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2017年6月14日 (水)

三千百二十九: 幸福と自主性を考えて(独白)

幸福になれない人の心理パターンとして、昨今から考えている。

幸福になれない人は、自分自身で幸福を作ろうとしていないけれど、幾つか、それに付随した行動パターンを身に着けてしまうようだ。

例えば、「私自身は、与えられたことをこなしている。だから、それ以上はやらない」というものだろう。

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この「与えられたこと」というのを具体的に考えてみると、例えば、組織の中で与えられた仕事とか、社会生活の中での、何らかのその人の役割とか、あるいは、古来から現在に至るまでの社会の中で、伝統的・慣習的に「これは、私に習慣づけられている行動の筈だ」と、本人が堅く信じ込んでいる行動等である。

つまり、このケースでさえも、その人自身が自発的にその行動を求めたのではなく、その人自身の外部から、「この行動をしなさい」と言われたかのような感じの下で、引き受けたような感じになっている。

だから、結局、自主的ではない。

また、ここまで読んでわかるように、「そのような人は自立精神に欠けているように感じる」と、読者の方も感じるだろう。

だから、結局、その人の言い分として、以下のような要求事項を、周囲の人に与えることだろう。

  「私は、今現在、これをやってあげているから、あなたは私に幸福を持って来なくてはいけない」

等である。

その人がやっている行動と言うのは、その人からしてみたら、どこかの誰かが、「これをしなさい」という感じで命令を与えられて、「自分は、今現在、この行動をやっている」というものである。

だから、その人からしてみたら、

  「自分の現在実行している行動は、あなたが私に命じたものだから、その見返りとして、あなたは私に幸福を持って来ないといけない」

という思考パターンに陥っているようだ。

結局、本当に自分のやりたいことを自発的に選択して、実行していない。

だから、この手の幸福になれない人も、周囲の人が見て、精神的な未熟さを感じることだろう。

私が書いている「周囲の人」というのは、もちろん、親兄弟などの肉親も含む。

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また、このタイプの人を見るに、自分で精神的な成長をストップさせているとわかるだろう。

この状況だと、その人にとっては、自分の実行している行動は、どこかの誰かから命じられて、与えられたようなものだから、それを超える何かの状況が発生すると、その人は、それ以上考えないし、また、通常とは違った出来事に対しての、自ら創出した、新しい行動に踏み込むことはまず無い。

与えられた箱の外に出ようとすれば、その人は、認知が混乱し、心理的にパニックに陥りやすい。

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このことについて、わかりやすい例を考えてみた。

与えられたこと以外には、考えたくないし、それに関係した事には、何も実行したくない人がいると仮定しよう。

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その人の目の前に、急にUFOが現れて、中から、宇宙人が出て来て、その宇宙人が「Hello! World!」と言って、挨拶してきたとしよう。

彼(あるいは彼女)にとっては、UFOとか宇宙人の存在を知らされなかったどころか、彼は、全く信じていなかったので、彼は混乱することだろう。

そして、いきなり、家に閉じこもって、スマホを取出し、政府のような役所の機関に連絡し、対応を願うことだろう。

なぜならば、彼(あるいは彼女)にとっては、この手の「第三種接近遭遇」と呼ばれている出来事については、「自分は、その役割を与えられていない」と思っているので、「自分以外の存在、つまり、政府のような役場の機関が、その役割を代行するに違いない」と堅く信じているからである。

そして、電話を受けた政府の側の人間にとっても、政府の長年の縦割り行政の結果から、電話を受けた、その人間も、以下のような返答をするのではないだろうか。

  「こちらの方で、その出来事に対応予定の担当部署があるかどうかを確認してみます」

と。

ところが、現実には、その出来事に対応する予定の担当部署が作られていないので、やがて、この手の「第三種接近遭遇」と呼ばれている出来事については、うやむやにされていく。

(余談なのだけど、政府とか、地球上の支配者だと自認している人々が、UFOの中にいるとされている宇宙人の存在を認めないのは、それなりの理由がある、と聞いた事がある。その聞いた内容と言うのは、もし、政府とか、地球上の支配者だと自認している人々が、宇宙人の存在を認めてしまえば、地球上の支配者だと自認している人々が、この地球上の支配者なのに、それ以外にも広い世界があって、その広い世界から見れば、地球上の支配者だと自認している人々が、その広い世界までも支配していない、あるいは支配できないことがわかる。つまり、地球上の多くの人々から見たら、「地球上の支配者だと自認している人々は、井の中の蛙だ」と理解するのである。その結果、地球上の支配者だと自認している人々の、地球支配の実行力が弱まってしまう。だからこそ、政府とか、地球上の支配者だと自認している人々は、UFOや宇宙人の話題となると、かたくなに、その話題を拒否する、と、私は聞いた事がある。また、その手の話題を拒否するために、その手の話題を行う人に対して、「あなたは奇妙な事を言っているので、多くの人々から馬鹿にされて、嗤われるだろう」等のように嘲笑したり、辱めることによって、その手の話題に「議論の必要性は無い」ことを、多くの人々に、強制的に納得させようとしている、と私は聞いた事がある。)

少しだけ話題が反れたのだけど、つまり、「与えられたこと以外には、何もしたくない」と言う人は、結局、それ以外の事に対しては人任せにするようになる。

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比喩的に見てみると、そのような人は箱の中に入っているだけで、その箱の外に出ようとはしない。

だから、知識も広がらないし、もっと広がる筈の知識に応じただけの行動力も出てこない。

結果として、周囲の人が見るに、そのような人は一種の自閉症のように見えるだろう。

この手の比喩的な、自閉症の人は、上に書いているように、自分で自分自身の成長をストップさせているとも言えるだろう。

このタイプの人にとっては、何か新しいことが身の回りに起きると、対応不能なので、容易に認知が混乱し、心理的なパニックに陥りやすいだろう。

つまり、そのパニックは、その人にとっての不幸と言えるだろうけれど、上の流れから理解出来るように、他ならぬ、そのパニックに陥る原因を作ったのは、他ならぬ、その人であるとわかるだろう。

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「幸福は自分の手で作らないといけない」と書いているのだけど、結局、その言葉を聞くと、「自主性」とか「精神的な自立」という言葉を連想すると思う。

「私は与えられたこと以外には、何もしない」という人任せをする人は、上に書いているように、「自分の成長を自ら止めている」ということになる。
だから、「自主性」とか「精神的な自立」の精神を押し留めていることになる。

なので、身の回りに起きてくる、新しい出来事に対応できず、心理的なパニック状態になり、つまり、不幸感覚を得てしまう。

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だから、「幸福を手に入れる」という観点からすると、「私は与えられたこと以外には、何もしない」という考えを持たない方が良いと思う。
また、当然、それを実行しない方が良いと思う。

しかし、人は自由を許されているので、もちろん、「私は与えられたこと以外には、何もしない」という考えを実行しても良いのである。

しかし、上の流れからわかるように、幸福を求めたい人ならば、それを実行しない方が良いだろう。

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次に、「どうして、『私は与えられたこと以外には、何もしない』という人が増えたのだろう?」という疑問が、私達の心中に湧いてくるだろう。

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これを考えるに、これは私達の世界で、よく見られる「組織」が原因と言えるだろう。

私達の周囲には、様々な組織がある。

その組織の内部では、組織の目的に沿って、一人一人の構成員に何らかの特定の役割が与えられる。

その、一人一人の構成員が自分の役割を超えた事柄を行ってしまうと、組織のトップの人間から見たら、その人間は扱いにくい。

その結果、組織の中では、「お前に授けたこと以外に、お前は考えてはいけないし、お前に授けたこと以外の事を実行してはならない」となる。

つまり、組織としては、一人一人の構成員というのは、意思や感情や意見を持たない、ロボットであってくれれば助かるのだ。

だから、私達の周囲に様々に見受けられる「組織」というものが、一人一人の人員をロボットのような、あるいは上に書いているような自閉症のような人材を育て続けてきたことがわかる。

私達の社会に様々に見受ける、多くの「組織」というものは、不要かと思われる。

現在に至るまで、「外敵に備えるため」という名目の下に、あまりにも数多くの組織が必要とされてきたのだが、これは誤りではなかったか。

もっとも、組織というものも、必要とされる時がある。

それは、人間一人だけでは、どうしても達成することが難しいと思われることを実行する目的が、多くの人に認められた時に、また、多くの人が納得した時に、何らかの組織が組まれる時がある。

しかし、通常は、その目的が達成されたのならば、当然、その組織も不要なものとなる。

だから、その組織も解体される時がいつかは訪れる。

また、上の流れからわかるように、組織が個々の人の自由性を奪った結果、「私は与えられたこと以外には、何もしない」ということになり、さらにその結果、不幸な人が増えた、と言えるだろう。


                                       坂本 誠

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