世哲学者とも言われており、ちょっと、その点を色々と言われているところがありますが、エッセイとして読む限り、やはり味わい深いものの見方をしていることがわかります。

ショーペンハウアーの「幸福について」からですが、

  「陽気な人には陽気であるべき原因がある。
   その原因とは、ほかでもない、彼が陽気だということなのだ。
   他のどんな財宝にも完全に取って代れるという点で、この長所に匹敵するものはない。
   、、、、(中略)、、、、
   朗らかさは無上至高の財宝である。」

  「誰でも自分自身にとっていちばんよいもの、いちばん大事なものは自分自身であり、いちばんよいこと、いちばん大事なことをしてくれるのも自分自身である。」

  「貪欲で嫉妬深い邪悪な性格は巨万の富をいだいても、満足しない。」

  「幸福は思想そのものにあったのだ。」
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秋の爽やかな青空の下で、過去の人の語った言葉に心静かに耳を傾けるのも一興だと感じます。

 

                                        坂本  誠

2014年4月15日 (火)

千八十一: 読書感想文_No.2

千四十六:読書感想文』の続きです。

私の家は朝日新聞を取っているせいか、朝日新聞の記事をよく見ます。
今日(2014/4/15)の記事に夏目漱石の特集がありました。
その記事によると、今から100年前の4月20日に、朝日新聞朝刊に夏目漱石の『こころ』の連載が始まりました。
今年は、それを記念して、今から5日後の4月20日に、『こころ』の再連載が当新聞上で行われるそうです。

「今時、洒落た(しゃれた)企画だな」と、私は感じました。
夏目漱石の『こころ』ですから、本屋に行けば文庫本も置いてあるし、様々な棚にも置かれています。
しかし、新聞紙上で100年前に発表された小説が、そのまま、新聞紙上に再連載されるというのも珍しい話だと思います。

確かに、私の部屋の本棚にも『こころ』があります。
しかし、新聞紙を手にして、そのまま一日分の『こころ』を読み、向こう、9月まで新聞小説に目を通すという出来事は、多くの人にとっても初めてではないかと感じます。

私も小学生か中学生の頃に、気に行った新聞小説の欄を切り抜き、その切り抜きの何日か分を保存していた記憶があります。
100年前の『こころ』も、当時の明治人や大正人が切り抜いて、その断片集を保存していた人もいるかもしれません。
しかし、現在にまで、その断片集を保存している人は皆無かと思われます。
文庫本の方では、その一日のボリュームは一つ一つの数字で区切られています。
この『こころ』のあらすじの知らない人がこの連載小説を読めば、100年前にこの同じ小説を読んでいた人の気持ちと同じ気持ちで、これを読んでいけると思います。
この辺の実験も、どこかしら、「洒落た」雰囲気を感じないでしょうか。
現代人はこのような軽い機知にも似たものを欲しているかもしれません。

夏目漱石も明治・大正の東京で生活した人です。
彼の作品を読んでみると、そのほとんどが庶民文学である事に気が付きます。
ですから、彼も庶民の一人である事に気が付きます。
そして、その庶民の光景をさりげなく描きつつ、その作品の光景の中に彼なりの観察と洞察が進められているのに読者は気が付きます。

ともあれ、100年前の新聞小説をそのまま、100年後の新聞小説に採用するという試みはルネッサンスに似ていると、人は感じるかもしれません。
ルネッサンスとは文芸復興という意味で、よく使われています。
ルネッサンスの本来の意味は、「再生」「復活」を意味するフランス語だそうです。
このような試みは人に何か面白いものを感じさせるかもしれません。

「文芸復興の意味でのルネッサンスではなく、こころのルネッサンスに繋がれば、多くの人々は、こころの豊かさを育む手段となるかもしれない」と私は感じました。

(以下、新ブログ『光と輝き』からの過去記事、関連記事、及び、参考文献)
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『千四十六:読書感想文』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2014/04/post-88b1.html

 

                                        坂本  誠

2014年4月 7日 (月)

千四十六: 読書感想文

私の方で幾分時間に余裕が出来まして、久しぶりに読書をする機会が出来ました。

「読書」と言っても、本屋に行って、新刊本を買ったわけではありません。
私の部屋の本棚にある、過去に買った本を眺めて、久しぶりにそれらを読んでみました。

夏目漱石の『夢十夜』と『硝子戸の中』でした。
以前、私は夏目漱石の『こころ』や、その他の作品も読んだものです。
しかし、私は夏目漱石の作品群の一つである『小品』と呼ばれる作品が好きでした。
小説だと、少し読むのに時間がかかるからです。

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(▲上記写真は、「夏目漱石 - wikipedia」より)

昔読んだ作品を、久しぶりに読むと面白いものがあると聞きます。
つまり、学生の頃に読んだ当時と、今、読むのでは、時間が経っているので、心境の変化があり、以前に読んだ作品でも、過去に与えられた影響とは違うものがあるからです。
これは私一人に言える事ではなく、私達の社会に対しても同じ事が言えるかもしれません。

社会の風潮が変われば、その社会風潮の下に生きている人はその当時の影響を受けます。
しかし、時代が変われば、時代の風潮も変わるからです。
ですから、世界の文学作品と言えども、時と場合によって重宝されたり、そうでなかったりします。
この辺も面白いものを感じます。
=================
久しぶりに『夢十夜』と『硝子戸の中』を読んでみると、何か新鮮なものを感じました。

『夢十夜』は夏目漱石の夢日記です。
また、『硝子戸の中』は夏目漱石の日記のような作品です。
しかし、日記を書くようでいながら、夏目漱石の生活していた当時の社会を彼の目で鋭く観察した作品として知られています。
=================
『夢十夜』は夏目漱石の見た夢を記しているだけです。
しかし、これが不思議な世界へと連れて行ってくれるのに気が付きます。
最近では、ファンタジー作品とかSF作品とかが同じ雰囲気を持っています。
そのような感じが『夢十夜』にはあります。
確かに、誰でも夢は見ますが、その夢というのは、やはり、ファンタジー作品とかSF作品を思い起こさせます。
ですから、夏目漱石のいた当時には、まだSFという言葉も無かったでしょう。
しかし、『夢十夜』を読むと、彼の心中には、既に彼独自のSFへの取り組みがあったと私は感じてしまいます。

黒澤明監督の作品に『夢』というものがあります。
黒澤明監督のこの『夢』という作品にも、各エピソードの前に「こんな夢を見た」という文字が表示されます。
『夢十夜』も、「こんな夢を見た」という出だしで始まります。
ですから、黒澤明監督も、夏目漱石の『夢十夜』を読み、『夢十夜』に影響された一人であることがわかります。
そして、黒澤明監督の『夢』も、夏目漱石の『夢十夜』の雰囲気に近いものを感じます。
=================
『硝子戸の中』という作品は、この作品を読んでいない人が初めて読むと、「『硝子戸の中』は日記作品なのだ」と感じるでしょう。
しかし、この作品の中に現れる彼の観察眼に読者は注目すると思います。
さりげない日常生活の中で、どのように、彼がそのさりげないものに対して、変わった見方、観察、そして、洞察をするかが描かれています。
また、彼独自に、新たな側面から光を当てて、その日常生活を見ていたりします。
その新しいような「見方」や「観察」、「洞察」に、夏目作品を好む人は面白さや好奇心を感じて、夏目作品を手に入れたりするようです。
=================
『夢十夜』も『硝子戸の中』も、平凡な日常の中に彼の新たな発見や洞察をしています。
SF作品だと、現実とは離れた世界を作り、その現実とSF世界との違いを人々は楽しみます。

しかし、夏目作品とかその他の純文学作品と言えるものは、ありふれた日常生活から変わった何かを作者は読者に差し出し、その面白さを読者に味わってもらうのです。
この辺が、純文学作品の醍醐味と言えます。
=================
夏目漱石の本名は、夏目金之助です。

ペン・ネームの方が夏目漱石です。
夏目漱石のファンはよく知っていますが、この「漱石(そうせき)」の由来も面白いものです。

以下は、Wikipedeiaからの引用です。
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夏目漱石 - wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%8F%E7%9B%AE%E6%BC%B1%E7%9F%B3

漱石の名は、唐代の『晋書』にある故事「漱石枕流」(石に漱〔くちすす〕ぎ流れに枕す)から取ったもので、負け惜しみの強いこと、変わり者の例えである。
-----------
(引用終わり)

つまり、歯磨き粉と歯ブラシで歯を磨くのではなく、石で歯を磨きます。
そして、眠る時は枕ではなく、水の流れを枕として寝ます。
これが「漱石」という彼のペン・ネームなのです。
このような変わった単語を、自分のペン・ネームにしたわけです。

ですから、周囲の人は彼に変わったものを感じたかもしれません。
しかし、そのペン・ネームでも、一旦定着してしまえば、あまり奇妙さは感じないものです。
このペン・ネームの響きも、どこか美しい響きに感じないでしょうか。
=================
夏目漱石は神経衰弱やうつ病を患っていたとも、よく言われています。
そして、その様子も報告されているようです。

しかし、現代の私達にとって、大事なのは彼の文体だと思います。
私が思うに、夏目漱石は飾らない文体を持っています。
あっさりした語り口調です。
そして、書いている文体に、わずらわしさや華奢(きゃしゃ)な雰囲気がありません。
文体に嘘が無く、さらさらと書いている事に気が付きます。

確かに、日常生活では何かがあったのかもしれませんが、一番大事なのは文体でしょう。
なぜならば、後世の多くの読者はその文体を持って彼の人となりを判断するからです。
どんな人でも、日常生活には、その人の生活の何かがあるからです。

逆を言えば、人の数だけ文体があります。
故人になった後に、その故人の後世の人々と接するのは、ただ文体があるのみだからです。
=================
それにしても、時間のある時に、本を片手に、純文学作品に込められた薫りなり、考えなり、雰囲気に触れる事は大事なように感じます。
一言で言えば、そのような読書は「心を豊かにする」と言えるでしょうか。
あくまで、「心を豊かにすることを学ぶ」とは私は言いません。
「学ぶ」では堅いような雰囲気があります。

緊張感も無く、本を読んで、「心を豊かにすることを感じつつ、一つずつ育ち、また、一つ一つ育てられてゆく」という雰囲気でしょうか。

私達は、もっと読書に向けるこのような一時を持った方が良いように感じます。
現代社会だと、「テストの成績が良い方が大事だ」とか「効率優先」とか「スピード第一」という雰囲気が、まだ、多く残されているように感じます。
これは左脳型社会の雰囲気だと思います。
効率優先のデジタル型社会であり、心や情操を貴ぶ社会とは言えないと私は感じます。

上記のような雰囲気だと、「心を豊かにする」という大事な作業を愛さなくなるように思えます。

ですから、分秒単位で生きる私達としては、ゆったりとして、心を豊かにする時間をもっと持つべきようなライフ・スタイルを作るべきではないかと感じました。
私達は心を豊かにする時代を作るべきだと思います。
=================
私が以前に読んだ本を読み返してみて、読書感想文を書きました。

 

                                        坂本  誠

2013年10月27日 (日)

四百六十二: 私の見かけた本

こんにちわ。

私は以下の本を見かける機会がありました。
私の気になった部分を引用させて頂きたいと思います。
気になった部分には、アンダーラインを引かせて頂きました。

(以下、「新・光の12日間」、ゲリー・ボーネル(著)/大野百合子(訳)  徳間書店・五次元文庫 第4刷:2011年3月10日)
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       第2次世界大戦にまつわる驚くべき集団カルマの歴史

 
       
当時、ドイツはロケットを開発していました。
そのロケットの研究所を全部爆破するか、あるいはロケットのモデルやエンジンの情報をそのままアメリカに渡すという条件で、影武者がヒットラーとして焼かれたのです。
    :
   (中略)
    :
NASAをつくるときヘルプしたのは、ドイツの科学者たちです。
V-2ロケットの研究者フォン・ブラウンは、NASAの高官になりました。
CIAの人たちもドイツ人でした。
ゲーレン機関のゲーレンもそうです。
アウシュビッツの医者メンゲレ、クラウス・バービーなど、みんなアメリカに匿われていました。
アメリカは、盗まれたユダヤの財宝も受け取りました。
あまり自慢できることではありません。
アメリカ政府は、戦争犯罪者たちを連れてきて、受け入れてしまったのです。
犯罪者とわかっていながら、受け入れたということが、アメリカにカルマをつくっています。
    :
   (中略)
    :
私は子供のころ、フロリダ州に住んでいました。
その後、ケープカナベラルという名前になった、ケネディスペースセンターがある場所です。
私の義理の父は大工だったのですが、コンクリートをつくる人でした。
彼はドイツ系で、SSのエンジニアだった人とも友達でした。
だから私の義理の父はそういう秘密の情報に通じ、私もまた、結構小さいときからナチスの話は知っていたのです。
    :
   (中略)
    :
アルゼンチンには、ドイツ人のコロニーもありました。
ペロン大統領が巨額のお金をもらって、歓迎したのです。
ローマ法王は「チャペルツアー」といって、SSなどのドイツ人の国外脱出を助けました。
なぜ「チャペルツアー」なのかというとドイツ人たちは、まず教会に行き、そこからフランスを通り、イタリア、シチリア島に行って、ローマ法王の祝福を受けてから、南アメリカまで船で逃げたからです。
相当な数のドイツ人がアルゼンチンに逃げました。
それもカトリックのカルマになっています。
    
カトリックにはカルマがあまりにもたくさんあって、それは想像を絶するほどです。
カトリックの洗礼を受けるということは、そのエネルギーの一部を自分が受けてしまうということになります。
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(引用終わり)

(以下、旧ブログ『悲喜憐偉』と新ブログ『光と輝き』からの過去記事、関連記事、及び、参考文献)
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『二百五十九: ペーパークリップ作戦について』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2013/08/post-6adf.html
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9A%E3%83%BC%E3%83%91%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%83%83%E3%83%97%E4%BD%9C%E6%88%A6
(Wikipediaより)
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ペーパークリップ作戦(英:Operation Paperclip)は、第二次世界大戦末から終戦直後にかけてアメリカ軍がドイツの優秀な科学者をドイツからアメリカに連行した一連の作戦のコード名である。
ペーパークリップ計画 (Project Paperclip) とも呼ばれる。
1945年、統合参謀本部に統合諜報対象局 (Joint Intelligence Objectives Agency) が設けられ、この作戦に関する直接的な責任が与えられた[1]。
最終更新 2013年5月22日 (水) 09:03 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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400pxproject_paperclip_team_at_fort

「MKウルトラ計画」
http://ja.wikipedia.org/wiki/MK%E3%82%A6%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%A9%E8%A8%88%E7%94%BB
(Wikipediaより)
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MKウルトラ計画(Project MK-ULTRA、MKウルトラ作戦とも)とは、アメリカ中央情報局(CIA)科学技術本部が極秘裏に実施していた洗脳実験のコードネーム。
米加両国の国民を被験者として、1950年代初頭から少なくとも1960年代末まで行われていたとされる[1][2]。
1973年に時のCIA長官リチャード・ヘルムズが関連文書の破棄を命じたものの、辛うじて残されていた数枚の文書が1975年、アメリカ連邦議会において初公開された[3]。
概要
MKウルトラの前身は、統合諜報対象局(1945年設立)によるペーパークリップ作戦である。
ペーパークリップ作戦とは、かつてナチ政権に関与した科学者を募集する目的で展開され、拷問、洗脳を研究していた研究者もいれば、ニュルンベルク裁判にて戦犯とされた者も存在した[4][5]。
最終更新 2013年3月31日 (日) 01:01 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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『四百五十五:私の見かけたビデオについて_No.44』
●ローマ法王ベネディクト16世 新世界秩序 バチカン #nwo #pope #benedict #vatican
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2013/10/_no44-4d53.html
http://www.youtube.com/watch?v=IAUcR9CtlRE

ローマ法王ベネディクト16世 新世界秩序 バチカン #nwo #pope #benedict #vatican
YouTube: ローマ法王ベネディクト16世 新世界秩序 バチカン #nwo #pope #benedict #vatican

ローマ法王ベネディクト16世
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、、、ちょうど道徳と経済の関係に基づいて新世界秩序を作るための誘因です。
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『四百五十四:私の見かけた情報_No.3』
●アメリカの驚くべき32の真実・・・・ほとんどの人は知らない。。。
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2013/10/_no3-b141.html
http://mizu888.at.webry.info/201310/article_5.html
http://blog.livedoor.jp/wisdomkeeper/archives/51894924.html
http://nesaranews.blogspot.jp/2013/08/here-are-truthful-facts-most-people-do.html
(上記記事より引用)
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23.ローマ法王は、大陸の発見と征服に関する法に基づき、全世界を所有していると主張している。
24.ローマ法王は何百万人もの人々の大量虐殺と奴隷化を命令した。
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『百三十九:News_No.257』
●「イランには落ち着いて核爆弾を作らせよ!?」
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2013/07/news_no257-0b88.html
http://japanese.ruvr.ru/2013_07_01/iran-kakubakudan/
(以下、『ロシアの声』、2013/7/1記事より抜粋して引用)
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20年前に冷戦は終わり、ブッシュ大統領は「新世界秩序」なるものを口にした
ロシア人達はゲームの外に出てしまい、今や米国は自由に世界を作り変える事ができるようになり、軍事侵攻のための大義名分の必要性さえ取り消してしまった。
新聞「インディペンデント」
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『四百四十一:私の見かけたビデオについて_No.43』
●ローマ教皇ベネディクト16世はイルミナティだった?
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2013/10/_no43-ca41.html
http://www.youtube.com/watch?v=FhtzkNQebGo

ローマ教皇ベネディクト16世はイルミナティだった?
YouTube: ローマ教皇ベネディクト16世はイルミナティだった?

『四百三十六:私の見かけたビデオについて_No.42』
●真の影の権力者 イエズス会中枢部とバチカン内部
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2013/10/_no42-84e2.html
http://ameblo.jp/hidy0701/day-20120328.html
http://mizu888.at.webry.info/201310/article_111.html
http://www.youtube.com/watch?v=jePMp9MFLKI

真の影の権力者 イエズス会中枢部とバチカン内部
YouTube: 真の影の権力者 イエズス会中枢部とバチカン内部

(上記ビデオより)
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バチカンはヒトラーと政教条約を結んだ。
1933年に彼が権力を持った年である。

 
   
私はイエズス会の命令からほとんど全てを学んだ。
この組織の良い部分は私の政党に取り入れた。
私はイエズス会からさらに多くを学んだ。
これからは、この地球上で階層的であるカトリック教会ほど壮大なものはないであろう。
ヒムラーの中に我々のロヨラのイグナチオを見る。
(アドルフ・ヒトラー)
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『四百三十:私の見かけたビデオについて_No.40』
●バチカンとフリ-メ-ソンリ- フェレ-司祭の証言
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2013/10/_no40-be76.html
http://www.youtube.com/watch?v=byCLsdh3J-s

バチカンとフリ-メ-ソンリ- フェレ-司祭の証言
YouTube: バチカンとフリ-メ-ソンリ- フェレ-司祭の証言

『二千九百七十六: News_No.154』
http://hikirini.blog.bbiq.jp/blog/2013/03/news_no154-f8c6.html
●英カトリック教会最高位、辞職 「不適切な行為」で告発
http://www.asahi.com/international/update/0225/TKY201302250443.html
●英女王、ローマ法王、カナダ首相、バチカンetc.が25年の懲役刑を受けます。
http://blog.livedoor.jp/wisdomkeeper/archives/51871499.html
http://www.syncrenicity.com/2013/02/25/pope-queen-and-canadian-prime-minister-found-guilty-of-crimes-against-humanity-and-sentenced
(上記記事より抜粋して引用)
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2月25日付け:
集団虐殺を行ったバチカンとカナダの関係団体に対する初めての普通法裁判事例で最終判決が下されました。
ローマ法王、英女王、英国教会、カトリック教会、カナダ統一教会及びカナダ首相らは、カナダにおける人道に対する犯罪で有罪の判決が下され、被告人全員に25年の懲役刑が言い渡されました。
--------------------

『三千一: お知らせ_No.114』
●3月6日にブリュッセルの裁判所がエリザベス女王や元法王、他に逮捕状を出しました。
http://hikirini.blog.bbiq.jp/blog/2013/03/_no114-2de3.html
http://blog.livedoor.jp/wisdomkeeper/archives/51872803.html
http://the-tap.blogspot.jp/
http://thisincrediblenewworld.wordpress.com/tag/itccs/
(上記記事より抜粋して引用)
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3月6日付け:
ブリュッセル発:
先週、人道に対する犯罪を犯したとして有罪判決を言い渡されたバチカンや他の教会関係者及びカナダ政府関係者は、出頭という裁判所の命令を無視したため、彼等は現行犯逮捕に直面することになります。
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『三千十二: お知らせ_No.119』
http://hikirini.blog.bbiq.jp/blog/2013/03/_no119-7989.html
●アメリカの本当の所有者は、現在もローマカトリック教会=バビロン教会に操れられたクラウンテンプル
http://mizu888.at.webry.info/201302/article_57.html
世界の真実の姿を求めて!さんより
http://oujyujyu.blog114.fc2.com/blog-entry-702.html
●世界の支配構造の本当の秘密
(上記記事より抜粋して引用)
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実際は秘密裏にローマカトリック教会を引きずり回し、悪魔的に支配しているのは、イエズス会。
ロスチャイルド家は代々イエズス会士。
(ビルヒューズによれば)イエズス会が育て操った歴史上のメンバー。
スターリン、ムソリーニ、ヒトラー、ヒムラー、ゲッペルス、アイヒマン、ビルクリントン、カストロ、シモンペレス、ロバートムカベ。

そのザ・シティに指令を出しているのがローマカトリック教会(バビロン教会)ということなのです。
バチカンの金庫番がイエズス会士のロスチャイルドです。
そしてバチカン市国も主権国家で、イタリア議会に従うことのない存在です。
この構造はワシントンDCに引き継がれています。

ローマ教皇庁内部の秘密グループで20年以上働いてきた人物の証言です。
この17カ国語を話す天才的人物は、イエズス会の元司祭のマラキ・マーティンと言います。
1997年に亡くなる直前、著作で明かしています。
ローマ教皇庁にオカルト的陰謀が存在し、悪魔崇拝の儀式がルシファーに捧げられる秘密礼拝所で行われていると。
イエズス会修道士の入会者は入会式で、イエズス会とローマ教皇の共通の敵との戦いに従事するという、テロリストのごとき冷酷無比な血の宣誓をさせられます。
私は機会ある限り、ひそかにあるいは公然と、指示された通りに、すての異教徒やプロテスタント、自由主義者をこの地上から根絶させ撲滅するまで、徹底的に戦い続けることを誓い、宣言する。
相手がどのような年齢、性別、健康状態でも決して容赦しない。
忌まわしき異教徒をつるし上げ、麻痺させ、皮を剥ぎ、首を絞め、生きたまま地中に埋める。
女の腹と子宮を裂き、子供の頭を壁に打ち付けて粉砕し、呪うべき者たちを永久に根絶させる。
公然と行なえないときは陰に隠れ、毒を盛った盃を、短剣の刃を、絞殺のためのロープを、鉛の弾丸を使う。
相手の地位、品格、権威にかかわりなく、彼らの状況がどのようなものであろうと、公私にかかわらず実行する。
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『三千二百七十: News_No.204』
http://hikirini.blog.bbiq.jp/blog/2013/05/news_no204-6b8e.html
(以下、「朝日新聞デジタル」、2013/5/17記事より抜粋して引用)
--------------------
●バチカン銀行、バランスシート公開へ 新法王改革の一環
http://www.asahi.com/international/update/0517/TKY201305170308.html
バチカン放送局によると、ローマ法王庁(バチカン)の資産を管理・運用している宗教事業協会(通称バチカン銀行)のフォンフライベルク総裁は、資産状況を記したバランスシートを年末までにネッ、、、
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『八十一:私の見かけたビデオについて_No.15』
●エレン・グリーン・ヒックスインタビュー④
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2013/06/_no15-39cd.html
http://ameblo.jp/hidy0701/entry-11553166803.html
http://mizu888.at.webry.info/201306/article_64.html
http://www.youtube.com/watch?v=__PDJHCxoDc

エレン・グリーン・ヒックス
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「バチカンでの小さな子供達を生贄に捧げる儀式を見てきています。」
「腹立たしい、地上で最も腹立たしい場所です。」
「最も邪悪で暗くて・・・地上で最も邪悪な場所です。」
「神はそこにいません。」
「神はその建物に入ったことはありません。」
「神は一度もその建物に入ったことがありません。」
「神は決してそこに入る事は無いでしょう。」
「神はその建物に無くなって欲しいのです。」
「生贄の儀式的な邪悪な・・・場所以外の何物でもありません。」
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『九十七:バチカンについて』
●バチカンは、世界政府を呼びかけています
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2013/06/post-804e.html
http://www.forbes.com/sites/timworstall/2011/10/25/the-vatican-calls-for-world-government/
(以下、「Forbes」紙、2011/10/25記事より抜粋して引用)
--------------------
実際、彼等は、自分達が政治的なプロセスを実行する事の出来る地位に、うまく入り込んでいます。
(そう、民主主義的にも選ばれ、そして、自己指名によっても)。
本当に、もはや、私達は、彼等に力を与えたくはありません。
実際に、私達は、特に金融と経済上で、彼等が既に持っているものの多くの力を改善したいです。
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『二百八十九:フリーメーソンとイルミナティ レジャンバルド神父』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2013/08/post-4df6.html
http://mizu888.at.webry.info/201308/article_81.html
http://shanti-phula.net/ja/social/blog/?p=50235
●フリ-メ-ソンとイルミナティ レジャンバルド神父 Part1
http://www.youtube.com/watch?v=3PLaXhXdZt8

『百四十四:『人口削減計画』等について_No.5』
●NASAの未来計画文書③
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2013/07/_no5-0b84.html
http://ameblo.jp/hidy0701/entry-11563280614.html
http://mizu888.at.webry.info/201307/article_2.html
http://solesoleil.exblog.jp/20441188/
http://reptilianisreal.blogspot.jp/2013/06/nasa.html
http://www.youtube.com/watch?v=2Ww0U-TMGnE

●デボラ:
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新世界秩序の暴露1969年を見る事です。」
「それらは全て私達のウェブサイトにあります。、、、誰もがその詐欺を理解するのです。」
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                                        坂本  誠

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