« 三千百十三: 憲法記念日に憲法のことを考えると | メイン | 三千百十五: 偽旗作戦について_No.2 »

2017年5月 8日 (月)

三千百十四: 幸福の追求方法と地球の問題を考えて(独白)

どんな人でも、自分の幸福は自分で作っている。

これを言い換えると、自分の不幸は自分が作っていることになる。
他の誰かがやって来て、「その人に不幸を与えた」ということにはならない。

また、これだと、自分の幸福というものは、他の人が作り出すことは出来ない。

他の人がやって来て、何かをその人に与えても、その人は、なんとなく、「自分の幸福が他の人からもたらされた」ように見える。
しかし、本当は、その与えられたものは幸福ではなく、施し物(ほどこしもの)と言い換えられるものだと気が付く。

「他人からもらった施し物」と「その人の幸福」というものは、これはイコールの関係では無い。

-------------------------------

喩えてみると、どこかの誰かが、大量のチョコレートを持って来て、椅子に座っている人の口に、その大量のチョコレートを入れ込んだとしよう。

Pa120149

 

その大量のチョコレートを自分の口の中に入れ込まれた人は、その時は、かなりの嬉しさを感じるかもしれない。

なんとなれば、全く苦労も無しに、美味しいお菓子が手に入ったのだから。

ところが、その後は、そのチョコレートを頂いた人は、だんだん、不幸感覚を抱くようになる。

なぜならば、そのチョコレートを頂いた人は以下のように思い始めるから。

  「どうして、誰も私の口に、大量のチョコレートを入れ込み続けてくれないのだ。以前、私は何の苦労も無しに、美味しい大量のチョコレートを手に入れたのに、今では、誰も、チョコレートを私の口に放り込んでくれないから、今現在の私は不幸だ」

と。

-------------------------------

上の喩え話のように、何の苦労も無しに、美味しいお菓子とか面白いプレゼント等を大量の施し物として受け取っていた人は、やがて、不幸を感じ始める。

最初は、何の苦労も無しに、それらのありがたい施し物を受けていたのだが、周囲の人が、その人にその施し物を与えなくなると、その施し物を受けていた人は、周囲の人に対して、強い要求や不満を突き付けるようになる。

Pa120146

 

「自分以外の周囲の人に対して、何らかの強い要求や不満の念を抱く」というだけでも、かなりの不幸感覚だろうけど、これがさらに進めば、周囲の人に対する恨みや呪いの念となるだろう。

「そのような恨みや呪いの念を抱く」となると、施し物を受けていた人の心は、現在、非常に不幸だと言えるだろう。

このような人が身近にいると、周囲の人々の顔は、かなり曇ることだろう。
マンガ的な表現を使うと、「(悪い意味での)背後霊が背中にびったりと貼りついている」ということになるだろう。
その背後霊が「あなたは私の面倒を見続けなさい」と苦渋の顔をして言い続けてくるのだから。

-------------------------------

上の喩え話から考えても、「自分の幸福は自分が作らないといけない」となる。

また、「どこかの他人が、自分に施し物を与えてくれる時もあるかもしれない。『自分に与えられた施し物』と『自分の幸福』とは違っている」と、人は感じるかもしれない。

この点を進めると、人は気が付いてくる。

  「他の人に対する要求は、少なくしないといけない。なぜならば、周囲に人に何らかの出来事を期待しても、それは自分に対する、周囲の人からの自分への施し物と言えるから」

と。

つまり、私達が周囲を見回すに「他人に対する、要求の強い人」というのは、かなり不幸感覚が強いことがわかる。

なぜならば、様々なケースがあるけれど、そのような人は、その人自身の理想状況を他人に押し付けたり、その人自身の願いを他人に押し付けたり、あるいは、何らかの状態を他人に強要しているのだから。

P9300147

 

要するに、「他人に対する、要求の強い人」というのは、他の人に向かって、「私の幸福のために、あれをしろ。これをしろ」と言っていることになる。

そして、その命令を与られた人が、その命令を実行して、その実行の結果が「他人に対する、要求の強い人」にとって、気に食わなければ、「お前の命令の実行具合が悪いので、私が不幸感覚に陥るのだ」と言っていることになる。

つまり、他人に対する願い事というのは、その願い事を他人が実行して、その他人の実行の具合を、その願い事を与えた人が気に入らないといけないので、なかなか、その願いが叶うことは非常に少ない。

だから、「他人に対する、要求の強い人」というのは、常に不幸感覚も強く、始終、曲がった口や不愉快な目つきをしたり、尖った口調をしているかもしれない。

(「世の王様を気取っているような人の苦しみというのは、このようなものだ」と、読者の方々は考えるかもしれない。人類史の中で、数多くの王様が現れるけど、彼等は数多くの人々に対して、何かの要求(命令)を下し、自分の望む状況を手に入れようとしたのだけど、「なぜ、あんなに数多くの怒り狂ったシーンが描写されたのか」の理由を考えるに、しっかりと、その王様達の心を洞察した方が良い。)
-------------------------------

上の流れから進むに、「私達は、どうやって幸福を手に入れたら良いのか?」となる。

その方法としては、他の人に対する要求を低くし(あるいは、全く要求せずに)、そして、自分の幸福は自分が作らないといけないから、極力、自分自身の手で自分の欲しい物を作ったり、あるいは、何らかの自分の欲しい境遇・環境を自分自身の手で作らないといけない、と、人は気が付く。

要するに、他人に対する要求(願いや依頼)の心が強ければ強い程、その人は、それに比例して、強く不幸であることがわかる。

ましてや、私のブログで時々紹介しているカバールやイルミナティ達は人類支配を考えている。

だから、上の流れから行くと、彼等の不幸感覚は、人類最大クラスのものと言えるだろう。

(彼等は人類の社会構造を巨大ピラミッドにして、その巨大ピラミッドの頂点に君臨したいそうだけど、その巨大ピラミッドの頂点に彼等の作っている最大の苦しみが置かれている、という光景を、想像するに、私は、何か奇妙なものを感じてしまう。)

////////////////////////////////
////////////////////////////////
(実は、ここからが、この段落の本題なのだけど。)

しかし、ここで重要なことに思い当ってしまう。

というのも、誰でもそうだけど、「私達が生きている間には、その全ての生活必需品を、自分一人で作り出すことが出来ない」というポイントだ。

私達が生きている間、全ての衣食住や全てのエネルギーをたった一人で作り出すことは出来ない。

もし、私達、一人一人が、自分自身が必要とする全ての衣食住や全てのエネルギーをたった一人で作り出すことが出来れば、おそらく、その人は、他の人に対する要求や願い事は一つも無いから、その人は一生涯、幸福と言えるだろう。

しかし、現実には、それは出来ない。

だから、生きている間には、どうしても、他人に依存する何かが出来てしまう。

-------------------------------

実に、私達の社会では、これが最も重要なことだったと言えるかもしれない。

だから、このような社会だと、一番上の例に挙げた「大量のチョコレートを欲しがる人」のように、非常に依存傾向の強い人物が生まれ育つ可能性があったと思う。

-------------------------------

私達が植物のように、太陽光線を受けて、光合成によって、活動エネルギーを得られる存在だったと仮定しよう。

つまり、これだと、私達は「食べる」という一日三度の儀式が無かったことだろう。

だから、他人に対する依存の度合いは非常に少ないと言えただろうから、その植物性の人間は幸せだったと言えるかもしれない。
-------------------------------

しかし、反面で言えば、「その植物性の人間は、額に汗して努力して、その努力の結果を見て、幸福感を得る」という手合いの幸福を手に入れられなかっただろう。

Pa190153

 

しかし、今現在の私達としては、そのような植物性の人間ではないのだから、ある意味、常に飢餓の恐怖に怯えつつも、その恐怖を克服するために、努力をしているのかもしれない。

しかし、やはり、反面から言えば、人間には「飢餓の恐怖」というものを与えられていた。
だから、食糧の略奪・横領とかエネルギーの奪い合いとか、それの延長として、他の人々よりも多くの財産や富や金銭の貯蓄が非常に推奨される、というケースになったかと思う。

この状況によって、日本の歴史で言うならば、弥生時代に稲作システムが大陸から伝えられた時に、「倭国大乱(わこくたいらん)」と呼ばれる、大戦争時代があったけど、このような「飢餓の恐怖を克服しよう」という、その意向自体や、稲作システムが、別の意味の人間の不幸を作ったと言える。
なので、「人心の成長のために、反面教師として『飢餓の恐怖』を与えてみよう」という、地球の造物主(地球にいるかもしれないけれど)の、そのような試みの半分は成功して、残りの半分は失敗したのではないかと、私は考えている。

-------------------------------

また、別の例から考えてみる。

私達が死んだ後、天国の住人になると(「天国」というものではないのかもしれないけれど)、その状態だと、私達には胃袋も無く、また、肉体も持たない、と言われている。

つまり、その故人には、飢餓の苦しみもなく、何一つエネルギー不足にも悩むことも無いだろう。

つまり、この状態だと、その人は何一つ生産していないけれど、何も困ることは無いから、つまり、他の人に対する要求が一切無いことがわかる。

だから、全く確かに、その存在は幸せだと予想出来る。

世には数多くの人がいるのだから、人によっては、そのような状況が必要なのかもしれない。

しかし、ある意味、そのようなエネルギー体のみの生活となると、他の人も想像できるように、「それは、ずっと、揺り籠(ゆりかご)の中で生活している人」と言えるかもしれない。

だから、そのようなエネルギー体のみの生活をし続けた人が、初めて、私達の地上に生を受けてみて、いざ、生活を始めて見ると、一番冒頭に挙げた人のように、「大量のチョコレートを欲しがる人」になってしまうかもしれない。

-------------------------------

だから、この点から考えてみると、私達の暮らしている生活というのは、現在の私達のライフ・スタイルを欲する人も出てくるだろうし、あるいは、そのライフ・スタイルを好まない人も出てくるかと思われる。

Pa190149

 

このようなポイントがあるのだから、(地球にいるかも知れない)造物主としては、ある意味、成功して、ある意味、失敗したとも考えられる。
だから、そのようなライフ・スタイルを好むか好まないかによって、それぞれの人の進みたい方向に進ませるのが、造物主のしないといけないことではないだろうか。

ある個体ならば、そのようなライフ・スタイルを送るのに了承するかもしれない。
しかし、ある個体ならば、そのようなライフ・スタイルを選択せずに、何かの別の他のライフ・スタイルを選択するかもしれない。

ある個体が別のライフ・スタイルを好み、選択しているのに、その個体と(地球にいるかも知れない)造物主の間に、わだかまりを持ち続けて生活するというのは、それは双方にとっての不幸と言えるだろうから。

-------------------------------

いずれにしても、あまりにも難しい課題と思われるものを実行していることに関しては、それを実行している造物主と言われる存在も心中に、何らかの、わだかまりや、こだわりがあるのかもしれない。

また、そのようなライフ・スタイルを享受して、日々を送っている個体の方も、「何か別の方向を模索してみたい」という意向があるならば、そのような意向や意見も十分に尊重されないといけないと思ってしまう。

////////////////////////////////
////////////////////////////////

しかし、私達の地球のライフ・スタイルは一変しようとしているのかもしれない。

なぜならば、私のブログでも紹介しているけれど、現在、たった今でも、人間の労働現場に大量のロボットが進出している。
だから、大量の人間の労働が、ロボットの代行作業として置き換えられつつある。

また、以前、不食(ブリザリアン)の人の紹介として、私は以下の過去記事を出したことがある。

『九百七十六:私の見かけた情報_No.19』
●宇宙の粒子や空気を食べて生きていると主張するウクライナの「ブリザリアン(不食)」モデルの話から「松果体とエネルギー」にまで考えが飛躍してしまいました
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2014/03/_no19-db8f.html
http://oka-jp.seesaa.net/article/391713988.html
http://www.dailymail.co.uk/femail/article-2570013/Human-Barbie-Valeria-Lukyanova-reveals-STARVES-Breatharian-believes-live-air-containing-cosmic-micro-food.html

(上記記事より抜粋して引用)
---------------------------------
自称ブリザニアンでリアルバービーと呼ばれるウクライナのモデル、ヴァレリア・ルキャノバさん

Valerialukyanovatop1

インド人、プラーラド・ヤニ氏

Afpinedia1

イロム・シャーミラ・チャヌ、公民権活動家、政治活動家

Irom011

---------------------------------
(引用終わり)

地球上の全ての人が不食(ブリザリアン)の人となることを受け入れるかどうかは、私はわからない。

この「不食」の状態だと、私達は食の喜びを失うことにはなる。
しかし、別の側面から言うと「食に関する苦しみから永遠に解放された」とも言える。

そのような人々が増えるかどうかはわからない。
しかし、これらの情報を見る限り、地球上で長らく続いた、「人類の反面教師として、与えられた飢餓の恐怖」とか、それらから大量に派生したと思われる、かなり多くの苦しみ・不幸等々から人間が解放される方向にあるように見える、となると、「私達の地上社会でのライフ・スタイルに、かなり大がかりな変化が起きているらしい」となる。

なので、その変更具合も、かなりしっかりと実感・体感してみる必要があるように、私は感じてしまう。

Pa190147



                                       坂本 誠

Powered by Six Apart
フォトアルバム