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2018年9月

2018年9月22日 (土)

三千二百九十四:ルール作りを考えてみて(追伸)

こんばんわ。
今日は、二つ目の記事です。

三千二百九十二:ルール作りを考えてみて_No.1』の追伸記事です。

前段では、「憲法とか法律とかのルールそのものが、それほど重要なのか」という疑問の下にエッセイを書いてみました。

書き終えた後で、さらに続きを考えていたのですが、前段中の記事について新たに思いついたことがありました。

P4220158

 

大日本帝国憲法でも良いし、日本国憲法でも良いのですが、それらの憲法が制定された後に、なぜかわかりませんが、国を挙げての祝賀会が開かれているのに気が付きます。

小学校の教科書だったか、中学校の教科書だったかは忘れたのですが、憲法が制定された後、「それを祝う」という視点からか、どこかの数人の日本国民が万歳三唱をしている写真が掲載されていました。

学校の教科書でなくとも、どこかのテレビの歴史番組での戦後を語ったものの中で、何人かの日本国民が万歳三唱をしているシーンを、このブログの読者の方々も見た記憶があるかと思います。

無ければ、大日本帝国憲法の制定時のものでもかまいません。

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それらの写真や、シーンを見て以下の疑問を得たのですが、

  「万歳三唱を実行している何人かの日本人は心底から、それらの憲法制定を祝っているのだろうか?」

という疑問です。

その当時の役所の役人か、その当時の新聞社の社員達から呼びかけられて、彼等は万歳三唱を実行していたように、今現在の私には感じられるのです。

P4220156


なんとならば、かなりうまい組み合わせの元に、写真が撮影されているようです。
また、白黒フィルムの8ミリ動画で、あたかも、その場に居合わせた、万歳三唱を実行している、何人かの日本人が撮影されているように感じられるのです。

ちょうど、その場に、その当時の役所の役人か、その当時の新聞社の社員達が存在していて、うまいタイミングの下で、何人かの日本人の万歳三唱が撮影されているわけです。

憲法制定の祝賀会が開かれて、その祝賀会に、何人かの日本人が呼ばれた後、その当時の役所の役人が、その、何人かの日本人に以下のように呼びかけたのではないでしょうか。

  「やれ、我が国の憲法が制定されたので、今日は、めでたい日だ。あなたがたは日本人だ。だから無条件で、この憲法制定を祝った方が良いでしょう。従って、私が、あなたがたの万歳三唱を実行している光景を撮影して、その写真や動画を末永く、後世の日本に残したい。だから、あなたがたはカメラの前で、万歳三唱を実行して頂けないでしょうか?」

のような、役人の呼びかけがあったかもしれません。

この呼びかけによって、何人かの日本人も、

  「そうか。憲法が制定されて、私達は、それが、どのように私達に恩恵をもたらすかのシステムの構成を理解できないが、とにかく、考えるよりも先に、私達は、この憲法制定を祝った方が良いのではないだろうか。目の前にいる役所の職人の勧めのように」

という感じで、深くじっくりと考えた上での同意があって、つまり、何人かの日本人の心底なる祝いと幸福の気持ちによって、憲法制定時の万歳三唱を実行したようには、私には、あまり見受けないように感じるのですが、、、

この私の疑問を解消できるような新資料が出てくれば良いな、と感じています。


(以下、過去記事、関連記事、及び、参考文献)
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『三千二百九十二:ルール作りを考えてみて_No.1』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2018/09/_no1-824d.html


                                       坂本 誠

三千二百九十三:続・私達の本来の政治システムである「直接民主制」について

こんばんわ。

政治的な話題が続いていますので、続けて、政治的な話題をしてみます。
文末の『過去記事』にもあるように、時々、私は政治システムの一つである「直接民主制」の話題をしています。

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簡単に書いておきますと、民主主義政治システムの本来の姿が「直接民主制」と呼ばれているものです。
この「直接民主制」とは、「全ての国民が政治に参加して、話し合い、全ての国民によって、政治を決める」というものです。
これが本来の民主主義の政治なのです。

ところが、この民主主義政治は始まったのは、近代のヨーロッパとされていますが、その当時では、科学技術の発達がまだ足りなかったので、この「直接民主制」が実行できませんでした。
従って、当時、仕方なく、考え出されたのが、「代表民主主義」というシステムです。
これが、今現在、私達がよく見かけている、「何人かの議員を選んで、その議員を一定の場所に行ってもらって、代表者で話し合ってもらい、政治を決めてもらう」というものです。

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しかし、時代は進みました。

科学技術が進んだ結果、通信網が発達しました。
ですので、時々、私達が見かけるのですが、何とかアイドル・グループの、何とか総選挙というものが実施されているのを見かけることが出来ます。

つまり、インターネットを使用して、人々は遠距離にいる人とも会議が出来るし、全国的に一斉に投票出来る時代となりました。

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これらの文章を書いただけで、読者の方々も気づかれると思うのですが、何かのルール作成においても、インターネットを使用した投票システムによって、理論上、全ての国民の投票により、法律が作成できることがわかるでしょう。

また、日本の遠距離に離れた人とも、インターネットを使用したテレビ電話会議システムとでも呼ぶべきシステムによって、充分に、遠距離の人とも、また、多数の人間とも会議が出来ることが知られています。

つまり、理論上、民主主義政治システムの本来の姿である「直接民主制」が、実行可能な環境になったことがわかります。

従って、ある人々は同時に気付くでしょうが、日本の例で言うならば、衆議院や参議院が不要となります。
また、選挙管理委員会すらも不要となります。
会議そのものも、ネットのテレビ電話会議システムを使用すれば、それで足りるので、全国の巨大会議場を維持する必要も無くなるのに気が付くでしょう。
会議を行いたい人達ですらも、車を使ってまで、会議場に移動せず、自宅のパソコンを使えば、それで足りることに気が付くでしょう。

ですから、あっさり言ってしまえば、その「直接民主制」に反対したり、あるいは、現在の通信環境に反対する人々も出てくることでしょう。

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ですから、IT会社の方々が、私のこの記事を読むとするのならば、

  「坂本さん、大規模なIT投票システムが必要となるのではないでしょうか?」

という質問が出るかと思います。

私も以前は、そう思っていたのですが、実は、既に開発・配布済みであることに気が付きました。

それは、日本の各家庭のお茶の間に存在しているデジタル・テレビです。

デジタル・テレビは、双方向通信機能を備えていましたね(右の写真は自宅のテレビ、東芝『REGZA』のリモコン)。

P9220184

 

わかりやすく書きましょう。

年末の歌番組の一つである、NHKの『紅白歌合戦』で、例えば、「あなたは男の組が勝ったと思うのならば、白のボタンを。あるいは、女の組が勝ったと思うのならば、赤のボタンを押してください」という指示付きで、誘導された結果、そのボタンを押された結果が、ほとんど瞬時に、テレビ画面の上に出力されているのに気が付くと思います。

つまり、私達が以前、買わされたデジタル・テレビが、投票システムに早変わりすることがわかります。

わずかながらのカスタマイズが必要かもしれませんが、テレビの画面上に出ている司会者のような人が、上手い誘導を行えば、何のカスタマイズも無しに、無事に投票が終了するかもしれません。
当然ながら、「そのデジタル・テレビの双方向通信システムによって、何らかの法律を、ほぼ国民の全ての手によって決定することが出来る」と気付くでしょう。

あとは、「この各家庭に配布済みであるところの、このデジタル・テレビを使用して、いつ、直接民主制が開始されるだろうか」という時期的な問題が残されていることになります。

私達は、直接民主主義の到来する時代のために、過去、そのテレビが不要な方でも、デジタル・テレビを購入させられていたのかもしれません。

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結局、私達が見かけている「代表民主主義」というのは、全国民の意見の集計業務を実行しているシステムなのです。
ですから、コンピューターで、この集計業務を代行すれば、「直接民主主義が実行可能である」とわかるわけです。

また、これは巷で囁かれている噂の「AIが人間の政治意志を奪っている」というものでは無いことがわかるでしょう。
なんとならば、このコンピューターを使った「直接民主主義」システムというのは、全国民の意志の集計業務を行っているだけですので。

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また、巷で囁かれている話題の一つに、「AIが人間の仕事を奪う(代行する)」という、こちらの方は事実である、とわかるでしょう。

なぜならば、このコンピューターを使った投票による直接民主主義が実行されれば、今までに全国民の代表とされた選出者の業務も代行されてしまいますし、選挙管理委員会もそうだとわかりますね。
また、現行の政治システムに絡んだ様々な人も、その仕事を代行されてしまうことがわかるでしょう。

あっさりと書いてしまったのですが、オブラートにくるんで書いても仕方無いところでしょう。

なんとならば、このように、「ほぼ本来の民主主義政治であるところの、直接民主主義が実行可能となった科学の世界が到来した」と書いても、「それに反対する人もいるのではないでしょうか」と書いた方が、人々は、そちらの方が現実を把握しやすくなるからです。

正確に書くのならば、権力とかお金を好む人達によって、直接民主主義が反対されるため、本来の民主主義の実行が阻まれてしまう、というわけです。
正確に、正直に書いた方が、人の理解も得やすくなるし、また、真っ直ぐに前に進むこともできるでしょう。

また、このような状況になってくると、ベーシック・インカムの導入もあっても良いかと思います。

(あとは余談的に書くのですが、もし、直接民主主義システムが実行され始めたとしても、「新しいルールを作ろう。新しい決まり事を作ろう」と言ってくる人は少なくなるのではないのか、と私見では見ています。これの理由を以下に書きます。小学校のホームルームの時に、ある児童がいたと仮定して、その児童が、あまりにも、「あのルールを作ろう。このルールを作ろう」と言って来ると、その児童は他の児童達から煙たがられて、嫌われている筈です。それと同じ理由で、直接民主主義システムが実行され始めたとしても、あまりにも、「あのルールを作ろう。このルールを作ろう」と言って来る人は少ないのではないかと見ています。)


(以下、過去記事、関連記事、及び、参考文献)
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『三千二百九十二:ルール作りを考えてみて_No.1』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2018/09/_no1-824d.html

『三千百:私達の本来の政治システムである「直接民主制」について』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2017/03/post-6474.html

『三千五十七:民主主義と代議士の関係を考えて』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2017/01/post-714a.html


                                       坂本 誠

2018年9月21日 (金)

三千二百九十二:ルール作りを考えてみて_No.1

こんばんわ。

昨今、巷で話題を耳にする憲法とかルールの事を書いてみたいと思います。

「憲法」というのも、ルールの一種であることは言うまでもありません。
ですから、基本的には、私達の身近に見られる例を題材に挙げて考えることが出来ます。

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例えば、現在でも、小学校のホームルームの時間で、そのクラス内の決まり事を決めることがあるでしょうか。

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その「決まり事」もルールだと言えます。

そのホームルームの時間に誰かが、「私達のクラス内だと、私がこれから述べる何々のルールが必要になるかと思います」と発言して、クラス内でのルール作成を行おうとしていると仮定しましょう。

すると、そのクラス内の小学生の間で議論が交わされるでしょう。
例えば、ある生徒ならば、

  「私達は、そんなルールを必要だと思いません

というような反論も起こるでしょう。

しかし、そのルールを作成したい生徒としては、彼(あるいは彼女)が必要だからこそ、そのルールをクラス全員に認めてもらいたいことがわかります。

そして、ホームルームの時間内で、生徒達の会議の結果、「そのようなルールが私達のクラスに必要だとは思いません」という生徒が多数となれば、そのルールは却下されることになります。

さらに、「これそれのことをルールとしたい」として議題に挙げられたので、そのルールを作成したい側の生徒としては、

  「このルール作りの会議に長時間を取るわけにはいかないだろうから、これそれまでの時間に、多数決を取りたい」

と言ってくるかもしれません。

しかし、そのようなルールを欲しない生徒の側としては、

  「私達としては、そのようなルールを必要とは思わないので、時間を区切ってまで、早々と決める必要も無いと思います。ですから、このクラス内の全ての人が納得するまで、無期限で、議論を続けても良いのではないでしょうか?

という意見も出せるか思います。

Img7d939bd687b

 

ですが、上の例をそのまま続けて、そのルールを作成したいために発案した、生徒の側からすれば、

  「ルール作りというものは非常に大事なものだから、時間を区切って(どこかの会議で見られるような強行採決のように)、私達はキチンと決めるべきなのです」

と言ってくるかもしれません。

ここで、私達は上に挙げた例え話から離れてみましょう。

そして、ここで一旦深呼吸して冷静になって、次の疑問を考えてみましょう。

  「私達はルールというものが非常に大事だと生まれた時から言われ続けてきたが、『ルールは非常に大事だ』という根拠は、どこから発生したのだろうか?

と。

(『三千二百九十二:ルール作りを考えてみて_No.2』に続く)


三千二百九十二:ルール作りを考えてみて_No.2

(『三千二百九十二:ルール作りを考えてみて_No.1』の続き)

ここから、私達の現実に起こったことを、おさらいしてみましょう。
わかりやすく例として日本のことを挙げてみましょう。

現在の『日本国憲法』の前身である『大日本帝国憲法』は、多くの人が知るように、明治時代になって発布されました。

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それ以前の江戸時代以前には、憲法に相当するルールが、日本の人々に適用されていませんでした。

もちろん、飛鳥時代に聖徳太子が定めた『17条の憲法』ならば、ありましたが、この飛鳥時代というのは、この原稿を書いている現在(2018年)からみて、約1500年も前の時代のものでした。
その、約1500年もの時代の間、この『17条の憲法』は、人々の間で忘れられていたので、この『17条の憲法』の効力というのは、実は、有って無きが如しのようなものでした。
だからこそ、日本の戦国時代とか、武家政権が成り立っていたわけです。

ところが、明治政府が立って以来、その政府が欧米諸国のような政治スタイルを模倣することに決めた結果、欧米諸国のようなルール作りのシステムも模倣することになりました。

『憲法』という単語の英単語は『CONSTITUTION』と言います。
この『CONSTITUTION』という英単語は、「政体、機構、憲法、国憲」とされています(研究社、『新英和中辞典 三訂版』からの引用)。

明治時代が明けて、すぐの頃は、様々な外来語を日本語に当てる作業の時代も続きました。
ですから、明治時代初頭の頃の語学者達(福沢諭吉など)は、様々に見知らぬ英単語を、日本語に置き換えていきました。

その内の一つで、「『CONSTITUTION』という英単語をどう訳すか?」という問題も発生して来たと思います。

『law』という英単語も『法律』というものに定着させたことでしょう。
しかし、この『CONSTITUTION』という英単語を理解するのは、ちょっと難しかったと思います。

なぜならば、『CONSTITUTION』という英単語を、じっくりと調べると、「多くの法律の上位の存在」だとわかります。
ですから、『CONSTITUTION』という英単語を、『法律』という日本単語に置き換えるわけにはいきません。

ですから、「法律の上に存在する決まり事」という手合のルールを意味する日本の単語を持って来ないといけません。

なので、この手合いのルールを、日本史上から丹念に探し出してみると、「日本の飛鳥時代の政治家が提唱した『17条の憲法』等が、これに相当するのではないか?」となるでしょう。

Img7d9392d026a2

 

ですから、明治時代初頭の頃の語学者達は、『CONSTITUTION』という英単語を『憲法』という単語に当てたのではないかと、私は考えています。

そして、明治時代初頭の頃には、多くの日本人に忘れられており、適用も効力もなされていなかった、『17条の憲法』ですが、都合の良いことに、明治時代初頭の頃に、

  「憲法というルールを復活させよう」

という動きに、かなり有利に利用できることがわかるでしょう。

なぜならば、かなり昔の日本の政治家が提唱したルールである『17条の憲法』ですが、さらに都合の良いことに、それを提唱した聖徳太子は皇族の一人であった事実も有利に使用できるからです。
王政復古の号令をかけた明治政府としては。

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確かに、聖徳太子は、かなり人望の厚い政治家としても知られておりますので、彼の提唱した「『17条の憲法』が悪いものだ」とは言いません。

しかし、時の明治政府の役人達とすれば、約1500年もの間、忘れられていた「憲法というルールを復活させよう」と言うのだから、当時の多くの日本人達に、かなり強い説得力のある根拠を見せる必要があります。

「『17条の憲法』が悪いものだ」とは言いませんが、約1500年もの間、忘れられていた制度を復活させるには、このような、

  「約1500年も昔の人望の厚い政治家が提唱したルールだ。かつ、彼は皇族の一人であった」

と、当時の多くの日本人に説得混じりの発言を続ければ、それなりに多くの日本人達が、当時の『大日本帝国憲法』を受け入れたかもしれません。

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実際には、この手の「ルール」というものは、冒頭に挙げた小学校の例でもわかるように、「ルールというものは、全ての人が認めるからこそ、そのルールは効力を発揮できる」と私達にわかるわけです。

なので、『大日本帝国憲法』を制定した側の明治政府の役人達から見ると、

  「日本人全員が、この大日本帝国憲法に熱烈な支持をして、かつ、認めたのだ」

と、いかにも、大声で言う必要があります。

実際には、当時の大日本帝国憲法の制定に反対していた日本人も多いかもしれません。

例えば、義務教育であるところの小学校教育が始まったのですが、それらの小学校の生徒達は、「学校なんかに行くのは嫌だ」と叫んでいた児童達もいたかもしれません。

これは、現在の小学校でも同じだとわかります。
現在の小学校の生徒達の内でも、「私達は学校なんかに行くのは嫌だ」と叫んでいる児童達がいることが知られているからです。

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しかし、明治時代の当時の為政者達からすれば、何としてでも、「この大日本帝国憲法に、全ての日本人の熱烈なまでの支持と認可あり」と声高に言う必要があるので、何としてでも、それなりのものを、大いに多くの人々に見せる必要があります。

その結果が、例えば、当時の、大日本帝国憲法の制定による、国を挙げての祝い事とかセレモニーとか、あるいは、現在の憲法記念日と同じような、祝日の制定とかになるでしょうか。

憲法記念日を祝日として制定すると、それなりの多くの日本人は、

  「あ~、今日は休日だから、有難い。だからこそ、憲法記念日は大事なものであり、更には、その奥に位置している憲法とは非常に素晴らしいものだ」

という認識が、多くの日本人の心に植え付けられると思います。

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ですから、いかにも「憲法制定は、これは国を挙げての一大イベント(祝い事)だ」とか「だからこそ、国民の休日に位置づけされるぐらいの祝い事なのだ」と、全役所を挙げて、祝い事を見せていれば、かなり多くの人々が「憲法というルールは非常に大事なものなのだ」という認識を植え付けられることになります。

Img7d939bd680e

 

また、それに合わせて、歴史の教科書とかに以下のような文章を載せるわけです。
「大日本帝国憲法が定められて、多くの日本人は幸福に思った」とか「大日本帝国憲法が定められた直後に、日本の各地で様々なイベントが行われて、多くの日本人は、それを祝った」とか。

こうしておくと、後世の日本人は、その教科書を読みますので、いかにも、その教科書を読んだ後世の日本人は「憲法というものは非常に大事なのだ」という認識を植え付けられることになります。

先に書いたことを再び書くのですが、義務教育であるところの小学校教育が始まったのですが、実際には、それらの小学校の生徒達は「学校なんかに行くのは嫌だ」と叫んでいた児童達もいたことでしょう。

こうなりますと、単に「大日本帝国憲法の制定に反対していた多くの日本人がいたのだ」となってくるでしょう。

ですから、私が思いますに、この点において、明治時代当初の為政者達の心理操作は、多くの日本人に対して、かなり成功を納めたのではないかと思います。

(『三千二百九十二:ルール作りを考えてみて_No.3』に続く)


三千二百九十二:ルール作りを考えてみて_No.3

(『三千二百九十二:ルール作りを考えてみて_No.2』の続き)

ですから、冒頭の小学校の例で書いたように、そのルールが適用される筈の側の一人一人の人間が、「私は、そのルールを重要なものとは思いませんよ」と述べただけで、もはや、そのルールが、そのグループの中で適用されることは、ほぼ不可能なことがわかります。

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ですから、冒頭の小学校の例で挙げた「私は、このルールを作成したい」と言ってきた小学生の人が、「ルールというものは、非常に大事なものなので、これそれまでの時間までに、時間厳守で、このルール作りに対する採決を取りたい」と言って来ても、そのルールを重要なものとは思わない人が、

  「私は、そのルールを必要とは思わないので、これそれまでの時間までに、時間厳守で、そのルールを制定しなくても良いと思いますよ。それこそ、無期限に至る時間を使ってまで、全てのクラス内の生徒達の納得のいくような決定をしても良いと思います」

と言えるでしょう。

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また、私が上に書いたように、以下のような疑問を自らの胸中にある心に問い続けるのも良いかと思います。

  「そのルールは、本当に大事なものだろうか?

等です。

ひょっとしたら、あなたの周囲の人とか、『巷で権威を持っている』とされている人が、やたらめったら、あなたに以下のことを行ってきたのではないでしょうか。

  「皆さん、このルールは私達にとって非常に大事なものなのです」

という発言等です。

Img7d9392d02664

 

私達は、ひょっとしたら、そのような人の発言に誘導されていないでしょうか。
私が上に書いた事も踏まえつつ、次のような疑問が、あなたの頭中に浮かんでこないでしょうか。

  「あなた自身(そのルールを作ろうとしている人)は、そのルール内容を必要とするかもしれないけれど、私達は、そのルールを必要とは思いません」

という疑問です。
この疑問が胸中に湧いて来たら、私が上に書いた事を踏まえつつも、そのルールの内容を自ら、御自身の手による熱心な調査と何回にもわたる熟慮によって、御自身の手による審査をすることを、私はお奨めしたくあります。

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このように、憲法というルールでさえも、別の視点から見ることが出来たと思います。
普段、私達は「憲法」というと「金科玉条のように、ひたすら、崇められるべきものである」という視点があるかもしれません。

しかし、ある別の視点から見ると「憲法そのものの存在自体が、疑問視すべきであり、あるいは、危ういものではないだろうか?」という疑問の視点を得ることが出来たと思います。

(『三千二百九十二:ルール作りを考えてみて_No.4』に続く)


三千二百九十二:ルール作りを考えてみて_No.4

(『三千二百九十二:ルール作りを考えてみて_No.3』の続き)

話は変わりますが、誰でもが認めている暗黙のルールとでも呼ぶべきものもあります。
それは、例えば、「人を殴ってはいけない」というものでしょうか。
なぜならば、誰でもそうですが、自分の顔を殴られたら、どのような感情や苦痛が発生するかが、誰でもわかるからです。

つまり、このような手合いのルールというものは、私達の身体や基本的な構造に与えられているものだからです。
ですから、このような手合いのルールというものは、大自然や神が、あらかじめ定めたルールとも言えるようなものです。

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なぜならば、全ての人が、殴られた後、発生する感情や苦痛は同一のものなので、全ての人が納得できるのです。
「全ての人が納得できる」となると、その手の「人を殴ってはいけない」というルール自体も「全ての人が納得できる」となりますので、このような、あらかじめに、大自然や神のような存在が、定めたルールとも言えるようなものも存在する、ということもわかります。

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このように、大自然や神のような存在が、定めたルールというものは、全ての人が認めるからこそ、真のルールだと言えるでしょう。

しかし、私達の日常生活を見ていても気づくように、むやみやたらとルール作りが行われているのを見かけるでしょうが、そのルールに対して、洋の東西を問わず、時には自国の国会議事堂の前で、反対のデモ活動を行っている人々を、私達はしばしば見かけるわけです。

結局、それらのデモを行う人々からすれば、そのようなルールに反対しているわけですから、結局、「そのようなルールに反対していた人々がいた」ということだから、結局、そのルールが制定された後でも、「そのルールは無効であろう」と私達は言えるでしょう。
なんとなれば、上から書いているように、「ルールというものは、そのグループ内の全ての人が認めるからこそ、ルールとして適用・使用される」のですから。

にも関わらず、何らかのルールが制定された後、そのルールを作成したかった人が、「このルールは、全ての国民が認めているところの憲法に従って、制定された。だから、このルールは、結局は、全ての国民が一致団結して認めた、全ての国民の同意のあるルールなのだ」と、言っていることになるわけです。

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ある例え話を書いてみます。

ある米国の国民の一人が、次のように公言したと仮定しましょう。

  「私は、今後、アメリカ合衆国憲法を一切受け入れません」

と。

すると、米国内の全ての法律というのは、全て、アメリカ合衆国憲法の下に作られていますので(派生とも言います)、それを公言した、その米国の一人の国民には、全く、全てのアメリカ合衆国の法律が適用されないことになります。
彼には、米国に存在する全ての罰則が適用されませんが、それと同時に、アメリカ合衆国憲法の下に彼を保護しているところのルールをも適用されないことになります。

しかし、それにも関わらず、彼(あるいは彼女)が、上記のような公言を行ったと仮定しましょう。

すると、米国内の、ある官憲の人が、彼(あるいは彼女)の元に訪れて、少々重い表情をしながらも、低い声音で、以下のように言うかもしれません。

  「わかりました。あなたは今後、アメリカ人ではありません。しかし、現在のあなたは、国籍不明の不法滞在者となって、今現在の、あなたが私の目の前にいると言うことになります。ですので、国籍不明の不法滞在者の扱い自体が、様々な国で定められているので、それを使って、今から、私達は、あなたを保護しようと思います」

という感じで、話が進んでいくかと想定できます。

ですから、このような例え話を、あなたの頭に入れつつも、あなたの周囲の状況を、よく見まわして、様々な点において思慮深くなり、とりわけ大事な点としては、周囲の人々との調和と平和と愛の内に生活することを目指しつつも、熟慮と落ち着きがあり、調和ある行動を取ることも大事なこととなってくるのではないかと思います。


(以下、過去記事、関連記事、及び、参考文献)
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三千百:私達の本来の政治システムである「直接民主制」について
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2017/03/post-6474.html

三千五十七:民主主義と代議士の関係を考えて
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2017/01/post-714a.html


 

                                       坂本 誠

2018年9月13日 (木)

三千二百九十一:お知らせ

こんばんわ。

現在、所用をこなしておりますので、しばらくの間、お休みさせて頂きます。

何卒、ご了承ください。



                                       坂本 誠

2018年9月11日 (火)

三千二百九十:心と翼

       心と翼

      心に翼を。
  
  

_2

 

                                       坂本 誠

2018年9月 9日 (日)

三千二百八十九:私の見かけたニュース_No.111

こんばんわ。

私の見かけたニュースを紹介させて下さい。
私の気になった部分には、アンダーラインを引いたり、太字にさせて頂きました。

(以下、『YAHOO! JAPAN NEWS』、2018/09/07(金)記事より引用)
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●消えた796人の子どもたち、カトリック施設での虐待を明らかにしたアイルランドの郷土史家
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180907-00010000-clc_nytv-int

9/7(金) 11:31配信 The New York Times

(c)THE NEW YORK TIMES

何十年にもわたり、未婚の母と子のための施設の敷地内に、子どもたちの遺骨が放置されていた。
この施設の恐ろしい実体を明らかにしたのはアマチュアの郷土史家だった。

【翻訳編集】AFPBB News

(以下、上記記事中に紹介されていた動画中の女性の談話画面からの引用)
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『CHILDREN OF TUAM チュアムの子供達』

ビデオ中の一人の女性の談話。

「政府や教会に抗議してもムダです。レンガの壁をたたくようなものよ。」

_1

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(引用終わり)

(以下、新ブログ『光と輝き』からの上記記事に関すると思われる過去記事、関連記事、及び、参考文献)
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『四百三十:私の見かけたビデオについて_No.40』
●バチカンとフリ-メ-ソンリ- フェレ-司祭の証言
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2013/10/_no40-be76.html
http://www.youtube.com/watch?v=byCLsdh3J-s



『四百四十一:私の見かけたビデオについて_No.43』
●ローマ教皇ベネディクト16世はイルミナティだった?
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2013/10/_no43-ca41.html
http://www.youtube.com/watch?v=FhtzkNQebGo



『二千六百十六:私の見かけたニュース_No.64』
●プロジェクト・ルシファー
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2015/08/_no64-9510.html
http://mizu8882.blog.fc2.com/blog-entry-908.html
Shocking: Pope Francis says Jesus is not divine, just a man
http://youtu.be/cREBiH2QAkU

(上記記事より抜粋引用)
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◆カトリックの総本山バチカンで、神の代理人として仕えるローマ教皇が、驚天動地の発言をして騒ぎになっています。

◆とても教皇の発言とは思えないような内容で、敬虔な信者たちにとっては気絶するほどショッキングなものです。
何と教皇フランシスは「イエスは神でも何でもない、唯の男だ」と言っているのです。
これは、キリスト教原理主義の福音派の人々にとって青天の霹靂というより、原子爆弾を落とされたような衝撃を受けたのではないでしょうか。

◆この言葉だけでもショッキングなのに、あろうことか「イエスはサタン(ルシファー)の息子だ」と断言しているのです。
聖書も出鱈目、みんな嘘に騙されてきたのだとも言っています。

(、、、中略、、、)

先週、Peter Hans Kolvenbach(コルベンバック)という人物とある人物との会話を白龍会メンバーが盗聴録音した。

(写真あり)

201508141353096161

現在のコルベンバックの公式的な肩書きを言うならば、ローマ教イエズス会の元総長である。
しかし、その盗聴された会話の中で、今でも彼が実質的なヴァチカンの最高指導者であること、また同時に悪魔教の最高幹部であることを本人が認めている。

そして、自らを闇法王、もしくは地球の悪魔代理人と名乗るコルベンバックは、『我々が日本を地震兵器で攻撃する命令を下した』と話し、さらには『魔術を使って日本を海底に沈める』と発言している。
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(引用終わり)

『百四十九:私の見かけたビデオについて_No.21』
●内部告発!(元アメリカ国家安全保障局) 『311大震災はアメリカとイスラエルの裏権力が核兵器を使った!』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2013/07/_no21-0943.html
https://www.youtube.com/watch?v=ZCEmFIMrRVE



(上記ビデオより抜粋して引用)
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◎リポーター:
「OK。ストゥクスネットについてはどうなのでしょうか?」
「なぜならストゥクスネットこそがイスラエルに起因するものだと思うのですが、違いますか?」
(※注あり。ストゥクスネット=コンピューターウィルスプログラム)

●ジム・ストーン:
「そうです。イスラエルがストゥクスネットと呼ばれるウィルスに取り組んでいます。」

「、、、(ストゥクスネットは)そして学んだのです。オペレーターが完全に燃料棒の温度を制御していることや、、、」
「それ(ストゥクスネット)を植え付けた会社はマグナBSP社と呼ばれています。
「私が言いたいのは・・・私は彼らにメールを送っていて、彼らが施設に埋め込んだ核兵器の写真も持っています。」
「彼らがした事とは、イスラエルで座って、彼らは津波を引き起こし、イスラエルで座って津波が原発を襲うのを待っていたんです。」
「、、、津波が起きて約40分後に起きた事は、彼らは発電機を停止させたのです。」

◎リポーター:
「そうですね。私もこの情報は知っています。、、、」
「、、、基本的にはそれ(311)はイスラエルの偽旗作戦なのでしょう?」

●ジム:
「そうです。これは偽旗作戦です。」

◎リポーター:
「、、、イスラエルが単独で行動したと思いますか?」
「わかるでしょう? こういうのは悲しい事なのですが、他の国も関わっていて、私達(米国)がほぼ関わっているようなのです。」

●ジム:
「私は沢山の報告書を持っています。それは米国海軍が核爆発の起きた日本海溝にいたというものです。」
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(引用終わり)

『四百三十六:私の見かけたビデオについて_No.42』
●真の影の権力者 イエズス会中枢部とバチカン内部
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2013/10/_no42-84e2.html
http://ameblo.jp/hidy0701/day-20120328.html
http://www.youtube.com/watch?v=jePMp9MFLKI



(上記ビデオより)
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バチカンはヒトラーと政教条約を結んだ。
1933年に彼が権力を持った年である。

私はイエズス会の命令からほとんど全てを学んだ。
この組織の良い部分は私の政党に取り入れた。
私はイエズス会からさらに多くを学んだ。
これからは、この地球上で階層的であるカトリック教会ほど壮大なものはないであろう。
ヒムラーの中に我々のロヨラのイグナチオを見る。
(アドルフ・ヒトラー)
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(引用終わり)

『八十一:私の見かけたビデオについて_No.15』
●エレン・グリーン・ヒックスインタビュー④
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2013/06/_no15-39cd.html
http://www.youtube.com/watch?v=__PDJHCxoDc



エレン・グリーン・ヒックス
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「バチカンでの小さな子供達を生贄に捧げる儀式を見てきています。」
「腹立たしい、地上で最も腹立たしい場所です。」
「最も邪悪で暗くて・・・地上で最も邪悪な場所です。」
「神はそこにいません。」
「神はその建物に入ったことはありません。」
「神は一度もその建物に入ったことがありません。」
「神は決してそこに入る事は無いでしょう。」
「神はその建物に無くなって欲しいのです。」
「生贄の儀式的な邪悪な・・・場所以外の何物でもありません。」
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(引用終わり)

『四百八十五:私の見かけた情報_No.5』
●バチカン悪魔組織、カトリック教の長年に渡る子供拷問&殺人について
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2013/11/_no5-5a96.html
http://mizu888.at.webry.info/201311/article_4.html

『四百五十四:私の見かけた情報_No.3』
●アメリカの驚くべき32の真実・・・・ほとんどの人は知らない。。。
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2013/10/_no3-b141.html
http://blog.livedoor.jp/wisdomkeeper/archives/51894924.html
http://nesaranews.blogspot.jp/2013/08/here-are-truthful-facts-most-people-do.html

(上記記事より引用)
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23.ローマ法王は、大陸の発見と征服に関する法に基づき、全世界を所有していると主張している。
24.ローマ法王は何百万人もの人々の大量虐殺と奴隷化を命令した。
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(引用終わり)

『二千六百九十七:News_No.589』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2015/10/news_no589-ca18.html
(以下、『日本や世界や宇宙の動向』様、2015/10/9記事より引用)
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●聖書はローマ・カトリック教会によって書き換えられました。
http://blog.livedoor.jp/wisdomkeeper/archives/51970277.html

(邦訳、『日本や世界や宇宙の動向』様)

http://beforeitsnews.com/prophecy/2015/10/original-scripture-was-modified-by-the-roman-catholic-church-2473608.html

(概要)
2015年10月6日付け

バチカンの地下室には、キリスト没後300年以上にわたり、カトリック教会が没収した(本物の)聖書原本、巻物、書物が大量に保管されています。
以降、カトリック教会は聖書原本を書き換え、新たな聖書を編集しました。
西暦325年に彼らが書き換えた聖書がニカイア会議にて認定され、397年8月のカルタゴ会議で、北アフリカのカルタゴ主教、西ローマ帝国の最初の皇帝、ローマ法王によって書き換えられた聖書が神の言葉として最終的に認められました。

以降、聖書は(とーま・カトリック教会によって)何千回も修正され書き直されてきました。
聖書は1000年以上にわたり次々に書き換えられてきたため、どのバージョンを読んでも、聖書原本とはかけ離れています。。

歴代ローマ法王やカトリック司教らは、神の言葉である聖書は絶対に信頼できるものであると信者に伝えてきました。
そのため、信者は聖書を神の言葉として絶対的に信じてきました。

ローマ帝国が聖書原本や古代の記録書を管理してきたため、今でもバチカンの地下室にそのまま残っています。
当時、聖書原本の内容や天地創造の真実を知っていた人たちは宗教裁判にて全員処刑されました。(、、、以下、省略)
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(引用終わり)

『六百四十三:私の見かけた情報_No.11』
●世界銀行の内部告発者カレン・ヒューズさんのインタビュー
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2013/12/_no11-dffa.html
http://blog.livedoor.jp/wisdomkeeper/archives/51909583.html
http://beforeitsnews.com/blogging-citizen-journalism/2013/12/karen-hudes-beforeitsnews-interview-exclusive-on-nibiru-israel-iran-a-return-of-the-rule-of-law-2449738.html
Exclusive Karen Hudes Before It's News Interview
https://www.youtube.com/watch?v=7p3F8r5i7EY



(以下、『日本や世界や宇宙の動向』様、2013/12/5記事より引用)
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さらにケムトレイルプロジェクトに多額の資金を提供し、世界中に噴霧させているのはイエズス会の銀行家集団です。

●イランとの合意について、非常にパワフルな組織(イエズス会の銀行集団)がメディアを支配し、アメリカの視聴者に偽の情報を流しています。
彼らはアメリカの視聴者がオルターナティブ・メディアにアクセスできないようにしています。

(、、、中略、、、)

実際に、世界の中央銀行には大量のゴールドが保管されています。
それらは世界中の人々のものです。
しかしイエズス会の銀行家集団はこのことを隠蔽しています。
彼らは世界中の人々を無知のままにしておきたいのです。
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(引用終わり)


                                       坂本 誠

2018年9月 5日 (水)

三千二百八十八:私達の間のルールを考えて

こんばんわ。

今日は短いブログ記事となりました。

昨今、教育システム関係と社会システム関係の話題を続けています。

社会システムの側のルールによって、「あなた達は学校に行かねばならない」とされています。
そして、それらのルールは、「日本国民の総意に基づき」とあります。

ここに大きな問題があることに、人は気が付いてくると思います。
一緒によく考えてみましょう。

現代でも、子供達の中で、「私は勉強や学校が嫌いだから、学校に行きたくない」と主張する子供達がいるのに気が付きます。
しかし、私達の間での根本的なルールとされている、そのルールの方では、「あなた達は学校に行かねばならない」と書かれているわけです。
つまり、何らかの理由によって「学校に行きたくない」という、子供達が複数以上いるわけです。
ですから、そのルール内で定めている条文自体が、既に「日本国民の総意に基づ』いていない」という事実に人は気が付くでしょう。

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にも関わらず、そのルールが定められようとしている頃に、ある特定の人物等が、「私個人には、このような意向があり、それを、日本全ての人々に適用させたい、という意志がある」ということがあったことに気が付くでしょう。

さて、そして、そのルールを定めた際に、そのルール内に「日本国民の総意に基づき」という文面まで彫り込んでいるわけです。

別に、日本国憲法でなくても、それ以前の、大日本帝国憲法でも話は同じだとわかるでしょう。
明治時代になってすぐの日本の全ての小学生達が「『私達は学校に行かねばならない』という、総意があったわけではない」と誰でも気が付くでしょうから。

上記のような特定の人物達の意向が、彼等以外の全ての日本人に適用されるルールを作成するにあたって、「このルールは日本国民の総意に基づき」という文章まで、彫り込んでいたのだから、この事実に気が付いた人は、

  「こりゃー、大問題が寝とったぞ」

と心中でつぶやいたかと思います。

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わかりやすく書くのならば、小学校のホームルームの時間内での、そのクラス内の決まりごとを決める際の会議でしょう。

ある特定の、ガキ大将的な存在の小学生が、彼(あるいは彼女)の発案しているルール案を語り始めて、

  「このルールは、このクラス内に絶対に必要であり(正確には彼(あるいは彼女)しか欲していないのだけど)、かつ、このルールは、このクラス全員の小学生達の総意に基づいて、決定せられた」

と言っているのと同じ事ですから。

後は、そのクラスの中で、どのような騒ぎ事が起きるのか、という点に関しては、あなたがご自由に想像してください。

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最近、教育関係の話題が続いていましたので、例として教育関係の決まり事とされているものを挙げてみました。
あとは、このような視点で、私達の間で共通ルールとされている内容を詳細に、読者の方々が見ていけば、色々な事を発見できると思います。
もとより、これは日本国憲法に限らず、世界各国の憲法の中を探しても、同様のことは、かなり見つかると思います。

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今日は、短いブログ記事となりましたが、かえって、このような話題は短文で伝えた方が効果があるとも言われていますね。


(以下、過去記事、関連記事、及び、参考文献)
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『三千二百八十七:現在の教育システムと社会システムの絡みを考えて』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2018/09/post-42ca.html

『三千二百八十二:現在の教育制度を考えて_その1(独白)』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2018/08/_-15d5.html

『三千二百七十七:私達の仕事とお金というものを考えて』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2018/07/post-779b.html


                                       坂本 誠

2018年9月 3日 (月)

三千二百八十七:現在の教育システムと社会システムの絡みを考えて

こんばんわ。

三千二百八十二:現在の教育制度を考えて_その1(独白)』の続きのような記事です。
前回は、独白調で書いたのですが、今度は「です・ます調」で書いてみます。

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余談ですが、日本語には、このような文体のスタイルにも違いがあります。
その文体の違いによって、受ける雰囲気も違ってきます。
この「文体の違い」というのは、日本語独特のものではないでしょうか。
当の日本人だと、この文体の違いを趣深く味わうかもしれません。
しかし、日本語を習得中の外国人にとっては、よく日本人の聞く「なんて日本語は難しいんだ」の発言を促す原因の一つかも知れません。

これを考えていたら、長い記事となりますので、段を改めて書くかもしれません。

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本題に返ります。

8月から9月にかけての移り変わりの季節は、子供達にとって受難の季節であると、報道されていました。
子供達が夏休みの宿題を抱えて、学校に帰らないといけないからでしょうか。

20100817143537

 

三千二百八十二:現在の教育制度を考えて_その1(独白)』でも書いたように、宿題というのは断ることが出来ます。
それより以前に、学校の先生達が生徒達に対して宿題を出す方が奇妙なことだと気が付いた人もいることでしょう。
なんとならば、『三千二百八十二:現在の教育制度を考えて_その1(独白)』でも書いたように、学校の先生達には、生徒達の放課後の時間を拘束できる権利を、当然ながら、持っていません。
ですので、生徒達の放課後の時間を拘束してしまう「宿題を与える」ということが、「してはいけないことではないのか」と気付き始めた人々もいることでしょう。

また、ここで、上の流れから新たなことに気が付いた人もいるでしょう。
というのも、現在、教壇に立っている、そのほとんどの人々が戦後生まれです。
ですので、戦前に生まれた人にも宿題を与えられた人々がいたかもしれませんが、現在、教壇に立たれている、そのほとんどの教師達も、子供時代に、学校の宿題を与えられたと思います。

ですから、現在、教壇に立たれている、そのほとんどの先生達も、「なぜ、その当時に、宿題を与えられるということを不思議に思ったり、疑問を感じなかったのか?」という、ちょっと大きめの疑問が湧いた人もいるかと思います。

この、新たな疑問について、この記事を進めていきたいと思います。

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私が思うことには、子供達が大人達から馬鹿にされていると思うのです。

例えば、子供は、生まれてから生活上の知識がありませんので、周囲の人から多くのことを学ぶことになります。
ですから、子供の頃は、学業などの吸収スピードは早いものです。

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ですが、大人達の作成した教育システムに、子供達の疑問を生じさせぬよう、やたらめったら、スピードを上げて知識を詰め込まさせているように感じます。

例えば、私が子供の頃だと、小学校と中学校の2つの教育システムで、その社会科の時間に、「日本国憲法」の骨子を学ばされたでしょうか。
現在の、教育システムだと、どうなっているかわかりませんが。

私が子供の頃の社会科の時間に習った「日本国憲法」の時間に、例えば、

  「このルール『日本国憲法』に対して、疑問に思ったり、不備があるかと思われる点について、今から自由にディスカッション(議論)してみなさい」

というような、疑問提起等を誘われることはありませんでした。
現在の教育システム下でもそうではないでしょうか。

ですから、今現在、そのルールに対して、疑問に思ったり、不備があるかと思われる点について、ディスカッションに出されるかと想定される、疑問提起なりを以下に列挙してみることにします。

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  「そのルール中には、日本の子供達に対して、義務教育を行うとあります。『義務教育』とは聞こえが良いですが、『強制教育』と言い換えることは出来ないでしょうか?」

  「そのルール中の『義務教育』の発生理由とは何でしょうか? なぜ、『義務教育』という制度が必要とされたのでしょうか?」

  「そのルールの中に『このルールは、生まれてくる全ての日本人に与えられる』とあります。しかし、そのルールに反対となり、そのルールを捨てたい時には、どうしたら良いのでしょうか? 外国に行くとなると、それなりの費用が発生するので、外国に移住せずに、そのルールを捨てたいのですが、どうしたら良いのでしょうか?」

  「そのルールがセットされたのは、私が生まれる前です。私は、そのルール設定に際して、何の意見も言っていません。ですから、私の意見が全く反映されていないことも明らかです。それなのに、なぜ、そのルールが、強制的な感じで、生まれ来る全ての日本人に対して適用されるのでしょうか?」

  「仕方なくも、そのルールが、私達の間で『共通ルール』として採用されているようです。百歩譲って、それが私達の間での『共通ルール』だと妥協して受け入れたと仮定します。その上で、私達に出され続けている宿題について考えてみました。すると、学校の先生達が私達の放課後の時間を拘束できる権利が無いことに私達は気が付きました。それなのに、学校の先生達は、私達の放課後の時間を拘束してしまう宿題を出していることに気が付きます。これだと、世の多くの学校の先生(公務員)達は、憲法違反を実行していることになりはしないでしょうか?」

  「そのルールの中に書かれていることには『このルールは日本国民の総意に基づき適用される』というような文面があります。私が生まれてくる時に、そのルール設定がされていなかったのですが(それも問題の一つかと思いますが)、そのルール設定がなされた時代でも、日本には多くの日本人がいたことでしょう。そのルール設定の頃には、そのルールに対して反対の人々もいたことでしょう。それなのに、当時の反対者の人々に対して、最近しばしば見受けられるような国会での強行採決のように、そのルールが無理矢理セットされたと思います。その状態ですと、『日本国民の総意に基づき』という文面には、嘘があることになりはしないでしょうか?」

  「上の疑問の並びと同じなのですが、現代でも、そのルールに対して、反対の人々がいるのではないでしょうか? それでしたら、そのルール中の『日本国民の総意に基づき』という文面事体が、看板割れを現していることになりはしないでしょうか?」

、、、(以下、等々)

---------------------------------

まだ、学校の子供達が出してくると想定できるような疑問や、問題提起の文章を想定できるかと思いますが、ひとまず、ここで区切りを置いておきます。

要は、子供達がターゲットにされていると感じます。

20100808132708


「ターゲット」ですから、上の言葉を言い換えると、「子供達は狙われている」と言えるでしょうか。

子供達は、無批判で与えられるものを受け取ることが多いと思います。
その状態を逆用されていると思います。
ですから、義務教育システムの中で教えられる憲法内容の時間なども、怖そうな顔をした大きな体格を持った大人達である先生が、さらに厳しそうな目つきと恐持ての声を出しながら

  「今から教える、この憲法内容に、一切、疑問を持ったり、問題提起をしてはならない」

という感じで伝えられたら、子供達の心は大いに怯えてしまい、上記のような心の中で生じた疑問や問題事項を、一切、周囲の人に伝えることが出来なくなるのではないでしょうか。

暗黙の内に、多くの子供達に沈黙を強要されているように感じはしないでしょうか。

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また、「子供達がターゲットにされている」という言葉で思い出したのですが、これの一例が教育ビジネスだとわかると思います。

教育ビジネス側だと、子供達に、より多くの教材を買ってもらうようにしなくてはいけません。

ですから、そのためには、

  「子供達よ。あなたがたは無批判で勉強しなさい。学校の先生達も君達の親達も、皆、口をそろえて言うことには、『勉強すれば、その勉強がお前達の未来を救う』という、美辞麗句で、あなたがたに勉強を奨めているだろう。だから、あなたがたは無批判で勉強しなさい。そのためには、私が数多く作成している、これらの教材を大量に買いなさい(もっとも、あなたが今行っている勉強が、本当に、あなたの未来を救うかどうかは私は知らないが)。」

等のような学問の奨めを行いつつ、教材の売り込みをしているかもしれません。
あるいは、

20100808132657

 

  「あなたが今行っている勉強は、あなたを幸せにしないかもしれないけれど、その勉強に見合った分だけの、お金を得られるかもしれないよ」

等のような奨めを行いつつ、教材の売り込みをしているかもしれません。

---------------------------------

上で想定している、教育ビジネス側だと、更に次のようなセリフを言うかもしれません。

  「私だって稼がないといけないからね。金が無いと生きていけないんだから。」

ここまで来ましたら、私の以前に書いた記事中の文章を再掲載して、つないだ方が良いと思いますので、再掲載します。

再掲載するブログ・サブタイトルは、『三千二百七十七:私達の仕事とお金というものを考えて』です。

(以下、『三千二百七十七:私達の仕事とお金というものを考えて』、2018/07/30(月)記事より抜粋して再掲載)
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そして、ちなみに、地球社会全体を支配したがっている人々からしたら、「地球上の全ての人間を、お金を使って、強制労働させることが出来る」と、彼等は気が付いていることでしょう。

なぜならば、生活資金を手に入れるためには、なんとしてでも、社会一般の職種に就かないといけないのですが、ある人が生活資金に困れば、その人は、その人がどんなに嫌いな仕事にでも就かないと、そのお金を手に入れられなくなるからです。

ですから、地球社会全体を支配したがっている人々ならば、「お金を使って、地球人を強制労働させ、つまり、我々の奴隷として、全地球人を使用することが出来る。なぜならば、我々は、全地球人に対し、『お金が無ければ生きていくことは出来ない』という恐怖感を与えることに成功したので、地球人は、そのお金を手に入れるためには、どんな嫌な仕事でも引き受けるに違いないのだから」と考えていることでしょう。

この、今、私が書いた「私達は、お金というツールを使用され、強制労働させられているのではないのだろうか?」という疑問は、読者の方々も、幼い頃に、幼子のようなまなざしを使って世間を見ていた頃、感じたことのある疑問ではないかと思います。

しかし、あなたの感じた、その素朴な疑問を口に出すには、あなたの周囲の人々を見回すと、お金を愛している人々がとても多いし、「お金に対する疑問を持つことは、タブーだ」という風潮や常識の前に、あなたの疑問は、あなたの口から出る前に、あなたの胸の中で消してしまったのではないでしょうか。

なぜならば、あなたが、その疑問を口に出すやいなや、周囲の人々が、あなたを冷たい目で見て、あなたを嫌いになるかもしれない、という、恐怖感が、あなたの心中に沸くと、その疑問を胸の中に引っ込めてしまいやすくなるからです。
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(抜粋引用終わり)

結局、総合的に考えてみますと、現代社会システムと、お金を使った経済システムが、人間の神性やら美徳を汚して、職業倫理をも堕落せしめ、結果、子供達の知識吸収の際にしても、強制教育とか、お金で汚れた教育システムが蔓延する結果になってしまったと、私見では見ています。

(以下、過去記事、関連記事、及び、参考文献)
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『三千二百八十二:現在の教育制度を考えて_その1(独白)』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2018/08/_-15d5.html

『三千二百七十七:私達の仕事とお金というものを考えて』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2018/07/post-779b.html


                                       坂本 誠

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