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2018年3月13日 (火)

三千二百二十八: 日常生活から切り離された時空間を得て

こんばんわ。

私は、旅行は人にお薦めできると思います。

なぜならば、大自然を愛したり、あるいは旅先の土地を愛したりする機会を得るのは、そのほとんどが旅行から生まれると思うからです。

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確かに、旅行というのは、金銭的に負担がかかることが多いです。
遠距離旅行になればなるほど、そうでしょう。
しかし、それを充分に補う程、旅先の土地を愛することが出来ます。

現在では、かなり多くの人々が自然環境を愛するようになったと思います。
日本が公害に苦しめられていた時代もあったので、その反動もあるのかもしれません。
しかし、自然を愛する多くの人々が、直接に自然を愛するきっかけを得たのは、そのほとんどが美しい風景を目にしたからではないでしょうか。

世界に多く存在する景勝地の美しい風景を見て、心が動かされて、「この美しい景色を守りたい」とか感じた人は多いと思います。

ですから、多くの人は旅をした際に、「この美しい自然を愛する」という心が生まれるので、旅行は素晴らしいことだと思います。

「『何かを愛する』という心が生まれる」というのは、これは、人間だけでなく、全ての動植物や存在にとって、非常に大事なことだからです。

ですから、様々な土地への旅は「大自然への、清らかな愛の心を育む機会である旅」とも言えるでしょうから、お薦めできるでしょう。

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確かに、旅行でなくても、風光明媚な土地に住んでいれば、その土地は美しいので自然を愛する心が育まれるかもしれません。

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しかし、これもよくある話なのですが、例えば、風光明媚な景勝地に住んでいると、毎日、その土地に住んで暮らしているので、自分の土地を見慣れてしまいます。
その、見慣れた結果、自分の土地に対して、その美しさを感じなくなってきます。
ですから、有名な観光地に住んでいる人が観光する時には、そのほとんどが、自分の土地を観光する、ということは、ほとんどありません。

そのような人は、自分の土地以外の観光地に足を向けていることが、そのほとんどです。

この点から言っても、有名な観光地に居住している人と言えども、よその土地に観光する必要性があるので、やはり、「旅は大事だ」と言えるでしょう。

(これと同じ感じのことですが、全く逆の側面から言えることがあります。有名な観光地でなくても、よその土地から来た人から見れば、その、初めて訪れた土地の風景とか、産物とか、雰囲気に非常に珍しさを感じるものです。ですから、有名な観光地でなくても、初めて訪れた土地となると、よその土地の人から見れば、その珍しさに惹かれるので、これも旅の面白さと言えるでしょう。地元の人には得られない面白さを、よその土地の人ならば得られるので。)

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また、「旅先での時空間」というのは、ある意味、日常から切り離された時空間です。

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ですから、常日頃のことを、違った側面から眺めたり、全く違う角度から自分を見てみるのに、非常に良い時間です。

地球上の美しい風景を見て、心を癒されたり、自然を愛する心を育むのも良いことです。
しかし、それらの心のあり方自身に対する疑問を得ることもできるでしょう。

簡単に書くと、多くの人も、綺麗な景色を見て、心を癒されると思うのですが、「なぜ、その風景が、あなたを癒すのでしょうか?」

このような疑問が、時折、私の心をかすめます。

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美しい風景とか奇勝な風景とかが世にありますが、元をただせば、そのほとんどが土くれから出来ており、後は、植物の並びとか、河や海などの水の流れが、その美しい風景を作っています。

「土」というのは、二酸化ケイ素(SiO2)である場合が多いです。
「植物」というのは、これは生物ですから、主に炭化水素(CnHnOn)である場合が多いです。
「水の流れ」というのは、これは水ですから、主に(H2O)である場合が多いです。

それらの絶妙な配合具合と配置具合が、人の目をして、「美しい景色だ」と感じさせているわけです。

どうして、それらの元素の配合具合と配置具合が、人や動物の目を感動させる配置や並びとなっているのでしょうか。
また、なぜ、それらの特定の配合具合だと、多くの人々の認める「景勝地」となるのでしょうか。

つまり、芸術の根源が自然の造形具合に織り込まれていることがわかります。

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もっとわかりやすく考えてみましょう。

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例えば、ある人Aさんの目から見たら、景勝地と言われている、ある風景を見ても、「ここは醜い土地だ」と感じても良いわけです。
しかし、別のある人Bさんの目から見たら、ある風景を見て、「ここは美しい土地だ」と感じるわけです。

実際、人間の自由性を考慮してみると、上の例のように、AさんやBさんの見解のように、バラバラな状態の方が、より自然な筈です。

ところが、実際の状態というのは、たいていの景勝地と言われる風景を見ると、その風景を見た、ほとんどの人が、「この土地は、非常に美しい土地だ」と、感じるわけです。
理由無き直観によって。

ほとんど多くの人々が、ある景勝地を見て、「この土地は非常に美しい土地だ」と、感じるのですが、「ここは醜い土地だ」と感じる人は、非常に、ごく少数派となってしまうのです(あるいは全然いない)。

これは不思議な話です。

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しかも、誰からも「この土地を美しい土地だと感じなさい」と強制させられていないのに、ほとんど多くの人が瞬時に、「この土地は美しい」と自然に評価するのです。

多くの景勝地というものは、そのほとんどが、土くれで構成され、しかも、そのほとんどが、偶然の産物であるかのような大自然の絶妙な配合・バランス具合が、人間や動物をして、「この土地は美しい」と言わしめているのです。

「美とは何か」を定めている素材が、その景勝地を生み出している、その風景の奥底に内在されていることが私達にわかります。

このように、多くの景勝地を見て、私達は「美の根源」というものについての洞察をする機会を得ることでしょう。
旅をした際に。

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そして、それらの景勝地の作者は、地球であることがわかります。
それらの地形全体を動かすちからは、もちろん、人間にはありません。

この巨大かつ偉大なパワーを感じて、日頃とは常ならぬ何らかの感慨・洞察・癒しを得る、というのは、人や生き物にとっての大きな幸福の一時であると思います。

多くの人々が、大自然の見えざる手に触れる一時が増えれば良いな、と感じます。


                                       坂本 誠

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