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2017年8月 8日 (火)

三千百五十九: 「マクロス フロンティア」を見て

こんばんわ。

私のブログの映画シリーズの中で『「超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか」を見て』という一連の過去記事があります。

映画「超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか」以外に見たことが無いので、ちょっと興味が湧いて、公開されているマクロス・シリーズで「面白そうなものは無いか」と探していました。

そして、「マクロス フロンティア」シリーズを見られる機会がありました。
面白い作品でした。
現代では、レンタル・ショップに行くと、過去のアニメ・シリーズでDVD化されているものならば、関連DVDを全部借りて、時間の許す限り、一挙に見られるのが良いところだと思います。

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このマクロス・シリーズは、そのほとんどが、勧善懲悪(かんぜんちょうあく)ものの作品が多いと思います。

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このシリーズに限らず、その他の日本アニメや、世界の小説やドラマでも、勧善懲悪ものの作品が多いものです。
ですから、数多くの悪役が出てきます。

映画や芝居やアニメを鑑賞する側の人達には、あまり知られていないことかと思うのですが、悪役や敵役を演じる方にとっては、それらの役は、結構、荷の重い仕事だそうです。

ですから、作品が終了した際等には、悪役を演じた方々に対して、スタッフ一同からの「慰労会」や「ねぎらい会」が開催される時もあるそうです。

もちろん、作品を創作する創作者自身も、悪役の動きや、心理状態を作らないといけないので、創作者の方にとっても、荷の重い仕事だと思います。

しかし、多くの勧善懲悪ものの作品中で、悪役が悪行を演じてくれるからこそ、正義側に立っているヒーローやヒロインが際立つことが出来、あるいは、作品全体に面白さを与えたり、作品全体の締まりを良くするので、劇中の悪役を演じるのは欠かせないことであり、また、重要な役柄でもあります。

ですから、劇中で、悪役を演じる方々に対して、心からなるお礼や、ねぎらいの心を、視聴者の側からも伝えさせて下さい。

大変な役柄を演じて頂き、ありがとうございました。

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ここまでは前書きでした。

この「マクロス フロンティア」シリーズでも、悪役が出て来て、ヒーローやヒロインは、劇中で、その悪役と対峙していきます。

「マクロス フロンティア」シリーズで、私にとっては印象的な悪役が出て来ましたので、特に、この手の内容の事が思いついたので、以下のように書かせて頂きました。

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多くの日本アニメや、世界中の数多くの劇中の悪役もそうですが、そのほとんどが「独裁者」として描かれているのに気が付きます。
数多くの悪役は、「独裁者」という断りは無いものの、その悪役の個性や心理のパターンが一致しているからです。

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読者の方々も思い出せるように、勧善懲悪ものの作品に出てくる悪役というのは、自己中心的で、周囲の人々を支配しようとします。
「支配」というのは、その悪役の周囲の人々を、「自分の思うがままに、強制的に操作したい」という心理状態です。

あるいは、自己中心的ですから、周囲の人々が、どんな状況になろうと、自分一人が優位な状態になろうとします。
その状態自身も、「支配的」とわかるでしょう。
その自己中心的な悪役も、彼(あるいは彼女)一人が優位な立場に立って、「周囲の人々を強制的に操作したい」つまり「支配」の心があることがわかります。
ですから、世の多くのドラマ中の悪役の心理状態を一言で言い表すと、「独裁者」という表現で現せると思います。

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世の多くのドラマ(私達の現実社会をも含むとわかるでしょう)中の悪役というのは、「周囲の人々と共に、調和とか安らぎとか幸福を一緒に得よう」という発想が無いのに気が付くと思います。

悪役の喜びというものは、「周囲の人々を、彼の下に踏んづけて、思うがままに操作している」という、支配の喜びが中心となっているのに気が付きます。

私達でも、周囲を見回すと、Aさんがいて、Bさんがいて、Cさんがいて、、、、という風に、複数の人々が大勢存在しています。

その結果、それらの周囲の人々を見て、悪役の人は、「自分とは切り離された存在であり、自分の幸不幸とは関係ない」と思っているようです。

周囲の人々と、その悪役の人は、切り離されていますから、次第に、その悪役の人は、競争を愛するようになってきます。

そして、その競争の結果、やがて、その悪役の人は周囲の人々よりも優位に立つようになります。

その「周囲の人々よりも優位に立」った結果から、彼は、やがて、その結果を利用して、周囲の人々を見下して、つまり、周囲の人々を支配するようになってきます。
つまり、その姿が独裁者であることがわかります。

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つまり、世の悪とされる「他者を支配したい」という心は、どこから生じて来たのかを、じっくりと考えると、その原因は「競争精神にある」とわかります。

悪役の、ネガティブな精神状態を作り上げたのは、彼(あるいは彼女)の過去における、競争を中心としたライフ・スタイルである、とわかってきます。

つまり、競争を愛する環境に置かれた結果、悪役の人が「周囲の人々と共に、調和とか安らぎとか幸福を一緒に得よう」という発想や心がけが次第次第に消えていくのです。

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これと同じ事が、私達の現実社会でも起きていることがわかります。

幼い頃から、学校教育を受けて、「周囲の人々と比較して、良い成績を取るように」と、いかにも、親身のあるような雰囲気で、愛情のあるような雰囲気で、言われ続けたものですが、その競争礼賛の呼びかけ自体が、私達の競争精神を煽り、それが、支配精神を助長してくるのがわかります。

最近では、世界各国の子供達を学力テストさせて、その結果を、マスメディアを使ってまで発表して、例えば、以下のようなことが語られます。

  「我が国の子供達は、あの外国の子供達の学力に負けているから、負けてはいけない」

という感じのセリフです。

この競争礼賛の精神は、以下のようなセリフが背後に潜んでいるのを感じてきます。

  「この世界は競争世界である。結局、外国との学力競争に負ければ、やがては、我が国のGDPや技術が負ける。そうなれば、競争に負けて倒産した会社のように、我が国の人々は路頭に迷うことだろう。だから、我が国の子供達よ。外国の子供達を仮想敵国と人々とみなして、己が学力向上に励むため、競争を愛しなさい」

と。

あるいは、私達の資本主義社会でも、様々な企業の間で競争が行われているのは誰でも知っているでしょう。
ですから、大人の社会(資本主義社会)の間では、大変に競争が推奨されているのは、誰でも知っているでしょう。

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つまり、私達の社会の間で、「大量の競争が推奨されている」ということは、「それだけ多くの支配精神の養いが行われている」と気が付いてくるでしょう。

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私達の社会の間で、ごく何気なく、ネガティブ精神であるところの、支配精神の養成が行われています。

つまり、私達の社会で、さりげなく、次世代のイルミナティやイルミノイドやカバールの養成が行われているのに気が付いてくるでしょう。

また、競争礼賛を推奨している人々も、知らず知らずの内に、世の流れの一環として、競争礼賛を推奨していたことにも気が付いてくると思います。

つまり、イルミナティ達の世を挙げての、一大マインド・コントロールが実行されているのです。

ですから、世に競争礼賛を推奨している人々も、知らず知らずの内に、マインド・コントロールされた結果、あのようになったので、一概に彼等を責め立てるべきでは無く、気が付いたら、静かに、そっと離れた方がより良いことだと思います。

確かに、人には自由があるので、競争礼賛を推奨している人々に、気付きの言葉なり、何かを語ることは出来ますが、それらのことはケース・バイ・ケースでやった方が良いようです。

大抵の場合は、トラブルが起きるようです。

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実際に、イルミナティやイルミノイド達は、あからさまに、私達に競争精神を高めたりすることはしません。

さりげなく、彼等は私達に競争を愛するように、仕向けてきます。

そのために、私達の社会の間では、イルミナティの作った、お金が流布されたり、あるいは学校でのテストが実施されています。
お金とか、学校でのテストは数値で表現されています。
あるいは、世界中の様々な国の貧富の差を現しているGDPも数値で現されています。

そのように、お金とか、学校でのテスト等で、人の様々な行いの結果が数値化されれば、人は、以下のように競争精神を煽(あお)られるのです。

■イルミナティ:
  「あなたがたの何らかの行いが数値化された結果、悔しくなったり、嬉しくなったりしただろう。悔しく感じた人は、もっと競争を愛して、競争に勝ちなさい。嬉しく感じた人は、嬉しさを倍増させるために、もっと競争を愛して、競争に勝ちなさい。」

そして、永遠に、そのピラミッドの頂点にたどり着けない、競争を愛して、実行し続けるわけです。

他ならぬ、イルミナティ達自身も、過去、競争を煽られ続け、愛し続けた結果が、彼等の支配精神を養ったということがわかります。

彼等自身が口やかましく、周囲の人々に対して、やれ、「競争しろ」とか「競争を愛せよ」という風に命令していたら、彼等は嫌われることにより、次世代のイルミナティやイルミノイドの養成が難しくなります。

しかし、周囲の人々が自発的に競争を愛するようになれば、彼等にとっては好都合です。

彼等は嫌われないどころか、彼等は全く自分達の手を汚さずに、世の支配化を進めることが出来るからです。

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確かに、「次世代のイルミナティやイルミノイドになりたい」という人も世にはいるかもしれませんから、人は自由を保障されていますから、そのような望みを持っても良いのかもしれませんが、お奨めは出来ません。

なぜならば、上にも書いているように、そのような人は、周囲の人々の調和とか、それから生まれる幸福とか安らぎとか安寧(あんねい)からは遠ざかるからです。
早い話が、周囲の人々を見下すようになった結果、支配精神が心の中に生まれて、不幸になりますので。

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資本主義社会での子供達に対する学力競争・企業間の競争は、私達のスポーツや知的競技の上に見られる競争とは、全く別種の競争だとわかります。

野球とか、アイス・スケートとか、その他のスポーツでも競争の上で、時折、ファイン・プレーが見られ、それが多くの人々の涙を誘う時があります。
また、知的競技である将棋とか囲碁とかでも、競技中に、妙手が出て、その美しさに、人々が感嘆の声を上げる時があります。

しかし、私達の資本主義社会での学力競争というのは、やがて、企業間の競争となり、その企業間の競争が、相手を潰そうとばかりに競争しているので、その競争を見て、人々は涙を流したり、あるいは、感動する程のファイン・プレーを見たことは無いことでしょう。

その、企業間の競争で勝った側の裏側には、負けた側がいて、倒産をしたりして、路頭に迷う姿が見られるからです。
つまり、その手の競争は死活競争なので、周囲の人々が傍から見ても、感動を感じないのです。

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「マクロス フロンティア」シリーズを見て、まだ、幾つかの感想を得たのですが、その感想文は、また、次回以降に書いてみたいと思います。

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マクロス・シリーズを見ていて、私も感動することが多く、過去の私のブログ記事の『「超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか」を見て』シリーズ中にも、マクロス・シリーズに捧げる詩を掲載していました。

この段落では、その過去記事中に捧げた、幾つかの詩を再掲載させてください。


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        愛と勇気


    一人の女の  一つの歌声が 宇宙に
       ゆるやかに広まってゆく時
            一人の男の勇気が 一つに集まってゆく。


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        歌と刃(やいば)


    激しい 戦いの中で、
    刃(やいば)が 交わされる中、
    やわらかい 女の歌声が
    私達の 心の中に
    やさしく 響きわたる。
         やがて その歌声は
           冷たい 刃(やいば)の中にも
             届いてゆく。

    それは
         愛の奔流(ほんりゅう)が
           数多(あまた)の
           刃(やいば)を折(お)る ちから か。

    一人の女の歌声が
      翼を広げ、
      軽々と 空に 舞い上がる時、
          一人の男の 勇気が
          一つの闇を 裂(さ)いてゆく。

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(以下、過去記事、関連記事、及び、参考文献)
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『二千四百七十三:「超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか」を見て_No.8』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2015/05/_no8-641a.html

『二千四百四十:「超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか」を見て_No.7』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2015/03/_no7-3898.html

(以下、旧ブログ『悲喜憐偉』側の記事)

『二千六百六十九:「超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか」を見て_No.6』
http://hikirini.blog.bbiq.jp/blog/2012/11/_no6-d396.html

『千三百十五:「超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか」を見て_No.4』
http://hikirini.blog.bbiq.jp/blog/2011/10/_no4-6088.html

『七百三十八:「超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか」を見て_No.3』
http://hikirini.blog.bbiq.jp/blog/2011/01/_no3-5b33.html

『七百二十五:「超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか」を見て 』
http://hikirini.blog.bbiq.jp/.s/blog/2011/01/post-ff12.html


                                       坂本 誠

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