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2018年4月16日 (月)

三千二百三十九: 不幸感覚と競争・比較意識の絡みを考えると

こんばんわ。

最近、色々あって、ブログの更新頻度が落ちていますが、どうかご了承ください。

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私の周囲にいる人を見ていて、「私は苦しい」とか「私は不幸だ」と嘆いている方を見かける機会があります。 

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このような人を、第三者が見かけて、その苦しむ人の苦痛の原因なり対処方法を考えようとすると、まず、その苦痛を感じている人の苦痛状態を、しっかりと把握する必要があることに気が付きます。

簡単に書いてみると、例えば、「お腹が減っている」とか「私はカッコいい新車を買えないから不幸だ」とか「私は病気の苦痛があるので、不幸だ」とか「私は学歴が無いので不幸だ」とか。

そして、世の中は広いですから、上の例で挙げた「私はカッコいい新車を買えないから不幸だ」と本当に嘆く人もいるわけです。

しかし、苦痛状態をしっかりと把握する第三者の人が、その新車を購入できない人の苦痛を見ると、「この人は、本当に不幸と言えるだろうか?」という疑問を抱くのではないでしょうか。

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その調子で、世の中を見回してみると、その手の類の不幸感に苦しめられている人が、意外に大いに気が付くと思います。

ちょっとわかりやすく、他の類似の例を挙げてみると、「私は美味しいアイスクリームが食べられないので不幸だ」、「私は素晴らしい多くの衣服を持っていないので不幸だ」、「私は会社内での肩書きが低いので不幸だ」云々、、、

このような「不幸」というよりも、「欠損感覚」というのを、具体的に見てみると、

  「このような人の多くは、他人との比較や競争感覚が強い。だから、その人の競争意識や比較意識そのものが、その人の不幸の源である

と、私達は言えるでしょう。

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もっとも、上のような状況でも、数多くの様々な状況がありますから、他の原因が混じって来る場合も多いのですが、やはり、大きな原因としては、「その人自身の、競争意識や比較意識そのものが、その人の不幸の源である」と考えられるでしょう。

つまり、自分以外の他の人々と、その人は比較ばかりをしていることが、その人の不幸を作り出しているのです。
しかし、当の本人自体は、「自分の不幸の源は、自分には無い」と、信じ込んでいるケースも、かなり多いです。

つまり、そのような人は

  「私は、周囲の人々と比較ばかりをしている人間なのだ」

ということにも気づいていないことがわかります。

ですから、この手の不幸感覚に陥りやすい人は、「私は周囲の人々と比較ばかりをしがちなタイプではなかろうか?」と、自問自答することが、その方の不幸脱出の方法の一つとなるのではないでしょうか。

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ところが、ここから、私達は更に一歩進むことが出来ます。

私達が更に一歩進んで考えることには、

  「どうして、世の多くの人々は、こんなにも競争意識や比較意識ばかりを持っている方が多いのだろうか?」

です。

ですから、私達の社会を、今一度、詳しく見てみましょう。

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私達は幼い時から幼稚園や学校に入れられて、そこで教えられることには、「他の人よりも学力を高めましょう」等の競争意識が、強められていることに気が付くでしょう。

「他の人と競争をする」ということは、つまり、「他の人と比較する」ということです。

これが、数多くの人々に教え込まれて、実践を強要されるので、私達の社会に見られるように、「周囲の人々と比較することによって、不幸になる人」を多く見かけることになるわけです。

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要するに、国家ぐるみで、「競争意識を強めなさい」となっていることが、私達の多くの不幸を生み出していることがわかります。

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次には、「なぜ、地球上の多くの国家は、自国民の競争意識を強めようとしているのか?」という、更なる疑問が私達に湧くことでしょう。

それを考えてみると、国家の上の人々としては、他国と競争させようとしていることがわかるでしょう。

あたかも、他国の人々を敵のように見なして、さて、言うことには、

  「その他国の商売敵の人に負ければ、あなたがたは倒産した企業の人々が、職を失うことにより、職から得られるように手筈が整っているところの金銭を得られなくなるので、あなたがたはみすぼらしい格好になって、飢えて死ぬかもしれませんよ」

という感じの脅しの雰囲気で、他国の人々との間での競争を高めようとしていることがわかるでしょう。

本来ならば、その他国の土地や他国の空の下に住んでいる人々も、同じ地球人です。

ところが、あたかも、その同じ地球人を、商売敵と見なして、「その敵に負けるな」という感じで競争が推奨されているのに気が付くでしょう。

同じ地球の上に居住している人々を、愛し合うのではなく、敵と見なして、

  「あなたがたは技術競争をしなさい。もし、技術競争に負ければ、あなたがたは倒産した会社のような国家になるので、みすぼらしい雰囲気を得るので、商売敵との技術競争に負けてはならない」

という感じの触れこみで、多くの人々の競争意欲を掻き立てていることがわかるでしょう。

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もっとも、その手腕を見ていたら、あからさまに「あなたがたは競争をしなさい」という、強い命令形の口調でないのに気が付きます。
このような、強い命令形の口調でしたら(それをする方も少なからず見受けますが)、多くの人々に嫌われてしまい、失敗を得ることも多いでしょう。

ですから、彼等が、もっと言葉巧みに誘うことには、

  「あなたがたも、私達と同じように、もっと競争を好きになりなさい(なぜならば、競争に勝てば、その競争相手に対して優越感を持てるのだよ)。」

でしょうか。

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読者の方は、更なる疑問を持つことでしょう。

その疑問とは、

  「なぜ、地球上の数多くの国々は、お互いに競争ばかりをさせ合っているのか?」

でしょう。

というのも、一般に言われているように、「地球統一」という状況が望まれています。

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私の書いた「地球統一」という状況は、どこかの誰かがNWO(New World Order:新世界秩序)の目指しているような「地球支配」という状況ではありません。

この、私の書いた「地球統一」という状況は、地球の上には一つの国家も無く、多くの人々が、一つの国民のように仲良く暮らせている状況を言っています。

この状況だと、地球の上には一つの国家も無いので、戦争もありません。
当然、国境もありませんので、人々は制限をかけられることなく、自由に世界を旅することが出来ます。
また、当然、地球上の全ての人々が、兄弟同士の状態であることもわかりますよね。

ですから、一般には、多くの人々は、NWOの状態では無い、「地球統一」のような状況を望んでいることでしょう。

しかし、地球上の数多くの国家の内部に存在している政府の人々から見れば、その「地球統一」の状況は、非常に彼等にとって都合が悪い話であることに、あなたも気が付いてくるでしょう。

なぜならば、地球上の全ての国家が無くなると、当然、各国の政府に設けられている外務省が全て無くなります。
当然、その、外務省で働いていた全ての国家公務員が職を失います。
また、各国で税関に努めている筈の公務員も全て、その職を失います。
また、通常、多くの国家に、いまだ存在している軍人達は、公務員扱いですから、彼等も、全て、その職を失います。
当然、地球上から全ての国家が消えるので、「国家間の戦争が全て無くなる」という、多くの人々から見たら、非常にめでたい偉業ですが、軍人達から見たら、自分達の職務理由が無くなるので、軍人達の大量解雇が、全ての国家で発生するからです。

このように、「地球統一」という偉業が起これば、まだまだ、数多くの公務員の解雇が考えられます。
なぜならば、「地球統一」が起こるならば、数多くの政府機関の必要性が消えることがわかるからです。

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ですから、裏を返せば、各国の公務員たちから見れば、何としてでも、「地球統一」という偉業を妨げるニーズが発生していることがわかるでしょう。

ですから、各国の数多くの政府が、現状のまま、地球上に乱立することを願うのならば、現状のように、地球上の多くの人々を商売上ででも戦わせる必要性が出てきます。

地球上の多くの人々を商売上ででも戦わせれば、その調子で、地球上に数多くの国家が、現状のように乱立するので、「彼等の職は安泰だ」となるわけです。

ですから、この段落の冒頭も、かなり上になりましたが、この段落の冒頭に帰ると、躍起になって、各国の政府は、自国民に対して、「他の国の人々を競争相手と見なして、競争しなさい」と勧めて来ることがわかります。

ここからも、「競争や比較は分離の方向だ」とわかるでしょう。

そして、競争や比較が行われれば、この段落の、かなり上に書いた例のように、競争意識や比較意識が高まれば、不幸感覚がますので、ここからも、「競争や比較は分離の方向であり、かつ、不幸感覚の増殖する方向だ」とわかるでしょう。

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上にも書いていますように、「地球統一」という状況が起きるためには、地球上の多くの国家の消失が起きないと発生しないとわかるでしょう。

私達は、普段、どこかからか、「国家というものは、非常に大事なものであり、絶対に無くなってはいけないものなのだ」とか「やれ、国家というものは、永遠不滅の存在なのであって、たとえ、個人が犠牲になろうとも、国家は存続しなければならない」とか「国というものは神のようなものなのだ」等という、風潮や非常に強い思い込みを抱かされてはいないでしょうか。

ですが、上にも書いているように、「地球統一」という状況が起きるためには、「国家」という概念が邪魔になって来ることがわかるでしょう。

逆を言えば、地球上でも、国家という概念が多くの人々から消失して行けば、「地球統一」という状況が起きることがわかります。

ですから、地球上に全く戦争の起きない、つまり、地球上から全ての国家が消えた状態の「地球統一」の状態を願う方ならば、次のような願い事を、日々に願った方が良いことがわかります。

  「どうか、私の住む地域の国家が消失し、かつ、地球上の全ての国家が消失して、地球統一が起こりますように」

と。

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というわけで、冒頭に書いたような、他人との比較意識や競争意識が元となって、不幸感覚を抱いている人は、周囲の人々の主張しているような、比較や競争を高めるような風潮を捨て去ることが、その、自身の不幸を捨てる行為となることでしょう。

周囲の人々の視線や意見をも気にせずに。

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ちょっと余談程度なんですが、「公務員が職を失う」ということを上に書きました。
以前から書いていることですが、誰でもそうですが、「仕事を失う」ということに関しては、誰も恐怖を持っていません。
なぜならば、誰かが、ある企業を辞めても、また、同じ職種に再就職すれば良いからです。
しかし、現状では、その再就職が難しくさせられているので、「労働する分だけの予定の賃金を得られない」ということが、本当に多くの人の恐怖の原因となっています。

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ですから、「仕事を失う」というのは、本当の恐怖の原因ではありません。
しかし、その「仕事を失う」ということによって、「その仕事から得られたであろう筈の、お金が得られなくなる」という状況が、本当の恐怖となっているのです。

つまり、お金こそが、真の問題点であることが、あなたにもわかります。

読者の方々でも、よくテレビや小説や漫画等でのドラマの最中に、「仕事を失った、、、」という非常に落胆したセリフを言うキャラクターを見かける機会があると思います。

しかし、これなども、オブラートにくるんだ表現だと、私達はわかりますので、「これは失職の問題というよりも、お金そのものの問題なのだ」とストレートに表現した方が良いと思います。

歪曲的に問題点を表現するのではなく、このように、真の問題点をつかみ、それを、ストレートに表現することが、真の問題点の改善に繋がっていくかと思います。

そして、このようにストレートに表現したら、私達は次の事態をはっきりとつかむことでしょう。

それは、

  「社会の上と言われる人々は、お金というツールを使って、多くの人々をコントロール・支配しようとしている」

と。

ここから先は、私のブログの方の過去記事にも色々と書いていますが、また、小出し小出しに、機会を見て書いていきたいと思います。

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記事的にも長くなりましたので、読者の方々にも、くつろぎながら読んで頂けるよう、ところどころにスナップ写真を入れておきました。

ここまで読んで頂き、ありがとうございました。


                                       坂本 誠

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