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2018年8月

2018年8月29日 (水)

三千二百八十六:自らの願望達成を遂げようとしている人を見て(独白)

こんばんわ。

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ある人を見ていて気付くことがある。

その人は、自分の願望達成のためには、その人以外の人間が関係する必要がある。
だから、その人の願望達成が行われるためには、彼(あるいは彼女)は自分以外の人間を動かす必要がある。

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そして、彼の願望つまりはその人の幸福達成のため、彼以外の人間が動かされた後で、さらに、彼は自分以外の人間の同意や称賛を必要とする。

つまり、彼の願望や幸福を達成するためには、常に彼以外の周囲の人間が関係する必要がある。

その状態だと、彼(あるいは彼女)の願望と、彼以外の周囲の人間との合意も、幾つかのケースは存在するかもしれない。
だから、幾つかのケースで彼の幸福達成は行われるかもしれない。
しかしながら、私達も知るように、自分以外の人間の意向や考えは互いに違っていることの方が圧倒的に多い。

だから、彼の願望達成のため、彼が周囲の人を動かす際に、彼の願望から生じるお願い事を、彼の周囲の人間が快く承諾するというケースは、ほとんど無いことに気が付く。

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わかりやすく書くと、彼は周囲の人に向かって、頻繁に「私のために、あれをして欲しい。これをして欲しい」と、お願い事ばかりを叫んでいる。
しかし、上に書いた文章の流れからわかるように、ほとんどの場合は、彼の願望の方向と彼の周囲の人々の願望の方向は違っているのだから、彼(あるいは彼女)のお願い事というのは、実は、お願い事ではなく、彼の命令であることに私達は気が付いてくる。

また、上の話をじっくりと見てみると、お願い事をしていると思われる彼の願望や幸福というのは、彼以外の周囲の人々の存在無しでは確立できないことがわかる。
つまり、彼(あるいは彼女)は非常に依存精神の強い人だとわかる。

なぜならば、彼の周囲の人がいなければ、彼は全く自分の願望や幸福を作れないのだから、その願望や幸福を作るためには、非常に熱心なまでに、彼の幸福作成のために、周囲の人が頻繁に手を差し出さなければならないからだ。

要するに、彼の幸福作成のためには、周囲の人々の助力を大いに必要とする状態にある。

つまり、彼は自分の手で自分の幸福を作ろうとしない。

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だから、彼以外の周囲の人々に向かって、

  「あなたは(お前は)私の言うこと(命令)を聞け」

とか

  「私があなた方にお願いして(命じて)、お互いの共通目的となった私達の願望を互いに達成したのだから、お前達は、もっと私を賞賛しなさい(崇めなさい)」

等々のような命令とか本人に対する賞賛を彼が求める言動が多発するようになる。
(もちろん、私が上記のように想定したセリフ中の括弧(カッコ)の中の、単語の方が、彼の本音だと読者は理解するだろう。)

このように彼(あるいは彼女)の称賛欲求も著しく激しいことが私達にわかる。

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結局、このような彼を見てわかることには、これは支配というものであることがわかる。

支配というものは愛情から生じる欲求や行動では無い。
支配というものは愛情の枯渇状態から生じる、逆のベクトルを持ったマイナスの愛情行為と言える。

なんとならば、彼以外の周囲の人々からすれば、彼のお願い事を承諾したくないにも関わらず、彼は周囲の人々の気持ちも踏みにじり、ただひたすら、彼自身の願望を達成すべく、無理矢理周囲の人を動かすのだから。

つまり彼自身は「お願い事だ」とは言うものの、その実態は命令であり、つまりは周囲の人々に対する支配である。

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この状態で多くの人々は以下のことに気付くだろう。
つまり、彼のお願い事が、周囲の人々の苦痛を生じさせている。
だから、彼は自分の願望を達成させようとしていることが、周囲の人々の不幸感覚を発生させているのである。
だから、たいていの人は、

  「自分の幸福状態は達成されるかも知れないけれど、それによって、周囲の人々が不幸になるので、つまりは、自分自身も永遠に幸福とはならない。なぜならば、自分以外の周囲の人々には不快感がたまるのみであり、その多量の不快感が私に向かってやってくるからだ。だから、つまりは私の願望を達成させる、ということは、他ならぬ、私自身を不幸にする原因となるのだ」

と気が付き、周囲の人々を動かすことを止めるようになるかもしれない。

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しかし、ある人ならば、その気付きを得ることも無いかもしれない。

つまり、周囲の人々の意に反してまでも、自らの願望・幸福を遂げようとする行為は、周囲の人々との和の内に、願望や幸福が築かれない。

だから、その状態というのは、「願望達成状態」とか「幸福達成状態」と呼べるものでは無く、「不幸・苦痛の体現状態達成」と呼べるものだろう。

しかし、もちろん、気付きにくい人にとっては、自身の得られている環境が「不幸・苦痛の体現状態達成」と気付くことは無く、天真爛漫(てんしんらんまん)にも、「この状態は自らの願望達成状態だ」と自負・自画自賛しているかもしれない。

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上で見たように、依存的な精神徴候のある人というのは、結局、自分で自分の幸福を作ろうとしていない。

自分の幸福状態を作成するために、彼は、絶えず、彼の周囲の多くの人々の助力を、無理矢理、得ようとする。

この結果、彼(あるいは彼女)が、自身では「これはお願い事だ」と称している、そのお願い内容を語る際には、鋭い語調を持った命令口調の「お願い事」となっている。
つまりは、その「お願い事」というのは命令となっている。

だから、彼(あるいは彼女)の周囲の人々は、彼の命令に屈服している状態であり、彼の周囲の多くの人々は苦痛の精神状態を得ていることになる。

これが更に進むと、依存精神の強い彼(あるいは彼女)は、周囲の人々の気持ちを全く無視することが可能となり、それでも、彼は周囲の人々を彼の口のみで動かし続けていることになる。
そして、彼が言うことには、

  「私は多くの人々を命令(支配)によって動かすことが出来る」

だろう。

他の心理学の本なんかにも、「独裁者達や王様達の心理状態は、これである」と伝えていたものがあった。

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上の喩え話から私達の得られるであろう教訓を列挙してみよう。

まず、私達は依存(甘え)傾向の強まる方向に流れない方が良いだろう。
「依存傾向の強い人」というのは、つまり、自分の手で自分の幸福を作ろうとしていない。
絶えず、他人のちからを自らの方向へと流用して、彼(あるいは彼女)の幸福を作成しようとしているのだから、つまりは甘えている。

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だから、得られる教訓の一つとしては、「自分の幸福は自分の手で作ろう」というような当然のことである。

また、上の話の流れから、依存傾向が強まると、周囲の人々に対して支配的になることがわかる。
だから、「依存傾向を強める方向」というのは、「愛情から離れていく方向」だということがわかる。
当然ことながら、「依存傾向を強める方向」というのは、「支配に向かってののベクトル」だということがわかる。

上に挙げた心理学の本にも、「独裁者達や王様達の心理状態は幼稚なものであり、これが依存傾向や支配欲求を生じている」のようなことも書いてあった。

だから、「幼稚な方向に向かおう」というのも、止めた方が良いと思う。

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私のブログに、時々、イルミナティさん達やレプティリアンさん達が出てくる。
イルミさん達やレプさん達は、彼等を除く地球上の全人類を奴隷化したいと言っている。

だから、上の流れからわかるように、彼等の支配欲求よりも前に、彼等の巨大な依存傾向や、甚大なまでの愛情精神欠落状態が存在していることが私達にわかる。

私が上に挙げた喩え話とか、実例であるところのイルミさんやレプさんを見て考えるに、私達は出来るだけ依存傾向を避け、「出来るだけ自分の幸福は自分の手で作ろう」等のような教訓を得た方が良いと思う。

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「甘えの精神」というのは、言い換えると、周囲の人々の愛情を吸収していく精神状態のことであることがわかる。

これと反対に、「愛情の精神」というのは、言い換えると、周囲の人々の向かって自らの内臓せる愛情を放出・放散していく精神状態のことであることがわかる。

わかりやすい比喩を書くと、「甘えの精神」が中心の人々は宇宙の中の物質を無制限に吸い込み続けるブラック・ホールに似ている。
「愛情の精神」が中心の人々は自らの内から宇宙に向かってエネルギーを無限に供給し続ける太陽に似ている。

イルミさんやレプさんは、時折、「闇の者」と言われることがあることからも、彼等をして、「ブラック・ホールに似ている」という人も出てくると思う。

だから、私達が得られる教訓の一つとしては、「太陽のような人になろう」という言葉を、日々にお互いに、挨拶言葉のように交わし合うことかとも思ってしまう。


                                       坂本 誠

2018年8月28日 (火)

三千二百八十五: 追悼文

こんばんわ。

先日、平成三十年八月二十七日に、私のブログ記事『三千二百八十四:マクロス・デルタを見て』を掲載した後、夜半過ぎに、漫画家さくらももこさんの訃報を知りました。

なんとなく心に感じるものあり、今回の追悼の文を書きます。

現代日本に暮らす多くの日本人が漫画世代とアニメ世代と言われている通り、私も漫画世代とアニメ世代の一人です。
さくらももこさんのアニメがテレビのブラウン管を飾るようになった当時、私も日本の僻地で、さくらさんの単行本を購入したり、彼女原作のテレビ番組を鑑賞したものでした。

日本各地に笑顔を届け、そして、昨今では、全世界に向けて、笑顔を届ける、という作品を継続して生み出すに至っては、それなりの性向が無ければ、なかなか難しいものかとも思いを巡らしたりもします。

さくらさんの明るい性格が、日本の多くのお茶の間に届き、それが多くの人々の幸福へと昇華されていった、ということを思い出すに当たり、それ自体が、さくらさんの更なる喜びと明るさの一つになったかと思います。

さくらももこさんの天界旅立ちの報を知るに当たり、今、彼女の安らかなる御昇天・御冥福を祈らせて頂きます。


           平成三十年八月二十八日

                                       坂本 誠

2018年8月27日 (月)

三千二百八十四: マクロス・デルタを見て

こんばんわ。

以前から、私のブログ・カテゴリー内の『映画』中に、日本アニメのマクロス・シリーズの感想文を書いています。
前回までは、『マクロス・フロンティア』シリーズだったのですが、今回は、マクロス・⊿(デルタ)ものです。

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●:はじめに

あっさりと冒頭で書いてしまうのですが、本作も面白かったですね。 

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あまり内容に踏み込んだ感想文を書いても、どうかと思いますので、出来るだけ、本作品の内容に触れずに、外回り的なことを、今回のこの記事では書いてみたいと思います。

また、この記事中内で使用されている画像・歌詞は『マクロス・デルタ』より引用しています。

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大きく言えるのは、やはり、マクロス・シリーズの骨子がしっかりとしていることでしょう。

本来ならば、戦争もののドラマなのですが、音楽が非常に大きく関わってきます。
それがマクロス・シリーズの一番大きな特徴です。
ですから、戦争ものとはいっても、音楽のちからによって非常に和らげられます。
見ていて、あまりにも深刻になることはありません。
戦争内容もの自体が、美しい音楽で和らげられています。

それに一作一作のシリーズのドラマ内容が非常によく推考されていることがわかります。

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●:音楽ユニット『ワルキューレ』

今回のマクロス⊿で一番変わっていたと思ったのは、音楽でした。
『ワルキューレ』という音楽ユニットが出てきます。

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初代マクロス・シリーズより、音楽アニメとの融合が続いていますが、やはり、少しずつ設定やドラマ内容を変えていかないと、視聴者にも飽きが出て来てしまいますので、新作が発表される毎に新しい挑戦が行われていることがわかります。

思い起こせば、初代マクロス・シリーズより、この原稿を書いている現在で約35年が経過しているそうです。

なので、音楽的な内容とか、ドラマ的な内容なども、それぞれ変遷をたどっており、現在の時点で、全てのマクロス・シリーズを横に並べて私達が見ると、「あちらが良い」とか「こちらが良い」という風な評価の際に比較等も出て来てしまうことでしょう。

これは長い年月に渡って、その時に応じて制作され続けて来たので、内容にも違いがあるので仕方の無いところです。
ですので、このような長いシリーズともなれば、比較をしても仕方ない部分もあるので、一作一作を見て、「良かった」とか「面白かった」と語るだけの方が良いかと思います。

しかし、本作では、現実社会でも、アニメ内容に沿った音楽ユニットが作成され、大いに現実世界でも歌唱されているようです。

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ですので、本作では、かなり、音楽方面にちからが注がれたと感じました。

実際、このアニメ『マクロス⊿』を全く見ずとも、音楽ユニットが歌っている歌を聞くだけでも、充分に楽しめる構成になっています。
そう、音楽ユニット『ワルキューレ』の音楽と、アニメ『マクロス⊿』を完全に切り離して鑑賞することも可能です。

私達の現実社会でも、昨今、何とかアイドル・グループが幾つかあって、それらのアイドル・グループがテレビ等で歌ったり踊ったりしますので、それだけでも楽しめるのと同じです。

もちろん、作品アニメ『マクロス⊿』を見つつも、音楽ユニット『ワルキューレ』の音楽を鑑賞することは出来ますが、「音楽だけをひたすら干渉したい」と思われる方がいても、それが可能な作品となっています。

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●:ウィンダミア人の肉体器官の一つ『ルン』

また、本SF作品での新たなSF的な発明についても書いてみます。

主人公の敵方であるヒューマノイド型宇宙人にウィンダミア人がいます。
このウィンダミア人には、「ルン」という名の新器官が与えられています。

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「器官」というからには、地球人のように「目」であったり、「耳」であったり、その他の地球人の何らかの肉体諸器官と同じ「器官」を意味しています。
その、新たなSF的な発明である、新器官「ルン」は、ウィンダミア人の髪先にあります。
星形のような形であったり、ハート形をしているものもあります。

「その、肉体上の新器官『ルン』とは何をするのですか?」という問いが、番組を見ていない人からは発せられるでしょう。
この新器官「ルン」は、はっきりとは定められていないのですが、主にヒューマノイド型人の内部に秘められている心情を現す場合が多いようです。
例えば、地球人でしたら、内心では暗く落ち込んでいても、その場に居合わせている人々に嘘をつくために、表情を明るくしたり、あるいは偽の笑い顔をしたり、わざと明るい声で笑い話をすることも可能です。
ウィンダミア人もそれが可能ですが、彼等には「ルン」があります。
その「ルン」がウィンダミア人の心象を表現するため、幾ら外面を明るく取り繕っても、心の内部が暗ければ、そのルンが暗くなりますので、周囲の人々が、そのウィンダミア人を見て、「彼女(彼)は、今、外面では明るくしているが、内心では落ち込んでいる」とわかってしまうのです。

確かに、地球人でも似たようなことはあります。
幾ら外面上では明るくしていても、顔は真っ青だとか。
しかし、ウィンダミア人の場合は、新器官「ルン」があるので、そのような手合いの嘘がつけないことがわかります。

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また、この新器官「ルン」には、様々な機能があるようですが、どうも、ウィンダミア人そのものにも、その「ルン」の真価を知らないようです。

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この「ルン」によって、「風の流れを感じる」と、ウィンダミア人は知覚するわけです。

この場合の「風」とは、運命的な流れであったり、あるいは、全体的な雰囲気を感じたり、あるいは、敵の殺気とでもいうものです。

この「ルン」という新器官は、一説には、「太古の昔、多くの宇宙人を創造したプロトカルチャーによって、ウィンダミア人に与えられた」とされています。

このような地球人には存在しない器官「ルン」を通して、地球人とウィンダミア人の関わり合いが語られています。
これなども、「地球人には存在しない器官を所有している宇宙人と共に生活をした場合、どのような状況になるのか?」という疑問に対する一つの回答を本作では示しています。

このような「宇宙人の肉体上の、地球人には存在しない器官」を考えるというのは、多くの人々が未来を考える材料となると思います。

また、他のSF作品を見ても、そのような「宇宙人の肉体上の、地球人には存在しない器官」を考慮した作品は、あまり無いように見受けます。
ですので、今後のSF作品中においても、アイデアの源泉の一つとなり得ると思います。

これが、大きなところだったでしょうか。

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●:自分の思い出と終わりに

本作『マクロス⊿』は、2015年ぐらいから放映された番組です。

私なども「チラッ」と知っていたのですが、なぜか、やはり、テレビ放映時に、本作を見ず、本作終了後の今になって、DVDを借りて来て、一気呵成に見てしまう、という状況となりました。

「どうしてテレビシリーズを見なかったのか?」と私自身が自分に尋ねてみるのですが、やはり、「途中から見てしまうことになるので、長編ドラマだと、それを面白く感じないように思えるため」と説明できるでしょうか。

私の場合、マクロス・シリーズはそればかりが続いているようです。
初代『超時空要塞マクロス』も、『マクロス・フロンティア』も、いずれも、テレビ放映終了後のDVD等を一気視聴しています。

私の場合、マクロス・シリーズ鑑賞に際しては、今後も、全部、テレビ放映終了後の一気視聴専門パターンに終わるかもしれません。

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また、DVDレンタル・ショップで、『マクロス⊿』シリーズのDVDを借りたのですが、どんなDVDにも、その裏側には、その回の予告編のような、あらましを書いた文章があるものですが、それらを一切見ずに借りて視聴しました。

ですので、他のテレビ・アニメでもよく見かける『予告』というものを一切見ずに、最後まで視聴しました。

ですので、ある人などは、以下のように私に質問するかもしれません。

  「坂本さんは、どのようにして、それらの見たいビデオを選別しているのでしょうか?」

と。

上記の問いの答えですが、それは音楽です。
アニメのオープニング音楽動画を見ても、たいていは、そのアニメの内容まではわかりません。
しかし、それらのオープニング音楽動画や、幾つかの音楽を聞くだけで、

  「この作品は、借りて視聴するに値するのでは?」

と感じます。

そして、DVDレンタル・ショップで、それらのDVDを借りてくることになります。

借りて来て、それらのDVDを見て、初めて、そのドラマの内容などがわかってきます。

私の身の上では、マクロス・シリーズには、このような話題が多いですね。

初代マクロス・シリーズの『超時空要塞マクロス・愛 覚えていますか?』も、なんとなく友人に連れられて、映画館に。
『マクロス・フロンティア』も、『マクロス⊿』シリーズ同様に、その音楽を聞いていて、というものでした。

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このような思い出も思い出しながら、考えてみることには、「ひょっとしたら、私(坂本)の髪の先っぽには、ルンが付いているのではなかろうか?」と思いつつも、今、自身の髪先を見てみると、やはり、ルンはついていませんでした。

これは、ちょっとした冗談だったのですが、今回の記事では、当アニメ作品の主に外側を論じた感想文となりました。

また、機会があれば、当アニメ作品の感想文を書きたいと思います。

 

   あなたのフォールド・レセプターに御加護があらんことを。
   あなたのルンの輝きが、いや増さんことを。


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      マクロス⊿
      
   一度だけの恋なら

  歌手:ワルキューレ
  作詞:唐沢美帆、加藤裕介
  作曲:加藤裕介
  編曲:加藤裕介

   一度だけの恋なら 君の中で遊ぼう
   ワガママな キスをしよう 

    ひらひらと舞い散る この花を
    まだ 数え足りない 星空を
    全てが君のせいだと 涙こらえても
    誰にも言えない胸騒ぎ 

    (届け) 壊れるまで (届け) 羽ばたくまで
    (時の) 胸の奥に (果てに) 秘めた祈りを
    感じるまま 信じるまま 何もかも飛ばせ
    GYUN! GYUN! GYUN! 

   一度だけの恋なら 君の中で遊ぼう
   光より速くキスをしよう 待っててね
   忘れかけた体も ただ聞こえる心も
   夢の中のシガラミなんて 飛び越えて
   ほら 攫(さら)って 迫って このまま 

   イナズマが夜空を焦がすころ
   わたしの情熱も燃え上がる
   心と体はひとつ 思い知らされる
   言葉にならない焦燥感 

    (二人) めぐり逢えた (二人) 探し合えた
    (闇に) 空(くう)に咲いた (光る) 君の命火(いのちび)
    弾けるまま ひらめくまま ハート撃ち抜いて
    BANG! BANG! BANG! 

   二度とない激情を 君の夢で踊ろう
   宇宙(そら)より大きく抱き締めて ぎゅっとして
   見せかけの強さより 名ばかりの絆より
   同じ時を生き抜いてく 覚悟して
   ほら 奪って 縛って まだまだ 

    満ち足りた衝動を 離さないで
    君史上
    最速で捕まえに来て!! 

   一度だけの恋なら 君の中で遊ぼう
   光より速くキスをしよう 待っててね
   忘れかけた体も ただ聞こえる心も
   夢の中のシガラミなんて 飛び越えて
   ほら 攫(さら)って 迫って 

  二度とない激情を 君の夢で踊ろう
  宇宙(そら)より大きく抱き締めて ぎゅっとして
  見せかけの強さより 名ばかりの絆より
  同じ時を生き抜いてく 覚悟して
  ほら 奪って 縛って まだまだ 
   
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(以下、過去記事、関連記事、及び、参考文献)
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『三千百七十二:「マクロス フロンティア」を見て_No.4』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2017/09/_no4-1243.html
(以下、マクロス フロンティア、『最終話 アナタノオト』より引用)
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●ランカ・リー:

「あの、シェリルさん、、、私、負けません! 歌も、恋も!」

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◎シェリル・ノーム:

「うふ、、、受けて立つわ!」

●ランカ:

「シェリルさん、、、」

◎●シェリル&ランカ:

「ここから、始まるんだね!!!」

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(引用終わり)

二千四百七十三:「超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか」を見て_No.8
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2015/05/_no8-641a.html
(以下、『超時空要塞マクロス 愛・覚えていますか?』より引用)
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●リン・ミンメイ:
「そんなもの、歌ったって、勝てる見込みなんか、ないじゃない!」
「それより、一緒にいて、、、輝、、、」
「どうせ死ぬなら、このまま、一緒にいたい、、、」

◆一条輝:
「ぼくらだけの問題じゃない。」
「マクロスに乗っている、みんなのために、、、」
            
●ミンメイ:
「そんなの関係ないじゃない!」
「どうして、世の中にいるのが、私達、二人っきりじゃないの!?」
「あなたとわたし、、、みんな、死んじゃえばいいのに!!」

   :
   :
   (中略)
   :
   :

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◆輝:
「君はまだ歌が歌えるじゃないか。」

   :
   :
   (中略)
   :
   :

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●ミンメイ:
「私、歌うわ、、、思いっきり。」

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(引用終わり)


                                       坂本 誠

2018年8月23日 (木)

三千二百八十三: 苦労や困難を自ら望む人々を見て(独白)

以前のブログ記事では、独白調で書くことも多かった。
最近までは、「です・ます調」である丁寧表現で書くことが多かったのだけど、筆の走り具合から見て、独白調も良いように思えるので、これから独白調も増えるかもしれない。

世には、受難礼賛とか苦難礼賛と言われる行動がある。

私個人としては、受難礼賛とか苦難礼賛と呼ばれる行動を理解できないし、勧めることは出来ない。
この受難礼賛とか苦難礼賛の現れとして、副次的に「忍耐は素晴らしい」とか「苦労は買ってでもせよ」という風潮が生み出されているのに気が付く。

先に書いておくけど、確かに、受難礼賛とか苦難礼賛を望む人々がいるので、私はそれらの人々を止めるつもりは無い。
どんな人にも自由があるのだから、自分の信じたことを追求すれば良いと思う。
自分の信じたことを追求したら、納得できる何かが掴めるのだから。

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ただ、受難礼賛とか苦難礼賛の行動を行う人々や、「忍耐は素晴らしい」とか「苦労は買ってでもせよ」という人々の方針や心理を、申し訳ないけど、あまり理解することが出来ない。

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というのも、「忍耐とか苦労を所有しよう」という考えは、つまりは「不幸を所有しよう」という考えとほぼ同じ事だと言えるからだ。

「忍耐」とか「苦労」というのは、苦痛の一種である。
苦痛であるから、つまり、その「苦痛を所有する」ということになる。
よって、「苦痛を所有する」ということは、他ならぬ、「不幸を所有する」ということになるからである。

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私が間違っているかもしれないのだけど、多くの人間というのは、幸福を目指して生活していると思う。
ひょっとしたら、私が間違っていて、現実的には、「多くの人間は不幸を目指して生活している」という状況なのかもしれない。

ただ、私見では、多くの人間は幸福を目指して生活していると思う。

だが、上記の人々、つまり、受難礼賛とか苦難礼賛の人々や、「忍耐は素晴らしい」とか「苦労は買ってでもせよ」という人々は、自らの内部に、苦痛や抵抗を所有し続けるのだから、不幸を目指していると思う。

だから、その手の人々は、当然のことながら、不幸な人々になると思う。

私個人の正直な気持ちから言うと、私は幸福になりたい。

だから、基本的には、彼等を責めるわけではないのだけど、受難礼賛とか苦難礼賛の人々を理解できない。

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そこで、私なりに受難礼賛とか苦難礼賛の人々の、その苦痛を求める動機を考えてみた。

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「忍耐」とか「苦労」というのは、生きていて、何らかの我慢を求める何かが発生している状態である。
障害物競走のように、人生行路の上で、何かの障害に当たっている状態だろう。

そして、その障害を乗り越える際に、障害物競走で考えると、ジャンプ力が高まると思われる。
実際に、障害物競走をしていない人と、障害物競走を毎日行う人だと、後者の方が、はるかに高いジャンプ力を所有すると思われる。

なので、その障害物競走のランナーは、「自分は、人よりも高いジャンプ力を所有したい」という願いがあるとわかる。
その結果、自分の人生に、その障害を自ら与えるのだ。
その結果、ずっと、障害物競走を行えば、人よりも高いジャンプ力を所有できるかもしれない。

私見では、受難礼賛とか苦難礼賛の人々の、その苦痛を求める動機はここにあると思える。
自分自身に、「苦労」を与えれば、その苦労を乗り越える際に、何らかのちからを所有できるかもしれない。
「忍耐」というものにしても、全く同じ事が言えると思う。

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何らかの能力の向上が見込まれるのだけど、そのためには、永遠に自分に対する抵抗や苦痛を求め続けることにもなる。
結果、永遠の不幸を所有することにもなると思う。

それが更にエスカレートすれば、受難礼賛とか苦難礼賛を追求する人々になると思う。

受難礼賛とか苦難礼賛を追求する人になると、常に、自分自身に対して、自ら苦労する環境を与えたり、自らに困難事情を課せたりする。

有名な例で言うと、キリスト教の、中世などに見られる殉教者と言えようか。

映画や小説やドラマで見たところによると、その殉教者は以下のような行動を取るのだ。

  「主が十字架に架かって死んだぐらいだから、それにならって、私も十字架に架かろう」

というものだ。
そして、映画や小説やドラマ中の、殉教者は自分の願いが叶い、十字架にはりつけられて死んでしまう。

このような、受難礼賛とか苦難礼賛を求める人々というのを私が見て、、、残念だけど理解できない、、、。
しかし、私が上にも書いたように、どんな人にも自由があるので、そのような状況を追求しても良いとも言える。

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確かに、ある程度は、自分の能力向上のために、何らかの障害物や苦痛物を自らに与える時間とか機会を持っても良いかもしれない。
ただ、永遠に、その状況を求めるのはいかがなものかと思ってしまう。

「忍耐は素晴らしい」とか「苦労は買ってでもせよ」という考えの下に行動していると、やがてはエスカレートして受難礼賛とか苦難礼賛を追求するようになると思う。

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また、この手の「苦しみを求める」という人は、その何らかの苦しみや困難を乗り越える際に、身に付けるであろう能力獲得を目指す結果、上にも書いたように、常に自分自身に与えるための、困難状況を探し求めていることになる。

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その結果、常に常に、苦しみを所有していることにもなる。
それらの人々は、苦しみや困難を乗り越える際に、身に付けるであろう能力獲得を目指しているので、それらの人々は、その困難状況を得ていることになり、その状況をもって、「現在、私は幸福の状態にある」というかもしれない。

彼(あるいは彼女)の目指す目的の途中にあるからだ。

「苦しみや困難を得ている状態そのものが、私の幸福である」と言っていることになる。
つまり、「今現在、私は苦しみや困難を得ている」という状況を、彼(あるいは彼女)自身が知っていることが周囲の人々にはわかる。
つまり、その状態だと、彼は苦しみを得ている真っ最中なのだが、「それ自体が幸福でもある」とも言っていることになる。

読者である、あなたが彼の上の状態を見るに「これは矛盾している」と感じないだろうか。
「矛盾しているので、彼は永遠に幸福にならないだろう」と、あなたは感じないだろうか。

また、周囲にいる私達が、彼の姿を見て、「現在、彼(あるいは彼女)の状態は幸福なのか不幸なのか判別できない」と言わないだろうか。

しかし、何度も書いているように、人には自由があるので、彼がその状態を求める自由もあるのだから、周囲にいる私や、読者である、あなたが彼を止める権利は無いとも言える。

私や、あなたが言えるところでは「彼は永遠に幸福になれないだろう」とは言えるかもしれない。
少なくとも、彼(あるいは彼女)に対して、「苦しみを求めることは止めた方が良いのでは」と助言することは出来るかもしれない。

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冒頭にも書いているけれど、人間というのは、基本的には、幸福を求める存在だと思う。
もちろん、私がここで書いている幸福の状態とは、快楽主義とか享楽主義と呼ばれるものではない。

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また、今一つ言えるであろうことがある。
この手の「自ら困難を求める人」というのは、ある程度、人に騙されやすいと思う。

なぜならば、世に見かける幾つかの詐欺行為というのを思い浮かべながら、読んでほしいのだけど、何らかのことで、ある他人に騙されると、その騙された人というのは、ある程度の何らかの不幸状態を得ることになる。

しかし、その「自ら困難を求める人」というのは、元々、不幸環境を望んでいるのだから、騙されて何らかの不幸状況に陥ったとしても、彼にとっては、「私が求めるところの不幸環境を得ることが出来た」となるのだから、彼にとっては、その「騙された」という自体すら、彼(あるいは彼女)にとっては、幸福な出来事の一つとなってしまう。

外部にいる私が彼のその状況を見て、、、やはり、、、基本的には賛成したり、賛美することは、、、ちょっと出来ない、、、。

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「忍耐が肝心だ」とか「苦労は買ってでもせよ」という感じで、苦痛を美化するような美談の文章も多いけれど、この私のエッセイの視点から、今一度、それらの文章を見直しても良いのではないかと思う。

P4250162

 

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この手の、受難礼賛とか苦難礼賛を求める人々に対して、何らかの形での、別のアプローチで、何らかの見解を出している人もいるかもしれない。

時間や機会があったら、その手の見解や文献や報告を読んで、別の見方が出来たり、より広い見方が出来るために、学習するかもしれない。

しかし、それをすることによって、受難礼賛とか苦難礼賛に対する私の視野や見解が広がったとしても、、、私が基本的に賛成すると言うことは、、、無いと思う。


                                       坂本 誠

2018年8月22日 (水)

三千二百八十二: 現在の教育制度を考えて_その1(独白)

このエッセイは、丁寧調である「です・ます」調ではなく、一人語りする時に私が使用している「独白調」を使います。

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余談になるのだけど、独白調を用いて書いていると素直な自分を語れるような気がするので、また、自分自身に語っているような気がするので、肩が凝らないような気がする。

やはり、エッセイに向いている文体とは独白調ではなかろうか。

余談はさておき、先日書いてみた『三千二百八十一:学校の宿題について_No.3』を、折に触れて、色々と考えていた。

あらすじとしては「学校の先生は生徒達の放課後の時間を拘束する権利が無いので、宿題を出すことが出来ない」というものだ。

あらためて、私達が考えてみると、実に納得できるあらすじだったと思う。

P4160156

 

というのも、このあらすじは、私達が落ち着いて、普段、見慣れたものを見直してみると、意外な事実や発見を掴むことがあるけれど、それと同じようなものだからだ。
つまり、「灯台下暗し」と言えるようなものであるのだけど、落ち着いて、じっくりと考えてみると、誰でもが、この手の事実に納得できる代物(しろもの)であるとわかる。

だから、これは「私が最初に気付いたから、最初に気付いた事に意味がある」という類のものでは無いことがわかる。

だから、このような内容のものは、私でなくても、いつの日か、他の誰かが気付き、他の誰かが少しずつ語り、自然と広まるものだ。
だから、このような内容のものが人の間で知れ渡るのは時間の問題であることがわかる。

(実を言うと、何らかの発見や発明も同じものだと、最近では知られている。科学的な発見や発明も、それを最初に発見や発明をした人が、もてはやされる風潮が私達の間であるけれど、どんな発見や発明も、時間が経てば、その最初の発見者や発明者でなくとも、他の誰かが、確実にその発見や発明をなすそうだ。だから、私見では、世に多くいる、『最初の発見者や発明者』も、あまり、世間で、もてはやされなくても良いと思っている。)

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このような内容のものは、実は、日頃から薄々と感じていたことである場合が多く、しかし、世間の風潮や慣れの問題によって、口に出せなかったりして、胸の中に隠蔽され続けたものである。

だから、世間でも人は多いのだから、「学校の先生は生徒達の放課後の時間を拘束する権利が無いので、宿題を出すことが出来ないのではなかろうか?」と、他の人も考えたことがあるのだけど、世の中や自分の周囲を見回すと、その疑問を口に出すことを怖く感じてしまうので、今まで、口に出せなかっただけのものだろう。

よって、いつの日か、誰かが気付いて、次第次第に広まるような内容のものだったのだ。

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この手の疑問に気付いた後には、「疑問」というよりも一つの問題となってしまうので、次に現れるものとしては、

  「この問題を、どう、解決したらよいだろうか?」

という更なる疑問が私達の胸に湧く。

それについて、日頃の生活をしつつも、徒然なるままに、頭の中で、つらつらと筆を運んでいた。

(『三千二百八十二: 現在の教育制度を考えて_その2(独白)』に続く)

三千二百八十二: 現在の教育制度を考えて_その2(独白)

(『三千二百八十二:現在の教育制度を考えて_その1(独白)』の続き)

●1:先生の側が、学を望む生徒達のいる場所に行く

一つの解決方法として、考えられるのは、「先生の側が、学を望む生徒達のいる場所に行く」と言えるものだと思う。

江戸時代以前だと、義務教育が無かったにもかかわらず、寺子屋とか藩校の存在があった。
そこでは、学問的な知識の吸収を欲する子供達や青年達が集まって、知識吸収欲の求めるまま、自ら欲して、「先生」と呼ばれる先達の知識を学んでいた。
このように、「教育制度」というものが社会に存在しなくても、「学問が好きだ」という子供達は現れるものだ。
もちろん、「学問なんて嫌いだ」という子供達もいるだろう。

このように、いつの時代でも、どんな場所でも、「何らかのジャンルの知識を、痛切に手に入れたい」という子供達が一定数現れることが知られている。

そのような子供達が、自ら欲して訪ねる場所が、寺子屋とか藩校だったことがわかる。

このような寺子屋とか藩校に自ら訪ねてくる子供達は学びたくてしょうがないから、自ら、どんどん学ぶ。
(この段階だと、「学ぶ」という単語を使うのが不適切なぐらいである。「学ぶ」とか「勉強する」という単語は、額(ひたい)に、ねじり鉢巻きを締めて、こめかみから油汗を流しながらの、苦痛を感じながらの、知識を吸収している、という雰囲気があるのだから。だから、この状態での「学ぶ」という段階だと、『甘い空気を吸うが如くに、何の抵抗も無く、すらすらと、貪欲に知識を吸収している』状態だと言い換えれることだろう。)
だから、そのような場所の、そのような生徒達だと、高段に立っている先生の方が、口を酸っぱくしながらの「君達は、もっと勉強しなさい」という叱り言葉の一つも発する必要は一切無いことだろう。

つまり、このような場所だと、生徒達の側の需要と、先生の側の供給がピッタリとマッチしていることがわかる。
この場合、先生の側は「子供達に知識を教えたい」という需要もある。
だから、先生にとっては、需要も供給も、同時に満たされることになる。
また、無理に、生徒達を叱りつける必要も一切無い。
現代でも、このような学校が、おそらく幾つか残存していると思う。

P4160155

 

このような場所だと、そう、先生の側が生徒達に宿題すら出さずに済むことがわかる。
(ところが、この状態だと、もはや、生徒の側が、自ら関心のあるジャンルの知識を、自らどんどん吸収・解析・応用その他等を勝手に実行していくので、「そのような場所だと、教師というものの存在は一体必要だろうか?」という、更なる意見・疑問等が湧いて出てくることだろう。)

現代だと、塾のような場所でも、このような場所があると思われる。

そのような、生徒の側と先生の側の需要と供給のバランスの取れた場所に、先生が異動することが私の更なる疑問の解決方法の一つかと思われる。

どんな場所でも、需要と供給がピッタリとマッチしているような人々の集団というのは、問題を起こす事がほとんど無い。
なぜならば、需要と供給がピッタリとマッチすることによって、その集団の人心は安定するからだ。

(『三千二百八十二:現在の教育制度を考えて_その3(独白)』に続く)

三千二百八十二: 現在の教育制度を考えて_その3(独白)

(『三千二百八十二:現在の教育制度を考えて_その2(独白)』の続き)

●2:ルールと言われているものの見直し

2つ目の解決方法として、考えられるのは、ルールと言われているものの見直しである。

「●1」からの流れで理解できるのだけど、「●1」の例の反例を挙げてみる。

世には、教育関係者の間で、「教育困難校」と言われる学校が存在しているそうだ。
巷で流れている娯楽映画の中にも、時折、その「教育困難校」と言われる学校の内部の光景が描かれていたりする。

わかりやすく書くと、そのような学校には不良生徒ばかりがいて、教壇の上にいる、先生の行おうとしている教育内容を吸収することを拒否する。

あっさりと書いてしまうと、そのような子供達というのは、勉強が好きでない。
だから、学校での勉学の知識吸収を拒否している。

要するに、私達の世間では、ルールとか世間の慣習を使って、「子供達よ。お前達は勉強しなくてはいけない存在なのだ。これは決まりなのだ。しかし、私自身は、深く、その決まりの理由や、そのルールの定められた理由までは知りはしないが」と、そのルールの作成理由までを深く考えずに、半分、脅迫しつつ、無理矢理、子供達に学を強いていることがわかる。

私達の間で、設けられているルールによって、子供達の義務教育(言葉を言い換えれば、強制教育だけど)が実施されているのだけど、上の例を見てもわかるように、私達の間で、しっかりと認識できることがある。
それは、

  「ルールというものでは、私達の心を拘束することは出来ない」

というものである。

たとえ、表面上、自分の身体や自分の身体の外部の何かを使って、表面上に設けられているルールに従ってはいても、ルールというものは人の心を拘束することは不可能なので、やがて、その心の奥底から湧き上がり、身体の外部へとにじみ出てくる、感情や思いが、自分の生活環境に出現してくることがわかる。

P4160148

 

だから、2つ目の解決方法として、考えられるのは、教育に関するルールそのものの見直しである。

結局、義務教育というものは言い換えてみると強制教育に過ぎないことがわかる。

どんな人でもそうだけど、人は強制というものを嫌う。
人が強制というものを嫌う結果、多くの人が義務教育を嫌うのは、誰でも理解出来ることだろう。
最近では、高校までも、ほとんどの人々が通うようになった結果、現実上は、ほぼ、高校教育までも義務教育のような存在となった。
だから、結構、多くの生徒達でも、まるで、義務教育であるかのように、仕方なく、高校に進学するため、嫌な思いをしつつも、勉学に励んでいる人々も多いことだろう。
これが現実だろう。

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この義務教育というのも、明治維新になってから、「教育勅語」という、お触れが出されて、「全ての国民に学であるところの一定の知識をつけさせよう」ということになった。

この明治政府の政府方針の屋台骨というのは、歴史を見てもわかるように、日本の西洋化だった。
この頃の世界の流れというのは、ヨーロッパ諸国がアフリカやアジアに進出して、それらの地域を強制的に占拠して、植民地化していった時代だった。
だから、明治政府の前の江戸幕府後期だと、「尊皇攘夷」論が流行った。
実際、日本も、ヨーロッパ諸国の圧力を受けていたから、歴史に「もし」という言葉が存在していたら、日本もヨーロッパ諸国の植民地と化して、奴隷扱いされていたかも知れない。
他の外国がそのような扱いを受けたように。

だから、明治政府が成り立った頃は、様々なドラマでも流されているけれど、「ヨーロッパ諸国のように、軍事的な列強諸国となって日本を守ろう」という方針が立った。
それが、明治時代の富国強兵策だった。
そして、日本をヨーロッパ諸国のような軍事的な列強諸国になるためには、どうしても、国民の多くがそれなりの知識や技術を持つことにより、軍事的に強力になったり、お金を使った経済により、強力な国家となる必要があった。

だから、明治時代の当初の流行語の一つとして「ヨーロッパ(西欧諸国)に追いつけ、追い越せ」というものがある。
今でも、現代に住む私達も、時折、その言葉を耳にする機会がある。

だから、教育方針もその方向で進められた。
要は、ヨーロッパ諸国の列強並みに、教育もそれ並みに、だ。

それらの結果、日本の富国強兵策は成功し続け、朝鮮半島を併合し、中国に進出し、ロシアにも打ち勝ったり、太平洋の島国の諸国にも進出した。

やがて、日本は戦争に負け、その戦争の負けた際に、根幹を成すとされているルールに修正が施された。
しかし、その修正されたルールにも、以前の根幹を成すとされているルールに採用されていた、教育方針が残されることとなった。
これが、現代の日本の教育方針となっている。

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明治時代からの教育方針が、そのまま残されているので、その教育方針に大まかな変更は無い。
だからこそ、私達の間で、教育上の競争が煽(あお)られている。

明治時代の頃の「ヨーロッパに追いつけ、追い越せ」の方針が残されているので、大きな感じだと、

  「さあ、あなた達は勉学上の競争に励みなさい。そして、諸外国の生徒達を、あたかも仮想の敵とみなして、その学んだ知識を使って、技術競争・経済競争を行いなさい。あなた達は、その技術競争・経済競争に打ち勝たないといけない。なぜならば、あなた達が、その技術競争・経済競争に敗北すれば、倒産した会社の元従業員達のように、経済的に飢えながら、みすぼらしい雰囲気をまといつつ、苦しみながら死ぬに違いないのだから」

というような、脅し交じりの雰囲気で競争を促されているのに気が付くだろう。

世間の新聞やテレビでも、時折、世界の諸外国の学校の生徒達とのテストの比較結果が伝えられて、その結果、

  「さあ、あなた達は、勉強上において、あれらの国々の生徒達に負けてはなりません。なぜならば、あなた達が、その競争の負ければ、倒産した会社の元(、、、以下、同上)」

要は、「私達は競争を煽られている」と気が付くだろう。

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したがって、ルールと言われているものの見直しが必要になってくると思う。

ルールそのものが見直されれば、教師側が、生徒側の放課後の時間は、拘束できない時間の筈なのに、その時間に「私の出した宿題を実施しなさい」と、強制的に出しているところの宿題に関する意義も、見直されることとなるだろう。
(ルールそのものを見直さずとも、充分に、この段階で、異常を感じるだろうけれど。なぜならば、これだと本来実施してはいけないことが実施されていることになるのだから。子供達に対するサービス残業のように。)

また、強制教育というものが無くなれば、何らかのジャンルの知識を吸収したい生徒だけとなるのだから、「●1」で書いたように、生徒の側と教師の側での需要と供給のバランスがマッチするので、宿題とか教育拒否の問題は無くなる可能性が出てくると思う。

私が言っているところの根幹とされているルールの見直しに関しては、現在、世間の間でも、様々に多くの人々に議論されている。
だから、この根幹とされているルールの見直しに関しては、まだ、意見を書けるものがあるのだけど、別件にもなってくるし、さらに長い書き足しとなってしまうので、次回以降の機会に、新たな題名を付けて、意見を書いてみたい。


(以下、過去記事、関連記事、及び、参考文献)
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『三千二百八十一:学校の宿題について_No.3』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2018/08/_no3-ae6b.html

『三千百三十三:学校の宿題について_No.2』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2017/06/_no2-4ff2.html
(Wikipediaより抜粋引用)
-----------------------------------------
●宿題
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%BF%E9%A1%8C

宿題(しゅくだい、英:homework, homework assignment)は、学校教育等において、教師が児童・生徒・学生に課する自己学習の課題のこと。 (、、、以下、省略)

最終更新 2018年7月30日 (月) 00:12 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
-----------------------------------------
(引用終わり)

『三千百三十一:学校の宿題について』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2017/06/post-0afd.html

『三千百二十七:学校のいじめ問題を考えて』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2017/06/post-9943.html


                                       坂本 誠

2018年8月18日 (土)

三千二百八十一: 学校の宿題について_No.3

こんばんわ。

三千百三十三:学校の宿題について_No.2』の続きです。

昨今、「学校の宿題の量が多過ぎて困る」という手合の話題を耳にする機会がありました。
これについて書いてみます。

文末の方に、過去記事を並べており、その過去記事中にも書いていることですが、「宿題」というものは、「量が多過ぎて困る」どころか、まず、学校側が生徒側に与えることが出来ない代物(しろもの)だと言うことが、私達にわかります。

というのも、ちょっと以下の疑問を考えてみましょう。
学校の先生が、生徒達の放課後の時間を拘束できる権利があるだろうか?」という疑問です。

この疑問には、誰もが同じ答えを返すことでしょうが、その疑問の答えとして、私達が言うことには、

  「学校の先生が、生徒達の放課後の時間を拘束できる権利なんて、持っている筈が無いじゃないか

でしょう。

ですが、それにも関わらず、学校の先生達が生徒達に言うことには、

  「あなた達は、放課後である自宅にいる時間に、私の出した宿題をやってこないといけない

となると、それは、生徒達の放課後の時間を拘束していることになるでしょう。

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これは、会社でも同じ事であって、会社側が従業員達の就業外の時間を使用することが出来ないのと同じです。

もし、会社側がそれを従業員達に強要するのならば、それはサービス残業と言われるものです。

---------------------------------

学校の先生が、生徒達の放課後の時間を拘束できない以上、「家で私の出した宿題や予習・復習をやって来なさい」とは言えないことに、人は気付くでしょう。

ですから、私達の社会で見かける宿題とか予習とか復習という行いは、「これは一つの慣習の下に行われている行動だ」と、私達は気が付くことでしょう。

なので、学校の生徒の側からだと、「先生の出した宿題や予習や復習を断ることが出来る」ということが私達に理解できます。

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ですから、私が冒頭で書いた、私の耳にした話題であるところの「学校の宿題の量が多過ぎて困る」という問題に至っては、まず「生徒の側は宿題を断ることが出来る」という視点で考えてみると、、、

う~ん、ちょっと、何と書いて良いか、こちらがわからないぐらいですね。

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私が下に並べた過去記事にも似たようなことを書いていますから、読まれたい方は、以下のURLをクリックして、該当記事にジャンプして読んでください。

(※追伸記事:これだったら、マズイことをしているのは、学校の先生の方だ、と言えないでしょうか。追伸記事を終わります。)

 

 

(以下、過去記事、関連記事、及び、参考文献)
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『三千百三十三:学校の宿題について_No.2』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2017/06/_no2-4ff2.html
(Wikipediaより抜粋引用)
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●宿題
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%BF%E9%A1%8C

宿題(しゅくだい、英:homework, homework assignment)は、学校教育等において、教師が児童・生徒・学生に課する自己学習の課題のこと。 (、、、以下、省略)

最終更新 2018年7月30日 (月) 00:12 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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(引用終わり)

『三千百三十一:学校の宿題について』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2017/06/post-0afd.html

『三千百二十七:学校のいじめ問題を考えて』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2017/06/post-9943.html


                                       坂本 誠

2018年8月14日 (火)

三千二百八十: 私の見かけたニュース_No.110

こんばんわ。

久しぶりに私の見かけたニュースを紹介させて下さい。
私の気になった部分には、アンダーラインを引いたり、太字にさせて頂きました。

(以下、『朝日新聞』、2018/08/10(金)、第2面記事より引用)
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(●書籍広告部分より)

インターナショナル新書(偶数月の7日発売)

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『驚くべきCIAの世論操作』
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政府の工作がオモテに出ない日本は、米国よりも深刻だ望月衣塑子(東京新聞記者) 氏 推薦!

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(引用終わり)

(※筆者注:上記の写真は、私のPC内では、ちゃんと上下が正常なのですが、ブログにアップする際に、なぜかはわからないのですが、上下が90度回転した状態で、アップされます。どなたかが、いたずらをしているか、あるいは、ブログのエディタのバグなのかもしれませんね。ですので、この写真を見られる方は、御自身のPCにコピペして、その写真を90度回転させて、見て頂くことをお薦めします。)

(以下、『日本や世界や宇宙の動向』様、2018/08/10(金)記事より引用)
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●世界中に存在する児童虐殺工場
http://blog.livedoor.jp/wisdomkeeper/archives/52030414.html

(邦訳:『日本や世界や宇宙の動向』様)

http://beforeitsnews.com/v3/alternative/2018/3631032.html

(概要)
8月9日付け

アンクルサムの虐殺工場がアメリカ、テキサス州に存在します。
工場内の活動は活発に行われており、子供がメニューに載っており、食べられています。
被害者の女性がその実態をビデオで暴露しました。

・・・一体、心ある人間はどこにいるのか。
勇気ある人間はどこにいるのか。
多くの大人はみな善人面しているが、誰も人身売買の被害者の子どもたちを助ける善行はしていない。
皆さんの中に存在する神に助けを求めたい。
何千人もの子供たちが地下施設(虐殺工場)の檻の中に監禁され、飼育されている。
ヘンゼルとグレーテルのように子供たちは人身売買され工場に監禁されている。

皆さんは今すぐ愛する存在、優しい存在になってほしい。。
毎日、宇宙に向けて愛を送ってほしい。
皆さんのパワーで、奴隷、虐待、虐殺の被害にあっている世界中の子どもたちを救うことができると思う。
あなたが檻の中に閉じ込められたなら、私は兄弟としてあなたを助け出すだろう。
檻の中に監禁された子供たちもあなた方と同様に重要な存在だ。
子供たちに対してこのような恐ろしいことが行われているということは人間がいかに霊的に低いレベルにまで落ちてしまったかということである。・・・

被害者の女性は、何千人もの子供たちが工場で虐殺されていたのを目撃しました。

有色人種の子どもたちの料理がメニューに載っています。
そして特権階級の人々は料理された子どもたちの肉体を食べています。
子供たちは糞尿の中で生きたまま茹でられています。
加害者らは子供たちの肉体を2つに切断し、他の子どもたちにそれを食べさせています。

世界の皆さん、優しく、勇敢な我々の姉妹のケイティ・グローブスさんに愛を送ってくださってありがとう。
彼女は私が想像もつかないほどの辛い体験をしてきました。
それなのに、彼女は人間を様々な縛りから自由にさせようとしており、世界を良い方に変えようとしています。
彼女は多くのビデオを通して事実を明かにしています。
彼女は地球は神の惑星であり神が統轄していることを知っています。
ですから、神に反した現象は全て集団錯覚なのです。

皆さんは神に仕える者として神の惑星に生きています。
それに反する現象は全て錯覚です。
皆さんは愛情ある母なる大地に生きています。
それに反する現象は全て錯覚です。

我々の母(地球)は自分の皮膚の上で生きている全ての人々が他の人々や生き物を尊重することを望んでいます。

地球が3次元から5次元へ移行するプロセスは進行中です。
人間は、突然、錯覚から覚醒し、永遠の肉体を得て、自分たちが闇の存在でないことを知ることになります。
これは自分の陰性を自分の魂から切り離すことができる特別な機会なのです。
我々の魂はこれらの全てが真実であることを知っています。

TW: CIA Child Snuff Survivor Speaks Out
https://www.youtube.com/watch?v=Ng--1uY5Atc



CIAによる児童殺害産業の生存者、ケイティ・グローブスさんがビデオを通して明かした恐ろしい体験)

(概要)
私はケイティ・グローブスです。
児童虐殺工場の生存者です。
私は子供のころからアンクルサムの虐殺工場に監禁されていました。
今、テキサス州中部からこのビデオを流しています。

Tw_cia_child_snuff_survivor_speaks_


これから話す内容は私の過去の体験です。
現在、あの恐ろしい虐殺工場がどうなったかは分かりませんが、今でも工場は存在していると思います。
私はそこで拷問を受けたり薬物を与えられたりしたため、記憶がはっきりしていない部分もあります。
その工場はテキサス州中部のどこかにあったはずです。
当時、私はオースチンに住んでいましたが、オースチンから車で45分のところにある虐殺工場に連れていかれました。
工場の入り口は地上にありますが、他の殆どの部分は地下にありました。

児童虐殺工場がテキサス州に実在していると話しても誰も信じないでしょう。
しかし実際に政府高官や軍事的機関が工場内で児童虐殺を指揮しているのです。
彼らは軍事基地の地下施設で児童の大量虐殺を行っています。
そしてその様子を撮影し闇市でそのビデオをそのような趣味のある連中に販売しています。
残念ながら、これが事実です。
私が目にした事実です。
私は地下施設に初めて連れて行かれた時のことを覚えています。
私は檻に監禁され二度と外(地上)には出られないのではないかと思いました。
工場内で私が目撃したものは、虐殺されていた何千人もの子供たち(その大部分が有色人種の子どもたち)です。
有色人種の子どもたちは、アメリカを統治している白人至上主義の政府機関に系統的に狙われたのです。
この工場はアンクルサム虐殺工場と言うニックネームがついていました。
アンクルサムとはとてもフレンドリーなおじさんを示します。
しかしアンクルサムは、父親のように親しみやすい人物と思い込ませる米政府のプロパガンダなのです。
このような虐殺工場はテキサス州だけに存在するのではなく世界中に存在しています。
ただ、テキサス中のアンクルサム工場は他の工場とは異なり、コネのある人は何でも欲しいモノが適正価格で手に入ります。
私は、裕福な特権階級の白人女性が有色人種の子どもたちにメニューを注文しているのを目撃しました。
それは子どもを料理したメニューであり、お皿の上に料理した子供の肉体を乗せて運んで来させるのです。

なぜ私がそのような場所で生き残ったかというと、私の家系は組織犯罪に関与してきておりCIAと繋がりがあったからです。
私はこのような犯罪を繰り返すことが許された血統(犯罪組織のリーダー的存在)を引き継ぐものです。
そのため彼等は私を実験台として生かしておきました。
私は生きていることに感謝したいです。
しかし過去に受けてきた虐待から、今でも毎日トラウマ(病名は省略)に苦しんでいます。
今も、そこで虐待されながら生きている(私の仲間の)子どもたちがたくさんいると思います。
あの工場で目撃した最も残酷なこととは・・・子どもたちが生きたまま、ぐつぐつ沸騰した糞尿の中で茹でられていたことです。
加害者らは自らの性的○○の目的で、子どもたちの肉体を半分に切断し、他の子どもたちにその肉を食べさせていました。
このビデオをご覧になっている方々にお願いがあります。

このような事実を受けいれるのは非常に難しいと思いますが、このような場所で多くの子どもたちが日々苦しみながら生きているという事実を疑わないでください。
子どもたちは他の子どもたちが虐殺されたり、虐待を受けながら生きているのを目にしながら自分たちも苦しみながら生きているのです。
子供たちがそこで耐え抜いているのですから、このビデオをご覧になっている皆さんもこの事実に目を向け、このような恐ろしい犯罪がなくなるようにしてほしいと思います。

ただし、皆さんが工場を探し出し子供たちを救い出すことは期待していません。
そのようなことはできないと思います。
第三次世界大戦が起きても、彼ら(加害者ら)は地下施設に潜りこみ生き残ります。
実際に子供たちを救いだすことはできなくても、多くの人々にこのような犯罪が行われていることを知ってもらいたいのです。
また虐殺工場から逃げ出し生き残った子供たちに救いの手を差し伸べてください。
私と同じように彼等はトラウマに苦しんでいるためセラピストや医師を必要としています。
また弁護士も必要です。
子供たちの殆どが家族を失っています。
彼等は新しい家族に迎えられる必要があります。
被害者の子どもたちを救済すれば、彼等が集団で受けた精神的なダメージも緩和されるでしょう。
被害者の子どもたちが精神的に強くなれれば、そこで何が行われていたのかを証言することができるでしょう。
その結果、児童の人身売買、虐待、虐殺の実態が暴かれ、犯罪が阻止されるかもしれません。
------------------------------------------
(引用終わり)


(以下、上記2つの記事を読んでいてふと思い出していた過去記事、関連記事、及び、参考文献)
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『二百八十五: 私の見かけたビデオについて_No.31』
●元CIAがブッシュの麻薬取引を証言 新世界秩序 ロスチャイルド #cia #nwo #rothschild
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2013/08/_no31-5174.html
http://www.youtube.com/watch?v=YX6UDDbxOVc



(※筆者注:なぜかはわかりませんが、上気動画は現在削除されています。ですので、私が見た時にとっておいた動画の写真を掲載しておきます。)

(抜粋引用、筆者の気になった部分にはアンダーラインを引いたり、太字にさせてもらっています)
●元CIA、チップ・テイタム:
------------------
「初めの頃は東南アジアで働き、1970年代半ばの環境でユーゴスラビア、チェコスロバキア、ルーマニアに移動しました。」

Photo


「1980年代の初期に国家安全保障会議の支配下で、黒いヘリコプターが軍事作戦で飛び回っているのを人々が知っている、ケンタッキー州のフォートキャンベルに基づいた160任務部隊に参加しました。」
「そこから私はホンジュラス、ニカラグア、CIAのパイロットが飛行するオリーノースのための特別作戦に入りました。」

「国家安全保障会議は麻薬を持ってきて、アメリカに送りました。」
「私達は単純に国内の軍事施設から麻薬を出して、ホンジュラスの指定された地域に送りました。」
「そして軍用機と民間航空機でアメリカに持ち込み、各地の子供達にばらまきました。」

「ジョージ・ブッシュはコカインのど真ん中に立っていました。」

「私はアメリカの人々のために働くために、22年間支払われてきたと信じています。」
「私は皆さんがアメリカの納税者として、この国で起こっていることを知る権利を持っていると信じています。」
「この情報であなたが何をするかは、完全にあなた次第です。この情報をどうするかは、完全にあなた次第です。」

「1986年から私がCIAを辞める1992年まで、アメリカ政府が行ってきた全ての事は、」
「一つの世界政府が国々を同盟するように設計されているのがわかります。疑いの余地はありません。それがCIAが行っていたことです。」

「、、、、なぜならCIAは、ロスチャイルド家やルーズヴェルト家の世界中のお金の巨大権力のために働くからです。」

「私自身は第3階級かもしれません。第3階級は新世界秩序においては市民とは考えられず、おそらく隠れた状態で生活している新世界秩序の敵とみなされるでしょう。、、、」

「そこに誰かいますか?」

◆字幕:
「1998年にチップが突然姿を消す前の最後のインタビューでした。」
「チップの拷問された遺体は、後に2007年にパナマの海岸に打ち上げられて見つかりました。」
------------------
(引用終わり)

『二百八十七:お知らせ_No.153』
●約10年前にディーグル博士が暴露したCIAの大量殺人計画
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2013/08/_no153-8588.html
http://blog.livedoor.jp/wisdomkeeper/archives/51897139.html
http://beforeitsnews.com/conspiracy-theories/2013/08/cia-to-murder-200-million-americans-the-elite-have-plans-for-martial-law-in-america-2453992.html

(上記記事より抜粋して引用)
-------------------
ディーグル博士の証言(概要):

CIAは米空軍機を利用して大量の麻薬を密輸しています(ディーグル博士自身が目撃しました)。
米空軍機はコロラド州のピーターソン空軍基地に麻薬を運びました。
また、ディーグル博士の友人ら(諜報部員)の情報によると、さらに、フロリダや他の港を経由して大量の麻薬がアメリカに密輸されているそうです。

CIAはアメリカ国内に核爆弾を投下しようとしています。
しかし実際に核爆弾で米国民を攻撃するには、最初に実戦配備の偽旗イベントを実行しなければなりません。
そして、そのイベントを各メディアが大々的に報道するのです。
-------------------
(引用終わり)

『三千五十二:私の見かけたニュース_No.92』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2017/01/_no92-76f1.html
(以下、『世界の裏側ニュース』様、2016/12/26記事より引用)
------------------------------------------
●ロシア大使殺害犯がCIAとクーデターに関連していたことが明らかに
http://ameblo.jp/wake-up-japan/entry-12232078408.html

ロシア大使殺害はイラク国内のCIA基地に関連していた
Russian Ambassador Murderer Tracked To CIA Base In Iraq
12月23日【Your News Wire】

暗殺されたロシアの在トルコ大使のアンドレイ・カルロフ(Andrey Karlov)氏は、イラク国内にあるアメリカのCIAの基地と関連していたとロシア当局者が確認した。
先週、プーチン大統領がカルロフ大使の暗殺事件に関し、18人に調査を命じた。
調査官らは、容疑者のメブリュト・メルト・アルトゥンタシュ(Mevlut Mert Altintas)氏がイラクのアルベール(Erbil)地区にあるCIAの拠点と関係があり、トルコのレジェップ・タイイップ・エルドアン大統領に対する7月のクーデター未遂事件とも関係していたことを示す強力な証拠を見つけたと話している。(、、、以下、省略)
-------------------
(引用終わり)

『二百九十七: 私の見かけたビデオについて_No.33』
●初めて実行員が暴露した、アメリカの国際陰謀・工作秘史
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2013/09/_no33-6b51.html
https://www.youtube.com/watch?v=BhfCgO0ItY8



公開日: 2011/01/19 

(上記ビデオより抜粋引用)
------------------
■字幕:
国家を征服しその国民を奴隷化するためには、二つの方法がある。一つは武力であり、もう一つは負債である。(John Adams 1735 - 1826)」
      :
     (中略)
      :
----- VENEZUELA 2002 -----

「、、、、エコノミック・ヒットマンの能力はこの間どんどん上がり続けましたがね・・・。、、、」

「ごく最近では1988年、ベネズエラでチャベスが大統領に勝利しました・・・、、、」

__2


      :
     (中略)
      :
「このクーデターの起こし方は、カーミット・ルーズベルトがイランで行ったやり方と同じものです。」
「民衆をお金で買収してデモ行進をさせ、暴動を起こさせます。」
「『チャベスがとても不人気だ』と思わせるようなことを言わせながら起こすのです。」
「2,3千人の人をテレビの前に集めれば、国中が反対していると思わせることが可能です。」
「そしてそこからは、マッシュルームのように増加していくのです。」
      :
     (中略)
      :
----- IRAQ 2003 -----
「エコノミック・ヒットマンはサダム・フセインを買収することが出来なかったのです。、、、」
「何と言っても、フセインは以前、CIAのエージェントでしたからね・・・」
「前イラク大統領の暗殺のために雇われていたのです・・・失敗しましたが。」
「だから彼は私達のやり方を熟知していたのです。」

------------------
(引用終わり)

『二百六十九:News_No.302』
●余命わずかの元CIA職員が語るエリア51と宇宙人 後編
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2013/08/news_no302-95d0.html
http://www.youtube.com/watch?v=-C0M0IduSXM

Cia

『五百十三:News_No.371』
●米CIAが自民党に秘密資金を提供していたことを認めた
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2013/11/news_no371-b0bc.html
http://kaleido11.blog.fc2.com/blog-entry-1987.html

(上記記事より引用)
---------------
米CIAが自民党に秘密資金を提供していたことを認めた
安倍晋三と自民党はCFR→CSISの書いた計画に沿って日本の売国政策を進めている

(共同通信 2006年7月19日)

【ワシントン18日共同】
米中央情報局(CIA)が1950年代から60年代にかけて、日本の左派勢力を弱体化させ保守政権の安定化を図るため、当時の岸信介、池田勇人両政権下の自民党有力者と、旧社会党右派を指すとみられる「左派穏健勢力」に秘密資金を提供、旧民社党結党を促していたことが18日、分かった。

同日刊行の国務省編さんの外交史料集に明記された。

同省の担当者は、
「日本政界への秘密工作を米政府として公式に認めたのは初めて」と共同通信に言明し た。

米ソ冷戦が本格化した当時、日本を反共の「とりで」にしようと、自民党への支援に加え、左派勢力を分断する露骨な内政干渉まで行った米秘密工作の実態が発覚。

日本の戦後政治史や日米関係史の再検証にもつながる重要史実といえそうだ。
---------------
(引用終わり)

『三千百三十五:私の見かけたニュース_No.101』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2017/06/_no101-8c97.html
(以下、『Gigazine』、2017/6/24記事より引用)
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●トム・クルーズが明るく麻薬・銃・マネーロンダリングに手を染めていく映画「American Made」予告編公開
http://gigazine.net/news/20170624-american-made/

(以下、上記記事より抜粋引用)
------------------------------------------
実在する麻薬密売人をトム・クルーズが演じる映画「American Made」の予告編が公開されています。
2015年9月に映画のスタッフを乗せた航空機が撮影現場に激突し死傷者が出たことから映画の公開が遅れていましたが、2017年9月にいよいよ映画が公開予定。
予告編では軽快な音楽とともに麻薬&銃の密売やマネーロンダリングに手を染めるトム・クルーズの姿がコメディタッチで描かれています。

American Made - Official Trailer [HD] - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=AEBIJRAkujM



(、、、中略、、、)

ということで、これは実在した麻薬密売人であるバリー・シールの物語。

(、、、長い中略、、、)

_4

 

「銃に麻薬にマネーロンダリングまで?」と捜査官。

しかし、捜査官たちと会話していると……

嫌そうではあるものの、捜査官に自由を告げられます。

戸惑う周囲を置いてけぼりに軽い足取りでおうちに変えるバリー・シーン。
僕はCIA、DEA(麻薬取締局)、そしてパブロ・エスコバルのためにドラッグを密輸していた」というモノローグが流れるのでした。(、、、以下、省略)
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(引用終わり)

『二千百八十一:私の見かけたビデオについて_No.58』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2014/09/_no58-51b4.html
●CIAと悪魔崇拝について 元FBIロサンゼルス支部長テッド・ガンダーソン
http://www.youtube.com/watch?v=N1ilHi8K_3A



(※筆者注:現在、上記ビデオはなぜか削除されています。)


                                       坂本 誠

2018年8月 9日 (木)

三千二百七十九: 無神論と法事を考えて

こんばんわ。

無神論と法事を考える機会がありました。
ここで言う無神論とは、「神様なんて、この世にいない」とか「あの世なんか無いから、霊なんていない」という考え方のことを言います。

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法事の多い季節となると、「ご先祖様を供養しましょう。ご先祖様をお祭りしますと、あなたの一家が繁栄します」という手合いの宣伝文句を聞く機会が多くなります。

しかし、この手の宣伝文句を冷静に、客観的に聴いてみて、更に世の中を見回してみると、矛盾が発生していることに気が付きます。

なぜならば、私達の世界だと、無神論が流行っているのに、多くの人は気が付くことでしょう。

例えば、上に書いたように、「あの世なんか無いから、霊なんていない」と多くの人々は語っているわけです。

しかし、こと、法事の多い、この季節となると、私が上に書いたように、「ご先祖様を供養しましょう。ご先祖様をお祭りしますと、あなたの一家が繁栄します」というセリフが多く流されているわけです。

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つまり、「あの世なんか無いから、霊なんていない」と多くの人々が語っているわけですから、その状況だと、「ご先祖様」というのは、全く消滅しているので、法事の際に、ご先祖様を供養しても、その存在は全く消滅しているわけですから、そのご先祖様を供養したところで、全く何の影響も与えられないことがわかります。

にも関わらず、法事の季節となりますと、あたかも、「ご先祖様は、どこかの世界に移動しただけであり、そのご先祖様は現存しますから、そのご先祖様に向かって、供養しましょう」という風潮の、儀式が行われているわけです。

これだと、「最初から、年中、無神論を捨てていた方が良いでしょう」と言えるでしょう。

にも関わらず、法事の季節が終了すると、多くの人々は、「あの世なんか無いから、霊なんていない」と語るわけです。

---------------------------------

つまり、これらの人々を傍から見て、冷静に考えてみると、「慣習に左右されているだけである」とわかります。

つまり、法事の季節や法事の機会がある時だけ、いきなり、信心深い人に変身するのですが、法事の季節や法事の機会が終了すれば、無神論者に変身するわけです。

そして、私達のこの世界自体も、非常に多くの慣習が実行されていると言えるでしょう。

ですから、「法事というのも、慣習として実行されている」とわかります。

「死者を敬う」というのが、法事の目的ですが、その死者となった人を供養しても、「何かが起きた」と言うことは無いわけです。

なので、単純に、日本で、高価な墓石や高価な仏壇があったりしますが、これは死者のために購入しているのではなく、生きている人の方が、「このような高価な墓石や高価な仏壇や、高価な仏具を備えていれば、死者が喜ぶかも知れない」と思いこんで購入しているのですが、実は、彼自身(あるいは彼女自身)が自分自身を喜ばせるために、それらの高価な仏具を購入していることがわかります。

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ここで、無神論の反対の状態である「あの世があって、その、あの世に、私の御先祖様が幽霊のような形で生活している」と信じてみて、次のことを考えてみましょう。

そのような幽霊となった、ご先祖様ですが、それらの高価な墓石や仏壇や仏具を所有することが出来ません。

なぜならば、手も透けているので、それらの仏具を手にすることも出来ません。
その状況だと、手に取って、眺めまわすことも出来ないので、その死者である、御先祖様は「それらの仏具を所有していない」と言えるでしょう。

ですから、何らかの高価な仏具を購入した人は、「私の御先祖様は、これらの仏具を見て、きっと幸福になるに違いない」と、当て推量で、信じ込んだ上で、彼自身(あるいは彼女自身)が、生きている自分自身を喜ばせるために、それらの高価な仏具を購入していることがわかります。

---------------------------------

しかし、人には自由がありますから、当然、それらの高価な仏具を購入しても良いわけです。

しかし、上の流れを見ても理解出来るように、それらの高価な仏具を購入する人は、一種の芸術作品とか美術作品を購入するような雰囲気で購入していることがわかります。

幾つもの芸術作品や美術作品を大量に手元に、そろえている人もいますので。

ですが、「死者を供養するために高価な仏具を購入している」とは言わなくなるので、そのような意思のある人は、仏具以外の芸術作品や美術作品を購入しても良いのではないかと思います。

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逆に、無神論の反対の状態を信じてみて、つまり、「あの世があって、故人がそこで暮らしている」と仮定して、感じたことを書いてみます。

その故人からしてみたら、上に書いたように、高価な仏具を所有していないわけです。
ですから、高価な仏具というのは、自分の子供達とか孫達が、「この高価な仏具や高価な葬式を挙げたことにより、さぞかし、死んだ故人が嬉しがっているに違いない」と、自分自身に納得させて、要するに、自己満足させていることがわかります。

ですから、心の優しかった故人ならば、あの世と言われる世界で、以下のような言葉を、残された遺族達に語っているのではないでしょうか。

  「私は死んだので、そんな仏具を与えてくれても嬉しくは無いよ。所有も出来ないし。また、そんな高価な仏具を買うような余裕があるのならば、私のための高価な仏具にお金を出すのではなく、お前達の生活のために使っておくれ。また、もし、私が、そんな現世の仏具に未練があるとしたのならば、私は成仏できていない地縛霊と言われても仕方なくなるのだから」

と。

---------------------------------

結局、こう考えてみたら、私達が時折、目にする、高価な葬式とか、豪華な墓石とか、高価な仏具とか、あるいは、死んだ故人に対して名づける、高価な戒名代金(しかも、「戒名」というのはランク付けがあって、死んだ故人に与える戒名代金の高下によって、その人の人生全体に対するテストの点数付けのように見える)等に、私達は深い疑問を抱くようになると思います。


                                       坂本 誠

2018年8月 1日 (水)

三千二百七十八: 自分のしたいこと(独白)

自分自身に静かに語りかけたい時には、「です・ます調」ではなく、自然な感じの独白調で書いた方がうまく書けるような気がする。

私自身が今現在に本当に心底からしてみたいことを書いてみるのも一興かと思い、したためてみることにした。
そんなことを書くのも、時と場合によっては意義のあることかも知れない。

全く誰からの指示や願いも無く、もちろん、神とも呼べるような存在の要求も無く、また、自分の暮らしている社会のルールなり慣習なりを全て捨て去って、心底から自分のしてみたいことを静かに感じてみると、その感じたこととは、次のようなものであった。

P8110150

 

単純に、「自分を理解してくれる理解者を見い出して、そのパートナーと呼べるような人と、地球では無い他の星で静かに生活してみたい」というものだった。

これが、掛け値なしに、腹の底から感じる自分の本当にしてみたいことだった。
本音というものだろう。

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自分のようなブログ・ネタを書いていると、自分の視点から見て、私のような人を理解してくれるような人は少数派のように思えてしまう。

だから、「私を理解してくれるような理解者が欲しい」というのは自然な願いだと思う。

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心底からなる自分の願いを実現するために、その下に派生的に生じて位置づけられている二番目の目標とか、さらにその下の三番目の目標を実行していたら、つまり、それが今の自分の人生行路となっているような気がする。

どんな人でも、そうではないだろうか。

---------------------------------

時折、このような、自分の心底からなる願いを自分で把握することは大事なことかと思うけど、それを、口に出して、他の人には、あまり言わない方が良いと思う。

なぜならば、完全に自分の周囲の世界の慣習やルールをも外して、さらに、全く誰のお願い事も聞かずに生じている願い事なのだから、周囲の世界と合わない場合も多々あることだろう。

だから、そのような願いを口に出して言えば、周囲の世界と摩擦を起こす可能性も多いと予想できるので、あまり言わない方が得策かもしれない。

だから、普段は自分のそのような願い事を他の人に言わない方が良いと思われる。

---------------------------------

ただ、折に触れて、何らかの機会の際に、そのような願いを口にしてみるのも、ケース・バイ・ケースで有意義なことがあるかもしれない。

P8260144

 

また、自分の意思を強く表示しないといけない時もあるかもしれないから、その願いを語る機会も、その人次第で訪れるかと思われる。

---------------------------------

この手の願いごとというのは、おそらく、その本人にとっての最強の行動理由だと思われる。
そして、誰にも左右されることは無い。

なぜならば、全く、その人の周囲のことをも考慮せず、いかなる他人の願いごとにも全く影響されず、その人がそのような願いを保持し続けているのだから、このような願いごとというのは、その本人にとっての、最大最強の存在理由と行動理由と言えるかもしれない。

何重ものオブラート用紙あるいは何枚ものセロハン用紙を重ねて、物体を見ると、その物体の輪郭(りんかく)は歪み、色ボケて見える。
それと同じように、誰の心の奥底にも存在している、その真の動機が、心の階層を何重にも、くぐり抜けると、真の目的からは大分外れたように見える仮の目的となって、つまり何階層か分にずれた目的となった、日常生活での行動目的と変化していると思われる。

---------------------------------

また、この手の目的というのは、「あなたの真の目的とは何ですか?」と、どこかの誰かに聞かれた際に、一瞬の時間をも置かずに、その質問の直後に返答されている解答となっているものである。

その質問をされて、何秒か経って、もごもごと恐る恐る、「ああ、私の目的は、そうですね、、、よく考えてみると、、、実際は、、、」等のように、10秒以上も経過してから出される返答は、真の目的では無いことがわかる。

なんとならば、その10秒以上もの間に、その人は、自分の頭の中で、様々な他の条件を考慮した結果、尾ひれ羽ひれの付け足した目的、あるいは周到に変更等を追加した上で語っている目的であることがわかるからだ。

---------------------------------

しかし、この手の願いごとが、人の心の中で形成されるためには、それなりの試行錯誤や熟慮も必要とされると思う。

何らかの物事や出来事を見て、瞬間的に人は判断することもあるけれど、その物事や出来事を多角的に見たり、あるいは経過を見たり、しっかりとした熟慮や何重もの考慮を重ねて、つまり、心では無く、頭を使って、何らかの物事や出来事を総合的に判断することも大事だからだ。

私達が日頃の生活の中で、何らかの仕事上のプロジェクトの成り行きも、瞬間的に判断するのではなく、経過をしっかりと観察し、深く洞察・熟慮を繰り返しながら、そのプロジェクトの成否を判断するのと同じだ。

だから、何らかの物事や出来事を右脳の方で瞬間的に判断することも大事だけど、左脳的に頭を使ったり、経験則をも使って、物事や出来事を総合的に、しっかり見ることも非常に大事なことだと思う。

また、右脳的な瞬間的な判断というのは、その判断理由自体を、その人が上手に他人に説明することが出来ないことが多い。

それに引き替え、左脳的に判断した内容というのは、言語を使って記述できるから、その言語に落とされた判断内容を人に語れば、相手が言語を使って理解できるので、語る相手にとって、その判断理由を理解しやすいだろう、という利点がある。

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そういうわけで、私が現時点で、少なくとも、私の願いが成立した理由というのものを、左脳的な説明をしてみることにする。

私の当ブログ中のどこかの過去記事に書いた事だけど、世にイルミナティレプティリアンという種族がおって、彼等が極秘の内に全地球人を奴隷として使用したいらしい。

これを書いただけでも、「私は、ぜひ、地球とは違う星の上で暮らしたい」と、瞬時の返答を胸の中で出している人もいるのではないだろうか。

P9050144

 

しかし、地球上に造物主というのがおり、「彼等をぜひ更生してやって欲しい」という願いがあるのならば、その願いが実現可能かどうか、あるいは、幾らかでも達成されるのならば、その達成された具合を、私達は注意深く、検討しないといけなくもなるだろう。

---------------------------------

どこかの過去記事にも書いたけど、イルミナティやレプティリアンという種族が、「全地球人を暗黙の内に奴隷化したい」という願いがあるのならば、「彼等は他の人々の自由意思を剥奪(はくだつ)したい」という自由意思を持っていることになる。
そして、彼等は日々に、その願いを達成すべく、努力していることになる。

これ自体が既に矛盾している。

なぜならば、彼等にも私達にも自由意思がある。
しかし、彼等の自由意思というのは、彼等以外の他の全ての人々の自由意思を奪いたいのだから、いわゆる神と言われる存在が全ての存在に平等に与えたとされる自由意思の濫用と逆用をしていることがわかる。

だから、彼等にしても、彼等以外の他の存在から、彼等なりの自由意思である「他の人々の自由意思を剥奪したい」という自由意思を剥奪されたら、それこそ、イルミナティやレプティリアン達は「我々の自由意思を侵害するな」と言うだろう。
しかし、イルミナティやレプティリアンの自由意思というのは、彼等以外の人々の自由意思を剥奪しようとしているので、ここには、一種の矛盾が生じていることがわかる。

つまり、彼等は矛盾した存在であることも私達は理解できる。

---------------------------------

「矛盾」というのは本来、存在することが出来ないのだから、造物主としては、「彼等を更生してやって欲しい」という願いがあると思われる。

なんとならば、「彼等を受け入れて、生活を共にする」となると、それは彼等の更生事業を意味しているからである。
「矛盾した存在」だから、いわゆる「失敗した人種」とも言える。
そして、彼等を私達の生活に受け入れて、ただ、彼等の言いなりとなって、彼等流儀のライフ・スタイルとなってしまえば、その人も、いわゆる、失敗した人となってしまう。

だから、「彼等を受け入れる」という行動自体には、「彼等の更生事業を行う」という課題が含まれていることになる。

---------------------------------

しかし、今現在、この地上に生まれている人で、「私は、イルミナティやレプティリアンを更生すべく生を受けた、更生事業専門スタッフです」と、宣言する人は少ないと思われる。

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俗に言われるように、たとえ、生まれる前に、そのような使命があったとしても、それも人によっては思い出せたり、あるいは、思い出せなかったりで、これでは、説得力に欠けた話題を私がしていることになる。

また、そのような事を考えずとも、たった今現在に、イルミナティやレプティリアンの情報を聞いた人が、「私は、今現在、かような人々と付き合いたいとは思いません」と言えば、それで全てとなるからだ。

もし、仮に生前の記憶というのがあって、その生前の記憶の中に、「私は、イルミナティやレプティリアンを更生すべく生を受けた、更生事業専門スタッフです」という記憶が残存していたと仮定しても、その人が、今現在のイルミナティやレプティリアンを見て、考えや意向が変わり、「私は、過去、そのような願いや目的があったかもしれませんが、今では変化しており、今現在、かような人々と付き合いたいとは思いません」と言えば、それで全てとなるからだ。

過去の願いや目的や誓約も、変わることも多い。

---------------------------------

また、イルミナティやレプティリアンの更生事業が展開されていたとしても、その達成の具合、つまり、達成率も、私見では、かなり低いように見える。

それどころか、「イルミナティやレプティリアンのライフ・スタイルや流儀が素晴らしい」と考える人々が、この地上社会にそれだけ、彼等の世界を広めつつあったので、やはり、彼等の更生事業の達成の具合も低かったと私見では見ている。

---------------------------------

また、このような文章を読んでいて、さらに以下のような矛盾点に気付く人も出てくるかもしれない。

というのも、造物主の願い自体が、「イルミナティやレプティリアンを更生してやって欲しい」という願いがあるのならば、この文章自体に、隠れた矛盾があるのに読者は気付くだろう。

なんとならば、イルミナティやレプティリアンは「他の人々の自由意思を剥奪したい」という自由意思を持っている。
そして、彼等なりに、その自由意思を実現しようとしている。
だから、もし、造物主が、「彼等の更生を願っている」というのならば、それこそ、「造物主がイルミナティやレプティリアンに与えられた自由意思を剥奪しようとしている」という風に、人は感じることも出来るだろう。

この状況になると、「造物主自身が、多くの存在に与えたとされる、自由意思を、自ら、多くの存在から剥奪してしまう」ということになり、大きな矛盾が生じてくる。

だから、造物主からしてみたら、「自由意思の剥奪」ではなく、「思考の改変」を試みることだろう。
「考えが変わる」ということは、誰にでもあることだから、これだと、相手の自由意思を奪ったとか無理矢理変化させたことにはならない。

しかし、これでも、イルミナティやレプティリアンからすれば、「俺達(イルミナティやレプティリアン)の自由意思を奪うな」と言ってくるかもしれない。
しかし、その、イルミナティやレプティリアンの自由意思や、その行いというのは、「彼等以外の全ての存在の自由意思を奪おう」という自由意思なのだから、私がこの手の話をしていること自体、何かの矛盾が生じているのかもしれない。

早い話が、あまりにも難しい話なので、「彼等を説得して、改心せしめよう」という希望や目的を抱く人は、私見では、かなり少ないと感じている。

(※追記:このようなことを書いていたら、人は次のような質問を彼等にしてみたい、と願うかもしれない。その質問とは「イルミナティやレプティリアンさん。あなたは、あなたがた以外の『多くの人々の自由意思を奪いたい』という、あなたの自由意思があると伺いました。それでしたら、まず先だって、あなた(イルミナティやレプティリアンさん)の自由意思が剥奪されるという体験を実感してみるのはいかかでしょうか?」というものである。「彼等から、どのような返答が返ってくるだろうか?」と、多くの人々は聞いてみたいと願うのではないだろうか。)

---------------------------------

しかし、世には更生事業者とか、その手の医者やスタッフ達が居るので、それと似たような人も世にはいるかと思われる。

P9140147

 

そのような人達の行動ぶりが、時々、テレビのドキュメンタリー番組として流されている。

そのような人達ならば、イルミナティやレプティリアンを説得して、彼等を改心させた時に、お互いに涙する、という光景があるかもしれない。

そのような人達がいるならば、もちろん、私は止めない。
そのような人達が、そのような行動を起こして、それなりの結果が得られれば、お互いの魂の喜びとなるのだろう。

だが、繰り返しになるのだけど、私が世を見回すに、「自分は更生業者の専門スタッフです」とか「自分は、これそれ病院の専門スタッフなので、そのような人達を改心させることが、私にとっての心底なる魂の喜びなのです」と宣言する人は、私達の社会の中ではかなりの少数派と思われる。

---------------------------------

私達の社会に見られるような標本を見るに、結局、イルミナティやレプティリアンという人達は、星レベルとでも言える、一個の巨大病院の中で、更生事業者の専門スタッフ達に囲まれてでの、長期治療が現実路線であると考えてしまう。

しかし、そのような巨大病院の中で彼等がそれなりの治療とでも言えるものを与えられ続けても、私達には次の2点の、更なる疑問が湧くと思う。

■1:
「彼等が改心する」と仮定するならば、それは、どれ程の期間を必要とするのか。

■2:
そのような巨大病院の中で長く治療を受け続けても、もし、改心しなかったら、その時は、どうなるのか。

どんな人でも、個性の差があるので、それぞれの人が病気になっても、治るまでの期間もそれぞれである。
だから、「改心」とも言えるような行為に時間がかかっても、それが起きるのならば、まだ良いのだけど、「■2」のように、「いつまで経っても治らない(改心しない)」というパターンも、充分に、想定できる。

P9260147

 

---------------------------------

これ以降は、今現在、私達は考えない方が良いかもしれない。
ただ、上の点を書いた理由は、「より広い視点で、自分達の計画を立てることが出来る」ということで書いてみた。

つまり、相当の長期間を考慮することにより、たった今現在の私達の人生目標とか、それなりの計画を立案する際に、それらの計画に、上記の情報と、それらを考慮した情報やデータを組み込むことも可能となるからだ。

それ自体は、一つの利点と言えるかもしれない。

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長く書いてしまったのだけど、要点を書いてしまうと、あまりにも難しいと思われるものには、ついて行かない方が良いと思う。


                                       坂本 誠

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