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2018年11月 2日 (金)

三千三百四:翻訳事情や翻訳の面白さを考えて(その3)

(『三千三百四:翻訳事情や翻訳の面白さを考えて(その2)』からの続き)

要は、翻訳に携わる人は、時々、名言や名句とされているものを翻訳した方が良いと思う。

単純作業でもないし、頭の体操にもなるし、本当の意味で、「今、私は翻訳している」という実感を得られると思う。

先日の私の記事『三千三百三:四国の思い出_その三(独白) 』中の『過去記事、関連記事、及び、参考文献』中に、出しておいた過去記事の中で、

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『三千三十三:『333 ノ テッペン カラ トビウツレ』を思い出しながら』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2016/12/333-0e22-1.html
(以下の写真は、『わたしは真悟』第3巻「空の階段」と『わたしは真悟』第4巻「光ふりて」から)

Pc080179

Pc080176

Pc080174

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  奇跡は誰にでも一度は起きる。
  だが誰も起きたことには気づかない

                『わたしは真悟』(楳図かずお 作)より引用

  Everybody has had a miracle once .
  But , nobody has realized the miracle at all .

                 quotation from "MY NAME IS SHINGO ."
                   Author:Umezu Kazuo
                   
      (日本語原文の英語翻訳者は筆者である坂本誠)
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の翻訳文を出しておいた。

現在でもご記憶している方々も多いと思うが、小学館の『ビッグコミックスピリッツ』に同作が連載されている時、同作の始まりを示す扉絵には、毎回、「奇跡は誰にでも一度は起きる。だが誰も起きたことには気づかない」という文章が、必ず彫り込まれていた。

さすがに、単行本化されたコミックスには、その文章は、毎回の扉絵には彫られていなかったものの、各巻の最初の扉絵のみに、そのセリフが刻まれていた。

私は、いや、私ならぬ、読者の方々でも、このセリフを読んで、「これは名文ではないのか?」と感じる人もいるだろう。

もっとも、名文というものも、ある人にとっては名文では無く、ある人にとっては名文では無くなる。
だから、世に名文というもの自体も存在しないのかもしれない。

だから、私としては、「これは良い文章だ」と感じ、何か翻訳してみたくなったので、もちろん、翻訳ソフト無しで、自分の頭のみを使って翻訳した。

上に書いたように、「世には名文というものは存在しない」とも言えるので、当然ながら、世に言う名訳というものも存在しないとも言える。

ただ、翻訳者にとっては、「翻訳したいものを翻訳し、また、その文章を翻訳したことによって何かしらの充実感を得た」というだけで良いとも言える。

この日本語原文を翻訳ソフトにかけても、あまり歯切れの良くない英語文として翻訳されてしまうと思う。

このような文章を私なりに翻訳する際に注意していることとしては、上に書いたように、対語、語呂、音韻を非常に考慮して私は翻訳している。
ただ、この翻訳文は、原文自体が私の気に入っていた文章であり、納得のいけたように翻訳出来たので嬉しかった。

(『三千三百四:翻訳事情や翻訳の面白さを考えて(その4)』に続く)


 

                                       坂本 誠

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