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2018年6月 8日 (金)

三千二百六十一: 教育について

こんばんわ。

教育について思いついたことを書いてみます。

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■:義務教育について

「義務教育」というものが、全ての国民の幼少時代から、青少年時代にかけて、義務付けられています。
これなども、「強制教育」とも言い換えられると思います。

なぜならば、「義務」として課せられていると言うことは、当然ながら、その課題を、有無を言わさず、強制させることが出来るからです。
ある意味、スパルタ教育と言えるでしょう。

そして、この「義務教育とは、なぜ発生したのか?」と、人は不思議を感じるかもしれません。
なぜならば、「義務教育制度」というシステムは、江戸時代以前には、日本に存在していませんでした。
「寺子屋」と呼ばれる学問を教えてくれる場所があったので、勉強のしたい子供が自主的に、その「寺子屋」に行って、学ぶだけでした。
そして、さらに学問をしたい人は、日本の各地の「藩」が提供していた「藩校」と呼ばれる教育システムがあったので、そこに行って学んでいました。

ですから、「国内の全ての子供達に学を与えよう」という発想自体は、江戸時代以前の日本にはありませんでした。

この義務教育発祥の理由は、江戸時代から明治時代に変遷した、明治政府の意向であったことが知られています。

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そして、明治政府の意向が、現在に至る現行政府まで受け継がれています。

この、明治政府を設立した中心人物達の意向が、現在まで、色濃く日本に影響を与えています。

この、明治政府を設立した中心人物達というのは、その時の歴史を見ても、わかるように、江戸時代の鎖国制度を終わらせ、富国強兵策を打ち立て、この、富国強兵策を国の柱としたのです。

なぜ、富国強兵策が建てられたのかと言うと、当時のヨーロッパ諸国は、世界中に進出して、世界各地を植民地にしていきました。
そして、江戸時代の終わりごろになると、当時のヨーロッパ諸国のちからが、日本にも及んで来て、日本は、かなり圧力をかけられるようになります。

当時のイギリスと、長州藩(現在の山口県)が戦争をしたこともあります。
しかし、いずれも、日本の側は手痛い敗北を喫しています。
そして、日本の内側には、どんどん、西洋諸国の影響が現れ始めます。

最初、日本は「尊皇攘夷」と言って、「天皇を立てて、外国を打ち払おう」という思想がありました。
しかし、外国を打ち払うことは出来ず、逆に、西洋諸国の力強さに恐れを感じるようになります。

その結果、「日本は外国に侵略されたくない。日本も西洋諸国のように強大な軍事国家となって、日本を守ると共に、外国を制圧すれば、日本は守られるし、日本が諸外国を侵略して行けば、諸外国からも日本のための利益を上げられる筈だ」という思想になって行きます。

これが、江戸時代から明治時代にかけての、日本に現れた富国強兵策です。

この、富国強兵策というのは、つまりは、軍事国家の成立と、その発展を目指しています。
そのためには、一人でも、国民が豊富な知識を身に付けて、諸外国に負けないようにしないといけません。
現に、その倒されたくない西洋諸国の社会システムと見ると、「学校」と言って、多くの国民の子供達を強制的に学ばせています。
この社会システムを導入したのが、現在の日本の教育システムであることがわかります。

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富国強兵策というのは、これは日本の歴史だけではありません。
そして、この「富国強兵」という単語は、古代中国、戦国時代の中国の秦の時代に作られています。

当時の、中国大陸でも、近隣諸国と戦うために、国の全ての国民を導入してでも、「隣国に打ち勝つべし」という政治的な意見が出るようになりました。
その意向が、「富国強兵」という中国の故事成語を生みました。

中国の戦国時代の富国強兵策も、明治時代初期に国是として打ち出されていた富国強兵策と、ほぼ変わりがありません。

全国民のちからを使ってでも、隣国を倒そうとするのですから、国内の全国民に強制させる程の法律を作成して、それを実施させます。
この、中国の戦国時代は、約2000年前に終了していますが、世界史を見ても、この富国強兵策を国是とした、国は、そのほとんどが似た歩みをしています。

要するに、挙国を挙げてまで、隣国との戦争に打ち勝ちたいわけですから、そのためには、全国民を強制的に、富国強兵策に沿った政治内容を実施させないといけません。
そして、その結果、得をするのは、それらの富国強兵策を実行させた、ほんのわずかの為政者達が利益を上げます。

なぜならば、「富国強兵策を多くの国民に実行させた」ということは、その、富国強兵策に沿った政治内容を全国民が実行するので、そのパワーから生み出された、何らかの巨大な利益を、彼等が取得することが出来るからです。

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このような時代背景、国際背景、政治背景の下に、明治時代初期の国是が、ほんの一部の政治世界のトップの人々が決めていったわけですから、明治時代初期の政治の実効策というのは、非常に暗いものがあるとわかります。
現に、この明治時代初期の国是が、その後の、戦争国家の日本を進めて行ったからです。

ですから、これらのいきさつを知っていれば、現代にまでつらなっている、義務教育が一種の強制教育であるとも、人は、その理解を進めることが出来るでしょう。

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■:現代の教育精神について

次には、現代の教育精神について、感じたことを書いてみます。

上の『■:義務教育について』を読まれても、読者の方は感じたかもしれませんが、私は、教育システムの根本にも、良いものを感じません。

現在、いろんな学校でも、生徒達の発言として、テレビ等で報道されている言葉としては「私は、たくさん学んで、社会に貢献できる人に、将来、なるつもりです」という発言内容を、よく聞くでしょうか。

そして、それを教える教師側の発言としても、テレビ等で報道されている言葉としては「あなたたち(生徒達)は、一生懸命勉強して、多くの学を積みなさい。それが社会への貢献になるし、また、将来のあなたたち(生徒達)の役に立つから」という発言内容を、よく聞くでしょうか。

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私が感じているところのものを、素直に、あっさりと書かせてもらうのですが、ほとんど多くの学生達の勉学向上の動機とは、次のようなものではないでしょうか。

  「私が、現在、多くの学を積んでいる動機は、将来の私の生活において、多くの給与(お金)をもらうためです」

と。

というのも、私達の身の周りの状況を見ても、わかりやすいものがあります。

なぜならば、「より高い学校を卒業した」という証があれば、その人は、優先的に、多くの給与がもらえるように、社会的にセットされているからです。
「より高い学校を卒業した」という人であれば、成人社会に出てからの、いわゆる産業社会中の、多くの会社が、「より高給をその人に与えるように」と、社会的にセットされているからです。

ですから、この逆の状況を、社会の方が認定するような状況であるならば、その人には、社会に出てからの給与が、より低くセットされているので、これだと、世のほとんど全ての生徒が、「私は、私の将来の生活において、より多くのお金を得るために、現在、多くの学を積もうとしているところです」のような動機になっても、仕方ないものがあると思います。

「世のお金というものを、少額しか所有していない人」というのは、世の多くの人々の思い込みから考えてみれば、その人は「みすぼらしい雰囲気をまといながら、苦しい思いをして、死んでゆく」という認識がなされているからです。

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また、教える側の教師の方にしても、そのような事情があるでしょう。

例えば、Aという教師がいて、その他のB教師やC教師よりも、そのA教師の教え子たちのより多くが、進学校とか有名学校に進学した、とあるならば、その教師の昇進の査定道具の一つとなるでしょう。

もとより、現在の学校の、そのほとんどの教師が、現代の教育システムの下で、学を積んでいたのだから、それらの教師達も、幼少時代からの勉強の動機としては、「私が、現在、多くの学を積んでいる動機は、将来の私の生活において、多くの給与(お金)をもらうためです」というのが、ほとんどではなかったでしょうか。

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要は、現代の教育理念というものも、お金絡みであることが多いだろう、というものです。

教育に関して、多くの美辞麗句があります。
例えば、「青雲の志」とか「蛍の光、窓の雪」とかでしょうか。

しかし、私の感じる、現代の教育理念だと、それらの美辞麗句の下にも、お金に対する欲望が潜んでいるわけですから、それらの美辞麗句に対しても、いわば、「破れてボロボロになった、錦(にしき)の旗(はた)」というものを感じるでしょうか。

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というのも、次のようなケースを考えてみましょう。
「今現代で、将来の自分の取得できるであろう、給与の額を全く考えずに、今、目の前に広がっている勉強内容を、本当に真剣に学ぶことが出来るだろうか?」という、この問いを、自らに与えてみると、話はわかりやすくなってくるでしょう。

逆に、もし、現代の学校の中で、本当に、全く将来の自分の給与のことを考えずに、ひたすら、勉学を懸命に積んでいる生徒がいるとしたら、それこそ、かなり注目に値するでしょう。

しかし、そのような人が、全く正真正銘に、心の奥底から「将来の自分の給与の額を全く考慮していない」という状態であることが、誠心誠意、事実であることが優先されますが。

そのような人は、本当に純粋無垢の状態で、学を愛し、学を積んでいることになります。
そして、そのような人に対しては「学を積んでいる」という表現は至らないことがわかります。
そのような、純粋の動機で、知識を吸収しているのだから、「学を積んでいる」という堅い表現は合いません。
まるで、甘い空気を自然に吸うが如く、そのジャンルの学の知識を、抵抗無く吸い続けるのですから。

一般に「勉強をする」と言う表現は、他に遊びたい事柄があるのを、どこか、耐えながら、我慢して、勉強するのだから、嫌々ながら「勉強している」ということになります。

ですから、「勉強」という単語には、どこか、苦痛を匂わせる表現が込められています。
しかし、「自分は学んでいるつもりは一つも無く、ただ、自分の好むジャンルの知識を、甘い空気を吸い続けるが如く、その知を吸収しているのみです」という人の勉学を行っているスタイルについては、それは、もう「勉強」とか「勉学」と言った、苦痛を内蔵している単語を使ってでの、表現は至らないことがわかります。

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現代の報道に上る、しばしば、お金絡みの不祥事と共に報道される教育関係の事件を見ても、理解が進むかもしれませんが、「お金による悪い誘惑によって、神聖なる学の領域が精神的に蝕まれている」と感じる人は多いのではないでしょうか。

ですから、私達は、お金に対する認識を少しでも変えた方が良いと私は感じるのです。

なので、お金に関する話題とつながっていくのですが、お金に関する話題は、私の、このブログの「ビジネス・投資」のカテゴリーに、その多くを、豊富な資料と共に掲載しています。

冗長な部分や、重なりの部分も出てくるので、お金に関する話題の多くは、このブログの「ビジネス・投資」のカテゴリーを参照してください。

ここでは、幾つかの過去記事と資料を紹介程度に、『過去記事』の欄に掲載しておきます。
これらの資料を読んだだけでも、私達の社会にお金を広げようとしていた人々は、他の人々よりも威張りたかったか、人類支配したかったかが理解できると思います。
お金という道具の数値の違いによって、その数値が高ければ高い人ほど威張れるように、現在の人間社会を設定したでしょう。

私達、人間がお金という道具による拘束から、少しでも精神が解放されるであろうことを願います。


(以下、上記記事に関する過去記事、関連記事、及び、参考文献)
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『三千十一:現代と中世の商業事情を考えて』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2016/11/post-05f9.html
司馬遼太郎『街道を行く 9 信州佐久平みち、潟のみちほか』(朝日文芸文庫)より文章と写真を引用
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明治維新後、太政官の財政基礎は、徳川幕府と同様、米穀である。

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維新で太政官は徳川家の直轄領を没収したから、ほぼ六百万石から八百万石ほどの所帯であったであろう。
維新後、太政官の内部で、米が財政の基礎をなしていることに疑問をもつむきが多かった。


欧米は、国家が来期にやるべき仕事を、その前年において予算として組んでおく。
ところが日本ではそれができない。
というのは、旧幕同様、米が貨幣の代りになっているからである。
米というのは豊凶さまざまで、来年の穫れ高の予想ができないから、従って米を基礎にしていては予算が組み上がらない。
よろしく金を基礎とすべきであり、在来、百姓に米で租税を納めさせていたものを、金で納めさせるべきである

明治五年、三十歳足らずで地租改正局長になった陸奥宗光が、その職につく前、大意右のようなことを建白している(※筆者注:この私のエッセイ内では「右」ではなく、「上」となります)。
武士の俸給が米で支払われることに馴れていたひとびとにとっては、この程度の建白でも、驚天動地のことであったであろう。

が、金納制というのは、農民にとってたまったものではなかった。
農民の暮らしというのは、弥生式稲作が入って以来、商品経済とはあまりかかわりなくつづいてきて、現金要らずの自給自足のままやってきている。

『米もまた商品であり、農民は商品生産者である』というヨーロッパ風の考えを持ちこまれても、現実の農民は、上代以来、現金の顔などほとんど見ることなく暮らしてきたし、たいていの自作農は、米を金に換えうる力などもっていなかった。

どうすれば自作農たちが金納しうるかということについては、政府にその思想も施策も指導能力もなにもなく、ただ明治六年七月に「地租改正条例」がいきなりといっていい印象で施行されただけである。

これが高率であったこと、各地の実情にそぐわなかったことなどもふくめて、明治初年、各地に大規模な農民一揆が頻発するのだが、木崎村は、このときには一揆を起こしていない。
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(引用終わり)

『二千六百八十五:現在の資本主義を考える』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2015/10/post-6e5c.html
●『お金の原価はいくらなの?
http://homepage2.nifty.com/osiete/s418.htm

(上記記事より抜粋引用、太字にしたり、アンダーラインを引いたのは筆者)
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平成十二年度特別会計予算ベースで

一万円が約22.2円、
五千円は約20.7円、
千円札は約14.5円です。
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(引用終わり)

■②:
『二千六百八十五:現在の資本主義を考える』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2015/10/post-6e5c.html
●100ドル紙幣を1枚作るのにはいくらくらい原価がかかるのですか? - Yahoo!知恵袋
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q129971462

(上記記事より抜粋引用、太字にしたり、アンダーラインを引いたのは筆者)
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参考のサイト(アメリカの印刷局)の説明によれば、2005年実績で、約5.7セント/枚(86億枚印刷時)だそうです。
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(引用終わり)

上記のように、大変な安価で、お札を中央銀行で製造でき、かつ、その中央銀行の所有者というのは、

■③:
(Wikipediaより、太字にしたり、アンダーラインを引いたのは筆者)
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●日本銀行
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E9%8A%80%E8%A1%8C

日本銀行は、政府から独立した法人とされ、公的資本と民間資本により存立する。
資本金は1億円で、そのうち政府が55%の5500万円を出資し、残り45%にあたる約4500万円を政府以外の者が出資する。
2010年(平成22年)3月末日時点における政府以外の出資者の内訳は、個人35.9%、金融機関2.4%、公共団体等0.2%、証券会社-%、その他法人6.5%となっている[1]。

最終更新 2014年6月19日 (木) 02:45 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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(引用終わり)

『二千五百四十一: 銀行制度についての種々の話題_No.4』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2015/06/_no4-8a1f.html
(上記記事より抜粋引用)
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●スライヴ (THRIVE Japanese)
http://www.youtube.com/watch?v=yp0ZhgEYoBI



ビデオの1時間00分06秒辺りからです。

●聞き手:
連邦準備銀行の議長とアメリカ合衆国大統領は、どのような関係が適切ですか?

Thrive_japanese__greenspan_2

■アラン・グリーンスパン(連邦準備銀行(FRB)、元議長):
まず第一に言う事は、連邦準備銀行(※筆者注:FRBのこと)は独立機関ですので、基本的に我々が行う措置をくつがえす事の出来る政府機関というのは存在しないのです。
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(引用終わり)

『二千五百八十三:銀行制度についての種々の話題_No.8』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2015/07/_no8-c8e8.html
●お金の問題点_0002.wmv
https://www.youtube.com/watch?v=3ibrKBohE8o



『二千五百八十六:銀行制度についての種々の話題_No.10』
●「お金の問題点」の続き
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2015/07/_no10-9079.html
https://www.youtube.com/watch?v=T8DcvHSi-C8



(上記ビデオより抜粋引用)
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(村人達)
この村中かき集めても1000万円しかないのに、どうして1100万円払えるの?

と、村人が集まって言いました。


(銀行家)
みなさん、それは興味深い事ですね。
あなた方の生産効率はアップしませんでしたか?


(村人)
あなたはお金を作る事が出来るただ一人の人。
あなたは1000万円作っただけなのに、1100万円を要求している、、、
そんなの不可能だよ!


(村人達)
あなたがお金を取るので、この村にはお金が不足しています。
私達は必死で働いて利子を払っているけれど、ちっとも借金は減りません。


(銀行家)
もっとお金が欲しいんですかぁ?
でしたら、最近取得された物を担保にして、更に1000万円お貸ししますよ。


(村人)
まって、まって。
私達が一生懸命働いて、国は毎年発展するけれど、国の借金はますます増加する、、、


(銀行家)
国の文明化の程度は銀行への借金の大きさで測ることができるんですョ。
契約の神聖なる義務にのっとって、あなた方の資産を頂戴しましょうか?

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(引用終わり)

『二百五十三: News_No.298』
●「タイタニック号沈没」、「ケネディ暗殺」、背後にFRBの影
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2013/08/news_no298-e74a.html
http://internetviking.at.webry.info/201107/article_8.html

以下の緑の文字の文章は、該当HPを読んで自分の書いた感想文の再掲載分。

詳細は、該当記事をご覧ください。
1963年6月4日 米国大統領J・F・ケネディにより、政府紙幣の発行を財務省に命じる大統領行政命令 第11110号が発令され、米国政府の公式に作ったお札が発行されました。
それは、2ドル札と5ドル札でした。

しかし、その後、大統領命令、第11110号の取り消しの無いまま、その米国政府が作った公式のお札が回収され、代わりに、大変よく似たFRBの印刷した大量のお札が、市場に出回りました。

▼2ドル札「政府発行券」

1376229826676131153161

▼2ドル札「FRB発行券」

137622983883613115762_2frb1

▼5ドル札「政府発行券」

13762298594671322128511

▼5ドル札「FRB発行券」

137622987167913221385_5frb11

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(引用終わり)


                                       坂本 誠

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