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2018年8月22日 (水)

三千二百八十二: 現在の教育制度を考えて_その1(独白)

このエッセイは、丁寧調である「です・ます」調ではなく、一人語りする時に私が使用している「独白調」を使います。

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余談になるのだけど、独白調を用いて書いていると素直な自分を語れるような気がするので、また、自分自身に語っているような気がするので、肩が凝らないような気がする。

やはり、エッセイに向いている文体とは独白調ではなかろうか。

余談はさておき、先日書いてみた『三千二百八十一:学校の宿題について_No.3』を、折に触れて、色々と考えていた。

あらすじとしては「学校の先生は生徒達の放課後の時間を拘束する権利が無いので、宿題を出すことが出来ない」というものだ。

あらためて、私達が考えてみると、実に納得できるあらすじだったと思う。

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というのも、このあらすじは、私達が落ち着いて、普段、見慣れたものを見直してみると、意外な事実や発見を掴むことがあるけれど、それと同じようなものだからだ。
つまり、「灯台下暗し」と言えるようなものであるのだけど、落ち着いて、じっくりと考えてみると、誰でもが、この手の事実に納得できる代物(しろもの)であるとわかる。

だから、これは「私が最初に気付いたから、最初に気付いた事に意味がある」という類のものでは無いことがわかる。

だから、このような内容のものは、私でなくても、いつの日か、他の誰かが気付き、他の誰かが少しずつ語り、自然と広まるものだ。
だから、このような内容のものが人の間で知れ渡るのは時間の問題であることがわかる。

(実を言うと、何らかの発見や発明も同じものだと、最近では知られている。科学的な発見や発明も、それを最初に発見や発明をした人が、もてはやされる風潮が私達の間であるけれど、どんな発見や発明も、時間が経てば、その最初の発見者や発明者でなくとも、他の誰かが、確実にその発見や発明をなすそうだ。だから、私見では、世に多くいる、『最初の発見者や発明者』も、あまり、世間で、もてはやされなくても良いと思っている。)

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このような内容のものは、実は、日頃から薄々と感じていたことである場合が多く、しかし、世間の風潮や慣れの問題によって、口に出せなかったりして、胸の中に隠蔽され続けたものである。

だから、世間でも人は多いのだから、「学校の先生は生徒達の放課後の時間を拘束する権利が無いので、宿題を出すことが出来ないのではなかろうか?」と、他の人も考えたことがあるのだけど、世の中や自分の周囲を見回すと、その疑問を口に出すことを怖く感じてしまうので、今まで、口に出せなかっただけのものだろう。

よって、いつの日か、誰かが気付いて、次第次第に広まるような内容のものだったのだ。

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この手の疑問に気付いた後には、「疑問」というよりも一つの問題となってしまうので、次に現れるものとしては、

  「この問題を、どう、解決したらよいだろうか?」

という更なる疑問が私達の胸に湧く。

それについて、日頃の生活をしつつも、徒然なるままに、頭の中で、つらつらと筆を運んでいた。

(『三千二百八十二: 現在の教育制度を考えて_その2(独白)』に続く)

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