« 三千百九十一: 身近に潜む不思議 | メイン | 三千百九十三: 民主主義の落とし穴を考えて_No.2 »

2017年11月14日 (火)

三千百九十二: 民主主義の落とし穴を考えて

こんばんわ。

この段落は、長くなりましたので、章分けしています。

以前、私達の民主主義について書いたことでもあるのですが、「私達、全ての人々が行っている」とされている民主主義も、「現実上、これは民主主義では無い」と私は思います。

なぜなのかを書いていきます。

///////////////////////////////
///////////////////////////////
■代表民主制から直接民主制へ:

私達の政治システムでは、「国民の一人一人が政治を行うのが、民主主義だ。だから、代表者(代議士)を選ぶ必要がある」と宣伝されているので、その代表者を選ぶために選挙が行われています(これは代表民主制と言われている。これではなく、民主主義の本来の理想形は、直接民主制と言って、全ての人が政治を実行する)。

Pa250184

 

この「選挙が必要だ」という理由を紹介しておきます。

その理由については、多くの人は小学校で習った記憶があるかもしれません。

  「国民の一人一人が政治を行うのが、民主主義だ(直接民主制)。しかし、全ての国民一人一人が、話し合って、政治を行うことは出来ない。だから、私達の代表者を選出して、その代表者(代議士)に政治の事を話し合ってもらおう(代表民主制)」

というのが、代表民主制が確立された理由なのです。

この、民主主義が確立された頃の、西欧は、まだ、1700年代とかのフランス革命の頃が時代背景にありました。

当時は、現代のように、通信網も、そんなに発展していないし、また、交通網も現代のように発展していなかったでしょう。

ですから、中央では無い地域の人々の代表者を決めて、中央都市で、その国の政治内容等を決定する必要性があったので、代表民主制が敷かれたのでしょう。

しかし、現代は環境が進みました。

-------------------------
■■インターネットを使用した直接民主制の実現

時々、どこかのアイドル・グループが、「そのグループ内で誰が一番人気があるか?」等を知るために、何とか総選挙と言われるのを実施しているのを、多くの人々も見かけると思います。

P4180195

 

インターネットを使って、誰でもが自由に投票できるシステムを使って、やっていますね。

これを、そのまま、私達の民主主義政治に取り入れたら良いことがわかるでしょう。

仮に、日本のどこかの誰かが、「このような法律が必要だと思いますが、日本の全ての人々は、この法案に賛成でしょうか? それとも反対でしょうか?」と言って、そのまま、インターネット上で、日本の全ての人々に投票してもらったら、そのまま、法律として制定できるかどうかがわかるでしょう。

つまり、それは、インターネットを使用した直接民主制の実現が可能であることを意味していることが、読者の方々にもわかるでしょう。

つまり、現代の発達した通信網・情報網を使えば、国会議員という代表者を選出しなくても良いことがわかって来るでしょう。

-------------------------
■■テレビ電話を使用した会議の実現

また、現代の国会というのは、大変に費用が、かかっていることがわかるでしょう。

「国会」というのも、一つの会議です。

その国会の運営費用とか、人件費とか、色々ありますが、「日本国中から、代表者を選出して、国の中央都市で、それらの人々と話し合ってもらう」というのも、現代技術の応用が進んでいないことがわかるでしょう。

なぜならば、現代では、テレビ電話があります。

このテレビ電話を使用した会議が、様々な会社でも行われています。

遠く離れた分社の人でも、わざわざ、本社にまで出張して頂かなくても、テレビ電話を使用して会議をすれば、人件費・交通費等のコストも格安に下げられることがわかります。

仮に、「国会」というものが必要だったとしても、日本全国の津々浦々から、多くの人々を選出して、長期間、中央都市に派遣させて、そこで、長期間、話し合いをしてもらうのも、莫大な費用がかかることがわかります。

P4180182

 

仮に、日本全国の津々浦々からの、代表者達の話し合いが必要だったとしても、テレビ電話会議を実施すれば、現代のテレビでも見られるような、大がかりな国会を行わなくても良いことがわかるでしょう。

テレビ電話会議を実施すれば、代表者達の、交通費も要らないし、中央都市に上京してまでの長期間に渡る宿泊費や生活費も要らないし、議員宿舎も要らないし、国会議事堂も必要無いし、また、当然、その国会議事堂運営費も、全く要らないことがわかるでしょう。
地方代議士の方々ならば、地方の自宅に据え付けられている、テレビ電話を付けて、どこかの誰かと会議をすれば、それで用は足ります。
地方の自宅に居ながらにして、彼等の仕事であるところの、話し合い(会議)が出来るでしょう。

(まあ、ここまで書いてみると、読者である、あなたも、「今の政治システムというのは、現代の発達した機器を、充分に活用していないので、大変な無駄が発生しているのだ。大変な税金の無駄が行われているのでは」と、気が付いてくると思います。そして、あなたが、更に思考を進めて、「なぜ、現代の政治運営方法について、旧態依然とした状態が続けられているのだろうか?」と疑問が湧いたら、さらに、その先を、あなたは思考していくかと思います。)

///////////////////////////////
///////////////////////////////
■代表民主制の落とし穴:

私が上に書いたことを、あなたが読んだだけでも、「あれっ?」とか「そういや、そうだよねぇ」とか、つぶやいているかもしれません。

このような背景が潜みつつも、現代の代表民主制が、そのまま、唯一の政治システムであるかのようにして、長く続けられてきました。

そして、選挙で選出された代議士(国会議員)というのは、その巨大ピラミッドシステムを動かすだけの強権を得ることになります。

だいたい、多くの代議士(国会議員)が、選挙で、公約を述べる際には、「どうか、私に地域の人々の声(意見)を、国政に反映させて下さい」という発言が選挙カーのマイクから大音量で流されるでしょうか。

しかし、ここで忘れてはならないのは、「地域の人々の声(意見)」という発言内容でしょう。

「地域の人々」というのは、つまり、何人もいることになります。
仮に、人口が、1万人の地方都市ならば、その地方都市には、1万人いますので、1万通りの意見があることに、読者である、あなたは気が付いてくるでしょう。

ですから、その「1万通りの意見」を、全て、国政に反映させて、実現させるのは無理であることに、あなたは気が付いてくるでしょう。

P4190218

 

つまり、人口が1万人の地方都市で、その都市からの代表者が選出されて、国政に向かう際には、かなりの量の、意見が取捨選択されているのに気が付くでしょう。

-------------------------

わかりやすく、例を挙げながら、進めます。

例えば、「私の住む地域の海には堤防が必要だ」と、ある、代議士が意見を出して、主張したとしましょう。
その堤防建設のためには、どうしても、国からの税金投与などの多額の現金が必要だと見込まれます。

しかし、その地域の人々の95%以上が、その堤防建設には反対だったとしましょう。

しかし、残る、その地域の人々の5%が、その堤防建設には賛成だったとしましょう。

そして、その代議士が、国政に上り、その堤防建設の必要性を訴えます。

他の代議士は、その堤防建設の必要性を訴える代議士に対して、以下のように言うかもしれません。

  「あなたは、地域住民の声(意見)を、国政に反映させる筈の代議士です。しかし、あなたの地域住民の95%以上が、その堤防建設には反対です。その状態だと、あなたは、地域住民の声(意見)を、国政に反映させているとは言えないのではないのですか? それとは逆に、その地域の人々の95%以上が、堤防建設に反対しているので、あなたは、国政の場において、『堤防建設反対』を叫ぶのが、正しい姿ではないでしょうか?

と。

しかし、その、堤防建設を進めようとする代議士は、以下のように言うかもしれません。

  「私自身も、その地域の住民の一人です。ですから、国民の一人として、その地域の声として、私個人の意見を、この場で述べることも、その地域の住民の意見を、国政の場で述べたことになります。確かに、私の地域の住民の95%以上は、堤防建設に反対のようです。しかし、残る5%の人々が、堤防建設には賛成です。その5%の人々の意見を、この場で述べて、堤防建設の重要性を、私が、国政の場で説得することも出来ます

と。

読者の方々には、おわかりでしょうか。

つまり、その地方の代議士といえども、ただの人間です。
ですから、その地方の代議士、1人の個人的な意見が、その地方の残りの9,999人の意見とは違っていても、「その地方の人々を代表する意見である」となるわけです。

そして、その地方の残りの9,999人の意見とは違ってはいるのですが、その地方代議士、一人の意見(意向)も、「その地方の人々を代表する意見」なのですから、その地域に、堤防が建設される可能性もあるわけです。

その、堤防建設を進めようとする代議士は、さらに以下のように言うかもしれません。

  「私の進めている堤防建設事業には、反対者も多いかもしれないのですが、賛成者もいます。過去、何らかの建設作業に対しての反対者が多い時でも、公共の福祉などを考慮して、大勢の反対者を抑えてまで、何らかの建設作業が行われたこともありました。現代では、その堤防建設工事に対して、反対者の方が多いのですが、国家百年の大計を考えますれば、百年後の国内の地域の人々は、この堤防建設工事の有用性を認めてくれるものと信じます、、、

等のように、後は、自説固めの説得の言葉を、日々に、彼が考えることが、彼の仕事となるでしょう。

-------------------------

つまり、このような形で、現在の民主主義政治といえども、一種の独裁政治が可能であることが、だんだん、多くの人に知られてくるでしょう。

P4180194

 

上の喩え話の続きを考えると、その、堤防建設を進めようとする代議士が、仮に、どこかの政党の党首であるかもしれません。

すると、彼は党首ですから、その政党内では、社長のような存在です。

ですから、彼は、党内の人々に対して、

  「私は、この党内の社長のような存在だから、あなたがたは、私の意見であるところの、堤防建設が成功するように、あなたがたも賛成しなさい」

のような感じで、圧力をかけるかもしれません。

その結果、その地域の人々の95%以上が、堤防建設に反対していたのだけど、その人々の意に反して、「堤防が建設された」ということもありえます。

-------------------------

つまり、このような形で、現在の民主主義政治といえども、一種の独裁政治が可能であることが、だんだん、多くの人に知られてくるでしょう。

なぜ、このようなことが可能なのかというと、この代表民主制と言われる民主制の代表者達は、一種の権力を握ることになるからです。

このように、「一種の権力を握った」としても、周囲の人々には権力者とは悟ってもらいたくないので、「私は地域住民の代表者だ」という感じの代表者を、取り繕ってくることでしょう。

つまり、彼は、彼の本音と、彼の口から出ている言葉が違ってくることになります。

-------------------------

上の喩え話を聞いて、

  「私達の民主主義(代表民主制)でも、独裁政治が敢行される可能性が充分に理解出来た。しかも、そのような形式で、カモフラージュ(迷彩)がかけられて、独裁が敢行されている、民主主義政治は、どこか、嘘臭い、芝居じみたものを見ていることだろう」

と、人々は感づくようになるでしょう。

上の幾つかの仮想の例を見ても理解出来るように、私達の民主主義というものには、かなりの穴と言うか、盲点と言うか、落とし穴が多数あることに、人は気付いてくるようになることでしょう。

///////////////////////////////
///////////////////////////////
■終わりに:

読者である、あなたが、上の様々なケースを聞いたり、あるいは、あなた自身が、探し得た、民主主義の落とし穴を見て、あなたも目覚めてくるかもしれません。

ここで、私は「失望」という単語を使っておらず、「目覚め」という単語を使っているのですが、もちろん、これらのケースを知ったとしても、失望するのでは無く、前向きな方向で、それらを捉えた方が良いからです。

どこかの誰かの言葉で、「一億総動員」という言葉があったでしょうか。

P4180193


この言葉の意味は、確か、「日本にいる、一億人、全てを使って、何かの事態に対応する」という意味だったでしょうか。
太平洋戦争時に、初めて使用された言葉だったでしょうか。

この、私の記事の「■終わりに」では、「一億総動員」のパロディで、「一億総出家(いちおくそうしゅっけ)」という言葉が出来ても良いような気がします。

元来、「出家」というものは、頭を丸めて、お寺に行って、「私は俗世を捨てて、僧侶(女性ならば尼さん)になります」という類のものでした。

しかし、ここでは、現実に、頭を丸めて、お寺に行って、僧侶にならずとも、何かの諦めの気持ちをもって、世の見て(これは諦観((ていかん))と言われるものです)、自分なりの、新しい世界観を築き、その新しい世界観を使って、新しい世界の中で、生活することを意味しています。

その手の意味での、一億総出家の気持ちで、人が新たなライフ・スタイルを得ることが大事なのではないかと、私は感じます。

この段落は長くなりましたが、あなたのお時間を取って、ここまで読んで下さり、ありがとうございました。


                                       坂本 誠

Powered by Six Apart
フォトアルバム