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2017年6月19日 (月)

三千百三十一: 学校の宿題について

■初めに:

こんばんわ。

学校の宿題について考える機会がありました。
学校の「宿題」となると、予習とか復習も含みます。

いきなり話題が飛ぶような感じになりますが、ちゃんとつながりますので、安心して下さい。

私達の社会では、様々な会社があります。
そして、会社側は、従業員達を就業時間外には拘束してはいけません。
もちろん、就業時間以外だからです。

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■学校の先生は生徒達を放課後にも監督・拘束できるのだろうか:

「■初めに:」で書いた、会社事情と全く同じ事が、「学校」というシステムにも当てはまるでしょう。

数多くの学校が、生徒達に宿題を与えたり、予習や復習をするように求めていることでしょう。

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しかし、その行為は、生徒達の学校に出席している以外の時間を拘束していることになるでしょう。

しかし、どんな教師でもそうでしょうが、「どこかの教師が、学校の始業時間から始まり、学校の終業時間に至るまでは、生徒達を監督しても良い」とは言われているでしょうが、「どこかの教師が、学校の放課後以降の時間に、生徒達を監督や拘束して良い」とは、どんな教師でも、言われていないと思います。

なぜならば、もし、どこかの教師が、放課後以降の時間まで、生徒達を監督・拘束しているというのならば、それは、企業社会で喩えるならば、「生徒達に対してサービス残業を命じている」という形になるからです。

しかも、この場合だと、「生徒達に対してサービス残業を命じている」という形になりますから、やろうと思えば、ある生徒に対しては、徹夜をしないといけない程の宿題や予習や復習を命じることが出来るようになってしまうからです。

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ですから、現実には、当たり前の話のようですが、まるで暗黙の内には、「学校の、いかなる教師と言えども、放課後以降の生徒達を監督・拘束してはいけない」となっていることでしょう。

しかし、それとは、全く反対に、これも、まるで暗黙の内に、「生徒達に、宿題や予習や復習を命じよう」とも、なっているのも、「公然の秘密」というか「公然の暗黙事項」という形になってはいないでしょうか。

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読者の方々も、ここまで読んで、理解出来るように、つまり、「学校の宿題や予習や復習という行為には、矛盾が存在している」とわかるでしょう。

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■私達が抱くことの出来なかった矛盾や疑問点:

私のようなブログを、どこかの学校の先生が読んでいるかどうかはわかりませんが、この矛盾しているポイントを、突かれたら、少々、虚しいものを胸に感じるかもしれません。

世には、数多くの学校の先生がいます。

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その、数多くの学校の先生の中には、本当に、子供達と一緒にいることを幸福に感じている先生方もおられることでしょう。
また、ある学校の先生だと、単に、自分の生活の糧のための道具だと見なしているかもしれません。

また、他の、ある学校の先生だと、何らかの強い使命感に駆られている方もおられるかもしれません。

しかし、世の学校システムの矛盾点を突かれますと、その矛盾点を忘れようと努めるために、明日からの教壇上で、教育知識的な熱弁に更に励むかもしれません。

しかし、一番に上に挙げた学校の先生の例、「本当に、子供達と一緒にいることを幸福に感じている先生」というのは、私が、上記のような学校システムの矛盾点について尋ねるよりも以前に、もう、かなりの段階で、他の様々な教育システムの問題点を、目の当たりにして、深く憂慮していると思います。

そのような先生達は、普段は、自分達の憂慮している事柄を、公然と、広い場所では、語っていないだけだと、私は思います。

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この段落を読まれる、少なくとも、現代の日本人の方々ならば、義務教育を通ってきた筈ですから、「宿題」というものは、全ての人が通過してきたかと思います。

「夏休みの宿題」とか「冬休みの宿題」とかいうのも同じですので、多くの、いや、全ての人が通過してきたことでしょう。

そして、「学校で出される宿題というものに対して、疑問を持ってはいけない」という、一つの盲点が存在したのではないでしょうか。

というのも「学校側は、宿題を出して当然だからだ」という、この手合いの言葉すらも、私達の念頭に思い浮かぶことも、通常は無いかと感じます。
だからこそ、宿題というものに対して疑問を感じることも、かなり少ないかと思います。

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もちろん、学校に登校する生徒達の中では、「本当に、学校的な教育知識が面白くてしょうがない」と言ってくる生徒達もいるかもしれません。

そのような生徒達が、自ら、「先生。学校の放課後でも、私は自主的に、その分野に対して向学したいので、どうか宿題を与えて欲しいのです」と、言ってくる生徒も、中にはいるかもしれません。

もちろん、そのような、お願い事を自ら言ってくる生徒には、「このケースだと、双方に合意が存在する」ということで、宿題が出ても良いことになるでしょう。

このケースだと、これは、義務教育の無い、江戸時代以前に存在していた、寺子屋とか藩校(はんこう)と呼ばれる教育・学習システムと、ほとんど類似だと考えられるでしょう。

寺子屋も藩校も、似たような感じですが、どちらも、子供側の方が「私は自ら、学びたいので、ここにやって来ました」と言ってきたのでしょうから。

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■スタンピード現象と宿題の歴史:

次に、私が冒頭から書いている「どうして、人は宿題というものに対して、疑問を抱く事が無かったのか」というポイントを考えてみたいと思います。

これは、一つには、「スタンピード現象」と呼ばれる現象が影響したと私は見ています。

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この「スタンピード現象」というものについて、簡単な説明書きをしてみます。
例えば、テレビのコマーシャルで、カッコいい新車が発表されたと仮定します。
そして、その、テレビのコマーシャルが大々的に、流れた結果、数多くの人々が、そのカッコいい新車を見ます。
さらに、その結果、数多くの人々が、「我も我も」という感じで、そのカッコいい新車を購入し始めたと仮定します。

すると、他のある人で、その人は、自分の中古車を長く愛用していると仮定しましょう。
そして、まだ、当分の間、その人は、自分の乗用車を買い換えるつもりもありません。

しかし、その人の周囲の人々が、「我も我も」という感じで、そのカッコいい新車に買い替えていると、その、中古車を愛用している、その人は、本当は、乗用車を買い換える必要性も無いのに、また、本意でもないのに、「私の周囲の人々が、我も我もと、新車に買い替えているから、私も、その新車に買い替えないと、なんとなく、いけないのではないだろうか?」と、思い込み始めると仮定します。

(私の書いている「周囲の人々」とは、親兄弟や、自分の子供等も含む、肉親をも意味します。)

そして、その結果、その、自分の中古車を長く愛用している人が、自分の中古車を捨ててまで、その、カッコいい新車に買い替えてしまう、というケースがあると思います。

この、上記の説明までが、「スタンピード現象」と呼ばれるものです。
要は、スタンピード現象を別の表現で書くと、「真の自分を見失ってまで、大衆の流れる方向に、流されてしまう」というものです。

この結果だと、結局、「自分に嘘をついてまで、生活を送る」ということになってしまいます。

ですから、真の自分の方向性まで、狂わされるので、この「スタンピード現象」というものは、まずいものだと私は感じます。

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「スタンピード現象」の説明は終わりましたので、ここからが、宿題というものと絡んでいきます。

私自身は、この「宿題」というものが、世界の、いつ、どこで、どのようにして始まったのかはわかりません。

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要するに、「宿題の歴史」というものを、私は知りません。
しかし、「宿題の歴史」というものは、世界史上で、どこかにはあると思っています。
私の時間のある時に、その「宿題の歴史」という手合いのものを調べてみたいと思っています。

しかし、ここだと、日本の義務教育は、明治維新後に始まっていますから、日本の教育システム上における、宿題について考えてみたいと思います。

わかりませんが、ひょっとしたら、江戸時代以前の寺子屋とか藩校の教育システムでも、「宿題」に相当する、ものがあったのでしょうか。

明治維新後に、小学校とか中学校が建てられました。
同時に、日本全国にも高校とか大学等の教育機関が順次、建てられました。

どこで、「宿題」という発想が生まれたのかはわかりませんが、当時の高校とか大学での、自主的に行われている、勉強が、やがて、小学校や中学校に降ろされて、「宿題」となったのでしょうか。

しかし、英語にも「宿題」に相当する単語「homework」というものがあります。
ですから、この「宿題の歴史」というものを調べてみると、私は、かなり意外な調査結果を得られるかもしれません。

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しかし、話を限定して、明治維新後にスタートした、義務教育について、話を進めましょう。

その当時の小学生とか中学生とかでも、私が冒頭に書いた「学校の先生達が、生徒達の放課後の時間を宿題を課すことによって、拘束できるのだろうか?」という疑問を抱いた生徒達もいたかもしれません。

しかし、ここで、スタンピード現象が大いに用いられたかと、私は思うのです。

「どのような、スタンピード現象が用いられたのだろうか?」と、私が想像するに、以下の幾つかの例を書いておきます。

例えば、

「とにかく、何の疑問を抱かずとも、宿題をやることは素晴らしい」

とか

「とにかく、何の考慮をせずとも、あなたが宿題をこなせば、あなたの将来の人生で、きっと何かの素晴らしいことが起きるだろう」

とか

「確かに、学校の先生である私達、教師が、あなた方、生徒達に宿題を与え続けて、放課後の時間を拘束する権利は無いかもしれない。しかし、もし、今、ここで、その疑問をぐっとこらえて、表面化せずに黙り続けて、じっと、あなたがたが宿題をし続けるならば、日本全体の学力が高まると予想出来る。そして、その結果、ヨーロッパ諸国と比較して、遅れている、私達、日本の経済水準を競争的に上げることによって、私達の日本の、経済力が高まるだろう。その結果、私達、日本は、ヨーロッパ諸国と対等に対峙することが出来るだろう」

この、私が最後に挙げた例「確かに、学校の先生である私達、教師が、、、」の例文を語っているのは、明治維新後に建てられたばかりの、小学校での、教壇上で、語っている教師の姿を、読者の方々は想像してください。

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過去の世界の、宿題の歴史上において、用いられたかもしれないスタンピード現象について、想定しているわけですが、もちろん、過去の世界での、スタンピード現象ですので、過去世界に対しての想定をする以外に手がありません。

しかし、この「宿題の歴史」という単語自体も、おそらく、読者の方々も、初めて聞いたかもしれません。
ですから、私のようなものが、時間の余裕のある時に、「宿題の歴史」というものを調べてみても、かなり、曖昧模糊としたものが出てくるかもしれません。

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■終わりに:

結局、この「宿題」というものを追いかけていくと、その根底には、「多くの人々に競争させてやろう」という意思や狙いがあるのを、読者の方々は感じだすことでしょう。

つまり、読者の方々は「私達は強制的に競争に走らされている」と、感じて来ることでしょう。

そして、「その学生時代から慣らされ続けた競争社会にいるので、競争社会を何も不思議に思わなくなった結果、大人社会で大きな問題となっている、違法な長時間労働に結びついているのだ」と、読者の方は考えることが出来ることでしょう。

そして、「私達の社会における、様々な競争は、素晴らしいことなのだ」という、思い込みも、これも、スタンピード現象的に流行らされていることを感じだすことでしょう。

読者である、あなた自身の本心は「競争は素晴らしいものでは無い」と感じているかもしれません。
しかし、スタンピード現象的に「競争は素晴らしいことなのだ」と、あなたは思いこまされているかもしれません。
そのように、人々の競争意欲を煽るための道具としての、スタンピード現象以外の道具としては、金銭などが使用されていることでしょう。

(「私は、どうやら、スタンピード現象的な流行を、私の気づかない内に、ひっそりと心底に刷り込み続けられているかもしれない。サブリミナル効果のように」と感じる方は、様々な情報媒体から離れて、静かな時間に囲まれた、神社や寺の中で、ある一定の期間、落ち着いて瞑想し続けた方が良いかもしれません。)

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結局、「私達はスタンピード現象的に競争に走らされているようだ」と、なると、「どうして、それが起きているのか?」とか、「それに対して、何らかの対策が必要とするならば、どうしたら良いのか?」という新たな疑問が心中に湧いて来ます。

さて、その疑問に対する回答とか、考慮すべき様々なポイントを書き上げていたら、紙数の不足に陥ります(この、今、筆を止めている、この段階でも、この段落が長いものとなっていますが)。

ですので、その参考のよすがとなるであろう、過去記事や関連記事や参考文献を(繰り返しの紹介も多いので)、少数ながらも、文末の『過去記事』の欄に掲載しておきますので、読者の方々自身も、様々に考えて、ご自身のちからで、ご自身なりの回答を得た方が良いと思います。

(※筆者注:最近、一つの記事に長いものが多くなっていますが、昨今では、ブログの更新も少なめにしていますので、文章量としては、差引ゼロかもしれません。どうか、ごゆっくりと一つの段落を御拝見ください。)


(以下、過去記事、関連記事、及び、参考文献)
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『三百十九: イルミナティについて 』
●ジェイ・パーカーインタビュー①
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2013/09/_no35-53fe.html
http://www.youtube.com/watch?v=W02bxSqtc-I



●ジェイ・パーカー:
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字幕:「ジェイ・パーカー:どの様に3400万人の悪魔崇拝イルミナティアメリカ人達が地球を混乱させ続けるよう助けているのか。」

「イルミナティや他の闇のカルトネットワークはおそらく、9600BCの地球大変動にまで遡ります。」
「大変動の後に、地上の人類は衝撃と落胆の状態にありました。」
「私の調査からその特定の時代は、、、、闇のカルト信者達はインドやバビロンでの文明の再起動において、決めたのです。」

「地球全体を支配してもいい筈だとね。」

人々を闇に閉じ込め続け、私達は基本的には邪悪な司祭職になり、そして彼等のマインドを支配するんです。」
「ですからその様にして彼等は神よりも金持ちになったのです。」
「そして一旦お金を持つと、政治家や王族を腐敗させる事が出来ますし、そして基本的にはゆっくりと社会を支配していく事ができるのです。」
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(引用終わり)


『三千百二十七:学校のいじめ問題を考えて』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2017/06/post-9943.html

(以下、『あなたはどの星から来たのか?』(ファルス著 ヒカルランド)から引用)
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そのひずみの間にスーッと入り込んだのが、非ヒューマノイド型の生命体(レプティリアン種、通称レプ種)の浸食です。

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そうしてあなたがたは、徐々に能力を制限されていくようになり、やがて囚われと制限のある世界の住人となることを選んでしまいました。
それは主に電磁波によるコントロールシステムを使って行われました。

時を同じくして、幾度目かの大がかりな宇宙戦争もありました。
大別するとヒューマノイド型と、別宇宙(アナザーユニバース)から転生してきた非ヒューマノイド型との侵略戦争です。
この戦争においてはヒューマノイド型はとても不利でした。
というのは、もともとヒューマノイド型は、非侵害、不可侵という思考システムで活動していたため、所有という概念もなく、ましてや戦闘や防御といった体制も持っていなかったのです。
      :
    (中略)
      :
現時空から見た計時測によると、今から31万2000年前に、あなたがたの遺伝子組み換えが行われたのです。
地球人による科学ではそれをミッシング・リンク(失われた輪)と呼んでいます。

その部位は脳幹にあります。

Rコンプレックスといわれる爬虫類脳の部分に、彼らの遺伝子コードが組み込まれていくことで、あなたたちは恐怖や不安、縄張り意識、支配と隷属、競争、嫉妬といった遺伝子コードが活性化されたのでした。

それはいわば電磁波的な壁のようなもので、私たちはその壁をネットコントロール(網支配)と呼んでいます。
それはまるで漁師が目の細かい網で、そこにいる魚をすべてすくい取る網のように見えたからです。
      :
    (中略)
      :
というわけで、あなたがたの中にあるRコンプレックス部分の周波数を、まるごと認め、愛し、手放すことによって、その特性であった恐怖や混乱、支配、競争といった周波数帯と同調しなくなり、さらに高い周波数域である、愛と創造性に基づいた、高次のシステムと共振していくことが可能になることでしょう。
このことはいくら強調してもいいほどです。
      :
    (中略)
      :
今まで、あなたたちが創り出したと思っている社会や思考システムのほとんどは、彼らによる至高の雛形が具現化したものです。
それは大変な影響力を持ちました。
まるで、家に屈強な父親が一人いて家族を管理しているかのようです。

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(引用終わり)


                                       坂本 誠

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