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2018年12月10日 (月)

三千三百十一:私達の社会の余剰生産を考えて

こんばんわ。

まずは、私の見かけた新聞記事の紹介から始めます。
新聞記事やその他の引用資料中で、私が気になった部分には、アンダーラインを引いたり、太字にさせてもらっています。

(以下、『朝日新聞 GLOBE』、2018/12/02(日)、8面、9面記事より抜粋引用)
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●古着はどこへ行く

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文、写真・朝倉拓也(GLOBE記者)

古着といえば古き良き時代の「ビンテージ」と思っていたが、最近では「こんなものまで」というありふれた服でも業者が引き取ってくれるらしい。
いいことだ。
ほとんど着ないままの服を罪悪感なく処分でき、必要とする誰かに届くなんて。
では、それがなぜ可能なのか。
古着の流通を支えるグローバルな経済活動を追い、大量消費社会とその先を考えた。

[UAE]砂漠の倉庫に古着の山

砂漠の大都会ドバイから車で約1時間足らず。
アラブ首長国連邦(UAE)シャルジャの湾岸にある倉庫には、新たに到着した古着が山のように積まれていた。

(、、、中略、、、)

古着もグローバルに流通し、その量は今世紀に入って急増。
国連の統計によると、世界の古着輸出量は2016年、437万トン、金額にして約4000億円に達した。(、、、以下、省略)
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(引用終わり)

以前からも私が書いていることですが、昨今では、かなりの量の日常必需品や生活必需品が余っているようです。
もちろん、いまだに需要の高い生活必需品も、かなりあって、それらは大量生産する必要があると思いますが、かなり多くの日用品が「作り過ぎ」の状態と言えると思います。

具体的な例をまだ挙げてみましょう。
衣服だけとは限りませんが、同新聞にも以下のような過去記事があります。

『三千二百九十八:日用品の「作り過ぎ」と言われる現象を見て』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2018/10/post-b772.html
(以下、『朝日新聞』、2018/07/03(火)記事より文章と写真を引用)
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●大量に捨てられる「新品」服

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倉庫に山積みの段ボール。
中身は、捨てられる寸前だった服だ。
ニット、パーカ、スカート――。
大手通販業者や若者に人気のブランドの商品など、「新品」ばかり。
新しいデザインの服が安く買えるようになった陰で、大量の売れ残りが発生している。

大阪市の在庫処分業者「ショーイチ」の倉庫には常に30万~40万点の服がある。
「売れ残った、少しほつれていたなど、ここに来る理由は様々。一度も売り場に出なかった服もある」と山本昌一社長は言う。
アパレル業者や工場など年間約600社から、500万点が持ち込まれる。

定価の1割ほどで買い取り、タグを外してブランド名が分からないようにして、自社のサイトやイベント会場などで販売している。
見栄えのいい写真を掲載するなどの販売努力をして、定価の17~18%でようやく売れていくという。

しかし、そのまま捨てられてしまう服も少ない。
東京都内の産業廃棄物処理業者は、銀座に店を出す有名ブランドから売れ残った商品の処理を依頼された。

「洋服のほか、靴やカバンなど収集車3台分。すべて破砕して焼却してほしいと言われた」。
1点ずつ処分の証拠写真も求められた。
「横流しされるとブランドが傷つく恐れがあるし、倉庫に保管すれば資産となり税金がかかる。だからあえて焼却する」(、、、以下、省略)
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(引用終わり)

また、以前に私が紹介した以下の記事もあります。

『二千八百十九:経済的な事(改訂版)』
http://hikirini.blog.bbiq.jp/blog/2013/01/post-6668.html

(上記記事より)
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先日、出版された本に以下のものがあります。
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●『SHARE<共有>からビジネスを生みだす新戦略』

    レイチェル・ボッツマン 著 
    ルー・ロジャース 著

    小林弘人 監修・解説
    関美和 訳
    NHK出版
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その中に、以下の例があります。
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  アメリカの半分の世帯(約5000万世帯)が電気ドリルを持っている。
  しかし、それらは、人間の一生の間に、一つの世帯で、合計して6分か13分しか使用されていない。
  
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だいたい、以上の例が紹介されてありました。
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電気ドリルと言えば、ホームセンターに行けば、日本円にして、時価にして、約1万円からの値段でしょうか。
その電気ドリルが、アメリカの半分の世帯(約5000万世帯)が所有しており、それらの電気ドリルが、人間の一生を約70年と試算して、「6分か13分しか使用されていない」となると、私達は以下のように心の中でつぶやくことでしょう。

  「これは愚かな話だ」

と。

私達が気付くことには、「むやみやたらと大量生産しない方が良い」と気付くでしょうが、なぜ、メーカーの方が、それでも休まずに生産するかというと、この上の引用記事(『●大量に捨てられる「新品」服』)の中にもあることなのですが、

「横流しされるとブランドが傷つく恐れがあるし、倉庫に保管すれば資産となり税金がかかる。だからあえて焼却する」

と。
ですから、以下のようなメーカーも出てくるでしょう。

(以下、『YAHOO! JAPAN NEWS』、2018/09/08(土)記事より引用)
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●売れ残り商品の焼却処分を中止 英・バーバリーが批判受け
https://headlines.yahoo.co.jp/videonews/fnn?a=20180908-00400459-fnn-int

9/8(土) 1:08配信    FNN

イギリスの高級ブランド「バーバリー」が、批判を受けていた売れ残った商品の焼却処分取りやめを発表した。

バーバリーは2018年7月、売れ残った商品、およそ41億円相当を焼却処分していたことが伝えられ、世論の批判を浴びていた。

ブランド価値維持のために行われていたが、批判を受けバーバリーは6日、「社会的、環境的な責任がある」として、焼却処分の取りやめを発表した。

今後は、再利用や寄付に努めるほか、毛皮を使った商品の販売もやめる方針。

「ブランド価値の維持」よりも、環境や資源保護をめぐり、企業としての責任を迫られたかたち。
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(引用終わり)

確かに、いまだに需要の高い日用品もあるでしょうから、それらは継続的な生産が必要と思われますが、余剰の続く日用品の状況を見ると、人が気付くことには

  「『生活必需品が多くの人々に必要だ』という視点から品物が作られているのではなく、お金の数値の上昇を追いかけるために、その生産が実行されている」

でしょう。
つまり、「本来の人間の労働意義とか生産目的から外れて、大量生産が実行されている」と私達は気づくようになるでしょう。

というのも、どうして、それだけお金の数値の上昇を追うかと人が考えれば、誰でも次の状況を理解できるでしょう。

  「その様なメーカーに勤務している人々がいて、それらの人々も生活費用が必要だ。その生活費用を得るためには、そのメーカーで勤務するのが普通だ。しかし、そのメーカーの製品作りをストップさせてしまえば、当然ながら、その会社の従業員に給与という名のお金を支払ってやれなくなるだろう。だから、そのメーカーが、次々と品を作るためには、余剰製品を大量焼却などをしなくてはいけないのでは?」

と。

というわけで、人は、これは「メーカーそのものの問題では無く、世に流通している、お金そのものの問題だ」と気付き始めると思います。

冒頭から書いているように、現代の資本主義社会中の大量生産・大量消費の問題は、「作り過ぎ」にあるのですが、「なぜ、その『作り過ぎ』を行うのか?」と突き詰めると、「これは、お金の問題だ」と気が付き始めます。

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もし、私達の社会で一切、お金が無かったとSF的に考えてみましょう。
お金が無いのですから、あらゆるメーカーは、金銭のことを気にする必要は無いでしょう。
ですから、単に、世の人々の間で、「衣服や電気ドリルが余るようになった」と気が付けば、そこでその会社の工場の生産ラインをストップさせるだけです。
お金が無い社会ですから、誰も、損をすることはありません。
また、無駄な大量生産を行う必要もありません。

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さらに洞察を進めれば気付くことなのですが、「どうして、私達はお金を欲し、お金を稼ぐ必要があるのか?」という、誰しも、この疑問を抱いたことでしょうが、その疑問を口に出すや否や、周囲の人から揶揄されるのが怖くて、その疑問を誰にも言えずにいる人も、世に多いかと思います。

この疑問の解答として書けるのは、「世の誰しも、お金を使い、お金を愛しているからだ」という一つの解答を書けると思います。
現代の世の中では、たいていの人が、「お金が無い人ならば、その人は、みすぼらしい雰囲気をまといつつ、あるいは周囲の人々から嘲笑され、苦しみながら死んでいくだろう」という解答を胸の中でつぶやいていることでしょう。

つまり、それだけ、「お金が無いことは、恐怖この上ないことだ」という、一つの脅しの下に私達は生活していることに気が付くでしょう。
そして、その恐怖心を薄める、ほぼ唯一の方法としては、「お金をたくさん持つことだ」となっているでしょう。
なぜならば、「お金が無ければ、人は苦しみながら死ぬだろう」という脅しを心に刷り込まれているので、その恐怖から逃れるためには、お金をたくさん持てば、当然ながら、その恐怖から遠ざかることが出来るからです。

というわけで、次なる私達の疑問としては、「坂本さん。誰が、私達の社会をそんなにお金まみれの世界にしたのでしょうか?」という疑問が生じてくると思います。

その答えの一つとしては、私がしばしば引用していることなのですが、再び下に引用すると、

『三千十一:現代と中世の商業事情を考えて』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2016/11/post-05f9.html
●司馬遼太郎『街道を行く 9 信州佐久平みち、潟のみちほか』(朝日文芸文庫)より文章と写真を引用
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明治維新後、太政官の財政基礎は、徳川幕府と同様、米穀である。

維新で太政官は徳川家の直轄領を没収したから、ほぼ六百万石から八百万石ほどの所帯であったであろう。
維新後、太政官の内部で、米が財政の基礎をなしていることに疑問をもつむきが多かった。

Photo

 


欧米は、国家が来期にやるべき仕事を、その前年において予算として組んでおく。
ところが日本ではそれができない。
というのは、旧幕同様、米が貨幣の代りになっているからである。
米というのは豊凶さまざまで、来年の穫れ高の予想ができないから、従って米を基礎にしていては予算が組み上がらない。
よろしく金を基礎とすべきであり、在来、百姓に米で租税を納めさせていたものを、金で納めさせるべきである

明治五年、三十歳足らずで地租改正局長になった陸奥宗光が、その職につく前、大意右のようなことを建白している(※筆者注:この私のエッセイ内では「右」ではなく、「上」となります)。
武士の俸給が米で支払われることに馴れていたひとびとにとっては、この程度の建白でも、驚天動地のことであったであろう。

が、金納制というのは、農民にとってたまったものではなかった。
農民の暮らしというのは、弥生式稲作が入って以来、商品経済とはあまりかかわりなくつづいてきて、現金要らずの自給自足のままやってきている。

『米もまた商品であり、農民は商品生産者である』というヨーロッパ風の考えを持ちこまれても、現実の農民は、上代以来、現金の顔などほとんど見ることなく暮らしてきたし、たいていの自作農は、米を金に換えうる力などもっていなかった。

どうすれば自作農たちが金納しうるかということについては、政府にその思想も施策も指導能力もなにもなく、ただ明治六年七月に「地租改正条例」がいきなりといっていい印象で施行されただけである。

これが高率であったこと、各地の実情にそぐわなかったことなどもふくめて、明治初年、各地に大規模な農民一揆が頻発するのだが、木崎村は、このときには一揆を起こしていない。
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(引用終わり)

この世の最初から、私達の社会でお金があったわけではないし、また、中央銀行というものも、地球の開闢(かいびゃく)の時から存在していなかったことは明らかです。

日本の江戸時代以前では、日本の総人口の約8割以上がお百姓さんであったことが知られていますから、実に、江戸時代までは、日本の総人口の約8割以上の人がお金を使用していなかったことがわかります。
確かに、江戸時代の都市部では、お金が使われましたが、都市部だけでしたので限定的です。

また、以下の動画を見ても、お金の使用や銀行の始まりを把握できるでしょう。

『三千二百四十一: お金の問題点を把握する』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2018/04/post-f2b5.html
●スライヴ (THRIVE Japanese)
http://www.youtube.com/watch?v=yp0ZhgEYoBI



(上記ビデオより引用)
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(ビデオの56分目辺りから)

これは、金(きん)で取引が行われていた17世紀の金細工師から始まっているようです。

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金(きん)は携帯するには重いので、実物は金庫室に保管しておき、その受領証を取引していました。

この受領証が最初の紙幣でした。

一定の期間に金(きん)を引き出す人の数は限られているため、金庫室の所有者、現在の銀行は、実際に持っている金(きん)よりも多い受領証を発行するようになりました。

この受領証を貸し出して、実際には持っていないカネ、つまりは、金(きん)に対して利子をかけたのです。

これが部分準備制度の始まりです。

この制度では、人々がせっせと働いてお金を稼がなければならないのに、銀行家は、無からお金を作りだすことが出来ます。

大衆が、銀行に借金を返済するために働く、、、現代版の農奴制と言えるでしょう。
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(引用終わり)

結局、私達は、「カバールやイルミナティ達から、金銭という名の代物を使わされて、操られている」、と気付くことでしょう。

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そして、お金の製造原価というのも、しばしば、私は引用していますが、再び引用すると、

『二千六百八十五:現在の資本主義を考える』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2015/10/post-6e5c.html
●『お金の原価はいくらなの?』
http://homepage2.nifty.com/osiete/s418.htm

(上記記事より抜粋引用、太字にしたり、アンダーラインを引いたのは筆者)
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平成十二年度特別会計予算ベースで

一万円が約22.2円、
五千円は約20.7円、
千円札は約14.5円です。
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(引用終わり)

『二千六百八十五:現在の資本主義を考える』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2015/10/post-6e5c.html
●100ドル紙幣を1枚作るのにはいくらくらい原価がかかるのですか? - Yahoo!知恵袋
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q129971462

(上記記事より抜粋引用、太字にしたり、アンダーラインを引いたのは筆者)
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参考のサイト(アメリカの印刷局)の説明によれば、2005年実績で、約5.7セント/枚(86億枚印刷時)だそうです。
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(引用終わり)

続けて、上記2つの引用記事のすぐ下に引用していることが多い引用文ですが、

(Wikipediaより、太字にしたり、アンダーラインを引いたのは筆者)
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●日本銀行
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E9%8A%80%E8%A1%8C

日本銀行は、政府から独立した法人とされ、公的資本と民間資本により存立する。
資本金は1億円で、そのうち政府が55%の5500万円を出資し、残り45%にあたる約4500万円を政府以外の者が出資する。
2010年(平成22年)3月末日時点における政府以外の出資者の内訳は、個人35.9%、金融機関2.4%、公共団体等0.2%、証券会社-%、その他法人6.5%となっている[1]。

最終更新 2014年6月19日 (木) 02:45 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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(引用終わり)

つまり、中央銀行に株主の人々がいるので、上に書いたお札の製造原価を照らし合わせて考えてみると、中央銀行の株主の人々というのは、金融緩和(お札を大量印刷すること)の時に、「濡れ手に粟(ぬれてにあわ)」とか「玉手箱(たまてばこ)」という状況になっていることがわかるでしょう。

彼等は影で大いに嗤っていたことでしょうが、その状況を紹介しているのが、やはり以下の引用文だと言えると思います。

『四百八十六:私の見かけたビデオについて_No.47』
●スライヴ (THRIVE Japanese)
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2013/11/_no47-6032.html
http://www.youtube.com/watch?v=yp0ZhgEYoBI



上記ビデオの57分06秒(0:57:06)辺りからです。

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  国民が我が国の銀行制度、通貨制度のことを理解していないのは良いことだ。
  もし理解しているなら、きっと明日の朝までに革命が起こるはずだから。
  
  --- ヘンリー・フォード(1922年)

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(引用終わり)

私が上に紹介した金融情報と、この、ヘンリー・フォードさんのセリフを、読者の方々が聞いて、多くの方々は「ほーーーーーーっ」という、ため息交じりの感嘆をするかもしれません。

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『四百八十六:私の見かけたビデオについて_No.47』
●スライヴ (THRIVE Japanese)
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2013/11/_no47-6032.html
http://www.youtube.com/watch?v=yp0ZhgEYoBI

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上記ビデオの1時間06分30秒(1:06:30)辺りから、デービッド・アイクさんは、カバールやイルミの上記のお金の使用方法のことを、「釣り糸を手繰り寄せるように」と表現していますが、私なりに、「釣り糸を手繰り寄せるように」を解釈し直した文章も以前に書いています。
それを再び以下に書きます。

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結局、私達は、カバールやイルミの馬(競走馬、サラブレッド)だったと思います。

私達は目の前に人参(にんじん)をぶら下げられて走る競走馬の話を聞いたことがあると思います。
その競走馬は、目の前に常に人参をぶら下げられています。
そして、騎手(イルミノイドのこと)が自分の馬に褒美やりたい時には、その人参を馬の鼻先と目先に近づけます。
そして、騎手が自分の馬を早く走らせたい時は、その人参を馬の鼻先と目先から遠ざけます。
こうする事によって、競走馬は早く走らされるのです。
しかし、目の前の人参を食べさせられる事は、馬には許されません。

「人参を馬の鼻先と目先に近づけ」る時が、株高や金融緩和や銀行の利子が下げられる時です。
「人参を馬の鼻先と目先から遠ざけ」る時が、増税や銀行の利子が上げられる時です。

実際、カバールやイルミは自分達以外の全ての人々を奴隷として扱っていたので、私達は彼等にとって、ただの馬だったと思いますよ。
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そして、当然ながら、観客席で馬券を握りしめながら、サラブレッド達を競争させているのが、カバールやイルミナティというわけです。

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結局、お金の問題点というのが、人にわかり出すと思います。

そして、冒頭に帰って、「どうやったら、資本主義の大量生産・大量消費から脱せられるのか?」という社会問題を解消する、その方法の、大きな糸口を私達はつかみ始めると思います。

このカバールやイルミナティから生じている問題が最大に大きいと思います。
しかし、現在、巷でも盛んに言われている通り、AI(人工知能)搭載のロボットの大量導入による生産により、労働者の労働が激減することからも、ベーシック・インカムの導入が囁かれるようになりました。
それと同じように、ベーシック・インカムの導入によって、「メーカーの作り過ぎ」を解消することが考えられます。
つまり、余剰が大量に出ている分野ならば、その分野のジャンルの人々にベーシック・インカムを与えれば、工場をストップさせることも出来ます。

こうすれば、多くの人々も生活に困らずに、「作り過ぎ」という無駄な現象も無くすことが出来ると思います。

(以下、過去記事、関連記事、及び、参考文献)
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『三百十九: イルミナティについて 』
●ジェイ・パーカーインタビュー①
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2013/09/_no35-53fe.html
http://www.youtube.com/watch?v=W02bxSqtc-I



(太字にしたり、アンダーラインを引いたのは筆者)

●ジェイ・パーカー:
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字幕:「ジェイ・パーカー:どの様に3400万人の悪魔崇拝イルミナティアメリカ人達が地球を混乱させ続けるよう助けているのか。」

「イルミナティや他の闇のカルトネットワークはおそらく、9600BCの地球大変動にまで遡ります。」
「大変動の後に、地上の人類は衝撃と落胆の状態にありました。」
「私の調査からその特定の時代は、、、、闇のカルト信者達はインドやバビロンでの文明の再起動において、決めたのです。」

「地球全体を支配してもいい筈だとね。」

「人々を闇に閉じ込め続け、私達は基本的には邪悪な司祭職になり、そして彼等のマインドを支配するんです。」
「ですからその様にして彼等は神よりも金持ちになったのです。」
「そして一旦お金を持つと、政治家や王族を腐敗させる事が出来ますし、そして基本的にはゆっくりと社会を支配していく事ができるのです。」
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(引用終わり)


 

                                       坂本 誠

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