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2018年3月 4日 (日)

三千二百二十四: 病気に対する病根洞察について

こんばんわ。

病気や医療というのは、本当に難しいものだと感じてしまいます。

例えば、身体の患部を温めれば、その部分が治りやすい人もいます。
しかし、その逆で、身体の患部を冷やせば、その患部が治りやすい人もいます。
そして、温めれば治るのか、冷やせば治るのかを、医者に聞いても、そのお医者さんは通常わかりません。
つまり、人によって千差万別です。

人が100人いれば、100人分、身体の作りが少しずつ違っています。
当然、1000人いれば、1000人分、身体の作りが少しずつ違っています。

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やはり治療の一環として、「慌てずに、いつもニコニコしていた方が、患部には良いでしょう」と勧められる状況もあるでしょう。
しかし、ある人によっては、慌てふためいて、病院に駆け込む状況が正解である場合もあります。
やはり治療の一環として、「クスリをキチンと飲みましょう」と言われる人がいて、その通りにしたら、治る状況もあるでしょう。
ところが、ある日を境にして、いきなり、クスリを止めたら、「治った」という人もいるかもしれません。

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それと同じように、何かの病気にかかって、医者を何人も変える人もいるでしょう。
例えば、5人医者を変えて、その5人目の医者で初めて、病気が治る人もいるでしょう。
しかし、5人医者を変えて、「1番最初の医者の治療が1番良かった」と語る人もいるでしょう。
しかも、その上、たいていの場合、その5人の医者にかかれば、5人分の診断や治療法も違っていることでしょう。

そして、たいていの場合、その5人の医者が、5人とも言うことには、

  「私の診断に狂いは無く、治療法も私のものが最善だ」

と言うことでしょう。

つまり、この状況だと、私達は医療について何を信じて良いか、全くわからなくなることでしょう。

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ですから、ある人ならば、医者に行かない方が正解の状況もあるでしょう。
また、ある人ならば、ぜひとも医者に行った方が良い状況もあるでしょう。
しかし、その治療法も多岐にわたり、かつ、「似通ったクスリも大量にある」となると、「私達は何をしているのかよくわからない」となるのではないでしょうか。

(ですから、ありていに言えば、私、坂本の書いていることでも、信じられなくなっても当然でしょう。なぜならば、私の書いていることで何かの病が治った人もいるでしょうし、治らない人もいるでしょうから。)

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しかし、私が出会った状況としては、やはり、自分の身体は自分のものだから、「極力、自分で治す」の方向が一番治りやすいように感じます。

なぜならば、その分だけ、自分の身体をいたわり、愛してやっていることになるからです。

病気というのは、自分の身体のどこかに、何かの病根があることを意味しています。
ですから、「この病根は何か?」と自分で深く洞察して、自分で幾つか試行し続けて、その病根を取り去った時に、やはり病気が治るものです。
なぜならば、病根を取り去るので、当然、病気の原因が消失するからです。

ですから、自分の生活を、くまなく、見回して、自分の病気の病根を発見して、その病根を取り去れば、「医者のように治療が出来る」ということになります。
これだったら、クスリを飲んでいても、やがて必要無くなるでしょう。

この「病根洞察」という行為には時間がかかったり、あるいは、何回もの試行が必要となる状況も多々あります。

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しかし、現代社会だと、各々の人の「病根洞察」という行為が推奨されていないように感じます。

どちらかと言えば、「病気になったら、すぐに医者に行きなさい」という、キャッチ・フレーズが多いのではないでしょうか。

ですから、人によっては、

  「私の病気の治療や病根に関する全ての答えは、私がかかろうとしている医者が全て持っている筈である」

と、考えている人が多いのではないでしょうか。

この手の方だと、「私以外の他人が全て私の病気の答えを持っている筈だ」という、強い思い込みと依存心が働いていないでしょうか。

しかし、上の例の一つであった、5人の医者のことを再び考えてみて下さい。

5人の医者が5通りの診断と5通りの治療法を行っている状況もあるのです。
つまり、これだと、「『医者は、その医者に訪れる患者の病気の、全ての答えを持っている』というわけではない」というのを実感できるでしょう。

実行する人はいないかと思いますが、患者の方が医者に対して、

  「お医者さん、あなたは私の病気に関する全ての答えを持っていますよね?」

と、試しに聞いてみましょう。

すると、そのお医者さんは、

  「いいえ。私は、あなたの病気に関する答えを持っていません」

と言うでしょう。

それらの例は、冒頭に幾つか書いていますので、理解されるでしょう。

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ところが、昨今では、この病根洞察の時間を取れない程に、世間では長時間労働ばかりが実行されているのでしょう。

この「長時間労働」というのは、結局、カバールやイルミナティの実行している地球人類奴隷化計画の実行の一環であるのですから、この記事のような、「自身の病根洞察による病根廃棄」とでも言えるような行為をするには、「カバールやイルミナティをどうにかしないといけない」とわかるでしょう。

カバールやイルミナティの人類奴隷化計画によると、人類を奴隷として扱うので、人類に長時間労働をさせます。
彼等が、人類に長時間労働(カバールやイルミナティにすれば人類奴隷労働)をさせるので、私達は無理矢理急がされるので、多くのことを余裕を持って見れなくなるのです。
つまり、彼等は私達に多くのことを考えさせないようにしているのです。

また、彼等が私達に長時間労働をさせると、その分だけ、私達はたった一つのことばかりに従事するので、他の多くの事まで手が回らなくなります。
その結果、私達が日頃の生活で出来ない分だけ、分業が進むことになります。
この状況ですと、私達は狭い一室に閉じ込められるのと同じ状況になります。
これが彼等の言う「区分化」とか「細分化」と呼ばれているものです。
そして、この分業社会が進められる結果、ますます、多くの人々は、お金に依存するようになります。

分業化の進んだ社会だと、自分が作業できない分だけ、他の人にお頼みすることが多くなるので、それだけ、お金が多用されることになります。
その結果、多くの人のお金に対する依存心が強くなります。
「お金に対する依存心が強くなる」ということは、そのお金を生産・配布・支配しているカバールやイルミナティが、その分だけ地球人類を支配することが出来るわけです。

ですから、現代の私達の医療システムというのも、カバールやイルミナティの影響が色濃く出ていることがわかります。

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なるべくならば、自分の身体を自分でいたわった方が、治りは早いようです。
自分で自分の身体をいたわる」という思いは、それが、病根洞察の行為になったりすることでしょう。

しかし、この記事の途中で書いているように、人は千差万別であり、どんな治療法が向いているかは、はっきりとはわかりません。
ある人は医者に駆け込むのが正解な時もあり、また、ある人ならば、穏やかな環境に移しただけで完治した、という例もあるのです。

ですから、「私達の身体と言うのは、千差万別であり、非常に奥の深いものだ。そして、何かを教えてくれるものなのだ」と実感できると思います。
この実感自体も、自分の身体に対する敬意となると思います。


                                       坂本 誠

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