« 三千二百二十六: 買い物上手になるために | メイン | 三千二百二十八: 日常生活から切り離された時空間を得て »

2018年3月 7日 (水)

三千二百二十七: 「死ねば何もかも終わる」と言う人を見て

こんばんわ。

「死ねば何もかも終わる」と言う人を見て、感じたことを書いてみたいと思います。

宗教家の方ならば、「あの世があることを信じなさい」と言うのでしょうが、私は宗教家では無いので、あくまで、客観的に見た目とか、私個人の感じたことを書きます。

-----------------------------

まず、1番目に感じることですが、そのような人は「死ねば何もかも終わる」ということを信じていることに気が付きます。


というのも、彼(あるいは彼女)自身が、確認したわけではないのですが、その彼の周囲の人々が、過去から、彼に語って来たことを信じ続けているのに気が付きます。


その、彼の周囲の人々も、「死ねば何もかも終わる」と、かたくなに、彼や彼以外の人々に語り続けたことがわかります。


その結果、今、この記事で話題にしているところの、彼(あるいは彼女)も、その周囲の人々の語ったことを信じており、彼は「死ねば何もかも終わる」と言っていることに気が付きます。


この話題の冒頭にも書いているのですが、彼(あるいは彼女)自身が、「死ねば何もかも終わる」かどうかを確認していないのに、彼(あるいは彼女)が、過去から聞かされ続けた言葉による、その状態を信じ込んでいることに気が付きます。

これだけ、書いただけでも、読者である、あなたは「ハッ」となりはしないでしょうか。

-----------------------------

2番目に感じることですが、ちょっと大きな事かと思うのですが、「死ねば何もかも終わる」ということを信じて、それを語っている人は、生きていて、怖くはないでしょうか?

なぜならば、元気で動き回っている若い世代ならば、通常の死は遠いので、あまり、死は怖くないでしょう。
しかし、老いが迫るにつれて、やがて、死が眼前に見えるようになったら、その恐怖を感じ始めるのではないでしょうか?

なぜならば、それを語っている人は、「死ねば何もかも終わる」ということを信じているわけですから、彼(あるいは彼女)が、その死を通過した後は、消滅とか消去と呼ばれる状態になります。
自分の存在が消えます。

ですから、彼(あるいは彼女)の死が近づくにつれて、その恐怖によって、足はわななき始め、ひざがガクガクと震え始め、心臓は音を立てて、身体から汗が出るような状態で屋外を歩き回り、額からは、汗が出るほどですから、ちょっとした水蒸気を発するぐらいの状態で、街中を歩くことになるのではないでしょうか?

彼(あるいは彼女)は、そのような死の近づいた時期の生活を送るわけですから、恐れに満たされた暮らしぶりですが、しかし、他ならぬ、彼(あるいは彼女)自身が、その状態を信じ込んでいるので、暮らしの中に自ら、その恐れを構築・巨大化させているわけです。

ですから、「仕方が無い」と言えば、仕方が無いのですが、そのような恐れの暮らしぶりを自ら作り込む人々、というのは、ちょっと、私、理解し難いものがあります。

そんな生活をしていたら、足が地に着かない日々を若い頃から、送るのではないでしょうか。

-----------------------------

3番目に感じることです。

「死ねば何もかも終わる」ということを信じている人というのは、生きている間の努力とか切磋琢磨とかを行うでしょうか。

なぜならば、そのような方が死ねば、何もかも無くなるわけですから、「生きている間の、努力とか切磋琢磨しても、自分が死んだ後には、そのような努力なんて無駄なものに等しいものです」と考えて、努力を怠る方向に行くのではないでしょうか。

「死ねば何もかも終わる」ということを信じている人というは次のようなことを感じないでしょうか。

「宇宙誕生より、約160億年経過していると言われている。その、宇宙誕生から数えて、約160億年後に、何も無いところから生を授かって、ほんの数十年経って死ねば、宇宙終了のその時まで、自分自身の存在は消滅している。人生の期間なんて、それは、蜻蛉(かげろう)のような、儚い(はかない)生である上に、その儚い生の上での、さらにちっぽけな努力なんて、虚しいものだ」
と。

「どうせ死ねば自分も、自分の記憶も、何もかも無くなる」と、彼(あるいは彼女)は信じ込んでいるので、この状態で、「努力とか切磋琢磨を死ぬまで、やって行こう」という前向きな、やる気を、彼(あるいは彼女)は持てるでしょうか。

この状態だと、「私は意志が弱いけど、仕方ないのだ」という、逃避混じりの、諦めの気持ちを持ちつつ、物憂い(ものうい)日々を送るような人も出てくるのではないでしょうか。

-----------------------------

この段落の冒頭にもお断りしたことなのですが、私は宗教の人ではありません。
宗教の人ならば、「あの世の生を信じなさい」とか、あるいは、逆サイドの人ならば、「あの世の生を信じてはいけない」と言ったりするのかもしれません。

しかし、私は宗教の人ではないので、「あの世の生を信じなさい」等々云々は言わないし、どんな人でも「何かを信じる信じない」という自由はあります。
まったく、何を信じようが、それは個々の人の自由です。

ですが、上に私の書いた状況を、ここで再び考慮してみますと、、、
何を書いて良いのやら、、、

少なくとも、お薦めできると思えることは、「自分自身を、恐怖や不幸の状態に自ら追いやることは、しない方が良いと思います」でしょうか。
これでしたら、少なくとも、万人向けのお薦めと考えられますので。


                                       坂本 誠

Powered by Six Apart
フォトアルバム