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2018年7月

2018年7月30日 (月)

三千二百七十七: 私達の仕事とお金というものを考えて

こんばんわ。

私達は、時折、生まれ落ちた時の幼子のようなまなざしをもって、私達の社会を、今一度、眺めてみる機会を幾つか持った方が良いと思います。

そのような視点を使って、私達の「仕事」というものを、今一度、見直してみたいと思います。

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小学校の授業中、「あなたは将来、どんな仕事に就きたいか?」という質問が出されて、その答えを一人一人が七夕の短冊のような縦長の紙に書いて、教室の後ろの壁に貼った、という記憶を持っている人々も多いのではないでしょうか。

大体、そのような質問を生徒達に与えているのは、そのほとんどが壇上の教師でしょう。

そして、たいてい、教師達の説明によると、「大きくなって、大人になったら、社会の役に立つ人にならなくてはいけない」というのが、社会人になって、何かの仕事に就かなくてはいけない理由だったでしょうか。

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ところが、小学生の高学年になったり、あるいは中学に進むにつれて、その、教師の言っていた就職のための説明に矛盾を感じてくる人々の方が、圧倒的に多くなってくると思います。

なぜならば、私や、読者の方々が、今、幼子のような視点を使って、「大人になってからの就職のための動機」というものを見てみると、そのほとんどが、「お金を得るために、大人は就職しているのだ」という感じに見えるでしょう。

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実際、皆さん方が小学生の頃、教室の中で、目の前の小学校の教師達が言っていたこととは違いがあるのに、私達は気が付くのではないでしょうか。

ちょっと、よく、言葉の雰囲気をも捉えて、上記の二つの言葉を、もう一回書いてみます。

前者のものだと、

  「『社会の役に立つ人に』なるために、就職する」

というのと、後者のものである、

  「お金を得るために、社会人は就職する」

というのでは、かなり、大きな開きがあるように感じると思います。

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この違いを、今少し詳しく、私達は考慮してみることにしましょう。

前者のものである

  「『社会の役に立つ人に』なるために、就職する」

だと、この文章から感じられるのは、「他の人々への奉仕活動」とか「社会の人々全体の喜びを向上させる」などのような、つまり、人類愛を高める雰囲気があるので、肯定的に感じることでしょう。

しかし、後者のものである

  「お金を得るために、社会人は(大人は)就職する」

だと、この文章から感じられる雰囲気からは、「他人から、お金を搾取する」とか「他人から、お金を合法的に得て、自分が繁栄したい」という雰囲気が感じられます。

いずれにしても、「お金を得るために働く」というのが、実に暗黙の内に多くの人々が受けて入れているので、これは「人類愛を広げよう、高めよう」という雰囲気をあまり感じません。

もともと、前者の目的と後者の目的とでは、肯定的な方向と否定的な方向、つまり、全く正反対方向に向かっているように感じることでしょう。

ここから考えても、「あ~、私達は本当にマトリックスの世界で暮らしている」と、充分に感じることでしょう。

(「マトリックス」の本来の意味は「行列」という意味ですが、ここでは、SF映画で大ヒットした『マトリックス』公開後に広まった意味で、「偽造社会」という意味で、「マトリックス」という単語を使っています。)

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そして、なぜ、人は「お金を得るために、社会人は(大人は)就職する」という状況になったのかを考えてみたいと思います。

一般に言われているように、私達の多くは、「お金が無ければ生きていくことが出来ない」という暗黙の恐怖感を、与えられていることに気が付くでしょう。

この恐怖感を打ち消すためには、「この世に絶対に無くてはならない、お金を手に入れるための、かなり知られている方法としては、労働することだ」となっているでしょう。

そして、「生きていくためのお金を得るために、大人になって働く」という常識が敷かれていると思います。

このいきさつから、「『社会の役に立つ人に』なるために、就職する」という、小学生の時に教えてもらった理想論からは外れたレールの上で、「お金を得るために、社会人は(大人は)就職する」という事情が発生していると言えるでしょう。

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そして、ちなみに、地球社会全体を支配したがっている人々からしたら、「地球上の全ての人間を、お金を使って、強制労働させることが出来る」と、彼等は気が付いていることでしょう。

なぜならば、生活資金を手に入れるためには、なんとしてでも、社会一般の職種に就かないといけないのですが、ある人が生活資金に困れば、その人は、その人がどんなに嫌いな仕事にでも就かないと、そのお金を手に入れられなくなるからです。

ですから、地球社会全体を支配したがっている人々ならば、「お金を使って、地球人を強制労働させ、つまり、我々の奴隷として、全地球人を使用することが出来る。なぜならば、我々は、全地球人に対し、『お金が無ければ生きていくことは出来ない』という恐怖感を与えることに成功したので、地球人は、その(我々の作っている)お金を手に入れるためには、どんな嫌な仕事でも引き受けるに違いないのだから」と考えていることでしょう。

そして、それを実行した後は、「出来るだけ、自分達(彼等)の考えている、その内容を、多くの人々に知られるわけにはいかない」という願いがあるでしょう。

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この、今、私が書いた「私達は、お金というツールを使用され、強制労働させられているのではないのだろうか?」という疑問は、読者の方々も、幼い頃に、幼子のようなまなざしを使って世間を見ていた頃、感じたことのある疑問ではないかと思います。

しかし、あなたの感じた、その素朴な疑問を口に出すには、あなたの周囲の人々を見回すと、お金を愛している人々がとても多いし、「お金に対する疑問を持つことは、タブーだ」という風潮や常識の前に、あなたの疑問は、あなたの口から出る前に、あなたの胸の中で消してしまったのではないでしょうか。

なぜならば、あなたが、その疑問を口に出すやいなや、周囲の人々が、あなたを冷たい目で見て、あなたを嫌いになるかもしれない、という、恐怖感が、あなたの心中に沸くと、その疑問を胸の中に引っ込めてしまいやすくなるからです。

上のような事情によって、あなたの胸中には、幼い頃からの疑問を解消せず、その疑問がそのまま残存した結果、心中にはモヤモヤとした、わだかまりが発生している方も出ているかと思います。

ですから、このような疑問を解決する手段としては、幼い頃に抱いた素朴な疑問を、口に出してみた方が良いと思います。
すると、その疑問を解決する幾つかの手段が見つかるかもしれません。
そして、それらの幾つかの手段を用いることによって、あなたの疑問が解決すれば、後は、心の底からスッキリとした気持ちになって、日々の生活を暮らせるかと思います。

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また、どうして、現在の私達の社会に見られるように、「仕事、即(イコールの意味で)、お金」という常識が作られた背景も、少なくとも、私達の日本の社会の歴史を丹念に見直すと理解できます。

私が、しばしば、引用している文献に、

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『三千十一:現代と中世の商業事情を考えて』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2016/11/post-05f9.html
司馬遼太郎『街道を行く 9 信州佐久平みち、潟のみちほか』(朝日文芸文庫)より文章と写真を引用
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があります。
しばしば引用しているので、重要な箇所だけを再引用しますと、

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明治維新後、太政官の財政基礎は、徳川幕府と同様、米穀である。

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維新で太政官は徳川家の直轄領を没収したから、ほぼ六百万石から八百万石ほどの所帯であったであろう。
維新後、太政官の内部で、米が財政の基礎をなしていることに疑問をもつむきが多かった。


欧米は、国家が来期にやるべき仕事を、その前年において予算として組んでおく。
ところが日本ではそれができない。
というのは、旧幕同様、米が貨幣の代りになっているからである。
米というのは豊凶さまざまで、来年の穫れ高の予想ができないから、従って米を基礎にしていては予算が組み上がらない。
よろしく金を基礎とすべきであり、在来、百姓に米で租税を納めさせていたものを、金で納めさせるべきである

明治五年、三十歳足らずで地租改正局長になった陸奥宗光が、その職につく前、大意右のようなことを建白している(※筆者注:この私のエッセイ内では「右」ではなく、「上」となります)。
武士の俸給が米で支払われることに馴れていたひとびとにとっては、この程度の建白でも、驚天動地のことであったであろう。

が、金納制というのは、農民にとってたまったものではなかった。
農民の暮らしというのは、弥生式稲作が入って以来、商品経済とはあまりかかわりなくつづいてきて、現金要らずの自給自足のままやってきている。
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(引用終わり)


つまり、このようにして、日本の過去の一時点において、人々の仕事というものと、お金というのものを密接に結びつけたことがわかります。

これですから、私達の社会に見られるように、

  「仕事、即(イコールの意味で)、お金」

という常識のレールが敷かれたことが私達にわかります。

ちょっと横文字での説明なのですが、こういう行いのことを「バンドリング(結合)」と言います。

これと反対なのは、当然ながら、「アンバンドリング(結合解除)」と言います。

具体的な例を挙げれば、わかりやすいので挙げておきます。

コンピューターの世界で、「アンバンドリング」が起きました。

コンピューターの世界は、最初は、ソフトウェア・メーカーとハードウェア・メーカーの違いは無く、社会の人々からは、コンピューターに携わる人ならば、「ただのコンピューター技師」と見られている時代がありました。

それが、時代が進むにつれて、コンピューターの世界は、大きく分けて、ソフトウェア・メーカーとハードウェア・メーカーに大別していきました。

私の見立ての意見を書かせて頂くのならば、「仕事、即、お金」というように、「バンドリング」されている私達の社会の一つの事情に対しても、「アンバンドリング」が起きても良いのではないかと思います。

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まだ、私の方で、ちょっと忙しい日々が続くのですが、今日はブログ更新させて頂きました。


                                       坂本 誠

2018年7月26日 (木)

三千二百七十六: お知らせ

こんばんわ。

最近、ちょっと、忙しくて、ブログ更新が滞っています。
何卒、ご了承ください。



                                       坂本 誠

2018年7月20日 (金)

三千二百七十五: 私なりの暑さ対策_No.2

こんばんわ。

三千二百七十四:私なりの暑さ対策』の続きとなりました。

私なりの暑さ対策を書いているのですが、今一つには、「人体の慣れ」の活用があるかと思います。
この「慣れ」というものは、面白いものでもあるのですが、いまだに、科学的に「人体の慣れの過程」というものは詳細に説明できない部分かと思います。

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例えば、梅雨の終わりごろまでは、天は暑い雲に覆われているので、それほど高い気温にはなりません。
しかし、梅雨が終われば、晴天が続くので、一気に気温が高くなります。

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この気温上昇のカーブが大きい時、つまり、このような時に、熱中症になる人は多い筈です。
なぜならば、急激に温度が上昇したので、身体の方が慣れていないからです。

ところが、梅雨が終わった直後の晴天続きの日が、ずっと続いて、何十日か経過した後では、人体の方が、少しずつ、暑さ慣れをしているせいか、ある意味、気温に慣れます。

ある一定の気温に慣れた後だと、人体は、ある程度、その温度下で行動することが出来るようになります。

夏の高校野球で活躍する球児達も、多くの人々の目から見たら、「あの人達(球児達)は暑さ慣れしている」と感じた方も多いのではないでしょうか。

これは季節が逆の冬でも同じことが言えます。
今度は、高い気温では無く、低い気温です。

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ですから、気温上昇のカーブが大きい時には、非常に暑さに注意した方が良いと思います。
しかし、ある意味、「人体の慣れ」を考えるのならば、少しずつ、自分の身体を暑さに慣らして行った方が得策かと思います。

人の個性差によって、かなり「慣れる」という度合いには、違いが大きいように感じますが、「人体の慣れ」をも考慮した暑さ対策を考えるならば、危なくない程度に、「暑さに身体を慣らしていく」という方法が考えられます。

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「人体における慣れ」という自然現象が、あまり科学的に研究されていないので、多くのデータを参照しながら、共に考えていくことは出来ないのが残念です。

ですから、私としては、自然科学の分野の方に、「『人体における慣れ』についての、様々な科学研究があれば良いと思います」と提案することが出来ます。

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もう一つ私が考えられるのは、サングラスによる暑さ対策でしょうか。

夏場の強烈な陽射しだと、当然、眼球の奥底にある眼底にも、多くの日光が降り注ぎます。
ですから、夏場の陽射しは、かなりまぶしく感じます。

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しかし、サングラスをかけると、それだけ、眼球に飛び込んでくる日光の量を減らすことが出来ます。

ですから、まぶしさを感じない分、心理的にも暑く感じなくなるでしょう。
また、当然、眼球の眼底で受ける日光の量を減らすことも出来ますし、目の周囲の肌にも、直射日光の量を減らすことが出来ます。

ですから、私は、結構、サングラスは十分な暑さ対策となっていると思います。

しかし、実際に、本当に多くの人体データを記録するには、ちゃんとした計測器などで計測しないといけないでしょうから、その辺は、計測器を持っている人が計測して頂けますことをお願いいたします。

しかし、世にはサングラスをしている人を見て、「不良みたいだ」と感じる人も、まだ多いでしょうから、お店等に入る時は、サングラスは外した方が良いかもしれません。

(以下、過去記事、関連記事、及び、参考文献)
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『三千二百七十四:私なりの暑さ対策』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2018/07/post-21e5.html


                                       坂本 誠

2018年7月18日 (水)

三千二百七十四: 私なりの暑さ対策

こんばんわ。

昨今、暑い日々が続きますが、私なりの暑さ対策を書いてみたいと思います。

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しかし、新聞やテレビで、様々に紹介されている、多くの暑さ対策を私がここに書いても、それは読者の方々にとっては繰り返しとなるでしょうから、あまり一般に紹介されていない暑さ対策を書いてみます。

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私なりの暑さ対策とは

  「あまりにも、『暑い、暑い』と言わないこと」

です。

というのも、以下に紹介する話題を読んでみれば、読者の方々も理解できるかと思います。

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心理学関係の実験で、催眠術者と催眠療法を受ける側の被験者がいます。

催眠術者が、被験者を、ほぼ、眠りに近い状態まで誘導して、催眠術者が被験者に対して、普通の割り箸を右手の肌にあてます。
その上で、催眠術者は被験者の心の奥底に次のように語ります。

  「今、あなたの右手の肌の上には、真っ赤に焼けた火箸が置かれています」

と。

そして、催眠術者は、被験者を催眠状態から解きます。

すると、被験者の右手は、まっ赤に火傷しているケースがあります。

もちろん、被験者の右手には、普通の焼けていない割り箸が置かれたのですが、被験者の心の奥底では、「まっ赤に熱せられた火箸が置かれている」という状態だったわけです。

その心の奥底の強い思い込みが、被験者の火傷を作ったのです。

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もちろん、催眠術にはかかりやすい人とかかりにくい人がいるそうですから、一概に上記の結果を全ての人が得られるとは限りません。

また、催眠術においては、事前に、その催眠状態を被験者に知らされていた場合と、知らされていない場合とでは、かなり発現状態が違ってきます。
これは、もし、催眠術の催眠効果を事前に被験者が知っていれば、ある催眠実験においては、被験者の方が過大な期待をかけるため、かえって効果が出なかったりするからでしょう。
あるいは、自分の望んでいない催眠状態を施されるとあるならば、心の奥底(無意識)の方で、その状態を拒絶する場合もあるから、かえって効果が出なかったりするからでしょう。

ですから、効果の高いと思われる催眠状態を作り出すには、その催眠術を受ける前に、被験者には、その催眠内容を全く伝えない方が、より、被験者の側の催眠効果は高いと予想出来ますが、、、

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ここまで行きますと、話が脱線してしまうので、本題に戻ります。

上に挙げた催眠状態から、私達の暑さ対策を考えることが出来ます。

確かに、夏という季節は、一年の内で、もっとも暑い季節ですので、日本の夏にいれば、暑さ自体を完璧に逃れることは難しいでしょう。

しかし、街の中で知人と出会ったり、あるいは、井戸端会議で知人と顔を合わせるなり、その知人達と一緒に、「暑い、暑い、暑い、暑い、、、、」の単語ばかりを繰り返していたら、心の方も暑くなってきます。

確かに、現実の夏の気温も高いでしょうが、心の奥底の方まで、夏の暑さを浸透し続けますから、肉体も心の奥底までも暑い状態にしてしまえば、より、日本の夏を暑く感じてしまいます。

例として挙げた、催眠状態を、自分自身に施している状態となってくるでしょう。

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ですから、あまりにも、口に出して「暑い、暑い、、、」の単語ばかりを繰り返さない方が良いと思います。
あるいは、耳にもしない方が良いと思います。

しかし、現実には、暑さ対策をしないといけないので、朝の新聞かニュースで、その日の暑さの状況を確認したら、その人の一日に合わせた暑さ対策は、ほぼ出来上がっていると思いますので、それを黙々と実行したら良いと思います。

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あるいは、上の催眠療法の応用も考えられます。

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ちょっと涼しい所に行って、南極とかグリーンランドの、氷河の写真を側に置いて、涼しさの瞑想をするのも良いかもしれません。
私が上に挙げた例は、「焼けた火箸を手の上に置く」というものでしたが、人によって、様々に思い描く状態は違っているでしょうが、涼しい感じの瞑想をすれば、「焼けた火箸を手の上に置く」という状態とは、全く逆の結果も得られるかもしれません。

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                                       坂本 誠

2018年7月13日 (金)

三千二百七十三: 頭上の光

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                   『頭上の光』 坂本 誠 作

 

 

(以下、過去記事、関連記事、及び、参考文献)
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二千五百八十七:月と地球
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2015/07/post-324b.html

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二千四百五十七:地球
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2015/04/post-1b36.html

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二千四百二十一:翼
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2015/02/post-8055.html

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二千百四十九:Two Moons
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2014/08/two-moons-2c7e.html

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                                       坂本 誠

2018年7月12日 (木)

三千二百七十二: 現代の企業体質と、その原因を考える(独白)

企業で最も重宝される人材とは、何よりも最も企業にお金をもたらす人材である。
だから、企業内での、どんなに仕事真面目で、技術優秀な社員よりも、最も企業にお金をもたらす社員の方が、最も企業内では重宝される。

その企業に、最もお金をもたらす人材の人格が粗野だろうが、意地悪な性格であろうが、野卑な人格であろうが、そんなことは企業にとっては一切関係が無い。

それどころか、社内で高潔な人格者がいたり、真に真面目な社員の方が冷遇されることだろう。
なぜならば、企業にとって、最も重宝される人材とは、上に書いたように、最も企業にお金をもたらす人材なのだから、その人材と、社内の人格者や真面目な社員と、いざこだを起こしてもらったら困るのである。
いざこだが起きて、社内で最もお金をもたらす人材の職務能力がダウンして、その人材の持ってくる、お金の量が減ったら、企業にとって困る話となるからである。

だから、社内の真面目社員は冷遇される運命にある。

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また、「どうして、企業は最もお金を愛するか」という疑問も、私達が考えれば、すぐにわかる。
私も、時々、書いているけれど、地球は彼等の実行している隠蔽的な手段によって、「人はお金が無ければ、死んでしまう」という恐怖感を、彼等は多くの人々に与えているからである。

人というのは、あるいは、生物というものは、「これをしなければ、お前は死んでしまうだろう」という、脅しを与えられれば、いとも簡単に、良心を捨ててしまいやすい。

彼等が「(我々の作っている)お金が無ければ、お前達は死んでしまうのだ」という、脅しを多くの人々に与えた結果、人々は、お金獲得のため、人の良心とか、真心とか、神性を捨ててしまって、お金獲得の方向に走ってしまった。

その結果が、現在、私達の眼前に広がっている世界だ。
大量の汚職の報告が新聞とテレビ・ニュースに続々と流されている。

早い話が、私達の社会は、お金のちからによって、良心や神性が抹殺されかけていることがわかる。

なぜならば、「お金が無いと生きていけない」と思いこまされると、その人間は死の恐怖から逃れるためには、「何としてでも、お金を手に入れよう」と考えるだろう。
「生きていくためには、悪いことを犯してでも、お金を手に入れよう。自分が生きていくためには仕方ない」と思いこんで、悪行などを実行すると思う。
つまり、「お金という道具は人間の良心や神性を麻痺させるための道具である」と、私達は見なすことも出来るだろう。

もっとも、彼等以外の人類は、彼等が言うところでは、彼等の奴隷扱いなのだから、彼等からしてみたら、地球人類が、良心とか、神性とか、洞察力とかを持っていたら、困るのである。

だから、彼等としては、彼等以外の全ての人類の良心や神性や真心等を麻痺させておく必要があることが私達にわかる。
そのためには、多くの人々をお金というものに対して、わき目もふらさせずに、追っかけさせておけば良いことになる。
その結果が、今日に見られる資本主義社会だということになる。

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彼等は「自分達を奴隷商人として、そして、彼等以外の地球人を奴隷として、位置づけよう」というのだから、彼等としては、「我々は奴隷に対する鞭(むち)を所有したい」と考えることだろう。

この「彼等の鞭」というのは、これが、私達が普段何気なく見ている、お金だということに、私達は気が付くだろう。

だから、彼等としては、次のようなセリフを、私達に大声で言いたいことだろう。

  「我々は、お前達の生命線(お金)を握っているのだ」

と。

上のようなセリフを、さも、自慢気に私達に語りたいのだろうが、彼等の隠密主義、隠蔽主義によって、上のようなセリフを私達に直接言えないこともわかる。


(以下、書いていてふと思い出していた過去記事、関連記事、及び、参考文献)
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『二百八十五: 私の見かけたビデオについて_No.31』
●元CIAがブッシュの麻薬取引を証言 新世界秩序 ロスチャイルド #cia #nwo #rothschild
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2013/08/_no31-5174.html
http://www.youtube.com/watch?v=YX6UDDbxOVc



(抜粋引用、筆者の気になった部分にはアンダーラインを引いたり、太字にさせてもらっています)
●元CIA、チップ・テイタム:
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「初めの頃は東南アジアで働き、1970年代半ばの環境でユーゴスラビア、チェコスロバキア、ルーマニアに移動しました。」
「1980年代の初期に国家安全保障会議の支配下で、黒いヘリコプターが軍事作戦で飛び回っているのを人々が知っている、ケンタッキー州のフォートキャンベルに基づいた160任務部隊に参加しました。」
「そこから私はホンジュラス、ニカラグア、CIAのパイロットが飛行するオリーノースのための特別作戦に入りました。」

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「国家安全保障会議は麻薬を持ってきて、アメリカに送りました。」
「私達は単純に国内の軍事施設から麻薬を出して、ホンジュラスの指定された地域に送りました。」
「そして軍用機と民間航空機でアメリカに持ち込み、各地の子供達にばらまきました。」

「ジョージ・ブッシュはコカインのど真ん中に立っていました。」

「私はアメリカの人々のために働くために、22年間支払われてきたと信じています。」
「私は皆さんがアメリカの納税者として、この国で起こっていることを知る権利を持っていると信じています。」
「この情報であなたが何をするかは、完全にあなた次第です。この情報をどうするかは、完全にあなた次第です。」

「1986年から私がCIAを辞める1992年まで、アメリカ政府が行ってきた全ての事は、」
「一つの世界政府が国々を同盟するように設計されているのがわかります。疑いの余地はありません。それがCIAが行っていたことです。」

「、、、、なぜならCIAは、ロスチャイルド家やルーズヴェルト家の世界中のお金の巨大権力のために働くからです。」

「私自身は第3階級かもしれません。第3階級は新世界秩序においては市民とは考えられず、おそらく隠れた状態で生活している新世界秩序の敵とみなされるでしょう。、、、」

「そこに誰かいますか?」

◆字幕:
「1998年にチップが突然姿を消す前の最後のインタビューでした。」
「チップの拷問された遺体は、後に2007年にパナマの海岸に打ち上げられて見つかりました。」
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(引用終わり)


                                       坂本 誠

2018年7月11日 (水)

三千二百七十一: イルミナティとレプティリアンと地球造物主のことを考えて(独白)

時々、私はイルミナティレプティリアンのことを書いている。

イルミナティやレプティリアンと私達との関わり合いを書いているのだけど、さらに、地球の造物主と、イルミナティやレプティリアンとの関わり合いも、実は頻繁に考えている。

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もし、地球の造物主という存在がいると仮定したのならば、彼(あるいは彼女)は、かなり、イルミナティやレプティリアンを見くびった上で、彼等の居住を許可したと思う。

比較的に、私が引用している以下の文献を再引用したい。

(以下、『あなたはどの星から来たのか?』(ファルス著 ヒカルランド)から引用)
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そのひずみの間にスーッと入り込んだのが、非ヒューマノイド型の生命体(レプティリアン種、通称レプ種)の浸食です。

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そうしてあなたがたは、徐々に能力を制限されていくようになり、やがて囚われと制限のある世界の住人となることを選んでしまいました。
それは主に電磁波によるコントロールシステムを使って行われました。

時を同じくして、幾度目かの大がかりな宇宙戦争もありました。
大別するとヒューマノイド型と、別宇宙(アナザーユニバース)から転生してきた非ヒューマノイド型との侵略戦争です。
この戦争においてはヒューマノイド型はとても不利でした。
というのは、もともとヒューマノイド型は、非侵害、不可侵という思考システムで活動していたため、所有という概念もなく、ましてや戦闘や防御といった体制も持っていなかったのです。
      :
    (中略)
      :
現時空から見た計時測によると、今から31万2000年前に、あなたがたの遺伝子組み換えが行われたのです。
地球人による科学ではそれをミッシング・リンク(失われた輪)と呼んでいます。

その部位は脳幹にあります。

Rコンプレックスといわれる爬虫類脳の部分に、彼らの遺伝子コードが組み込まれていくことで、あなたたちは恐怖や不安、縄張り意識、支配と隷属、競争、嫉妬といった遺伝子コードが活性化されたのでした。

それはいわば電磁波的な壁のようなもので、私たちはその壁をネットコントロール(網支配)と呼んでいます。
それはまるで漁師が目の細かい網で、そこにいる魚をすべてすくい取る網のように見えたからです。
      :
    (中略)
      :
というわけで、あなたがたの中にあるRコンプレックス部分の周波数を、まるごと認め、愛し、手放すことによって、その特性であった恐怖や混乱、支配、競争といった周波数帯と同調しなくなり、さらに高い周波数域である、愛と創造性に基づいた、高次のシステムと共振していくことが可能になることでしょう。
このことはいくら強調してもいいほどです。
      :
    (中略)
      :
今まで、あなたたちが創り出したと思っている社会や思考システムのほとんどは、彼らによる至高の雛形が具現化したものです。
それは大変な影響力を持ちました。
まるで、家に屈強な父親が一人いて家族を管理しているかのようです。

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(引用終わり)

要するに、宇宙人による地球への侵略が起きていたことになる。
それを、今まで、受け入れていた地球の造物主というのも、私は理解し難い。

仮に、多くの生物を受け入れる目的があって、地球が創造されたとしても、イルミナティやレプティリアンの計略だと、

  「ここには多くの人種が入っているから、数多くの摩擦が発生するだろう。その摩擦を起こして、地球上を群雄割拠(ぐんゆうかっきょ)の状態にすれば、混乱が起こるので、その隙間に入って我々が地球支配をしやすくなるだろう」

という感じで、容易に、地球上に混乱を起こす事になる。

多様な人種のいる場所では、摩擦が起きやすいので、その欠点自体も、容易に彼等に逆用されたわけだ。

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イルミナティやレプティリアンというのは、言ってみれば、失敗した人々とも言ってよいだろう。

ある人から見れば、「失敗した人々をも受け入れてやってほしい」という願いもあるかもしれない。

しかし、「失敗した人々をも受け入れ」た後は、私達には何の課題があるだろう?

その「失敗した人々をも受け入れ」て、彼等の流儀や彼等の影響を受けるだけで良いのだろうか?

そうなると、つまり、失敗した人々を受け入れた側の人間達も、いわゆる失敗した人間となってしまう。

だから、もし「失敗した人々をも受け入れてやってほしい」という願いを持った人がいるのならば、受け入れた側の人間達に対して、「失敗した人々を更生してやって欲しい」という願いが潜んでいることがわかる。

そうしなければ、受け入れた側の人々も、なすがままに、失敗した人々となってしまうからだ。

だから、どこでもそうだろうけれど、「失敗した人々を受け入れる」という環境があるのならば、さらなる目的として、「その失敗した人々を更生する必要がある」という目的を持たないといけないことになる。

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ところが、現実には何が起こったのかというと、地球全体に、イルミナティやレプティリアンの流儀が広げられ、彼等の思想に汚染された人々が多く現れた。

「彼等の思想」というのは、競争、比較、支配、隷属、自慢、怒り等々、、、

だから、地球の造物主というのは、かなり、イルミナティやレプティリアンを見くびって、地球に受け入れたと思われる。

現実には、イルミナティやレプティリアンは、恐怖や脅しや暴力等を、ためらいも無く使用して、「地球人類を支配してやろう」という輩(やから)達だったのだから、この記事の読者の方でも、「今現在、イルミナティやレプティリアンを私達の社会に受け入れるべきか、どうか」という議題が発生したら、相当に、激しい議論が巻き起こるかもしれない。

「イルミナティやレプティリアンに対する側として、既存の地球人類は彼等を更生する力量があるに違いない」という、地球造物主の側の、地球人類に対する、あまりにも過大な期待がかけられていたと私個人は思う。

この、過大な期待を頼りにして、「31万2000年前から、今に至るまで、秘密の更生事業が行われていた」ということになるのだけど、私から見たら、非常に甘い見込みによって、彼等に対する秘密の更生事業が実行されていたと感じる。

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結局、ほぼ出来なかったのだから、これだけでも、かなり大きな失敗だと思う。

私達は、今では「外部の視点」によって、この一連の騒動を見ることが出来る。

「外部の視点」というのは、以下のようなものになるだろう。

31万2000年前にレプティリアンが地球に到来したというのならば、例えば、読者である、あなたが当時に、宇宙人であって、宇宙船に乗り込んで、その一部始終を見ていたとするのならば、「地球の造物主よ。あなたは、レプティリアンを地球に居れない方が良いでしょう」と、かなりの心配混じりの声で、地球の造物主に進言していたかもしれない。

これが私が上述している「外部の視点」である。

また、次のような「外部の視点」も考えられるだろう。

上の例で使った、宇宙船の中で一部始終を見ている宇宙人のあなたは、次のように、地球の造物主に進言するかもしれない。

  「地球の造物主よ。レプティリアンが地球に入り込んで、彼等なりの流儀を地球にばらまいていっています。いますぐ、レプティリアンを地球の外に追いやった方が良いでしょう」

等々。

しかし、私達に想定できる、その進言に対する地球の造物主の返答としては、

  「いや、既存の地球人類ならば、きっと、レプティリアンの誤りに気付いて、彼等を更生するだけの一大事業を成し遂げてくれるでしょう」

等々。

しかし、上記に紹介した本のように、31万2000年間の長きにわたって、レプティリアンの流儀を地球にばらまかれ、彼等の流儀こそが、私達の社会の常識だ、となったにいたっては、やはり、地球造物主の非常に甘い見通しによって、地球の歴史が編まれてきた、と感じるのは、私一人だけであろうか。

人によっては、「31万2000年間」という時間を短く感じる人もいる。
あるいは、長く感じる人もいる。
だから、一概には時間の長短のことを言えないものの、私にとっては、その期間というのは、長すぎる時間に感じる。

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色々な文献を読んでみると、この長きに渡ったレプティリアン流儀の競争・比較・支配・恐怖等々のネガティブな要素を持った、この文明は変化すると言われている。

巨大ピラミッド・システムとか、テストの点数付けとか、社会の中に多数存在している位階制度とかが、彼等の文明の遺産であると言われているが、「これらが変化する」とあるのならば、これまた、それが一種の失敗を認めることになると言えるだろう。

なぜならば、私達の社会に現存している、巨大ピラミッド・システムとか、位階制度とか、金銭などのよる身分の差別制等々が、「神の目から見ても、本当に素晴らしいものである」と、全ての存在が認めていれば、それらの数多くのシステムは温存される筈だから。

素晴らしい社会制度とか素晴らしい社会システムがあれば、それ自体が素晴らしいので、「いつまで経っても、残して置こう」とか、「いつまでも保存・温存しておこう」となるのだけど、そうではないとあるのならば、「それは素晴らしいものでは無かった」ということを証明しているからのだから。

だから、この点を考えても、「レプティリアンの様々なシステムから、新規のシステムへの変更がなされる」とあるのならば、「今まで、私達は数多くのレプティリアンの流儀を使用してきた」ということ自体が、「一つの失敗であった」と認めることになる。

当然ながら、「地球の造物主が自分の失敗を認めた」ということになる。

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また、私達に考えられることには、イルミナティやレプティリアンの私達の社会への受け入れ作業というのは、私達が悪というものを覚えるために、導入された、という一つの予想も得られるだろう。

しかし、今現在、私のこの記事を読む人ならば、「このような形で悪というものを覚えることは拒否する」と言う人も多いのではないだろうか。

もっと他の形で、イルミナティやレプティリアンの所業を学ぶことも出来たと思われる。

しかし、そうではなく、彼等の社会制度や社会システムが「当然の社会常識」となった上では、それらの社会制度や社会システムに入り込んでいる人々としては、「それが正しいか、それともそうでないか」ということを考えられなくなる。

だから、その地球社会での人々からしてみれば、「私達は、イルミナティやレプティリアンの所業を学んでいるのではなく、社会の善を学んで、それを実行しているだけです」という、本末転倒の状態も発生してくる。
だから、私達としては、イルミナティやレプティリアンの所業を見て、何らかの判断を出すどころでは無く、それどころか、社会の善を実行していることになるのだから、「悪行というものが、どんなものかを学ぶ」という目的すらも達成するのが難しく、それとは別に、この場合だと「イルミナティやレプティリアンの所業そのものが素晴らしいことだ」という実感すらも、私達は抱いてしまうことも多々発生してしまう。

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また、このような状況だと、「イルミナティやレプティリアンと遭遇することが、地球人にとっては必要と思われるから、遭遇させた」と、地球の造物主の側が、そのような老婆心のような心持ちで、私達に遭遇させたことになる。

これについては、現在の人々ならば、「私は、そのような経験を必要とは思いません」と言い出す人が出てくると思われる。

だから、地球の造物主の側が、「これそれの経験や出来事が、地球人には必要だから与えよう」という意志とは違いが発生してくることがわかる。
なんとならば、そのような経験や出来事を、その人が心底から欲しないにも関わらずに、与えられるというのだから。

地球造物主の側が「地上の人間には、これそれのことが必要だから与えよう」と考えても、地上の人間にしてみれば、「そのようなことは必要ありませんから、与えないで下さい」というケースと願うことだって、多々出てくると思われる。

このようなこともあるので、これだと、地球造物主側の失敗と言えるだろう。

この場合、何でもかんでもむやみに与えてもらったら、困るのは人間の側だということになる。

このような失敗なども考えられるので、はっきりと自分の意思を表明していた方が良いと思われる。

人によっては、「私はイルミナティやレプティリアンには遭遇したくないし、それに影響された人々とも付き合いたくない」というものだろう。

このような地球造物主側の失敗も考えられるので、自分の意思は、ハッキリと表明していた方が良いと思う。

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要は、人は、あまりの困難を感じるだろう。

だから、ある人ならば、私が上に書いたことや、私の過去記事の様々な、イルミナティやレプティリアンの所業を見て、

  「私は、今後、地球に居住することを拒否します」

という人が、多数現れても、何らの不思議ではない、と私には思われる。

なんとならば、もし仮に、イルミナティやレプティリアン主導の、この世界が変化したとしても、私が上に書いた事の顛末や、成り行きや原因を見て、今後の地球の方向性も信じられなくなる人も多数出てくると思われるからである。

たとえ「この手の失敗をこれ以上繰り返さない」と地球造物主が、今現在に言ってきたとしても、私が上に書いたことから、じっくりと考えても、「地球造物主よ。すいませんが、あなたを信頼することが難しい状況です」と発言する人が多くいても、不思議ではないと私は考える。

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もっとも、どんな人にも自由は許されているから、「私は、ぜひとも、地球と一蓮托生の関係でありたい」と願って、心中までもしたいような人が世にはいても良いのだから、私はそのような人を咎めない。

人間には秘されたことがあって、それを持って、イルミナティやレプティリアンを受け入れていたとあれば、まだ話は理解できる人もいるかもしれない。

だが、ここでは、人間だけでは無く、動物・植物、あるいは、鉱物までも考えられる人がいるならば、それらの世界の住人達のことまでも考えた方が良いだろう。

わかりやすく考えるのならば、動物の世界と、その住人達である。
イルミナティやレプティリアンの影響を受けた人々が多数出現した結果、それらの多くの人々が、動物や植物に与えた、莫大な影響も少しは考えてみた方が良いと思う。

一般には(イルミナティやレプティリアンに調教された結果)、人間は人間のことしか考えない自己中心的な存在でもあるのだから、人間は、動物・植物の事までも考えることが少ない。
だから、この機会に、ついでながら、世の多くの人間達が動物・植物に、「どのような影響を、どれ程多量に与えたか」という点について、それらを自分で調査してみたら良いと思う。

人間だけなら、まだしも、動物や植物(あるいは鉱物までも)にまで与えた影響を考えて、イルミナティやレプティリアンの地球受入れが、成功した事例か、失敗事例かを、考え直すのも、一つの良い機会だと思う。

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以前書いた事があるのだけど、イルミナティやレプティリアンの所業を見て、多くの人が自然に感じるのは次のことだろう。

  「イルミナティやレプティリアンに似たような人が、どこかの更生施設や精神病院等に入所して、長期治療等を受けているシーンをテレビや新聞等で見かけたことがあります。しかし、当のイルミナティやレプティリアンのような人々は、どうして、そのような処遇を受けていないのでしょうか?」

という疑問が湧くと思う。

というのも、私達が見聞きする、この地上社会だと、そのような人々が、どこかの更生施設で長期治療を受けているシーンが報道されており、それ以外のケースがあるかもしれないけれど、それには、あまりお目にかからないからだ。

どうして、彼等が、そのような更生施設にいないかというと、彼等の作るお金などを使って、彼等は、お金と権力の城を作り上げ、法の手をも伸びないようにしているから、「彼等は更生施設にいないのだ」とわかるだろう。

(もっとも、「法の手」と言っても、それらの法も、イルミナティやレプティリアンの都合の良いように作成されていたのだから、少なくとも、私達の居住している地上社会での「社会制度や社会システムは信用できない」ということになるので、誰もが「地球には居住したくない」と願うのではないだろうか、と考えるのは、はたして私一人だけだろうか?)

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上記のような事を感じるのは、私一人だけではないと思う。

なんとならば、地球上の多くの社会で、自殺者が多いことが知られている。
この、多くの自殺者の人々というのは、結局、言い換えてみると「私は、この地球上に存在したくないのだ」と、地球の造物主に向かって、強烈に叫んでいることと同じことだ。

つまり、自殺者というのは、通常、今まで地球で実行されてきたことに強く反対し、かつ、地球に対する信頼をも全く失っていることがわかる。

だから、事のいきさつを考慮しても、「地球は信頼できない」と公表する人々も多数出現し始めても良いのではないかと、私は思う。

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もっとも、私としても、他の人々としてもそうだろうけれど、地球が常日頃与えてくれている酸素とか日光とか、適当な気温とか、足を踏みしめる大地があるけれど、それらに対しても「感謝しない」と言っているわけではない。

上に挙げた以上の、その他の地球上の多くの自然現象があるからこそ、私達は日々に生きているのだから。
「それらの基礎的な条件に対しては、感謝するけれど、地球が今まで実行してきた、イルミナティやレプティリアンの受け入れ自体には、感謝することは出来ない」という人々も多いかと思う。

もし、「イルミナティやレプティリアンの受け入れ」を実行する必要があったというのならば、「地球は完全に、一個の巨大病院として使用する」という明確な目標が無ければならなかったと思われる。

地球の造物主ぐらいならば、イルミナティやレプティリアンの更生も容易だったのかもしれないけれど、彼(あるいは彼女)がそれを引き受けたのではなく、現実には、地球上の人類が、イルミナティやレプティリアンの更生をしなければならなかった、という点においては、かなり異論を口に出す人も多いかと予想してしまう。

(そして、現実には、そのような異論が受け入れられなかったことがわかる。)

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だから、今までの流れから総合的に書くと、もっと世には、「私は、これ以上、地球に居住したくありません」と願う人々が多数いても不思議ではないと思う。

しかし、パッと世を見渡しても、上の願いを世に語ったり、あるいは、御自身のブログ上とか、ネット上のコミュニティ・サイト上の日記等に、それらの願いを書き込む人が少ないように見える。

あるいは、それらの願いを書き込まれたHPが、検索できないようにされているのかもしれないけれど。

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私は、このようなことを書いているのだけど、そりゃあ、どんな人でも自由は許されているから、「私はイルミナティの人々やレプティリアンと、ぜひ、お付き合いしたのです」と願う人も、いても良いわけです。

ただ、、、そのような願いを持つ、その人自身が、かなり周囲の人々から、お付き合いを断られる方向に歩んでいくかとは予想出来ます。


                                       坂本 誠

2018年7月 1日 (日)

三千二百七十: 教育について_No.3

こんばんわ。

三千二百六十六:ある性格の人々を見て(独白)』と『三千二百六十五:教育について_No.2』を足し合わせたような記事です。

『三千二百六十六:ある性格の人々を見て(独白)』で、次のように書きました。
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>その人々の特徴とは「新しいことを学びたくない」という願いを持っていることである。
>その人々に、「あなたは、なぜ、新しいことを学んだり、知識を吸収しようとしていないのですか?」と聞いてみると、意外な答えが返ってくる。

>その答えとは、

>  「自分の方が年長者なので、新しいことを若い人に教えてもらうのが、恥ずかしいし、私のプライドが傷つけられるからだ」

>という返答等が返ってくる。
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このような方は、新しいことを学ぶのが嫌なので、次第に、頭を働かさなくなるので、認知症を手助けしているように感じます。

ここから、さらに疑問が進みました。

その疑問とは、

  「彼(あるいは彼女)は『年長者の方が偉いので、若い人に教えてもらうのが恥ずかしい』と信じ込んでいる。つまり、ある種のプライドが出来上がっているのだけど、このプライドは、どのように形成されたのだろうか?

という疑問です。

この種のプライドが、どのように彼の内部で形成されていったのかを、考えてみると、それは、やはり、社会全体に及んでいる教育システムとか、慣習が、彼をして、そのような性格作りを行っていったと私は見ています。

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私達の教育システムを振り返ってみましょう。

幼い頃から、学業的な知識を無理矢理、詰め込まれ、そして、彼等は徹底的にテストされています。
そのテストによって、彼等は(つまり、私達も)、競争と比較の世界に閉じ込められています。

そのスタイルや雰囲気を感じるに、学校側が「幼い人々に何らかの知識を与えよう」という、心の姿勢よりも、学校側が学問的な知識を使いつつ、多くの生徒達に「お前達に競争精神を植え付けてあげよう」という、心の姿勢を、私達は感じることでしょう。

つまり、私が感じるところ、現代の教育システムだと、「何らかのジャンルの知識吸収の面白さを伝えてあげよう」ということは無く、もっぱら競争重視のため、多くの生徒達は(他ならぬ私達そのものが)、「何らかの新しいジャンルを学ぶことは苦痛だ」という意識が、多くの人々の心の中に形成されていると思います。

つまり、多くの人々がテスト多用や競争原理のマイナスの効果によって、「本来、私は勉強が嫌いなのだ」と感じる人が多いと思います。

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人々の心の内部に、「私は勉強が嫌いだ」という苦痛の精神が形成されているとあるならば、どうして、その人が、学ぶことに楽しさや有意義さを感じることが出来るでしょうか?(いや、出来ないだろう)

ましてや、激しい競争の結果、さらに「自分より、年齢の下の人に教えてもらいたくない」という心も形成されることでしょう。

なぜならば、多くの学校では、学年の上のものが学年の下の人に知識伝達等を行う場合もあるからです。

ですから、これだと、「年齢の上の人の方が、年齢の下の人の方よりも、常に優秀であったり、あるいは、常に教え導いたり、あるいは、何らかのことで、常に年齢の上の人の方が有利であるに違いない」という、誤った観念が、彼(あるいは彼女)の内部に、固く形成されるであろうからです。

これだと、彼は勉強嫌いにもなった上に、かつ、年下の人にも教えてもらうのが恥ずかしくて苦しいから、彼がさらに年齢を重ねると、さらに、彼は苦しくなることでしょう。

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つまり、これだけの苦痛を形成した原因を見ると、私が上に書いたように、現在の私達の教育精神とか、社会概念などに、強力に刷り込まれている「競争」と「比較」の精神でしょう。

実際には「何らかの新しいジャンルの知識を吸収する」ということは、誰にとっても、楽しいことなのです。
喜びです。

「何らかの新しいジャンルの知識を吸収する」というのは、私がそのような表現をしたいから、そう書いたのですが、一般にわかりやすく書くと、「新しい知識を学ぶ」ということです。
私自身は、「学ぶ」とか「学問をする」という表現自体も、非常に堅苦しいものを感じますので、「甘い空気を吸うが如くに、自然に、新しい知識を吸収する」という表現を好むので、「何らかの新しいジャンルの知識を吸収する」という表現をしています。

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本来、何かを学ぶのが面白くてしょうがない筈の人間なのに、「なぜ、学ぶのが嫌になったのか」を考察すると、幼い頃からの大量のテストによって、比較され続け、競争精神を心の底に植え付けられた結果、人が学ぶことが嫌いになったと思います。

つまり、私がこの記事の主旨を、見つめ続けてみると、私達の社会に根ざしている「競争」と「比較」の精神に問題があると言えるわけです。

この記事で挙げた問題の原因を、私なりに書いたわけですので、この問題の解決を行う方向とは、つまりは、私達の社会に根ざしている「競争」と「比較」の精神を、私達が捨て去って、私達は新たに「協調」や「協力」の精神を養うことが、問題解決の回答の一つとなると思います。

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報道を見ても、彼等が以下のような熱弁等をふるっている光景を、私達はしばしば見かけることでしょう。

  「競争が大事だ。何よりも、我々は競争を愛すべきだ」

と。

ちょっとばかり、例を挙げてみると、小学校ぐらいの同年齢の生徒達で、同一のテストを受けさせており、そのテストの結果を、世界各国に伝えています。
そして、その年齢の生徒達で、「どこの国が一番か」とか「どこそこの国が最下位だ」と、報じています。

そして、その成績結果を世界中の人に見せて、

  「さあ、我々は、あの国の学力レベルに負けてはならない。だから、我々は一生懸命勉強するんだ」

と、まるで、高い壇上から拡声器を使って、多くの人々に伝えている光景を、私達は見かけたことも多いことでしょう。

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そして、私達は、次なる疑問を抱くでしょう。

  「なぜ、私達は競争しないといけないんだ?」

と。

そして、世を詳細に見つめ続けていると、資本主義原理が多くの国に導入されており、その資本主義原理が競争原理そのものだからこそ、私達に競争精神が幼い頃から、強要されていることに気付くでしょう。

ですから、彼等としては、

  「ほら。私達は競争原理の経済原理を導入しているから、私達は競争しないといけない。もし、その競争に負けると、お前達も知っていると思うが、競争に負けて、倒産した会社の元社員のように、みすぼらしい雰囲気をまといつつ、困窮の生活と共に苦しまなければならないからだ。お前達が、その苦しみの生活を味わいたくなければ、お前達は我々の言うように競争し続けるんだ」

と言っていることに気が付くでしょう。

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そして、その競争の結果を、多くの人々にわかりやすくするためには、数値の多用が必要となってきます。
ですから、私達が幼い頃より受け続けたテストも数値だらけだし、私達の日常生活の中で、必要物資を手に入れる際にも、お金の使用ばかりを推奨されています。

この「お金」というものが、少なくとも、日本社会の大勢の人々に強要された件については、私がよく引用している以下の文献を、どうか、再読してください。

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『三千十一:現代と中世の商業事情を考えて』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2016/11/post-05f9.html
司馬遼太郎『街道を行く 9 信州佐久平みち、潟のみちほか』(朝日文芸文庫)より文章と写真を引用
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つまりは、為政者の人々が、「あなた達は、日常生活の中で、必要物資を手に入れる際には、お金というツールを使用しなさい」と、強要してくるわけです。

これにより、お金というツールが、やがては「人間社会の間で必要不可欠なツールだ」と、多くの人々が思い込み始めると、お金というツールが、そのコミュニティの間では、絶対権力を持つようになってきます。

その結果、私達の人間社会でも、よく見受けられるような、「お金が無ければ、人は生きていけないのだ」という考えが定着するようになります。

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今でも、多くの人々は、お金を愛する人が多いかもしれませんが、その「お金を愛する」という、お金への愛の心は、「お金が無ければ、人は死んでしまう」という、恐怖心から生じている、と、人は気付くでしょう。

早く言えば、「お金への愛」というのは、言い換えれば「お金が無ければ死ぬ」という恐怖心の裏返しなのです。

要するに、上の引用文献『三千十一:現代と中世の商業事情を考えて』に見られるように、為政者の人々が「あなた達はお金というツールを使用しなさい」と言いながら、私達にお金を与えたのですが、これによって、多くの人々を、お金によって、拘束することが出来る、ということがわかるでしょう。

いわば、彼等は過去から今日に至るまで、私達を恐怖によって、支配しているということになります。

彼等としては、

  「あなた達がお金を失うと、あなた達は、みすぼらしく苦しい生活を送り、あるいは死にますよ。そうなりたくなければ、歯を食いしばって、競争に励みなさい」

と、彼等は、そのようにしていることがわかります。

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また、そのようにお金が人間社会の中で絶対権力を持っていると、そのお金を大量に持っている、彼等としては、大いに威張ることが出来る、ということが、私達にわかるでしょう。

そして、その絶対権力である、そのツールを、彼等の方が大量に持っているのだから、彼等以外の多くの人々を、盲目的に召使いとして扱えることに気が付くでしょう。

だからこそ、彼等としては、

  「多くの人々よ。お前達は、もっともっと多くのお金を愛しなさい(なぜならば、お前達がお金を愛すれば愛する程、私達が、お前達を支配することが出来るのだからな)。」

と言っていることがわかるでしょう。

ですから、さながら、多くの人間とは、言ってしまえば、蟻地獄の中に吸い込まれていく、多くのアリ達のことであり、蟻地獄の中心で、待ち構えているのは、彼等だ、とも表現できるでしょう。

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つまり、私達の生活の隅々に至るまで、上記のように、多くの人々を恐怖心で煽ることによって、この世界が成り立っていることがわかります。

ここから、私達の社会の隅々に至るまで、極端な数に至るまでの競争が起こされているので、「私達の社会は競争づくめになっている」と、私達は理解することが出来ます。

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ですから、この記事の冒頭で挙げた問題点であるところの、現在の私達の教育精神とか、社会概念などに、強力に刷り込まれている「競争」と「比較」の精神から解放されるには、「競争」と「比較」の精神を放棄して、「協力」や「協調」の精神の追求、ということになるでしょう。

こうすることにより、私達の心の内部に形成された見栄(みえ)とかプライドも消えるでしょう。

また「何歳になっても、何らかの新しいジャンルの知識を吸収する」ということが、喜び、この上ない、私達の幸せの一つとして、私達の心中に蘇ってくるかと思います。


(以下、過去記事、関連記事、及び、参考文献)
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『三千二百六十六:ある性格の人々を見て(独白)』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2018/06/post-c3d9.html

『三千二百六十五:教育について_No.2』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2018/06/_no2-117e.html

『三千二百六十一:教育について』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2018/06/post-8bea.html


                                       坂本 誠

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