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2017年6月22日 (木)

三千百三十三: 学校の宿題について_No.2

三千百三十一:学校の宿題について』の2段目です。

前段では、「■学校の先生は生徒達を放課後にも監督・拘束できるのだろうか」という、疑問の下に、「学校の先生が宿題を生徒達に与えるということは、生徒達の放課後の時間を拘束していることになる。しかし、学校の先生は、生徒達の放課後のプライベートな時間を拘束できる権利は無い。だから、学校の先生は、生徒達に宿題を与えることは出来ないだろう」という話題を書きました。

P6210185

 

その前段洛中で、私は宿題の歴史というものに興味を抱きました。
宿題の歴史に限らず、何らかの歴史を紐解いていくと、疑問が解明したり、あるいは、さらに疑問が深まるケースがあるからです。

そして、私の時間のある時に、「宿題の歴史」というものを調べていました。

前段中に、「私は、かなり意外な調査結果を得られるかもしれません」と書きました。

やはり、現時点でも、意外な調査結果を得られています。

その「意外な調査結果」というのを、簡単に説明しますと、「宿題の歴史について、そのデータが、非常に少ない、あるいは、ほとんど無い」となります。

かろうじて、私が手に入れた、「宿題の歴史」というものを以下に引用しておきます。

(Wikipediaより抜粋引用)
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●宿題
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%BF%E9%A1%8C

歴史

宿題という言葉の初出は1801年(享和元年)大田南畝による山内尚助宛大田南畝書簡(4月19日付け)である。
「御詩会いかが。宿題御定め候はば一月一次づつにて豚児へ御談じ御極め可被成候」

内閣府の調査では、ネット利用の小学生の内、7割が宿題の答えをネットで調べると回答した[要出典]。
また、後述にもあるが、近年では宿題代行サービスも広まっている。(、、、以下、省略)
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(引用終わり)

江戸時代の後期である1801年に、大田南畝という人の手紙の中に、初めて「宿題」という単語が出ているとあります。

P6210190

 

これだけでは、ほとんど、宿題の歴史について、私達は学ぶことが出来ません。

上記のデータで、「宿題」という単語が初出しているそうです。
しかし、この時代の「宿題」の意味と、現代の小学校や中学校で生徒達に出されている「宿題」の意味が同一かどうかもわかりません。

この「大田南畝」という人の使った「宿題」の意味が、時代を経るにつれて、その意味を転用されたり、あるいは、別の意味を持たされて、現在の私達の小学校や中学校で見られる「宿題」の単語の意味になったかもしれないからです。
要するに、「大田南畝」という人の使った「宿題」の意味と、現代の学校で使われている「宿題」の意味には違いがあるかもしれません。

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しかし、ここでは、上記のデータ中で見る限りの「宿題」という単語の意味を推理してみましょう。

御詩会いかが」という一文が見えます。
つまり、「大田南畝」さんと「山内尚助」さんは、何かの詩の会に入っているのでしょうか。
「詩の会」ですから、趣味の世界でしょうね。
その趣味の分野を高めるために、自宅で、「詩の技術を高めよう。そのために、何らかの詩作をしたり、あるいは、何かの詩を読もう」という感じでしょうか。

現時点で、私が手に入れた「宿題の歴史」というのはこれだけです。

P6210199

 

私が「宿題の歴史」というものを紐解いて、調べたかった内容は上記のようなものではありません。

少なくとも、現代の義務教育制度の中での、教育者とされている人々が、

  「宿題とは、これは学校の先生達が、生徒達に与えて良いものだろうか? なぜならば、学校の先生達は、生徒達の放課後のプライベート・タイムを拘束する権利は無いのだから」

という手合いの議論が持たれ、有識者達の間で、その疑問を主題とした、議論が行われただろうか? という手合いの「宿題の歴史」を読んでみたいのです。

ところが、その手合いの「宿題の歴史」が見当たりません。

役所の中で、その手の議論が交わされたかどうかも、私の調べる限りには無いように見えます。

「これは、問題ではないだろうか?」という疑問を持っています。

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それとも、この「宿題の歴史」というのは、意図的に隠蔽でもされているのでしょうか。

あるいは、以下のように考える人がいたのでしょうか。

  「学校の先生達は、生徒達の放課後のプライベート・タイムを拘束する権利は無いのだが、暗黙の公認事項として、全ての学校で宿題が出されている。だから、疑問を持つ人が出ても、このまま黙っておけば、誰も、その不思議に気が付くことは無いだろう」

と。

と、そのような人が教育者の上層部にいて、それを実行し続けている、とか。

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いずれにしても、「学校の生徒達の方は、宿題を断ることが出来る」となるでしょう。

理由の一つとしては、私が前段から書いている内容もありますが、二つ目の理由として以下に挙げるものもあります。

その二つ目の理由とは、上に紹介したWikipediaの文中にあります。

(Wikipediaより抜粋引用)
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●宿題
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%BF%E9%A1%8C

宿題(しゅくだい)は、学校等において、教師が児童・生徒・学生に課する自己学習の課題のこと。(、、、以下、省略)
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(引用終わり)

上記引用文を読むと、「宿題とは自己学習である」となります。

つまり、自己学習ですから、宿題のある筈の生徒達の方が、その学習を実施するかどうかの権限を持っています。
自己学習ですから。
なので、生徒達自身方で、「今は別件で忙しいので、この自己学習(宿題)をしない」と決めることも出来ます。
自己の裁断にかかっているのですから。

P6210192

 

ですから、ある生徒が学校の勉強以外の何かに忙しかったら、自分の判断で、その学習をするかどうかを決めることが出来ます。
つまり、学校の先生のような他者から、「あなたは、このドリルを終えなさい」という感じで、言ってきたら、その学習内容は「自己学習」という形にはなりません。

そのドリルは、「他者の強制の下における、強制学習の内容物」という形になります。

ところが、学校の先生達は放課後の生徒達のプライベート・タイムを拘束する権利は無いので、生徒達の放課後のプライベート・タイムに、何らかの強制をすることは出来ません。

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私の方で、時間の余裕のある時に、思い出したように、「宿題の歴史」を調べるかもしれません。
しかし、「これ以上、調べても、私にとって、有意義な意味のある「宿題の歴史」のデータを手に入れることは出来ないのではないのか?」と予想しています。

「この『宿題の歴史』と題せるものが、私達の歴史の中に、ほとんど存在していない」という事実を見るにあたって、この段落を読まれている読者の方々も、かなり驚いた方もおられるかもしれません。

一体、学校の中で、よく見受けられる宿題という制度は、いつ、誰が、どのようにして、また、誰が認めて、現代の学校システムの内部で作り上げてきたのでしょうか?

皆目見当もつかない話であり、また、どこか、雲を掴むような話であるので、ちょっと薄気味の悪い話題となりました。

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参考的な文献としては、以下のものもありましたので、URLをご紹介するだけに留めておきます。

時間的に都合のある方は、目を通して見るのも良いかと思います。

(宿題 - アンサイクロペディア)
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●宿題
http://ja.uncyclopedia.info/wiki/%E5%AE%BF%E9%A1%8C
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(引用終わり)


(以下、過去記事、関連記事、及び、参考文献)
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『三千百三十一:学校の宿題について』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2017/06/post-0afd.html

『三千百二十七:学校のいじめ問題を考えて』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2017/06/post-9943.html

                                       坂本 誠

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