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2018年6月 4日 (月)

三千二百六十: 読書感想文、『読書について』を読んで

こんばんわ。

今回は、読書感想文を書いてみたいと思います。

読書した本とは、以下のものです。

  『読書について 他二篇』 ショウペンハウエル著、斎藤忍随 訳、岩波文庫

です。
掲載した写真も、上記の本の表紙です。

P6040176

 

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読書感想文に『読書について』という題材の本を持って来ました。

私自身が『読書について』という本についての読書感想文を書くわけですが、それに先立って、その題材自身が、ショウペンハウエル(1788-1860)という人が、読書一般について考えたことや感じたことを書き記した書物、というわけです。

ロシアの伝統工芸品の人形に「マトリョーシカ」というものがあります。
これは、人形の中に、それとそっくりな小型の人形が幾つか入っているものです。
当然ながら、その人形の中に進むにつれて、一番大きな人形のミニチュア・サイズのものが徐々に小さくなって、格納されています。

この記事は、なんとなく、その「マトリョーシカ」に似ていますね。

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まず、そのショウペンハウエルという人が、同書で語った内容を抜書きしたいと思います。
私の気になった部分には、アンダーラインを引いています。

あるページを開くと、

読書とは他人にものを考えてもらうことである。
本を読む我々は、他人の考えた過程を反復的にたどるにすぎない。
習字の練習をする生徒が、先生の鉛筆書きの線をペンでたどるようなものである。
だから読書の際には、ものを考える苦労はほとんどない。
自分で思索する仕事をやめて読書に移る時、ほっとした気持になるのも、そのためである。
だが読書にいそしむかぎり、実は我々の頭は他人の思想の運動場にすぎない。
、、、(中略)、、、
ほとんどまる一日を多読に費やす勤勉な人間はしだいに自分でものを考える力を失って行く。

また、あるページを開いてみると、

「読書は思索の代用品にすぎない。
読書は他人に思索誘導の務めをゆだねる。」

とあります。

何も私が解説することは無いと思うのですが、要するに多読をする人は、結局、自分の頭で考えていないのだから、「自分でものを考える力を失って行く」と、彼は述べています。

現代に住む私達でも、彼の言葉を聞いて、どこか「ハッ」となりはしないでしょうか。

彼の時代を超えること、約150年以上の月日が流れています。
彼の時代の主要な情報源とは、ほぼ、読書だけだったでしょう。
しかし、現代社会では、様々なメディアが溢れています。
流されている情報量などは、彼の時代と比べて、比較にならない程の巨大な量となっているでしょう。

しかし、彼の言葉を聞くと、私達は現代の情報社会から一歩踏み出て、瞑想の森か瞑想の館に入り、自らの中核(コア)に向かって、静かな旅をしているような気がしてこないでしょうか。

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しかし、現代の私達としては、過去の彼に、自然と次のような疑問を投げかけているかもしれません。

  「ショウペンハウエルさん。あなたは『多読を慎むべし』と言われています。しかし、その、あなた自身が『読書について』という本を出し、その本の中で、『多読を慎むべし』と書いています。つまり、あなたが『多読を慎むべし』と主張されるのならば、当然、私達が、あなたの著した『読書について』という本を読む機会が失われやすいことになります。すると、当然ながら、あなたの主張している『多読を慎むべし』の思想を、他人に伝えにくくなるのではないでしょうか? そうであるのならば、あなたのやっていることと語っていることは、どこか矛盾してこないでしょうか?」

という疑問です。

しかし、上記のような、私達の疑問でさえも、本書には、その疑問に対する解答と思えるような、次のような文章も埋め込まれています。

「そこで読書はただ自分の思想の湧出がとだえた時にのみ試みるべき」

と。

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この、ショウペンハウエルという人は、世間ではドイツ哲学者として分類されているようです。
しかも、一般には、彼は厭世(えんせい)哲学者と言われています(厭世とは『世を嫌う』という意味)。

しかし、彼自身は、一言も自分のことを厭世哲学者とは言っていません。
また、上に御紹介した引用文のように、彼の他の著を読んでもわかるのですが、彼の文体からは、非常に強力なものを感じます。
ですから、強力な人格を感じます。

また、上記に紹介した引用文だけでなく、箴言、寸言、比較文、修飾の言い回し、彼の書の至る所に現れる豊富多彩な引用文を、読者の方々は様々に感じることが出来るでしょう。

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現代の情報社会とは、私達にとっては、一種の洪水状態とも言えます。

私が上に書いたように、彼の筆から流れ出た、幾つかの文を紐解くことは、瞑想の館に入るようなものです。
その瞑想の館にこもり、自らの中核(コア)を訪ね、その中核(コア)から、現代社会を再び眺めやると、180度の違った視点から、私達の社会を眺めることが出来るかもしれません。

また、現代とは、そのようなことが求められている時代なのかもしれません。


(以下、読書に関する過去記事、関連記事、及び、参考文献)
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『三千二百十三:読書感想文、『侏儒の言葉』を読んで
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2018/01/post-363a.html

下の写真は、Wikipediaからのものです。

Photo

(以下、芥川龍之介著『侏儒の言葉』より引用)
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   政治的天才

古来政治的天才とは民衆の意志を彼自身の意志とするもののように思われていた。
が、これは正反対であろう。
寧(むし)ろ政治的天才とは彼自身の意志を民衆の意志とするもののことを云うのである。
少くとも民衆の意志であるかのように信ぜしめるものを云うのである。
この故に政治的天才は俳優的天才を伴うらしい。
ナポレオンは「荘厳と滑稽との差は僅(わず)かに一歩である」と云った。
この言葉は帝王の言葉と云うよりも名優の言葉にふさわしそうである。

   又

民衆は大義を信ずるものである。
が、政治的天才は常に大義そのものには一文の銭をも抛(なげう)たないものである。
唯民衆を支配する為には大義の仮面を用いなければならぬ。
しかし一度用いたが最後、大義の仮面は永久に脱することを得ないものである。
もし又強いて脱そうとすれば、如何なる政治的天才も忽(たちま)ち非命に仆(たお)れる外はない。
つまり帝王も王冠の為におのずから支配を受けているのである。
この故に政治的天才の悲劇は必ず喜劇をも兼ねぬことはない。
たとえば昔仁和寺(にんなじ)の法師の鼎(かなえ)をかぶって舞ったと云う「つれづれ草」の喜劇をも兼ねぬことはない。
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(引用終わり)

『千四十六:読書感想文』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2014/04/post-88b1.html

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私の部屋の本棚にある、過去に買った本を眺めて、久しぶりにそれらを読んでみました。

夏目漱石の『夢十夜』と『硝子戸の中』でした。
以前、私は夏目漱石の『こころ』や、その他の作品も読んだものです。
しかし、私は夏目漱石の作品群の一つである『小品』と呼ばれる作品が好きでした。
小説だと、少し読むのに時間がかかるからです。

Photo_2

(▲上記写真は、Wikipediaより)
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『二千八百九十:竹取物語を読んで』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2016/04/post-bbdc.html

(以下、『竹取物語』(星新一 訳/角川文庫)より引用)
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「ある年ごろになると、男は女のかたと結婚し、女は男のかたと結婚する。これがよのならわしです。それによって、子も出来、一族が栄える事になります。私は生きているうちに、そのお世話をすませたい。どうでしょう、男のかたをお選びになりませんか」

すると、かぐや姫は表情も変えずに言った。
「そうしなければならないって、なぜですの。わかりませんわ」

あまりのことに、竹取りじいさん、口ごもった。
理由など考えたこともない。
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(引用終わり)

『三千四:『明日は、今日より強くなる』を読んで』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2016/10/post-abf4.html

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女流プロ雀士の姉妹、二階堂亜樹、二階堂瑠美氏の共著である、『明日は、今日より強くなる 女流プロ雀士 二階堂姉妹の流儀』(KADOKAWA)の本のタイトルです。
写真は、Amazonの広告からの引用です。

Photo_3


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                                       坂本 誠

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