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2019年1月 7日 (月)

三千三百十九:地球の方向性というものを考えてみて(独白)

以前から、地球の造物主についても語っている私だ。
「なぜ、それを書くのか」と問われるに、カバールやイルミナティのことを書いているからだ。

他の人々も感じるかも知れなけれど、カバールやイルミナティの所業を見て、悪魔を感じる人々も多いことだろう。
だから、悪魔の対局とされる、神とか造物主のことを考えざるを得ないのである。

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私達の住む地球に地球の造物主がいたと仮定しよう。

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結局のところ、地球の造物主がカバールやイルミナティを、つまりは悪魔と見えるような存在達を受け入れていると思える。
その理由を考えるに、地球の造物主としては、「より多くの、より全ての存在達を愛した方が良いからだ」というのが、その理由に見える。

私はこの点を考えることが多い。
カバールやイルミナティは全人類支配を、強いては、人間以外の全ての存在達を支配するのが目的だそうだ。
そして、その対局であるのが私達であるのならば、人によって色々あるけれど、通常は「人類支配なんて考えたことも無い」という人が多いだろうから、一応、「私達は愛の存在である」と書けるだろう。

カバールやイルミナティの行いたい「支配」というのは、「愛」の対局に存在する意志・願い・行動だろう。
だから、結局のところ、カバールやイルミナティは、わかりやすく書くのならば悪を実行しようとしている人達と書けるだろう。

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この時点で、地球の造物主が、地球上のあらゆる生物達を平等に愛すると仮定してしよう。
すると、地球の造物主は、カバールやイルミナティ以外の存在達をも愛するだろう。
しかし、それと同時に、地球の造物主は、カバールやイルミナティ達を愛することになる。
だから、地球の造物主がカバールやイルミナティ達を愛すれば、当然のことながら、カバールやイルミナティ達の行動を指示・支援してしまうことになる。
なぜならば、カバールやイルミナティ達に資源やエネルギーをも提供することになるのだから。
(私達の世界でよく見る例を挙げるのならば、テロリスト達に対する資金援助や物資・エネルギーの提供・援助に似ているだろうか。)

そのまま行くと、カバールやイルミナティ達が全地球支配が進むことになる。
地球の造物主のカバールやイルミナティ達に対する愛情が逆用されていることになる。
だから、もし、そのまま、カバールやイルミナティ達が改心して愛情の方向に向かわなければ、彼等の支配計画が進んでいく。

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結局のところ、地球の造物主がカバールやイルミナティ達を愛すれば、地球の造物主のその愛情とは、カバールやイルミナティ達以外の存在である私達を愛さなかった、という結果に陥ってしまう。

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「カバールやイルミナティ達の改心が見られない」という状況になると、二者択一の状態が現れ始める。

なぜならば、そのまま、地球の造物主がカバールやイルミナティ達を愛する行為自体、それ自体が、彼等以外の存在達への愛情とはならないし、地球の造物主が自分で自分の首を絞める、という結果になっていくからである。

もっと書いてしまうと、要するに、地球の造物主がカバールやイルミナティ達を愛すれば、つまりは、彼等以外の私達を愛さない、ということになる。

逆を言えば、地球の造物主がカバールやイルミナティ達以外の存在達を愛すれば、それは、つまり、「私達を愛している」ということになる。

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だから、ある意味、カバールやイルミナティ達と同じ地上の上に生活している私達が、彼等の説得行為や改心を迫る行為をして、カバールやイルミナティ達の改心を促さなければ、結局は、地球破壊が起こるので、「自分で自分の首を絞める」という結果になっていくだろう。

しかしながら、どんな人でも自由が許されているのだから、「今現在、私はカバールやイルミナティ達を愛することはできません」と正直に語る人も多いと思う。

よって、彼等の改心を促す試みは、完全に、失敗していると私は見ている。

どんな時でも、本音と言うのは非常に大事だから。

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この点で私が感じている、もう一つの懸念がある。

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というのも、ある文献によると、「あなたは生まれる前に、誓約を行いました」という主張である。
この主張をもって、「カバールやイルミナティ達に対する改心行為をして下さい」と頼む人は、ちょっと間違っていると思う。

なんとならば、多くの人々の間で、「生まれる前の記憶を持っていません」という人が多いからである。
今現在、「私は生前の記憶や過去世の記憶があります」と主張する人々の本が出ているので、もし、本当に、「生前の記憶や過去世の記憶を、今現在、はっきりと思い出すことができます」と主張する人がいるのならば、それはそれで良いと思う。

しかし、多くの人々が生前の記憶を思い出せないのならば、

  「あなたは生まれる前に、誓約を行いました。だから、カバールやイルミナティ達に対する改心行為をして下さい」

とお願いしてくる存在に対しては、私は危ないものを感じてしまう。

なんとならば、次の似たような例を挙げれば、その危険性を実感できると思う。
ある骨董屋が、あなたの目の前に現れたとしよう。
そして、次のように言ってきたとしよう。

  「あなたは生まれる前に、この古代の産物と思われる壺(つぼ)を、今、『500万円で買う』誓約を生前に行いました。だから、あなたは、私の携えてきた、この壺を今買う必要があります」

と。

このように書くと、現在、どのようにしても、自分の生前の記憶を思い出せない情報に従って、「あれそれをして下さい」と言って来る人の危うさを感じるのではないだろうか。

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それに、もしも仮に、私達の間の多くで、「生前の記憶を持っており、今現在、はっきりとそれを思い出すことができます」という人々が多いとしてみよう。

そして、さらに、その生前の記憶の中で、「私は、生前に誓約しており、その誓約内容として、『カバールやイルミナティ達に改心させる』という条項を書いていた」としよう。

しかし、もしそうだったとしても、今現在に暮らしている中で、その人が

  「私は、どのように判断しても、カバールやイルミナティ達を改心したいと願わない」

という人々も出てくると思われる。

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だから、そのような人達ならば、あっさりと生前に書いたとされる誓約書を破棄すれば良いことになる。

なんとならば、もし、本当に人間が真の自由の存在ならば、その人が昔に書いたとされる誓約書や契約書の誓約条項や契約条項を破棄することも可能だからだ。

人間は自由の存在だ。
だから、その人が過去に立てた誓約条項や契約条項を破棄することも可能だ。
実際、私達の生活の中でも、過去のかなりの量の誓約条項や契約条項を破棄を願う人々も多いと思われる。

なぜならば、ある過去の一点では、何らかのことに対して、他人との間で、同意が成立したことにより、誓約条項や契約条項を結ぶのだけど、時間が経つにつれて、様々な状況が変化するため、過去のある段階で、同意して、結んでしまった誓約条項や契約条項に対しても、「自分は、その誓約条項や契約条項を破棄したい」と願うことも多々あるのだから。

その上、人間や他の生物にしてもそうなのだけど、私達は自由の存在だ。
だから、「私達は自由の存在」なので、「何らかの過去において成立した誓約条項や契約条項も破棄できる」という自由さえも、私達は持っている。
その代り、その誓約条項や契約条項の影響の及ぶ、関係者の人々とは、トラブルが発生するかもしれない。

この「過去において成立した誓約条項や契約条項も破棄できる」という自由も、私達の世界にはあるので、私達は驚くかもしれない。
なんとならば、これが実感できると、上に書いたように「関係者の人々とは、トラブルが発生するかもしれない」からである。

だから、何らかの誓約条項や契約条項が破棄されようとしている時には、関係者の人々が、それらの書類を持って来て、

  「あなたは、このように、過去に書いた誓約書や契約書中に、『これこれのようにする』と書いているではないか」

と言って来るケースも多いことだろう。

これなどは、上に書いた事から考えると、結局、相手の側が、その誓約条項や契約条項を見せることによって、脅し(おどし)をかけているのと同じだといえるだろう。

なぜならば、あなたが、その誓約条項や契約条項を破棄することによって、相手の側が何らかの損害を受ける事が多いからである。

だから、過去の誓約条項や契約条項を見せられることによって、脅されたように感じた人の側の方が、内心では、「その誓約条項や契約条項を破棄したい」と、必死に願っているにも関わらず、つまり、イヤイヤながら、本音とは逆の方向である、その過去の誓約条項や契約条項を、しぶしぶながらに、作業していることも多い。

(「誓約条項や契約条項を破棄したい」と願っている人が、それに関係している人々から、反対されることが多々ある。なぜならば、それらの誓約や契約に関係している人々が、「それらを継続してほしい」と、あなたに願うケースが多いからである。しかし、現状・状況・環境・事情やその他もろもろことを考慮すると、「その誓約条項や契約条項を破棄するのが当然だ」とわかっていても、当事者同士の利害関係が絡んでいるので、争いが起こることも多々ある。このような面倒な事情を避けるためには、最初から、極力、多くの誓約・契約をしない方が良いとわかる。)

結局、このようなことを考えていると、わかりやすく書くのならば、「過去は過去、今は今」という言葉が本物であることがわかる。

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過去のものは過去のものなので、長い時間が経つことにより、大いに、「その誓約条項を満たすだけの、周囲の事情が大いに、たくさん変化した」とあるのならば、「過去は過去、今は今」となることによって、

  「私は、過去、これそれのことに関して、誓約あるいは契約をしたが、『過去は過去、今は今』なので、その誓約条項や契約条項を破棄します」

という状況も、かなり多数、発生している筈である。

結局のことながら、「私達には今しかない」となってくる。

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ちょっと長くなったのだけど、つまり、もし仮に生前に「私はカバールやイルミナティに対して改心を促す説得をします」と誓約を立てていても、上に書いた理屈から、「その誓約内容・契約内容を破棄します」となっても仕方が無いのである。

つまりは、今現在の私達の本音のみが実行されるのだから、生前に「私はカバールやイルミナティに対して改心を促す説得をします」と誓約を立てた人でも、それを止めることが出来る。

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このような状況を考えていると、地球の造物主が、「カバールやイルミナティを愛したい」とか「カバールやイルミナティを改心させたい」という願いが、過去にあったとしても、結局、その願いや目的は失敗したと言えるだろう。

もし、地球の造物主が、「カバールやイルミナティを更生させたい」という願いがあったのならば、その地球の状況、つまり、私達の目から見るとパラレル・ワールドなのだけど、そのパラレル・ワールドは次のようなものとなっていると思われる。

①:地球上の誰もが、生前の記憶をはっきりと思い出せることが可能であり、②:その生前の記憶中に、明らかに、「私はカバールやイルミナティを更生させます」という誓約内容が記載されており、③:カバールやイルミナティの計略に陥らぬような、ある意味、スーパーマンのような超能力を持っていて、カバールやイルミナティの更生行為に当たる、というものだろう。

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私達の現実社会での例を挙げると、更生施設内での専門スタッフとということになる。

時々、テレビや雑誌などで、それらのような更生施設が紹介されており、内部の様子もドキュメンタリーとして報道されているけれど、あのような状況になると思われる。

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上の条件の①②③も無かったのだから、私が考えるところ、カバールやイルミナティに対する、地球の目的は失敗したとみている。

だから、今までの地球に立てられていた大きな目的も外されていると思われる。
その目的とは、

  「どんな人とも仲良くやっていきましょう」

というものだろう。

現在、この看板(かんばん)は降ろされていると、私は見ている。

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過去、この大きな看板が架けられていたことにより、様々な苦痛が発生していたと思う。

分かりやすい例を挙げると、学校の例が良い。

小学校や中学校でも、イジメっ子と言われる人達がいる。
そのイジメっ子と言われる学生達と、そのクラスの人間達は、イヤイヤながら、本心では快く思わずとも、何かの義務のように、そのイジメっ子と付き合わされ、あたかも、「私達は、そのイジメっ子を更生させる義務がある。誰が私達にその義務を負わせたのか明確にはわからないけれど」のように感じた人々も多いのではないだろうか。

上の例の中の「イジメっ子」を、「カバールやイルミナティ」と置き換えて、「そのクラスの人間達」を「カバールやイルミナティ以外の人々」と置き換えたら、話はわかりやすいだろう。

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この更生義務とも言える「どんな人とも仲良くやっていきましょう」という地球の目的は失敗したのだから、つまりは、現在、その看板は降ろされていると私は見ている。

この手の大きな看板が下ろされた後、仮に、長い時間が経って、再び、その看板を架けようとしても、なかなか人々は集まらない。

なぜならば、大きな目標の書かれた看板が下ろされるにあたって、それなりの理由と経過があったので、それらの理由と経過を聞いた人々は、当然ながら、集まりにくいからだ。


                                       坂本 誠

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