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2018年9月 3日 (月)

三千二百八十七:現在の教育システムと社会システムの絡みを考えて

こんばんわ。

三千二百八十二:現在の教育制度を考えて_その1(独白)』の続きのような記事です。
前回は、独白調で書いたのですが、今度は「です・ます調」で書いてみます。

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余談ですが、日本語には、このような文体のスタイルにも違いがあります。
その文体の違いによって、受ける雰囲気も違ってきます。
この「文体の違い」というのは、日本語独特のものではないでしょうか。
当の日本人だと、この文体の違いを趣深く味わうかもしれません。
しかし、日本語を習得中の外国人にとっては、よく日本人の聞く「なんて日本語は難しいんだ」の発言を促す原因の一つかも知れません。

これを考えていたら、長い記事となりますので、段を改めて書くかもしれません。

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本題に返ります。

8月から9月にかけての移り変わりの季節は、子供達にとって受難の季節であると、報道されていました。
子供達が夏休みの宿題を抱えて、学校に帰らないといけないからでしょうか。

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三千二百八十二:現在の教育制度を考えて_その1(独白)』でも書いたように、宿題というのは断ることが出来ます。
それより以前に、学校の先生達が生徒達に対して宿題を出す方が奇妙なことだと気が付いた人もいることでしょう。
なんとならば、『三千二百八十二:現在の教育制度を考えて_その1(独白)』でも書いたように、学校の先生達には、生徒達の放課後の時間を拘束できる権利を、当然ながら、持っていません。
ですので、生徒達の放課後の時間を拘束してしまう「宿題を与える」ということが、「してはいけないことではないのか」と気付き始めた人々もいることでしょう。

また、ここで、上の流れから新たなことに気が付いた人もいるでしょう。
というのも、現在、教壇に立っている、そのほとんどの人々が戦後生まれです。
ですので、戦前に生まれた人にも宿題を与えられた人々がいたかもしれませんが、現在、教壇に立たれている、そのほとんどの教師達も、子供時代に、学校の宿題を与えられたと思います。

ですから、現在、教壇に立たれている、そのほとんどの先生達も、「なぜ、その当時に、宿題を与えられるということを不思議に思ったり、疑問を感じなかったのか?」という、ちょっと大きめの疑問が湧いた人もいるかと思います。

この、新たな疑問について、この記事を進めていきたいと思います。

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私が思うことには、子供達が大人達から馬鹿にされていると思うのです。

例えば、子供は、生まれてから生活上の知識がありませんので、周囲の人から多くのことを学ぶことになります。
ですから、子供の頃は、学業などの吸収スピードは早いものです。

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ですが、大人達の作成した教育システムに、子供達の疑問を生じさせぬよう、やたらめったら、スピードを上げて知識を詰め込まさせているように感じます。

例えば、私が子供の頃だと、小学校と中学校の2つの教育システムで、その社会科の時間に、「日本国憲法」の骨子を学ばされたでしょうか。
現在の、教育システムだと、どうなっているかわかりませんが。

私が子供の頃の社会科の時間に習った「日本国憲法」の時間に、例えば、

  「このルール『日本国憲法』に対して、疑問に思ったり、不備があるかと思われる点について、今から自由にディスカッション(議論)してみなさい」

というような、疑問提起等を誘われることはありませんでした。
現在の教育システム下でもそうではないでしょうか。

ですから、今現在、そのルールに対して、疑問に思ったり、不備があるかと思われる点について、ディスカッションに出されるかと想定される、疑問提起なりを以下に列挙してみることにします。

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  「そのルール中には、日本の子供達に対して、義務教育を行うとあります。『義務教育』とは聞こえが良いですが、『強制教育』と言い換えることは出来ないでしょうか?」

  「そのルール中の『義務教育』の発生理由とは何でしょうか? なぜ、『義務教育』という制度が必要とされたのでしょうか?」

  「そのルールの中に『このルールは、生まれてくる全ての日本人に与えられる』とあります。しかし、そのルールに反対となり、そのルールを捨てたい時には、どうしたら良いのでしょうか? 外国に行くとなると、それなりの費用が発生するので、外国に移住せずに、そのルールを捨てたいのですが、どうしたら良いのでしょうか?」

  「そのルールがセットされたのは、私が生まれる前です。私は、そのルール設定に際して、何の意見も言っていません。ですから、私の意見が全く反映されていないことも明らかです。それなのに、なぜ、そのルールが、強制的な感じで、生まれ来る全ての日本人に対して適用されるのでしょうか?」

  「仕方なくも、そのルールが、私達の間で『共通ルール』として採用されているようです。百歩譲って、それが私達の間での『共通ルール』だと妥協して受け入れたと仮定します。その上で、私達に出され続けている宿題について考えてみました。すると、学校の先生達が私達の放課後の時間を拘束できる権利が無いことに私達は気が付きました。それなのに、学校の先生達は、私達の放課後の時間を拘束してしまう宿題を出していることに気が付きます。これだと、世の多くの学校の先生(公務員)達は、憲法違反を実行していることになりはしないでしょうか?」

  「そのルールの中に書かれていることには『このルールは日本国民の総意に基づき適用される』というような文面があります。私が生まれてくる時に、そのルール設定がされていなかったのですが(それも問題の一つかと思いますが)、そのルール設定がなされた時代でも、日本には多くの日本人がいたことでしょう。そのルール設定の頃には、そのルールに対して反対の人々もいたことでしょう。それなのに、当時の反対者の人々に対して、最近しばしば見受けられるような国会での強行採決のように、そのルールが無理矢理セットされたと思います。その状態ですと、『日本国民の総意に基づき』という文面には、嘘があることになりはしないでしょうか?」

  「上の疑問の並びと同じなのですが、現代でも、そのルールに対して、反対の人々がいるのではないでしょうか? それでしたら、そのルール中の『日本国民の総意に基づき』という文面事体が、看板割れを現していることになりはしないでしょうか?」

、、、(以下、等々)

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まだ、学校の子供達が出してくると想定できるような疑問や、問題提起の文章を想定できるかと思いますが、ひとまず、ここで区切りを置いておきます。

要は、子供達がターゲットにされていると感じます。

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「ターゲット」ですから、上の言葉を言い換えると、「子供達は狙われている」と言えるでしょうか。

子供達は、無批判で与えられるものを受け取ることが多いと思います。
その状態を逆用されていると思います。
ですから、義務教育システムの中で教えられる憲法内容の時間なども、怖そうな顔をした大きな体格を持った大人達である先生が、さらに厳しそうな目つきと恐持ての声を出しながら

  「今から教える、この憲法内容に、一切、疑問を持ったり、問題提起をしてはならない」

という感じで伝えられたら、子供達の心は大いに怯えてしまい、上記のような心の中で生じた疑問や問題事項を、一切、周囲の人に伝えることが出来なくなるのではないでしょうか。

暗黙の内に、多くの子供達に沈黙を強要されているように感じはしないでしょうか。

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また、「子供達がターゲットにされている」という言葉で思い出したのですが、これの一例が教育ビジネスだとわかると思います。

教育ビジネス側だと、子供達に、より多くの教材を買ってもらうようにしなくてはいけません。

ですから、そのためには、

  「子供達よ。あなたがたは無批判で勉強しなさい。学校の先生達も君達の親達も、皆、口をそろえて言うことには、『勉強すれば、その勉強がお前達の未来を救う』という、美辞麗句で、あなたがたに勉強を奨めているだろう。だから、あなたがたは無批判で勉強しなさい。そのためには、私が数多く作成している、これらの教材を大量に買いなさい(もっとも、あなたが今行っている勉強が、本当に、あなたの未来を救うかどうかは私は知らないが)。」

等のような学問の奨めを行いつつ、教材の売り込みをしているかもしれません。
あるいは、

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  「あなたが今行っている勉強は、あなたを幸せにしないかもしれないけれど、その勉強に見合った分だけの、お金を得られるかもしれないよ」

等のような奨めを行いつつ、教材の売り込みをしているかもしれません。

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上で想定している、教育ビジネス側だと、更に次のようなセリフを言うかもしれません。

  「私だって稼がないといけないからね。金が無いと生きていけないんだから。」

ここまで来ましたら、私の以前に書いた記事中の文章を再掲載して、つないだ方が良いと思いますので、再掲載します。

再掲載するブログ・サブタイトルは、『三千二百七十七:私達の仕事とお金というものを考えて』です。

(以下、『三千二百七十七:私達の仕事とお金というものを考えて』、2018/07/30(月)記事より抜粋して再掲載)
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そして、ちなみに、地球社会全体を支配したがっている人々からしたら、「地球上の全ての人間を、お金を使って、強制労働させることが出来る」と、彼等は気が付いていることでしょう。

なぜならば、生活資金を手に入れるためには、なんとしてでも、社会一般の職種に就かないといけないのですが、ある人が生活資金に困れば、その人は、その人がどんなに嫌いな仕事にでも就かないと、そのお金を手に入れられなくなるからです。

ですから、地球社会全体を支配したがっている人々ならば、「お金を使って、地球人を強制労働させ、つまり、我々の奴隷として、全地球人を使用することが出来る。なぜならば、我々は、全地球人に対し、『お金が無ければ生きていくことは出来ない』という恐怖感を与えることに成功したので、地球人は、そのお金を手に入れるためには、どんな嫌な仕事でも引き受けるに違いないのだから」と考えていることでしょう。

この、今、私が書いた「私達は、お金というツールを使用され、強制労働させられているのではないのだろうか?」という疑問は、読者の方々も、幼い頃に、幼子のようなまなざしを使って世間を見ていた頃、感じたことのある疑問ではないかと思います。

しかし、あなたの感じた、その素朴な疑問を口に出すには、あなたの周囲の人々を見回すと、お金を愛している人々がとても多いし、「お金に対する疑問を持つことは、タブーだ」という風潮や常識の前に、あなたの疑問は、あなたの口から出る前に、あなたの胸の中で消してしまったのではないでしょうか。

なぜならば、あなたが、その疑問を口に出すやいなや、周囲の人々が、あなたを冷たい目で見て、あなたを嫌いになるかもしれない、という、恐怖感が、あなたの心中に沸くと、その疑問を胸の中に引っ込めてしまいやすくなるからです。
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(抜粋引用終わり)

結局、総合的に考えてみますと、現代社会システムと、お金を使った経済システムが、人間の神性やら美徳を汚して、職業倫理をも堕落せしめ、結果、子供達の知識吸収の際にしても、強制教育とか、お金で汚れた教育システムが蔓延する結果になってしまったと、私見では見ています。

(以下、過去記事、関連記事、及び、参考文献)
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『三千二百八十二:現在の教育制度を考えて_その1(独白)』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2018/08/_-15d5.html

『三千二百七十七:私達の仕事とお金というものを考えて』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2018/07/post-779b.html


                                       坂本 誠

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