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2018年6月21日 (木)

三千二百六十六: ある性格の人々を見て(独白)

この記事は、私の普通の書き方である「です・ます」調では無く、独白調で書いています。
このようなスタイルで書く時もあります。

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生活していると、ある特定の人々を見かけてしまう。

その人々の特徴とは「新しいことを学びたくない」という願いを持っていることである。
その人々に、「あなたは、なぜ、新しいことを学んだり、知識を吸収しようとしていないのですか?」と聞いてみると、意外な答えが返ってくる。

その答えとは、

  「自分の方が年長者なので、新しいことを若い人に教えてもらうのが、恥ずかしいし、私のプライドが傷つけられるからだ」

という返答等が返ってくる。

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確かに、年齢が重なるにしたがって、記憶力の低迷等は起こってくるので、世の新しいことを吸収するのは、年長者の方が難しくなってくる。

しかし、ここで重要なのは、「自分の方が年長者なので、若い人に教えてもらうのが苦痛で恥ずかしいから、新しいことを吸収したくない」という心構えだろう。

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この手のタイプの人は、若い頃は、それでも良いのかもしれないけれど、老年になると、危なくなってくるのが、老年認知症である。

なぜならば、人は新しい知識を吸収しようとする時、頭を使うから、それによって頭が活性化されるが、私が話題に挙げている人は、新しい知識を吸収しようとしていないから、頭を日々に使っていないので、頭が鈍っていく。
だから、日々に、新しい知識を吸収しようとしていない人というのは、やがて、老年認知症になる確率が高い。

もっとも、全てが全て、老年認知症の原因を私が書いていることから発生しているとは限らない。
様々な原因から、老年認知症が発生する場合もあるだろう。

しかし、老年になって、「頭を使いたくない」とか「新しい知識を吸収したくない」という人は、頭脳を使わないのだから、自然の理(ことわり)によって、認知症になる確率は非常に高いと思われる。

人が必要としない器官は衰えていくのだから。

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認知症の原因の全てがそうだとは言えないと思われるけど、このタイプの人は、心の奥底では、「自分は認知症になりたい」という願いが潜んでいることがわかる。

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大抵の、この方々が言うには、「自分は認知症になりたくない」と涙声で周囲の人に語る時もあるけれど、私が上に書いた理由によって、「自分は認知症になりたい」という願いが潜んでいることがわかる。

なぜならば、「新しい知識等を吸収したくない」という願いがあるのならば、自然と頭が衰えていくのだから、自明の理によって、認知症が、その人に訪れてしまうことになる。

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だから、この手のタイプの人に、もっとも、必要とされるのは、人格の改造と言えるだろう。

最近では、認知症に対する薬剤なども販売されているようだけど、私が考えるところによると、そのような薬剤よりも、その手の人に必要とされるのは、人格の改造だと感じてしまう。

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そして、私が上に書いたように、「自分の方が年長者なので、新しいことを若い人に教えてもらうのが、恥ずかしいし、私のプライドが傷つけられる」という、この手の見栄(みえ)とか、プライドが邪魔をして、新しい知識等を吸収しないのだから、まずもって、彼等が必要とするのは、「見栄とかプライドを捨てる」という、人格の改造が求められていると思う。

要するに、この手のタイプの人の、今までの生きる上での信条というのは、見栄とかプライドを中心に生活してきたのだから、

  「私は、他人から見て、どのように、素晴らしい人に見えるか?」

ということを、メインの信条として生活してきたことがわかる。

要するに、周囲の人の意見に振り回されやすい人であり、その人の行動指針等は、ほとんど、その人の周囲の人が作成してきたケースが多い。

つまり、この手にタイプの人というのは、「周囲の人々からの評価」というのが、非常に重要な生活上の判断基準となっている。

わかりやすく書いてしまえば、この手にタイプの人というのは、周囲の人々の目が気になったり、周囲の人々の意見が気になったり、周囲の人々の褒め言葉や叱り言葉ばかりが気になって、しょうがない、という傾向を持っている。

もっと具体的な例を挙げてみると、「年収は幾らか」とか「ルックスは良いか」とか「その人の住む家は御殿のように見栄えが良いか」とか「その人の受けるテストの点数は高いか」とか「その人は、どこそこ有名大学出身か」とか「その人は、今年売り出されたばかりの、カッコいい、自動車を乗り回しているか」とか「その人の普段着は、最新ファッションのもので、かつ、ブランドものか」とか、、、他にもこの手の例を挙げていくと、いつまでたっても、私はこの記事を書き終わらないだろう。

要するに、この手のタイプの人の幸福とか不幸とは「他人からの評価が全て」となっている。

要するに、その人の幸福の基準というのは、彼(あるいは彼女)の内側に存在しているのではなく、彼の外の世界ばかりに、その、幸福基準がセットされているので、とかく、彼の幸不幸というのは、周囲の人の評価ばかりが、彼の幸不幸を作成していることに気が付く。

つまり、彼(あるいは彼女)の周囲の人々の語る言葉とか、あるいは、褒め言葉とか叱り言葉ばかりが、彼の幸不幸を作り上げる。

この、私の記事を、ここまで読んだ人ならば、上のような人を見て、

  「これは、もろい人だ」

と感じるかもしれない。

なぜならば、このような人の幸不幸とは、その人の周囲の人の語る言葉の内容によって、容易に、幸不幸が切り替わるからである。

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だから、この手のタイプの人に必要とされているのは、「自分の方が年長者なので、新しいことを若い人に教えてもらうのが、恥ずかしいし、私のプライドが傷つけられるから、新しい知識を吸収することは嫌だ」という、この手の見栄(みえ)とか、プライドを捨て去ることだろう。

というのも、この記事を読む人ならば、次に気が付くだろうけれど、この手のタイプの人の心の中には、

  「年長者の方が素晴らしい人間なのだ」

という、思考があることに気が付くだろう。

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つまり、彼(あるいは彼女)の内部には、「年長者の方が素晴らしい人間であり、年下の人間の方が劣るのだ」という差別意識があるのに気が付くだろう。

だから、この手のタイプの人に必要とされるであろう、人格改造には、「このような差別意識を無くした方が良いだろう」というものだろう。

というのも落ち着いて考えてみるとわかるのだけど、「人は年長者の方が素晴らしい存在だ」とは限らないからである。

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別に、人格改造の話だから、したくない人はしないでも良いのだけど、この手のタイプの人は、上に書いたように、「自分自身が認知症になりたいので、認知症になっていく」という、パターンになっていくだろう。

別に、そうなっても、「自分の本心が、そのようなものである」というのだから、単純に、「自分の願いが実現されている」ということになり、周囲の人が、なんやかんやを、とやかく言わないでも良いことになる。

だから、この手のタイプの人が、自分に人格改造が必要と思えば、すればいいし、したくなければしないでも良いことになる。

しかし、ここで書いたように、「自分の人生は自分が作っている」とか「自分の願いが実現されて(自己実現)、自分の人生が作られている」とは言えるだろう。

だから、この手のタイプの人が、「こんな運命は、自分は望んではいなかった」と言っても、このようになるのだから、自分の内部を詳細に見つめることによって、その運命到来の道筋や道程を、知ることは大事だと思う。


                                       坂本 誠

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