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2018年8月 9日 (木)

三千二百七十九: 無神論と法事を考えて

こんばんわ。

無神論と法事を考える機会がありました。
ここで言う無神論とは、「神様なんて、この世にいない」とか「あの世なんか無いから、霊なんていない」という考え方のことを言います。

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法事の多い季節となると、「ご先祖様を供養しましょう。ご先祖様をお祭りしますと、あなたの一家が繁栄します」という手合いの宣伝文句を聞く機会が多くなります。

しかし、この手の宣伝文句を冷静に、客観的に聴いてみて、更に世の中を見回してみると、矛盾が発生していることに気が付きます。

なぜならば、私達の世界だと、無神論が流行っているのに、多くの人は気が付くことでしょう。

例えば、上に書いたように、「あの世なんか無いから、霊なんていない」と多くの人々は語っているわけです。

しかし、こと、法事の多い、この季節となると、私が上に書いたように、「ご先祖様を供養しましょう。ご先祖様をお祭りしますと、あなたの一家が繁栄します」というセリフが多く流されているわけです。

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つまり、「あの世なんか無いから、霊なんていない」と多くの人々が語っているわけですから、その状況だと、「ご先祖様」というのは、全く消滅しているので、法事の際に、ご先祖様を供養しても、その存在は全く消滅しているわけですから、そのご先祖様を供養したところで、全く何の影響も与えられないことがわかります。

にも関わらず、法事の季節となりますと、あたかも、「ご先祖様は、どこかの世界に移動しただけであり、そのご先祖様は現存しますから、そのご先祖様に向かって、供養しましょう」という風潮の、儀式が行われているわけです。

これだと、「最初から、年中、無神論を捨てていた方が良いでしょう」と言えるでしょう。

にも関わらず、法事の季節が終了すると、多くの人々は、「あの世なんか無いから、霊なんていない」と語るわけです。

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つまり、これらの人々を傍から見て、冷静に考えてみると、「慣習に左右されているだけである」とわかります。

つまり、法事の季節や法事の機会がある時だけ、いきなり、信心深い人に変身するのですが、法事の季節や法事の機会が終了すれば、無神論者に変身するわけです。

そして、私達のこの世界自体も、非常に多くの慣習が実行されていると言えるでしょう。

ですから、「法事というのも、慣習として実行されている」とわかります。

「死者を敬う」というのが、法事の目的ですが、その死者となった人を供養しても、「何かが起きた」と言うことは無いわけです。

なので、単純に、日本で、高価な墓石や高価な仏壇があったりしますが、これは死者のために購入しているのではなく、生きている人の方が、「このような高価な墓石や高価な仏壇や、高価な仏具を備えていれば、死者が喜ぶかも知れない」と思いこんで購入しているのですが、実は、彼自身(あるいは彼女自身)が自分自身を喜ばせるために、それらの高価な仏具を購入していることがわかります。

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ここで、無神論の反対の状態である「あの世があって、その、あの世に、私の御先祖様が幽霊のような形で生活している」と信じてみて、次のことを考えてみましょう。

そのような幽霊となった、ご先祖様ですが、それらの高価な墓石や仏壇や仏具を所有することが出来ません。

なぜならば、手も透けているので、それらの仏具を手にすることも出来ません。
その状況だと、手に取って、眺めまわすことも出来ないので、その死者である、御先祖様は「それらの仏具を所有していない」と言えるでしょう。

ですから、何らかの高価な仏具を購入した人は、「私の御先祖様は、これらの仏具を見て、きっと幸福になるに違いない」と、当て推量で、信じ込んだ上で、彼自身(あるいは彼女自身)が、生きている自分自身を喜ばせるために、それらの高価な仏具を購入していることがわかります。

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しかし、人には自由がありますから、当然、それらの高価な仏具を購入しても良いわけです。

しかし、上の流れを見ても理解出来るように、それらの高価な仏具を購入する人は、一種の芸術作品とか美術作品を購入するような雰囲気で購入していることがわかります。

幾つもの芸術作品や美術作品を大量に手元に、そろえている人もいますので。

ですが、「死者を供養するために高価な仏具を購入している」とは言わなくなるので、そのような意思のある人は、仏具以外の芸術作品や美術作品を購入しても良いのではないかと思います。

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逆に、無神論の反対の状態を信じてみて、つまり、「あの世があって、故人がそこで暮らしている」と仮定して、感じたことを書いてみます。

その故人からしてみたら、上に書いたように、高価な仏具を所有していないわけです。
ですから、高価な仏具というのは、自分の子供達とか孫達が、「この高価な仏具や高価な葬式を挙げたことにより、さぞかし、死んだ故人が嬉しがっているに違いない」と、自分自身に納得させて、要するに、自己満足させていることがわかります。

ですから、心の優しかった故人ならば、あの世と言われる世界で、以下のような言葉を、残された遺族達に語っているのではないでしょうか。

  「私は死んだので、そんな仏具を与えてくれても嬉しくは無いよ。所有も出来ないし。また、そんな高価な仏具を買うような余裕があるのならば、私のための高価な仏具にお金を出すのではなく、お前達の生活のために使っておくれ。また、もし、私が、そんな現世の仏具に未練があるとしたのならば、私は成仏できていない地縛霊と言われても仕方なくなるのだから」

と。

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結局、こう考えてみたら、私達が時折、目にする、高価な葬式とか、豪華な墓石とか、高価な仏具とか、あるいは、死んだ故人に対して名づける、高価な戒名代金(しかも、「戒名」というのはランク付けがあって、死んだ故人に与える戒名代金の高下によって、その人の人生全体に対するテストの点数付けのように見える)等に、私達は深い疑問を抱くようになると思います。


                                       坂本 誠

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