« 三千二百五十: 世の多くの手抜き事業を考えて | メイン | 三千二百五十二: 『街道を行く 9』の再解釈_No.2 »

2018年5月 6日 (日)

三千二百五十一: 『街道を行く 9』の再解釈_No.1

今日は、2回目のブログ更新です。

この段落の記事とは違っているのですが、先に更新した『三千二百五十:世の多くの手抜き事業を考えて』の追加を、ここに書かせて下さい。

前段落から続いて、会社の監査役の簡単な手抜き行為として考えられる行為があります。
会社の監査役というのは、複数の会社を兼任することが出来ます。
ですので、ある監査役の方のセリフを想定するならば、

  「私、幾つかの会社を兼任しているという忙しい状態でありまして、件(くだん)の会社の社員の労働時間を、つぶさに監査する機会がありませんでした

というものでしょう。

このような逃げとも思われるようなセリフが出たとしても、こちらの方から、

  「それでしたら、いつも、あなたが多目に出勤している会社があるでしょうから、その会社の従業員の労働時間状況は、どうでしたか?

とか、

  「それは、もう、監査役が、自分の業務を実行しているとは言い難いのでは? 幾つもの会社を兼任していたとしても、それらを調べるのが、そちらの業務でしょうから、それこそ、部下を使うとか

等のように、幾らでも手段はあることでしょう。

会社の取締役も同じようなものですし、この状況で、日本の数多くの企業が違法長時間労働をしているとあるならば、、、

ねえ、、、それこそ、、、

/////////////////////////
/////////////////////////

三千二百五十:世の多くの手抜き事業を考えて』の追加は、ここまでであり、以降は別件です。

私は、しばしば、司馬遼太郎『街道を行く 9 信州佐久平みち、潟のみちほか』(朝日文芸文庫)の中から、『潟のみち』「木崎村今昔」中の、明治初年に実施された地租改正についての文章を引用しています。
下記のURLのもの部分ですね。

『三千十一:現代と中世の商業事情を考えて』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2016/11/post-05f9.html

私の手にしている文庫本は、朝日文芸文庫が1997年5月30日に、第13刷として発行されたものです。

文庫本の再版以降となると、出版社が変わる可能性もあるし、ページ中のフォントが変更されたりします。
また、たいていの文庫本の最後には、『解説』が付いたりします。

この『解説』には、まれには、著作者自身が書くことがありますが、たいていの場合は、著作者以外の人が選ばれて、その『解説』を書きます。
しかし、版を重ねるにつれて、どこかの時点で、『解説』を書いた人が変更されて、新しい『解説』が添えられることもしばしばです。

私の手にしている第13版では、「牧 祥三」という方が、その『解説』を書いています。
この「牧 祥三」という方も、自身の『解説』の筆頭に、私も頻繁に引用する地租改正について語っています。
しかも、何ページも割いて書いています。

ですから、この「牧 祥三」という方も、私と同じように、この地租改正部分の司馬氏の文章に異様な光を感じていると思われます。
その「牧 祥三」氏の、本文庫本に捧げられた解説部分から、以下の引用をしてみたいと思います。

司馬遼太郎『街道を行く 9 信州佐久平みち、潟のみちほか』(朝日文芸文庫)の本文終了後の解説より引用
-----------------------------------

(文庫本の本文終了後の解説)

牧 祥三

P5060176

 

(、、、前略、、、)

このような一部の農村状況のなかで、当時の農民運動は、近代化にとりのこされた半封建的部分としての農村の解放運動であって、体勢改革などをもとめるものではなかった。
司馬氏が伝える、若き日の池田徳三郎氏が「私ドモハタダ人間トシテ認メテ欲シイダケダ。・・・」と争議の壇上で叫んで絶句した、のも旧い体制からの人間解放のさけびであった。

この地の教員の野口伝兵衛氏は、教職をなげうって、木崎村の争議に参加し、いくたびか逮捕されたりして早く亡くなった。
この人の未亡人キセさん(昭和五十年取材当時七十歳)も教員だったが、夫の亡きあと数人の子供たちを立派に育てあげたあと、胸を打つ言葉を述べている。
「どうして(夫が)教員を辞めるのかわからなかったし、農民運動もよく理解できなかった。しかし農民運動の話になるとうれしそうに語る夫をみていると、運動をやめてくれ、とはいえなかった」(『庶民の歩んだ新潟県五十年史』)。

(、、、後略、、、)
-----------------------------------
(引用終わり)

新しい引用文中の(昭和五十年取材当時七十歳)とありますが、これは、司馬遼太郎氏が取材した年なのか、それとも、解説を書いた牧 祥三氏が取材したのか、どうかは、私はわかりません。

しかし、牧 祥三氏も、この本の地租改正の部分には、かなり興味をそそられたことが、上の引用文の紹介で、読者の方々もわかると思います。

司馬遼太郎氏の、この『街道を行く 9 信州佐久平みち、潟のみちほか』は、おそらく重版はなされ続けていると思いますので、現在の文庫本には、私が挙げた牧 祥三氏の解説は掲載されていないかもしれません。

/////////////////////////
/////////////////////////

上に書いたように、私自身も、久々に、同書の解説部分を読んでいて、いつも引用している部分を、再び別の角度から考える機会を持ちました。

その、「別の角度から考え」たことを書こうとしているのが、この段落です。
ですが、この段落では、前段落『三千二百五十:世の多くの手抜き事業を考えて』の追加も書きましたので、区切りの良さも考えて、残りの部分は、次の段落で書いてみたいと思います。

(次段落に続く)


                                       坂本 誠

Powered by Six Apart
フォトアルバム