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2017年11月20日 (月)

三千百九十四: 現(うつつ)を抜け出す時(独白)

ひどく面白いことを味わえる時がある。

そのような時には、筆を取って、メモを取った方が良いと思う。

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ちょっと、人々から離れて、たった一人になってみる。

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その、たった一人になった時にでも、人は何かを始めるものだ。

美しい湖畔の側に腰を下ろしてみたり、自分の親しいペットと共に戯れてみたり、あるいは、恋人と、どこかの湖畔の周囲の道を散策してみたりするかもしれない。

そんな時、実は、全く完全に、この世の制約を受けていないことに気が付く。

多くの人と共に生活をしていたら、「あれをせねばいけない」「これをせねばいけない」「この約束を破ってはいけない」「あなたは、このような目標を持っていた方が良い」等と、様々に、生まれた時から、周囲の存在達が、あなたに言ってきたことがある。

しかし、あなたがたった一人になって、「今から、あなたは完全に自由になって良いよ」と言われたら、おそらく、あなたは何かをするだろう。

そんな時、あなたは全く何をやっても良いのだけど、個々の人によって、やりたいことに違いはあるだろうけれど、おそらくは、あなたにとっての安らぎさ、とか、面白さを追い求めたりするのではないだろうか。

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どこかの誰かから、「今から、あなたは完全に自由になって良いよ」と言われたので、あなたには時間というものも消滅したと考えてみよう。

あなたは何を考えても全く自由なのだから、今現在の、あなたの本当の年齢も、百億歳とか千億歳とかとも考えて良い(あるいは、それ以上の無限に近い年齢でも良い)。

要するに、あなたは時間も失ったので、あなたは遥か太古の昔から存在しているし、また、今後も、未来永劫に存在し続けているとする。

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その上、あなたに課せられた、あらゆる規則も縛りも無い。

しかし、それでも、あなたは何かをするだろう。

その、「何か」とは、人によって違うのだけど、少なくとも、あなたにとって安らぎを与えたり、あるいは、喜びを与えるものが、ほとんどかと思われる。

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「自分は悠久無限の時の中を存在し続けている(生きている)」と、瞑想してみると、その一つ一つの人生、つまり、一回一回の生涯、つまり、一回一回の生老病死も、瞬時に味わう経験の一つだろう。

その、一回の経験が終わったら、しばらくは休んでみて、どこかの遠い他国の上の、未来社会の中で生活してみるかもしれない。

あるいは、遠い過去の、地球の海の底の生活を選ぶかも知れない。

あるいは、遠く離れた宇宙の果ての、遊星の住民の一人なって、その星での、様々な慣習の下に、別の生活をしてみるかもしれない。

そのような状況だと、何をやっても自由なのだから。

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死んだ後、肉体を持っていない状態になったとしても、そのような状態だと、それでも、あなたは何かをするだろう。

その、あなたが行動する何かとは、やはり、あなたを落ち着かせる内容のものが多いことだろう。

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私達が生活している環境では、その、ほとんどの生活内容が強制されていることに気が付くだろう。

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しかし、時おり、ぼやっとして、本当に何気なく、ホッとする内容の事を、ボソボソとしている時に、真の自分に気が付くのではないだろうか。

その、「ホッとする内容」というのは、世間で賞賛されている内容のものとは、程遠いことに気が付くけれど。

しかし、この「ホッとする内容」を感じて、それから、「私は、悠久の過去から、悠久の未来に至るまで、この状態を求め続けてきた」とあるならば、その内容こそが、真に魂の目的と言えるかもしれない。

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そのような状態を味わっている時には、普通、世間一般で言われているような、「あなたは何らかの目的を持って生きて行かないといけない」という、どこかの誰かのセリフが、かなり軽い、それこそ、羽毛のようなセリフだと感じるかもしれない。

なぜならば、上に書いたように、あなたが悠久の過去から悠久の未来まで、存在するとあるならば、上の他人に薦められた、「あなたのライフの上での、あなたの立てるべき目的」というのは、せいぜい、4回か5回ぐらいの人生時間を過ごせば、達成できる内容のものが多いことだろう。

人によって、個人差があるだろうから、早い人ならば、生きている内の三十年位で達成できたとしよう。

すると、その人は、世間一般で言われているように、「あなたは何らかの目的を持って生きて行かないといけない」と、あるならば、その人は、またしても、無理矢理に何らかの目的を立てなければならないだろう。

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すると、生前には、その目的を達成できないとしても、またしても、何回かの人生を通過すれば、その人は、その目的も達成できるだろう。

つまり、こうなってきたら、「我々は目的を立てるべき存在なのだ」という目的自体も、奇妙なもののように感じてくるだろう。

(結局、そのような目的というのは立てなくても良いことになって来る。)

それどころか、冒頭に書いたように、あなたは自動的に、誰にも、何にも言われずとも、あなたの目的を追いかけていることに気が付くであろう。

それは、ちょうど、冒頭で書いた、「美しい湖畔の側に腰を下ろしてみたり、自分の親しいペットと共に戯れてみたり、あるいは、恋人と、どこかの湖畔の周囲の道を散策してみたり、、、」等のものだろう。

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結局、私達の生活の上での「目的」というのは、その場の生活環境に沿って、何かしら、生まれて来たものである。
だから、それに合わせる必要も出てくる。

例えば、どこかの遊星に、あなたが生活を始めたとしよう。
その星の上では、火山が多いとしよう。
噴火とか火砕流が多くなるだろうから、その生活環境に合わせて、知恵を出したり、何らかの対策のために、目的を立てなければいけなくなるだろう。
その環境の、その目的のために、その目的に沿ったルールが生まれて、そのルールを守ろうとするかもしれない。

 

しかし、あなたが、その星から離れて、更に、どこかの星で生活を始めるならば、更に別のの生活環境が存在しているだろうから、少なくとも、あなたはその環境のための、何らかの目的を立てないといけないだろう。

身近な例で言えば、地球上の、どこかの遠い他国での生活を意識すれば良いだろう。

通常、私達の間での、「目的」というのは、そのような環境調整のための目的に過ぎないだろう。

だから、その手の「環境調整のための目的」というのも、ある程度、私達の学習・経験のために必要なものだろう。

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しかし、冒頭に書いたように、「真の、あなた自身の目的」というのは、世間一般に言われているような目的では無いことに気が付く。

この「真の、あなた自身の目的」というのを言い換えてみると、「魂の目的」と言えるかもしれない。

この「自己の魂の目的」というものに思いを巡らしていると、悠久無限の時を、あなたは想像しているかもしれない。

あるいは、大宇宙の虚空に浮かんでいる、あなた自身を想像しているだろうか。

そして、なんとなく、自分自身が肉体の外に抜け出たような一時を味わっているかもしれない(そんな一時も、私達には、きっと必要なのだろう)。

そして、その、大宇宙の虚空に浮かんで、自分の欲することをやっている。

そして、誰も、あなたに命令とか指図もしていない。
そして、あなたは完璧に自由な状態になっている。

その状態で、自分の欲することをやっているのだけど、多くの人は、その状態の自分を想像して、安心する人が、多いかと思う。

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誰も、あなたに命令していないし、あなたを縛る一切の規則も無いし、あなたは完全に自由なのだから、やろうと思えば、宇宙を崩壊させることも可能かもしれない。

しかし、大方の人は、そのような想像をせずに、何か、自分に安らぎを与えるようなことをしているのだから。

また、そのような状態で、「他の人々を支配してやろう」という、行動をしている人も少ないかと思われる。

だから、大方の人は、そのような想像状態にあって、自分自身に対して、安心することだろう。

そんな一時が、私達にとって、大事であると思う。


                                       坂本 誠

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