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2017年7月28日 (金)

三千百五十: 男と女を考えて

私達の身近に存在する不思議について、感嘆してしまうことがあります。

それは、男女の存在です。
「男女の存在」とは、つまり、生物の性差の事です。

私は生まれてから、この年齢まで、もちろん男をやっています。
少年の年頃だと、自分と同じ年齢の少女を見ていても、あまり不思議を感じませんでした。
ただ、「男女の違いとは肉体の違いだけに過ぎないのだろう」という考えぐらいしか持っていませんでした。

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その年齢で、遊んでいても、「性差」というものも感じることも無かったし、ほとんど、肉体的な機能にも違いは無かったのだから。
もちろん、少年少女の年頃だと、そのような男女には、性差を感じさせるような思考の違いも、あまり無いようなものです。
つまり、そのような年頃の男女だと、ほとんど、思考パターンも似通っています。

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しかし、二次性徴を越えてからの男女には、もちろん、肉体上の性差も大きくなるけれど、思考パターンや感情パターンにも違いを感じられるようになります。

男女の間に、思考パターンや感情パターンの違いが生じても、両者とも、その違いの個性を、全く理解できないわけではありません。

なぜならば、どんな人間社会にも男女がいて、その人間社会では、同一の言語が使われるので、その社会の男女は言語を使って、お互いの意志や感情を伝え合うので、両者とも、お互いを、ある程度、理解し合います。

しかし、両者とも理解し合う、反面、お互いの性差である個性については、完全なまでには納得し難いものがあります。

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例えば、女性ならば、衣装が好きであり、何着かの衣装を持っていたり、あるいは、化粧を好むものです。
「女性は美を現す存在」と、よく言われているように、女性は、自分の美しさを向上させたり、表現を高めようとします。

ところが、比較的に、男性の方は、あまりにも衣装で着飾ることをしません。
かなり多くの男性を見て、女性と比較するに、相対的に、男性は、自分の肉体を使ってまでの、美の表現に対しては、「熱意に欠けている」と言えると思います。
しかし、なかには、男性でも、数多くの衣装を持って、その何着もの衣装を着飾って、周囲の人に自己の美を表現しようと努めているミスターもいることでしょう。

私は男ですが、多くの衣装を使ってまで、「自分の美を表現しよう」とまでの、深い熱意に欠けているようです(「全然、全く無い」というわけではありません)。

ただし、絵を描いたり、何らかの文章表現を行って、その内部の美しさを追求しよう、という、熱意ならば、比較的に満ちているように思います。

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女性の心理から見て、男性の心理にわかりづらいものがあるのと同じように、男性の心理から見て、女性の心理にわかりづらいものもあるでしょう。

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二次性徴を越えた、男女の肉体には、それぞれに違いあるように、お互いの心理状態にも、わずかながら違ったものが備わっています。

しかし、その、ちょっとばかり、お互いに「ズレ」を感じる程の心理状態は、お互いに全く理解し合えないものでもありません。

だけど、いざ、男だけの集会とか、女だけの集会に、顔を出してみると、多くの人は以下のような会話を交わしていることでしょう。

  「男性の、この部分が理解できないわ」

あるいは、

  「女性の、この部分が理解しにくいものだね」

等々。

日頃、感じ合っていることを、言語を使って、しっかりと、異性に自分の感じ方や見かたを伝え合っても、頭では理解できても、ハートがなかなか理解しにくいポイントが出てくるものです。

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あらためて、見直すと、男女の身体の作りも、そんなにまで違ったものでは無いことに気が付きます。

女の身体も、男の身体も似てはいるものの、違った作りの部分もあります。
それと同じように、女の心と男の心も、かなり、似通っているものです。
だから、言葉を使って、お互いの意志や感情を交わし合うことが出来ます。
しかし、男女の身体の作りと同じように、男女の心の状態も、似通ってはいるものの、ちょっと違った部分があるのに気が付きます。

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SF的な作り話を考えてみます。

性差の無い宇宙人がいたと仮定してみます。
その宇宙人が、地球にやって来て、初めて、男女を見たとしましょう。
そして、その宇宙人が、目の前の二人の男女を、ある期間だけ、観察してみると、いかのように感じるでしょう。

  「女も男も身体の作りも、ほとんど似ているのに、わずかながらに違う部分がある。それと同じように、心の状態も似ているのに、わずかながらに違う部分がある」

と。

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私達の身近にも、多くの隠れた不思議が存在します。

その隠れた不思議の、大きな一つとして、男女の心の性差があると思います。

地球上に、男女が暮らし始めて、長い年月が経っているでしょう。
同時に、「男女の心の状態で、似通ってはいるものの、ちょっと違った部分」、つまり、男女のメンタル的な性差の部分を、男女が互いに理解し合おうと、努力し続けている年月も、それだけ長いとわかります。

おそらく、その「『男女が互いに理解し合おうと、努力し続けている年月』の期間は、どれぐらいだろうか?」と想像するに、それは気の遠くなるほどの、相当の長い時間でしょう。

それほど、長い期間に、男女は、「お互いに理解し合おう」と努めているにも関わらず、いまだに、その悩みは解決されないようです。

そして、おそらく、今後も、その悩みが解決される日は、訪れないかと感じてしまいます。

なぜならば、もし、その悩みが完全に解決されたら、世の男女の間の喜びは無くなるか、半減するだろうから。

そう、もちろん、その男女の性差の部分が、あるからこそ、私達には、男女が世に存在している面白さと喜びが得られているのだから。

だから、永久に解決されないような悩みのように見えても、それだからこそ、その悩みの部分を使用・逆用することによって、それ自体を喜びと化すとは、、、

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以前に、ヒットしたSFアニメに、『超時空要塞マクロス』というものがありました。

この『マクロス』の中では、地球人類以外の宇宙人として、ゼントラーディとメルトランディという、宇宙人が出て来ました。

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ゼントラーディというのは、巨人の男だけの存在です。
メルトランディというのは、巨人の女だけの存在です。

ゼントラーディも、メルトランディも、遺伝子操作によって、試験管ベイビーを生むことによって、お互いの種族数を調整しています。

そして、同アニメ中では、このゼントラーディとメルトランディが、太古の昔から、宇宙空間を股にかけて、巨大戦争を続けており、その巨大戦争に、地球人類が巻き込まれる、というのが、『超時空要塞マクロス』のあらすじでした。

おそらく、男女の存在しない世界(つまり、性差の存在しない世界)とか、あるいは、異性が、自らの地域社会に存在しない世界、というのは、『超時空要塞マクロス』の舞台のように、殺風景な世界が出来上がるのではないでしょうか。

「異性が、自らの地域社会に存在しない世界」というのを、具体的に例を挙げて書いてみると、メルトランディ軍のように、女の巨人だけの世界に、異性であるところの、ゼントラーディ人が一人もいないような世界です。

おそらく、あまり喜びは無いかもしれません。

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『超時空要塞マクロス』では、性差を失った社会として、ゼントラーディとメルトランディが語られます。

それとは、対照的な、地球人類の社会も、同アニメ中では描かれます。

アニメ中の地球人類の社会では、もちろん、男女がいるので、幾つもの男女間の話題が語られています。
私達も本の中とか、あるいは、テレビで放映されるドラマでも、見ることが出来るように、あるいは、現実社会でも、見ることが出来るのだけど、ごく、ありふれて、恋愛ドラマを見かけることが出来ます。

そして、その恋愛ドラマというものも、おそらく、地球の上に性差が生じて以来、ずっと、そのドラマが作られて来たか、あるいは、私達によって、実演してきたのだと思います。

地球上に性差がある限り、この手の喜びや、面白さを永遠に味わい続けることが出来ることがわかります。

逆を言えば、もし、性差の悩みが無ければ、性差から生まれる、喜びも無いことでしょう。

「男女の違いがある」ということは、一種の垣根でもあり、悩みの一つでもあるのだろうけれど、それ自体が喜びと面白さの一つである、と気付くのも面白いことでしょう。

私達が、ゼントラーディ軍かメルトランディ軍の中に、試験管ベイビーとして生まれなかったのは、非常に幸せな事だと言えると思います。

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私達の社会の中でも、街の中を歩けば、そこに現れるのは、当然なのだけど、男女しかいません。

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あまりにも見慣れた光景です。

しかし、上の流れから言えるように、ちょっと思い出してみて、男女のメンタル的な性差の事を考えてみると、異性の存在を不思議に感じたり、面白くも感じたりします。


                                       坂本 誠

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