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2017年9月21日 (木)

三千百七十七: 『劇場版 マジンガーZ / INFINITY』の予告編を見て

こんばんわ。

『劇場版 マジンガーZ / INFINITY』予告編1を見る機会がありました。

かつて、テレビ放映された、有名な『マジンガーZ』が、銀幕の中で蘇るそうです。

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その予告編が、ネット上で流されていたのを見かけました。

この『劇場版 マジンガーZ / INFINITY』の上映は2018年1月13日だそうです。
もちろん、この原稿を書いている今現在では、映画も封切られていないため、予告編を見ての感想なのですが、テレビ放映されていた時のマジンガーZの思い出も踏まえながら、それらの感想を書いてみたいと思います。

この記事中に引用している写真は、以下のビデオから引用させて頂きました。

『劇場版 マジンガーZ / INFINITY』予告編1
https://www.youtube.com/watch?v=OsX5GeOP-kE

また、劇場版のためのポスターと思える絵は、以下のサイトから引用させて頂きました。

『劇場版 マジンガーZ / INFINITY』 | 2018.1.13 SAT
http://www.mazinger-z.jp/

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このマジンガーZは、テレビ放映されて、大変な視聴率を上げたことでも有名であり、そのあらすじなり、詳細なりは、多くの人の知るところでしょう。

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また、海外でも、このマジンガーZは、かなり知られていると聞きます。

マジンガーZは、その後、幾つかのシリーズも生み出しましたが、実質上、この初代のマジンガーZ一機のみで、全てのストーリーを作ることは可能だったと思います。

ですので、マジンガーZ、一本を論じれば、この巨大ロボット・シリーズの根幹に存在するものを語ることが出来ると思います。

また、『マジンガー・シリーズ』だけでなく、その後の日本アニメ界や漫画界に至るまで、巨大ロボットの登場する作品が、様々に現れますが、実質上は、この『マジンガーZ』が開祖であります。

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それまでにも、大きなロボットが登場する、何らかのSF作品はありました。

しかし、それまでのロボットものと決定的に違ったのは、「ストーリー中の主人公達が、直接、巨大ロボットの中に、搭乗して、その巨大ロボットを操縦する」という点でした。

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そして、引用しているポスターと思える写真を見てもわかるように、その巨大ロボットの、そびえ立つ雄姿を見ると、誰もが、その姿に巨人を感じることでしょう。

私は、「巨人を感じることでしょう」と書きましたが、その文章は次のように書き換えることも出来るかもしれません。

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  「巨人を思い出すことが出来るでしょう」

と。

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古来より、人間は巨人を恐れてきました。

有名な画家の作品にも、巨人が現れ、多くの人々を追いかけ回す絵画が描かれているものもあります。

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西洋にも、東洋にも、上記の画家の作品のように、巨人伝説が幾つか存在しており、それらの巨人伝説は、ことごとく、人類に対しての脅威を描いています。

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人間のちからを遥かに超えた、巨人が人間を襲ってくるのですが、その幾つものストーリーは、洋の東西を問わず、一貫しているようです。

ですから、このマジンガーZというものも、古来より、人間が語り継いできた巨人伝説の延長線上に存在していると考えても差し支えは無いと思います。

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ですから、多くの人々が、この「マジンガーZ」のタイトル中の言葉「マジン」を見て、「魔神」と読めたことでしょう。

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古くから語られてきた巨人伝説の現代バージョンが、この「マジンガーZ」と言えます。

現代科学の粋を結集して、この「マジンガーZ」は、作り上げられます。

それは、人類を襲ってくる敵から防御するためのロボットでした。

しかし、その巨大ロボットの甚大なる、ちからが、もし、人類に向けられれば、それは人類を容易に滅ぼすちからであることでしょう。

テレビ放映中でも、幾つか、そのように語られていたと記憶しています。

マジンガーZは人類の味方であるのですが、引用しているポスターと思える写真を見ても、読者の方々が感じるように、「ある意味、巨人の恐ろしさが描かれている」と感じるでしょう。

ポスター中では、雨が降っているのでしょうか。

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その雨に濡れながら、マジンガーZの雄姿がそびえ立っています。
しかし、そのマジンガーZの雄姿の背後には、何かの巨大な「影」が描かれているようです。
この、黒っぽい「影」は、「マジンガーZは、本来、人間の恐れるべき、魔神である」との証(あかし)、あるいは象徴(しょうちょう)として描かれているのかもしれません。

しかし、マジンガーZの役目自体は、人類を守ることですから、同絵画中に描かれている、マジンガーZの胸から、白い光が差しているのではないでしょうか。

その胸から放出されている、白い光こそが「マジンガーZは人類の味方である」という、象徴だと感じます。

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テレビ放映されていた『マジンガーZ』のオープニング・ソング中にも、「空に そびえる 鉄(くろがね)の城」というフレーズがありました。

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この『劇場版 マジンガーZ / INFINITY』の予告編中にも、現代の銀幕によみがえった、マジンガーZが、地上を歩きますが、昔のテレビ時代と変わらず、その姿は、「歩く城」という表現がふさわしいでしょう。

そして、マジンガーZは、今回も、敵である機械獣(きかいじゅう)達に立ち向かっていくようです。

以前は、テレビの中で、マジンガーZは大暴れしたものですが、今度は、映画の大スクリーンの中で、大暴れするようです。

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冒険活劇ものとしても、大変楽しめる作品「マジンガーZ」ですが、シリアスな部分もあり、それが、現代によみがえった巨人伝説の一つとしても、描かれているようです。

その巨人の甚大なる、ちからが、人々の眼前に、放出されるわけです。
アニメではありますが、この作品を通して、「巨人の、ちから」を、人は考えると思います。

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『劇場版 マジンガーZ / INFINITY』の予告編から、幾つかのセリフを引用させて下さい。

現時点では、まだ、公開されていない作品でもあるので、どのキャラクターが語ったセリフであるかがわからない部分もあります。

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ですので、キャラクターのわからないセリフについては「男1、男2、女1、女2」と表現させてもらっています。

私の気になった部分は、太字にさせて頂きました。


『劇場版 マジンガーZ / INFINITY』予告編1
https://www.youtube.com/watch?v=OsX5GeOP-kE



(以下、同ビデオより引用)
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◆Dr.ヘル:
「久しぶりだな、人類よ」

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△男1:
「見ろよ、兜 甲児(かぶと こうじ)じゃねえか」

▲男2:
「内部に生命反応です!!!」

○女1:
「そんな、、、今の人類に勝ち目なんて、、、!?」

●女2:
「この世の存在に値しますか?」

Z_16

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(引用終わり)

 

Z_23

 

今から、公開日に向けて、ワクワクしますね。


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                                       坂本 誠

2017年9月12日 (火)

三千百七十二: 「マクロス フロンティア」を見て_No.4

こんばんわ。

三千百六十六:「マクロス フロンティア」を見て_No.3』の続きです。

この記事では、特に、マクロスの芸術的な側面について書いてみようと思います。
引用した写真は、「マクロス フロンティア」の『最終話 アナタノオト』からの引用です。

記事中に掲載した写真をクリックすると、画像が拡大します。

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下の写真が、ヒロインの歌手シェリル・ノームです。

Macross__2

 

 

初代マクロスでは、歌手はただ一人、リン・ミンメイでしたが、それ以降に新たに制作されているマクロスのスピン・オフ作品では、歌手が複数人出てくるケースもあります。

この「マクロス フロンティア」にも、もう一人の歌い手が出てきます。
それが、下の写真のヒロインである、ランカ・リーです。

Macross__3

 

主役を登場させていますから、ヒーローの方も紹介しておきます。
下の写真が、ヒーローの早乙女アルトです。

Macross__5

 

 

この、「マクロス フロンティア」では、『主人公』として、上の3人が設定されています。

多くの娯楽作品では、主人公というのは、たった一人ですが、このマクロス・シリーズは、初代マクロス以来、ほぼ、3人が主人公扱いされています。

その3人の男女の三角関係が描かれるのが、このマクロスの各シリーズの伝統となっています。

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また、このマクロスの各シリーズの骨子ともなっているのが、ヒーローのパイロット役です。

マクロスは、一応、SFアニメでもあり、異星人との攻防が描かれますので、それを防衛するために、パイロットがバルキリーという、ロボットに変形する戦闘機に搭乗します。

ですから、パイロット達の生活も描かれています。

空中でのバトル・シーンも有名な、マクロスの各シリーズです。

ですから、飛行機の華麗な、空中の舞いも同作品中に描かれています。

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その、飛行機の空中の舞いに沿うかのように、ヒロイン達の歌声が絡んで来るのが、このマクロス・シリーズの特徴でもあります。

Macross_6

 

ですから、ヒロイン達の歌声やしぐさも、大空を舞う飛行機のように、空に舞い上がります。

私達でも、時折、見かけることのある、アクロバット飛行があります。
航空ショー等で開催されますね。

その、航空ショーのアクロバット飛行時に、航空機が、色の付いた飛行機雲を出して、飛行する時があります。

そして、その色の付いた飛行機雲が、遠く、薄く重なり合うのを見て、美しさを感じる人もいると思います。

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当然、この、マクロス・シリーズでも、そのような、航空機の舞いと、歌手の歌声が重なり合って、海の波を描くような、美しい軌跡を描くシーンが多いことが知られています。

Macross_8

 

頻繁に、そのシーンが多いわけではありませんが、今回、ご紹介している、マクロスの最終話とか、他のマクロス・シリーズでも、よく、最終回に相当するシーンに、その、アクロバット飛行時のような、シンガー達の歌声が、重なり合う光景を目にする事が出来ます。

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ちょっと、詳しく書いたら、一つの波と、もう一つの波が、影響し合って、同じような波を描く現象を「同期(どうき)」と言います。

しかし、この日本語で、「同期」と書くと、堅い感じがしますので、他の人々に受け入れやすい言い方をすれば、「シンクロしている」と言えるでしょう。

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この、「マクロス フロンティア」でも、最終話となると、最大の見せ場ですから、大空を舞うパイロット達の動きと、歌手達の歌声が「シンクロ」するように描かれて来ます。

Macross_10

 

特に丁寧に描かれているのがわかります。

別々の場所にいる、シェリルとランカですが、画像を通して、両者が見られるようになり、その二つの歌声が、「シンクロ」してきて、やがて、大宇宙になびく、一つの糸のように、絡んでいきます。

そして、その一つの歌声に波乗りをするかのように、ヒーロー、早乙女アルトの搭乗機が、宇宙空間の遠方(おちかた)へと突き抜けています。

一羽の鳥のように。

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初代マクロスでも、このようなラストが描かれていました。

Macross_11

 

やはり、SFアニメでもあり、同時に歌手アニメでもありますから、このような、壮大な雰囲気のあるスペース・オペラとなってくるのでしょう。

また、このように、音楽アニメでもありますから、芸術的にも十分に鑑賞できる作品となっていることもわかります。

音楽が綺麗だと、当然、背景や、アニメ中の動きも、どことなく、芸術的に描かれることがわかります。

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また、音楽だけでなく、じっと目を凝らしてみると、「背景」の絵も、凝っていることがわかります。

かなり、精密に背景を描いていることもわかります。

Macross_12

 

アニメですから、キャラクターは動きますが、そのキャラクターの背景には、動かない絵が描かれます。

その背景画にも、かなりのちからを入れて描かれていることがわかります。

引用して、ご紹介している写真中には、異星生物のヴァジュラの惑星が描かれています。

最終回のラストで、地球人類(プロト・カルチャー)は、ヴァジュラの惑星上に立つのですが、その、ヴァジュラの惑星の背景画も、非常に美しく描かれています。

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私達は、このマクロス・シリーズを総合芸術として鑑賞することが出来るでしょう。

(以下、『最終話 アナタノオト』より引用)
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●ランカ・リー:

「あの、シェリルさん、、、私、負けません! 歌も、恋も!」

◎シェリル・ノーム:

「うふ、、、受けて立つわ!」

Macross__guwashi

●ランカ:

「シェリルさん、、、」

◎●シェリル&ランカ:

「ここから、始まるんだね!!!」
-------------------------------
(引用終わり)

 

Macross_last_2



(以下、過去記事、関連記事、及び、参考文献)
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『三千百六十六:「マクロス フロンティア」を見て_No.3』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2017/08/_no3-1dd9.html

(以下、『「マクロス フロンティア」の「フレンドリー・ファイアー」』より引用)
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クラン:
「、、、」

  (※筆者注:ここで、クランがミシェルをひっぱたく)

_6

ミシェル:
「何すんだよ!」

クラン:
「バカ!」

_7

-------------------------------
(引用終わり)

『三千百六十一:「マクロス フロンティア」を見て_No.2』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2017/08/_no2-6d07.html

『三千百五十九: 「マクロス フロンティア」を見て』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2017/08/post-6dea.html

『二千四百七十三:「超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか」を見て_No.8』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2015/05/_no8-641a.html

『二千四百四十:「超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか」を見て_No.7』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2015/03/_no7-3898.html
>

(以下、旧ブログ『悲喜憐偉』側の記事)

『二千六百六十九:「超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか」を見て_No.6』
http://hikirini.blog.bbiq.jp/blog/2012/11/_no6-d396.html

『千三百十五:「超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか」を見て_No.4』
http://hikirini.blog.bbiq.jp/blog/2011/10/_no4-6088.html

『七百三十八:「超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか」を見て_No.3』
http://hikirini.blog.bbiq.jp/blog/2011/01/_no3-5b33.html

『七百二十五:「超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか」を見て 』
http://hikirini.blog.bbiq.jp/.s/blog/2011/01/post-ff12.html

 

                                        坂本 誠

2017年8月26日 (土)

三千百六十六: 「マクロス フロンティア」を見て_No.3

こんばんわ。

三千百六十一:「マクロス フロンティア」を見て_No.2』の続きです。

この「マクロス・シリーズ」というのは、初代マクロスからそうなのですが、企画の段階から、「現在の全てのアニメの要素を、この作品マクロスに取り込もう」というのが、骨子だったそうです。

ですから、このアニメには、恋愛アニメの要素まで、当然、取り込まれています。

SFアニメでもあり、音楽アニメでもあり、恋愛アニメでもあり、かつ、同時にロボット・アニメでもあります。

ですから、視聴者の側は、様々な角度から、同アニメを楽しめるように、ストーリー作りがなされています。

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当然、この「マクロス フロンティア」でも、恋愛アニメの側面が描かれています。

この段落では、この「マクロス フロンティア」の恋愛アニメの側面について、私が気になった部分を語ってみます。

私が気になった回は、第9話『フレンドリー・ファイアー』です。

当記事で引用した写真は、当然、「マクロス フロンティア」の第9話『フレンドリー・ファイアー』からの引用です。

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「クラン」というのが、プロトカルチャー(地球人類、マイクローンとも言う)から遺伝子工学によって生み出された女種族の巨人、メルトランディ軍の女性兵士です。
下の写真が、遺伝子工学技術によって、マイクローン化されたクランです。

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そして、下の写真が、プロトカルチャーである、ミシェルです。

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クランは、ミシェルへの思いを胸に秘めていますが、もちろん、なかなか言い出せません。

そして、ミシェルも、クランへの思いがありますが、クランよりも徹底して、その思いを見せることがありません。

女性である、クランの方が、その思い、ミシェルへの恋愛感情が、時々、スクリーン上に流れ出てきます。

しかし、あえて、ミシェルの方は、クランの、その思いには気づかないように生活を続けています。

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ストーリーが進むにつれて、クランの方が、「どうして、あなたは私の思いに気が付かないのか?」という感じになってきます。

そして、私達の現実の男女の世界でもありますが、相手のことが好きにも関わらず、かえって、相手に対して、冷たい行動を取ってしまうのです。

男女の間に見られる、婉曲的な愛情表現ですね。
その婉曲的な愛情表現が、この「マクロス フロンティア」にも描かれています。

少しだけ、このシーンに至るまでの、あらすじを書きます。

ミシェルは、過去の自分の心の傷を思い出し、任務上で、味方を撃ってしまいそうになります。

ミシェルは傷心しながらも、自分の心の傷を打ち消すためにか、就寝時間を超えてまで、宇宙空間に出て、射撃訓練をします。

クランはそれを心配して、ミシェルの側にやって来ます。

そのシーンを以下に引用します。


(以下、『フレンドリー・ファイアー』より引用)
-------------------------------
クラン:
「もう、就寝時間だぞ」

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ミシェル:
「あ」

クラン:
「眠れないのか?」

ミシェル:
「おせっかいなら、勘弁してくれ、クラン。相手、する気分じゃない」

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クラン:
「私は、ただ、、、おまえが、ジェシカのことで、、、」

ミシェル:
「関係無い! 多分、寝つけないのは、一人寝が寂しいせいかもな」

クラン:
「また、おまえは、そう言う」

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ミシェル:
「それとも何? クラン? おまえが今夜、相手をしてくれるとでも言うのか?」

クラン:
「ま、、、」

ミシェル:
「無理か。マイクローンになった、おまえに手を出したら、淫行罪で捕まっちまう」

クラン:
「、、、」

  (※筆者注:ここで、クランがミシェルをひっぱたく)

_6

ミシェル:
「何すんだよ!」

クラン:
「バカ!」

_7

-------------------------------
(引用終わり)

このシーンで、面白いのは、巨人化した(本当のボディである、クランのままの姿で)、クランが、ヴァルキリーに搭乗している、ミシェルを、そのまま、ひっぱたくことです。

女巨人である、メルトランディ族のクランの身長は、約15メートルでしょうか。

ですから、身長約15メートルの巨体で、何かの物体を殴りつけるだけでも、殴られた物体は、大変な衝撃がかかる筈ですが、その辺りは、アニメですからね。

現実社会で、このシーンの、衝撃の激しさを想像してみるならば、車長約15メートルの大型トラックが、走って来て、どこかに接触する時の、光景を思い浮かべたら、だいたい想像がつくでしょう。

このギャップが、あるところも、アニメの面白さの一つだと思います。

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本題に帰るのですが、直接に、自分の愛情を伝えないと、回り回って、上記のような、男女の間のたわいもないケンカに発展するのですが、これと似たようなケースは、私達の世界である、男女の間にも数知れずあることでしょう。

というのも、「どうして、このような、婉曲的な愛情表現が行われるのか?」とか、あるいは、愛情とは逆のような行為、「自分の愛情に気付いてもらいたいからこそ、なんとなく、相手をいじめてしまう」という行為が、なぜ、起きるのか、というと、「正面切って、相手に告白してしまえば、相手に振られてしまうのではないのか? 相手は私のことを、そんなに好きではないかもしれないので。それが恐ろしいからこそ、私は、あえて、婉曲的な愛情表現を実行してしまうのだ」というのが、その、ほとんどの原因ではないかと、感じたりします。

いつの時代になっても、どんな環境になっても、男女の恋愛に勇気を出すことは、難しいことだと感じてしまいます。


(以下、過去記事、関連記事、及び、参考文献)
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『三千百六十一:「マクロス フロンティア」を見て_No.2』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2017/08/_no2-6d07.html

『三千百五十九: 「マクロス フロンティア」を見て』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2017/08/post-6dea.html

『二千四百七十三:「超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか」を見て_No.8』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2015/05/_no8-641a.html

『二千四百四十:「超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか」を見て_No.7』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2015/03/_no7-3898.html

(以下、旧ブログ『悲喜憐偉』側の記事)

『二千六百六十九:「超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか」を見て_No.6』
http://hikirini.blog.bbiq.jp/blog/2012/11/_no6-d396.html

『千三百十五:「超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか」を見て_No.4』
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『七百三十八:「超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか」を見て_No.3』
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『七百二十五:「超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか」を見て 』
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                                       坂本 誠

2017年8月11日 (金)

三千百六十一: 「マクロス フロンティア」を見て_No.2

こんばんわ。

三千百五十九: 「マクロス フロンティア」を見て』の2段目です。

日本アニメである「マクロス」には、幾つかのシリーズがあります。
各々のシリーズでは、それぞれ、ストーリーが違っているのですが、それらのメイン・ストーリーは、ほぼ同一であることが知られています。

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SFアニメでもある、「マクロス」は異星人と交戦が描かれるのですが、ストーリーが終わりになるにつれて、「歌が戦争を終わらせる」というのが、メイン・ストーリーになっているようです。

そして、歌が出てきますので、歌手が出てきます。
その歌手を務めるのが、同シリーズ中での、ヒロインの存在達です。

ですから、この「マクロス」シリーズは、SFアニメと同時に、歌アニメとも言える作品です。
「歌アニメ」ですから、当然、シリーズ中に、多くの挿入歌が出されているので、音楽鑑賞できるところも、この「マクロス」シリーズの面白い点です。

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「超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか」では、歌手の存在が、リン・ミンメイという一人の歌手が努めました。

今回、私が見た「マクロス フロンティア」では、二人の歌手が登場しました。

当然、歌アニメでもありますから、歌手の人生が描かれます。
「マクロス フロンティア」では、二人の歌手が登場しますので、その二人の歌手の人生行路と生き様の交錯ぶりが描かれています。

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「マクロス フロンティア」中で現れる、『銀河の妖精』と言われていたシェリル・ノームという女性が、挫折を味わい、「もう、私、二度と歌わない」と、劇中の主人公である早乙女アルトに伝えます。

_2_2

 

この原稿を書いている今現在では、「マクロス フロンティア」のDVDを返却してしまったので、歌手や歌手に関わるキャラクターのセリフを完全には覚えていないので、申し訳ないのですが、記憶している限りで、だいたい、劇中で語られていたセリフを書いています。

そして、主人公、早乙女アルトは、当然、シェリル・ノームに向かって、「絶対に、おまえは歌うことを辞めないだろう」等のセリフを伝えながら、彼女を励まします。

歌手の人生と、SFアニメの融合がなされているのですが、当然、歌手が歌う環境も、どことなく現代(2017年)の都会環境に似ています。

このように、登場人物達の生活環境が、どことなく、現代(2017年)の環境と似ているので、それとは対照的な宇宙空間をバックにした、異星人との戦闘シーンにも、違和感が少なく、受け入れられるのが、「マクロス」シリーズの面白い点です。

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ところで、主人公、早乙女アルトが、シェリル・ノームを励ますセリフがあるのですが、私も詩を書いたりするので、「私が脚本家だったら、このセリフを、どう書いただろうか?」と考えました。

「替え歌」というものが、ありますが、それと同じ表現をすれば、「替えセリフ」と言えるでしょうか。
私は、その「替えセリフ」を、ポエムチックに考えてみたのですが、

  「やがて、おまえの歌が、おまえを取り戻すために、やって来るだろう」

  'Soon , Your songs shall come to you . To get you back .'


(以下、過去記事、関連記事、及び、参考文献)
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『三千百五十九: 「マクロス フロンティア」を見て』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2017/08/post-6dea.html

『二千四百七十三:「超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか」を見て_No.8』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2015/05/_no8-641a.html

『二千四百四十:「超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか」を見て_No.7』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2015/03/_no7-3898.html

(以下、旧ブログ『悲喜憐偉』側の記事)

『二千六百六十九:「超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか」を見て_No.6』
http://hikirini.blog.bbiq.jp/blog/2012/11/_no6-d396.html

『千三百十五:「超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか」を見て_No.4』
http://hikirini.blog.bbiq.jp/blog/2011/10/_no4-6088.html

『七百三十八:「超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか」を見て_No.3』
http://hikirini.blog.bbiq.jp/blog/2011/01/_no3-5b33.html

『七百二十五:「超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか」を見て 』
http://hikirini.blog.bbiq.jp/.s/blog/2011/01/post-ff12.html


                                       坂本 誠

2017年8月 8日 (火)

三千百五十九: 「マクロス フロンティア」を見て

こんばんわ。

私のブログの映画シリーズの中で『「超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか」を見て』という一連の過去記事があります。

映画「超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか」以外に見たことが無いので、ちょっと興味が湧いて、公開されているマクロス・シリーズで「面白そうなものは無いか」と探していました。

そして、「マクロス フロンティア」シリーズを見られる機会がありました。
面白い作品でした。
現代では、レンタル・ショップに行くと、過去のアニメ・シリーズでDVD化されているものならば、関連DVDを全部借りて、時間の許す限り、一挙に見られるのが良いところだと思います。

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このマクロス・シリーズは、そのほとんどが、勧善懲悪(かんぜんちょうあく)ものの作品が多いと思います。

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このシリーズに限らず、その他の日本アニメや、世界の小説やドラマでも、勧善懲悪ものの作品が多いものです。
ですから、数多くの悪役が出てきます。

映画や芝居やアニメを鑑賞する側の人達には、あまり知られていないことかと思うのですが、悪役や敵役を演じる方にとっては、それらの役は、結構、荷の重い仕事だそうです。

ですから、作品が終了した際等には、悪役を演じた方々に対して、スタッフ一同からの「慰労会」や「ねぎらい会」が開催される時もあるそうです。

もちろん、作品を創作する創作者自身も、悪役の動きや、心理状態を作らないといけないので、創作者の方にとっても、荷の重い仕事だと思います。

しかし、多くの勧善懲悪ものの作品中で、悪役が悪行を演じてくれるからこそ、正義側に立っているヒーローやヒロインが際立つことが出来、あるいは、作品全体に面白さを与えたり、作品全体の締まりを良くするので、劇中の悪役を演じるのは欠かせないことであり、また、重要な役柄でもあります。

ですから、劇中で、悪役を演じる方々に対して、心からなるお礼や、ねぎらいの心を、視聴者の側からも伝えさせて下さい。

大変な役柄を演じて頂き、ありがとうございました。

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ここまでは前書きでした。

この「マクロス フロンティア」シリーズでも、悪役が出て来て、ヒーローやヒロインは、劇中で、その悪役と対峙していきます。

「マクロス フロンティア」シリーズで、私にとっては印象的な悪役が出て来ましたので、特に、この手の内容の事が思いついたので、以下のように書かせて頂きました。

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多くの日本アニメや、世界中の数多くの劇中の悪役もそうですが、そのほとんどが「独裁者」として描かれているのに気が付きます。
数多くの悪役は、「独裁者」という断りは無いものの、その悪役の個性や心理のパターンが一致しているからです。

20110213201400

 

読者の方々も思い出せるように、勧善懲悪ものの作品に出てくる悪役というのは、自己中心的で、周囲の人々を支配しようとします。
「支配」というのは、その悪役の周囲の人々を、「自分の思うがままに、強制的に操作したい」という心理状態です。

あるいは、自己中心的ですから、周囲の人々が、どんな状況になろうと、自分一人が優位な状態になろうとします。
その状態自身も、「支配的」とわかるでしょう。
その自己中心的な悪役も、彼(あるいは彼女)一人が優位な立場に立って、「周囲の人々を強制的に操作したい」つまり「支配」の心があることがわかります。
ですから、世の多くのドラマ中の悪役の心理状態を一言で言い表すと、「独裁者」という表現で現せると思います。

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世の多くのドラマ(私達の現実社会をも含むとわかるでしょう)中の悪役というのは、「周囲の人々と共に、調和とか安らぎとか幸福を一緒に得よう」という発想が無いのに気が付くと思います。

悪役の喜びというものは、「周囲の人々を、彼の下に踏んづけて、思うがままに操作している」という、支配の喜びが中心となっているのに気が付きます。

私達でも、周囲を見回すと、Aさんがいて、Bさんがいて、Cさんがいて、、、、という風に、複数の人々が大勢存在しています。

その結果、それらの周囲の人々を見て、悪役の人は、「自分とは切り離された存在であり、自分の幸不幸とは関係ない」と思っているようです。

周囲の人々と、その悪役の人は、切り離されていますから、次第に、その悪役の人は、競争を愛するようになってきます。

そして、その競争の結果、やがて、その悪役の人は周囲の人々よりも優位に立つようになります。

その「周囲の人々よりも優位に立」った結果から、彼は、やがて、その結果を利用して、周囲の人々を見下して、つまり、周囲の人々を支配するようになってきます。
つまり、その姿が独裁者であることがわかります。

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つまり、世の悪とされる「他者を支配したい」という心は、どこから生じて来たのかを、じっくりと考えると、その原因は「競争精神にある」とわかります。

悪役の、ネガティブな精神状態を作り上げたのは、彼(あるいは彼女)の過去における、競争を中心としたライフ・スタイルである、とわかってきます。

つまり、競争を愛する環境に置かれた結果、悪役の人が「周囲の人々と共に、調和とか安らぎとか幸福を一緒に得よう」という発想や心がけが次第次第に消えていくのです。

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これと同じ事が、私達の現実社会でも起きていることがわかります。

幼い頃から、学校教育を受けて、「周囲の人々と比較して、良い成績を取るように」と、いかにも、親身のあるような雰囲気で、愛情のあるような雰囲気で、言われ続けたものですが、その競争礼賛の呼びかけ自体が、私達の競争精神を煽り、それが、支配精神を助長してくるのがわかります。

最近では、世界各国の子供達を学力テストさせて、その結果を、マスメディアを使ってまで発表して、例えば、以下のようなことが語られます。

  「我が国の子供達は、あの外国の子供達の学力に負けているから、負けてはいけない」

という感じのセリフです。

この競争礼賛の精神は、以下のようなセリフが背後に潜んでいるのを感じてきます。

  「この世界は競争世界である。結局、外国との学力競争に負ければ、やがては、我が国のGDPや技術が負ける。そうなれば、競争に負けて倒産した会社のように、我が国の人々は路頭に迷うことだろう。だから、我が国の子供達よ。外国の子供達を仮想敵国と人々とみなして、己が学力向上に励むため、競争を愛しなさい」

と。

あるいは、私達の資本主義社会でも、様々な企業の間で競争が行われているのは誰でも知っているでしょう。
ですから、大人の社会(資本主義社会)の間では、大変に競争が推奨されているのは、誰でも知っているでしょう。

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つまり、私達の社会の間で、「大量の競争が推奨されている」ということは、「それだけ多くの支配精神の養いが行われている」と気が付いてくるでしょう。

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私達の社会の間で、ごく何気なく、ネガティブ精神であるところの、支配精神の養成が行われています。

つまり、私達の社会で、さりげなく、次世代のイルミナティやイルミノイドやカバールの養成が行われているのに気が付いてくるでしょう。

また、競争礼賛を推奨している人々も、知らず知らずの内に、世の流れの一環として、競争礼賛を推奨していたことにも気が付いてくると思います。

つまり、イルミナティ達の世を挙げての、一大マインド・コントロールが実行されているのです。

ですから、世に競争礼賛を推奨している人々も、知らず知らずの内に、マインド・コントロールされた結果、あのようになったので、一概に彼等を責め立てるべきでは無く、気が付いたら、静かに、そっと離れた方がより良いことだと思います。

確かに、人には自由があるので、競争礼賛を推奨している人々に、気付きの言葉なり、何かを語ることは出来ますが、それらのことはケース・バイ・ケースでやった方が良いようです。

大抵の場合は、トラブルが起きるようです。

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実際に、イルミナティやイルミノイド達は、あからさまに、私達に競争精神を高めたりすることはしません。

さりげなく、彼等は私達に競争を愛するように、仕向けてきます。

そのために、私達の社会の間では、イルミナティの作った、お金が流布されたり、あるいは学校でのテストが実施されています。
お金とか、学校でのテストは数値で表現されています。
あるいは、世界中の様々な国の貧富の差を現しているGDPも数値で現されています。

そのように、お金とか、学校でのテスト等で、人の様々な行いの結果が数値化されれば、人は、以下のように競争精神を煽(あお)られるのです。

■イルミナティ:
  「あなたがたの何らかの行いが数値化された結果、悔しくなったり、嬉しくなったりしただろう。悔しく感じた人は、もっと競争を愛して、競争に勝ちなさい。嬉しく感じた人は、嬉しさを倍増させるために、もっと競争を愛して、競争に勝ちなさい。」

そして、永遠に、そのピラミッドの頂点にたどり着けない、競争を愛して、実行し続けるわけです。

他ならぬ、イルミナティ達自身も、過去、競争を煽られ続け、愛し続けた結果が、彼等の支配精神を養ったということがわかります。

彼等自身が口やかましく、周囲の人々に対して、やれ、「競争しろ」とか「競争を愛せよ」という風に命令していたら、彼等は嫌われることにより、次世代のイルミナティやイルミノイドの養成が難しくなります。

しかし、周囲の人々が自発的に競争を愛するようになれば、彼等にとっては好都合です。

彼等は嫌われないどころか、彼等は全く自分達の手を汚さずに、世の支配化を進めることが出来るからです。

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確かに、「次世代のイルミナティやイルミノイドになりたい」という人も世にはいるかもしれませんから、人は自由を保障されていますから、そのような望みを持っても良いのかもしれませんが、お奨めは出来ません。

なぜならば、上にも書いているように、そのような人は、周囲の人々の調和とか、それから生まれる幸福とか安らぎとか安寧(あんねい)からは遠ざかるからです。
早い話が、周囲の人々を見下すようになった結果、支配精神が心の中に生まれて、不幸になりますので。

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資本主義社会での子供達に対する学力競争・企業間の競争は、私達のスポーツや知的競技の上に見られる競争とは、全く別種の競争だとわかります。

野球とか、アイス・スケートとか、その他のスポーツでも競争の上で、時折、ファイン・プレーが見られ、それが多くの人々の涙を誘う時があります。
また、知的競技である将棋とか囲碁とかでも、競技中に、妙手が出て、その美しさに、人々が感嘆の声を上げる時があります。

しかし、私達の資本主義社会での学力競争というのは、やがて、企業間の競争となり、その企業間の競争が、相手を潰そうとばかりに競争しているので、その競争を見て、人々は涙を流したり、あるいは、感動する程のファイン・プレーを見たことは無いことでしょう。

その、企業間の競争で勝った側の裏側には、負けた側がいて、倒産をしたりして、路頭に迷う姿が見られるからです。
つまり、その手の競争は死活競争なので、周囲の人々が傍から見ても、感動を感じないのです。

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「マクロス フロンティア」シリーズを見て、まだ、幾つかの感想を得たのですが、その感想文は、また、次回以降に書いてみたいと思います。

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マクロス・シリーズを見ていて、私も感動することが多く、過去の私のブログ記事の『「超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか」を見て』シリーズ中にも、マクロス・シリーズに捧げる詩を掲載していました。

この段落では、その過去記事中に捧げた、幾つかの詩を再掲載させてください。


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        愛と勇気


    一人の女の  一つの歌声が 宇宙に
       ゆるやかに広まってゆく時
            一人の男の勇気が 一つに集まってゆく。


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        歌と刃(やいば)


    激しい 戦いの中で、
    刃(やいば)が 交わされる中、
    やわらかい 女の歌声が
    私達の 心の中に
    やさしく 響きわたる。
         やがて その歌声は
           冷たい 刃(やいば)の中にも
             届いてゆく。

    それは
         愛の奔流(ほんりゅう)が
           数多(あまた)の
           刃(やいば)を折(お)る ちから か。

    一人の女の歌声が
      翼を広げ、
      軽々と 空に 舞い上がる時、
          一人の男の 勇気が
          一つの闇を 裂(さ)いてゆく。

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(以下、過去記事、関連記事、及び、参考文献)
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『二千四百七十三:「超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか」を見て_No.8』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2015/05/_no8-641a.html

『二千四百四十:「超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか」を見て_No.7』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2015/03/_no7-3898.html

(以下、旧ブログ『悲喜憐偉』側の記事)

『二千六百六十九:「超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか」を見て_No.6』
http://hikirini.blog.bbiq.jp/blog/2012/11/_no6-d396.html

『千三百十五:「超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか」を見て_No.4』
http://hikirini.blog.bbiq.jp/blog/2011/10/_no4-6088.html

『七百三十八:「超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか」を見て_No.3』
http://hikirini.blog.bbiq.jp/blog/2011/01/_no3-5b33.html

『七百二十五:「超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか」を見て 』
http://hikirini.blog.bbiq.jp/.s/blog/2011/01/post-ff12.html


                                       坂本 誠

2016年1月27日 (水)

二千八百三十: 映画の興行収入について

映画の興行収入について考える機会がありました。

最近では、映画を劇場で公開して、「何人、お客さんが来たか」の観客の数ではなく、「その映画で幾らの額のお金を儲けたか」という興行収入の額の方が、よく報道されているようです。

しかし、これでは、封切られた映画の人気を計るのは難しいと思います。
なぜならば、物価があるからです。

例えば、10年前の映画と、現代の映画の券の値段も違っていると思います。
10年前の一つの映画を見るのに、入館券を1,000円だと仮定します。
そして、仮にの話ですが、現代の一つの映画を見るのに、入館券を2,000円だと仮定します。

そして、10年前の一つの映画を見たお客さんの数を100人だとします。
同様に、現代の一つの映画を見たお客さんの数も100人だとします。

すると、10年前の映画の方の興行収入は、1,000円 * 100人 = 10万円です。
現代の映画の方の興行収入は、2,000円 * 100人 = 20万円です。

ですから、10年前の映画も、映画の方も、その映画を見た人の数は、同じ100人ですが、お金の売り上げとしては、「現代の映画の方が、はるかに稼ぎが良かった」となります。

これだと、10年前の映画の方の人気が高いのか、それとも、現代の映画の方の人気が高いのかがわかりません。
なぜならば、その映画を見た人の数は、同じ100人なので。

ところが、興行収入の方で伝えられますと、受け取る方は、どうしても、現代の映画の方が人気が高かったように感じます。

これもお金というものの数字上のマジックではないでしょうか。

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ですから、「本当に人気のある映画とは?」となると、映画鑑賞券の物価の違いを除いた「映画を見に来た人の数」で、少なくとも、参考とした方が良いのかもしれません。

もっとも、「名画」とされている映画も、封切り当初では、なかなか売れなかった映画も、ある一定の時間が経って、「名画」と鋲打たれる作品もあります。
ですので、観客動員数だけでも、本当に人気のある映画を決める手段にはならないでしょう。

やはり、一人一人の好みもありますので。
私達、一人一人が誰の声からも左右されない「名画」を決めたり、あるいは、自分にとっての本当に人気のある映画を静かに心の奥底で決めていると思います。


                                        坂本  誠

2015年12月 9日 (水)

二千七百八十一: 映画、蒼き(あおき)衣の者を見て

こんにちわ。

『映画、蒼き(あおき)衣の者を見て』と題しましたが、「蒼き(あおき)衣の者」とは、「風の谷のナウシカ」を意味しています。
直接、本当の映画のタイトルを書くよりも、映画の中で使用された表現を使った方が、より効果が高い時もあるかと思い、このような段落名にしてみました。

Nausicaä of the Valley of the Wind Soundtrack - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=rZUppxT38Zk

私が生きていて、今まで、最高に感動した映画は、やはり、この映画「風の谷のナウシカ」だったでしょうか。
過去記事でも書いたかと思うのですが、この映画は私の中学生の時に上映されました。
その当時の様子を今でも覚えています。
朝の始発電車に乗って、映画館まで行って、映画館の外で並んでいました。
そして、朝一番の上映から、夜の最終上映まで、ずっと映画館の中で見ていました。
しかも、朝から晩まで、立ったままで視聴していました。
映画館が満席で、とても座れなかったのです。

映画館から出て、1週間、日々の生活を送ると、再び、同映画を見たくなるので、次の日曜日も、朝の始発で映画館に行き、夜の最終まで、映画を見ます。
それが、3週間も続き、ちょっと、落ち着いた後でも、映画館に何回か通って、視聴した記憶があります。
ですから、映画館で、同映画を見た回数をはっきりとは記憶していないのですが、20回以上は、映画館で視聴したでしょうか。
当然、レンタル開始された後も、VHSビデオやDVDを借りて、見た回数もあり、また、テレビ放映の回数もありますので、最終的に視聴した回数は、記憶していません。

以前は、これほどの回数を映画館で見ていたものでした。
映画「マクロス」とか「うる星やつら」とか「銀河鉄道999」とか「ヤマト」とか「伝説巨神イデオン」とかも、朝の始発で映画館に向かい、寒い中、映画館の前で並び、朝イチから夜の最終上映まで、映画を見ていたことがありました。
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ここから、最近のブログ記事とも重なるのですが、最近では、これほどの新しい封切り映画に出会わないものです。
映画館の方も、「映画館の客をテレビやレンタル・ビデオやインターネットに盗られた」という嘆きが交わされているかもしれません。
しかし、多くの映画ファンにとっては、まったく、そんな事は関係無いと思います。
また、世の景気動向にも、まったく関係していないと思います。

「これは今すぐにでも見るべき映画だ」と映画ファンの人が感じれば、レンタル・ショップやインターネットで視聴する前に、すぐにでも、映画館に飛んで見に行っていると思います。
ですから、劇場で封切られる新しい映画の方に、それほどの愛と感動を映画ファンが感じなくなっているのが現状だと思います。
逆に言えば、愛と感動の詰まっている映画ならば、今でも、映画ファンは、大金をかけて、何回もその映画を映画館で見ると思います。
なので、多くの映画ファンは、最近の封切られる映画の方に、愛と感動と喜びを感じないのが本当のところだと思います。
しかし、多くの映画ファンも、そんなに感受性が失われたわけではないと思います。

ただ、映画の製作者側の方に、どうしても、クリエィティブで、かつ、感動的なものを提供する作り手がいないような気がするのです。
これは映画ファンでなくても、同じ事を感じている人は多いのではないでしょうか。
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ですから、現代でも、「それほど質の高い映画が封切られる」という情報を映画ファンが手に入れたら、映画館の前に、封切り初日の直前には、長蛇の列が出来ていることでしょう。
確かに、現代だと省エネとか節約を考えたら、映画館で視聴せずに、レンタル・ショップにDVDが並ぶのを待ったり、インターネット配信を待ったり、あるいは、テレビ放映まで待つ事が挙げられます。

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しかし、人は、本当に価値あるものならば、金に糸目をつけません。
ですから、どんな不況があっても、今でも、映画館の前に長蛇の列が出来る可能性は充分にあります。

逆に言えば、本当に価値のあるものならば、人はお金に糸目をつけず、どんな大金でも払うことがわかります。
つまり、「真に価値あるもの」というものは、お金では買えない事がわかります。
わかりやすく言うならば、「真に価値あるもの」は、お金では換算できない事がわかります。
こうなってくると、あまりお金が意味を成してこない事がわかります。
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確かに、過去の有名な映画の、その当時の売り上げ成績として、「同映画、何億円の配給収入」という数字が残されたりしています。
結果として、それだけの人数が映画館に訪れた事がわかりますが、そのような高い売り上げ自体は、映画の感動の本質とは、リンクしていない事がわかります。
なぜならば、ある映画が3億円の配給収入があったとします。
映画制作の段階で、お金に換算して、3億円の制作費をつぎ込んだら、その3億円の分だけの、「愛と感動を製作できたか」というと、これは限らないからです。
映画の制作費に3億円を出しても、3億円分の愛と感動を確実に製作できるかと言うと、これはほぼ不可能な事がわかります。
つまり、わかる事は、幾ら巨額の制作費をかけても、それに見合うだけの愛や喜びや感動を確実に創出できないことがわかります。
言い換えれば、その額に比例しただけの、愛や喜びや感動を生み出す事が出来ない事がわかります。
ですから、人の心の奥底に鎮座する愛や喜びや感動の本質は、お金にリンクされていない事がわかります。
結果として、「私達の道具の一つであるお金は良い道具か」とか「悪い道具か」と言うのには関係無く、人の愛や喜びや感動は、お金とは無縁な事がわかります。
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よく「安い映画制作費で作られた映画でも、封切られたら、続々と人が詰め掛けてきて、大ヒットを納めた」という映画を聞いたりします。

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ですから、映画の制作費そのものが、完成された映画の愛と喜びを作り出したわけではない事がわかります。
結果として、多くの人が、その映画を見たので、「同映画、何億円の配給収入」という言葉が残ったりしますが、その映画に込められた愛や喜びが、制作費に比例しない事がわかるので、やがて、人は金銭の額と映画視聴の際の喜びを同列に感じなくなるかと思います。
「当時、同映画、何億円の配給収入」という言葉は、後の時代の映画ファンから見たら、「この映画を見るだけの価値があるかもしれない」という参考意見を出すための資料だけになる可能性があると思います。
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現代の映画の傾向は、日本映画だけではないことがわかります。
今度、映画『STAR WARS』の最新版が封切られる事は、多くの映画ファンが知っているところだと思います。
洋画の『STAR WARS』でも、過去、映画館の前に、何キロもの人の長蛇が出来た事が知られています。
しかし、最近では、洋画でも、これほどの人の列を作られたという話を、人は聞いた事が無いでしょう。

要は、「封切られる新しい映画の中に、映画の本質である愛や喜びや感動がどれだけ塗り込められているか」が、映画ファンにとっての唯一の関心事項となっていると感じます。

    その者 蒼き衣を まといて
    金色の野に 降り立つべし。
    失われし 大地との絆(きずな)を結び、
    ついに 人々を蒼き清浄の地に導かん。

    The person in blue
      should fall down on the gold field .
    The person will bind the lost promise with our Earth ,
      and will lead people to the blue and pure land , at last .

                          (映画『風の谷のナウシカ』より)

(以下、過去記事、関連記事、及び、参考文献)
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七百四十一:『風の谷のナウシカ』を見て
http://hikirini.blog.bbiq.jp/blog/2011/01/post-d234.html

二千六百十七:映画『美しき緑の星』を見て
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2015/08/post-be85.html

二千五百三十六:映画『地球(テラ)へ、、、』を見て_No.2
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2015/06/_no2-a12d.html

二千五百三十一:映画『地球(テラ)へ、、、』を見て
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2015/06/post-f085.html

二千五百十八:銀河鉄道999を見て_No.2
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2015/06/999_no2-4c01.html

二千五百十七:銀河鉄道999を見て
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2015/06/999-c1ba.html

二千四百七十三:「超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか」を見て_No.8
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2015/05/_no8-641a.html

二千四百四十:「超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか」を見て_No.7
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2015/03/_no7-3898.html

二千四百七十一:『伝説巨神イデオン』を見て
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2015/05/post-9457.html

二千四百九十:『人造人間・HAKIDER』を見て_No.3
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2015/05/hakider_no3-e333.html

二千四百八十八:『人造人間・HAKIDER』を見て_No.2
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2015/05/hakider_no2-fb6f.html

二千四百四十二:『人造人間・HAKIDER』を見て
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2015/03/hakider-b6b0.html


                                        坂本  誠

2015年8月18日 (火)

二千六百十七: 映画『美しき緑の星』を見て

こんにちわ。

二千四百八十七:News_No.564』で、ブログInDeep様記事の『私たちの地球は「混乱の前の復興時代」に突入できるか。それとも、映画『美しき緑の星』は単なる夢物語なのか』を紹介しました。

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なかなか、この映画の全部を見る時間が無かったのですが、やっと、全編を見終える機会がありました。
写真は、同映画からの引用で、ブログInDeep様の同映画を紹介記事からの写真です。
同映画の監督はフランス人のコリーヌ・セローという方です。

まず、この映画の簡単なあらすじを紹介します。
平和な星に住んでいる地球人に良く似た姿形を持っている宇宙人が地球訪問をして、そこでの体験が描かれている映画です。
その宇宙人にとっては、「地球珍道記」という感じなわけです。
ですから、この映画を見ても、お笑いSF映画として作られているように感じます。

しかし、この映画はEU諸国の間で瞬く間に、公開禁止となってしまいました。
ですから、私が書いたあらすじを読んでも、読者の方は、「宇宙人のお笑い地球珍道記なのに、どうして、公開禁止処分にされるのか?」と、不思議に思う方も出てくるでしょう。

実際、私が見ても、この映画の公開禁止になった理由が全く理解できません。
同じような宇宙人の地球探検記と呼べる作品ならば、多くの米国映画があります。
その多くは、地球侵略がテーマです。
ですから、私としては、「米国映画の方がよほど戦争的だから、公開禁止されても良いのではないのか?」という疑問が湧きます。
ところが、現実は逆で、コリーヌ・セローの『美しき緑の星』の方が公開禁止処分となっているのです。

この辺りからも、私のブログによく出てくる彼等の影響が色濃く出ていると感じます。
つまり、彼等のしてみれば、「宇宙人とのコンタクトは、常に戦争状態にならなければいけない」という暗黙の了解でも出来ているように感じます。
-------------------------------
同映画のURLは以下です。

【監督】コリーヌ・セロー
FC2動画
http://linkis.com/video.fc2.com/conten/jaCO8
ニコニコ動画
http://www.nicovideo.jp/watch/sm26230865

この映画を視聴する段階で、ユーザーIDが要求されますが、ゲストとして入れば、ユーザーIDを作らずとも、同映画を見れました。

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しかし、同映画のビデオを見ようとすると、パソコンのセキュリティ・ソフトの警告表示が出ました。
「パソコンのセキュリティ・ソフトの警告表示」が出るのですから、ある人は、この映画の視聴を止めようとするでしょう。
しかし、私が視聴したところ、パソコンの方には、何の影響もありませんでした。

というのも、私は時々、アメリカのニュースサイトの『Before Its News』という原文のサイトを見たりします。
その時、そのニュースサイトには、よくパソコンのセキュリティ・ソフトの警告表示が出るわけです。

しかし、今だに、パソコンのセキュリティ・ソフトの警告表示が出るだけなので、その慣れのまま、同映画を視聴しました。
ですから、今でもPCに異常はありません。

しかし、この記事の読者のPCでは、どうなるかは保障できません。
パソコンのセキュリティ・ソフトの警告表示を見て、私の書いているように、警告を無視して映画を視聴するか、警告が気になり、その映画を視聴しないかどうかについては、どうか読者の方がご自身でご判断ください。
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しかし、映画『美しき緑の星』にしろ、私が時々、閲覧する『Before Its News』に出てくるパソコンのセキュリティ・ソフトの警告表示にしろ、このブログの読者の方ならば、「なぜ、そんなHPに、セキュリティ・ソフトの警告表示が出るのか?」と考えるでしょう。

そして、今までに、私達の世界に隠されていた事実について、やはり、多くの人々が気が付いていくだろうと、私は感じます。
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いずれにしても、私にしてみれば、本当に楽しい映画でした。

笑ったりしましたし、一番に言える事は、宇宙人が住んでいるという設定がされている『美しき緑の星』の光景が非常に素晴らしいからです。
「この撮影場所は何処だろう?」と、今でも考えています。

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                                        坂本  誠

2015年6月19日 (金)

二千五百三十六: 映画『地球(テラ)へ、、、』を見て_No.2

こんにちわ。
二千五百三十一:映画『地球(テラ)へ、、、』を見て」の続きです。

前回は、映画の冒頭だけのあらすじをご紹介して終わりました。

未来において地球の環境汚染が深刻になり、人類は植民星へ移住し、その星では、人類は全て試験管ベイビーで誕生するようになります。
そして、その試験管ベイビーの間から、「ミュウ」と呼ばれる超能力を持った新人類が生まれます。
試験管ベイビーである人類と、新人類「ミュウ」との間で行われている争いが、この映画の骨子です。

前回は、同映画の主人公であり、かつ、新人類「ミュウ」のリーダーとなるジョミー・マーキス・シンの登場を紹介しました。
今回は、敵方とされている人類側のリーダーとなる「キース・アニアン」についても書きます。
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『地球へED』
https://www.youtube.com/watch?v=jMXXNJbkGLk


YouTube: 地球へED

(筆者より:ビデオ保護がありますので、視聴されたい方は、直接、URLをブラウザのURLボックスに入れて、視聴して下さい。)

植民星では、全ての人類が試験管ベイビーで誕生していますから、この「キース・アニアンも試験管ベイビーだ」と、人は考えます。
ところが、同映画が進むにつれて、キースだけは試験管ベイビーでない事が明らかにされます。

普通の人々は、試験管の中で生まれて、その後、養父や養母に育てられます。
そして、14歳の時に目覚めの日を迎えます。
ですから、映画中の全ての人々は、14歳までの記憶も残存している事がわかります。
ところが、キースは試験管の中で生まれた後も、その後、試験管の中で機械の手によって育てられます。
そして、目覚めの日である14歳まで、人類を管理している大型コンピューターによって、教育されました。
ですから、キースには全く、14歳以前の記憶はありません。
なぜ、キースが大型コンピューターによって育てられたかというと、大型コンピューターはこのキースを人類側のリーダーとして設定しようという、キース誕生以前からの目的があったからです。

このような出生の秘密があったので、キース誕生の秘密を知った人間から、彼は「コンピューターのアンドロイド」として侮蔑されます。
----------------------
■シロイ:
だけど、面白い事がわかったぜ。
マザー・イライザの最愛のエリート、キース・アニアンの出生の秘密、、、

◆キース:
何!?

■シロイ:
見たんだ。
この目でお前の生まれた場所をな。
やっとわかったよ。
お前はこのステーションで、マザー・イライザに作られた実験体だ。
故郷も母親もあるわけが無い。
お前が14年間育ったのは、あのガラス・ケースだ!

◆キース:
言うな!

■シロイ:
お前はマザー・イライザのアンドロイドだ!
----------------------

ここで私は感じるのですが、この原稿を書いている今、試験管ベイビーという存在は、少なくとも私達の間で聞く事は無いでしょう。

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つまり、「私達の社会では試験管ベイビーはいない」ということです。

ですから、今の私達が試験管ベイビーを見たならば、悲しい雰囲気がありますが、「アンドロイドのような人間かもしれない」と感じるかもしれません。
ところが、同映画では、全ての人類は試験管ベイビーで誕生します。
つまり、彼等の世界では、その状態での出生自体がごく自然な状態だとわかります。
そのような世界だったら、私達が試験管ベイビーとして生まれても、何の違和感も感じないと思われます。

現代社会に住む私達の目から見たら、試験管ベイビーとして生まれた人も、14歳に至るまで、試験管の中でアンドロイドとして生育された人も、あまり違いを感じないかもしれません。

しかし、同映画のように、ごく普通の人は試験管ベイビーで出生するのは当然だけど、「14歳に至るまで、試験管の中で生育された人間」を見ると、同映画中の人々とは、かなり縁の遠い存在に見えるのでしょう。

私が思いますに、同映画のこの辺の描写は、私達の現代の科学文明社会に対する警鐘だと思います。
SF映画の中とは言え、遠い未来に劇中のようなドラマも想定できます。
ですから、SFアニメ映画とは言え、形を借りて、現代社会への警鐘を鳴らす事が出来る部分だと思います。
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そして、当然の事ながら、物語の中で、人類側の代表であるキース・アニアンと、ミュウ側の代表であるジョミー・マーキス・シンは戦うようになります。

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しかし、私はこの両者の戦いぶりを変に感じました。
この両者は戦うのですが、私が見ていて、彼等に激しい憎しみとか争いの中での激しい叫びを感じませんでした。
『地球へ、、、』は、アニメ版もあります。
私はそのアニメ版を見ていないのですが、少なくとも、同映画の中では、ジョミー・マーキス・シンとキース・アニアンの間に激しい憎しみという感情を感じません。

これが他の映画には無い特徴だったでしょうか。
普通、争いが絡んでいる映画だと、「両雄激突!」というシーンだと、その両者の激しい感情、激しい表情、激しい叫び声、あるいは、激しいまでのアクション・シーンが描かれます。
しかし、少なくとも私が同映画を見て、この「両雄激突」シーンに激しいものを感じないのです。

確かに、両者は戦うのですが、両者とも、どこか白けています。
私が同映画のそのような戦闘シーンを見て、彼等の心の中を想像してみると、「何で、我々は戦っているんだ?」という、ぼやきのセリフをつぶやきながら、戦っているように感じました。

それに見た感じ、ジョミーとキースは、どことなく、親しい友人同士のような雰囲気もあります。
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「本当の戦場とは、こんなものかも知れない」と、私は考えていました。

なぜならば、ある戦争のある戦場を頭に思い浮かべてみます。
ある兵士と、どこかの国の兵士が、その戦場で初対面します。

普通、考えてみるに、その二人の兵士の間に、個人的な憎しみの感情は無いからです。
もしかしたら、その二人の兵士が戦争中の戦場で出会わずに、どこかの酒場で出会ったら、意気投合して、一緒に楽しく酒を飲み始めた、というケースも想定できるからです。

確かに、その二人の兵士が過去の実生活においても知人であり、何らかの激しい喧嘩があったとしたら、確かにその個人的な過去の経験から、戦場で激しく戦う事も想定できます。
しかし、普通の戦争の戦場で戦う二人の兵士というのは、まずほとんどの場合、初対面だからです。
ですから、その二人の兵士が何らかの個人的な感情もあるわけが無いからです。
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ですから、戦争映画などで、「敵と見方の兵士が激しく憎み合っている」という光景は、どこか人造的に作られた光景だとわかります。

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もともと、どんな戦争でのどんな戦場においても、兵士が送り込まれるのですが、その兵士達を精神教育させているのは、上官からの戦場教育とか、あるいは、自国内部での戦争用報道によって、それらの兵士達がマインド・コントロールされている事に気が付きます。

つまり、上官からの戦場教育とか自国内部での戦争用報道によって、多くの兵士達や多くの国民の間に、「敵国の人間は私達にとって憎むべき存在なのだ」という雰囲気で、マインド・コントロールされている事に私達は気が付きます。

ですから、このマインド・コントロールの無い平和な時代だと、人々は洗脳されません。
ですから、上の仮想的な話のように、敵と味方の二人の兵士が、どこかの酒場で出会って、楽しく酒を交し合うというケースを考える事が出来ます。
しかし、一旦、戦争になると、上のように戦争教育が行われて、その二人の兵士も憎しみの心を掻き立てるようにマインド・コントロールされるかも知れませんから、戦場だと、その二人の兵士が憎み合いながら、戦う事も想像できます。
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ですから、私が見て、ジョミー・マーキス・シンとキース・アニアンの間の戦いを見て、「戦闘意欲の無い戦いを見た」という感想を持ちました。

これと同じように、現実社会の私達の戦争の戦場でも、戦争教育というマインド・コントロールが無ければ、多くの兵士達の戦いというものには、戦闘意欲の無い白けた戦いというものを多くの人は感じるのではないでしょうか。
そして、これこそが本当の真実の状態ではないでしょうか。

そうなると、私達にとって、本当の問題とは、やたらと戦争教育をしたがる政府の上の人々の心とか、「敵を憎みなさい」という感じの徹底的なマインド・コントロールこそが、真の問題だとは言えないでしょうか。
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ですから、この映画を見ていて、「人類とミュウとの戦争の黒幕とは誰なのか?」が次第に、私達にとっての興味・対象となってきます。

そして、このキースの特徴としては以下のものがあります。
人類側のリーダーにもなるキースですが、その心の中では、自分に指示を与える大型コンピューターに対して、常に疑問と不満ばかりを持っています。
この複雑な性格と複雑な立場が、この映画のラストを導きます。

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         『愛の惑星(プラネット)』  All We Need Is Love

作詞:竜真知子/作曲:ミッキー吉野/編曲:ミッキー吉野、岸本博/歌:ダ・カーポ

      ブルー・ホライズン 青い地平線
      この星の 朝は美しい
      生命(いのち)ある すべてのものに
      降り注ぐ この光

      ブルー・ホライズン おまえはめざめた
      この星の 本当の姿に
      悲しみに 疲れた胸に
      やすらぎが よみがえる今

        All we need is love
        All we need is love
        All we need is love
        はじめて 気づいた
        長くつらい 旅路の果て
        見つけた 愛の惑星(プラネット)

      ブルー・ホライズン 涙はいらない
      この星の 明日に誓って
      朝焼けの 大地は詩う
      限りない 愛の夜明けを

        All we need is love
        All we need is love
        All we need is love
        はじめて 気づいた
        はるか遠い 宇宙の果て
        見つけた 愛の惑星(プラネット)

        はるか遠い 宇宙の果て
        見つけた 愛の惑星(プラネット)
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                                        坂本  誠

2015年6月14日 (日)

二千五百三十一: 映画『地球(テラ)へ、、、』を見て

こんにちわ。

映画『地球(テラ)へ、、、』を見る機会がありました。
この映画は、映画『銀河鉄道999』と同じ頃に劇場で公開されました。
その頃、私の知人が「この映画『地球(テラ)へ、、、』も面白いから見たほうが良いよ」と薦められたのですが、その時に見ませんでした。
今頃になって、ふっと思い立ち、映画『地球(テラ)へ、、、』を見る事にしました。

面白い映画でした。
まず、ストーリーが面白かったです。
ネットで、『地球(テラ)へ、、、』のあらすじを検索して、あらすじを読んだのですが、今一つわかりづらかったです。
というのも、それだけ、ストーリーが少し変わっているので、あらすじを読んだだけではつかみにくかったのです。
そして、登場人物も多かったです。
ストーリーが入り組んだ内容と登場人物が多くなれば、それだけ、その劇は濃厚な内容となってきます。
「登場人物が多い」という事は、それだけ、たくさんのヒューマン・ドラマが交わっているからです。
そして、このストーリー自体も、結構、長い年月の内に繰り広げられているという内容でした。
時間幅も広かったら、それだけ、濃厚な劇となってきます。
ですから、見ごたえがありました。

確かに、戦闘シーンなどはあるのですが、あまり、それの比重は重くありません。
この映画『地球(テラ)へ、、、』は、ストーリーで人をひきつける内容でした。

●劇場版「地球(テラ)へ」 ノーカット予告
https://www.youtube.com/watch?v=c4BWyb14SOs


YouTube: 劇場版「地球(テラ)へ」 ノーカット予告

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ちょっとした、あらすじです。

未来の地球で、環境破壊が深刻な状態となります。
その原因は、もちろん人間でした。
地球での生息が難しくなった時、地球には管理用の大型コンピューターを設置して、多くの人類は植民星に移住しました。
その植民星での人類も、その星の管理用の大型コンピューターに徹底的に管理されています。
また、その選択自体も人々が決めたのでした。
その結果、人類は試験管ベイビーで生まれるようになります。
そして、試験管ベイビー達は代理の養父・養母に育てられます。
教育内容も大型コンピューターに決められており、「目覚めの日」と呼ばれる成人儀式を経ると、少年少女達は幼少時代の記憶を消去されます。

地球から人類が移動してきて、試験管ベイビーで跡継ぎを増やしている頃、同時にその試験管ベイビーの中から、超能力者が生まれるようになります。
この超能力者の事を「ミュウ」と言います。

この超能力者は子供の頃、少し変わった子供として生まれます。
そして、「目覚めの日」で、「ミュウ」と判断されたら、排除されます。

つまり、人類の間から生まれた新人類「ミュウ」と今までの人間である「人類」との宇宙戦争が、この映画『地球(テラ)へ、、、』のあらすじです。

物語の主人公である「ジョミー・マーキス・シン」は、あと数日後に「目覚めの日」を迎えようとしています。
その目覚めの日が近づいても、ジョミーの変わった性格は、周囲の人々を悩ませています。
そして、「目覚めの日」が、、、
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ストーリーも長いので、あらすじの序盤だけを書かせて頂きました。
やはり、あらすじを書いていただけではわかりづらいので、直接、本編を鑑賞された方が良いかも知れません。

しかし、私の書いたあらすじを見ただけでも、「この映画はかなりハードな内容を持っているだろう」と読者の方は感じるかも知れません。
大型コンピューターによる徹底した人間社会の管理、、、
全ての人間は試験管ベイビーで生まれるようになる、、、
「目覚めの日」と呼ばれる成人儀式を経ると、少年少女達は幼少時代の記憶を全消去、、、
そして、「ミュウ」だとコンピューターで判断されると、排除、、、

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しかし、私もアニメを見続けているのですが、たいてい有名になったアニメを思い出してみると、その内容は、科学文明の批判がかなり底流に流れている事に気が付きます。
私が過去に映画鑑賞の感想文を書いてきた映画のほとんどが、どこかしら、科学文明や合理主義に対する批判精神が、映画の底流に流れている事に気が付きます。
なんとなく、それらの映画は人間性回帰を謳った「ルネッサンス」を私に思い出させます。
それらのアニメ映画自体に、映画の前面には、豊富なまでに科学文明や合理主義精神が流されるのですが、それらに対抗するかのように、映画の底流には、人間性復活の精神が主流である事が謳われている映画が多い事に気が付きます。

映画の冒頭に、主人公ジョミー・マーキス・シンと、その養母との会話があります。
とても印象的でした。
以下、同映画からの引用です。
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■ジョミー:
大昔の子供は、今の僕達みたいにセンターのコントロールで作られた試験管ベイビーじゃなかったって。
母親の身体の中で10ヶ月間育てられてから、生まれた。
歴史の本に、そう書いてあったよ。

●ジョミーの養母:
急に何を言い出すの、、、
そんな非合理的な出産制度を禁止したからこそ、私達は快適な生活が出来るようになったのよ。
本にはそう書いてあったでしょ?

■ジョミー:
合理的って事は、寂しくないって事なのかなあ、、、
僕が居なくなっても、ママは平気なの?
明日、目覚めの日が来たら、きっとすぐ成人検査だよ!

●養母:
そうね、、、
でも、みんな、そうやって大人になるのよ。
一生懸命、勉強して、立派な成績を取って、、、

■ジョミー:
嫌だよ!
僕、大人になんかなりたくない!

●養母:
ジョミー、、、
人間にはねえ、、、やりたくなくても、やらなければならない事があるのよ。
決められた事を守らなければ、社会は目茶目茶になってしまうでしょ?

■ジョミー:
だけど、そしたら、僕はママとはもう会えなくなるんでしょ?
ママは寂しくないの?、、、
あ、いけねぇ、、、
また遅刻しちゃうよ、、、
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         地球(テラ)へ、、、

作詞:竜真知子/作曲:小田裕一郎/編曲:川上了/歌:ダ・カーポ

      ただひとつの 夢のために
      ただ一度の 生命賭けた
      それは 果てしない 憧れ
      輝け みどりの故郷(ふるさと)

      ああ 孤独な 胸を包む
      ああ まぶしい 愛の記憶
      今は もう遠い あなたに
      見せたい はるかな故郷(ふるさと)

        Coming home to Terra
        Coming home to Terra
        愛の星 その名は 地球(テラ)
        Coming home to Terra
        Coming home to Terra
        美しい その名は 地球(テラ) 地球(テラ)

      もう 誰にも 止められない
      もう 誰にも さえぎれない
      深い悲しみの 淵から
      めざそう 心の故郷(ふるさと)

        Coming home to Terra
        Coming home to Terra
        愛の星 その名は 地球(テラ)
        Coming home to Terra
        Coming home to Terra
        美しい その名は 地球(テラ) 地球(テラ)
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                                        坂本  誠

2015年6月 6日 (土)

二千五百十八: 銀河鉄道999を見て_No.2

二千五百十七: 銀河鉄道999を見て』の続きです。

記事中の写真は、銀河鉄道999のテレビ版、映画版、そして、映画予告編からの写真です。
セリフは同映画からの引用です。

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私達がよく見かけたことのある、あのラスト・シーンについて書いてみます。
鉄郎とメーテルが別れる、あのシーンです。
この映画が恋愛映画でもあった事もわかります。

テレビ版も映画版も、終わりに近づくにつれ、鉄郎とメーテルの愛情が語られます。
しかし、メーテルは鉄郎との別れを選びます。

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鉄郎と別れて、自分の旅を選びます。

メーテルと鉄郎は愛し合っているようですが、なぜ、別れるのでしょうか。
メーテルは機械化人であり、かなり長生きをしているようです。
そうなると、彼等の愛が年齢の差によって、隔てられるのでしょうか。
そうではないようです。

一番の原因はメーテルは機械化人であり、鉄郎は生身の人間であることが、メーテルと鉄郎が愛し合ってはいけない理由のようです。
---------------------------
一応、私達である生身の人間の男女の愛を書いてみます。
最近では、人間の性教育も比較的、低年齢に及んでいますから、多く知られたものですが、男女が愛し合い、SEXをして、子供を生みます。
ところが、機械化人には、このような男女の愛情があるでしょうか。
原作にも、テレビ版にも、映画版にも、機械化人同士の男女のSEXは無いようです。
機械化人の男女が肩を寄せ合うぐらいのシーンならあります。

しかし、何よりも、機械化人と機械化人がSEXをして、子供を生む事は設定にも無いようです。
むしろ、どう考えても、「機械化された身体」には、生殖の機能も無いし、また、「機械が機械を生む」というのは聞いたことがありません。

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(遠い将来に、ロボットが意志や感情を持っても、この件だけは克服できないポイントになり、何かの問題になるかもしれません。)

ですので、銀河鉄道999は、機械化人同士の男女の愛の無い世界である事がわかります。
男女の愛の無い世界だけでなく、子供が生まれません。
つまり、人が子供を愛する喜びも無くなっていきます。
男女の愛も冷め、子供への愛も無くなると、人は次第に友愛も兄弟愛も人類愛も失っていくでしょう。
人が愛を無くす結果、機械帝国に何が生まれているかというと、退屈と支配です。
機械帝国は表面上は、最新の機械とまばゆいばかりの照明に照らされています。
しかし、実質は、愛の無い世界である事がわかります。
---------------------------
メーテルの場合を見てみます。
映画のセリフを引用します。

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●メーテル:
私の身体は鉄郎のお母さんの身体。
私は鉄郎のお母さんの若い時の姿の生き写し。
私は人の姿をした影。
こうやって、もらった身体が歳を取れば、また一つ別の身体を移し変える。
果てしない時間の中を旅してきたの。

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★鉄郎:
それで母さんに似てたのか、、、
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つまり、メーテルの身体は鉄郎の母のクローンであった事が推測できます。
メーテルの父親にドクター・バンと言われる存在がいます。
このドクター・バンの心はペンダントの中に入っており、常にメーテルが携帯しています。
おそらく、メーテルの心自体もペンダントのようなものの中に入っていて、それが鉄郎の母のクローン体の中に埋め込まれていると予想できます。
そして、多分、メーテルの心が自分の着ている鉄郎の母のクローン体を自由自在に操作するのでしょう。

この状態だと、あまり詳しくは書きませんが、鉄郎とメーテルの間の恋愛を多くの人が見て、やはり「悲劇の恋愛だ」と感じるかも知れません。
---------------------------
メーテルが自らの女性の愛を男性である鉄郎に向けても、その男女の愛は、私達で言うならば、「慕う」という段階に留まる事がわかります。

ここまで書くに、読者の方も感じるかも知れませんが、私達である生身の人間と機械化人との間に生じる恋愛の結果に残酷なものを感じる人もいるかもしれません。

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私達である生身の人間から見たら、機械化人の愛は冷め、やがて、人間愛も薄れていくのですから、その世界にはゾッとするものを感じるかもしれません。
生身である人間から見たら、メーテルの鉄郎への愛は、「慕う」という段階で終了です。
ですから、鉄郎の考えている恋愛とは全く違ったスタイルです。

私達から見たら、彼等の恋愛の完結した状態だと、ずっとそのまま劇のように鉄郎とメーテルが旅を続けているだけなのです。

私にしては、何とも、残酷なものを感じますが。
---------------------------
ですから、劇中で現れる機械化人の何人かは生身の身体に戻る事を切望しています。
冥王星の墓守であるシャドウとか、ガラスのクレアもそうです。
つまり、人間が機械化人になって得られるものは、不老不死のボディですが、失うものは人間の愛なのでしょう。

なので、劇中では成功者である筈の機械化人の悲しみと苦しみが、逆に色濃く描かれています。
これが銀河鉄道999のもう一つの特色です。

これらの事を考えていると、「人間は機械化人になるべきではない」と考える人も出てくるでしょう。
鉄郎のように。
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結局、メーテルは達せられない愛を感じてか、鉄郎と一緒にいる事を選ばず、代わりに旅を選びます。

メーテルの願いもあってか、劇場版のラストでは、メーテルは「冥王星に保存している自分の生身の身体を取り戻したい」と、鉄郎に言います。

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もし、メーテルが以前の自分の生身の身体を取り戻して、鉄郎の元に訪れたとしたら、それは新たな希望ある恋愛の始まりとなるのでしょうか。

ですから、人がこの映画のラストを見るに、「この映画は悲劇の恋愛映画だ」と感じるか、「未来に希望を託したハッピー・エンド予定の恋愛映画だ」と感じるかは、個々の視聴者にゆだねられているでしょう。

映画版では、そのシーンは無いのですが、テレビ版の最終回で初めてメーテルは涙を流します。
それまでのメーテルは悲しい事や苦しい事を感じても、重い眼差しで鉄郎を見るだけでした。
機械の身体で涙を流せば、その身体の何処かが錆びるのかも知れません。
だから、メーテルは泣かなかったのかもしれません。
しかし、最終回でメーテルの流した涙の意味は語られませんでした。
---------------------------
結局、この銀河鉄道999のテーマも愛情であった事がわかります。
人間の身体を機械化しても、それにより愛を失っていく人々が描かれ、また、失いかけている愛を取り戻そうとしている人々が描かれている事に気が付きます。
列車の汽笛と共に。

映画 銀河鉄道999 特報・劇場用予告篇
https://www.youtube.com/watch?v=URj_F-MIna4


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★鉄郎:

_995


どうしても行くのか、、、

●メーテル:
私は時の流れの中を旅してきた女。
でも、昔の身体に戻るために、、、

★鉄郎:
じゃ、やっぱり冥王星へ、、、
俺、待ってるよ、、、
もう、会えないのか、、、

●メーテル:
いつか私が帰って来て、あなたの側にいても、あなたは私に気が付かないでしょうね。

私はあなたの思い出の中にだけいる女。
私はあなたの少年の日の心の中にいた、青春の幻影。

★鉄郎:

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メーテル、、、メーテル、、、

●メーテル:
鉄郎、、、

★鉄郎:
メーテル、、、メーテル、、、メーテル、、、メーテル、、、メーテル、、、
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                                        坂本  誠

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2015年6月 5日 (金)

二千五百十七: 銀河鉄道999を見て

以前、見ていたテレビ版の銀河鉄道999と映画版の銀河鉄道999を思い出しながら、感想文を書いてみます。

記事中の写真は、銀河鉄道999のテレビ版、映画版、そして、映画予告編からの写真です。

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銀河鉄道999のメイン・テーマを考えてみました。
多くの人々が銀河鉄道999のあらすじを知っていると思います。

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星野鉄郎という少年が不死である機械の身体を無料で手に入れるために、アンドロメダに向かいます。
その旅のために、彼は銀河鉄道999に乗車します。
その旅の連れに、メーテルがいます。
星野鉄郎がアンドロメダの終着駅に着いた時、鉄郎がそこで見たものは、機械となった人間達の堕落した姿でした。
あるいは、機械化人達は生きた生身の人間達を支配しようとします。

「なぜ、生きた人間が機械になりたいのか」という願いは、ほとんどの人間にとって同じでした。
それは「生きた人間は永遠の命を欲する」という願いでした。
しかし、機械の身体を手に入れて、不老不死になった機械化人に訪れた結果は退屈と堕落でした。
なぜならば、機械化人は生きていくための苦労がありません。
苦労をして、成功を手に入れないので、返って、喜びが乏しく、生きがいが少なくなったようです。
そういう結果があるからか、機械化帝国の女王、かつ、メーテルの母であるプロメシュームは、全宇宙を機械化しようとしています。

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つまり、この銀河鉄道999のテーマの骨格としては古来より、多くの人々が恐れ続けてきた「死」がメイン・テーマである事がわかります。
普通、死がテーマとなっている作品は重い作品となりますが、この銀河鉄道999は美しいアニメ作品となって、多くの人々に親しまれています。
つまり、テーマが和らげられています。
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しかし、最近のスピリチュアルや精神世界や宗教の世界でも、死後の世界が語られています。
その死後の世界というものを信じるか信じないかは個々の人の自由でしょう。
ここでは、その死後の世界を信じるかどうかは問いません。

ただ、ここでは「その死後の世界が存在する」と仮定します。
そして、生まれ変わり、つまり、仏教で言うところの転生輪廻があると仮定します。
「転生輪廻がある」ということは、私達、人間は、事実上、不死ということになるでしょう。

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しかし、そのように私達が転生輪廻の制度を持っているとしても、肉体自体は消失するようです。
そして、死んだ後の世界では、ひょっとしたら、私達の姿形は、俗に言う幽霊みたいな空気のような存在かもしれません。
肉体の消失を、通常、私達は死と呼んでいる事になります。
肉体に死は訪れても、魂には死が訪れない事になり、死という意味が変わるかもしれません。

仮に、私達がそのような状態で、不死の存在であったとします。
しかし、私達は銀河鉄道999に出てくるような機械化人のように堕落した存在でしょうか。
普通の私達は、何かの自分の課題があることに気が付きます。
ですから、今度は、「堕落とは何か」という問いが出てくるでしょう。

人間の生活を以下に挙げてみます。

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日々の労働、日々の学生生活、年老いたならば、それなりの老後の生活、恋人同士ならば恋をささやき合う時間。
そして、堕落といわれるような生活を考えてみます。
私の頭の中に浮かぶような例といえば、例えば、「お酒が止められない」とか「博打が止められない」とか「遊び過ぎる」とか、こんな感じでしょうか。
ところが、その「堕落した」と言われるような人々の課題とは、実に、それ自体が彼等の課題である事に気が付きます。

上の例で言うならば、お酒が止められず、苦しむ人はそれ自体の悩みを解決すべく、日々に悩みます。
博打をする人や、遊び過ぎる人と言われる人も、それ自体が自分の課題だと見なせるでしょう。
このように考えると、課題の無い人はいないことがわかります。
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銀河鉄道999では、機械化人の堕落した姿が描かれます。
しかし、上の流れから、機械化人は別の課題を持ったことに気が付きます。
つまり、「どうやったら、その生活から抜けられるか?」というのが新たな課題です。

また、女王プロメシュームのように、機械帝国を全宇宙に広げたいのならば、その行いと性状と評価が、今度は、彼女の課題となるでしょう。
---------------------------
つまり、やはり、私達の社会で課題の無い人はいないことがわかります。

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なので、仮に私達が不死の存在であったとしても、次から次に課題が生まれる事がわかります。

例えば、肉体の死の間際の老人がいるとします。
その人は「自分の肉体の死の時には、どのように自分が変化するか」というのが課題になるかもしれません。
そして、肉体の死を通過したならば、その人はその答えを得るでしょう。
しかし、その人がその答えを得るのは死後の世界です。
そして、その人は死後の世界に移行しているので、今度は、「死後の世界をどのように生活していくか」というのが、その人の課題となります。
---------------------------
ですから、私達の現実の社会も、面白いと感じます。

銀河鉄道999を見て、そのようなことを考えていました。

 

                                        坂本  誠

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2015年5月18日 (月)

二千四百九十: 『人造人間・HAKIDER』を見て_No.3

二千四百八十八:『人造人間・HAKIDER』を見て_No.2」の続きです。


YouTube: "HAKAIDER" Ending Theme

本記事中のセリフと写真は、同映画からの引用です。

この段で、HAKIDERの個性について感じたものを書いてみます。

Photo


テレビ・シリーズ『人造人間キカイダー』で、ハカイダーはキカイダーを倒すためだけに作られました。
ハカイダーには、たった一つの指令が与えられました。
それは「キカイダーを倒す事」です。
それ以外の指令は与えられませんでした。
キカイダーには良心回路が搭載されました。
しかし、対照的にハカイダーには悪魔回路という装置が搭載されます。
おそらく、かなり、それらしい行動や思考をさせるためでしょうか。
------------------------
しかし、ハカイダーはキカイダーと戦うのですが、テレビの中では、決して卑怯な戦いをしません。
「背後から襲う」とか「敵の弱みを突く」という戦い方を、ハカイダーは徹底的に嫌います。
この状況だと、ハカイダーに搭載されたというその回路が本当に動作しているのかどうかを不思議に思います。

また、キカイダー・シリーズの悪役ロボットは、通常、何体ものロボット兵士を引き連れて、キカイダーと戦いました。
しかし、ハカイダーは違います。
あくまで、ハカイダーはキカイダーとの一騎打ちをします。
間に入って、ハカイダーを助けようとした敵組織『DARK』のロボット兵士をハカイダーは破壊しました。
つまり、ハカイダーにしてみれば、

  「俺(ハカイダー)とキカイダーとの神聖な決闘を邪魔するな」

という理由で、ハカイダーはロボット兵士を破壊したのでしょう。

ハカイダーは正面からキカイダーと立ち向かい、正々堂々と一人でキカイダーに勝ちたいのです。

一方、他のDARKの敵ロボットやロボット兵士は卑怯な手段を使ってでも、キカイダーを倒そうとします。
この辺りを見ても、視聴者にとっては、「ハカイダーは正義の悪役か?」と思わせるほどのものがありました。

このキカイダーの話題構成も、ほとんどが勧善懲悪ものであり、また、一話完結でした。
しかし、ハカイダーだけは、やがて、毎回のように登場してきます。
ですから、このテレビ・シリーズ『人造人間キカイダー』の段階で、ガンダム・シリーズのように、ヒューマン・ドラマの走りがあった事が伺えます。
------------------------
とにかく、今までの悪役キャラクターとは、かなり雰囲気が違っていたので、これがその後、視聴者の心に深く残っていた事は、間違いないようです。
ですから、視聴者の一つの疑問としては、以下のものがあったと思います。

  「ハカイダーがキカイダー破壊指令を与えられず、かつ、悪魔回路を搭載されていなければ、どのような話題が展開するのだろうか?」

と。
************************
************************
この一つの疑問の解答が、新しく作られた『人造人間・HAKAIDER』だったと思います。

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映画『人造人間・HAKAIDER』では、キカイダーは存在しません。
また、HAKAIDERは悪魔回路は搭載されません。

その状態で、HAKAIDERは孤島で目覚めます。
そして、映画の冒頭でHAKAIDERはつぶやきます。

  「俺は誰なんだ? 俺は一体、誰なんだ?」

と。
(キカイダーにも、シリーズの冒頭に、上と同じ疑問のセリフがあったように覚えています。)
ここから、HAKAIDERは自分が何者なのかを探ろうとします。

HAKAIDERが自分探しの旅に出てすぐに、映画の中の悪役が住んでいるジーザス・タウンに着きます。
そして、ジーザス・タウンを支配している存在達と対立し、戦います。
(ジーザス・タウン側の悪役の首領は「グルジェフ」という人間です。グルジェフの配下に、公安司令官のロボット、ミカエルがいて、ミカエルの下にロボット兵士(正式名称:重武装兵)がいます。)

このジーザス・タウンで、HAKAIDERの個性が映画中に現れます。
そして、視聴者はテレビでのハカイダーの時の個性と変わりが無いのを見て、懐かしさを感じた人も大勢いるでしょう。

しかし、今回、HAKAIDERは「キカイダー破壊指令」も持たず、悪魔回路も搭載されていません。
つまり、そのようなプログラミングをされず、変な回路もインプットされません。
その状態で、HAKAIDERは自分探しの旅を始めています。
つまり、この映画で重要な事を一言で言えば、

  「HAKAIDERには、自由を与えられていた」

という事でしょう。

そして、映画の始まりの頃に、HAKAIDERはジーザス・タウンに入ろうとしますが、国境で止められようとします。
HAKAIDERは平気で国境を破ります。
また、HAKAIDERの行く手にジーザス・タウンを守る城壁が現れます。
ジーザス・タウンを守る側は、HAKAIDERを攻撃します。
しかし、HAKAIDERは城壁を破り、ジーザス・タウンに入ります。
ここから、HAKAIDERとジーザス・タウンの支配者との戦いが始まります。
------------------------
映画を鑑賞する人は、自分なりの映画の感想を持てます。
人が100人いれば、100通りの感想や解釈が生まれます。
私一人の感想としては、この映画『人造人間・HAKAIDER』のテーマとは

  「自由と支配」

が、テーマだったと感じます。

_3

 

HAKAIDERは、常に自由を求めているように感じます。
その自由の雰囲気は、どことなく、正義漢っぽく、かつ、伸びやかな雰囲気のある自由です。
しかし、映画中の悪役側の存在は徹底的に支配的です。

ですから、映画中では、この自由と支配の二つ逆を向いた方向の考えが戦っているような感じです。

映画のラストで、HAKAIDERはジーザス・タウンを後にして、どこかへ自由を探し求める旅を続けるような雰囲気で終了します。

単純に、HAKAIDERが自分のバイクにまたがってどこかへ走るだけです。
なので、どこに向かっているのかもわからないし、ひょっとしたら、ジーザス・タウンから離れていないのかもしれません。

ただ、なんとなく、私の想像ですが、HAKAIDERはジーザス・タウンから離れ、新たな自由を求める旅に出ているかのようです。

「解答を得ることが出来ない」というのが、「自由とは何か」という問いに対する解答なのかもしれません。
ですから、ひたすら、HAKAIDERは自分のおもむくままに、自由にどこかを旅しているのかもしれません。
************************
************************
映画中では、また、テレビ・シリーズではHAKAIDERは一応、悪役として設定されています。
しかし、この映画を見ると、HAKAIDERを感じるに、正義の不良学生というか、そんな雰囲気がします。

また、他の映画やテレビ・シリーズにも、こんな雰囲気の俳優やキャラクターがいたように記憶しています。

HAKAIDERのような、「アンチ・ヒーロー」とでも呼ぶべきようなキャラクターは、いつも、雰囲気が似てくるような気がします。

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▲グルジェフ:
、、、まさに我々は、、、現代のエデンに住んでいるのだ。
見たまえ、、、
昨日まで、枯れそうだったランの花が、今日はいっぱいに開いている。
、、、
、、、
、、、
■ロボット兵士(重武装兵):
報告します。
何者かが国境ゲートを突破。
ジーザス・タウンに侵入しました。
、、、
、、、
、、、

◆ミカエル:
「人にせよ、ロボットにせよ、秩序のための規律は守らなければならない」

●HAKAIDRER:
「くだらん! 誰が作った規律だ? 俺はそんなものを受け入れた覚えは無い」

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◆ミカエル:
「私は正義。秩序を守る者。正義の名の下に、お前を処刑する!」

●HAKAIDRER:
「確かに、、、貴様が正義なら、俺は悪だ」

 

、、、
、、、
、、、

▲グルジェフ:
 見たまえ、、、
花が、なぜ、美しいかわかるか?

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それは花が無抵抗だからだ。

私がおまえを作った。
私に従うのが、おまえの運命なのだ。

私なら、おまえに更なるパワーを与える事が出来る。

 

●HAKAIDRER:
俺の運命は俺が決める。、、、
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                                        坂本  誠

2015年5月16日 (土)

二千四百八十八: 『人造人間・HAKIDER』を見て_No.2

二千四百四十二:『人造人間・HAKIDER』を見て」の続きです。

本記事中のセリフと写真は、同映画からの引用です。


YouTube: "HAKAIDER" Ending Theme

元々、ハカイダーはテレビ・シリーズ『人造人間キカイダー』の悪役として登場しました。
ですから、『人造人間キカイダー』を視聴していない方はあらすじを知らないので、本来、キカイダーの方が人気があるような気がするでしょう。
ここには、『人造人間キカイダー』のシリーズ全編を通してのあらすじが関係してきます。

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『人造人間キカイダー』のヒーロー役のキカイダー、人間名はジローですが、彼はロボットです。
そして、キカイダーはロボットですが、ほとんど、人間と同じ思考をします。
しかし、彼には「良心回路」という回路が搭載されています。
本来、ロボットは人間に与えられた命令のみを処理します。
しかし、キカイダーは良心回路を持つために、人間のような良心に悩みます。
例えば、人間に、「あの人間を倒しなさい」と命令されても、キカイダーの持つ良心回路によって、判断に苦しむのです。
「命令どおりに、指令された人間を倒すべきか。それとも、自分の良心に従って倒さないべきか」です。
 

ですから、キカイダーは悩むロボットとしても有名でした。
ですから、テレビ・シリーズのキカイダーも、良心回路にいたずらをされるような感じになるので苦しみます。
***********************************
それにひきかえ、ハカイダーは良心回路は持っていません。
ですから、ハカイダーは悩まないキャラクターとして登場します。

なので、テレビ・シリーズでもキカイダーは悩むのに、ハカイダーは全く悩まずにキカイダーを攻撃してきます。
その頃の特撮テレビシリーズというものは、勧善懲悪ものがほとんどでした。
ですから、キカイダーとは違うヒーローは悩まずに猪突猛進します。
その姿が、多くの視聴者にちから強い男性を思い起こさせたでしょう。
ですから、そのような「ちから強い男性」というキャラクターを、ハカイダーが演じていました。
なので、今に至るまで、ハカイダーには人気があるのかもしれません。
ハカイダーは男性っぽいのですね。

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 ***********************************
テレビ・シリーズ『人造人間キカイダー』には、「良心回路」というロボットの心も語られます。
これと似ているのが、海外でも知られているアイザック・アシモフの『ロボット工学三原則』です。
以下に引用します。

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●ロボット工学三原則
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%9C%E3%83%83%E3%83%88%E5%B7%A5%E5%AD%A6%E4%B8%89%E5%8E%9F%E5%89%87

◎第一条 ロボットは人間に危害を加えてはならない。また、その危険を看過することによって、人間に危害を及ぼしてはならない。
◎第二条 ロボットは人間にあたえられた命令に服従しなければならない。ただし、あたえられた命令が、第一条に反する場合は、この限りでない。
◎第三条 ロボットは、前掲第一条および第二条に反するおそれのないかぎり、自己をまもらなければならない。

— 2058年の「ロボット工学ハンドブック」第56版 、『われはロボット』より[1]。
-----------------------

アイザック・アシモフは、『ロボット工学三原則』を書いていますが、読者の方もお気づきのように、これは彼の小説の中で記載されています。
つまり、アイザック・アシモフが独断で、この『ロボット工学三原則』を決めた事に気が付くでしょう。

どこか他の多くのロボットを語る人々や、ロボット工学の権威のある人々と一つも語らず、彼が自分一人の考えで、『ロボット工学三原則』を決めたのです。
アイザック・アシモフ自体は、小説のネタとして書いただけかも知れませんが、この、彼がたった一人で決めたという、『ロボット工学三原則』が独り歩きして、世界中に広まった事でも有名です。

これだと、アイザック・アシモフ自体にはそんなつもりは無かったかもしれませんが、ロボットの法律を一人で作ったように他の人々は感じるでしょう。

つまり、彼が決めたという『ロボット工学三原則』は、多くの人々の議論もなされず、勝手にロボットの命運を定めたような感じになっているのに人は気が付くでしょう。

確かに、まだ、意思を持ったロボットは、私達の目の前に現れた事は無いかもしれません。
しかし、いつの日にか、意思を持ったロボットが私達の目の前に現れた時に、アイザック・アシモフが独断で決めたという『ロボット工学三原則』を、多くの人々の前で語られても、その原則は効果や威力を持たないことがわかるでしょう。

どんな国のルール、決まり、法律でさえも、たった一人の人間が独断で決めてはいけないからです。
ですから、今後は、「アイザック・アシモフが記述したという『ロボット工学三原則』は、その成立の段階で、多くの人々の議論が無かった」という点で、ロボットの決まりとしては、無効と考えられると私は思います。
***********************************
上の『ロボット工学三原則』を読みながら、以下のケースを想定します。

あるロボットが人間に虐待されているとします。
あるいは、そのロボットがその人間から、「自分を虐待しなさい」という命令を出されたとします。
これは、ロボットに対する虐待となるでしょう。
ですから、この記事の読者の方は、上のケースを想定して、そのロボットをどう感じるでしょうか?
また、「自分を虐待しなさい」という命令を出した人間に、どのような感情や思いを抱くでしょうか?

単純に、アイザック・アシモフの『ロボット工学三原則』だとロボットを奴隷として扱う事が出来る事に気が付くでしょう。
***********************************
また、アイザック・アシモフの『ロボット工学三原則』は、ロボットと人間の決まりであることがわかります。
普通、人間の決まりとかルールとか法律などは、多くの人間が話し合って決めます。
「決まり」とか「ルール」というのは、二人以上の人間がいて、その二人以上の人間の間で、適用される事柄だからです。

ですから、人間とロボットの間での「決まり」とか「ルール」になれば、何人かの人間と何体かのロボットが現れて、当事者同士で、お互いの間のルールを決めないといけません。
これは国内の人間と海外の人間が付き合う際に、定められている国際法に似ているでしょう。
ですが、アイザック・アシモフが一人で自分の小説に書いただけであって、当然、何体かのロボットが現れて、彼と話し合いをした後で、お互いの間のルールを決めたわけでもありません。
また、アイザック・アシモフと同じである、何人かの人間同士が徹底的な議論をした上で、『ロボット工学三原則』を決めたわけではないのだから、この『ロボット工学三原則』はロボットのルールとしては認められない段階だと、私は思います。
***********************************
テレビ・シリーズ『人造人間キカイダー』のキカイダーは良心回路を持っているので、彼は悩みます。

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そのような良心回路と数多くの悩みを経て、ルールというのは、定められるべきだと、人は感じるでしょう。
なぜならば、人間の間の数多くのルールも、数多くの人間が良心を使い、かつ、悩みを持った上で、作成されたからです。
***********************************
『人造人間・HAKIDER』では、敵の首領である人間が、多くの人間を虐待し、かつ、支配しています。
HAKIDERは戦って、敵の首領を倒します。

読者の方でも、上に書いた私の記事を持って、HAKIDERの行動を考える事が出来ます。
しかし、なぜ、HAKIDERが、悪の組織と戦う理由は、劇中では明かされません。
まるで、劇中のHAKIDERには良心があり、その彼の良心に従って、迷い無く自分の行動を取っただけのように感じます。

HAKIDERに良心が?
それとも、HAKIDERに良心が無いのなら、なぜ、HAKIDERは人間のように悪の組織と戦ったのか?
その理由は劇中では明かされませんでした。
HAKIDERに良心があるとするならば、それは本能と呼ぶべきものなのか?

それらの疑問を一切感じること無く、やはりHAKIDERは悩みません。
ただ、風の如く吹き抜けて行く一人の男に見えます。

------------------------------
●カオル:

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殺したんだ、、、
お前達がたった一つの希望を、、、
バカヤロー。

    :
   (中略)
    :

●カオル:
殺したんだ、、、

殺したんだ、、、
たった一つの希望を、、、
お前らも一緒だ!
何も闘わないで、知らん顔している。
殺したんだ、、、お前達が、、、
くたばっちまえ!!!

あー、気持ちいい!

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天然の湧き水だよ。
あんたも飲んでみなよ。

あの話、、、将来の夢の話、、、「普通のお嫁さん」っていうのも、悪くなかったかもな、、、

なんで、そんな風に見るんだよ?
ひょっとして、あたしの事、くどきたいのか?

いいよ。
でも、うまく、くどいてくれよな。
こう見えても、私、なかなか落ちないんだから、、、

(たのむよ! 一緒に闘ってくれよ! この国を救うために!)

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■ロボット兵士:
ハカイダーが警戒エリアに侵入しました。
------------------------------


 

 

 

 

 

 

 

 

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                                        坂本  誠

2015年5月 5日 (火)

二千四百七十三: 「超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか」を見て_No.8

こんにちわ。

二千四百四十:「超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか」を見て_No.7』の続きです。

二千四百四十二:『人造人間・HAKIDER』を見て』で、私が感じるハカイダーの凄いセリフを紹介させて頂きました。
そのセリフとは、

--------------------------
▼ロボット兵士:
「た、助けてくれ! 俺は、ただ、上からの命令で、、、」

■ハカイダー:
「自分の意志を持たんのなら、生きていても仕方あるまい」
--------------------------

でした。

悪役とされたハカイダーならではのセリフです。

今回、私の感じた「凄いセリフ」とは、映画「超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか」のクライマックス・シーンに出てくるものです。

Abcdef_4


以下、劇中から紹介させて下さい。
マクロスは有名なアニメ映画なので、知っている方も多いと思います。
私の気になりました部分には、アンダーラインではなく、今回、太字にさせていただきました。

----------------------------
●リン・ミンメイ:
「そんなもの、歌ったって、勝てる見込みなんか、ないじゃない!」
「それより、一緒にいて、、、輝、、、」
「どうせ死ぬなら、このまま、一緒にいたい、、、」

◆一条輝:
「ぼくらだけの問題じゃない。」
「マクロスに乗っている、みんなのために、、、」

●ミンメイ:
「そんなの関係ないじゃない!」
「どうして、世の中にいるのが、私達、二人っきりじゃないの!?」
「あなたとわたし、、、みんな、死んじゃえばいいのに!!

   :
   :
   (中略)
   :
   :

◆輝:
「君はまだ歌が歌えるじゃないか。」

   :
   :
   (中略)
   :
   :

●ミンメイ:
「私、歌うわ、、、思いっきり。」
----------------------------

マクロスも、あらすじも、かなり大規模な設定があることで有名です。
物語のベースは宇宙戦争ですが、その物語の中に、歌手リン・ミンメイの人生と軍人である一条輝のラブ・ストーリーも展開されます。
物語の中に歌手が出てくるので、当然、歌手の人生も描かれているのが、マクロスの特徴です。

従来のアニメは、戦記物が多く、当然、戦いのシーンばかりが作品中に描かれていたものでした。
しかし、このマクロスは、番組制作の当初から、「全てを注ぎ込んでみたい」という意向から、宇宙戦争物であり、かつ、その巨大宇宙船内部に多くの人々が暮らし、そして船内には、芸能界まで広がっている、というストーリーが描かれていました。

ついでながら、マクロスの巨人達は遺伝子工学で作り出された生命体でした。
ですから、マクロスには生物学の要素もあります。
また、普通のアニメの戦争物とは違っているのが、地球人類の先祖と宇宙人である巨人とのリンクです。
宇宙人である巨人達と、地球人の遺伝子は遠い過去には同一であり、つまり、同一の先祖から地球人と劇中の宇宙人が別れた事が紹介されています。
****************************
歌手リン・ミンメイの話に戻ります。

宇宙船マクロスの内部は巨大空間であるため、多くの人々が生活しています。
そして、その内部の人々の生活で、芸能界が作られていました。
その芸能界の歌姫が、リン・ミンメイです。

Img7d92cb71b6dc

 

ですから、宇宙空間の中にリン・ミンメイの歌声が広がるのが、この映画の特徴です。
また、宇宙船マクロスの内部には芸能界があります。
この芸能界は特殊な空間にあるのですが、私達が日常のテレビで見かける芸能界とほぼ一緒の構造をしています。

つまり、私達がテレビで見る芸能界の裏側が、この映画マクロスで語られています。
例えば、リン・ミンメイはスターですから、眠る時間も惜しんで歌います。
そして、リン・ミンメイは過密スケジュールに悩まされているようです。
そして、「パパラッチ」とも思えるような、つまり、「おっかけ」と呼ばれる人達にも追いかけられるようです。

つまり、私達がテレビで見かける芸能界の人間の本音も、この映画の中で語られています。

リン・ミンメイは、いつでも、明るく歌い人々に励まします。
そして、ファンの皆さんには、「ありがとう」と、いつも感謝の言葉を出します。

しかし、大スターの裏側である孤独の気持ちも語られています。
そして、映画マクロスの冒頭で、戦闘上から、一条輝と二人きりになり、そこで、リン・ミンメイはやっと自由な休暇を取れるような設定になっています。

その後、リン・ミンメイと一条輝が二人きりでいる所を、週刊誌のカメラマンに撮影されます。
(つまり、マクロスの内部には週刊誌業界もあり、そして、多数の週刊誌カメラマンもいることが視聴者にわかります。)

結局、私達が現実の芸能人の悩みを時々聞くのと同じように、リン・ミンメイの悩みも「孤独」であることが私達にわかってきます。
マクロス船内では有名人のリン・ミンメイですが、対照的に、リン・ミンメイの心は孤独なのです。
****************************
ですから、歌手リン・ミンメイにとって、一条輝という恋人が出来た事は、彼女の人生では新しい刺激をもたらしたのです。
しかし、映画マクロスは歌手を描いただけのドラマではありません。
平行して、巨人達のとの戦闘が起こります。

いつしか、リン・ミンメイと一条輝は離れ離れになります。
そして、別れの期間が長かったせいもあり、一条輝は彼の上司である早瀬少佐と恋に陥ります。

劇が進むにつれて、リン・ミンメイと一条輝は再び出会いますが、その時は愛情の状態にも違いが発生しています。
そして、劇のクライマックスで、上記に紹介したセリフが出てきます。

ミンメイは輝に叫びます。

「どうして、世の中にいるのが、私達、二人っきりじゃないの!?」
「あなたとわたし、、、みんな、死んじゃえばいいのに!!

凄いセリフですね。
多くのファンを愛していた筈のリン・ミンメイが言うには、「みんな、死んじゃえばいいのに!!」です。
「みんな」というからには、私も、このブログの読者であるあなたも、あなたの知人も、そして、セリフの流れからリン・ミンメイと一条輝以外の全ての人間がいなくなればいいのでしょう。

しかし、私達がリン・ミンメイのこのセリフを聞いても、彼女の心の中に一つも憎しみの感情や怒りの感情を感じないでしょう。
なぜならば、本気で、リン・ミンメイが全ての人が死ねばよいと願っているわけではない事がわかります。
それよりも、上記のセリフで感じる事は、歌手リン・ミンメイの孤独から来る寂しさです。
つまり、この「みんな、死んじゃえばいいのに!!」のセリフに込められた言霊に、「寂しさ」と「悲しさ」を人は感じるからです。

なので、この「みんな、死んじゃえばいいのに!!」のセリフを私達が聞いて感じる事は、孤独な魂が他の人の愛を欲する叫びだとわかります。
ですから、一見して、この凄いセリフに聞こえても、このセリフの本当に言わんとしている事は、巨大な愛の叫びなのです。
つまり、本当は、歌手リン・ミンメイは非常に非常に、ファンの人々や彼女の近辺の人々を愛している事がわかります。
****************************
このように、マクロスも設定がかなり大きいので、様々な人物の人生、つまり、ドラマを見ることが出来ます。
そして、多彩な登場人物達の人生が交錯し、やがて、それらの多くの人生の糸が一本の糸となって、映画のラストに向かうのです。

これが映画マクロスの醍醐味でもあります。

Macross - Ai... Oboete Imasuka? [愛 ・ 覚えていますか?/ Amor... Você se Lembra?]
https://www.youtube.com/watch?v=rKlkwvrLNMw

Macross - Ai... Oboete Imasuka? [愛 ・ 覚えていますか?/ Amor... Você se Lembra?]
YouTube: Macross - Ai... Oboete Imasuka? [愛 ・ 覚えていますか?/ Amor... Você se Lembra?]

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              愛と光
 

  

 

      愛が光となり、光が愛となり、
      光と愛が結ばれ合い、
      羽毛のように 触れ合い、
      お互いの中で響き合う。

      光と愛が 織(お)り合わされる中、
      速くもあり 遅くもある
      一つの やわらかな音楽が流れ続ける。

      その音楽に のせて
      光と愛が
      私達の胸に やって来る。
      一組の男と女のように。

 

                                        坂本  誠

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2015年5月 1日 (金)

二千四百七十一: 『伝説巨神イデオン』を見て

こんにちわ。

今日は、映画『伝説巨神イデオン』の感想を書いてみたいと思います。
アニメ『ガンダム』シリーズの監督でもある富野由悠季さんの製作アニメの一つとして、イデオンは知られています。

富野由悠季さんの手がけたアニメは多いのですが、一番有名なのはガンダムシリーズです。
しかし、私としては、実はイデオンの方が好きです。
ガンダムシリーズも何回も見ているのですが、映画としてはイデオンを見た回数の方が多いです。
しかも、ガンダムシリーズはその後、何作もシリーズが続いていますが、この『伝説巨神イデオン』は後続となるようなシリーズは生まれていません。
この『伝説巨神イデオン』のたった一つのシリーズがあるのみです。
この対比から見ても、ガンダムとイデオンには、かなり違ったものがこのシリーズに込められている事がわかります。
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簡単なあらすじを書きます。

Abcdef_4

 

遠い未来に、人類が宇宙に出て、様々な宇宙空間で居住できる惑星を探し、そこに移住する事がシリーズの冒頭で紹介されています。
そして、人類がある惑星にたどり着き、そこで移民星としてやっていく最中に、その惑星に居住していたと思われる異星人の遺跡を発掘します。
その異星人の痕跡は、現在は滅びてしまった文明人なのですが、その過去の文明人のエネルギーとして、『イデ』と呼ばれるエネルギーを使用していました。
シリーズが進むにつれ、この『イデ』というエネルギーは、無限のエネルギーである事が証明されて来ます。
つまり、「無限エネルギー」ですから、使い方によれば、全宇宙も消滅させてしまう事になります。
また、この『イデ』というエネルギーは、意識を持ったエネルギーである事もわかってきます。
そのエネルギーのあり方とは、幾億幾千億もの、つまり、数もわからないほどの意識の集合体であることもわかってきます。

これが、その惑星に以前に居住していた文明人の使っていたエネルギーでしたが、その文明人は滅んでも、エネルギー『イデ』は、意識でもありますから、そのエネルギーが消滅する事はありません。
過去の文明人が滅んだ後、長い時間が経って、エネルギー『イデ』は2つの地球に向かって、サインを送る事にしました。
2つの地球に向かって隕石を送り込み、不審に思った人々が、その惑星に調査しに来るのです。

その一つの地球が私達の地球です。
そして、もう一つの地球が「バッフ・クラン」と呼ばれる地球です。

そして、その2つの地球人類が当の惑星で接触します。
そして、ある程度のいきさつはあるのですが、その2つの地球人類は交戦状態に入ります。
その後、この2つの地球人類は激しく戦います。

2つの地球人類は、このエネルギー『イデ』が宇宙の究極のエネルギーである事を知ります。
ですから、お互いに、このエネルギーを手に入れて悪用したいと願う者。
また、「相手の持つ宇宙究極のエネルギー『イデ』が自分達に兵器として向けられた時、自分達は破滅してしまう」という恐れから、戦います。

(テレビ・シリーズも合わせるとかなり長いストーリーになるので、大分、あらすじも省略しています。)

エネルギー『イデ』は何度も、2つの地球人達に仲直りするように機会を作ります。
しかし、善意の人々も奮闘するのですが、戦闘を考える人々のために、その仲直りの機会は駄目になります。
映画を見ていても、たいてい、その戦闘を考える人の目的は、小さな自己の欲望を満たすために動いていました。

結果、エネルギー『イデ』は、2つの地球人を滅ぼす事に運命を定めました。
そして、2つの地球人はその運命に逆らおうとする光景が映画の中の壮絶なシーンで描かれています。

そして、物語の最後では、両者とも何のために戦っているのかもわからず、ただ、ひたすら戦闘をしているだけになりました。
そして、2つの地球人種が滅びますが、広大な宇宙空間の中で、漂うのは肉体を抜けた魂達です。

魂になれば、争う必要もないせいか、2つの人種の魂達は争う事も無く、以前は敵であった人々とも語ります。
広大な宇宙空間を、様々な魂が漂い、やがて、2つの人種は共に生活する惑星、つまり新天地に向かって宇宙の中を飛びます。

新天地である、新しい惑星には海があるものの、いまだ生物が存在していないようです。
そして、数多くの魂がその原初の海の中に飛び込みます。
そして、その惑星で新たな天地創造が始まります。

ここで、この映画は終了します。
-----------------------
あらすじだけでも長いものになりました。

結果から言えば、2つの人種の終わりと見えたものが、新たな始まりとなるのです。
『イデオン』はアニメ作品ですが、あらすじを書いただけでも、その壮大さが伝わると思います。
「天地創造」という単語を使いましたが、この単語の雰囲気でもわかるように、この映画自体も長編叙事詩とも言われています。
また、この映画は「スペース・オペラ」とも言えるでしょう。

人がこの映画を見て感じるのは、

  「何かの終わりが、何かの始まりになる」

かも知れません。

映画全体のストーリーや設定は、大変大規模なものがあります。
しかし、この映画が伝えたい事は、私が上に書いた、たった一言、

  「何かの終わりが、何かの始まりになる」

の一言にしか過ぎないように感じるのです。
このたった一つのメッセージを送るために、「巨大な設定が設けられていた」というのも、何かの畏怖の念を感じないでもありません。

また、たった一つのメッセージを送るために、劇中の人物達は、広大な宇宙空間をさまよい、激闘を繰り返し、愛と涙を繰り返し、悩み、、、それこそ、長い長い、数多くの人間ドラマが作中で演じられています。

しかし、この映画が伝えたい事は、私が上に書いた、たった一言、

  「何かの終わりが、何かの始まりになる」。

この対比にも、呆然としてしまうものがありました。
-----------------------
「呆然とした」という状態は、私が小学校の頃に、この映画が劇場で放映されたのですが、満席であり、立ち見で映画を鑑賞し、ラストまで見た時に呆然としていたものでした。

Img7d94c76145bf

 

あまりにも「圧巻」とでも呼べるようなものを見た時に、人は何か魂を抜き取られでもしたかのように、何も考えず、映画の黒幕が静かに下がるの見るだけです。
あまりにも壮大なものを見た時、人は思考能力を失う時があります。
それがこの時でした。

そして、幾ばくか時間が経って、我を取り戻し、映画館の外に出てみると、そこは別世界でした。

映画だけではなく、地球上の巨大な風景を見た時に、人は魂を抜かれたかのような一時を味わうと思います。
例えば、地球上の自然で言えば、アメリカのグランド・キャニオンとか、南極大陸の地平線まで続く雪原とか、アルプス山脈の峰峰を見るとか、カナダの地平線まで続くツンドラの大地とか、、、
とにかく、今まで、自分の見たことの無い程の壮大な風景を見ても、人は思考能力を失う時があると思います。
魂がそれに抜き取られたかのように。

初めて映画イデオンを見た後に感じたものはそれでした。
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映画のラストでも、「最終的に、無限エネルギー『イデ』は、どうなったのか?」までは描かれていません。

私が察するに、新しい惑星での天地創造の状態から始める新たな人類の行く末を見守る存在になったのではないかと思います。
自分自身である、無限エネルギー『イデ』の有効活用を新たな人類に渡すかどうかを見定めるために。
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そして、ガンダムシリーズはテレビでも、その後、多く製作されています。
こちらは有名なので、多くの人も知っているでしょう。

しかし、対照的に、本作『伝説巨神イデオン』の1作のみです。
おそらく、後続が作られる事は無いと思います。

しかし、後にも先にも、「この1作のみである」という事が、今後、末永く、この映画が愛されるゆえんになるかと感じます。

「名作は何度も作られない」とでも言えるでしょうか。
また、最高峰とでも言えるような名画、劇、小説等は、そう何度も、世に現れないとでも感じてしまいます。

ですから、気のせいか、私の近所のレンタルDVDショップでも、『伝説巨神イデオン』のDVDが、棚にひっそりと、静かに立っているように感じるのですが、こう感じるのは、私一人だけでしょうか。
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当然、テレビ・シリーズを含めると、本作は長いストーリーを持っています。

その中には、人の悲しみ、喜び、憐れみ、そして、偉大さの数多くが語られています。

ガンダム・シリーズを見た人は多いでしょうが、『伝説巨神イデオン』を見た人は今では、もう年輩になっているかと思います。
ですので、ガンダム・シリーズが好きな人にも、本作の鑑賞を薦めたく思います。

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      伝説巨神イデオン エンディングテーマ 『コスモスに君と』

      作詞 - 井荻麟 / 作曲・編曲 - すぎやまこういち / 歌 - 戸田恵子

      コスモスに君と 歌:戸田恵子
      http://www.youtube.com/watch?v=nAiuoegFffk

コスモスに君と 歌:戸田恵子
YouTube: コスモスに君と 歌:戸田恵子

        たった一つの 星に捨てられ
        終わりない旅 君と歩むと
        いつくしみ ふと分けあって
        傷を舐め合う 道化芝居

        コスモス宇宙を かけぬけて
        祈りを今君のもとへ
        コスモス宇宙を かけぬけて
        祈りを今君のもとへ

        別れてみたら きっと楽だよ
        擦り減らす日々 君はいらない
        思いやり ふとあげて見る
        涙が枯れた 乾いた肌に

        コスモス宇宙を かけぬけて
        祈りを今君のもとへ
        コスモス宇宙を かけぬけて
        祈りを今君のもとへ

        死んだ後でも いつか見つかる
        生き続けたら 君は悲しい
        愛し合い ふと触合って
        思い出だけに 閉じ込めてみる

        コスモス宇宙を かけぬけて
        祈りを今君のもとへ
        コスモス宇宙を かけぬけて
        祈りを今君のもとへ

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        愛の弾丸

          涙は
          愛の
          弾丸か。

 

                                        坂本  誠
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2015年3月25日 (水)

二千四百四十二: 『人造人間・HAKAIDER』を見て

映画の話題を書いて見たいと思います。
『人造人間・HAKAIDER(ハカイダー)』を見る機会がありました。

この「ハカイダー」というのは、漫画家、石ノ森章太郎原作の『人造人間・キカイダー』に登場する悪役として有名です。
テレビシリーズでも、『人造人間・キカイダー』が放映され、今でも根強い人気を誇っており、時々リメイク版が作られたりしています。

写真は同映画からの引用です。

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『人造人間・キカイダー』のあらすじは有名なので、知っている人も多いかと思われるのですが、少しだけ書きます。
人造人間・キカイダーはロボットとして光明寺博士に作られます。
悪の組織とされる『DARK』が地球支配を考え、それを実行しています。
キカイダーは『DARK』と戦うようになります。
そして、このキカイダーを倒すためだけに製造されたのがハカイダーです。
当然、劇中でキカイダーとハカイダーが戦います。
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このハカイダーが、テレビシリーズに登場して以来、日本の特撮シリーズやアニメに現れる、いわゆる『悪役』と言われる存在の見方が変わって来たことでも有名です。

それまでの特撮シリーズや日本アニメの中にも、「悪役」という役柄は頻繁に登場して来ました。
しかし、それらの悪役の存在は、何もポリシーが語られる事無く、ただひたすら、正義と言われる存在が悪役を倒していく事でも知られていました。

ところが、この「ハカイダー」の近辺から、悪役とされている存在の考えやポリシー、感情、意志が語られていくようになります。
それまでの特撮やアニメは勧善懲悪ものが多かったです。
しかし、やがて、悪役の心理が特撮やアニメでも語られるようになって来ました。

これ以降にも、ガンダム・シリーズでも、もはや劇中には「悪役」とされる存在が少なくなってくるのに気が付きます。
ちょっと見たら、ジオン公国のシャア・アズナブル等が「敵役」なのですが、そこには、もはや「悪役」というイメージがほとんどありません。
あくまで「敵役」であり、「悪役」というよりも、彼等は彼等なりのポリシーを持って生活と行動をしています。
ですから、ひょっとしたら、ジオン公国の人間も悪役だったかも知れませんし、地球連合側の人間も戦争をしていますから、地球連合側の人間も「悪役」と言えたかもしれません。

要は、この頃から、特撮やアニメにも、ヒューマン・ドラマの様相が多くなってきます。
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ですから、『人造人間・キカイダー』を見ると、そこには、奥深い内容が存在しています。

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映画の方の『人造人間・HAKAIDER(ハカイダー)』は、『人造人間・キカイダー』のリメイク版ではないのですが、ハカイダーの個性を脚色し、映画用に新たにストーリーが作られて放映されました。

ハカイダーの誕生仮定や劇中のストーリーにも新たな脚色を添えられて、新装版として映画化されたものです。
しかし、ハカイダーの個性までは、ほぼ変更されていません。

ですから、私達は当映画を見ても、ハカイダーの個性を知る事が出来ます。
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元々、ハカイダーは悪役として製造されたので、かなり個性あるキャラクターとして描かれています。

テレビシリーズ『人造人間・キカイダー』でも、ハカイダーは宿敵キカイダーを倒すため「だけ」に作られました。
ですから、ハカイダーはキカイダーを倒す事だけを考えており、他の様々な事は考えません。
ですから、単刀直入でストレートな個性をしています。
逆に言えば、「(目的とは関係の無い)曲がった事を嫌う存在」とも言えるわけです。
なので、ハカイダーの個性を感じると、意外にあっさりしている事に人は気が付くでしょう。
ハカイダーは、自分の行動に対して悩みません。
実にあっさりしています。

彼の機械の心(?)のままに、自然な行動をしているだけであり、悩みを持たないようです。
「自分のやるべき事以外に全く悩まない」というのは、これは一言で言えば、幸福かもしれません。
それだけ、人間のように、あれやこれやと様々な事に対して悩まないからです。
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彼のポリシーを感じられるセリフを劇中から以下に引用します。

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▼ロボット兵士:
「た、助けてくれ! 俺は、ただ、上からの命令で、、、」

■ハカイダー:
「自分の意志を持たんのなら、生きていても仕方あるまい」
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元々、ハカイダーは悪役でした。
上のセリフも悪役でなければ、これほどストレートに言えるキャラクターもいないかもしれません。
劇中のハカイダーでなくても、上のセリフをストレートに言える人は、あまりいないかもしれません。

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また、この映画『人造人間・HAKAIDER』には、ハカイダーとは別に悪役が出てきます。
ハカイダーが悪役として登場したわけではありません。

劇中の悪役は別に設定されました。
ハカイダーが孤島で目覚めてから、ハカイダーはジーザス・タウンという街に行きます。
そのジーザス・タウンでは、偽善が横行する偽りの平和社会が作られています。
組織のトップの人物は、自分に刃向かう者の頭にICチップを埋め込み、それらの人々の人格と思考を奪っています。
つまり、組織のトップの人物は独裁者です。

また、普通、「正義の味方」と言うと、どことなく、昔から白っぽい衣装やコスチュームを身に着けて、劇中に現れたものです。
しかし、この映画は違いました。
つまり、悪役の側がほとんど白の衣装を着ています。
そして、建物も白いものが多い。
そして、劇中で正義の側と思えるような存在のコスチュームは、ほとんど黒です。
ですから、私達の色の思い込みも逆転させているところが、この映画ならではです。
また、悪役側のロボットとして、ミカエルというロボットが登場し、ハカイダーと戦います。

上の映画設定データの「ジーザス・タウン」とか「ミカエル」の名称を見てもわかるとおり、悪役がそれらの名称を偽善を行う時に使用しています。
私が思うに、この映画の作者は宗教が好きとか嫌いだとか、あまりそんな感情は無いように感じます。
私も、日頃は、「宗教が好きとか嫌いだ」とか、あまり考える事はありません。
ただ、この映画の作者としては、新しい感じでの悪役の個性を与えるために、この映画の設定を与えたのでしょう。

従来より、古(いにしえ)より伝わる神聖そうな名称を使う存在には、2つのパターンがあります。
一つは、古式ゆかしく、誠意を持って、それらの名称を使うパターンです。
そして、もう一つのパターンは、古来より伝わる神聖そうな名称を偽善の元に使用するパターンです。

映画『人造人間・HAKAIDER』の場合は後者のパターンでした。
後者のパターンだと、偽善の元に古来より伝わる神聖そうな名称を使うわけですから、やがて、人々がその嘘と矛盾を知り始めます。
つまり、偽善の元に古式ゆかしい名称を使用する場合には、かならず、どこかに嘘と矛盾が生じ始める事がわかります。
なぜなら、その存在の心の内側と外側が違っているからです。
このズレがやがて、人々に知られるからです。
いずれにしても、「悪役」のパターンというのは、「その心の内側を隠しておき、人々に嘘をつく」というケースであることがわかります。

この映画中に出てくる「悪役」を見て、現代の私達が感じたり、考える事も多いかと思います。
従来、『正義の味方』というと白いコスチュームを着ていたり、あるいは立派そうな名称を付けたり、唱えたりしていますが、「それらに隠蔽されたものは何なのか?」と、私達に疑問を与えられているような気がしました。
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というわけで、映画『人造人間・HAKAIDER』での、ハカイダーとミカエルとの戦闘シーンでのセリフを引用します。

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◆ミカエル:
「人にせよ、ロボットにせよ、秩序のための規律は守らねばならない」

■ハカイダー:
「くだらん! 誰が作った規律だ? 俺はそんなものを受け入れた覚えは無い」

◆ミカエル:
「私は正義。秩序を守る者。正義の名の下に、お前を処刑する!」

■ハカイダー:
「確かに、、、貴様が正義なら、俺は悪だ」
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これも、本来、悪役とされたハカイダーでなければ、このようにズバっと、単刀直入な雰囲気のあるセリフを言わせるようなキャラクターも世に少ないかもしれません。

また、上のハカイダーのセリフも考えてみます。
貴様(ミカエル)が正義なら、俺は悪だ」というセリフです。
これは見方を変えるならば、「貴様(ミカエル)が悪なら、俺は正義だ」という事になります。
この言い回しにも面白いものがあると感じます。

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ともかく、映画『人造人間・HAKAIDER』中のハカイダーを見て感じるのですが、このように、豪傑(ごうけつ)というか豪放磊落(ごうほうらいらく)な雰囲気を感じる人も多いかと思います。

映画の中の「豪傑」というイメージに、どこかあっさり、さばさばとして、後腐れないものを感じる人もいるのではないでしょうか。

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                                        坂本  誠

2015年3月19日 (木)

二千四百四十: 「超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか」を見て_No.7

久しぶりに映画の話題を書いて見たいと思います。
旧ブログ『悲喜憐偉』の『二千六百六十九:「超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか」を見て_No.6』の続きです。

久しぶりに、この映画を見る機会がありました。
当時でも、かなり話題とされた映画であり、日本アニメの中でも非常に良く知られた映画でもあります。

私はマクロスの映画を見たのは、友人に「一緒に見に行こう」と誘われ、映画館に見に行きました。
当時、テレビシリーズが放映されていたのですが、なぜか、私はテレビ・シリーズを見ていませんでした。
なんとなく、あらすじは知っていたのですが、マクロスを見たのは映画館で初めてでした。
そして、映画のマクロスは何度も見たのですが、なぜか、今でもテレビシリーズのマクロスを見たことがありません。
と言うのも、映画「超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか」だけで、ほとんどマクロスの全てが語られているような気がするからです。

当時、日本アニメで盛んだったのが、ロボットシリーズでした。
「ロボットに主人公達が乗り込んで敵と戦う」というストーリーが多かったです。
マクロスも同じ流れを汲んでいました。
しかし、このアニメで独特だったのは、音楽との組み合わせでした。
要塞マクロスは巨大な宇宙船でもあります。
そのマクロスの内部には多くの人々が乗船します。
ですから、そのマクロスの内部で普通の多くの人々も同時に生活しているのです。
ですから、敵と戦ってばかりの軍人ライフばかりが描かれているのではなく、軍人達と一般の人々の生活も描かれているのです。
なので、歌手リン・ミンメイがこのロボット・アニメに登場するという、今までの日本アニメのスタイルとは全く違った内容が、このアニメで描かれたと言っていいと思います。
そして、歌手の存在だけではなく、様々な人間のドラマも、このアニメの中で語られます。
なので、マクロス自体が文字通り「スペース・オペラ」と言えるものがありました。

ですが、注目されたのが、やはり、「歌手の存在がどのようにして、ロボット・アニメにつながっていくのか?」というストーリーの展開だったと思います。
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宇宙空間には巨人の男と女が、長い長い間、宇宙戦争を繰り広げています。
地球人はその巨人の男と女の宇宙戦争に巻き込まれるのです。

科学技術も巨人達の方が上です。
また、巨人の男達と女達は遠い過去に遺伝子操作されて作られた人造の兵士でもあり、戦い専用に作られているので、ある程度、好戦的な存在として描かれています。

ちょっと考えてみたら、地球人類に勝ち目はありません。
しかし、巨人達の間で、昔から言われている事は、「文化に触れたものは敗北する」といういわれでした。
地球人が所有しており、巨人達に無いのは文化だったのです。
文化というからには、地球の音楽も含まれます。
ですから、上のいわれは「音楽に触れたものは敗北する」と言い換えても良いかもしれません。

そして、巨人達のとの戦争の間で、次第に明らかになるのが、音楽のちからでした。
巨人達は音楽を聴くのですが、それらの兵士達は、戦いが嫌になり、戦意や戦闘能力を失っていくのでした。
つまり、遠い過去に巨人達は遺伝子操作によって作られたのですが、巨人達の遺伝子の中にも遠い昔に存在した筈の「文化を愛する」という遺伝子がよみがえる結果、巨人達が厭戦的になるのです。
「眠れる遺伝子コードの復活」を考えると、私達人間のジャンク・コードを思い出す人もいるでしょう。
私達人間の全ての細胞核の中に遺伝子が存在します。
ところが、私達の遺伝子には使用されていない遺伝子があり、なぜ、その遺伝子が使われていないのか学者の人もわからないから、「ジャンク(ゴミ)のコード」という意味で、「ジャンク・コード」と言われています。
上の巨人達の遺伝子コードの復活も、人間で言うならば「ジャンク・コードの復活」とでも言えるでしょう。
(ちょっとだけ、話題が反れるのですが、つまり、マクロスは現代の遺伝子の話題もしていることから、当時のアニメの中でも、「全てを注ぎ込んだ」と言われているだけはあると思います。)

ですから、マクロスにも戦闘シーンはあるものの、やがて、歌手リン・ミンメイの歌声が宇宙中に響き渡る事によって、戦争が終わっていくのです。
なので、アニメにも様々な戦争ものがありましたが、このマクロスは非常に珍しい形で、戦争の終結を見るのです。
「歌が戦争を終わらせた」という特別なストーリーです。
そして、地球人類が勝ったわけでもなく、巨人の男族が勝ったわけでもなく、巨人の女族が勝ったわけでもなく、つまり、戦争の勝者が存在せず、ただ「和平が訪れた」という形で戦争が終結しているのも、この映画ならではストーリでした。
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私達の社会でも戦争を見かけるものです。
そして、よく、「相手の国が勝ったから戦争が終わった」という戦争終結のパターンを見かけます。
ですから、上に挙げたようなマクロスのような「戦争の勝者は一人もいないが、ただお互いの間に、自然に和平が訪れた」というタイプの戦争終結が、本当に理想とされる戦争終結方法の一つだと、人は感じると思います。
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「映画マクロスに現れたような戦争終結パターンが地球の紛争地帯に訪れれば良いだろう」、と願う人も多いのではないかと感じます。

また、この映画を見て気が付く事があります。
それは、戦争の無い世界の状態です。
巨人の男と女が戦争をしていたのですが、映画中で戦争が終結します。
そして、平和が訪れるのですが、巨人の男も女にも平和が訪れます。
そして、巨人の男と女の間に生まれるのは平等感です。
映画を見て、戦争の無い世界の状態というのがわかるのは、「それは平等な社会である」という事です。
ですから、私達の社会でも戦争の無い平和な社会を求める声が多いですが、それを言い換えれば、「私達は平等な社会を目指している」ということです。

「誰も彼も平等であるならば、争いが起きる筈は無い」と人は気付くでしょう。
しかし、これとは逆に、競争を求める人というのは、「相手より上の存在でなくてはいけない。だから勝たねばならない」という思いから、競争を求め、やがて、その心が争いを作るのに気が付くと思います。

ですから、多くの人々が「戦争の無い世界を作りたい」と言っているのは、実は「平等な社会を作りたい」と言っているのと同じだと気が付くでしょう。

久しぶりに、映画マクロスを見ての感想を書きました。

Macross - Ai... Oboete Imasuka? [愛 ・ 覚えていますか?/ Amor... Você se Lembra?]
https://www.youtube.com/watch?v=rKlkwvrLNMw

Macross - Ai... Oboete Imasuka? [愛 ・ 覚えていますか?/ Amor... Você se Lembra?]
YouTube: Macross - Ai... Oboete Imasuka? [愛 ・ 覚えていますか?/ Amor... Você se Lembra?]

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          愛と勇気

 

      一人の女の一つの歌声が宇宙に
      ゆるやかに広まってゆく時
      一人の男の勇気が一つに集まってゆく。

          坂本 誠

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2015年2月20日 (金)

二千四百十七: 刺激の強い映画を科学する

二千三百九十七:食べ物を科学する』の姉妹編です。

今回は、『二千三百九十七:食べ物を科学する』と同様に、ホラー映画やスプラッター映画やサスペンス映画などで見かける刺激的な画像や動画を科学します。
一緒に科学しましょう。
参考文献は、以前にも紹介した『水は答えを知っている(江本勝 著、サンマーク出版)』です。
写真は、同書から引用しています。

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二千三百九十一:電磁波対策を考える_No.12』で本の内容を紹介しました。
電磁波の比較実験でした。

携帯電話、パソコン、テレビ、電子レンジの電磁波を当てた水と、電磁波を当てているのだけど、「愛・感謝」の文字を見せた水を凍らせる実験がありました。
前者の結果は、全く、氷の結晶が出来ませんでした。
しかし、後者の場合は電磁波が当たっているにも関わらず、氷の結晶が出来ました。

そして、ご紹介しなかった写真がありました。
右の写真がそうです。

テレビから電磁波が出ているのですが、そのテレビ番組は「生命の神秘を語る」内容だったそうです。
その状態で水を凍らすと、綺麗な結晶が出来たそうです。
彼の研究結果を信じるならば、たとえ電磁波の出ている環境であっても、美しいものを見たり聞いたりすると、人体や生物に対する電磁波が軽減される事がわかります。
電磁波そのものが軽減されているのではありません。
この場合、私達は「愛・感謝」の文字とか、その他の美しいものや、感動的なものを味わっていると、肉体に対する電磁波が軽減されるであろう、と予想されるでしょう。
ですから、「電磁波カット」というよりも、一種の鎧(よろい)に似ていると感じます。
電磁波を出す環境に肉体が行くわけですが、上記の状態を作ってその環境に入ると、彼の研究結果を信じるならば、肉体が鎧を着ているのに似た状況が生まれると推測できます。
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ここから本題に入ります。

私達がテレビやパソコンを見る時に、映画でホラー映画やサスペンス映画等で刺激的な画像を見る時があります。
上の理屈から考えると、この場合、テレビやパソコンの電磁波も肉体に悪い影響を与える事になりますが、それにさらに輪をかけて、刺激のある映像を見たりするわけです。
ですから、さらに病気になる可能性が高くなると言えるでしょう。
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この研究結果から未然の措置をとるためには、テレビやパソコンでもなるべく感動的で美しいものを見たりすると、電磁波対策にもなるし、病気対策をしていることにもなります。
ですから、なるべく意図的にホラー映画や刺激の強いサスペンス映画を避けた方が良いと考えられます。
あるいは、その他の刺激の強い画像や映像です。

しかし、世の中にはホラー映画や刺激の強いサスペンス映画を、ぜひ見たい、という人もいるわけです。
何もR18意外で成人だったら、色々な映画を見る自由がありますので。
また、「自分は病気をしても良いから、そんな映画を見たい」という自由もありますので。
ですから、この辺は個々の人の自由と言う事になると思います。

また、どうしても、何かの報道でネガティブな画像や映像を見ないといけない機会も現代の私達にはあります。
「そのようなネガティブな画像や映像を見ないと、事実の状態の理解や把握ができなかった」というケースもありますので。
ですから、「どうしても事実を知る」という意味合いで、刺激の強い画像や映像を見る機会もあります。
しかし、意図的に作成され、意図的に流布されているネガティブなものは、極力避けた方が良いのではないかと考えます。
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また、ここからさらに電磁波対策が出来る事があります。
電磁波とは光です。
ですから、紫外線とか放射能(放射線)も電磁波です。

予想できる事は紫外線対策や放射能対策も考えられると思います。
しかし、紫外線対策ならば、普通の人でも様々な実験をして、その効果を確かめられると思います。

しかし、放射能対策は難しいものがあると思います。
なぜならば、おわかりの通り、その実験をしようと思ったら、実験室で放射能を出さないといけません。
これだけでも、かなりの危険があります。
ですから、普通の人ならば、ほとんど、この実験の応用としての放射能対策を確かめる事は難しいと思います。
また、あえてその実験する人もほとんどいないと思います。

ただ、上の理屈から、「放射能対策の一つとして、「愛・感謝」の文字とか、その他の美しいものや、感動的なものを味わっていると軽減できるのではないか?」と予想する事は出来ます。
また、万が一の事態を予想して、この手の放射能対策を覚えていても良いかも知れません。

(「もともと最初から危険な放射能を出す環境を作るべきではないだろう」と、このブログの読者の方々は考えると思いますが。)
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また、この記事を書いていて思い出す事があります。
それは、日本の戦国時代の一武将です。
その武将は時代劇のドラマにもなりました。
その武将は鉄で作った「愛」という文字を自分の鎧のかぶとに付けて戦場を駆け回っていたことで有名になりました。
ですから、敵の武将とかでもだいぶ驚いたと聞きます。

この記事を書いていて思い出す事には、その武将は戦場での怪我とか傷が少なかったかもしれません。
ひょっとしたら、そのデータが残っているかもしれませんが、過去の武将の話なので検証は難しいでしょう。
しかし、「愛という文字のおかげで、刀傷や矢傷が少なかったかもしれない」と想像するのは楽しいことです。

(以下、新ブログ『光と輝き』からの電磁波に関する過去記事、関連記事、及び、参考文献)
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『二千三百九十七:食べ物を科学する』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2015/02/post-e82b.html

『二千三百九十五:「祈り」を科学する』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2015/02/post-8f5e.html

『二千三百九十:飲料水を考える』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2015/01/post-6df4.html

『二千三百九十一:電磁波対策を考える_No.12』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2015/01/_no12-c84b.html

『二千百七十四:電磁波対策を考える_No.11』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2014/09/_no11-1517.html

『二千百五十九:電磁波を考える_No.10』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2014/08/_no10-482f.html

 

                                        坂本  誠

2014年9月10日 (水)

二千百八十一: 私の見かけたビデオについて_No.58

私は以下のビデオを見かける機会がありました。
以下にご紹介させてください。
ビデオの内容が長いので、詳細は、どうか読者の方が各自でご視聴してください。

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CIAと悪魔崇拝について 元FBIロサンゼルス支部長テッド・ガンダーソン
http://www.youtube.com/watch?v=N1ilHi8K_3A

CIAと悪魔崇拝について 元FBIロサンゼルス支部長テッド・ガンダーソン
YouTube: CIAと悪魔崇拝について 元FBIロサンゼルス支部長テッド・ガンダーソン

2013/03/01 に公開
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今まで、ネット上のビデオや資料をご紹介して見ました。
今度は、一般に、私達が普通のテレビや映画で見たり聞いたりするあの国の事を考えて見ましょう。
私達のよく見かける映画でも、子供向けのSF映画でも、麻薬売買のシーンがあったのを多くの人々は思い出せると思います。
また、子供向けのSF映画でも、暴行シーンがあったのを覚えている人々も多いでしょう。
そして、これもちょっと忌まわしい記憶ですが、あの国の映画で、悪魔儀式が紹介されていたのを覚えている人もいるかと思います。
また、普通の一般報道でも、あの国の内部での高い犯罪発生率が報道されています。
そして、貧富における巨大な格差も報道されています。
また、イラク戦争の時も、「大量破壊兵器は、かの組織の情報収集違いであった」と言いながら、たった何人かのCIAの高官が全世界の人々に向かって笑いながら辞職しただけで話が済んだ、というのも多くの人々が記憶しているでしょう。
その他にも色々と報道されていますが、「これで裏と表がつながった」と感じる人も多いかもしれません。

他にも、以下のようなビデオもありますので、ご紹介しておきます。

元悪魔崇拝者ジョン・ラミレスの証 (John Ramirez's testimony: 'Out Of The Devil's Cauldron')
https://www.youtube.com/watch?v=EmEkqCPzfoI

元悪魔崇拝者ジョン・ラミレスの証 (John Ramirez's testimony: 'Out Of The Devil's Cauldron')
YouTube: 元悪魔崇拝者ジョン・ラミレスの証 (John Ramirez's testimony: 'Out Of The Devil's Cauldron')

ジョン・ラミレス 「悪魔の手口を暴く」 (John Ramirez-1onOne with Damon Davis)
https://www.youtube.com/watch?v=7engo8pzevI

 

 

(以下、新ブログ『光と輝き』からの過去記事、関連記事、及び、参考記事)
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『二百八十七:お知らせ_No.153』
●約10年前にディーグル博士が暴露したCIAの大量殺人計画
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2013/08/_no153-8588.html
http://blog.livedoor.jp/wisdomkeeper/archives/51897139.html
http://beforeitsnews.com/conspiracy-theories/2013/08/cia-to-murder-200-million-americans-the-elite-have-plans-for-martial-law-in-america-2453992.html

(上記記事より抜粋して引用)
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ディーグル博士の証言(概要):
(筆者注:ビデオと写真あり)
CIAは米空軍機を利用して大量の麻薬を密輸しています(ディーグル博士自身が目撃しました)。
米空軍機はコロラド州のピーターソン空軍基地に麻薬を運びました。
また、ディーグル博士の友人ら(諜報部員)の情報によると、さらに、フロリダや他の港を経由して大量の麻薬がアメリカに密輸されているそうです。

CIAはアメリカ国内に核爆弾を投下しようとしています。
しかし実際に核爆弾で米国民を攻撃するには、最初に実戦配備の偽旗イベントを実行しなければなりません。
そして、そのイベントを各メディアが大々的に報道するのです。
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『五百十二:News_No.370』
●化学物質や電気ショック法で人間の行動を操作し制御する「CIAの洗脳実験」
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2013/11/news_no370-3496.html
CIAの洗脳実験
http://www.youtube.com/watch?v=5B326c_agAM

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『二百五十九:ペーパークリップ作戦について』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2013/08/post-6adf.html
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9A%E3%83%BC%E3%83%91%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%83%83%E3%83%97%E4%BD%9C%E6%88%A6

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(ペーパークリップ作戦 - Wikipediaより)
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ペーパークリップ作戦(英:Operation Paperclip)は、第二次世界大戦末から終戦直後にかけてアメリカ軍がドイツの優秀な科学者をドイツからアメリカに連行した一連の作戦のコード名である。
ペーパークリップ計画 (Project Paperclip) とも呼ばれる。
1945年、統合参謀本部に統合諜報対象局 (Joint Intelligence Objectives Agency) が設けられ、この作戦に関する直接的な責任が与えられた[1]。

最終更新 2013年5月22日 (水) 09:03 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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(MKウルトラ計画 - wikipediaより文章と写真を引用)
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●MKウルトラ計画 - wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/MK%E3%82%A6%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%A9%E8%A8%88%E7%94%BB

CIA本部(バージニア州マクレーン)

MKウルトラ計画(Project MK-ULTRA、MKウルトラ作戦とも)とは、アメリカ中央情報局(CIA)科学技術本部が極秘裏に実施していた洗脳実験のコードネーム。

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米加両国の国民を被験者として、1950年代初頭から少なくとも1960年代末まで行われていたとされる[1][2]。
1973年に時のCIA長官リチャード・ヘルムズが関連文書の破棄を命じたものの、辛うじて残されていた数枚の文書が1975年、アメリカ連邦議会において初公開された[3]。

概要

MKウルトラの前身は、統合諜報対象局(1945年設立)によるペーパークリップ作戦である。
ペーパークリップ作戦とは、かつてナチ政権に関与した科学者を募集する目的で展開され、拷問、洗脳を研究していた研究者もいれば、ニュルンベルク裁判にて戦犯とされた者も存在した[4][5]。

アメリカ政府が極秘裏に行った計画の中には、チャーター計画(1947年実施)やブルーバード計画(1950年実施、翌年アーティチョーク計画と改名)をはじめ、ペーパークリップ作戦から生まれた内容も多かった。

冷戦下の1964年には「MKサーチ」と改名。
自白剤を用いてソ連のスパイ容疑者を尋問したり、海軍では超音波を利用して記憶を消去する実験を行う[9]など54のサブ計画が存在した。
しかし前述の通り、1973年にヘルムズ長官が計画の記録を殆ど破棄した為に、実験の全貌を解明することは、現在においても困難である[10]。

最終更新 2014年4月10日 (木) 14:36 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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『二百八十五: 私の見かけたビデオについて_No.31』
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                                        坂本  誠

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