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2018年11月19日 (月)

三千三百七:四国の思い出_その四(四万十の流れに触れて)

四国に訪れた当初から行ってみたい場所があった。

それは四万十川近辺だった。
というのも、四国に初めて訪れる以前より、テレビや旅行雑誌などで、四万十の流れは広く伝えられていたからだ。
当時より、四万十の流れは、それらの情報媒介の紹介によると、『日本最後の清流』という触れ込みで人に知られていた。

(下の写真はWikipediaからの『四万十川』)
●Shimanto River And Iwama Bridge 1 - 四万十川 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%9B%E4%B8%87%E5%8D%81%E5%B7%9D#/media/File:Shimanto_River_And_Iwama_Bridge_1.JPG

Simanto_1

それ以前より、旅は好きだった。
しかし、他人の見聞きした話を聞くよりも、その土地の場所の雰囲気を本当に感じるには、その土地に訪れる以外に手は無い。

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ちょっとだけ横道に反れるのだけど、旅先の土地での雰囲気、つまり「旅情」というものについて語ってみたい。
真の「旅情」というものは、テレビやネットの動画や、その他の情報媒体のちからを駆使しても、それを表現することは出来ないと思う。
この原稿を書いている現代だと、コンピューターのAI(人工知能)が、しばしば、人の口の上に登る機会が多い。
しかし、そのようなAIを使用した、どれほど優れた3DCG(3次元コンピューター・グラフィックス)や3Dホログラムを使用しても、その土地の「旅情」を他の土地の人々に伝えることは不可能だと思う。

なぜならば、私達がそのようなテレビやネットから入手する情報の、そのほとんどは視覚や聴覚に頼っていることがほとんどである。

そのような、テレビやネットから情報というのは、視覚・聴覚ばかりがメインなのだけど、実際に、自分の身を旅先の土地に移動させてみると、その自身の身から得られる情報は、視覚・聴覚を超えた、莫大な量となる。

旅先で訪れた料亭での珍味の香りを、あるいは舌触りを、テレビやパソコンの画面からは感じることが出来ない。
また、旅先の土地で頬を伝って流れ去る、風との触れ合いの心地良さは、当然ながら、テレビやパソコンの画面から感じることが出来ない。

旅先の土地での日光の量も、自分の日々に住む土地の日光量とは違うことだろう。
なぜならば、その土地での森林浴は、その土地でしか味わうことが出来ないので、頬の肌で感じる日光の加減も、当然ながら、テレビやパソコンの画面からは感じることが出来ない。

あるいは、旅先の土地での海岸で海水浴をしてみると、その土地の砂浜が足をくすぐる痛み具合すらも、故郷の土地のものとは違っているかもしれない。

そんなこんなで考えていくと、書籍、テレビ、ラジオ、ネット、あるいは、その他の全ての旅先の見聞録を、幾ら、目と耳で仕入れても、その情報量は、実際に自分がその旅先の土地で経験した五感の総量とは、きわめて量に違いがあることに人は気が付く。

だから、現代の、どんな旅先の見聞録と言えども、実際に自分がその土地に訪れて、味わった情報量と比較すると、どちらが優れているかは、誰にでもわかることである。

早い話が、本当に旅の良さを味わうには、現代と言えども、その旅先の土地に訪れる以外に手は無い。

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ここから、本題に返るのだけど、私が四国に居住している間に、四万十近辺には二回訪れた。
一回目はバイクで行った。

太平洋側の地方都市を離れると、四国独特の土地の雰囲気がバイクのヘルメット上をかすめていくことになる。
日本のどこでもそうだけど、日本の地方都市の雰囲気と言うのは、たいてい似ている。

しかし、四国は山の深い土地だ。
平野部はあるものの、山の斜面が、そのまま海に入り込んでいるところが多い。

閑散とした道路を、心地良く走れるのだけど、上述のように、山の斜面がそのまま海に入り込む地形というのは、つまり、海岸沿いの崖が多い土地となる。
だから、海岸沿いを、あまり走れず、海岸から、ちょっと離れた場所に道路が敷かれている状況が多かった。
なので、太平洋の青海が見れたかと思うと、再び、山の中を走っているという車窓風景ともなっている。
もちろん、海のすぐそばを走ることもあるのだけど、海岸線から、すぐにも離れることになる。

つまり、四国は本来山国と言えるので、このような土地事情ともなる。
だから、海の際(きわ)まで、山が迫っていると言えるので、海際を走っていても、どこか深山幽谷(しんざんゆうこく)の風景の中を、走るような雰囲気となる。

平安時代の弘法大師も、ほぼ、同じような道を歩いて行ったのだから、過去、彼も、この四国の土地に霊場というものを感じたと思う。

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私が訪れた当時は中村市という市名だったが、今では四万十市となっている。
その街中を四万十川が貫き、赤い鉄橋がかかっている。

(下の写真はWikipediaからの『四万十川』)
●Shimanto-gawa bashi zenkei-3 - 四万十川 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%9B%E4%B8%87%E5%8D%81%E5%B7%9D#/media/File:Shimanto-gawa_bashi_zenkei-3.jpg

Simanto_akahasi

その赤い鉄橋を超えて、足摺岬方面に向かう途中、バイクを降りて身を休めると同時に、四万十の流れに触れてみた。
四万十の最下流近辺でもあり、さすがに、人間の居住地域を幾つも通って来ているので、「上流程の美しさと清らかさは無い」とは言われているものの、それでも河川としては、かなり美しい川だった。

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足摺岬に向かうのだけど、ここまで走ってみて感じることは、私ならず、他の人も感じると思うのだけど、道中の「静かさ」を感じると思う。

風の音と、あるいは、海が渚(なぎさ)を洗う音と、わずかばかりにすれ違う車のエンジン音と、あるいは自分のバイクのエンジン音、、、。
それらの音が道中の自分の身の周りに木霊(こだま)するばかり。

それ以外の、他の音を聞くことが少なかった。

だから、ここまで来る道中に、不思議な静かさを感じていたのを今でも思い出す。
つまり、現代社会での、自動車やバイクなどの移動手段を使っても、その道中の移動中では、人は沈思瞑想(ちんしめいそう)しているようなものだ。

かつての空海も、この土地の上を歩行しながらも、目を開いたまま瞑想をしていたのではないだろうか。
現代の私達でも自動車やバイクで、この道中で、さながら、ある意味での移動中の瞑想ができると思うのだけど、もちろん実践したい人は居眠り運転に気をつけて。

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上述しているように、道中は、とても静かだからか、このような四国の土地を旅していると、時間の感覚が違ってくる。

確かに、幾つも存在する四国の地方都市の内部だと、始終、テレビから何かの音声が流れ、あるいは、ラジオからの音声や、ネットからの音声や、街中の喧噪や自動車の騒音で一杯である。

しかし、地方都市を抜けても、それらの音声があるにはあるのだけど、移動などのおかげで、ある意味、「車中」という隔絶された環境の中もあり、上述したように、とても静かな環境なので、道中の時間の感覚が違っていたことを今でも記憶している。

よく巷で使われている言葉を借りれば、「時が止まっている」というものだろうか。

私が感じたところでは、「時が止まっている」とまではいかなかったけど、やはり、これもよく囁かれるような表現としては、「時の流れがゆるやかになっている」だった。

ある意味、不思議で奇妙な感覚。

どこかの深い淵の底を覗き込むかのような。

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私なりの表現をしてみたい。

「時」と言う名の、何らかの巨大物質や巨大生命体が、そこにいたような気がする。

つまり、その目には見えない巨大生命体である「時」と言う名の生物が、その土地に住んでいるように感じる。

そして、その太平洋四国沿岸地帯の静かさと、その巨大さ自体が、美術方面の彫刻分野等で使用される一つの巨大な石版に似ている。
(彫刻などでは、そのような大きな石版などに彫り物を刻むことが多い。)

そして、その太平洋四国沿岸地帯の静かさと巨大さ自体が、自分自身である、その巨大石版の中に、その地方の「時」と言う名の巨大生物を、あたかも彫り込んでいるように感じる。

つまり、その目には見えない巨大生命体である「時」と言う名の生物が、その巨大石板の内に閉じ込められているように感じる。
だから、「時」は自らが思うままに動くことが出来ず、よって、私達がその土地を訪れて、「時が止まっている」とか「時の流れがゆるやかになっている」ように感じてしまう。

実際、私達が巨大な彫刻を見るに、もちろん彫刻は動かない。
なぜならば、彫刻師が後世に永く残したい風景の一抹の一瞬を切り取って、その石版や彫刻の像の中に、その一瞬の記憶の外見を留めるからである。
だから、私達は威厳ある彫刻を見る時には、どこか、時間の静止を感じるものである。

そのように、私が「時が止まっている」というような風景や光景を見ると、あたかも巨大石板に閉じ込められた何かの生命を感じるのである。

(下の写真はWikipediaからの『足摺岬』)
●Tosashimizu Ashizuri Cape 1 - 足摺岬 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B6%B3%E6%91%BA%E5%B2%AC#/media/File:Tosashimizu_Ashizuri_Cape_1.jpg

Asizuri

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実際、四国に行ってみると、私達は、私が今まで紹介してきたような巨大な自然の造形物を多く見ることになる。

今回の記事は長くなってしまったので、足摺岬を後述することになるのだけど、足摺岬と言い、石鎚山と言い、大歩危・小歩危と言い、笹ヶ峰と言い、訪れる旅人は、四国の巨大自然造形物の数多くを目にすることだろう。
足摺岬近辺にある「竜串(たつくし)」と呼ばれる海岸沿いの巨大石群もそうだ。

現代だと、数多くの人間の都会の構造物や都会の喧騒を、私達は見る機会も多いけれど、そのような場所を離れて、ただ一人、巨大自然造形物のさなかを歩むと、その旅人は、その巨大自然体に対して、「威厳」とか「厳かさ」といった単語を念頭と心中に浮かべると思う。

そして、当然のことながら、きっと私が上述したようなことを道中で感るだろう。
日頃の現代都会生活と言われているアーバン・サバイバルのライフ・スタイルとは違った、神妙な何かを感じると思う。

『四国八十八箇所』とか『四国遍路』を行っている旅人達は、そのような現代生活の日常とは違った神妙な何かを感じるために、巡礼をしているのではなかろうか。

(下の写真はWikipediaからの『竜串』)
●Tatsukushi 05 - 竜串 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%9C%E4%B8%B2#/media/File:Tatsukushi_05.JPG

Tatukusi

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『四国遍路』の開祖は、弘法大師と伝えられている。

私は四国に居住していた間に、『四国遍路』の旅人では無かったし、また、『四国遍路』の全ての道程を踏み終えた旅人では無い。

部分的にも、『四国八十八箇所』巡りの道中を踏みしめたのだけど、その道中から感じることの出来たのは、上述しているように、巨大自然体の「厳かさ」とか「神妙さ」と言えるものであった。

『四国八十八箇所』の開祖として、弘法大師が讃えられているような雰囲気があるけれど、私が思うに、彼が偉いのではなく、彼に自然の霊感とか、自然の厳かさ等を見せた、巨大自然体そのものの方が偉大なように感じた。

弘法大師が若かりし時に、四国中の寺々を訪ね回ったのだが、当時、彼は何か心中に求めるものがあって、あえて旅をしたのではなかったか。

あるいは、彼の若い時に何かの悩みがあり、その悩みを解決する糸口として、四国の道中を踏みしめたのではないだろうか。

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私は『四国遍路』の旅人では無かったのだけど、現代では、自動車やバイクを使って四国一周しても、これまでに書いているように、四国の自然の巨大さを実感することが出来る。

また、四国一周をしなくても、私のように部分的な移動をしただけでも、ほぼ『四国遍路』の雰囲気を味わえると思う。

確かに、四国に行くと、今でも、昔ながらの『四国遍路』の旅人の方々も見かける。
実際に、徒歩で『四国八十八箇所』を巡る本格派の巡礼者の方々もいる。

確かに、徒歩で四国一周をしても良いのだけど、手軽で比較的短時間内で四国の神秘的な自然を味わうには、現代の足を使っても良いと思う。

本来ならば、この段落中で、足摺岬やその近辺の竜串海岸のことを書くつもりだったのだけど、長くなってしまったので、後述することにします。

「私の四国内での部分的な旅は、現代の『四国遍路』とは言えなかっただろうか」という問いを残しつつも、ここで、この段落の記事の筆を結んでおくことにします。


(以下、過去記事、関連記事、及び、参考文献)
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三千三百三:四国の思い出_その三(独白)
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2018/10/_-6984.html

(以下、Wikipediaより引用)
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●地球33番地
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%B0%E7%90%8333%E7%95%AA%E5%9C%B0

Address_33no1

最終更新 2017年11月10日 (金) 15:04 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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(引用終わり)

●地球33番地公式サイト
http://chikyu33.net/executive/commi.html

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『三千二百九十六:四国の思い出_その二(独白)』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2018/10/_-2b8a.html

●(下の写真は「石鎚山系を知る | 石鎚山・石鎚山系公式|石鎚山系連携事業協議会」からの『仁淀川』)
https://www.ishizuchisankei.com/about/

 

Photo_3

●(下の写真は『Iyohuzi0ɜ - 笹ヶ峰 - Wikipedia』からの笹ヶ峰)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%B9%E3%83%B6%E5%B3%B0#/media/File:Iyohuzi0%C9%9C.jpg

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『三千二百九十五:四国の思い出_その一(独白)』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2018/10/_-e767.html

●(下の写真はWikipediaからの『大歩危峡』)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%AD%A9%E5%8D%B1

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●(下の写真は「石鎚山系を知る | 石鎚山・石鎚山系公式|石鎚山系連携事業協議会」からの『石鎚山』)
https://www.ishizuchisankei.com/about/


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                                       坂本 誠

2018年10月30日 (火)

三千三百三:四国の思い出_その三(独白)

四国には、ちょっと変わった場所もある。
それは、地球の緯度的にユニークな場所である。

高知県高知市南金田・弥生町には、東経133度33分33.333秒・北緯33度33分33.333秒の地点が存在する。
地球の地理では、他にも、このように緯度的に数字の密集した地点が他にもあるらしい。
33の並ぶ地点では、この高知県高知市以外では、非常にアクセスするのが難しいと言われている。

過去、私が四国に居住している時に、ちょっとだけ気になっていたので、高知市の東部に訪れる際に、ちょっと寄ってみることにした。

掲載した写真は、以下のURLからのもの。

Address_33no1

 

地球33番地 - 地球33番地 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%B0%E7%90%8333%E7%95%AA%E5%9C%B0#/media/File:%E5%9C%B0%E7%90%8333%E7%95%AA%E5%9C%B0.jpg

参考文献として、以下のHPを読んで頂けると幸いです。

(以下、Wikipediaより引用)
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●地球33番地
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%B0%E7%90%8333%E7%95%AA%E5%9C%B0
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地球33番地公式サイト
http://chikyu33.net/executive/commi.html

行ってみたのだけど、何の変哲も無い居住区に、その「地球33番地」と呼ばれる場所が存在していた。

私が四国に居住していたのは、もう何十年か前の話なので、記憶がうっすらしているのだけど、河の中のモニュメントは無かったような気がする。
だから、私の記憶に寝ていたのは、対岸に建てられていた白いモニュメントの記憶だと思われる。

ただ、当時の記憶をたどっても、「真の地球33番地は川の中にあるのだ」という思いが残っているから、やはり、私が訪れた際には、河の中のモニュメントは無かったような気がする。

その他の地球上の「地球33番地」と呼ばれる場所はアクセス困難と言われているのに、市街地のほぼ真ん中に、そのような特異点が存在しているので、逆に、呆気に取られるような気がした。

しかし、例えば、海外の人で、この四国高知市に存在する「地球33番地」の場所を見ると、以下のように言うかもしれない。

  「日本の四国に存在する地球33番地も、ちょっと外れたら、やはり、海の中と言えるじゃないか」

と。

だから、やはり、世界地図から見て判断すると、この「四国内の地球33番地にアクセスしやすい」というのは、ある意味、奇跡的なものかも知れない。
四国以外の地球33番地にアクセスするのは困難なのだから。

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このようなことを考慮し、さらに、333の数字が集まっていることからも、私は「霊感の鋭い方が、この場所に訪れてみると、何かを感じるかもしれない」と思った。

しかし、この四国内の地球33番地の紹介には、「パワースポット」と言われる俗称は付いていないようだ。
だから、現在において、霊感の鋭い方が、この場所に訪れたかどうかもわからない。

しかし、過去、四国八十八ヵ所巡りを開いた弘法大師が、この土地に訪れたかもしれない。
弘法大師が、四国に霊感を感じたのも、私の推測だが「地球33番地」の何かを感じたからではないだろうか。

そう思って、インターネットで「wiki 四国八十八ヵ所巡り」を検索してみた。

四国八十八箇所
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%9B%E5%9B%BD%E5%85%AB%E5%8D%81%E5%85%AB%E7%AE%87%E6%89%80

上記のHP上の地図で、弘法大師の足跡を追った。
その写真は以下のもの。

Shikoku Pilgrimage Map01 - 四国八十八箇所 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%9B%E5%9B%BD%E5%85%AB%E5%8D%81%E5%85%AB%E7%AE%87%E6%89%80#/media/File:Shikoku_Pilgrimage_Map01.png

Address_33no2

すると驚いたことに、四国八十八箇所の三十番目から三十三番目ぐらいは、ほぼ「地球33番地」の場所にあることがわかった。
そして、私は気になりつつも、四国八十八箇所の三十三番目のお寺である『雪渓寺』の以下のHPを見ることになった。

雪蹊寺
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%AA%E8%B9%8A%E5%AF%BA

そして、その寺の緯度を見ると「北緯33度30分3秒、東経133度32分35.1秒」だった。

私は「四国は、つくづく、数字の3に縁のある土地だなあ」と思ってしまった。

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何か、やたらと数字の3を見つつも、さらに私が、当時よく利用していた道路のことを思い出した。
それは高知市と松山市を結ぶ国道のことである。

四国の高知市と松山市を往復する必要のある人が頻繁に使用する国道なのだけど、その道の名前は「国道33号線」である。

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「地球33番地」の「33」と言い、四国八十八箇所の三十三番目のお寺である『雪渓寺』に与えられている、その番号と緯度と言い、国道33号線の「33」と言い、読者の中には以下のような疑問を口に出す人がいるかもしれない。

  「これらの3の数字は、本当に偶然の一致で起こったことなのだろうか?」

と。

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ここまで書くと、あの瀬戸内海に浮かぶ島である四国(しこく)という島の名称も、本来は三国(さんこく)ではなかったのかと私は推測してしまう。

四国(しこく)という島の名称は、瀬戸内海に浮かぶ、あの島の中に、主に四つの国があったので、四国(しこく)と呼ばれたのだろうけれど、本来ならば、三国(さんこく)だったのかもしれない。

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読者の中で、ある人ならば「なんとなく、333の数字が続くことは良くないことではないだろうか」と感じる人もいるかもしれない。

しかし、私は逆の視点で見たいのだけど、それらの数字が続くことは幸運の前兆と見なせないだろうか。

(以下、過去記事、関連記事、及び、参考文献)
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『三千三十三:『333 ノ テッペン カラ トビウツレ』を思い出しながら』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2016/12/333-0e22-1.html
(以下の写真は、『わたしは真悟』第3巻「空の階段」と『わたしは真悟』第4巻「光ふりて」から)

Pc080177

Pc080174

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  奇跡は誰にでも一度は起きる。
  だが誰も起きたことには気づかない

           『わたしは真悟』(楳図かずお 作)より引用

  Everybody has had a miracle once .
  But , nobody has realized the miracle at all .

            quotation from "MY NAME IS SHINGO ."
            Author:Umezu Kazuo

           (日本語原文の英語翻訳者は筆者である坂本誠)


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『三千二百九十六:四国の思い出_その二(独白)』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2018/10/_-2b8a.html

『三千二百九十五:四国の思い出_その一(独白)』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2018/10/_-e767.html

『三千三百三十三: ディスクロージャーについて_No.33』
●委員会のメンバー達は、今週を越えての公聴会を行うための、答えを探しています
http://hikirini.blog.bbiq.jp/blog/2013/05/_no33-fc88.html
http://huff.to/135YgXY


 

                                       坂本 誠

2018年10月 5日 (金)

三千二百九十六:四国の思い出_その二(独白)

■:石鎚の峰々の山水画

四国にいた時の、一番の思い出とは、石鎚山に行った時だった。
「石鎚山に行った」とは言っても、石鎚山に登山したわけではない。

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ある日、友人達と休暇を利用して、「レンタカーで、四国一周してみよう」と話が進んだ。
さっそく、何人かの友人達と、四国の松山へとハンドルを向けていた。
松山に赴く途中、石鎚スカイラインを走ることにする。

その時、ハンドルを握っていたのは私だった。
石鎚スカイラインを車で登って行くと、やはり、四国の雄大な山地と渓谷を抜けていくことになる。
ちょうど、山の尾根の上に当たる部分を、石鎚スカイラインが走っている。

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その、スカイラインの上を車で走るのだから、どこか、天上世界を走り抜けていく感覚だ。

車窓の遥か下には、面河渓(おもごけい)と言われる渓谷が広がっている。
石鎚山の切り立った山肌に、その渓谷が刻まれているのだが、緑に覆われているので、荒々しさが和らいでいる。

その景色は、中国の山水画そのものだった。
中国大陸には、深山幽谷で名を知られている桂林(クゥイリン)や黄山(ファンサン)のような土地がある。
だから、古来より、中国の山水画の題材として、それらの深山幽谷の眺めが描かれている。

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石鎚山系の、それらの幽谷は、中国の山水画そのものだった。
だから、この石鎚の山に訪れた際には、「中国大陸を探訪せずして、山水画の原画風景の雄大さを自分の眼で見ることが出来た」と感慨に耽ったものだった。
また、「このような風景も日本にはあるのだ」と、改めて、日本再発見をした一時でもあった。
車中で、隣に座っている友人達も感嘆の声を上げていた。

他の人も一目見て、正直に「絶景だ」とか「凄い」等の感嘆の声を上げると思う。

(右の写真は「石鎚山系を知る | 石鎚山・石鎚山系公式|石鎚山系連携事業協議会」からの『石鎚山』の3枚。4枚目は『面河渓』)

当時の石鎚スカイラインの最終地点は「土小屋」と呼ばれる地点であり、何かの家屋が建っていたと記憶している。

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また、その地点に小規模ながらの駐車場もあった。
その駐車場から、石鎚の山頂に向かう登山客もいるのだろう。

その駐車場で休憩すべく、車を降りると、いきなり、寒かった。
夏場に四国一周のドライブをしたのだけど、石鎚の山は、標高1,982mなので、ふもとの松山市や西条市の気温よりも約10度も低い。
石鎚山系は、亜高山地帯であることでも知られている。
夏場の服装がいたく応えたことを記憶している。

友人達と眼下に広がる、山水画の原画、つまり、石鎚の山々と面河渓の連なりを見とれていた。
そして、「いつの日か、再び、ここに訪れてみたい」と秘かに願っていた。

しかし、これを書いている今現在、この願いは未だ実現していない。

■:四国の山への登山

四国の自然は、主に山の力が作り上げている。
これは、この旅行記中で記述済みだ。

私の訪れていた学校の体育にも、集中講義が幾つかあった。
集中して幾つかの講義を受講すれば、多めの単位を取れる。
私も集中講義を受ける際に、それらを選択することになる。
その内の一つに、登山があった。

旅行気分も兼ねつつ、多めの単位を取得し、また同時に、四国の山々にも遊ぶため、登山を選択した。
平野部をマイクロバスが抜けると、いきなりの急勾配となり、マイクロバスはその道をつたって山に向かう。

途中、仁淀川(によどがわ)の側をマイクロバスが抜けることになる。
仁淀川の水は青々としていた。

Photo_3

 

(右の写真は「石鎚山系を知る | 石鎚山・石鎚山系公式|石鎚山系連携事業協議会」からの『仁淀川』)

(四国の河川は青々としていたり、あるいは、緑の色で染まっていることが多い。これらの河川の清澄さも、四国の地形によって生み出されている。一般に、急な傾斜の多い土地だったり、山々の多い場所を抜ける河川というのは、自然の自浄作用が働く。よって、河川の清澄さが保たれる。後述する四万十川のように、四国には清流が多いことでも知られている。「四万十川の水は、そのまま、すくって飲むことが出来る」と言われるほどである。ただし、私が四万十の流れに触れた時には、その水をすくって飲まなかったけど。)

仁淀川の渓谷を遡り、一行は、寒風山(かんぷうざん)隧道の脇で、登山用リュックサックを降ろした。

(この原稿を書いている今では、寒風山の真下に「寒風山トンネル」という新しいトンネルが開通済みである。しかし、私が四国にいた頃には、「寒風山トンネル」は存在していなかった。現在の「寒風山トンネル」の遥か上方に位置する、旧道とされている「寒風山隧道」という名の、旧トンネルしか存在していなかった。)

ここにテントを張り、翌日の登山のため、遥か下方に土佐の街の灯を眺めつつ、就寝した。

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翌朝の登山では、寒風山と笹ヶ峰(ささがみね)に登ることになる。
快晴だった。
寒風山隧道のすぐ脇から登山道が始まっているのだけど、やはり、かなりの急傾斜だったことを覚えている。
一行の中には、四国育ちの人もいて、その人は四国の山の険しさを知っていた。
しかし、四国以外の人には、これらの山の険しさを味わうのは、ちょっと驚きだったようだ。

■:四国山地の尾根

地図で見ると、四国山地の尾根は、ずっと一筆書きのように連なっていることがわかる。
四国山地の尾根に出るまでは、一般に急な傾斜を登らないといけないことも多いが、尾根の上は一続きに連なっているので、尾根の上を移動する際には、あまり苦しくないように感じる。

だから、四国山地の山の上、つまり、尾根の世界は、麓とは違った世界が広がっているように感じた。
切り立った断崖絶壁の上に、一つのなだらかな世界がある。
一つの別世界のように感じた。
古来より、山の上には天狗や仙人が住むという。
そのような雰囲気を感じた。

石鎚山の写真を見てもわかるように、四国山地の尾根の下には、断崖絶壁が広がっていることが多い。
寒風山とは逆方向の伊予富士(いよふじ)に向かう登山道も尾根の上に続いていた。
しかし、その尾根沿いの道の直下には断崖絶壁もある。
また、自然の雨風のちからや、地球の地殻直下から、四国山地を盛り上げようとするちからが、いまだに働いているため、その断崖は、今でも、いよいよもって鋭くなるばかり。
よって、断崖も少しずつ崩壊しているので、その尾根沿いの登山道を歩くことは、ほぼ禁止されていた。

おそらく、様々な土地の、様々な峰々には、それなりの個性というものも形成されるように思う。
だから、四国の山並みの個性というものを挙げるとするならば、「雄大さ」とか「厳かさ」とか、そのようなものだろうか。

四国の土地が古来より霊場扱いされてきたのも、うなずけるような気がする。

■:寒風山山頂と笹ヶ峰(ささがみね)山頂

まず、寒風山山頂を極めた。
山頂近辺になると、崖をアタックしているようなものだった。
かなりのアップダウンのある登山道を登って、その頂きを極めた。

私は登山していないのだけど、石鎚山も、かなりの急傾斜があることで知られている。
だから、石鎚山山頂には、巨大な鎖が設置されてあり、登山者達は、その鎖をたどって、山頂を極めるそうだ。
しかし、私が登山した寒風山には、そのような鎖は設置されていなかった。

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(右の写真は『Mt.Kanpuzan2 - 寒風山 (高知県・愛媛県) - Wikipedia』からの寒風山)

寒風山を抜けて、笹ヶ峰に向かう。
この笹ヶ峰というのは名前からも連想できるように、山頂が笹で覆われている。

よって、急傾斜は無く、なだらかな山肌を歩み、あたかも笹に手を誘われるように感じながらも、岳人達は笹ヶ峰の、その山頂を極めることになる。
しかし、この笹ヶ峰も高峰であり、標高1,859mの亜高山地帯である。

一般に、高山と言えども、なだらかな山である場合には、なぜか、その標高を低いように感じる。
しかし、低い山と言えども、傾斜が急な山である場合には、なぜか、その標高を高いように感じる。
このように感じるのは、私一人だけだろうか。
笹ヶ峰を極める時、どこか、なだらかな牧場に躍り出たような感覚を味わいながらも、山頂に立った。

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(右の写真は『Iyohuzi0ɜ - 笹ヶ峰 - Wikipedia』からの笹ヶ峰)

北を見ると、瀬戸内海が広がっている。
南を見ると、遥か向こうに土佐湾が広がっている。
北方の、瀬戸内海は、眼下の真下に広がっているように見える。
しかし、南方に存在する土佐湾に至るまでは、深い山裾(やますそ)が広がっている。

そのような光景を堪能しつつ、笹ヶ峰山頂近辺の笹の草原の上で、皆で弁当を広げた。

四国の山を、本当に、自分の足で味わったのは、これが最初で最後であった。
しかし、地球内部のエネルギーを感じるには、十分な登山であった。

(続く)

(以下、過去記事、関連記事、及び、参考文献)
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『三千二百九十五:四国の思い出_その一(独白)』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2018/10/_-e767.html


                                       坂本 誠

2018年10月 1日 (月)

三千二百九十五:四国の思い出_その一(独白)

■はじめに:

もう20年以上も前のことだけど、四国に居住していたことがある。
思い出話を、あたかも自分自身に、ぼそぼそと語るかのようにして書くには、「です・ます調」でなく独白調の方がよく似合う。

旅行とか探訪といった短期間の滞在では無く、長期間における滞在だったから、「居住」と言っても、さしつかえないものだった。

■四国の峰々:

ゆえあって、四国に居住することになったのが、初めて、四国の地に訪れた、その最初の日に驚いたことがあった。
JRの瀬戸大橋線をまたぐと、そこが四国の地の香川県だった。

しばらく、列車の振動の作り出す、ゆりかごに揺られ、ウトウトとしつつも、深い山並みに入って行く。
あっという間に、列車の両側の山並みが険しくなり始める。
徳島県の大歩危(おおぼけ)・小歩危(こぼけ)のような、切り立った断崖絶壁の中を、吉野川(よしのがわ)が流れていた。
その吉野川の脇を、土讃線が通り抜けていく。

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(右の写真はWikipediaからの『大歩危峡』)

生まれて始めて見る程の断崖絶壁だった。

ここで初めてわかったのだが、四国は海に囲まれているから海国のように思えるけれど、実際は山国なのだ。

また、後にも知ったのだけど、四国は全体的に山が高いので、「深山幽谷(しんざんゆうこく)」という表現が似合う。

■地球内部のちからと四国の形成:

どうして、こんな山場が出来るのかというと、これが地球の活動による。
地球上の「プレート」と呼ばれる大陸の棚が沈み込む場所は海溝となる。
その海溝に、大陸棚が沈み込むのだけど、大陸棚自体が岩盤なので、引き込まれる際には、「引き込まれたくない」というちからが働くので、その反作用の結果、たいていの場合、地球の大規模な海溝近辺には、大山脈が形成される。

例えば、ロッキー山脈とかアンデス山脈だ。
日本列島も同じであり、日本海溝に大陸棚が落ち込む、ちからの反作用の結果として、日本列島が形成された。
そして、特に、反作用の力が強い場所として、四国山地とか紀伊山地とか三陸海岸沿いの北上高地が形成されている。
これらの山地は、高い峰々が聳えている。

四国山地の切り立った高山・断崖絶壁は、地球の海溝沿いの土地のちからによって形成された。

だから、地球内部の巨大なちからを体感したい人が、四国山地を訪れるのも良いかもしれない。
ちょうど、ロッキー山脈の近辺のグランド・キャニオンとか、アンデスの高峰を望むのと似た雰囲気を味わえるかと思う。

(右の写真は「石鎚山系を知る | 石鎚山・石鎚山系公式|石鎚山系連携事業協議会」からの『石鎚山』)

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■車窓から見た南国土佐の光景:

そのような峰々を車窓の上方部に見ながら、初めて、四国に訪れた私は、太平洋沿いの都市に向かっていた。

深山幽谷の風景をトンネルに見立てつつも、それらを列車が縫うように抜けると、そこは南国だった。
車窓から外を眺めると、時折、南国土佐の平野と土佐湾が見え隠れしている。

南国土佐を前にして、土讃線の列車が、峰々の上から、滑空を始めたグライダーのような感覚で、標高を下げていく。
昔風に表現するのならば、山を舞う鳥のトビ達が、獲物目がけて、山肌に沿って、ふもとに舞い降りるかのようなものだ。

列車のスピードで、かなりの標高差を縮めると、飛行機の着陸と離陸の時に、人もよく経験する、耳鳴りを感じる。
かなりの標高差を一気に縮めると、耳の鼓膜の内側と外側では気圧の差が生じるので、耳鳴りが生じる。
つまり、それほど、四国の峰々は高い。

日本の他の土地での、列車の旅で、このような経験を味わうのは、少ないことかと思う。

(同じようなことは、愛媛県側でもある。後に知ったことだが、久万高原の三坂峠から、松山市に向かう際にはバスや自動車を使うわけだが、この三坂峠から遥か下方に松山の街の灯を眺めながら、山頂から滑空するグライダーのような感覚で、標高を下げていく。)

そのような険しい高峰達を四国の土地の内に内蔵しているので、四国は古来より霊場とされたのかもしれない。
深山幽谷の土地の雰囲気と霊場の雰囲気は似ている。

始めて、四国に足を踏み入れて、その後、何年間か居住するために、旅装(りょそう)を解いた。

                   (続く)


 

                                       坂本 誠

2018年3月13日 (火)

三千二百二十八: 日常生活から切り離された時空間を得て

こんばんわ。

私は、旅行は人にお薦めできると思います。

なぜならば、大自然を愛したり、あるいは旅先の土地を愛したりする機会を得るのは、そのほとんどが旅行から生まれると思うからです。

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確かに、旅行というのは、金銭的に負担がかかることが多いです。
遠距離旅行になればなるほど、そうでしょう。
しかし、それを充分に補う程、旅先の土地を愛することが出来ます。

現在では、かなり多くの人々が自然環境を愛するようになったと思います。
日本が公害に苦しめられていた時代もあったので、その反動もあるのかもしれません。
しかし、自然を愛する多くの人々が、直接に自然を愛するきっかけを得たのは、そのほとんどが美しい風景を目にしたからではないでしょうか。

世界に多く存在する景勝地の美しい風景を見て、心が動かされて、「この美しい景色を守りたい」とか感じた人は多いと思います。

ですから、多くの人は旅をした際に、「この美しい自然を愛する」という心が生まれるので、旅行は素晴らしいことだと思います。

「『何かを愛する』という心が生まれる」というのは、これは、人間だけでなく、全ての動植物や存在にとって、非常に大事なことだからです。

ですから、様々な土地への旅は「大自然への、清らかな愛の心を育む機会である旅」とも言えるでしょうから、お薦めできるでしょう。

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確かに、旅行でなくても、風光明媚な土地に住んでいれば、その土地は美しいので自然を愛する心が育まれるかもしれません。

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しかし、これもよくある話なのですが、例えば、風光明媚な景勝地に住んでいると、毎日、その土地に住んで暮らしているので、自分の土地を見慣れてしまいます。
その、見慣れた結果、自分の土地に対して、その美しさを感じなくなってきます。
ですから、有名な観光地に住んでいる人が観光する時には、そのほとんどが、自分の土地を観光する、ということは、ほとんどありません。

そのような人は、自分の土地以外の観光地に足を向けていることが、そのほとんどです。

この点から言っても、有名な観光地に居住している人と言えども、よその土地に観光する必要性があるので、やはり、「旅は大事だ」と言えるでしょう。

(これと同じ感じのことですが、全く逆の側面から言えることがあります。有名な観光地でなくても、よその土地から来た人から見れば、その、初めて訪れた土地の風景とか、産物とか、雰囲気に非常に珍しさを感じるものです。ですから、有名な観光地でなくても、初めて訪れた土地となると、よその土地の人から見れば、その珍しさに惹かれるので、これも旅の面白さと言えるでしょう。地元の人には得られない面白さを、よその土地の人ならば得られるので。)

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また、「旅先での時空間」というのは、ある意味、日常から切り離された時空間です。

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ですから、常日頃のことを、違った側面から眺めたり、全く違う角度から自分を見てみるのに、非常に良い時間です。

地球上の美しい風景を見て、心を癒されたり、自然を愛する心を育むのも良いことです。
しかし、それらの心のあり方自身に対する疑問を得ることもできるでしょう。

簡単に書くと、多くの人も、綺麗な景色を見て、心を癒されると思うのですが、「なぜ、その風景が、あなたを癒すのでしょうか?」

このような疑問が、時折、私の心をかすめます。

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美しい風景とか奇勝な風景とかが世にありますが、元をただせば、そのほとんどが土くれから出来ており、後は、植物の並びとか、河や海などの水の流れが、その美しい風景を作っています。

「土」というのは、二酸化ケイ素(SiO2)である場合が多いです。
「植物」というのは、これは生物ですから、主に炭化水素(CnHnOn)である場合が多いです。
「水の流れ」というのは、これは水ですから、主に(H2O)である場合が多いです。

それらの絶妙な配合具合と配置具合が、人の目をして、「美しい景色だ」と感じさせているわけです。

どうして、それらの元素の配合具合と配置具合が、人や動物の目を感動させる配置や並びとなっているのでしょうか。
また、なぜ、それらの特定の配合具合だと、多くの人々の認める「景勝地」となるのでしょうか。

つまり、芸術の根源が自然の造形具合に織り込まれていることがわかります。

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もっとわかりやすく考えてみましょう。

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例えば、ある人Aさんの目から見たら、景勝地と言われている、ある風景を見ても、「ここは醜い土地だ」と感じても良いわけです。
しかし、別のある人Bさんの目から見たら、ある風景を見て、「ここは美しい土地だ」と感じるわけです。

実際、人間の自由性を考慮してみると、上の例のように、AさんやBさんの見解のように、バラバラな状態の方が、より自然な筈です。

ところが、実際の状態というのは、たいていの景勝地と言われる風景を見ると、その風景を見た、ほとんどの人が、「この土地は、非常に美しい土地だ」と、感じるわけです。
理由無き直観によって。

ほとんど多くの人々が、ある景勝地を見て、「この土地は非常に美しい土地だ」と、感じるのですが、「ここは醜い土地だ」と感じる人は、非常に、ごく少数派となってしまうのです(あるいは全然いない)。

これは不思議な話です。

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しかも、誰からも「この土地を美しい土地だと感じなさい」と強制させられていないのに、ほとんど多くの人が瞬時に、「この土地は美しい」と自然に評価するのです。

多くの景勝地というものは、そのほとんどが、土くれで構成され、しかも、そのほとんどが、偶然の産物であるかのような大自然の絶妙な配合・バランス具合が、人間や動物をして、「この土地は美しい」と言わしめているのです。

「美とは何か」を定めている素材が、その景勝地を生み出している、その風景の奥底に内在されていることが私達にわかります。

このように、多くの景勝地を見て、私達は「美の根源」というものについての洞察をする機会を得ることでしょう。
旅をした際に。

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そして、それらの景勝地の作者は、地球であることがわかります。
それらの地形全体を動かすちからは、もちろん、人間にはありません。

この巨大かつ偉大なパワーを感じて、日頃とは常ならぬ何らかの感慨・洞察・癒しを得る、というのは、人や生き物にとっての大きな幸福の一時であると思います。

多くの人々が、大自然の見えざる手に触れる一時が増えれば良いな、と感じます。


                                       坂本 誠

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2017年11月 7日 (火)

三千百九十一: 身近に潜む不思議

こんばんわ。

ブログ更新の間隔が開いていますが、ご容赦ください。

私達の身近に潜む不思議の一つとして、以前の過去記事『三千十二:産毛(うぶげ)について』を書いたことがありました。

その段落の要約を書けば、「人間の髪の毛は、ずっと伸び続けるだけなのに、産毛(うぶげ)の方は、あらかじめ、自分の身長を計測できるかのように、自分の成長(産毛の成長)をストップさせることが出来る。これは一つの不思議だ」というものでした。

今回は似たようなもので、私達の旅行について書いてみます。

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私達は、様々な場所で、美しい旅先の風景を見たりします。

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本やテレビやインターネットの動画や写真、雑誌の中の探訪記とか、友人のアルバムの中の旅先の写真等、例を挙げたらキリがありません。

しかし、不思議なことに、「旅先全ての感覚を、何らかの媒体を使って、味わうことは出来ない」ということに気が付きます。

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例えば、動画や写真は視覚的ですから、かなりの量の旅先の情報を与えてくれます。
しかし、その、動画や写真の情報量といえども、実際の旅先に訪れた時の情報量と比較すると、驚くほど軽微なものであるのに気が付きます。
動画は、音声も含まれているし、数多くの連続写真を見ているのと同じです。
動画の記憶量は大きいのですが、それでも、旅人が旅先で感じた、その土地の全ての雰囲気の量には、はるかに及びません。

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山好きの人が、どこかの美しい山に登山した時のことを例として書いてみます。

全ての山には、それぞれの傾斜があったり、登山道の良し悪しがあります。
険しい道や緩やかな道の感覚を、あるいは、道の上に落ちている一つ一つの石を踏んだ時の感覚も旅の思い出の一つです。

或いは、傾斜の違いによって、汗のかき方も一つ一つ違っています。

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現代科学の手は、山の上にも伸びているかもしれませんから、山に行った時に、どこかの工場の煙を吸い込んだことにより、咳をしたかもしれません。
しかし、山頂に近づく頃には、そのような汚い空気の場所を抜けて、新鮮な空気を吸えるので、肺に健やかなものを感じるかもしれません。

そのような思い出すらも、旅人が旅先で味わう感覚の一つであることに気が付きます。

つまり、山好きの人ならば、その人の内臓である「肺」を使ってまで、旅先の思い出をストックしていることに気が付きます。
また、同様に、傾斜の急な山肌を登った時には、汗までかいていますから、その人の肌すらも、旅先の思い出をストックしていることに気が付きます。

あるいは、山頂付近の石清水を口に含んでみると、たいへん美味しかったので、そのまま、その石清水を飲み過ぎたことにより、ちょっとトイレの件で悩んでしまうとかもあるかもしれません。

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上の旅の例は、山を挙げました。

というのも、登山の旅は、現代の現実の旅行と、かなり違う面もあるので、その違いを感じやすいからです。

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ですから、普通の他の都会への旅も、上と同じように、「身体全身を使う」ことによって、私達は、旅先の全情報を、その体内にストックしていることがわかります。

上の例のように、私達の肺や肌の細胞、あるいは、内臓の細胞までも、旅先の雰囲気を味わい続けていることに気が付きます。

これは、いわゆる、人間の五感を超えてまで、旅先の情報をキャッチ、ストックしていることになります。

もう少しだけ、例を挙げてみます。
高層ビルが多い街か、あるいは、歴史的な景観を保つために、高層ビルの建てられない都市に訪れることもあるでしょう。

すると、高層ビルの多い街だと、日陰を多いことでしょう。
高層ビルの建てられない都市だと、日光を受ける機会が多いことでしょう。

すると、私達の肌、特に顔の肌だと、「ある街に訪れて、日陰が多かった」か、あるいは、「ある街に訪れて、多くの日光を受けた」という違いも出てきます。

このような違いですらも、私達は旅先の記憶として、キャッチ、ストックしていることに気が付きます。

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「肌が日光の量の違いを感じる」というのは、五感の内の一つの「触覚」というものに入るのでしょうか。

しかし、「内臓の受ける感覚」というのは、通常は、五感としては捉えにくいものがあります。

旅に訪れていない、通常の私達でも、日頃から、そのような、五感を超えるようなセンサーを発揮しつつ、生活しているわけですが、とりわけ、旅に出ると、通常とは違うライフ・スタイルに入りますから、そのような五感を超えるようなセンサーを使ってまでの、記憶のストック状態が鮮やかなものとなります。

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上に書いたように、私達は、私達の肉体全ての感覚を使いながら、旅先の雰囲気全てを把握していることになります。

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この量を考えると、ネット上の、どこかの旅先を紹介した動画で現された、旅先の情報というのは、「かなり少なめの情報量と言えるかもしれない」となるでしょう。

確かに、動画で紹介される、旅先の情報量は視覚・聴覚を使ったものですから、比較的、情報量は多いと言えるかもしれません。

しかし、上に書いたように、旅先に訪れた時の私達は、私達の全身を使ってまで、その旅先の全情報を把握しようとしているのであり、その全情報と比較すれば、動画で紹介された旅先の情報量は、かなり少ない、と言えるでしょう。

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確かに、旅先を紹介した動画や写真を見ることは、その旅先に訪れる際の、わずかな契機とはなるでしょう。

しかし、それらの媒体だけを使ってでは、旅先での全雰囲気を捉えることが出来ないことがわかります。

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つまり、やはり、旅の面白さを、本当に味わうためには、現代に発達した様々な情報機器でも無理ですので、「現地に訪れるしか、その方法は無い」ということがわかります。

昔から、旅のエッセイなどで、よく伝えられていることに、「(旅先の情報や雰囲気が)これまで聞いていたのとは、全く違っていた」と、旅人が報告するシーンが多いのですが、その旅人のセリフも、理解できます。

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このブログの中で、時々、SF映画『マトリックス』について紹介することがあります。

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映画『マトリックス』のあらすじは、今回、省略しますが、この『マトリックス』という、コンピューター・システムを、現実に使うことが出来れば、旅先の土地に訪れずとも、「仮想の旅」を行って、おそらく、私達は、その99%ぐらいの旅の実感を得られるかもしれません。

しかし、映画『マトリックス』に現れた、人類支配を実行しているコンピューター・システムを作れるほどの技術を、人々が手にするのは、かなり、遠い未来のことでしょう。

仮に、そのような技術の確立に成功して、ある人に、実際の現実の旅では無く、その現実の旅を、かなり精巧に偽造した「仮想の旅」を、その人に提供できたとしましょう。

本当の旅と比較して、その99%ぐらいが、精巧に偽造されており、ある人々は、その「仮想の旅」を味わいつつ、「これぞ、真の旅」と、錯覚するかもしれません。

しかし、「仮想の旅」は、あくまでも、仮想の旅に過ぎません。
残る1%が、「真の旅」とは違っています。

その、残る1%の不自然さに、人が気付き、「これは、まやかしの旅だ」と、主人公は気付きます。

その結果、主人公は、偽造の旅を捨て去り、真の旅を選ぶようになります。
これが、SF映画『マトリックス』のあらすじでもありますよね。

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話が横に反れ気味になったのですが、要は、旅において、写真や動画で味わう「仮想の旅」と、現実に、現地に訪れた際の「真の旅」に、私達は違いを感じることが多々あります。

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「その違いは、どこから発生しているのか」と、感じてみると、上に書いたように、「身体全体から発せらるる、五感を超える程のセンサー発揮によって、その違いが発生している」とわかります。

旅を行っていない、通常のライフ・スタイルでも、それらのセンサーは発揮されている筈ですが、特に、日頃と違った日々となる、旅先の思い出となると、それらのセンサーの発揮具合の詳細が旅の記憶としてストックされます。

ですから、それらのセンサーは、常日頃の私達でも持っているのだけど、通常のライフ・スタイルだと気が付きにくいものです。
なので、それらのセンサーについて、思いを巡らす事自体が、この記事のタイトルである『身近に潜む不思議』を実感しやすくなるかと思います。


                                       坂本 誠

2017年8月15日 (火)

三千百六十二: 廃墟を見て

こんばんわ。

最近、巷での静かなブームの一つとして廃墟見学があります。
この段落は、廃墟に関する記事です。

掲載した写真は、

Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BB%83%E5%A2%9F

からの引用です。

最近では、書店の棚にも、幾つもの廃墟の写真を納めた写真集も出ています。

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それらの廃墟の写真を見ると、人が近づきやすい廃墟もあるのですが、接近困難な廃墟もあり、「どうやって、写真撮影に成功したのだろう」とまで考えさせられる写真もあります。

接近困難な事情も踏まえると、廃墟探訪という行いは、現代版の冒険旅行の一つと言えるかもしれません。

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廃墟としては、古代に作られたものもあるし、現代に作られて放棄された廃墟もあります。
廃墟見学や探訪を行う人も、幾つかの理由から、その見学・探訪を行っているのでしょう。

ただ、その廃墟見学・探訪の目的に挙げられる理由の代表的なものとしては、「廃墟に訪れると、どこか厳かな(おごそかな)雰囲気に浸れるから」というものが多いかもしれません。

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廃墟が建設された当時では、その廃墟には、多くの人が使用していたものが多いのですが、現代となって、誰も使用していない巨大な廃墟が建っており、その廃墟の中に入ってみると、異様な雰囲気を感じるものです。

その異様な雰囲気は、普段、私達が住んで使用している建物の中に入っても、味わうことが出来ません。

巨大な廃墟のみが、その異様な雰囲気を作り出しています。

ですから、通常の居住空間や生活空間では得られない雰囲気を求めて、廃墟巡りをする人が多いのではないでしょうか。

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世界中にも、廃墟が多いのですが、ある廃墟などは、不思議な雰囲気を漂わせているだけですが、中には、現代文明への警鐘とも取れるメッセージ性の強い廃墟もあるようです。

前者の例だと、例えば、ヨーロッパの荒野の上で朽ちかけている石造りの城でしょうか。
そのような朽ちかけた城に夜間に訪れて、白い月の光でも浴びていれば、不思議な空間を感じることが出来るかもしれません。

後者の例だと、やはり、鉄筋コンクリートで作られたような廃墟が多いでしょうか。
その当時の人々の需要に合わせて、建設された建物でしょうけれど、その役目も短命に終わり、比較的、早期に人々の手を離れた廃墟が多いようです。

確かに、人々の需要というものは、時代によって移り変わるものですが、出来るだけ、人々の間で長い需要を満たし続けてきた建物というのは、それだけ、多くの人々の記憶に残るので、つまり、長寿を得られたことになります。

ですから、現代史の内で、廃墟となってしまった建物を見ると、どこか、強いメッセージ性を私は感じたりします。

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また、廃墟を見ると、人は現代に使用されている建物に接するのとは、全く違った雰囲気を感じることでしょう。

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例えば、現代でも使用されている建物に向かう時には、人は、どこか華々しいものを感じます。
これなどは、現代に、たった今でも生きている文化を味わうので、文化的に栄える方向の雰囲気を感じ取ります。

しかし、廃墟というのは、人が使用を止めたり、あるいは、止めつつあるので、どこか、文化の衰退性を人は感じることでしょう。

ですから、人が現代の都市の中で、使用されている建物を見る時は、つまり、「文明の表」を見るようなものですが、廃墟を見る時には、「文明の裏」を見るようなものでしょう。

この、著しく、方向性の違うものを見るので、人は、「私達、人間の文明とは何か」と言ったものを、深く感じたり考えさせるものがあると思います。

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人間の文明の表側も、裏側も見たら、次に来るのは、人間文明に対する深い懐疑かも知れません。

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                                       坂本 誠

2017年5月18日 (木)

三千百十八: 久しぶりに阿蘇を訪ねて

こんばんわ。

先日、久しぶりに阿蘇を訪ねて来ました。

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一年以上の時間が経っていました。

行く前にも「地震の爪痕が残っているだろうか」と考えていたのですが、実際に訪れてみると、ほとんど爪痕を感じるものはありませんでした。

やはり、一年という時間を感じました。

ただ、道を走っていると、少しばかり、「何々方面、通行止め」等の幾つかの標識も立っていました。
あるいは、道の横に取り付けられているガードレールが、一方では古く、一方では新しいものが取り付けられていました。
しかし、そのような状態は、かなり注意してみないと、地震の爪痕とはわからないものです。

ですから、他県からの来訪者が阿蘇に訪れても、よほど、局所的にしか、地震の爪痕を見ることは無いかと思います。

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そういうわけで、道路を走っていても、昔と変わりの無い、阿蘇の高原状の草原の美しさを堪能できました。

やはり、地震そのものによって、土地の美しさ自体が破壊されたわけでは無かったです。

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それよりも、いつもより落ち着いた雰囲気のある阿蘇を味わいました。

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阿蘇に訪れたことの多い私ですが、今回、2回目の南阿蘇に行ってみました。

いつもは、阿蘇神社とか阿蘇駅のある、北阿蘇とでも呼べる場所には、よく訪れていました(「北阿蘇」と言われる地名は無いのですが、今回は、南阿蘇地方と区別するために、この記事では「北阿蘇」という言葉を使っています)。

たまには違った雰囲気を味ってみたかったので、南阿蘇に訪れたわけです。

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南阿蘇には、あまり行った事が無かったので気が付いたことがあります。

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北阿蘇は比較的、広い土地なので多くの田んぼが広がっています。
しかし、この南阿蘇には、比較的に畑が多いのです。

ですから、阿蘇の近場に住んでいる人が阿蘇に訪れる機会があるならば、北阿蘇と南阿蘇の違いを楽しむのも一興かと思います。

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南阿蘇の畑の光景を見るに、なんとなく、日本のオリジナル光景が秘められていると感じました。

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「日本のオリジナル光景」というのは、私が頭に思い浮かべるのは、昔、テレビ放映されていた『まんが日本昔話』に出てくる雰囲気でしょうか。

江戸時代とか室町時代とか、それよりも、ずっと以前の日本の雰囲気を彷彿(ほうふつ)とさせます。

他にも幾つかの土地で、「日本のオリジナル光景」を感じさせる場所があるのですが、それらの土地に「現代機器や現代文明が無い」というわけではありません。

それらの土地にも、他の日本の土地のように、現代文明の便利さは行き届いています。

私が言いたいのは、日本の光景の中に残されている、その土地から湧き上がる雰囲気のことです。

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現代の日本だと、様々な場所にビルが乱立しています。

それほど多くのコンクリートで作られた、ビルが乱立していれば、昔の日本の、土地全体に長く染み込んでいた筈の土地の雰囲気を破壊されたかと思います。

その破壊された土地の雰囲気というのが、『まんが日本昔話』に出てくるような雰囲気だと、私は書いているのです。

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現代日本でも、そのような、古(いにしえ)の昔からの雰囲気を受け継ぐような土地が、わずかながらでも残されています。

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その、古(いにしえ)の昔からの日本の土地の雰囲気が残されている一つが、この南阿蘇だと思います。
日本の田園風景です。

私個人が感じる所なのですが、貴重だと思います。

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海外旅行客の方々でも、「日本の雰囲気って、どんな感じがするの?」と予想しながら、日本に訪れると思います。

今では、その数も多いかもしれませんが、自国にいる時に、日本の写真等を見て、その思い出を片手にしながら、来日すると思います。

しかし、私が感じるに、日本の大都市には、既に、古来の日本の雰囲気は、あまり残されていないと思います。

日本の都会にはビルが乱立していますので。

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昔の日本の地名を現す古語の一つに『大和(やまと)』というものがあります。

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その大和の雰囲気を伝えるのは、上にも書いた『まんが日本昔話』もありますが、ほぼ正確な所では、『古事記』とか『源氏物語』とか『枕草子』等のような、主に平安文学以前の文献に現れる雰囲気が、日本本来の土地の雰囲気を感じさせると思います。

個人的にも、世界の各国に存在する田園風景から流れ出てくる、土地の雰囲気とは、かなり違ったものを感じると思います。

そして、その雰囲気を言葉で表現するのは難しいものです。

あえて、その「日本本来の土地の雰囲気」を現す単語が『わび』と『さび』です。

つまり、それらの土地に訪れてみると、私達はその土地に『わび』と『さび』を感じるのです。

この『わび』と『さび』という単語は、外国語に翻訳不能です。
これらの『わび』と『さび』という単語は、強いて言えば、雰囲気語であり、説明するのが難しいのです。

同じ日本人同士でも、この『わび』と『さび』という単語の意味を、うまく説明し合うことは出来ません。

『わび』と『さび』という単語の意味を強いて説明しようとすれば、「ある人が日本の晩秋に田園地帯にいて、沈み行く夕陽を見つつ、その夕陽の赤さと、木にぶら下がっている柿の赤さを比べつつ、もののあはれに浸っている」となるでしょうか。

もう、ちょっと、説明するならば、それらの単語の意味を現す雰囲気とは、「晩秋に枯葉が舞い散る中を、一人で散策しつつ、哲学的な孤愁の雰囲気に浸っている」という雰囲気が、『わび』と『さび』の意味するところだ、と言えるでしょうか。

上の「哲学的な孤愁の雰囲気に浸っている」というシーンを思い浮かべると、「わびしい」とか「さびしい」という雰囲気も出てくるので、『わび』と『さび』の意味するところに似てくるかと思います。

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この翻訳不能語である『わび』と『さび』の単語の意味するところの雰囲気が、いみじくも、南阿蘇には残されていると感じます。

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他にも、まだ幾つか、『わび』と『さび』を感じさせる土地が、日本には残されています。

それらは、私が実際に感じる所だと、島根県の松江地方とか出雲地方だと思います。

島根県の出雲地方・松江地方にも、100%純和風と言える、日本オリジナルの雰囲気が残されていると思います。

都会的な雰囲気で言えば、やはり、京都・奈良の街に、この『わび』と『さび』の雰囲気が流れているように感じます。

まだ、考えられるのは(私は訪れたことは無いのですが)、写真で見る限り、長野県の合掌造りの家屋が残されているような土地には、それらの単語の雰囲気が残されているかもしれません。

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私個人も日本人ですが、上記のような、「純和風」の雰囲気を、かもし出している土地に訪ねてみることを楽しく感じます(いとをかし)。

(ですから、私は都市型観光よりも、アウトドア型観光を好むと言えるでしょう。例外的に、長崎の街を訪ねるのが好きなのですが、長崎の街は、以前の記事にも書いているように、長崎は国際文化融合都市であり、その文化の融合具合を見るのが面白いからです。日本の鎖国時代にも長く続いた、国際都市とも言えるので、それだけの時間の差があるので、他の日本の都市よりも、はるかに、国際文化の融合度合いが深められているように感じるからです。)

外国の方が、私のようなブログを読んで下さっているかどうかはわかりませんが、私としては、上に書いているように、日本の「純和風」の雰囲気とか、『わび』と『さび』の雰囲気を持つ土地を訪ねてみることを、お奨めします。

それこそが、ジャパニーズ・エキゾチックと呼ばれているものと言えるでしょうから。

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                                       坂本 誠

2017年2月28日 (火)

三千八十七: 近い旅と遠い旅を考えて(独白)

近い旅行を好む人がいる。
そうかと思えば、遠い旅行を好む人もいる。
「遠い旅行」と書けば、海外旅行と言えるだろうか。

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通常、海外旅行となれば、費用も高くついてしまう。
確かに、私も海外旅行に行ってみたいのだけど、あまりにも海外旅行に出かけてみたいとは思わない。

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費用的な面もあるけれど、私は猫を飼っているので、そんなに遠出も出来ないタイプだ。
だから、国内旅行と言っても、実は2泊するのも、遠慮がちである。
なぜならば、私がどこかに1泊しただけでも、我が家の猫は寂しがると私は知っているから。

最近では、そんな旅人のために、ペット用のホテルもあるらしい。
旅先では犬を泊めても良い旅館もあるらしいが、これも、まだ稀だろう。
上に書いた「ペット用のホテル」というのは、主に、ペットの飼い主が旅行時に家を空けるため、そのペット達を、自宅近所で、何日か、預かってもらうための「ペット用のホテル」だ。

だから、旅人は、自分のペットを旅行時に、その「ペット用のホテル」に何泊か預けて、その間に、旅をする、というものだ。

しかし、「ペットをペット用のホテルに何泊か預ける」というのも気が引けてしまう。
これだと、動物病院に自分のペットを預けるのと同じ感覚になってしまうからだ。
ペットにとっては、異質な環境であり、おそらく、ペットもストレスが溜まるものと感じている。

だから、我が家の猫をペット用のホテルに何泊か預けてまで、2泊以上の旅行までを考えていない。
なので、「旅行期間中のペットの世話を、ペットの負担にならない程度に、世話をするにはどうするか」というのが、私のニーズになってしまう。
おそらく、私以外にも、このようなニーズを持つ人が世にいると考えてしまう。

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とりえあず、海外旅行のための高額な費用とか、ペットの都合を考えたら、現実としては、安・近・短(あん・きん・たん)の旅を考えざるを得ない。

現実に、近頃は、その安・近・短の旅しかしていない。

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そして、あまり、海外旅行などに憧れていない自分を発見する。

これなども「旅」というものに対する視点が変わったからだ。

例えば、私がヨーロッパ人だと仮定しよう。

そして、痛く、日本の九州の阿蘇の大草原とか長崎の異国情緒の流れる街並みとか別府の温泉街が気に入ったとする。
その状況で、私が故国のヨーロッパに帰国したとしよう。
さらに、再び、「日本の九州を目指した、旅のリピーターになりたい」と願っているとしよう。

そして、この状況だと、ヨーロッパ人である私にとって、日本の九州への旅行は海外旅行だ。
だから、リピーターとなって、何回も日本の九州に訪れると、莫大な費用が発生してしまう。

つまり、ヨーロッパ人である私にとって、日本の九州を目指した、旅のリピーターになるのは不可能に近いだろう。

ところが、九州に住んでいる九州男児ならば、常に、九州に住んでいる。
だから、「日本の九州を目指した、旅のリピーターになりたい」と願っている、ヨーロッパの旅人にとっては、実に羨ましい環境に住んでいることになる。

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話の流れから、「私はヨーロッパ人である」と仮定したのだが、現実は、私は九州に住んでいるのだから、日本の九州に憧れている、ヨーロッパの旅人の視点から私を見れば、私は非常に恵まれた環境に住んでいることになる。

これと同じ事が、地球上の様々な観光地についても言えると思う。

人は、長く同じ土地に住んでみると、その土地の良さやその他の事情を忘れやすくなる。

だから、日常とは違った視点を得るためにも、旅行をしてみたくなる。

しかし、上の話から考えても、あまりにも遠距離旅行をしなくても良いことがわかる。
なぜならば、普段忘れてしまった、自分の土地にも、素晴らしい環境が残されていることが多いとわかるのだから。

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もちろん、海外旅行をしたい人は、それは何度してもいい。
しかし、そうでなければ、「自分はよその遠い土地の人である」と仮定するのだ。
つまり、日常生活とは違った視点を得て、改めて、自分の住んでいる土地の再発見をする目的で、自分の住んでいる環境を海外の土地とみなして、安・近・短の旅を実行してみるのだ。

すると、海外旅行先での、有名な観光地の美しさや面白さを知ることよりも、自分の足元に存在している土地の美しさや良さを発見する方が難しく、そして、より味わい深いことがわかる。

なぜならば、自分の足と自分の目で、改めて、自分の土地の良さや美しさを発見し、また、再確認出来たので、その喜びは一際素晴らしいからだ。

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そして、海外旅行を楽しみたい人で、ある外国先のリピーターになりたい人ならば、生まれ変わった時に、その海外のお気に入りの土地に生まれた方が良いと思う。

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だから、私は、むやみやたらと、海外旅行等の遠距離旅行に憧れていないような気がする。

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                                        坂本  誠

2017年2月22日 (水)

三千八十一:  長崎の街の特色を考える

長崎に訪れて、現地の方と話す時がある。

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現地の方が一様に言うのだけど、「この長崎の街の、どこが面白いのでしょう?」と、尋ねてくる。
実を言うと、これは誰でもそうなのだけど、自分の街に長く暮らしてみると、「自分の街が、他の土地の人から、どのように見られているか」が見えづらくなる。

長年、同じ場所に暮らしていると、いつもその土地に住んでいるため、慣れてしまい、自分の街の特色に気づきにくくなるのだ。

だから、私でもそうなのだけど、長崎の現地に長く住む人も、自らの街の特色を忘れてしまい、なぜ、多くの観光客が、自分の街に訪れているのかがわからなくなる。

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長崎の街以外の都市からの観光客が気付くのは、以下のような事だと思う。

まず、長崎という街は、自然の美しさから言えば、山から望める夜景があるけれど、長崎の街自体は、自然景観をメインとはした街ではない。
長崎という街は、あくまで、都市型観光がメインの街だ。

もっとも面白い点は、街の中に入れば、キリスト教の教会と中国寺と神社仏閣が共存していることだ。

つまり、街の中に、キリスト教文化と中国文化と大和(やまと)の文化が混在している。

江戸時代後期の鎖国政策終了以降、日本全国の街にも、多少なりとも、キリスト教文化や中国文化が流れ込んだと思う。
しかし、それらの町々は、それらの文化の混在の度合いが、長崎の街に比べると非常に小さい。

日本の中央都市や、その他の大型都市と言えども、キリスト教文化と中国文化の浸透の度合いは、ここ、長崎と比較すれば、圧倒的に小さい。
日本の他の街では、ほんのわずかながらに、文化の混合が見られる程度だ。

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ここ、長崎では、キリスト教文化と中国文化と大和(やまと)文化は見事に融合し、融和し、違和感も無い。

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なぜならば、数多くのキリスト教圏建築物や中華文明圏建築物があるのみではなく、実際に、江戸時代後期の鎖国政策終了以前より、それらにちなんだ人々が、実際に居住していた。
そして、彼等が、彼等の母国の文化を長崎の街に惜しみ無く流し続けた。

結果、今でも、キリスト教文化と中国文化の縮小版が、長崎の街頭の中を流れている。
それが大和文化とミックスしている。

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だから、かなりの無理をして書いてしまえば、「この原稿を書いている今でも、日本が海外に向けて開いている門戸(街)は、長崎のみ」とまで書けるかもしれない。

このような3つ以上の文化が混在・融合している街、というのは、世界中を探しても、あまり見つからないかもしれない。

ある日、長崎の民放のテレビが、地域版ニュースの作成時、長崎の街に訪れている留学生に取材していた。
その地域ニュースで紹介された、その留学生も「長崎の街は面白い」と言っていた。

今でも、海外からの旅行客を街中に見かけるけれど、彼等も長崎の街を面白く感じるのだろう。

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また面白い点は、長崎の街は、それら3つの文化が混在しているのだけど、それぞれの文化が持ち込んだ、それぞれのライフ・スタイルが、特に争いも無く、融和している点にある。

普通、海外文化の流入の激しい場所となると、それぞれのライフ・スタイルや持ち前の文化の違いにより、それぞれの民人(たみびと)同士がトラブルに陥るケースが多い。

しかし、長崎の街の歴史は約400年であり、その街の発端当初から、ほぼ海外向けの街として運営が続けられてきた。

だから、この長崎の街の歴史書を紐解くと、それなりに海外の人々との幾つかのトラブルが記されてある。
そのような幾つものトラブルを乗り越えて、長く、長崎の街は、その方針を変えること無く、400年以上も運営されてきた。

外国人との、幾つものトラブルを乗り越えて、ある時は外国人に対する融和的な行動も取られ、又ある時は、取り締まり的な行動も行われつつも、現在に至っている。

なので、長崎に訪れる観光客ならば、「古来からの長崎の民人(たみびと)と異人さんとの喜びや労苦を偲(しの)ぶべし」と書けるだろうか。

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長崎開港400年以来、日本人だけではなく、外国人も肩を交えて、この街が作り続けられてきた。

だから、日本の他の街では見ることの出来ない、あるいは感じることの出来ない程の異国情緒が路上に漂い流れている。
長崎以外の日本の他の街には無い雰囲気がここには流れている。

その異国情緒の薫りが、あなたの心を幽か(かすか)にかすめゆく。

その「生きどうしの」異国情緒を味わうために、他の街から観光客が訪れ続けている。

私はそう思う。

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世の多くの旅人が求めるのは、日常生活には無い珍しさだ。

その珍しさが、ここ、長崎にはある。

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そして、長崎は観光都市だ。

多くの旅人が旅先で求める代表的なものは、二つある。
その一つは美しい自然景観だ。
そして、今一つは、珍しいと思える都市の都市型観光だ。

「美しい自然景観」というのは、これはもっぱら、大自然がその基礎を作り上げる。
例えば、阿蘇とか、温泉地帯の別府とか雲仙とか。
これらの観光名所は、基本的には、人間のちからで作ることは出来ない。
原型を作るのは地球だから。

しかし、後者の「珍しいと思える都市」を、作るのは、もっぱら人間側だとわかる。

だから、長崎という観光都市を作り上げてきたのは、多くの人間だった。
だから、「人間」というのも、自然の一部なので、かなりの時間と、多くの人間と、かなりの労力を使えば、いわゆる「名所」とか「観光地」と言われる場所を作れることにも気が付く。

だから、人間の作った「名所」と言われるような場所を作るためには、上の流れから考えると、以下のような手順を踏むことになるだろう。

まず、その土地に住む人々が「他の街とは違う、ちょっと変わったことをやってみようぜ」という志が成り立つ。
そして、その志が、ある程度の長期間、その土地に住む多くの人々の手によって実行・運営され続ける。
そして、その長期間が過ぎてみれば、いわゆる、他の街とは違った雰囲気のある、珍しい「観光都市」が作られる。

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(※注:長崎の街作りの発端は、いわゆる、お上(おかみ)と言われる人々だけが先導しただけではない。当時の外国人の船乗りが、港作りに良い土地、現在の長崎港を発見して、お上に奏上していた。また、長崎から平戸に、いったん、外国人寄港地が移ったのだけど(1639年から1671年までの間)、その後、長崎の町民達が「外国人寄港地を長崎に戻して欲しい」と、幕府に頼み込み、外国人寄港地が長崎港に戻された。だから、この長崎の街作りは、決して、お上主導で街作りが行われたのではなく、多くの町民のちからもあって、街が作られたことがわかる。参考文献:『長崎歴史散歩』、劉 寒吉 著、創元社)
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個人的に感じるのが、似た雰囲気があるのが、島根県の出雲地方だ。
この出雲地方や松江地方は自然遺産も多いけれど、ここでは話の流れ上、出雲大社に話を絞らせてもらいたい。

この出雲大社の歴史は古い。
そして、この出雲大社の原型とは、本来、何千年も前に実在していたと言われる大国主命(おおくにぬしのみこと)のマイ・ホームだったと言われている。

だから、天地の開闢(かいびゃく)時より、この出雲大社が地上に存在していたわけではない。
大国主命が実在していたかどうかは、さておき、ある日、ある時を境にして、ある人間が、この出雲大社を建立(こんりゅう)したことがわかる。

以来、何千年間かわからないけれど、その出雲大社を守る側の人間が、長期間にわたり、その静謐(せいひつ)さや、その神々しさ、その神妙(しんみょう)さを守り続けてきたので、多くの民の崇める所となり、いわゆる信仰の社(やしろ)と定められた。
もっと、くだけて、わかりやすく書いてしまえば、多くの人々の崇める所の観光名所ともなったことがわかる。

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だから、長崎の街をぶらついていて、自然遺産を使った他の観光地ではなく「人間による観光名所の作り方」というのを感じたりもする。


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            長崎
            
                    聖母に
                    
      屋内の人々が 心を清めている。
      組み合わされた両の掌。
      そこから 一つの線が 天に向かって
      羽ばたき 飛び立っている。
      それらの多くの線を
      街の上に立つ
      巨大な女性が
      胸で受け止めている。

      洋風の館から 流れ出す気。
      カステラの味が 宙に漂っているかのよう。
      孔子の廟から 線香の匂いが流れている。
      北京ダックの味が 舌をかすめる。
      社(やしろ)の中で龍が踊って遊んでいる。
      龍の動きの線が 社の外に流れ出す。

      西洋から来た時と
      中華から来た時と
      日本から来た時が 流れている。
      何本かの時が 交錯し続けて
      大和(やまと)している。

      おわんのような大地に
      夜 家々の放つ 光が共鳴し合い
      何本もの時が行きかう様を
      街の上から
      巨大な女性が 静かな笑みを浮かべて
      見守っている。

      かつて
      その女性は
      やさしさ故にか 甘んじて
      プルトニウムの臭いも嗅いだ。

      しかし
      プルトニウムの臭いは
      人々の心までも
      毒することは出来なかった。

      今、幾つもの笑顔が 行きかい
      混じり合う様を
      彼女は 静かに 見ている。

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                                        坂本  誠

  

 

 

  

   

 

 

  

 

 

 

 

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三千八十: 旅先の宿で(独白)

なんとなく、旅先の宿で筆を走らせてみる。
人は、いつもとは違った空間に入ることが大切だ、と思う。
だから、瞑想と呼ばれる行動は人里離れた寺ではなく、旅館の宿でも出来ることに気付く。

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旅に出て、酒を飲まなくなった。
けっこう、飲めるタイプであり、いったん飲んでしまうと、旅なので、ハメを外してしまい、飲み過ぎて、次の日の旅程を崩すことがしばしばあった。
だから、旅先では飲まなくなった。

軽い夕食を取りながら、テレビのチャンネルを回す。
自分の合わせるチャンネルは、たいてい地方版ニュースだ。
そして、全国版ニュースが始まると、たいていテレビを消してしまう。

なぜかと言うと、旅人にとって、旅先での地方ニュースというものを見る機会が、ほとんど無く、珍しいからだ。
だから、旅先の地方版ニュースを面白く感じてしまう。
その代り、全国版のニュースは、全国どこに行っても見られるため、旅人にとっては、あまり面白くない。

風呂の後、軽く、旅館の中を散策した後、自室にこもる。
何気なく、旅館のフロントに置かれていた、いくつかのチラシに横目を流していると、なんとなく、耳が冴えてくる。

気づいてみると、エアコンの音が聞こえる。

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それ以外に聞こえるものと言ったら、自分の呼吸する音だけ。
日常生活だと、エアコンの回転する音は気にならないが、旅先の静寂の中だと、妙に、その静かな音に聞き入ってしまう。

その時に感じるのだ。

 「日常から切り離された、常ならぬ空間にやって来たのだ」

と。

完全に日常とは違った味が必要なのかもしれない。
しかもシラフだと、余計にその雰囲気に浸(ひた)れる。
だから、旅先で酒を飲まずとも、旅を十分に味わえるようになった。

そして、このまま無音に近い、エアコンの音に吸い込まれるような空間の中で、暖かな夜の闇の中に、自分の意識が吸い込まれ、眠りの水底に、静かに誘(いざな)われるのだろう。


                                        坂本  誠

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2017年2月 9日 (木)

三千七十四: 懐かしのビデオを見て

こんばんわ。

先日、以下のビデオをご紹介しました。

『三千三十六:私の見かけたビデオ_No.68』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2016/12/_no68-4787.html
●【柳川市観光PRビデオ】SAGEMON GIRLS さげもんガールズ - YouTube:
https://www.youtube.com/watch?v=NYOrc0h5SN4




このビデオの出来は、とても芸術的なので、何回も見てしまう私です。

そして、上記のビデオを見ていたら、「次の動画」欄に紹介されている幾つか、他のビデオを見ていると、偶然、以下のようなビデオがあり、見てみました。

柳川市の昔1 the old days japan
https://www.youtube.com/watch?v=S526BgMNhHw



昔の柳川 その2 the old days japan
https://www.youtube.com/watch?v=9KpOvQlSEK4



「昔懐かし」という手合いのビデオですね。

昔の柳川市を8ミリビデオで、撮影したものでしょう。
なんとなく、感激しました。

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どの場面に、一番驚いたかというと、街の中を馬が歩いているシーンでした。
当然、この原稿を書いている今では、日本のどの街でも、馬は歩いていないと思います。

ビデオをずっと見ていると、「明治25年」という表記がありました。

ですから、明治25年には、街の通りを馬が歩いていたことがわかります。

確かに、時代劇にも、街の中を馬が歩いているシーンがあります。
ですが、時代劇は意図的に、人が馬を街中で歩かせているのが、わかります。

ですから、どことなく、時代劇の中で、街の中を馬が歩いているのは、どこか新鮮味を感じませんでした。

しかし、この段落で紹介している『柳川市の昔1 the old days japan』等で紹介されている、馬の歩きには自然なものがあるので、非常に実感しました。

どういう風に実感したかというと、「街の中を馬が歩くなんて、ビックリものだ」という感じです。

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あと、私の頭に浮かんだのは、「明治25年には、どんな作家が活躍していただろうか?」と考えました。

それで、インターネットで調べてみると、この明治25年に活躍していたのは、森鴎外などでした。

私は一瞬、「夏目漱石かな」と思ったのですが、夏目漱石は、まだ後の時代で活躍しています。
この明治25年には、彼は作家デビューしていませんでした。

どうして、当時の作家を知りたかったというと、この明治25年近辺に書かれた小説等を読む人も多くいると思います。

それらの小説を読む人にとって、このような、記録映画を見ることは意義があると思います。

なぜならば、その年代の小説を読む時に、その小説で描かれているシーンを頭の中で想像しますが、それらの具体的な光景を、上記のような記録映画のデータを記憶していると、より鮮明に想像できると思うからです。

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このような記録映画を見ることは、楽しくも、意義のある、一つの時間旅行と言えないでしょうか。



                                        坂本  誠

2017年2月 3日 (金)

三千七十: 美しい風景を見ながら(独白)

私は昔から旅行が好きだった。
「自分の好きなものに理由は無い」と言われるけど、旅行に関しては、私もそうなのかも知れない。

しかし、心の中をよく見ると、旅が好きな理由を幾つか見いだすことができる。

私は美しい自然を見るのが好きなタイプだ。

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だから、都市型旅行よりも、どちらかというとアウト・ドアの旅の方を好む。
(と言っても、都市型観光を楽しむ時もある。)

美しい景色を見ていると、心が和む(なごむ)。
美しい景色を見ていると、自分のいつも見ている風景とは違って、心の中に新しい風が吹き込むかのようだ。

そして、日々の自分の課題とする出来事を、いつもとは違った角度から接することができる。
そのような経験を積むことも、又楽しい。

しかし、もっと面白い事を考えてしまう。

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例えば、多くの人が「景勝地」と呼んでいるような場所に訪れてみる。
確かに、私もその景勝地という風景に美しさを感じてしまう。
きっと、多くの過去の旅人達も、その美しさを感じ続けたからこそ、そのような土地は「景勝地」とされたのだろう。

しかし、どうして、人は、岩とか土とか水で作られた、つまり、無生物の塊(かたまり)で作られた、その光景を美しいと感じるのだろうか。

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こう考えると、人は他の物に対しても疑問を持ち始めると思う。

例えば、「人間の女性は美しい」と言われている。
少なくとも、男性よりは美しいと思われているのではないだろうか。
しかし、どうして、人は、人間の女性に対して、「美しい」と感じるのだろうか。

あるいは、美しい絵とか、しなやかな身体を持つ猫の肉体でも美しいと言われている。
どの部分の、どの個所が、どの状態であれば、「美しい」というものを定義できるのだろうか。

だから、例えば、多くの人が「この絵は美しい絵だ」とか「この猫は美しい」と言っているのに、他のある人がやって来て、その絵や猫に対して「なんて、醜い絵や醜い猫だろう」と感じても良いわけだ。

あるいは、人によっては、都会の中でゴミが散らかっている場所を見て、それに美しさを感じても良いわけだ。
また、同じ理由から、景勝地とされている観光地の風景を見て、「なんて、汚れた場所だ」と感じても良いわけだ。

つまり、「美しさ」というものを、人はしっかりと定義することは出来ないことがわかる。

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にもかかわらず、多くの人は「これが美しい」とか「こちらの方が美しい」と、評価することができるのだ。

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これ自体に不思議を感じてしまう。

なぜならば、冒頭で挙げた例のように、多くの先人達が美しい景色や風景を感じてきたからこそ、その土地が人々の間で景勝地になり、観光地となったのだ。

昔から、多くの人々がその土地にやって来て「他の場所とは違って、明らかに美しさを感じる」等と評価してきたので、その土地は人の間で景勝地となったのだ。

当然、同じようなことは絵画のジャンルにも当てはまる。

だから、ほとんど、例外は無いと思われるのだけど、都会のゴミが散らかっている場所を見て「その場所が美しい」と感じる人は、ほぼいないこともわかる。

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ということは、「美しい」というものに対して、本来数値化することは出来ないけれど、人の心の奥底には美しいものに対しての、共通したセンサーのようなものを持っていることがわかる。

人は、その共通したセンサーを持っているからこそ、例えば

  「あの景色って、とっても美しいよね」

と聞かれた時、それに対して、間を置かずに相槌を打って

  「ほんと、とても綺麗な景色だよね」

という返答を返せるような会話が成り立つことがわかる。

この、人の心の奥底に共通に埋め込まれた「センサー」と呼ぶべきものを、なんと表現すべきかはわからない。

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ここまで来ると、読者の方には、「これは波動の関係で、、、」という一文を浮かぶ方もいるだろう。

だから、「波動の高いもの」とか、その類のものが、美しい風景を作っているとするならば、その波動と私達の心の中にあると思われる「センサー」との関係を知りたくなってもしまう。

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いずれにしても、美しい風景を前にしていると、そんなことも深々と考え込んでしまう時がある。
それは一種の瞑想状態なのかもしれない。

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私の住んでいる九州には阿蘇山がある。

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最近は地震の影響で行ってないのだけど、時折、阿蘇までドライブに行ってみる。

そこで、美しい風景に見とれつつ「美しさとは何だろう?」を考え込むと、上のような、つれづれなる文章が出来るのかもしれない。

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以前に書いたことだけど、私は過去、中国の上海から来た二人の中国人と友人同士の関係となった。

その二人の中国人は彼等の用事のせいで、何年間か私の地元に滞在していた。

その二人の中国人も、しきりと阿蘇山に行きたがっていたことを、今でも思い出す。

テレビや新聞でも、しばしば報道されているように、多くの中国人や韓国人が阿蘇に訪れる。

また、それだけでなく、私が行った時でも、阿蘇の山上には、ヨーロッパからの多くの外国人達がいたケースも多々あった。

この状況から見ても、人の心の奥底に共通に埋め込まれた「センサー」は、どうやら、確実に動作しているらしい。

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私の友人である二人の中国人が、過去、私に言ったことには、

  「阿蘇の近くに暮らせて、あなたは、とても幸せだよね」

と。

万人の心に内蔵されたと思われる「センサー」があるので、外国人であろうと、古(いにしえ)の人であろうと、共通の話題や、何かを鑑賞する時に、心底に響くものや、心の琴線をつま弾くものを、同時に感じることができる。
(いと、いみじ。)

そして、私達はお互いに感じたことに対して、間髪を入れずに相槌を打って、談笑することができるのだ。

旅先の美しい土地で、人の明るい笑い声が、春の雲雀(ひばり)の声の舞い上がるが如く、青空に軽く響き渡り、柔らかい草の上を、共にそぞろ歩きする一時は、なんと牧歌的な光景であることか。

美しい風景に戯れつつ、「美しさ」そのものに思いを巡らすことも、私達にとっての面白いことではなかろうか。

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                                        坂本  誠

2017年1月23日 (月)

三千六十一: 遠距離旅行と近距離旅行を考えて

こんばんわ。

遠距離旅行と近距離旅行を考えていました。
特に、近距離旅行について考えていました。

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近距離旅行と言っても、「自分の住んでいる場所から、近い場所への旅行」という意味での、「近距離」ではありません。
私達の移動手段において、ウォーキングとか、自転車を使ったサイクリング等があります。
その手の「近距離」という意味です。

現代の旅行において、「徒歩」とか「自転車」よりも、明らかに、自動車とか飛行機とか列車を使った旅がもてはやされていると思います。

もちろん、私も、旅となると、自動車を使ったものが多いでしょうか。

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しかし、健康維持のためにウォーキングで最寄りのスーパー・マーケットに行くのと、自動車でスーパー・マーケットに行くのには、かなり大きな違いがあるのに気が付きました。

自動車でスーパー・マーケットに行くと、もちろん、素早くスーパー・マーケットに行けます。
しかし、ウォーキングでスーパー・マーケットに向かうと、歩いていくので、スーパー・マーケットまでの道のりで、様々な景色に出会うことに気が付きました。

例えば、同じ道で自動車を使うと、つい、道端に咲いている美しい花を見る機会は、ずっと少なくなることでしょう。

なぜならば、当然、運転しているので、道端に咲いている美しい花に見とれていると、交通事故を起こす可能性が高くなるからです。

その他にも、歩いている途中、いつもの通りすがりの家の庭には、可愛い犬が飼われているケースも多いことでしょう。

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それと、同じように、通りすがりの家の庭にも、美しい花を咲かせる木々があって、心を休ませる一時を頂けるかもしれません。

あるいは、歩きながら、公園の側を通ってみると、子供達が元気に遊び回っている光景を見て、心を癒される人も多いのではないでしょうか。

心地良い風が肌に当たると、肌も気持ち良く感じることでしょうし、その上、想像を巡らせて、その風が自分の身体の中を心地良く通り抜けていくことだって、ゆったりと想像できることでしょう。

また、私達は普段、頭上に広がっている青空を、じっくりと見る機会も減っています。
ですから、歩きながら最寄りのスーパー・マーケットに向かう途中で、青空の様子や流れゆく雲の形を見たり、あるいは、雲の変形する光景を楽しみながら見ることが出来ます。

その他でも、川や海を見る機会があるかもしれません。

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ところが、自動車で、近所のスーパー・マーケットに行くと、上に書いた、出来事は、自分の目から通り抜けて行きます。

つまり、自分の意識や記憶からは、スルーしていきます。

ここまで、読者の方が、この記事を読むと、

  「私達は、科学の発展によって、便利になった分、上記のような別の喜びから遠ざかっているのだ」

と、感じる方もおられるでしょう。

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確かに、自動車や飛行機の登場と、それらの家庭進出によって、私達は大いに時間を節約できるようになりました。

しかし、その分、上記に書いたように、私達が自然と触れ合う喜びが減少(節約)されているのを感じるのではないでしょうか。

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ですから、「科学技術の発達が、全て人間の喜びになるとは限らない」と感じます。
このほかの事例としては、科学技術の発達による公害も、私達がよく聞くケースですね。

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話題を冒頭に戻すのですが、私達は遠い場所への旅行を楽しんだりします。

その際に、自動車や飛行機や、あるいは、列車が多用されます。

確かに、どこかの遠い場所に移動することには、それなりの楽しい経験を私達は味わいますが、その旅の途中での、その道の上での、様々な光景を見落としているのに気が付いてきます。

自動車や飛行機や、あるいは、列車の高速移動により、道中での、美しい景色を見る機会が減っていると考えられます。

通常、私達は「美しい景色が、どこそこにある」という情報を聞いて、その場所に向かうケースが多いです。

その「美しい景色」というのは、どこかの他人が言っていた事に気が付きます。

しかし、旅の上での、「自分にとっての美しい景色や場所」というのは、その旅人自身で探すことが出来ます。

この自動車や飛行機や、あるいは、列車を多用するケースだと、道中での、その人にとっての何らかの「思い出深い場所」を発掘する機会も減ることでしょう。

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ですから、私達は、遠距離の旅先に向けて、闇雲に、自動車、飛行機、あるいは列車を用いなくても、良い場合があることに気が付きます。

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なので、近距離旅行の場合でも、時折、交通手段を変えてみて、例えば、徒歩で行ってみたり、あるいは、自転車等で行ってみれば、別の喜びを味わえることに気が付きます。

もちろん、徒歩や自転車や、その他の、いわゆる、ローテク(Low Technology)を使用してでの、旅行の場合は、それなりの準備や計画が必要となるかもしれません。

また、もちろん、遠く離れた場所に、自動車、飛行機を使っても、その旅先で、いわゆる、ローテクを使ってでの、楽しみ方の組み合わせも考えられます。

しかし、このような、一見、時代を超えたかのような、旅の楽しみ方も乙(おつ)なものがあるかもしれません。

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江戸時代の俳人で、松尾芭蕉という人がいます。
この方も旅好きで有名でした。
松尾芭蕉の旅で有名なのは、『おくのほそ道』であるところの、ほぼ奥州一周でした。
奥州というのは、現代で言うところの東北ですね。

松尾芭蕉は、この『おくのほそ道』の旅を、いや、その他のほとんどの、日本全国へ向けての旅を、徒歩で敢行しています。

ちょっと、その旅程を調べてみると、元禄2年春3月27日(新暦1689年5月16日)の明け方に自宅を発ち、8月21日に大垣に到着しています(日数約150日間)。

(※参考文献:『Wikipedia おくのほそ道』)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%8A%E3%81%8F%E3%81%AE%E3%81%BB%E3%81%9D%E9%81%93

現代だと、約150日間もあって、自動車や飛行機や列車のちからを借りれば、世界一周が終了していることでしょう。

松尾芭蕉は、徒歩で、奥州一周するのですが、この段落の冒頭に書いたように、ゆっくりと、自分の目で、様々な奥州の風景を見て回ったので、その情報量は莫大なものであったと思われます。

上に書いたように、現代に私達が自動車やバイクや列車で奥州一周すれば、かなり、私達が見落す光景も、さぞかし多いことでしょう。

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しかし、「旅を楽しむ」という点から考えれば、私達は現代のハイテクを使ったり、あるいは、ローテクを使う楽しみもあるので、旅の面白さは拡大することでしょう。

また、上の流れから考えられるのですが、旅人にとっては、ハイテクを使おうが、あるいは、ローテクを使おうが、その旅の感慨は、あまり、その時代の技術には依存していないものだと感じたりします。

ですから、その旅の感慨とは、「私は、なぜかは知らないが、旅をしたい」という一念に依存しているのかもしれません。

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旅人に、「あなたは、なぜ、そんなに旅をしたいのですか?」と尋ねるに、その旅人、答えて曰く、

  「そこに旅先があるからだ」

と。

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                                        坂本  誠

2017年1月 5日 (木)

三千五十: 街の中でホット・コーヒーを飲みながら

行きつけの大型商業施設に行くと、決まって、ホット・コーヒーを飲んでしまう。

大型商業施設の無い時代だと、主に、喫茶店でホット・コーヒーを飲んでいたかと思う。

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大型商業施設内の、ドリップ・コーヒーを買って、広い店内を、ちょっと、さまよう。
店内に設けられた吹き抜けから見渡せる、人々の顔を見ながら、ホット・コーヒーをくゆらせる。

喫茶店やコーヒー・ショップで飲む、コーヒーだと、様々な店舗を訪ねる人々の表情を見ることはできない。
だから、大型商業施設内での、廊下等に設置された、ソファに腰掛けつつ、様々な店舗内の様子と、その幾つもの店舗を訪れる人々の笑顔を見ながら、コーヒーをくゆらすことが出来るようになったのも、時代の変遷と言えるだろうか。

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私は訪れたことが無いのだけど、街の喫茶店が、自分の店の前の通りに、テーブルとイスを出して、客達に屋外で、コーヒーや飲料水を楽しんでもらうところはある。

店の内部で飲食を客に楽しんでもらうのではなく、お客に店の外に出てもらって、街の風景や、その日の街に現れる一日の情景を眺めつつ、お客に、自分の店の食事を楽しんでもらうという、行いだ。

テレビで見たことのあるシーンならば、ヨーロッパの街で、そのようなシーンを見かける機会が多いだろうか。
このような飲食の仕方をも、楽しみにしている人々がいることがわかる。

日本だと、そのような、店の屋外に客に出てもらって、飲食を楽しんでもらう、という発想は、あまり好まれていないかもしれない。

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しかし、このような街の愛し方というのも、面白いかもしれない。

「何気なく、気軽に街を楽しむ」という雰囲気作りが、街作りの一つと言えるだろうか。

街の中に高層建築物を建てたり、あるいは、最新の電気設備等を投入することだけが、趣(おもむき)のある街作りとは言えないと思う。

「アット・ホーム( at home )」な雰囲気作りが、これからの街作りには必要とされるのではないだろうか。

ヨーロッパの主な街を何かの機会で見てみると、それほどまでに、現代技術を駆使した建造物が建てられていないことに気がつく。
かなり長い歴史を感じさせる雰囲気の建物が多く残されている。

だから、ヨーロッパの主な街並みを見てみると、その街に長く住む人々の雰囲気がにじみ込んでいるような気がする。

傍から見ると、穏やかで、いかにも、その街らしい雰囲気が残されており、また、「アット・ホーム」な雰囲気があるように感じる。

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日本の街で言うならば、やはり、京都とか、浅草と言えるだろうか。

京都とか、浅草だと、当然、昔からの日本の街並みや雰囲気が残されている。
だから、外国人から見たら、そのような街に訪れたいことだろう。

しかし、現代建築の高層ビルというのは、世界の何処に行っても、見られるので、多くの外国人は、おろか、日本人の外国旅行者でも、現代建築の高層ビルを海外で見ても、あまり面白く感じない。

だから、日本に来る海外旅行者達も、また、日本人の世界旅行者達も、旅先に訪れて、楽しむところは、その国の古来から伝わる、伝統ある建築物が多く残されている場所が多い。

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この点を見ても、これからの「街作り」というのは、「現代技術を駆使した何かを投入する」というよりも、「その土地ならではの、アット・ホームな雰囲気の導入や、その土地の由緒ある伝統的な何かの投入」、になってこないだろうか。


                                        坂本  誠

2016年12月13日 (火)

三千三十六: 私の見かけたビデオ_No.68

こんばんわ。

私の見かけたビデオを、紹介させてください。

最近では、日本の地方自治体が、自らの市をアピールするために、動画をよく作成しています。
そのような動画を「自治体PR動画」とか言われています。

その「自治体PR動画」の中の福岡県柳川(やながわ)市作成のものです。
この段落中に、紹介した写真は、当「自治体PR動画」からの引用です。

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実は、この柳川市は自治体PR動画は、その動画公開の前より知られていました。
なにせ、「現在、約1000人のエキストラを使って、撮影中」と言われていたからです。

つまり、「ちょっとした、短編映画並みの撮影が行われている」と、知られていたからです。
私も、それを聞いた後は、日々の生活に埋没してしまい、その柳川市のPR動画のことは忘れていました。

そして、ふとしたことから、その完成した柳川市の自治体PR動画を目にする機会がありました。

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さすがに見てみますと、やはり、短編映画並みのものを感じました。

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柳川市では、雛祭りなどに使う「さげもん」と呼ばれる日本の飾りを生産しているそうです。
「その『さげもん』を飾りとして、雛祭りの三人官女が、現代社会に飛び出てきている」、というのが、あらすじなのでしょう。

しかし、一切、セリフはありません。
ただ、音楽とダンスだけで、柳川市の有名なものを紹介していきます。

このようなアピールを行うのに、言語を多用していますと、視聴者の方が、かえって、耳障りなものを感じてしまうし、言葉による先入観も生まれますので、サイレント映画のように、アピールするのも効果的かもしれません。

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【柳川市観光PRビデオ】SAGEMON GIRLS さげもんガールズ - YouTube:
https://www.youtube.com/watch?v=NYOrc0h5SN4



動画中の、明るい感じや楽しい雰囲気も、視聴者に安心感をもたらすかもしれませんね。

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しかし、やはり、約1000人の地元の方が、当動画中にエキストラとして出演しているのが圧巻に感じます。
「自治体PR動画に地元の人がエキストラとして、約1000人も参加している」と言われていたのは、本当だった、と、うなずきました。

さすがに、地元の人が約1000人も参加していたら、その1000人の口から、様々なところに伝わるものですね。

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それと、私がこのPR動画を見て感じたのは、黒澤明監督作品の『夢』でした。

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以前、私も黒澤明監督作品、『夢』をよく見たものですが、この柳川市観光PRビデオの製作者か監督も、黒澤明の『夢』を愛しているかと思います。

ストーリー作りや、撮影する角度や、雰囲気作りも、黒澤明の影響が流れていると感じます。
多分、このビデオの製作者か監督の方も、黒澤明作品の愛好家ではないかと、私は感じます。

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この段落の分類を『映画』にしようか、それとも、『音楽』にしようか、それとも、『おでかけ』にしようか、と迷いましたが、結局、『おでかけ』のジャンルに入れることにしました。

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また、何か、面白そうな「自治体PR動画」を見かけましたら、紹介したいと思います。
もちろん、日本には、数多くの自治体がありますので。


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(以下、過去記事、関連記事、及び、参考文献)
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『千三百六十二:映画『夢』について』
http://hikirini.blog.bbiq.jp/blog/2011/11/post-88c8.html

『千四百十四:映画『夢』について_No.2』
http://hikirini.blog.bbiq.jp/blog/2011/12/_no2-f61b.html

『千四百二十四:映画『夢』について_No.3』
http://hikirini.blog.bbiq.jp/blog/2012/01/_no3-b2bf.html


                                        坂本  誠

2016年11月29日 (火)

三千二十五: 阿蘇を思い出しながら

こんばんわ。

最近、私は阿蘇地方に行っていないのですが、この記事は、「阿蘇の思い出話」程度に書いてみたいと思います。
記事中に出てくる写真も、全て、阿蘇地方のものです。

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九州の阿蘇地方が有名な観光地であることはよく知られています。
しかし、これもよく知られているように、熊本地方で起きた地震のため、今では、残念なことですが、観光客も減っているでしょう。

また、このような出来事も一つの機会だったと思います。
比較的、多くの人々に愛された観光地に行けなくなるのは、その土地を愛する人にとって、悲しい思いがするでしょう。
なぜならば、今、その土地に行きたくても、行けないのですから。

ですから、逆を言えば、その観光地に対する、今までの感謝が生まれてくると思います。
今までは、なんとか都合が出来た時ならば、気軽に行けたのですから。

しかし、今では、簡単に訪れる事ができないかもしれません。
こうなると、私達は、今まで、楽しんでいた風景を目にすることができませんから、今まで、慣れ親しんでいた、その光景に対して、深い感謝の念を抱くものです。
ちょうど、近親者が死んでしまうと、その近親者が生きている時は、そんなにその人に対しては感謝の念が出ないのですが、死んだ後だと、初めて、その人に深い感謝の気持ちが湧くのに似ていると思います。

今、私達が阿蘇に訪れるのは難しいことですが、行きにくいからこそ、更に、その土地を愛する気持ちが高まる、と言えるでしょうか。

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ですから、このようなことを考えてみると、私達は、ある一定の時間は、自分の宝物を自分の手の届かないところに置くのも、賢明な方法であることに気が付きます。

いつもいつも、宝が自分の手の中にあれば、その宝に対する感謝の気持ちが薄れます。
しかし、ある時間だけ、その宝を遠ざけて、触れられないようにすると、よりいっそう、その宝に対する、ありがたみを感じます。

ですから、これと同じように、遠目でしか見ることの出来ない宝を見る、というのも、一つの大事な時間と見なせるでしょう。

その宝に対する愛情と感謝の気持ちが高まるのですから。

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また、今一つには、地球のロング・スパンを感じることができます。

最近では、私の記事で、地上に多発しているシンクホールのことも書きました。
ですから、現在の地球の大きな変動状態を人は感じることができます。

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人は、阿蘇の風景を見ると、雄大さを感じるものです。
巨大なカルデラ火山なので。

しかし、現在の阿蘇の風景の状態になったのは、地球全体の歴史から見ると、ほんの少し前のことであることがわかります。
また、阿蘇山は活火山ですので、地球変動が一番激しい場所の一つでもあります。

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(災害に遭われた方々にはお悔やみするのですが、)ですから、そのような場所に、人間の産物であるところの、建築物を建てたり、道路を敷いても、かなり比較的に短時間に、それらの建造物が噴火の影響などによって、破壊される可能性も高いです。

「活火山」という特性から考えても、人間の時間で言うならば、一世代や二世代の時間の内に、人間の建造物も無くなる可能性もあります。

阿蘇だけではなく、他の有名な観光地にも、人間は多くの建造物や道路を作りあげてきました。
しかし、それらの建造物の寿命は、地球レベルの時間から考えたら、「瞬きをする間の時間に等しい」とも理解できるでしょう。

ですから、阿蘇以外の有名な観光地にも、人は多くの建造物を建てていますが、それらの建造物が、私達、人間の目の前から一瞬にして消え去っても、そちらの方が、ごく自然な出来事であるとも、理解できるでしょう。

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確かに、建造物を作ったり、道路を敷いた人間の方は、「末永く、これらの建造物が残るように」と願いをかけて、建設したかもしれません。

しかし、実際には、地球環境変動の一番激しいと思われる場所に、人間の建造物を作ることは、地球レベルの時間から考えたら、一瞬にして崩れ去ることの方が、無理も無く、かつ、自然な話だとわかるからです。

また、かつ、地球変動のレベルが大きくなってきている現在だとわかると、その兆候は、さらに度合いを増すことでしょう。

ですから、「大地の上に、半永久的に人間の作った道路や建造物が残っている」ということは、そちらの方が、かなり難しい話だと私達はわかります。

私達は、この点においても、流動的に何かの物を見て、流動的に感じ、そして、流動的に考えないといけないことでしょう。
せせらぎの水の流れのように。

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また、今一つ感じられるのは、「観光地」と言われるものです。

阿蘇の自然の風景が出来たのは、約数万年前と言えるかもしれません。
それ以前にも、阿蘇は、かなり激しい活動を行ってきました。

ですから、普段は阿蘇の美しい景色が不動のように思えてきましたが、それも、地球レベルの時間から見たら、ほんの瞬きをする時間に等しいこともわかります。

地球の環境を考えれば、約3億年前の世界でも、「美しい観光地」と呼べるものは、数多くあったでしょう。
しかし、それらの約3億年前の世界に存在した筈の「美しい観光地」と呼べるものは、時代の流れに沿って、ほとんど全て、地球上から消え去っています。

それらの「美しい観光地」も、絶え間なく続く地球変動により、徐々に姿を消していくのですが、それと同時に、地球上のどこかに、新たに「美しい観光地」が、同じく地球変動のちからにより、誕生させられていることがわかります。

そして、それらの数多くの「美しい観光地」が生まれては消え、生まれては消え続けて、現在に至っていることがわかります。

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ですから、今現在、私達の目にしている数多くの「美しい観光地」は、全て、現在、消失中か、生長中であることがわかります。

そして、たとえ、今現在、私達の目にしている数多くの「美しい観光地」が目の前から消えても、地球上のどこかに、新しい「美しい観光地」が誕生中か成長中です。
なので、「美しい観光地」というものは、全て、一過性のもの、つまり、一時(ひととき)のものですね。

私達が日頃、見慣れている、どんな「美しい観光地」でも、

「私達、人間が、これらの美しい観光地を拝見できるのは、ほんのわずかな時間の間だけなのだ」

とわかれば、私達は地球上の地形に関する考えや慣習を改めることも出来るでしょう。

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ですから、災害が多い時は、逆に、地球に対する感謝の気持ちが生まれるかもしれません。

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シンクホールのこともありましたが、あの光景を見て、「私達の足を踏みしめる大地があって、良かった」と感じる人もいるのではないでしょうか。

普段、何気なく、私達は大地の上に立っています。
しかし、足を踏みしめる、その大地が無いと、私達は生きて行くことが出来ないのです。

水の上や空気中だと、人間は、ほとんど、その活動を行えないのです。

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なので、地球環境の変動があれば、その変動状態によって、日頃、見慣れていて気付かないものとか、見過ごしがちなものにまで、目を向けることが出来ます。

ですから、地球環境の変動時代というのは、これも人間にとっての、普通の一過性の期間である事も実感できます。

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地球には、春、夏、秋、冬があります。
しかし、どの季節を取っても、それらには一長一短があります。

ある人にとっては、何かの季節が厳しい季節であっても、「それは悪の季節だ」とは言わないはずです。

どの季節を取っても、ただの一過性の時間であるだけです。

それと同じように、地球にも周期的に、氷河時代とか、今よりも暑くて、海面がずっと高い時代があったことが知られています。
しかし、そのような時代も、周期的に訪れていた事が十分に知られているので、言ってみれば、一種の冬や夏のようなものでしょう。

ですから、そのような時代と言っても、それは一つの冬や夏のようなものであり、「悪の時代」とは言えないことがわかります。
ひょっとしたら、地球上では、氷河時代とか、暑い時代の方が、ずっと多かったかもしれないので、そのような時代時代に合わせて生きていく、というのが大事なのではないでしょうか。

単に、私達の肉体祖先も、そのような時代を通り抜けて来たわけだし。

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このような視点から見ていれば、もっと地球を多角的に見ることができるので、ある落ち着きを持って、様々な出来事を見られるようになるかもしれません。


                                        坂本  誠

2016年11月 8日 (火)

三千十七: 日本の秋の夕暮れを感じる

こんばんわ。

秋たけなわの季節です。
深まりゆく秋を感じるのは、どことなく、ものさびしいものを感じるようでいながら、自然界の奥深いものを味わう一時でもあります。

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「沈む」というのは、どことなく、意味の悪い単語のように受け取られる時があります。
しかし、秋という季節は、自らの心の奥底に沈み込んで行って、心の奥底に横たわっている何かに、今まさに触れようとしている、しかし、その何かに触れそうでいて、触れることの出来ないような、もどかしさを感じる季節のような気がします。

そして、その「もどかしさ」を感じていても、その「もどかしさ」に対する、切迫感や不快感を感じず、逆に、私達は、その静かなる「もどかしさ」を、秋という季節の内に、楽しんでいるように感じます。

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日本の古典である『枕草子』でも、秋の美しさが詠まれています。
『枕草子』の序段である『春はあけぼの』より、秋に関する部分を引用します。

(以下、『マナペディア』より引用)
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●枕草子『春はあけぼの』わかりやすい現代語訳と単語の意味 / 古文 by 走るメロス
http://manapedia.jp/text/2214

[原文]

秋は夕暮れ。
夕日の差して山の端いと近うなりたるに、烏の寝所へ行くとて、三つ四つ、二つ三つなど飛び急ぐさへあはれなり。
まいて雁などの連ねたるが、いと小さく見ゆるは、いとをかし。
日入り果てて、風の音、虫の音など、はた言ふべきにあらず。

[現代語訳]

秋は夕暮れ(が良い)。
夕日が差し込んで山の端にとても近くなっているときに、烏が寝床へ帰ろうとして、三羽四羽、二羽三羽と飛び急いでいる様子さえしみじみと心打たれる。
ましてや雁などが隊列を組んで飛んでいるのが、(遠くに)大変小さく見えるのは、とても趣があって良い。
日が落ちてから(聞こえてくる)、風の音や虫の鳴く音などは、言うまでもなく(すばらしい)。

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(引用終わり)

日本の秋の美しさというのは、なんとも表現しがたいものを感じます。

「ものさびしい」という雰囲気が、素晴らしい感じがします。
「うらさびれた」という感じもしますが、それも人の心の静けさとうまくマッチしているようです。

秋が深まるにつれて、全体的に、「どんどん静かになってゆく」という感じがします。

「にぎやかに」とか「派手に」とか「楽しく」というのは、春とか夏の雰囲気でしょうか。
しかし、それとは、逆に、秋は、静かになっていく方向での美しさがあるのに気が付きます。

これは、私達の情操も、常に常に、「にぎやかに」「派手に」「楽しく」の方向だけに、良いものを感じているわけでは無いことがわかります。

ですから、『枕草子』の秋に関する文章を出したのですが、「秋全体が良い」というよりも、その秋の雰囲気を受け取る著者の清少納言の喜びが描かれているのに気が付きます。

自然界の雰囲気と、それを受け取る人間の心がマッチする時に、その自然界の雰囲気をうまくキャッチして、それを表現できることがわかります。

ですから、仮に、清少納言が大変に忙しく日々を過ごしていたら、当然、秋の空をじっと眺めることは出来なかったでしょうから、この日本の古典とされている名文も書き残されなかったことでしょう。

少なくとも、清少納言が、この文章を書くときは、じっと耳を澄ますかのようにして、自然を静かに見つめていたことでしょう。

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しかし、忙しい人ならば、「秋なんて、どこが美しいのだ」となるわけです。

しかし、枕草子が残されて以来、多くの日本人が、この『春はあけぼの』から初まる、秋の美しさを愛でている部分に共感し続けたわけです。
多くの日本人が言ったように、「清少納言が言っているように、日本の秋は美しい」と。

ですから、『枕草子』を読んだ多くの日本人も、「日本の秋は良い、日本の秋は良い」と感じ続けたのです。

要するに、清少納言の秋の好む心と、『枕草子』を読んだ、その後の多くの日本人がシンクロしているので、彼女と同じように「日本の秋は美しい」と相槌を打っているわけです。

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ここまでは読書感想文でした。

実際に、日本の秋の美しさを、言葉で表現するのは難しいものです。

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ただ、私も日本の四季の中で、もっとも好きなのが、秋です。

ですから、外国人の方のために、日本の美しさを紹介するベストシーズンとは、秋です。
秋に日本の田舎を訪ねて見ることをお奨めします。

都会では、この日本の秋を味わうことは出来ません。
清少納言が『枕草子』で描いたような日本の秋の情景は、日本の田舎に存在しています。

現代の日本の都会においては、日本の原風景というものは近代的ビルの数々によって消失しているからです。

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私が撮影した場所だと、秋の夕陽が日本の山村を静かに照らしています。

日本の秋だと、よく、焚き火が炊かれています。
その焚き火の中で、石焼きイモが作られているかもしれません。
昔の日本の秋だと、よく、秋の焚き火で、石焼きイモを焼いたそうです。

その石焼きイモをほうばりながら、暮れ行く日本の秋の夕暮れを楽しむのは、一興だと思います。

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また、秋には、たわわに柿も成っています。
この柿も日本の風物詩です。
秋の澄み切った青空に、何個もの赤い柿を眺めるのは、日本の秋の風情とマッチしていることでしょう。

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現代の情報化社会でも、旅の人気が衰えることはありません。

その理由の一つとしては、「旅先の土地の実感を得るため」というものが挙げられるでしょう。

例えば、外国の美しい湖とか、壮大な山脈とかの写真ならば、写真集を開いたり、あるいは、インターネット上の写真で見ることが出来ます。
動画ならば、テレビの旅行番組とか、ネット上での動画を拝見することも出来ます。

しかし、どんなに訪れたことの無い土地の写真を見ても、動画を見ても、得られないのは、その土地の全体の雰囲気です。
私達が旅人となって、その土地に実際に訪れて、初めて、その「土地の実感」を得られます。

「旅先の土地の全体から立ち昇る雰囲気を味わう」というのが、「旅先の土地の実感」と言えます。
あなたが訪れてみたい旅先の土地から離れた状態で、写真や動画などを使い、「その土地の雰囲気を味わう」というのは不可能だからです。

なぜ、不可能なのか、私もわかりません。
「訪れてみたい旅先の土地から離れた状態で、写真や動画などを使って、その土地の様子を見る」というのは、結局、目と耳しか使っていないことになります。

ですから、自分の身体を、旅先の土地に直接、持って行くと、目や耳だけでなく、五感や、あるいは、それ以上のものを使って、その旅先の土地の情報を得ることになります。
また、旅先の人達と交わした会話などがあれば、その土地の人達の記憶をも共有するわけです。

ですから、写真や動画を使っただけでは、旅先の土地の雰囲気全体を、とても把握・実感できないと思います。
ですから、「土地の実感を味わう」ということを、実現するためには、今現在では、「その土地に直接、旅をする」以外に方法は無いと思います。

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このようなこともありますので、もし、あなたが外国人で、日本の秋を堪能されたいのならば、ご足労とはなりますが、直接、日本の秋に訪れて、しかも、都市部から離れて、日本の田園地帯まで足を運んでください。

おそらく、海外の文献などで紹介されている日本の写真や記事を読んで、「日本とは、このような雰囲気を持っているに違いない」と想像したことがあると思います。

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あなたが心の中で想像した「オリジナルの日本の雰囲気」とか「日本の原風景」と呼ばれるものは、この日本の秋の田園地帯に滞在することで、つかめるでしょう。


                                        坂本  誠

2016年10月13日 (木)

三千五: 北九州市について_No.10

こんばんわ。
『二千九百三十四:北九州市について_No.9』の続きです。

■:頓田(とんだ)貯水池

晴れた日に、北九州市若松区にある頓田(とんだ)貯水池に行って来ました。
北九州市には、湖はありません。

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しかし、この『頓田(とんだ)貯水池』というのは、市民の間で湖に喩えられています。
『貯水池』というからには、過去、人工的に作った水溜りだとわかります。
この辺りの土地は、標高が低い事が知られています。

過去、水害もあったと聞いています。
なぜならば、この辺りの土地は、縄文時代に「海進時代(かいしんじだい)」と言われる時代がありました。
長い縄文時代には、地球的に気温の高い時代があったので、海面が上昇していた時代がありました。
これが縄文時代の海進時代です。

ですから、この縄文時代の海進時代には、北九州市の洞海湾と北九州市の西を流れる遠賀川が合体していました。
そして、広大な浅い海を作っていました。
その浅い海に当たる場所が、この若松区の頓田(とんだ)貯水池の辺りです。

ですから、低い土地なので、水害も多い事が知られていました。

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なので、この頓田貯水池が人手で作られたのではないでしょうか。

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それは、ともかく、現代では、この頓田貯水池に訪れると、人は湖を感じるでしょう。

冒頭にも書いたように、北九州市には湖はありませんが、ここは湖を感じます。

人は、水が側にあれば、なんとなく、落ち着くもの。
他の土地でも「湖のある場所」というのは、なぜか、人は安らぐのではないでしょうか。
「なぜ、湖がそばにあったり、清らかな水の流れが近くにあると落ち着くのか」という自分の疑問の答えまではわかりませんが。

当然、この頓田貯水池の周囲には、遊歩道やサイクリング用の道路も敷かれています。
ゆったりと湖のような景色を味わいながら、市民が頓田貯水池の周囲を散策しています。
当然、ボートの貸し出しもされています。

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休日の市民の憩いの場所です。

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変わった所と言えば、この頓田貯水池のほとりには、写真にあるように、「大北亭(だいほくてい)」と呼ばれる中国式の建築物があることです。

「なぜ、中国式の建築物があるのか」を書きます。

中国の上海の近くに『西湖(さいこ)』と呼ばれる、美しく、古来から有名な湖があります。
「この北九州市の頓田貯水池の雰囲気が西湖に似ている」ということと、中国との友好記念ということで、現代中国の建築家が、この「大北亭」を当地に建設しました。

ですから、このような中国とは、あまり関係の無いような土地に、いきなり、中国様式の建築物が現れているわけです。

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ここからは余談です。
私も、かなり以前に海外旅行として、中国の上海を訪れました。
中国の上海を選んだのは、安・近・短を考慮したからです。

それに、その当時、中国の上海からやって来ていた中国人の二人と友人でした。
その中国の二人と友人が、上海に帰国したので、当然、現地を日本語でもガイドしてくれる、ということで、中国の上海を海外旅行先に選んだ、といういきさつもあります。

中国の上海を訪れる前に、上海の海外旅行雑誌を読んでいると、上海周辺の観光として、この「西湖」が紹介されていました。
ですので、「西湖に行ってみたいな」と思っていたのですが、私の友人である中国の方が言うには、私の旅行日程だと、この「西湖」に訪れる余裕が無かったのです。

ですから、最近、この頓田貯水池を訪れて、自分の過去の海外旅行先で行きたかった「西湖」を思い出していました。

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ちなみに、上海に訪れた際に、私は、「じかに自分の目で揚子江を見てみたい」と思っていました。
しかし、この揚子江でさえも、結構、上海から遠いです。

世界地図で見ると、上海のすぐ近くを揚子江が流れているように見えますが、実際には、かなり離れています。
この辺りが、「大陸の広さ」とでも言えるようなところでしょうか。

結局、揚子江は機上の窓から見ただけとなりましたが、それでも、自分の記憶にしっかりと残っています。

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(以下、過去記事、関連記事、及び、参考文献)
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『二千九百三十四:北九州市について_No.9』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2016/06/_no9-2ea1.html

■:『平尾台(ひらおだい)_2』

『二千九百:北九州市について_No.8』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2016/05/_no8-72d6.html

■■■:関門海峡の海底の土砂
■■■:関門海峡の通過時のみの船長
■■■:関門海峡の冬の濃霧
■■■:関門海峡のその他
■■:周防灘を訪ねる
■■:終わりに

『二千八百九十九:北九州市について_No.7』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2016/04/_no7-de34.html

■:北九州市の沿岸の概観
■■:玄界灘を訪ねる
■■■:千畳敷(せんじょうじき)
■■■:若松の岸壁
■■:境川
■■:関門海峡を訪ねる

『二千八百七十:北九州市について_No.6』
■:『平尾台(ひらおだい)』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2016/03/_no6-bba4.html

『二千八百五十二:北九州市について_No.5』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2016/03/_no5-5883.html

■:北九州市の概観
■■:「3 corners(スリー・コーナーズ)」のある街
■■:北部九州の街の合併
■■:街のミックス感、それ自体の価値
■■:「海峡都市」イスタンブールを含めて考える
■■:北九州市に似た街、「東京」
■■:結びに

『二千八百五十:北九州市について_No.4』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2016/03/_no4-27cd.html

■:過去の国境線、境川
■■:現代の境川
■■:現代に残されている国境石
■■:私の推測
■■:往時の国境線を偲びつつ

『二千八百四十四:北九州市について_No.3』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2016/02/_no3-f552.html

■:北九州市の歴史概観
■■:昔の行政区分から感じる事
■■:北部九州の古代の中心地帯
■■:北部九州での銅の産出、採銅所

『二千八百四十二:北九州市について_No.2』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2016/02/_no2-d208.html

■:北九州市の特色
■:関所の町
■:北九州市の地形

『二千八百三十九:北九州市について』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2016/02/post-c75d.html


                                        坂本  誠

2016年9月26日 (月)

二千九百九十七: 川の旅(独白)

旅の好きな人でも、時々は変わった旅を味わいたいと願うものだろう。
旅好きな人でも、「川の旅」を、現代で行う人は少ないかもしれない。

世界には大河と呼ばれる大きな川がある。
中国の揚子江やアフリカのナイル川、南米のアマゾン川、北米のミシシッピ川、黒海に注ぐドン川、あるいは、ヨーロッパで有名な川といえば、ライン川やドナウ川が挙げられるだろうか。
まだ、他にもあるだろう。

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日本列島の長さよりも長い川だと、大河を下るだけで、十分な旅ができる。
海の上の船旅だと、結構、退屈することが多い。
なぜならば、海の上だと、周囲360度に海が広がるだけなので、周囲の景色が変わらず、単調さを覚えることが多いから。

しかし、川での船旅は違う。
大河に沿って、様々な都市が作られている。
また、川沿いに独特な地形が広がっていることもある。
または、それこそ、海のように広い川面(かわも)を味わうこともあるだろうか。

また、川に沿って作られた都市を次々と訪問することもできる。
船の上が飽きたら、何日か、川沿いの都市を訪ねてみるのだ。
だから、都市めぐりの好きな旅人だって、川の旅でそれを味わうこともできる。

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しかし、川の旅を楽しめるのは、大河が流れている場所でしか、楽しめないだろう。
日本は島国だ。
だから、日本には大河が流れていない。

しかし、上に挙げたような大河だと、川下りをするだけでも、何日もかかるケースもある。
当然、船内ホテルもあると聞いたことがある。

だから、宿泊までも考慮した川の旅を、日本で味わうことは無いだろう。
外国に流れる大河での川の旅でないと、本格的なそれを味わうことはできないだろう。
なので、日本人にとって、「川の旅」を味わう、というのは稀な機会に入るだろう。

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現代だと、輸送機関が発達してきたので、人間は川の輸送よりも、陸上ルートを使った物資輸送の方が盛んだろう。
しかし、大河だと、現代でも、輸送ルートとして頻繁に使われているだろう。
大河は「古来よりの輸送ルート」という点から見ても重要だった。

だから、大河の歴史を知りつつ、川の旅をしてみるのも一興だ。

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私自体は「川の旅」をしたことが無いのだけど、なんとなく、やってみたい。
その旅は、他の自動車とか鉄道とか、あるいは空路を使用した旅とは、かなり違った感覚のように予想してしまう。

なぜならば、川の上の船中で何泊もするわけだ。
それは日常とは切り離された日々だろう。
自動車、鉄道、飛行機などで、大変忙しく、移動する旅ではない。
ゆったりとした船旅だ。
日常の時間から、隔離されることだろう。
また、船旅ではあるけれど、川の旅だから、刻々と移り変わる両岸の風景も楽しめる。

何カ国にも流れている川だと、訪れてみる都市のそれぞれの雰囲気の違いも楽しめることだろう。
川の旅で一風変わった趣を感じるかもしれない。

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以前は、川の旅をテレビで見かけたものだった。
しかし、今、私はあまり見かけることが少ない。

以前、見た事のある川の旅の、その多くは川を遡上する(さかのぼること)旅が多かったように記憶している。

だいたい、番組の最後に、川の源流を訪れるのだ。
そこで、旅人は思いにふけるのだ。

大河の上を、何日もかけて、遡ってきたので、その旅人は、それまではその川の雄大さを味わっていた。
しかし、その大河の源流に訪れると、もはや、川も小さいので、船から下りての移動になっている。

そして、その大河の源流を見て、旅人は呆然と立ちすくみながら、一つの感慨を得ている。
「あれほどの巨大な大河も、この小さな水の流れから始まっているのだ」と実感し、何かの不思議な自然の摂理を感じているのだ。

「どんな大河も、小さな水の一滴から始まる」というのは、当然と言えば、当然のことなのだけど。
今まで、旅人が味わってきた大河の水の豊富さと、源流地帯の清水の対比の巨大さに、圧倒されるのだろう。

「当然過ぎて、何気ない出来事の中に、一つの大きな不思議を感じる」というのが、川の旅での、私達がラストに味わえるハイライトなのかもしれない。

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このような非日常の経験を、大河の旅に、いや、小さな川でも、私達は味わえるかもしれない。


                                        坂本  誠

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