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2018年10月

2018年10月30日 (火)

三千三百三:四国の思い出_その三(独白)

四国には、ちょっと変わった場所もある。
それは、地球の緯度的にユニークな場所である。

高知県高知市南金田・弥生町には、東経133度33分33.333秒・北緯33度33分33.333秒の地点が存在する。
地球の地理では、他にも、このように緯度的に数字の密集した地点が他にもあるらしい。
33の並ぶ地点では、この高知県高知市以外では、非常にアクセスするのが難しいと言われている。

過去、私が四国に居住している時に、ちょっとだけ気になっていたので、高知市の東部に訪れる際に、ちょっと寄ってみることにした。

掲載した写真は、以下のURLからのもの。

Address_33no1

 

地球33番地 - 地球33番地 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%B0%E7%90%8333%E7%95%AA%E5%9C%B0#/media/File:%E5%9C%B0%E7%90%8333%E7%95%AA%E5%9C%B0.jpg

参考文献として、以下のHPを読んで頂けると幸いです。

(以下、Wikipediaより引用)
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●地球33番地
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%B0%E7%90%8333%E7%95%AA%E5%9C%B0
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地球33番地公式サイト
http://chikyu33.net/executive/commi.html

行ってみたのだけど、何の変哲も無い居住区に、その「地球33番地」と呼ばれる場所が存在していた。

私が四国に居住していたのは、もう何十年か前の話なので、記憶がうっすらしているのだけど、河の中のモニュメントは無かったような気がする。
だから、私の記憶に寝ていたのは、対岸に建てられていた白いモニュメントの記憶だと思われる。

ただ、当時の記憶をたどっても、「真の地球33番地は川の中にあるのだ」という思いが残っているから、やはり、私が訪れた際には、河の中のモニュメントは無かったような気がする。

その他の地球上の「地球33番地」と呼ばれる場所はアクセス困難と言われているのに、市街地のほぼ真ん中に、そのような特異点が存在しているので、逆に、呆気に取られるような気がした。

しかし、例えば、海外の人で、この四国高知市に存在する「地球33番地」の場所を見ると、以下のように言うかもしれない。

  「日本の四国に存在する地球33番地も、ちょっと外れたら、やはり、海の中と言えるじゃないか」

と。

だから、やはり、世界地図から見て判断すると、この「四国内の地球33番地にアクセスしやすい」というのは、ある意味、奇跡的なものかも知れない。
四国以外の地球33番地にアクセスするのは困難なのだから。

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このようなことを考慮し、さらに、333の数字が集まっていることからも、私は「霊感の鋭い方が、この場所に訪れてみると、何かを感じるかもしれない」と思った。

しかし、この四国内の地球33番地の紹介には、「パワースポット」と言われる俗称は付いていないようだ。
だから、現在において、霊感の鋭い方が、この場所に訪れたかどうかもわからない。

しかし、過去、四国八十八ヵ所巡りを開いた弘法大師が、この土地に訪れたかもしれない。
弘法大師が、四国に霊感を感じたのも、私の推測だが「地球33番地」の何かを感じたからではないだろうか。

そう思って、インターネットで「wiki 四国八十八ヵ所巡り」を検索してみた。

四国八十八箇所
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%9B%E5%9B%BD%E5%85%AB%E5%8D%81%E5%85%AB%E7%AE%87%E6%89%80

上記のHP上の地図で、弘法大師の足跡を追った。
その写真は以下のもの。

Shikoku Pilgrimage Map01 - 四国八十八箇所 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%9B%E5%9B%BD%E5%85%AB%E5%8D%81%E5%85%AB%E7%AE%87%E6%89%80#/media/File:Shikoku_Pilgrimage_Map01.png

Address_33no2

すると驚いたことに、四国八十八箇所の三十番目から三十三番目ぐらいは、ほぼ「地球33番地」の場所にあることがわかった。
そして、私は気になりつつも、四国八十八箇所の三十三番目のお寺である『雪渓寺』の以下のHPを見ることになった。

雪蹊寺
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%AA%E8%B9%8A%E5%AF%BA

そして、その寺の緯度を見ると「北緯33度30分3秒、東経133度32分35.1秒」だった。

私は「四国は、つくづく、数字の3に縁のある土地だなあ」と思ってしまった。

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何か、やたらと数字の3を見つつも、さらに私が、当時よく利用していた道路のことを思い出した。
それは高知市と松山市を結ぶ国道のことである。

四国の高知市と松山市を往復する必要のある人が頻繁に使用する国道なのだけど、その道の名前は「国道33号線」である。

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「地球33番地」の「33」と言い、四国八十八箇所の三十三番目のお寺である『雪渓寺』に与えられている、その番号と緯度と言い、国道33号線の「33」と言い、読者の中には以下のような疑問を口に出す人がいるかもしれない。

  「これらの3の数字は、本当に偶然の一致で起こったことなのだろうか?」

と。

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ここまで書くと、あの瀬戸内海に浮かぶ島である四国(しこく)という島の名称も、本来は三国(さんこく)ではなかったのかと私は推測してしまう。

四国(しこく)という島の名称は、瀬戸内海に浮かぶ、あの島の中に、主に四つの国があったので、四国(しこく)と呼ばれたのだろうけれど、本来ならば、三国(さんこく)だったのかもしれない。

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読者の中で、ある人ならば「なんとなく、333の数字が続くことは良くないことではないだろうか」と感じる人もいるかもしれない。

しかし、私は逆の視点で見たいのだけど、それらの数字が続くことは幸運の前兆と見なせないだろうか。

(以下、過去記事、関連記事、及び、参考文献)
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『三千三十三:『333 ノ テッペン カラ トビウツレ』を思い出しながら』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2016/12/333-0e22-1.html
(以下の写真は、『わたしは真悟』第3巻「空の階段」と『わたしは真悟』第4巻「光ふりて」から)

Pc080177

Pc080174

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  奇跡は誰にでも一度は起きる。
  だが誰も起きたことには気づかない

           『わたしは真悟』(楳図かずお 作)より引用

  Everybody has had a miracle once .
  But , nobody has realized the miracle at all .

            quotation from "MY NAME IS SHINGO ."
            Author:Umezu Kazuo

           (日本語原文の英語翻訳者は筆者である坂本誠)


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『三千二百九十六:四国の思い出_その二(独白)』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2018/10/_-2b8a.html

『三千二百九十五:四国の思い出_その一(独白)』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2018/10/_-e767.html

『三千三百三十三: ディスクロージャーについて_No.33』
●委員会のメンバー達は、今週を越えての公聴会を行うための、答えを探しています
http://hikirini.blog.bbiq.jp/blog/2013/05/_no33-fc88.html
http://huff.to/135YgXY


 

                                       坂本 誠

2018年10月24日 (水)

三千三百二:世の恋愛問題について

こんばんわ。

私としては、珍しく、恋愛問題について考えることがあったので、それを書いてみようと思います。

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巷の有名人の恋愛などで、大きくマスメディアで報道されることがあるようです。

個人の恋愛の問題というのは、個人的な問題であるのですが、それでもなぜか公のものとして報道されることが多々あるようです。

20100516053144

 

芸能関係の会社でもいいし、他の一般企業の会社について考えてもよいのですが、とにかく、企業の中の、ある社員が何らかの恋愛をしていると仮定してみます。

企業内の社員が、就業時間以外のプライベートな時間で、誰が誰を愛そうとも、それは個人的な問題であり、また、それは個人情報だと思います。
ですから、企業の側にしても、ある社員が就業時間以外に、どこかの誰かを好きになっても、それは企業活動とは関係がありません。

また、企業にしても、個人の恋愛問題について、口をはさむことは出来ない筈です。

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しかし、例えば、芸能関係の会社の社員などが、就業時間以外に、どこかの誰かとデートしていても、何も口をはさめないと思います。

しかし、その就業時間以外の個人の自由の時間に、俗にパパラッチとか言われている、個人の自由時間の活動ぶりを撮影して、それらの写真を週刊誌などに売りつけるカメラマンの方々もいるようです。

あの、パパラッチとか言われている人々の活動は、個人情報を侵害していると思えるのですが。

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そして、パパラッチとか言われている人々が、そのようにして、ある特定の個人のプライベートの時間の活動ぶりを撮影した写真が、ある週刊誌に流れ、それらが報道されたりしています。

すると、その撮影された個人の属する企業の側でも、なぜか、おびえるような感じになるようです。

本来ならば、企業の側が、社員の側の恋愛問題について、何も言えない筈なのに、その恋愛問題について、口を挟むようになるようです。

例えば、ある芸能関係の会社の社員の恋愛について報道されると、その芸能関係の会社側としては、世評・風評が悪くなって、「うちの社の売り上げが悪くなるかもしれない」と感じると、なぜか、自由とされている筈の、特定の個人の恋愛問題に「口をはさむ」という状態になっていないでしょうか。

ある企業が、その企業内の社員の就業時間以外に起きた、自由とされている個人間の恋愛問題について、あれこれ言う、というのも、これだと、「就業時間以外にも、その社員に対して、拘束した」とならないでしょうか。

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本来、ゆっくりと考えてみると、「誰も他人の恋愛関係に口出しすることは出来ない」というのも思い出せるものです。

しかし、いきなり、どこかの週刊誌が報道すると、その報道された側の社員のいる企業側が慌ててしまって、「これは、うちの社の問題であるから、あの社員の恋愛問題について、口をはさむべし」と、即決して、言っているのではないでしょうか。

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また、私がおかしく思うのは、上に挙げた、通称、パパラッチと言われている方々です。

20100524151030

 

他の人も見ても感じると思うのですが、ある個人が公にしていない情報(ここでは恋愛情報のこと)を、その個人のプライベートの時間までも、追いかけて、その個人情報であるところの情報を入手して(撮影などをして)、それらをどこかの週刊誌に購入してもらっているのですが、彼等の活動自体が、大いに問題にならないのでしょうか。

また、それらの情報を入手した週刊誌も、何らかの個人情報を、その個人の許諾無しに公表する、というのですから、これ自体も大きな問題ではないでしょうか。

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例えば、恋愛問題にしても、「今いる恋人(あるいは配偶者)よりも好きな人が出来た。今の恋人(あるいは配偶者)と別れて、あの人と一緒になろうか」と考えて、何らかの判断をするのは、それも個人の自由です。

また、そのような問題は、その人個人で解決しないといけない問題の筈です。
恋愛問題のことですから、似たような例は数多くあることでしょう。

しかし、「恋愛問題」という、ある個人の問題を、それを追いかけ回す、パパラッチと言われる方々が、その取材対象の人の個人的な恋愛問題を取材して、それらを全社会に報道して、その取材対象の個人の恋愛問題を「全社会の人々が一体となって、社会全体の人々で考えようではないか」と言いながらも、取材しているパパラッチの姿を思い浮かべて、、、、このブログ記事を読まれている読者の方々も、既に異常を感じるかと思います。

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人が冷静になって、私が上記に書いた事を考えてみると、「『他の人の恋愛に口をさしはさむ』という行為は良いことか」という、極めて人間的な問題について考えを巡らすことでしょう。

また、パパラッチと言われる人の行動動機や、上記のような他の人の恋愛問題のことを報道する動機というのは、単に、「週刊誌が売れるから」とか、あるいは、「その記事を掲載したHPの閲覧回数が上がることにより、宣伝活動を助ける機会となるから」というのが、その動機ではないかと、私は予想したりします。

で、こうなると、私のブログで時々掲載しているように、「お金は人の人心や倫理を腐敗させる」と書いている内容を正当化する一例となります。

「そのお金を誰が作り、何の目的で、そのお金が使用されているか」については、ちょっと、このブログ記事とは外れてしまい、また、長い説明共なりますので、私のブログの過去記事を、どうか読まれて下さい。

そのお金の由来から考慮しても、以下のことが言えると思います。

「お金のために仕事をしているのであり、自らの神性発揮の一つとしての仕事をしているのでは無い。」

要は、お金というものが、人心や倫理を痛く腐敗させることがわかります。

なんとならば、「お金というものが無いと、人は生きていくことが出来ないのだ」という社会状態に多くの人々が誘導されますと、何よりもお金を手に入れないと、死の恐怖が与えられていることになりますから、その恐怖を打ち消すためには、「人は、どのようなことをしても、何よりもまず、お金を手に入れるべきだ」となります。

また、世に多く言われていることの一つとしては、「命こそが何よりも尊い」という言葉があります。
ですから、「命こそが何よりも尊い」とあるのならば、「その命をつなぐためには、何よりもお金が必要なのだ」となるでしょう。
そうなると、「命こそが何よりも尊いのだから、その最高に尊いとされていることを実現するためには、それ以下の、そして、それ以外の悪いことをやっても良いではないか」となるでしょう。
「お金を手に入れて、自分の命を守るためなのだから」と。

この結果、「人は、お金を手に入れるためには、悪いことをやっても仕方ないではないか」となるでしょう。

つまり、お金というものが人心や倫理を痛く腐敗させることがわかります。

20100610135952

 

ですから、「ひょっとしたら、お金そのものが悪い道具なのではないのか」と、逆の視点を持つことも大事でしょう。
また、このブログ記事とは外れてしまうので、ここには、ちょっと書きませんが、それらのお金を製造・配布して、多くの人々にそれらのお金の使用を長く推奨し続け、「(我々の作った)お金を崇めるように」と、地球上の多くの人々に推奨し続けた人々は、これは、責められても仕方無いものがあると思います。

また、ここまで来ると、もう一つの視野が出来てくると思います。

それは、今まで世に多く言われ続けてきた「命こそが何よりも尊い」という言葉に対する見方です。

「『命こそが何よりも尊い』という言葉以上のものがあるかもしれない」と人は考えるようになるかもしれません。

それは、ちょっと考えてみると「人には命よりも大事なものがあるかもしれない。それは自分の内奥(ないおう)に秘められているとされる、神性と呼ばれているものかも知れない」と。

他にも、まだ考えられるかもしれません。

ちょっと、恋愛問題とは、話が反れましたが、このブログ記事については、この辺で筆を置くことにします。


 

                                       坂本 誠

2018年10月22日 (月)

三千三百一:お金の問題点

こんばんわ。

以前に紹介した

●お金の問題点_0002.wmv
https://www.youtube.com/watch?v=3ibrKBohE8o

●「お金の問題点」の続き
https://www.youtube.com/watch?v=T8DcvHSi-C8

というビデオにも、お金の問題点が語られていますが、私なりに、更なるお金の問題点について書いてみたいと思います。
「お金の問題点」の一つとして、 物々しい単語となってしまいましたが、「世界最強の軍隊の作り方」という問題点があります。

私が比較的に、しばしば引用する文献として、以下の二つのものがあります。
引用資料中で、私が気になった部分には、アンダーラインを引いたり、太字にさせてもらっています。

『二千六百八十五:現在の資本主義を考える』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2015/10/post-6e5c.html
●『お金の原価はいくらなの?』
http://homepage2.nifty.com/osiete/s418.htm

(上記記事より抜粋引用、太字にしたり、アンダーラインを引いたのは筆者)
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平成十二年度特別会計予算ベースで

一万円が約22.2円、
五千円は約20.7円、
千円札は約14.5円です。
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(引用終わり)

『二千六百八十五:現在の資本主義を考える』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2015/10/post-6e5c.html
●100ドル紙幣を1枚作るのにはいくらくらい原価がかかるのですか? - Yahoo!知恵袋
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q129971462

(上記記事より抜粋引用、太字にしたり、アンダーラインを引いたのは筆者)
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参考のサイト(アメリカの印刷局)の説明によれば、2005年実績で、約5.7セント/枚(86億枚印刷時)だそうです。
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(引用終わり)

カバールやイルミナティが、それらのお札の原価を使って、大量にお金(お札)を製造していることでしょう(最近では、銀行での金銭管理は、コンピューターなので、パソコンのキーボードのテン・キーからも無限のお金の金額を作成可能であるとも知られていますが)。

そして、上記のように、大変安価な元手でお金(お札)を作り出し、単純に、それらの金額を使って、巨大空母や最新鋭戦闘機やICBM(大陸間弾道弾核ミサイル)等を、大量に生産できることが、読者の方々でも理解できると思います。
また、これも理解出来ることですが、大量の兵士達の給与も、いとも簡単にひねりだすことができるとわかるでしょう。

また、上記のような大量の武器製造や大量の兵士達を雇う給与以外にも、世界最強の軍隊を維持するには、かなり莫大な金額が必要でしょう。

しかし、カバールやイルミナティからしたら、それこそ、上に書いたように無からお金を作り出していると言えるのですから、幾らでも幾らでも巨大空母や最新鋭戦闘機やICBMを作成できるわけです。

そして、それらを製造した人々には、規定の金額の給与を与えれば良いだけです。

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このように、お金というものは、カバールやイルミナティからしてみたら、幾らでも製造可能ですから、人はお金の問題点を見い出すと思います。
お金というものが、このような性質ものですから、彼等は、まず最初に、大量のお札(お金)を製造しておくわけです。
そして、あとは、そのお金に釣り合うだけの生産物を、例えば上に書いたような大量の兵器を作成するために、大量の金属を地球から掘り出すことになります。

お金というものに、このような性質がある限り、未来の地球というものは、虫に食われたリンゴのように、穴だらけになることも考えられます。
なんとならば、お金というものが、カバールやイルミナティからしてみたら、無から製造しているようなものであり、そのお金に見合う分だけの、金属を地球から延々に、無限に掘り出せばよいからです。

たとえ、そのような金属の地下埋蔵資源が枯渇しようとも、彼等の手中にお金がある限り、また、私達の間でお金というものが流通している限り、その「お金が欲しい」という欲があるのならば、地球資源乱獲もたやすく起きるからです。

また、その地球資源乱獲のみならず、幾らでも幾らでも軍需兵器を作成できるので、「カバールやイルミナティが無からお金を製造している限り、際限の無い、世界最強の軍隊を維持することが可能である」と私達は理解できるでしょう。

何らかの地球資源が足りているかどうかも考慮せずに、ひたすら、お金(お札)を製造するだけで、人は、そのお金を欲するので、際限の無い地球資源乱獲が起きるわけです。

つまり、この現象を見る限り、「カバールやイルミナティは私達に、お金を貸し与えている。私達にとっては借金のような感覚で」ということがわかります。
あたかも、その借金の金額分だけを、あたかもカバールやイルミナティに貢ぐ(みつぐ)ような感覚で、地球資源乱獲や莫大な量の巨大兵器を作成するのですから。

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このように、「お金の問題点」というものを人は見い出すでしょうが、それ以上に私達は人的な問題点を見い出すでしょう。

その「人的な問題点」とは、上にも書いているように、地球支配・人類支配を実行中の、カバールやイルミナティの問題です。

「お金の問題点」を考えていたら、やがては、カバールやイルミナティに見られる「人的な問題点」に当たり、その「人的な問題点」を解決していったら、やがては、「お金の問題点」も解決の方向に向かうのではないかと思います。

この「お金の問題点」と「人的な問題点」は深く融合しているので、あざなえる縄のように、どちらか一方を解決しようとすると、もう一方の側にも、その影響を大きく与えていくと思われます。

私達が手軽に出来ることと言えば、やはり「金銭への執着を減らしていく」ということになるでしょうか。


(以下、過去記事、関連記事、及び、参考文献)
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『四百八十六:私の見かけたビデオについて_No.47』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2013/11/_no47-6032.html
●スライヴ (THRIVE Japanese)
http://www.youtube.com/watch?v=yp0ZhgEYoBI



ビデオの1時間00分06秒辺りからです。

(上記ビデオより抜粋)
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ビル・スティル

_

問題は、アメリカの中央銀行制度が民間所有なのに、政府が所有しているように見せかけている事です。
ワシントンDC地区の電話帳で、連邦準備銀行を探そうとすると、青い政府機関のページに見つける事は出来ません。
企業のページを見てみると、Fedxのすぐ隣にあります。
民間所有の中央銀行なのです。
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(引用終わり)

『二千五百四十一: 銀行制度についての種々の話題_No.4』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2015/06/_no4-8a1f.html
●スライヴ (THRIVE Japanese)
http://www.youtube.com/watch?v=yp0ZhgEYoBI

(上記ビデオより抜粋引用)
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ビデオの1時間00分06秒辺りからです。

Thrive_japanese__greenspan_2

●聞き手:
連邦準備銀行の議長とアメリカ合衆国大統領は、どのような関係が適切ですか?

■アラン・グリーンスパン(連邦準備銀行(FRB)、元議長):
まず第一に言う事は、連邦準備銀行(※筆者注:FRBのこと)は独立機関ですので、基本的に我々が行う措置をくつがえす事の出来る政府機関というのは存在しないのです。
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(引用終わり)

『二百五十三: News_No.298』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2013/08/news_no298-e74a.html
●「タイタニック号沈没」、「ケネディ暗殺」、背後にFRBの影
http://internetviking.at.webry.info/201107/article_8.html

以下の緑の文字の文章は、該当HPを読んで自分の書いた感想文の再掲載分。

詳細は、該当記事をご覧ください。
1963年6月4日 米国大統領J・F・ケネディにより、政府紙幣の発行を財務省に命じる大統領行政命令 第11110号が発令され、米国政府の公式に作ったお札が発行されました。
それは、2ドル札と5ドル札でした。

しかし、その後、大統領命令、第11110号の取り消しの無いまま、その米国政府が作った公式のお札が回収され、代わりに、大変よく似たFRBの印刷した大量のお札が、市場に出回りました。

▼2ドル札「政府発行券」

1376229826676131153161

▼2ドル札「FRB発行券」

137622983883613115762_2frb1

▼5ドル札「政府発行券」

13762298594671322128511

▼5ドル札「FRB発行券」

137622987167913221385_5frb11

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(引用終わり)

『二百四十九: News_No.296』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2013/08/news_no296-eb2d.html
●隠されたJFケネディーの演説と2013年の状況が点で結ばれました!<報道陣を前にしたケネディの演説の内容>
http://blog.livedoor.jp/wisdomkeeper/archives/51894510.html
●OMG!!! (HIDDEN SPEECH) JFK CONNECTED THE ...
http://www.youtube.com/watch?v=pDe6QCqFu4c



上記の記事から、JFケネディーが報道陣の前で演説したとされる文章の抜粋引用します。
全文を読まれたい方は、該当URLを参照してください。
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我々は米国民として、本質的に、歴史的に、秘密結社、秘密の誓い、秘密のやり方に立ち向かっている。
我々は、昔から、理不尽な過度の隠蔽工作は危険であると判断していた。
隠蔽工作が正当なやり方であると考えられているのはあまりにも危険である。

安全保障の強化を訴える声明は、その意味を拡大解釈し、当局による監視体制と隠蔽工作を守ろうとしている人たちによって悪用されている。

ニュースを検閲する口実として、政府に反対する人たちの意見を鎮圧し、政府の過ちを全て隠蔽し、報道陣や米国民に、知る権利のある事実を隠している。

彼らが計画していることは絶対に公表されない。

彼らのやり方に反対する人々は賞賛されるのではなく、沈黙させられ、彼らは国庫から巨額の資金を使っても何も問われない。
彼らの噂さえ記事にすることはできない状態である。
彼らの秘密は一切公開されない。

しかし、私は、あなた方に、米国民に真実の情報を流し、警告するという大きな任務を果たしてほしいのだ。
米国民が十分な情報を共有することで、彼らは必死に対応すると私は信じている。
新聞の読者の論議を抑えつけるのではなく、自由に論議をしてほしいと思っている。
私の政権下では、政府のエラーを包み隠すことをしない。

ある偉人がこう言った。
エラーを是正することを拒んだときに初めてそれは過ちとなる、と。

メディアは、我々がエラーをしていることに気が付かないときには、必ず、それを指摘してほしい。
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(引用終わり)

ちょうど、この部分の黒字で書いている部分は、新たに私が書いた部分ですけど、読者の方々には「坂本さん、これだと、アメリカの警察は何をしているのでしょうか?」という疑問が出てくると思いますが、それについての資料も以前掲載していまして、再びそれを以下に掲載しますと、

『三百三十七: イルミナティについて_No.4』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2013/09/_no4-9e49.html
●ジェイ・パーカーインタビュー④
http://www.youtube.com/watch?v=9Gl-yNEoGyI



(上記ビデオより抜粋引用)
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「成長過程で最初に私の父や母が私と弟に明らかにしたのは、それはイルミナティが世界を支配していて、警察を支配し、何処にも助けてもらえる場所は無いと言う事です。」

「数十億ドル、数兆ドルと持っていると言われている寡頭政治の独裁一家は自由に使える暗殺者を持っていて、全てのメディアを所有し、あなたを陥れ、あなたの人生を破壊する為に、あなたの事を何とでも言える何人もの人々を買収できる事を理解しなければなりません。」
「本当に警察が出来る事は何も無いんです。」
「彼等の後頭部には銃が突きつけられているんですから。」
「彼等の大勢が立ち上がってこれ以上は御免だって言わない限りはです。」
「そうすれば実際に変わるかもしれません。」
「だからアメリカの警察や軍は私達に、"警察の犬"と呼ばれているんですよ。」
「高い地位の悪魔崇拝者達からね。」
「この国の警察や軍を彼等は使っている動物としての犬と見なしているんですよ。」
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(引用終わり)


                                       坂本 誠

2018年10月18日 (木)

三千三百:「忘れた方が良いメモもある」というメモを読んで(独白)

現代に住む私達は、多くのメモ書き用のノートを持っているかもしれない。
パソコンの中にも、メモ用の幾つかのファイルがあったり、スマホや携帯電話の中にも幾つかのメモ用ファイルがあるかもしれない。

特にスマホの中のメモ用ファイルだと、自分の決めた時刻にアラームが鳴り始めて、そのスマホの持ち主に、忘れてはいけないメモの内容を伝えることもあるだろう。
その光景を周囲の人が見ると、「人が機械を操作している」というよりもむしろ、「機械が人を操作している」ように見えるかもしれない。

かくも大量のメモを抱えるようになった現代人の一人に、彼(あるいは彼女)のメモ書きの中に以下のようなメモの内容があるかもしれない。
「忘れても良いことがある」とか「忘れた方が良いこともある」のようなメモの内容だ。

元々、メモというのは忘れてはならないようなことを書き留めることをいう。

Pa170195


そのように何かの忘れないためのメモなのだけど、そのメモ書きの中の一つに「忘れても良いことがある」とか「忘れた方が良いこともある」と書き留められていたら、人は奇妙なものを感じ、「このメモ書きの内容は矛盾しているのでは?」と首をかしげるかもしれない。

しかし、そのようなメモ書きを見て、気が変わり、忙しい日常を抜け出して、近場の温泉にでも向かう人も出るかもしれない。
そして、温泉に肩まで浸かりつつも、ふと日常に自分の書き留めている幾つかのメモを思い出そうとしても、それらを思い出せない人も出るかもしれない。
その時に限って、「忘れた方が良いこともある」というメモの内容を思い出すだけかもしれない。
そして、そのメモ書きの内容の真意を会得するかもしれない。

そのまま湯船の中で頭をひねりつつ、自らの日常生活を振り返りつつも、「忘れた方が良い生活とは、はたして、どちらの方だろうか?」と考えを巡らすかもしれない。


                                       坂本 誠

2018年10月15日 (月)

三千二百九十九:ピラミッドについて_No.32

こんばんわ。

三千百八十八:ピラミッドについて_No.31』の続きです。

私がしているピラミッドというのは、チェコスロバキアで特許を取得している「ケオプス型カミソリ刃再生装置」の実験の事です。
小型のピラミッドですね。
この「ケオプス型カミソリ刃再生装置」が本当に、カミソリの刃を長持ちさせるかどうかという実験と検証です。
私が以前から使用している電気シェーバーの外刃と内刃を小型ピラミッドの下に置いて長持ちするかどうかの実験です。

二千二百五十一:ピラミッドについて_No.26』にも、以下のように記しています。

>ですから、新しい電気シェーバーの使用開始日は、2014年10月15日です。

よって、この電気シェーバーの外刃と内刃を使い始めて、今日で、丸4年となりました。
掲載している写真は、2018年10月11日に撮影したものです。

Pa110178

 

私は、一日の内に朝と夜の2回、この電気シェーバーを使って、髭を剃っています。
また、この電気シェーバーの掃除は、1週間に1回です。
その1週間に1回の掃除の時に、外刃と内刃を外して、約8時間程、竹ひごで作成した小型ピラミッドの下に写真のように置いています。

読者の方でも、以下のような疑問を持つ方もおられるかもしれません。

  「坂本さん。ブログ上では何とでも言えるでしょうから、内緒で、その外刃と内刃を替えているのではないでしょうか?」

と。

しかし、私は一回もこの外刃と内刃を替えていません。
電気シェーバーのバッテリーならば使えなくなりましたので、その際に、同型の電気シェーバーを購入して、外刃と内刃を替えずに、そのまま使用しています。

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しかし、私がブログ上で報告しているだけなので、気になる方は、あなた御自身も、この実験をしてみることをお薦めします。
そして、実験に参加してくれた、あなたも、私のように、あなたのブログや、あるいは、あなたのコミュニティ・サイト上での日記で、報告して下されば幸いです。
しかし、私もやっているのですが、長期間に渡る実験となります。

やりがいはあると思いますが、、、

まだ、どれ程、この実験の検証が、これから先、続くかもわかりません。

しかし、1年に1回は、この実験の経過・状況を報告しようと思います。

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あと、以前にも書いたことなのですが、この「ピラミッド・パワー」と呼ばれる、ちからについての、私の考えたことを書いてみたいと思います。

おそらく、このピラミッド自体には、全く、何らかのエネルギーは無いと思います。
私が思いますに、ピラミッドは、アンテナのような役目をしていると思います。

テレビ・アンテナもそうですが、テレビ・アンテナも全く何のエネルギーを持っていません。
ただ、テレビ・アンテナは空中を飛び交っている放送局からの電波エネルギーを捉えて、その電波エネルギーを変換させた結果が、テレビ・ディスプレイに写っている画像と音声です。
おそらく、ピラミッドも、そのテレビ・アンテナと同じように、空気中の何らかのエネルギーを捉えて、そのエネルギーがピラミッド内に現れていると推測しています。

仮に、テレビとアンテナとテレビ局の仕組みを江戸時代以前の世界に持って行って、江戸時代の人々にテレビ番組を見せたとしたら、彼等は驚くことでしょう。
しかし、現代に住んでいる私達ならば、テレビの映る仕組みを知っているので、驚く人はいません。

それと同じように、現代に住む私達でも、未来社会に行って、ピラミッド・パワーのちからを完全に解明できていたとしたら、私達でも驚くことは無いでしょう。

未知のちからやエネルギーに関する想いというのは、そのようなものです。

不思議とされている部分が解明されたり、種や仕掛けがわかれば、珍しさや不思議感も消失するものです。
いつの日にか、ピラミッド・パワーも、現代のテレビの仕組みを仕掛けを知って、不思議感を消失した江戸時代の人々のような雰囲気を得られる時が来ると思います(ただし、ピラミッド・パワーを使用していたと思われる古代人は、そのちからの原理を知っていたのではないのか? という新たな疑問が生じますが)。

ですから、私が思うに、ピラミッド自体に興味・関心を持つことも大事ですが、「そのピラミッドの下に降ろされている、未知のエネルギーや、未知のちからと思われる、その正体は何なのか?」の疑問の方が大事だと思います。

通称、「ピラミッド・パワー」と言われている、未知のエネルギーや、未知のちからの解明があれば、当然、そのエネルギーやちからを、ピラミッドというアンテナを使って、取り出せることが出来るのですから。


(以下、過去記事、関連記事、及び、参考文献)
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『三千百八十八:ピラミッドについて_No.31』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2017/10/_no31-7f5e.html

『三千八十八:ピラミッドについて_No.30』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2017/03/_no30-9aa2.html

『二千九百二:ピラミッドについて_No.29』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2016/05/_no29-1a47.html

『二千七百十五:ピラミッドについて_No.28』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2015/10/_no28-1c68.html

『二千六百九:ピラミッドについて_No.27』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2015/08/_no27-a2e7.html

『七百五十七:古代文明について_No.2』
●世界各地で見つかる「失われた大陸」:大西洋のポルトガル領海沖でピラミッド状の建造物が確認される
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2014/01/_no2-7f17.html
http://oka-jp.seesaa.net/article/376015556.html
■アゾレス諸島の水面下でピラミッド形の構造物が発見された
Terceira: Subaquatic pyramidal shaped structure found - Azores
Portuguese American Journal 2013.09.19
http://portuguese-american-journal.com/terceira-subaquatic-pyramidal-shaped-structure-found-azores/

Atlantica1



                                       坂本 誠

2018年10月 8日 (月)

三千二百九十八:日用品の「作り過ぎ」と言われる現象を見て

こんばんわ。
今日は、2件目のブログ更新です。

まずは、ご紹介したい新聞記事の引用から始めます。
引用部分は緑色の文字にしています。
私の気になった部分には、アンダーラインを引いたり、太字にしています。

(以下、『朝日新聞』、2018/07/03(火)記事より文章と写真を引用)
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●大量に捨てられる「新品」服

倉庫に山積みの段ボール。

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中身は、捨てられる寸前だった服だ。
ニット、パーカ、スカート――。
大手通販業者や若者に人気のブランドの商品など、「新品」ばかり。
新しいデザインの服が安く買えるようになった陰で、大量の売れ残りが発生している。

大阪市の在庫処分業者「ショーイチ」の倉庫には常に30万~40万点の服がある。
「売れ残った、少しほつれていたなど、ここに来る理由は様々。一度も売り場に出なかった服もある」と山本昌一社長は言う。
アパレル業者や工場など年間約600社から、500万点が持ち込まれる。

定価の1割ほどで買い取り、タグを外してブランド名が分からないようにして、自社のサイトやイベント会場などで販売している。
見栄えのいい写真を掲載するなどの販売努力をして、定価の17~18%でようやく売れていくという。

しかし、そのまま捨てられてしまう服も少ない。
東京都内の産業廃棄物処理業者は、銀座に店を出す有名ブランドから売れ残った商品の処理を依頼された。

「洋服のほか、靴やカバンなど収集車3台分。すべて破砕して焼却してほしいと言われた」。
1点ずつ処分の証拠写真も求められた。
横流しされるとブランドが傷つく恐れがあるし、倉庫に保管すれば資産となり税金がかかる。だからあえて焼却する」(、、、以下、省略)
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(引用終わり)

私が、この記事を見るに思うのは「作り過ぎ」という状態です。
私達の身の周りを見回しても、特に衣服だけとは限りませんが、大量生産・大量消費によって「作り過ぎ」という状態が世に発生していると言えるでしょう。

そして、「なぜ『作り過ぎ』という状態が発生するのか」を考えると、上に引用した新聞記事中にもあるように、「横流しされるとブランドが傷つく恐れがあるし、倉庫に保管すれば資産となり税金がかかる。だからあえて焼却する」というのが、その理由の一つとなっているのでしょう。

ここで、私達は「作り過ぎ」という状態から、さらに一歩踏み込んで考える必要があると思います。

「なぜ、私達は作り過ぎているのか?」と考えてみると、「もっと、お金が必要だ」とか「お金が無ければ死んでしまう」とか「税金として取られてしまうからこそ、もっと、お金を稼ぐ必要がある」という理由のせいで、資本主義システムの中で、お金をもっと求める必要性に駆られるからこそ、様々な日用品を「作り過ぎる必要があるのだ」となっていると思います。

ですから、上に紹介した新聞記事のように、私達の資本主義システムの中で、「作り過ぎ」という状態を発生させている本当の理由とは、お金というものに真の原因があると言えるでしょう。

なので、資本主義システムの中での「作り過ぎ」という問題を見い出したら、その次には、「私達の使用している、お金という道具に何かの問題点が寝ていないだろうか?」という、更なる疑問を抱く必要があると思います。

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上記の、更なる疑問を考える前に、上記新聞記事の裏面にも、関連記事が紹介されていたので、そこからも幾つかの言葉を拾ってみたいと思います。

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安い服 しわ寄せ働く人に」「低コスト・大量生産が支え」「低賃金・長時間労働強いる」「適正な生産か 考える消費者

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適正な生産か 考える消費者」のサブタイトル中の記事で、尾原蓉子(おはらようこ)さんという方は以下のように述べています。

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「消費者も、安さだけではなく『適正に作られているか』に関心を持つようになっている。企業が生き残るためには、働く人や地球環境にとってもよい方法をどうやったら実現できるか、真剣に考える必要がある」
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尾原蓉子さんの言われるように「適正に作られているか」を考えるためには、私達が使用しているお金という道具の是非についても、突っ込んで、論じる必要が発生すると思います。

そして、上記新聞記事のように、衣服だけとは限りませんが、大量の「作り過ぎ」と呼ばれる状態に、多くの人々が気が付けば、さらに以下のような新聞記事も見受けられるようになると思います。

(以下、『YAHOO! JAPAN NEWS』、2018/09/08(土)記事より引用)
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●売れ残り商品の焼却処分を中止 英・バーバリーが批判受け
https://headlines.yahoo.co.jp/videonews/fnn?a=20180908-00400459-fnn-int

9/8(土) 1:08配信 FNN

イギリスの高級ブランド「バーバリー」が、批判を受けていた売れ残った商品の焼却処分取りやめを発表した。

バーバリーは2018年7月、売れ残った商品、およそ41億円相当を焼却処分していたことが伝えられ、世論の批判を浴びていた。

ブランド価値維持のために行われていたが、批判を受けバーバリーは6日、「社会的、環境的な責任がある」として、焼却処分の取りやめを発表した。

今後は、再利用や寄付に努めるほか、毛皮を使った商品の販売もやめる方針。

「ブランド価値の維持」よりも、環境や資源保護をめぐり、企業としての責任を迫られたかたち。
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(引用終わり)

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ここからは、お金の問題点について一緒によく考えてみましょう。

私が時々引用する文献ですが、

『三千十一:現代と中世の商業事情を考えて』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2016/11/post-05f9.html
司馬遼太郎『街道を行く 9 信州佐久平みち、潟のみちほか』(朝日文芸文庫)より文章と写真を引用
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明治維新後、太政官の財政基礎は、徳川幕府と同様、米穀である。

維新で太政官は徳川家の直轄領を没収したから、ほぼ六百万石から八百万石ほどの所帯であったであろう。

Photo


維新後、太政官の内部で、米が財政の基礎をなしていることに疑問をもつむきが多かった。


欧米は、国家が来期にやるべき仕事を、その前年において予算として組んでおく。
ところが日本ではそれができない。
というのは、旧幕同様、米が貨幣の代りになっているからである。
米というのは豊凶さまざまで、来年の穫れ高の予想ができないから、従って米を基礎にしていては予算が組み上がらない。
よろしく金を基礎とすべきであり、在来、百姓に米で租税を納めさせていたものを、金で納めさせるべきである

明治五年、三十歳足らずで地租改正局長になった陸奥宗光が、その職につく前、大意右のようなことを建白している(※筆者注:この私のエッセイ内では「右」ではなく、「上」となります)。
武士の俸給が米で支払われることに馴れていたひとびとにとっては、この程度の建白でも、驚天動地のことであったであろう。

が、金納制というのは、農民にとってたまったものではなかった。
農民の暮らしというのは、弥生式稲作が入って以来、商品経済とはあまりかかわりなくつづいてきて、現金要らずの自給自足のままやってきている。

『米もまた商品であり、農民は商品生産者である』というヨーロッパ風の考えを持ちこまれても、現実の農民は、上代以来、現金の顔などほとんど見ることなく暮らしてきたし、たいていの自作農は、米を金に換えうる力などもっていなかった。

どうすれば自作農たちが金納しうるかということについては、政府にその思想も施策も指導能力もなにもなく、ただ明治六年七月に「地租改正条例」がいきなりといっていい印象で施行されただけである。

これが高率であったこと、各地の実情にそぐわなかったことなどもふくめて、明治初年、各地に大規模な農民一揆が頻発するのだが、木崎村は、このときには一揆を起こしていない。
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(引用終わり)

江戸時代中の日本人の職業構成比として、日本人の総人口の約8割から9割は、お百姓さんだったので、江戸時代以前の日本人の約8割から9割は、お金というものを知らなかった、ということがわかります。
そして、明治時代になって、時の為政者達が上記のように強制的に、日本にお金を使った経済システムを広げていったことがわかります。

そして、そのお金の原価とは、

『二千六百八十五:現在の資本主義を考える』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2015/10/post-6e5c.html
●『お金の原価はいくらなの?
http://homepage2.nifty.com/osiete/s418.htm

(上記記事より抜粋引用、太字にしたり、アンダーラインを引いたのは筆者)
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平成十二年度特別会計予算ベースで

一万円が約22.2円
五千円は約20.7円、
千円札は約14.5円です。
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(引用終わり)

そして、上記のように、大変な安価で、お札を中央銀行で製造でき、かつ、その中央銀行の所有者というのは、

(Wikipediaより、太字にしたり、アンダーラインを引いたのは筆者)
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●日本銀行
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E9%8A%80%E8%A1%8C

日本銀行は、政府から独立した法人とされ、公的資本と民間資本により存立する。
資本金は1億円で、そのうち政府が55%の5500万円を出資し、残り45%にあたる約4500万円を政府以外の者が出資する。
2010年(平成22年)3月末日時点における政府以外の出資者の内訳は、個人35.9%、金融機関2.4%、公共団体等0.2%、証券会社-%、その他法人6.5%となっている[1]。

最終更新 2014年6月19日 (木) 02:45 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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(引用終わり)

他のお金についての文献は、文末に紹介している『過去記事、関連記事、及び、参考文献』をご覧ください。

要は、お金を製造している人々が、この地球を支配できることに、人々は気が付くと思います。

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このように、私達がお金という道具を使って彼等によって踊らされた結果、日用品の大量の作り過ぎという現象を生み出していると理解できると思います。

ですから、もともと、私達の社会に、お金という道具が存在しなかったら、日用品の大量の作り過ぎという現象は発生していなかったと予想出来ます。

この、お金というものが真の問題点だと言えると思います。

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そして、読者の方々もうっすらと次のことを感じていると思うのですが、「お金という道具を使用すれば、多くの人々を強制労働させることが出来る」という点に気付くのではないかと思います。

上記のような流れがあって、ほとんどの人々が、お金無しでは日用品や生活必需品が手に入れられない世界を出現させられたわけです。
すると、そのような世界での、ほとんどの人々は、お金無しでは生きていけなくなるので、人々は、以下のように考え始めることでしょう。

  「お金が無ければ、私はみすぼらしい雰囲気をまといつつ死んでしまう。死ぬのは嫌だから、たとえ、私がどれほど嫌な職種であろうと、あるいは、他者が、どれほど私の望まない職種を、どんな形で私に強制労働させようと、その仕事をしなければ、私はお金を手に入れられないとあるならば、仕方なく、私は、その職種の下で嫌々ながらも労働するのだ」

と。

この状況ですと「雇用者の側とか、あるいは、大金持ちの人ならば、彼等以外の人々を、お金を使って命令的に強制労働させることが出来る」と、読者の方々も気が付いてくるでしょう。

雇用側の人の発言としては、次のようなものが考えられるでしょう。

  「(労働者に向かって)あなたは、お金が欲しいので、私の出す仕事を受けているのだろう。だから、私が、あなたに与える仕事が、どんなに苦しかろうと、あなたは黙って、その仕事を行う必要があるのだ。嫌なら辞めても良いんだよ。しかし、そうなったら、あなたの欲するところの、あなたの生存条件を維持するための、お金が手に入らなくなるんだよ。それが嫌なら、何も言わずに、私の与える仕事を、こなさないといけないよ」

と。

これが現代社会の状況となっているとわかるでしょう。
お金という道具を使った、暗黙の内の強制労働社会(資本主義社会)が出現したと言えるでしょう。
また、読者の方で、雇用する側の人がいたのならば、次のようなセリフが出てくることでしょう。

  「私は、イルミナティやカバールによって、イルミノイドにされようとしていた」

と。

よって、お金目当てで、人が労働する状況ならば、それは「人の持てる健やかな能力の発現の一つとして、仕事をする」とか、あるいは、「その人の内奥(ないおう)から、にじみ出てくる能力を、他者への奉仕の変換作業の一環として、仕事をする」という状況とは全く違っている、ということに、人は気が付くと思います。

時々、私は、イルミナティやカバールやレプティリアンのことを書いていますが、彼等は地球上の全ての人間を彼等の奴隷として扱い、全地球人に奴隷作業をさせたい、という意志があるので、それを実行する主要な実行作戦の一環として、お金という道具を全世界に配布して、常識化させれば、彼等の考えたような地球支配が実行できるわけです。

ですから、冒頭に挙げた「日用品の作り過ぎ」という問題を考えるに、さらに、その奥に存在している問題であるところの、お金の問題に行き当たり、さらに、そのお金を製造し、配布し、洗脳化している彼等、つまり、イルミナティやカバールやレプティリアンに、その問題の根源が寝ている、と言えると思います。

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人によっては、数多くの衣服を所有するようになります。
例えば、衣服を使って、多彩な芸術表現を行いたいと願っている人々や、それらの衣服を製造する人達も、製造工程や衣服のデザインを研究しないといけないので、自然と多くの衣服を所有するようになります。

別に、衣服だけに限らず、例えば、本が好きな人ならば、やがて、数多くの本を所有したり、音楽に非常に興味のある人ならば自然とCDやDVDが増えることでしょう。

ですから、物品そのものを大量に所有すること自体は悪いことではないと思います。
その人の嗜好や興味の方向性等もありますので。

しかし、この私の書いた記事を読むのならば、今までとは、ちょっと違った方向で、物品を眺めるようになると思います。

例えば、「ブランドの衣服でも、これだと、もっと安価に大量に手に入れられる筈だ」とか「ブランドの衣服の方が素材も悪く、デザインも良くないのに、その衣服が高価なのはなぜか?」という疑問が生じてくるかと思います。

そして、その根(こん)をたどれば、やがて、読者の方々も、お金という道具の問題に気が付いてくると思います。
さらに、やがては、「お金という道具の問題点を解決していかねば」と考えてくるのではないかと思います。


(以下、過去記事、関連記事、及び、参考文献)
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『二千六百八十五:現在の資本主義を考える』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2015/10/post-6e5c.html
●100ドル紙幣を1枚作るのにはいくらくらい原価がかかるのですか? - Yahoo!知恵袋
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q129971462

(上記記事より抜粋引用、太字にしたり、アンダーラインを引いたのは筆者)
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参考のサイト(アメリカの印刷局)の説明によれば、2005年実績で、約5.7セント/枚(86億枚印刷時)だそうです。
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(引用終わり)

『二百五十三: News_No.298』
●「タイタニック号沈没」、「ケネディ暗殺」、背後にFRBの影
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2013/08/news_no298-e74a.html
http://internetviking.at.webry.info/201107/article_8.html

以下の緑の文字の文章は、該当HPを読んで自分の書いた感想文の再掲載分。

詳細は、該当記事をご覧ください。
1963年6月4日 米国大統領J・F・ケネディにより、政府紙幣の発行を財務省に命じる大統領行政命令 第11110号が発令され、米国政府の公式に作ったお札が発行されました。
それは、2ドル札と5ドル札でした。

しかし、その後、大統領命令、第11110号の取り消しの無いまま、その米国政府が作った公式のお札が回収され、代わりに、大変よく似たFRBの印刷した大量のお札が、市場に出回りました。

▼2ドル札「政府発行券」

1376229826676131153161_2

▼2ドル札「FRB発行券」

137622983883613115762_2frb1_2

▼5ドル札「政府発行券」

13762298594671322128511

▼5ドル札「FRB発行券」

137622987167913221385_5frb11

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(引用終わり)

『三百十九: イルミナティについて 』
●ジェイ・パーカーインタビュー①
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2013/09/_no35-53fe.html
http://www.youtube.com/watch?v=W02bxSqtc-I



(太字にしたり、アンダーラインを引いたのは筆者)

●ジェイ・パーカー:
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字幕:「ジェイ・パーカー:どの様に3400万人の悪魔崇拝イルミナティアメリカ人達が地球を混乱させ続けるよう助けているのか。」

「イルミナティや他の闇のカルトネットワークはおそらく、9600BCの地球大変動にまで遡ります。」
「大変動の後に、地上の人類は衝撃と落胆の状態にありました。」
「私の調査からその特定の時代は、、、、闇のカルト信者達はインドやバビロンでの文明の再起動において、決めたのです。」

「地球全体を支配してもいい筈だとね。」

「人々を闇に閉じ込め続け、私達は基本的には邪悪な司祭職になり、そして彼等のマインドを支配するんです。」
「ですからその様にして彼等は神よりも金持ちになったのです。」
「そして一旦お金を持つと、政治家や王族を腐敗させる事が出来ますし、そして基本的にはゆっくりと社会を支配していく事ができるのです。」
-----------------
(引用終わり)


                                       坂本 誠

三千二百九十七:地球環境を美しくするための呼びかけ

こんばんわ。

時々、ボランティアで、海岸清掃をもしている私です。
よく巷でも、「海を汚さないように」と言われています。

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ですので、多くの人は、「海岸にゴミを放棄しなければ良いだろう」と思いがちでしょう。
現実に、海岸に放棄されているゴミの1割か、それ未満の割合のゴミは、海岸に訪れた人が放棄したゴミかもしれません。

しかし、海岸に打ち上げられているゴミの9割以上が、実は、内陸部で出されたゴミなのです。
なぜ、内陸部に出された、それらのゴミが、海岸に集まるかということをご説明します。

雨の日になると、雨によって、内陸部に放棄されたゴミが、集められ、主に河川に流されます。
そして、その河川の流れは最終的に、海に到達します。
よって、河川を通じて、内陸部のゴミが海に到達するので、海岸のゴミの9割以上が、内陸部で放棄されたゴミということになるのです。

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私が以前から不思議に思っていたことは、「雨の日の後に、海岸のゴミの量が異常に多くなる」ということでした。
その不思議をたどると、内陸部のゴミが雨によって、主に河川に流れ込み、その増水した河川のちからによって、海にまで、内陸部のゴミが流されている、ということがわかりました。

確かに、海岸にやって来て、ゴミを投棄することもいけないことです。

しかし、上にご説明したように、もし、海のゴミを増やしたくなければ、内陸部のゴミの放棄をも避けなければなりません。

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ですので、「海を綺麗にしたい」と願われる方ならば、都市部や居住区等でのゴミの投棄をも、無くすよう、呼びかけなければいけないことになります。

みなさん、どうか、都市部や居住区等でのゴミの投棄をも、なさらぬようにしてください。
御協力のほど、どうか、よろしくお願いいたします。


 

                                       坂本 誠

2018年10月 5日 (金)

三千二百九十六:四国の思い出_その二(独白)

■:石鎚の峰々の山水画

四国にいた時の、一番の思い出とは、石鎚山に行った時だった。
「石鎚山に行った」とは言っても、石鎚山に登山したわけではない。

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ある日、友人達と休暇を利用して、「レンタカーで、四国一周してみよう」と話が進んだ。
さっそく、何人かの友人達と、四国の松山へとハンドルを向けていた。
松山に赴く途中、石鎚スカイラインを走ることにする。

その時、ハンドルを握っていたのは私だった。
石鎚スカイラインを車で登って行くと、やはり、四国の雄大な山地と渓谷を抜けていくことになる。
ちょうど、山の尾根の上に当たる部分を、石鎚スカイラインが走っている。

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その、スカイラインの上を車で走るのだから、どこか、天上世界を走り抜けていく感覚だ。

車窓の遥か下には、面河渓(おもごけい)と言われる渓谷が広がっている。
石鎚山の切り立った山肌に、その渓谷が刻まれているのだが、緑に覆われているので、荒々しさが和らいでいる。

その景色は、中国の山水画そのものだった。
中国大陸には、深山幽谷で名を知られている桂林(クゥイリン)や黄山(ファンサン)のような土地がある。
だから、古来より、中国の山水画の題材として、それらの深山幽谷の眺めが描かれている。

Photo

 

石鎚山系の、それらの幽谷は、中国の山水画そのものだった。
だから、この石鎚の山に訪れた際には、「中国大陸を探訪せずして、山水画の原画風景の雄大さを自分の眼で見ることが出来た」と感慨に耽ったものだった。
また、「このような風景も日本にはあるのだ」と、改めて、日本再発見をした一時でもあった。
車中で、隣に座っている友人達も感嘆の声を上げていた。

他の人も一目見て、正直に「絶景だ」とか「凄い」等の感嘆の声を上げると思う。

(右の写真は「石鎚山系を知る | 石鎚山・石鎚山系公式|石鎚山系連携事業協議会」からの『石鎚山』の3枚。4枚目は『面河渓』)

当時の石鎚スカイラインの最終地点は「土小屋」と呼ばれる地点であり、何かの家屋が建っていたと記憶している。

Photo_2


また、その地点に小規模ながらの駐車場もあった。
その駐車場から、石鎚の山頂に向かう登山客もいるのだろう。

その駐車場で休憩すべく、車を降りると、いきなり、寒かった。
夏場に四国一周のドライブをしたのだけど、石鎚の山は、標高1,982mなので、ふもとの松山市や西条市の気温よりも約10度も低い。
石鎚山系は、亜高山地帯であることでも知られている。
夏場の服装がいたく応えたことを記憶している。

友人達と眼下に広がる、山水画の原画、つまり、石鎚の山々と面河渓の連なりを見とれていた。
そして、「いつの日か、再び、ここに訪れてみたい」と秘かに願っていた。

しかし、これを書いている今現在、この願いは未だ実現していない。

■:四国の山への登山

四国の自然は、主に山の力が作り上げている。
これは、この旅行記中で記述済みだ。

私の訪れていた学校の体育にも、集中講義が幾つかあった。
集中して幾つかの講義を受講すれば、多めの単位を取れる。
私も集中講義を受ける際に、それらを選択することになる。
その内の一つに、登山があった。

旅行気分も兼ねつつ、多めの単位を取得し、また同時に、四国の山々にも遊ぶため、登山を選択した。
平野部をマイクロバスが抜けると、いきなりの急勾配となり、マイクロバスはその道をつたって山に向かう。

途中、仁淀川(によどがわ)の側をマイクロバスが抜けることになる。
仁淀川の水は青々としていた。

Photo_3

 

(右の写真は「石鎚山系を知る | 石鎚山・石鎚山系公式|石鎚山系連携事業協議会」からの『仁淀川』)

(四国の河川は青々としていたり、あるいは、緑の色で染まっていることが多い。これらの河川の清澄さも、四国の地形によって生み出されている。一般に、急な傾斜の多い土地だったり、山々の多い場所を抜ける河川というのは、自然の自浄作用が働く。よって、河川の清澄さが保たれる。後述する四万十川のように、四国には清流が多いことでも知られている。「四万十川の水は、そのまま、すくって飲むことが出来る」と言われるほどである。ただし、私が四万十の流れに触れた時には、その水をすくって飲まなかったけど。)

仁淀川の渓谷を遡り、一行は、寒風山(かんぷうざん)隧道の脇で、登山用リュックサックを降ろした。

(この原稿を書いている今では、寒風山の真下に「寒風山トンネル」という新しいトンネルが開通済みである。しかし、私が四国にいた頃には、「寒風山トンネル」は存在していなかった。現在の「寒風山トンネル」の遥か上方に位置する、旧道とされている「寒風山隧道」という名の、旧トンネルしか存在していなかった。)

ここにテントを張り、翌日の登山のため、遥か下方に土佐の街の灯を眺めつつ、就寝した。

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翌朝の登山では、寒風山と笹ヶ峰(ささがみね)に登ることになる。
快晴だった。
寒風山隧道のすぐ脇から登山道が始まっているのだけど、やはり、かなりの急傾斜だったことを覚えている。
一行の中には、四国育ちの人もいて、その人は四国の山の険しさを知っていた。
しかし、四国以外の人には、これらの山の険しさを味わうのは、ちょっと驚きだったようだ。

■:四国山地の尾根

地図で見ると、四国山地の尾根は、ずっと一筆書きのように連なっていることがわかる。
四国山地の尾根に出るまでは、一般に急な傾斜を登らないといけないことも多いが、尾根の上は一続きに連なっているので、尾根の上を移動する際には、あまり苦しくないように感じる。

だから、四国山地の山の上、つまり、尾根の世界は、麓とは違った世界が広がっているように感じた。
切り立った断崖絶壁の上に、一つのなだらかな世界がある。
一つの別世界のように感じた。
古来より、山の上には天狗や仙人が住むという。
そのような雰囲気を感じた。

石鎚山の写真を見てもわかるように、四国山地の尾根の下には、断崖絶壁が広がっていることが多い。
寒風山とは逆方向の伊予富士(いよふじ)に向かう登山道も尾根の上に続いていた。
しかし、その尾根沿いの道の直下には断崖絶壁もある。
また、自然の雨風のちからや、地球の地殻直下から、四国山地を盛り上げようとするちからが、いまだに働いているため、その断崖は、今でも、いよいよもって鋭くなるばかり。
よって、断崖も少しずつ崩壊しているので、その尾根沿いの登山道を歩くことは、ほぼ禁止されていた。

おそらく、様々な土地の、様々な峰々には、それなりの個性というものも形成されるように思う。
だから、四国の山並みの個性というものを挙げるとするならば、「雄大さ」とか「厳かさ」とか、そのようなものだろうか。

四国の土地が古来より霊場扱いされてきたのも、うなずけるような気がする。

■:寒風山山頂と笹ヶ峰(ささがみね)山頂

まず、寒風山山頂を極めた。
山頂近辺になると、崖をアタックしているようなものだった。
かなりのアップダウンのある登山道を登って、その頂きを極めた。

私は登山していないのだけど、石鎚山も、かなりの急傾斜があることで知られている。
だから、石鎚山山頂には、巨大な鎖が設置されてあり、登山者達は、その鎖をたどって、山頂を極めるそうだ。
しかし、私が登山した寒風山には、そのような鎖は設置されていなかった。

Photo_4

 

(右の写真は『Mt.Kanpuzan2 - 寒風山 (高知県・愛媛県) - Wikipedia』からの寒風山)

寒風山を抜けて、笹ヶ峰に向かう。
この笹ヶ峰というのは名前からも連想できるように、山頂が笹で覆われている。

よって、急傾斜は無く、なだらかな山肌を歩み、あたかも笹に手を誘われるように感じながらも、岳人達は笹ヶ峰の、その山頂を極めることになる。
しかし、この笹ヶ峰も高峰であり、標高1,859mの亜高山地帯である。

一般に、高山と言えども、なだらかな山である場合には、なぜか、その標高を低いように感じる。
しかし、低い山と言えども、傾斜が急な山である場合には、なぜか、その標高を高いように感じる。
このように感じるのは、私一人だけだろうか。
笹ヶ峰を極める時、どこか、なだらかな牧場に躍り出たような感覚を味わいながらも、山頂に立った。

Photo_5

 

(右の写真は『Iyohuzi0ɜ - 笹ヶ峰 - Wikipedia』からの笹ヶ峰)

北を見ると、瀬戸内海が広がっている。
南を見ると、遥か向こうに土佐湾が広がっている。
北方の、瀬戸内海は、眼下の真下に広がっているように見える。
しかし、南方に存在する土佐湾に至るまでは、深い山裾(やますそ)が広がっている。

そのような光景を堪能しつつ、笹ヶ峰山頂近辺の笹の草原の上で、皆で弁当を広げた。

四国の山を、本当に、自分の足で味わったのは、これが最初で最後であった。
しかし、地球内部のエネルギーを感じるには、十分な登山であった。

(続く)

(以下、過去記事、関連記事、及び、参考文献)
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『三千二百九十五:四国の思い出_その一(独白)』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2018/10/_-e767.html


                                       坂本 誠

2018年10月 1日 (月)

三千二百九十五:四国の思い出_その一(独白)

■はじめに:

もう20年以上も前のことだけど、四国に居住していたことがある。
思い出話を、あたかも自分自身に、ぼそぼそと語るかのようにして書くには、「です・ます調」でなく独白調の方がよく似合う。

旅行とか探訪といった短期間の滞在では無く、長期間における滞在だったから、「居住」と言っても、さしつかえないものだった。

■四国の峰々:

ゆえあって、四国に居住することになったのが、初めて、四国の地に訪れた、その最初の日に驚いたことがあった。
JRの瀬戸大橋線をまたぐと、そこが四国の地の香川県だった。

しばらく、列車の振動の作り出す、ゆりかごに揺られ、ウトウトとしつつも、深い山並みに入って行く。
あっという間に、列車の両側の山並みが険しくなり始める。
徳島県の大歩危(おおぼけ)・小歩危(こぼけ)のような、切り立った断崖絶壁の中を、吉野川(よしのがわ)が流れていた。
その吉野川の脇を、土讃線が通り抜けていく。

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(右の写真はWikipediaからの『大歩危峡』)

生まれて始めて見る程の断崖絶壁だった。

ここで初めてわかったのだが、四国は海に囲まれているから海国のように思えるけれど、実際は山国なのだ。

また、後にも知ったのだけど、四国は全体的に山が高いので、「深山幽谷(しんざんゆうこく)」という表現が似合う。

■地球内部のちからと四国の形成:

どうして、こんな山場が出来るのかというと、これが地球の活動による。
地球上の「プレート」と呼ばれる大陸の棚が沈み込む場所は海溝となる。
その海溝に、大陸棚が沈み込むのだけど、大陸棚自体が岩盤なので、引き込まれる際には、「引き込まれたくない」というちからが働くので、その反作用の結果、たいていの場合、地球の大規模な海溝近辺には、大山脈が形成される。

例えば、ロッキー山脈とかアンデス山脈だ。
日本列島も同じであり、日本海溝に大陸棚が落ち込む、ちからの反作用の結果として、日本列島が形成された。
そして、特に、反作用の力が強い場所として、四国山地とか紀伊山地とか三陸海岸沿いの北上高地が形成されている。
これらの山地は、高い峰々が聳えている。

四国山地の切り立った高山・断崖絶壁は、地球の海溝沿いの土地のちからによって形成された。

だから、地球内部の巨大なちからを体感したい人が、四国山地を訪れるのも良いかもしれない。
ちょうど、ロッキー山脈の近辺のグランド・キャニオンとか、アンデスの高峰を望むのと似た雰囲気を味わえるかと思う。

(右の写真は「石鎚山系を知る | 石鎚山・石鎚山系公式|石鎚山系連携事業協議会」からの『石鎚山』)

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■車窓から見た南国土佐の光景:

そのような峰々を車窓の上方部に見ながら、初めて、四国に訪れた私は、太平洋沿いの都市に向かっていた。

深山幽谷の風景をトンネルに見立てつつも、それらを列車が縫うように抜けると、そこは南国だった。
車窓から外を眺めると、時折、南国土佐の平野と土佐湾が見え隠れしている。

南国土佐を前にして、土讃線の列車が、峰々の上から、滑空を始めたグライダーのような感覚で、標高を下げていく。
昔風に表現するのならば、山を舞う鳥のトビ達が、獲物目がけて、山肌に沿って、ふもとに舞い降りるかのようなものだ。

列車のスピードで、かなりの標高差を縮めると、飛行機の着陸と離陸の時に、人もよく経験する、耳鳴りを感じる。
かなりの標高差を一気に縮めると、耳の鼓膜の内側と外側では気圧の差が生じるので、耳鳴りが生じる。
つまり、それほど、四国の峰々は高い。

日本の他の土地での、列車の旅で、このような経験を味わうのは、少ないことかと思う。

(同じようなことは、愛媛県側でもある。後に知ったことだが、久万高原の三坂峠から、松山市に向かう際にはバスや自動車を使うわけだが、この三坂峠から遥か下方に松山の街の灯を眺めながら、山頂から滑空するグライダーのような感覚で、標高を下げていく。)

そのような険しい高峰達を四国の土地の内に内蔵しているので、四国は古来より霊場とされたのかもしれない。
深山幽谷の土地の雰囲気と霊場の雰囲気は似ている。

始めて、四国に足を踏み入れて、その後、何年間か居住するために、旅装(りょそう)を解いた。

                   (続く)


 

                                       坂本 誠

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