« 三千百六十七: サバンナ | メイン | 三千百六十九: News_No.621 »

2017年8月30日 (水)

三千百六十八: 音楽の実体を考えて

こんばんわ。

散文詩と呼ばれる形式で、私の高校時代に作った『耳の目』という、以下の詩があります。

----------------------------
            耳の目

  音楽家は「耳の目」を持っている。
  それを使って、音を、音像を見る。
  「音」という見えざるエネルギーの形、音の景色を彼等は楽譜に描写する。
  すなわち、彼等が作曲する時、それは音を描いているのである。

 

                            坂本 誠
----------------------------

最近の自分の記事である『三千百五十二:音楽家の描写』と同系列のものですね。

詩の世界は、音楽の世界とシンクロしていると言われています。

P9130161


言い換えれば、「詩の世界と音楽の世界は近い所にある」と言えるでしょう。

詩の世界でも「リフレイン(繰り返し)」と言って、リフレインを多用して、音楽的な詩も作られています。

私も、たいそう、音楽が好きで、カラオケを楽しんだりします。

-------------------------------------

また、音楽を聞いていて、想像するのは(ちょっと良い表現が見つからないので、以下のような表現をしますが)、霊的世界です。

私達は肉眼を使って、「音」というものを見ることができません。

しかし、音は確かに実在します。

そして、音だけならば、誰も、感動することはありません。

しかし、音楽家が自分の感情や意志に沿って、音を一つずつ、組み合わせて、川の流れのようにしたものが音楽です。

ですから、音楽というものも無数に存在します。

しかし、誰もが音楽の実在を把握できますが、誰もが、音楽の存在を目にすることは出来ないし、また、触れることも出来ません。

もちろん、音楽というものは透明だからですが、音楽自体の存在が得体のしれない、幽霊に似ていることに気が付きます。

音楽とは目にも見えない川の流れのような存在ですが、その音楽には、必ず、作曲者の心とか、感情とか、意思が乗っているのを、誰もが確認出来るからです。

その眼には見えない音楽の存在が、作曲者の感情を私達に運びますが、その音楽に触れようとしても、手は素通りするのみであり、しかも、その掴むことの決して出来ない音楽の存在は、厳として明らかに存在し、かつ、多彩な感情やエネルギーを周囲に放出しているからです。

そして、日々、音楽は私達に多大な影響を与え続けています。

-------------------------------------

もし、全く音楽の存在しないという世界があると仮定して、その世界の住人が、私達の世界に訪れて、音楽を初めて聞いたのならば、「霊的世界との接触とは、こんなものか」と、彼は言うのではないでしょうか。

-------------------------------------

音楽の世界が霊的な世界を表現しているのならば、その音楽を私達は聞いていますから、「私達の世界である物質世界は、音楽という名の霊的世界とダブっている」と言えるでしょう。

時々、私達の社会でも、「霊魂とのコンタクトがあった」という話が流れます。

P9110154

 

そのような状況を、私達が思い浮かべるためには、上記のような話を思い浮かべるのも良いことかと思います。

なぜならば、音楽という名の、目には見えない一つのエネルギーと接している時間が、その霊魂とのコンタクトに似ているからです。

-------------------------------------

私達の社会に、ありふれていて、日頃は不思議とも感じられていない音楽の実体についてを考えてみましたが、このように、音楽そのものの実体の不思議について、考えを巡らせてみるのも、有意義なことだと思います。


                                       坂本 誠

Powered by Six Apart
フォトアルバム