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2018年3月22日 (木)

三千二百三十二: 人の欲望やそれらに関していることを考えて

こんばんわ。

この段落の記事は、ちょっと長いものとなりました。

以前の私の記事『三千百三十九:現代社会と砂糖を考えて』で、御紹介したように、私自身はベジタリアンで、砂糖も食しません。

しかし、この事実を、私の周囲の人も受けづらいようです。
というのも、私の周囲の人が、私を見て、

  「坂本さんは、非常な禁欲を実行しているのだ」

と感じるようです。

しかし、私自身は、全く苦痛は感じていないので、「禁欲」という表現には至らないのです。
このことを、詳しく説明したいと思います。

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確かに、私自身も、ベジタリアンになる前や、砂糖を食していた時には、「肉を食べたいな」とか「砂糖菓子を取りたいな」と感じたことはあります。

しかし、それらを止めてしまった後では、肉食や砂糖食品に対する欲望が、自分の内に全く無いので、その欲望に苦しめられることは無いのです。

仮に、ベジタリアンになったり、砂糖を取るのを止めた後でも、「肉を食べたいな」とか「砂糖菓子を取りたいな」と感じていれば、その欲望が、その人の内側に存在するので、その欲望に身体や心が苦しめられる筈です。

ですが、私以外にも、ベジタリアンになったり、砂糖を取るのを止めた人で、その人の内側に、その手の食べ物に対する欲望が消失していれば、その欲に苦しめられる筈がありません。
なぜならば、その欲自体が無いので、「欲に苦しめられる」という状態ですら、発生しないからです。

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この点でわかりやすい例は、タバコでしょう。

タバコの喫煙者は、体内からニコチンが排出されてくると、ニコチン中毒によって、タバコを欲することが知られています。
ですから、禁煙を試みようとするタバコの喫煙者の方は、同じ禁煙を試みる他の人を見て、

  「彼(あるいは彼女)も、タバコを止めようとしているから、同じ苦しみを味わっているだろう」

と想像できます。

しかし、全然、タバコを吸わない人は、当然、ニコチン中毒による禁断症状が無いので、その人は、全くタバコを吸わなくても、禁煙を試みようとする人のように「タバコを吸いたい」という願望に苦しめられないのに気が付きます。

また、タバコを吸わない人は、当然、「タバコを吸いたい」という欲がその人の体内には存在し無いので、「タバコを吸いたい」という欲に苦しめられることは無いことがわかります。
欲そのものが無いので。

ところが「タバコを吸いたい」という人は、自身の内に、その欲があるので、禁断症状も交えつつ、その欲自身に苦しめられることがわかります。

(また、逆の視点から見ると、タバコを吸わない人というのは、ニコチン中毒による禁断症状とかタバコの味を知らないので、禁煙を試みようとする人の苦痛を見て、「あなたが、どのようなことで苦しんでいるのか、私にはよく理解できません」となるでしょう。せいぜい、今まで見聞したことのあるニコチン中毒による禁断症状の苦しさとか、タバコの味を、頭の中で想像するのみで、本当の、禁煙の苦しみとかを、タバコを吸わない人が味わうことは出来ないでしょう。)

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このタバコの例と同じように、本当に、ベジタリアンの人とか、砂糖を止めた人となれば、その人の内には、その欲望自身が存在しないので、その欲に苦しめられることは無いのです。

ですから、冒頭に書いた

  「坂本さんは、非常につらい禁欲を実行しているのだ」

ということはありません。

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ですから、健康のために、何らかの食品を止めようと試みる人がいるとするならば、自身の体内に存在する欲そのものがしぼむ、あるいは、消失した時点で、初めて、「自身の健康を害するものから解放された」と言えるかと思います。

なので、何らかの禁欲を試みようとしている人がいても、その人の内に、いまだ、その禁欲の対象物に対する愛好心が残存していれば、それはまだ止めたことにはならないでしょう。

例えば、糖尿病の人でも、「砂糖を断ちたい」とか願っていたり、「肉食を止めたい」と願ったりする時もあるでしょう。
ところが、それらを止めようとしている期間の間に、「砂糖を取りたい」とか「肉を食べたい」という願いが存在していれば、それはまだ欲が残っている証拠ですから、その状態だと「禁欲」という苦痛の状態であることがわかります。

しかし、その人の内に、砂糖や肉に対する欲そのものが消失あるいは、しぼんでいれば、それらの食料物資に対する欲そのものが消失していますので、この状態だと「欲を禁じている」という状態では無いことがわかります。

欲そのものも無いので、禁じられた行為の中に残存している、愛好心も無いわけです。
禁じられた行為の中に残存している愛好心も無いので、その愛好心から発生する苦痛も無いわけです。

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ですから、何らかの食品とか嗜好品に対する欲が自身の内に残存している状態で、無理に、それらを止めようとすると、「禁欲」という苦痛が発生するので、あまりにも無理矢理に、それらの食品や何らかの嗜好品を断たない方が良いでしょう。

ただ、必要に応じて、何らかの食品とか嗜好品を断つ必要のある人ならば、

  「どうやったら、これらの食品や嗜好品に対する欲が、しぼませられるだろうか?」

という、欲をしぼませるための方法を、常日頃から考えて、それを実行した方が良いとわかります。

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また、私は、以下の記事を引用、御紹介したことがあります。

『九百七十六:私の見かけた情報_No.19』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2014/03/_no19-db8f.html
(以下、『InDeep』様、2014/3/17記事より文章と写真を引用)
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●宇宙の粒子や空気を食べて生きていると主張するウクライナの「ブリザリアン(不食)」モデルの話から「松果体とエネルギー」にまで考えが飛躍してしまいました
http://oka-jp.seesaa.net/article/391713988.html

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(引用終わり)

要するに、食べる必要の無い人達の出現です。

この人達も、彼等の周囲の人から見れば、「大変な禁欲を実行している」と見られるかもしれません。

しかし、私がこの段落で今まで書いているように、本人の内にある欲が消失していれば、これは禁欲とは言わないので、私達から見て、おせっかいにも、「彼等は大変に苦しんでいるに違いない」という焦り混じりの予想をしなくても良いと言えるでしょう。

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ただ、私が感じるのは、「現代文明は病んだ文明だ」というものでしょうか。

砂糖を使った食品にしても、日本では江戸時代以前には、ほとんど、食卓の上に乗ることは無かったそうです。
西洋文明にしても、砂糖を使った食品が食卓の上に乗り始めたのは、アメリカ大陸が発見されて以降だそうです。

つまり、読者の方々も予想出来るように、過去には、ほとんどの人々が、砂糖を使った食品を見たことも無かったことでしょう。

そのような時代でも、現代の研究の結果から、虫歯を持った人達がいたことが報告されています。
これなども、わかることですが、例えば、ミカン等のグレープ・フルーツと呼ばれている果物には、酸性が強く、糖分の含まれた果物があります。
ミカンは酸性が強く、これだけでも、歯を溶かしますが、加えて、それらの果物には糖分が多目に含まれていますから、それらを食べ過ぎれば、虫歯にはなりやすかったでしょう。

しかし、古代の文献を見ても、古文を読んでもわかるように、それほど「大量の人間が、数多くの虫歯に悩まされている」という事実が無いことがわかります。
つまり、砂糖の無い、中世までの地球文明には、例外的にしか、虫歯に悩まされていなかったことがわかります。

現代に見られる「砂糖文明」とも呼べるような生活環境が、多くの私達に虫歯の苦痛を与え、あるいは、糖尿病に苦しめていることがわかります。

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ですから、現代でも、砂糖を止めたりする人が出てくれば、充分に、人の虫歯を減らせることがわかります。

ただ、私達の周囲では、砂糖が大流行しています。
その結果、「砂糖を止める人は、おかしな人だ」とか、あるいは、「貧乏だから、砂糖を取れないのだろう」のような、嘲笑や、けなしが与えられることが充分に予想出来ます。

その結果、「砂糖を止めたい」と決心した人が、周囲の人々の否定的な意見や誘いによって、仕方なく、砂糖食への道を後返りしてしまう人も多いと思います。

しかし、砂糖を取って、虫歯になっても、「虫歯になれば、それこそ、歯医者に行けば良いではないか」と言われたりして、あなたは何重にも損をさせられることがわかります。

上に書いたように、中世までの地球には、砂糖を食する人は、ほとんどいなかったのに。

現代文明が一つの欲とも言える「砂糖」を提供し、多くの人々が、その欲を満たそうとし、その欲自身に苦しめられ、虫歯や糖尿病に苦しめられている、と言えるでしょう。

だから、中世までの地球というのは、神意の一つのはからいによって、「人間の健康は守られていた」と言えるかもしれません。

ところが、その健康を破ったのは、他ならぬ、「人間の生み出した現代文明だった」と言えるかもしれません。

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そして、現代では、その砂糖を使ったお菓子とか食品を製造する人が多くいるので、例えば、「砂糖を止めた方が良いでしょう」と勧める人がいても、砂糖を使った食品を製造する人の側の「私達の利益が減ると、私達の生活が苦しくなるではないですか」という反論も出てくるでしょう。

つまり、ここに、「利益」という、金銭上の儲けの件が、この段落の話題に絡んで来ることがわかります。

ですから、この段落の話題の核心は、お金の問題に通じて来るわけです。

この、お金の問題については、私のブログの方では、『ビジネス・投資』のカテゴリーに多く掲載していますので、どうか、そちらを参照して下さい。

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簡単なお金の問題を書くだけに留めておきます。

お札の増刷(金融緩和)が行われてしばらくすると、今度は、様々な分野において増税が行われます。
この「お札の増刷 ---> 増税 ---> お札の増刷 ---> 増税 ---> 、、、」を延々と繰り返すと、私達の社会のトップにいると言われる人々が、多くの人々に対して、永遠の奴隷労働を課せることが出来ます。

なぜならば、多くの人々が彼等によって、永遠にお金を追い続ける構図が与えられているからです。

以前にも書きましたが、カバールやイルミナティ達がいて、それらが、競馬で言うところの馬券を買う人達です。
そして、競馬での競走馬(サラブレッド)の上にまたがる騎手達がイルミナティの亜型の人々であるイルミノイドです。
そして、競走馬(サラブレッド)は、巨大ピラミッド社会の大部分を構成している多くの人々(私達)のことです。

そして、騎手であるイルミノイドが、私達であるところの競走馬の目の前で、ニンジン(お金)をちらつかせます。

騎手が、競走馬の鼻先から、ニンジンを遠ざければ、競走馬はニンジンを追いかけるので、競走馬は速く走ります。
この状態が、上の「増税」の状態です。
そして、騎手が、競走馬の鼻先から、ニンジンを近づければ、競走馬の目の前のニンジンは近づくので、競走馬は遅くなります。
この状態が、上の「お札の増刷」の状態です。

結局、お金という道具を使って、多くの私達は、カバールやイルミナティやイルミノイドから、奴隷としてコントロールされるわけです。

ちなみに、上の競走馬の喩え話からわかるように、そのようなニンジンの扱い方を私達にさせていたら、多くの人々は、お金に対する欲も出てくるわけです。

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ですから、このような話題をする事自体が、私達の内にある、お金に対する欲をしぼませる方法の一つになるかと思います。

お金に対する欲をしぼませれば、その行為自体が、さらに、カバールやイルミナティやイルミノイドの手から逃れさせていることにもなるでしょう。

ですから、この段階で、この段落の冒頭に書いた「欲をしぼませる」という話題に結び付けられると思います。

この段落は、ちょっと長いものとなりましたが、ここまで読んでくださり、ありがとうございました。


                                       坂本 誠

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