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2018年7月30日 (月)

三千二百七十七: 私達の仕事とお金というものを考えて

こんばんわ。

私達は、時折、生まれ落ちた時の幼子のようなまなざしをもって、私達の社会を、今一度、眺めてみる機会を幾つか持った方が良いと思います。

そのような視点を使って、私達の「仕事」というものを、今一度、見直してみたいと思います。

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小学校の授業中、「あなたは将来、どんな仕事に就きたいか?」という質問が出されて、その答えを一人一人が七夕の短冊のような縦長の紙に書いて、教室の後ろの壁に貼った、という記憶を持っている人々も多いのではないでしょうか。

大体、そのような質問を生徒達に与えているのは、そのほとんどが壇上の教師でしょう。

そして、たいてい、教師達の説明によると、「大きくなって、大人になったら、社会の役に立つ人にならなくてはいけない」というのが、社会人になって、何かの仕事に就かなくてはいけない理由だったでしょうか。

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ところが、小学生の高学年になったり、あるいは中学に進むにつれて、その、教師の言っていた就職のための説明に矛盾を感じてくる人々の方が、圧倒的に多くなってくると思います。

なぜならば、私や、読者の方々が、今、幼子のような視点を使って、「大人になってからの就職のための動機」というものを見てみると、そのほとんどが、「お金を得るために、大人は就職しているのだ」という感じに見えるでしょう。

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実際、皆さん方が小学生の頃、教室の中で、目の前の小学校の教師達が言っていたこととは違いがあるのに、私達は気が付くのではないでしょうか。

ちょっと、よく、言葉の雰囲気をも捉えて、上記の二つの言葉を、もう一回書いてみます。

前者のものだと、

  「『社会の役に立つ人に』なるために、就職する」

というのと、後者のものである、

  「お金を得るために、社会人は就職する」

というのでは、かなり、大きな開きがあるように感じると思います。

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この違いを、今少し詳しく、私達は考慮してみることにしましょう。

前者のものである

  「『社会の役に立つ人に』なるために、就職する」

だと、この文章から感じられるのは、「他の人々への奉仕活動」とか「社会の人々全体の喜びを向上させる」などのような、つまり、人類愛を高める雰囲気があるので、肯定的に感じることでしょう。

しかし、後者のものである

  「お金を得るために、社会人は(大人は)就職する」

だと、この文章から感じられる雰囲気からは、「他人から、お金を搾取する」とか「他人から、お金を合法的に得て、自分が繁栄したい」という雰囲気が感じられます。

いずれにしても、「お金を得るために働く」というのが、実に暗黙の内に多くの人々が受けて入れているので、これは「人類愛を広げよう、高めよう」という雰囲気をあまり感じません。

もともと、前者の目的と後者の目的とでは、肯定的な方向と否定的な方向、つまり、全く正反対方向に向かっているように感じることでしょう。

ここから考えても、「あ~、私達は本当にマトリックスの世界で暮らしている」と、充分に感じることでしょう。

(「マトリックス」の本来の意味は「行列」という意味ですが、ここでは、SF映画で大ヒットした『マトリックス』公開後に広まった意味で、「偽造社会」という意味で、「マトリックス」という単語を使っています。)

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そして、なぜ、人は「お金を得るために、社会人は(大人は)就職する」という状況になったのかを考えてみたいと思います。

一般に言われているように、私達の多くは、「お金が無ければ生きていくことが出来ない」という暗黙の恐怖感を、与えられていることに気が付くでしょう。

この恐怖感を打ち消すためには、「この世に絶対に無くてはならない、お金を手に入れるための、かなり知られている方法としては、労働することだ」となっているでしょう。

そして、「生きていくためのお金を得るために、大人になって働く」という常識が敷かれていると思います。

このいきさつから、「『社会の役に立つ人に』なるために、就職する」という、小学生の時に教えてもらった理想論からは外れたレールの上で、「お金を得るために、社会人は(大人は)就職する」という事情が発生していると言えるでしょう。

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そして、ちなみに、地球社会全体を支配したがっている人々からしたら、「地球上の全ての人間を、お金を使って、強制労働させることが出来る」と、彼等は気が付いていることでしょう。

なぜならば、生活資金を手に入れるためには、なんとしてでも、社会一般の職種に就かないといけないのですが、ある人が生活資金に困れば、その人は、その人がどんなに嫌いな仕事にでも就かないと、そのお金を手に入れられなくなるからです。

ですから、地球社会全体を支配したがっている人々ならば、「お金を使って、地球人を強制労働させ、つまり、我々の奴隷として、全地球人を使用することが出来る。なぜならば、我々は、全地球人に対し、『お金が無ければ生きていくことは出来ない』という恐怖感を与えることに成功したので、地球人は、その(我々の作っている)お金を手に入れるためには、どんな嫌な仕事でも引き受けるに違いないのだから」と考えていることでしょう。

そして、それを実行した後は、「出来るだけ、自分達(彼等)の考えている、その内容を、多くの人々に知られるわけにはいかない」という願いがあるでしょう。

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この、今、私が書いた「私達は、お金というツールを使用され、強制労働させられているのではないのだろうか?」という疑問は、読者の方々も、幼い頃に、幼子のようなまなざしを使って世間を見ていた頃、感じたことのある疑問ではないかと思います。

しかし、あなたの感じた、その素朴な疑問を口に出すには、あなたの周囲の人々を見回すと、お金を愛している人々がとても多いし、「お金に対する疑問を持つことは、タブーだ」という風潮や常識の前に、あなたの疑問は、あなたの口から出る前に、あなたの胸の中で消してしまったのではないでしょうか。

なぜならば、あなたが、その疑問を口に出すやいなや、周囲の人々が、あなたを冷たい目で見て、あなたを嫌いになるかもしれない、という、恐怖感が、あなたの心中に沸くと、その疑問を胸の中に引っ込めてしまいやすくなるからです。

上のような事情によって、あなたの胸中には、幼い頃からの疑問を解消せず、その疑問がそのまま残存した結果、心中にはモヤモヤとした、わだかまりが発生している方も出ているかと思います。

ですから、このような疑問を解決する手段としては、幼い頃に抱いた素朴な疑問を、口に出してみた方が良いと思います。
すると、その疑問を解決する幾つかの手段が見つかるかもしれません。
そして、それらの幾つかの手段を用いることによって、あなたの疑問が解決すれば、後は、心の底からスッキリとした気持ちになって、日々の生活を暮らせるかと思います。

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また、どうして、現在の私達の社会に見られるように、「仕事、即(イコールの意味で)、お金」という常識が作られた背景も、少なくとも、私達の日本の社会の歴史を丹念に見直すと理解できます。

私が、しばしば、引用している文献に、

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『三千十一:現代と中世の商業事情を考えて』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2016/11/post-05f9.html
司馬遼太郎『街道を行く 9 信州佐久平みち、潟のみちほか』(朝日文芸文庫)より文章と写真を引用
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があります。
しばしば引用しているので、重要な箇所だけを再引用しますと、

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明治維新後、太政官の財政基礎は、徳川幕府と同様、米穀である。

Photo

 

維新で太政官は徳川家の直轄領を没収したから、ほぼ六百万石から八百万石ほどの所帯であったであろう。
維新後、太政官の内部で、米が財政の基礎をなしていることに疑問をもつむきが多かった。


欧米は、国家が来期にやるべき仕事を、その前年において予算として組んでおく。
ところが日本ではそれができない。
というのは、旧幕同様、米が貨幣の代りになっているからである。
米というのは豊凶さまざまで、来年の穫れ高の予想ができないから、従って米を基礎にしていては予算が組み上がらない。
よろしく金を基礎とすべきであり、在来、百姓に米で租税を納めさせていたものを、金で納めさせるべきである

明治五年、三十歳足らずで地租改正局長になった陸奥宗光が、その職につく前、大意右のようなことを建白している(※筆者注:この私のエッセイ内では「右」ではなく、「上」となります)。
武士の俸給が米で支払われることに馴れていたひとびとにとっては、この程度の建白でも、驚天動地のことであったであろう。

が、金納制というのは、農民にとってたまったものではなかった。
農民の暮らしというのは、弥生式稲作が入って以来、商品経済とはあまりかかわりなくつづいてきて、現金要らずの自給自足のままやってきている。
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(引用終わり)


つまり、このようにして、日本の過去の一時点において、人々の仕事というものと、お金というのものを密接に結びつけたことがわかります。

これですから、私達の社会に見られるように、

  「仕事、即(イコールの意味で)、お金」

という常識のレールが敷かれたことが私達にわかります。

ちょっと横文字での説明なのですが、こういう行いのことを「バンドリング(結合)」と言います。

これと反対なのは、当然ながら、「アンバンドリング(結合解除)」と言います。

具体的な例を挙げれば、わかりやすいので挙げておきます。

コンピューターの世界で、「アンバンドリング」が起きました。

コンピューターの世界は、最初は、ソフトウェア・メーカーとハードウェア・メーカーの違いは無く、社会の人々からは、コンピューターに携わる人ならば、「ただのコンピューター技師」と見られている時代がありました。

それが、時代が進むにつれて、コンピューターの世界は、大きく分けて、ソフトウェア・メーカーとハードウェア・メーカーに大別していきました。

私の見立ての意見を書かせて頂くのならば、「仕事、即、お金」というように、「バンドリング」されている私達の社会の一つの事情に対しても、「アンバンドリング」が起きても良いのではないかと思います。

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まだ、私の方で、ちょっと忙しい日々が続くのですが、今日はブログ更新させて頂きました。


                                       坂本 誠

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