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2015年5月10日 (日)

二千四百七十九: 彼等のシステムを考える_No.6

二千三百八十一:彼等のシステムを考える_No.5』の続きです。
久しぶりの『彼等のシステムを考える』シリーズです。

色々言われるに、「彼等」+ レプティリアン + アヌンナキが私達の社会を作ってきた、と言われるので、「私達の社会システムを、生まれて初めて見た」という視線で、見直してみる記事です。
一緒によく見直してみましょう。

「生まれて初めて私達の社会を見た」という感じでですね。
ちょっと、繰り返しにもなりますが。

「生まれて初めて見る」あるいは「赤ちゃんのような視線で見る」ということですから、ある意味、「タブーを考える」という感じにもなるでしょう。
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●恋愛:

私達の社会の恋愛スタイルを考えてみましょう。
「誰もが、常日頃、誰かを愛する」というのは、これは実は当たり前の事です。
しかし、私達の日常生活では、「誰かを愛する」というのは、まるでタブー視されているように感じられないでしょうか。

普通に恋人のいる人も、あるいは、結婚相手のいる人だって、街の通りすがりの自分好みの異性に一瞬の恋心を抱くものです。
これは全ての人が例外無しにあることでしょう。
しかし、私達の社会では、あえて、それを「不埒な心の持ち主」という感じで、その出来心を卑しめられているように感じないでしょうか。

よく報道でも、ある学校の先生と生徒が恋仲になり、それが露見して、「邪悪の行為が、ここに発覚した」という感じで、教師の側が懲戒免職になるというケースが報道されています。
しかし、私達の記憶あるいは私達の経験を思い出してみましょう。

どんな生徒でも、異性の教師に恋心を抱いている事がわかります。
普段、それが公に言われないだけですね。
また、教師の方でも、本来、子供が好きであるから、教職を選んだというケースが多いです。
ですから、教師の方でも人間なので、子供が基本的に好きであり、日々、自分の職場に出ると、その職場に自分より年下の異性に心を抱くケースなんて、逆に、それが当然である事がわかります。
普段、それが公に言われないだけですね。

また、ちょっと恥ずかしい話でもありますが、私達の誰でもあるように、「Aさんが好き。Bさんも好き。Cさんも好き。Dさんも、、、」というのは、こちらのほうが、ごく普通である事がわかります。
それと同様に、「Aさんが1番目に好き。Bさんが2番目に好き。Cさんが3番目に好き。Dさんが、、、」というのも、これも、こちらのほうが、ごく自然である事がわかります。
中には、本当に相思相愛のカップルもいるようですが、このようなカップルは、私達の社会にほとんどいない事も事実である事がわかります。

ですから、学校でも、私達は普段、自分の肉体がありますが、もし、仮に私達が肉体の無い存在であり、心だけの存在だとすれば、多くの生徒と多くの教師の間の恋心が見えるのが当然になるでしょう。
また、もし仮に私達が肉体の無い存在であれば、その世界だと、男女の恋の数は、私達の世界の少なくとも、何万倍もあることがわかります。
その当然の状況を、私達の社会では、「悪徳である」と決め付けて、報道の上で、さらし者にされるわけです。
どんな人間でも、学校の頃、異性の先生に恋心を抱いたのにも関わらずにですね。

ですから、その「悪徳である」と言われている生徒と教師の間柄を見て、周囲の人間達が、「自分達はそれを禁じられていたのに、当の彼等は平然と掟を破った」という嫉妬に駆られての、見せしめが行われた、と考えるべきではないでしょうか。

上からもわかるとおり、本来、私達の社会は、男女の愛にしても、私達が想像する以上に、かなり多くの愛の件数が存在している事がわかります。
そして、彼等の社会システムでは、その男女の愛も踏み殺す必要性があって、かなり数多くの男女の愛を絞め殺している事に気が付きます。

これは、学校だけではなく、普通の職場でも言えることです。
多くの職場は男女がいます。
その多くの職場では、結婚相手のいる人物もいますが、それでも、そのような人物を愛する異性なんて、当然のようにいる事がわかります。
ただ、その当然の状態を、「それこそが、社会的な背徳行為なのだ」と、スパルタ形式の社会システムを作っていることがわかります。

そう、彼等の社会システムがここでわかります。
彼等は大衆の支配を好みますから、自然と社会システムをスパルタ形式にしないといけないことがわかります。
彼等の社会システムの特徴は、『スパルタ形式』なのです。
そして、あたかも、「その『スパルタ形式』こそが唯一の素晴らしい事なのだ」、と、強制的に大衆に思い込ませなければいけません。
ですから、彼等は様々なルールや規則を作るのです。

まあ、この段落は恋愛について考えていますので、ついでながら、自分の事を書かせていただくなら、恋人募集中とでも書いていれば良いでしょうか。
さりげなく、書いておこうかな、、、
なんか、堅い事ばかりを考えている私ではないですからね、、、
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この段落は「恋愛」編です。
以前、「結婚」編を書きましたが、この段落は似ていますから、再度書かせてください。

上のほうでも、「恋愛」についての考えを書きましたが、今度は、私達の一般の恋人同士を考えてみます。
普通、男女二人の恋愛については、親とか周囲の人々はノー・タッチである事が望ましいとされています。
なぜならば、「恋愛」というものは、当事者同士の男と女の間で生まれる感情です。
なので、ですから、その恋愛については、その男女二人だけの間で生まれているので、周囲の人が何かの文句を言えない筈です。
恋愛の自由と言えるでしょうか。

しかし、事、結婚については違ってきます。
男女の恋愛の段階だと、周囲の人々は基本的にその男女の間柄に何も言えません。
しかし、恋愛の一段階進歩した結婚になると、なぜか、行政に対して、結婚届が必要です。
つまり、その男女が恋人同士の関係だと、国家の監視が無いのに、一段階進歩した結婚になると、突然、国家が監視しだすのです。
これ自体が非常に不思議に感じないでしょうか?
どうして、結婚の間柄の男女を国家が監視しないといけないのでしょうか。
その男女の間柄である結婚の証拠を国家に差し出さないといけないのです。
これはなぜでしょうか?

まるで、「国家」という別の仲人がいて、あたかも、結婚をした男女の二人の間柄を、「国家」という仲人がその二人の間柄を取り持っているかのようです。
だから、やれ、離婚の際には、「高い慰謝料が必要だ」となって、まるで、その仲人から「どうだ、離婚が怖いだろ」という脅しが付けられており、愛情の冷めた男女の二人でも強制的に縛っていると人々は感じるでしょう。

つまり、一旦、結婚の段階になると、国家の監視を付けるわけです。
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なぜ、国家が監視をつけるかを考えてみます。
つまり、これは人数の頭数を把握するために行われている事がわかります。

結婚して子供が出来たら、役所に出生届を出すのを義務付けられています。
このような形にして、国家の内部の人数の頭数を把握するわけです。
そして、その人数把握の理由を考えます。
つまり、人数を把握し、その結果、税金の徴収額を考えたりするわけです。
あるいは、子供の出生届が役所に出されますから、当然、住所も把握されるわけです。
どこに誰が住んでいるのかを把握したら、国家が全ての国民を監視・支配できるようになります。

これが私達の社会の国家の目的、強いては、「彼等」+ レプティリアン + アヌンナキの支配型の社会システムである事がわかります。
当然、支配が目的ですから、どこか他の国より、自分のちからの方が強い状態でなければいけません。
つまり、国同士の競争精神が生まれます。
ですから、私が思うに、「どうして、多くの国々が競う必要があるのだ?」と感じます。
(しかし、これこそが彼等の社会システムなのです。)

ホントは、国同士で競う必要も無いと思います。
どんどん、協調精神から離れていきますからね。
その、「他の国よりも、私達の国の方が上手なのだ」あるいは「他の国よりも、私達の国の方が威張れるのだ」あるいは「優越感を感じる事が出来る」となると、これこそ、世界平和が欠けていくというものです。
また、これを「彼等」+ レプティリアン + アヌンナキが狙っているのだから、人々が彼等の愚かさに気付く事が大事だと思います。
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最後に、上に書きましたが、国家の税金徴収とか、人々の支配について考えてみます。

現代社会だと、税の徴収などは、「公務員の給与のため」と説明されるようです。
しかし、昔から、税の徴収を行う人の事を「租税者」とか言われて、忌み嫌われていたように、古来より、どこの国の公務員も煙たがられているようです。
あまり、公に言われる事は無いみたいですが。

日本国憲法の第15条によると

  ②:すべて公務員は、全体の奉仕者であつて、一部の奉仕者ではない。

とあります。
ですから、私の住む国の日本国憲法の条文を見る限り、少なくとも日本の公務員というのは、あたかも多くの国民を下から支えるような、「縁の下のちから持ち」のような雰囲気で書かれています。
ところが、古来より様々な国の公務員は、多くの人々から徴収し、かつ、「これは国家の考えた事である」と強調して、多くの人々に命令を下すようなスタイルを続けているので、「国民を下から支えるような、縁の下のちから持ち」ではなく、多くの人々の上に立って、命令を下す支配者的な存在のように多くの人々は感じないでしょうか。

ですから、多くの人々も、他の国のケースまではわかりませんが、私の住む国の日本国憲法の条文に記載されている公務員の雰囲気と、実際に現実に見る公務員の雰囲気に違いがあるのを感じるでしょう。
まあ、現実の公務員とは、「全体の奉仕者」ではなく、私達から徴収し、かつ、「これは国家の考えた事である」と言いながら、多くの人々に命令を下す支配者的な存在のように目に映りはしないでしょうか。

これも、長く続きすぎた彼等の社会システム(支配者システム)の負の遺産のように私は感じます。

(以下、新ブログ『光と輝き』からの過去記事、関連記事、及び、参考文献)
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『二千三百八十一:彼等のシステムを考える_No.5』
●金融編
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2015/01/_no5-6609.html

『二千三百七十八:彼等のシステムを考える_No.4』
●所有編
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2015/01/_no4-9eb6.html

『二千三百七十四:彼等のシステムを考える_No.3』
●所有編
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2015/01/_no3-473e.html

『二千三百七十一:彼等のシステムを考える_No.2』
●労働編
●法律編
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2015/01/_no2-bc53.html

『二千三百六十九:彼等のシステムを考える』
●お金編
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2015/01/post-c4de.html

 

                                        坂本  誠

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