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2018年4月23日 (月)

三千二百四十五: 宗教と地球上のことを考えていると(独白)

三千二百四十二:天変地異と地球上のことを考えていると(独白)』の続きのような段落です。

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古来から伝わる宗教書を紐解く機会があると、一様に、「地上に住む人間達が悪い」というような手合いの文章が記載されていることに気が付く。

しかし、「本当に、私達が悪いのだろうか」という疑問を抱きはしないだろうか。

色々、様々に書いているのだけど、これらの情報を総合的に見て、全てが全て、地上の人間が悪いのだろうか。

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こんなことを書いていることからも、私が宗教の人では無いことがわかるだろう。

というのも、たいていの本を選ばずに、宗教という手合のジャンルの本を開いてみると、「人間側の悪は悪くあり、神の側は栄光の存在だから(神の側に対しては全く疑問を抱かずに)、ただ、ひたすら神の側を崇めなさい」という手合の文章が書かれていることに気が付く。

こう書いてみると、ハッと気づきはしないだろうか。

  「通常、神の側が非の打ちどころも無く、全く疑問をはさむ余地が無いようにとされていることは、本当に正しいことだろうか」

と。

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つまり、このような「教え」という、そのものに対して、疑問が持てないような感じにしている部分にも、疑問を持った方が良いのではないだろうか。

また、それ自身に、一つの盲点があったことに気が付くと思う。

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私が思うに、多くの宗教書では、「地上に住む人間達が悪い」と、しばしば記載されているの見るだけど、一般に言う、いわゆる神の側に対して、私達は、疑問の目を持ってはいけないのだろうか。

例えば、私は時折、カバールやイルミナティの記事を書いているけれど、いわゆる神の側の方が、私達、地上の人間に対して、あまりにも、過大な目標を与えていたとは考えられないだろうか。

P4200204

 

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また、神の側で建てた目標があったにせよ、それ自身の目標に対する、正当性や、効果や、結果や、その他の様々な影響を、再考や再判断することがあったのだろうか。

古くから、一概に、「地上に住む人間達が悪い」と言い続けていると言うことは、他ならぬ、神が建てたとされる、その目標や計画、それ自体に、何らかの誤りがあったと言えないだろうか。

なぜならば、それほど長い間、地上に住む人間達の側の改善が行われなかったとあるならば、計画そのものに落ち度があったとも言えるのだから。

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そのような手合いの本や文献を読んでいると、一様に、「地球の惨禍は激しい」とはあるけれど、それだと、御自身の非の結果から生み出されたようなものだから、その地球の惨禍と言っても、それは、地上に住む人間だけの責任では無く、やはり御自身の責任ではないだろうか。

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私自身は、神とか地球の造物主と言われる存在がいると信じているのだけど、それらの存在を盲目的に愛しているかというと、そうではない。

P4200199

 

なぜならば、何かの存在を盲目的に愛すれば、上に書いたように、何らかの盲点を見落としやすくなるからだ。

私に言わしてもらえれば、彼自身の抱いた目標が、他の地上の人々に対して、あまりにも高尚であり、あまりにも困難であったため、地球の惨禍が起きていると思う。

だから、全てが全て、地上に住む人間が悪いとは言えず、どちらかというと、建てた計画そのものの問題性の方が強かったと思う。


                                       坂本 誠

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