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2017年4月17日 (月)

三千百七: 発想の転換と資本主義を考えて

■:はじめに

本題に入る前に、前段『三千百六:人口減少と資本主義を考えて(独白) 』の追加・補強をします。

■:前段『三千百六:人口減少と資本主義を考えて(独白) 』の追加・補強

前段の冒頭の方で、公共工事について書きました。
詳細な具体例を挙げておけば、より実感されると思います。

人口減少の結果、ビルとか建物でも、最近は空きが目立ちます。

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鉄道関係も、最近では、廃線の話題をよく耳にします。
地方の赤字路線と言われる鉄道が廃止されるので、現地の状況の話題が交されるのを、多くの方々もメディアで目にすることでしょう。

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年々増え続ける、これらの赤字路線と言われる鉄道も、その多くは、過去に作られました。

多くの鉄道路線は、主に人口が増え続けている時代に建設されたことでしょう。
当然、当時の人々の間では、「このまま、人口が増え続ける筈だから、鉄道の路線を増設しても、利益が返ってくる筈だ」という、考えが暗黙の了解の内にあり、その考えの下で多くの鉄道路線が建設されたと思います。

今までは、これらの鉄道の赤字路線廃止の主な原因は、「その地域の過疎化」と言われ続けてきました。

しかし、この原稿を書いている今では、読者の方々は、認識が変わっていると思います。

「ある地域の過疎化」ではなく、全国的に人口減少が起こっているので、今後は、「過疎」という言葉は、あまり使われなくなってくると思います。

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また、多くの高速道路が建設されました。

しかし、トラック・ドライバーとか、高速道路をよく使用する人は、以下のことに気が付いていると思います。

たまに、利用者数の減った高速道路に行くと、サービス・エリアやパーキング・エリア等に設けられていた、多くのガソリン・スタンドの休所あるいは閉所に気が付くでしょう。
そして、そのような高速道路を走ってみると、道路の割れ目から、雑草が生えているのも目にする機会があったかと思います。

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また、工場誘致のために、海が埋め立てられたところもあるかと思います。

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しかし、その埋立地の全てに、多くの工場が建設されてはいないかと思います。
ある埋立地だと、その埋立地が野原になり、雑草が生えているケースも、しばしば目にするかもしれません。

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上に書いた、ビルや建物の件でも、鉄道の件にしても、高速道路の件にしても、海の埋め立て地にしても、その本質は一つだとわかります。

人口減少が起きれば、当然、それらの施設に対する利用率が減ります。
ですから、それらの施設から得られる筈だった利益が得られないどころか、かえって赤字がかさんでしまうことがわかります。

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今後は、上記のように「空振りに終わった」とも思えるような、巨大設備が、随所に見受けられるようになるでしょう。

ですから、公共工事に対する需要は減り続けるとわかるでしょう。
どこかで災害が起こり、その災害によって、市民達に頻繁に使用されていた施設が損壊したならば、その補修に対しての、工事の需要はあるでしょう。

一昔前の工事に対する住民反対の理由というのは、自然保護の観点からのものが多かったと思います。

しかし、上の流れからわかると思います。
地域開発のための公共工事によって作られた、何らかの施設があります。
それらの施設は、工事の主催者側から、「地域の発展・還元のために、これらの施設は地域住民に与えられる」という感じで、それらの施設を受け渡されました。
当然、その地域の住民達は、それらの施設を使って、利益を得ようとします。

しかし、人口減少が起きているのですから、お客さんが増加しません。

結局、それらの施設を受け取って、何らかの商売を始めても、かさむのが赤字とあるならば「最初から、この手の地域開発は行われなかった方が良かっただろう」と、人は考えるでしょう。

今でも行われているのと思うのですが、かつての公共事業への反対理由の一つとして「自然保護」という理由があったでしょう。
しかし、今後は、その上に「人口減少によって(資本主義的な)利益向上を見込める可能性が低いと思われる」という、現実的な反対理由が加わることでしょう。

前置きであるところの前段の追加・補強を終わります。

■:変化の時代と発想の転換

「やはり、今は変化の時代だ」と、人は気付き始めるでしょう。

この記事では、主に経済システム上の変化について書いていますが、その他の分野にも幾つかの変化の兆しを感じます。
しかし、それらは別件となるので、以降の他の記事に書いたりします。

あるいは、私のブログの過去記事を、どうか参照して下さい。

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このような変化の時代です。

しかし、私達は以前から続いている資本主義の流れも、しっかりと見る必要があると思います。

ですが、現状だと、サブ・タイトル中にもあるように「発想の転換」も、私達にとって、重要になってくるのではないでしょうか。

ここで、深呼吸をして、心を深く静めた後で、今現在の私達の社会の流れを見てみます。

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「私達の社会の中に、お金が無ければどうなるか」という視点で、空を飛ぶ鳥の目から見たように、今現在の私達の社会を俯瞰してみましょう。

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私達の社会に、どんどんと大量のロボットが導入されています。
そして、私達、人間がかつて行っていた労働を代行しています。
つまり、私達は徐々に、「労働」というものから解放されつつあるのに気が付くでしょう。

その上、人口減少が起きています。
これだと、結局、徐々に、私達の食料が余っていくことに気が付くでしょう。
つまり、私達は飢餓から解放されつつあるのです。

また、「人口減少が起きている」というのは、つまり、出生率よりも死亡率の方が高いことを意味しています。
残念にも訃報が多くなるのですが、その鬼門に入られた、故人の多くの遺産が、故人の親族に分配されます。

それらの遺産の中には、まだまだ使用できる家電とか衣類とか家具とか、その他の多くのものがあるでしょう。
それらの分配によって、残された親族は、ある程度、家庭の備品を補充できるでしょう。

そして、心、寂しくも、人口減少というのは、「この訃報が増え続ける」ことを意味するので、残される、数少ない親族の子供達は、それらの増え続ける故人からの遺産の分配物も増えますから、それらを家庭の備品に充当することが出来るのです。

つまり、それらの家庭の備品の分だけ、家電の店や、その他の店から、それらの物品を調達する機会が減っていくことも予想出来ます。

人の数が先細りに減っていくので、未来の子供達は、食糧の余りも増え続け、かつ、家庭の備品も増え続けることがわかります。

つまり、「私達の社会の中に、お金が無ければどうなるか」というと、上の流れから、「人類は労苦から解放されつつある」とわかるでしょう。

大量の仕事や作業はロボットが代行してくれるからです。
つまり、「私達の社会の中に、お金が無ければ」、「人類には休暇が与えられた」と表現できるのではないでしょうか。

ですから、見ようによっては、「人類は、過去からの発展の先に、ついに休暇の時代を得られた」と言えるのではないでしょうか。

しかし、当然、上の話は、仮定として、「私達の社会の中に、お金が無ければ」という前提があります。

■:お金の見直し

ですから、ここから、現代に住んでいる私達にとって、逆に、お金というものの意義を、深く、冷静に見つめ直すことが出来るでしょう。

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私達の周囲には、今でも、大量の物品が並び、そろえられています。

ですから、私達の社会で、お金というものが無かったら、私達は何不自由無く暮らせるでしょう。

ですから、逆に言えば、「私達は、お金のために、働いている」という事実がわかるでしょう。
お金という存在が私達を走らせているのです。

私達に本当に必要な物は生活物資です。
それは食糧であったり、何かの生活備品であったり、エネルギーであったり、その他のサービスでしょう。
「それらの生活必要物資が必要なために、人が何らかの行動する」というのならば、自然な話です。

しかし、生活必要物資を手に入れようとしているのではなく、中間媒介で、抽象的で、本当は存在していない筈の、数値で表現されているところの、「お金を手に入れるために、私達は働いている」とわかるでしょう。

なぜならば、過去、私達の生活の中で、「お金を中間媒介として、地球上の全ての人々の間で、全ての物資を交換させよう」という狙いの下に、その狙いが実行されたからです。

こうなってくると、そのお金を生産している、一握りの人が、地球上の全ての人々を、彼の思うがままに、操作することが出来るようになるからです。

このいきさつについては、私の過去のブログ中にも、よく、紹介しているので、そのいきさつを伺える文献は、本記事中の『過去記事、関連記事、及び、参考文献』に挙げておきます。

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普通の職場でも、非常にありがちな光景でしょうが、その職場内で、「働きたくない、働きたくない」という、不愉快な顔色をしつつも、働いている人を見かけることでしょう。

そして、その人の上司が、その人に、彼の本音を聞く事に成功したとしましょう。

その、彼の本音としては、

  「私は、お金のために、仕方なく働いているんだ」

と。

つまり、彼は、嫌々ながらでも、お金のために、仕方なく、その職や、何らかの労働をするのです。

この記事中では、私が例を挙げた彼を悪役としているわけではありません。

上に書いた「お金を生産している、一握りの人」から、してみれば、上のような、不愉快な顔色をしつつも、働いている人をも、強制労働させることができることが、読者の方々にもわかるでしょう。

なぜならば、不愉快な顔色をしつつも、働いている人が、「お金を生産している、一握りの人」が作った、お金を崇める結果、彼を無理矢理に、その現在の職場に就けることが可能となっているからです。

つまり、「お金を生産している、一握りの人」は、上の例のように、全人類を人質に出来ることがわかるでしょう。

「お金を生産している、一握りの人」にとっては、その人質が、自分ではしたくないことがあっても、「一握りの人」の生産している、お金のために、文句も言わせずに、何かをさせることが出来るからです。

■:お金は資本主義社会を伸ばす道具か。それとも、縮小させる道具か

ここまで読まれると、人はお金の不思議さについて、しみじみと感じるかもしれません。

現在でも、私達の身の周りには、必要な生活物資が山のように積まれて、並んでいます。
しかし、それらを手に入れるためには、中間媒介である、お金を手に入れないと、それらの必要生活物資を手に入れられないように、社会的にセットされました。

「お金を生産している、一握りの人」からしてみたら、「地球の全ての人に対して、我々の作っている、お金を、『砂漠の中の水』と同じ関係にしてやろう」とでも、考えたのでしょう。

人が、必要生活物資を手に入れる際に、必ず、彼等の生産しているお金を通してでなければ、その人が、必要生活物資を手に入れられなければ、その人は、やがて、お金を『お金とは、砂漠の中の水と同じだ』として、お金を崇拝するようになるからです。

人が「お金を崇拝する」ということは、その、お金の生産者であるところの、「お金を生産している、一握りの人」を崇拝するようになることがわかるでしょう。

つまり、「お金を生産している、一握りの人」が、本当に欲しているのは、お金ではありません。

彼が本当に欲しているのは、彼の生産している、お金を中間媒介物としてでの、人類に対しての絶対権力なのです。

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「お金の不思議さ」から、話が横に反れたのですが、本線に戻って来ます。

このような過程から、人々は、お金を溺愛するようにもなったのですが、同時に、人々は、お金に苦しめられるようにもなったのです。

つまり、前段でも書いていますが、ほとんど、多くの人々にとって、自分の子供に対しての教育費・養育費を考慮した結果、それらのお金に苦しめられないためにも、少子化が進みました。

また、資本主義的な繁栄を目指した結果、現在でも、その理屈から、人々の職場の間に、大量のロボットやコンピューターが導入され、それによって、資本主義社会の縮小が起きているのです。
他の省エネ技術の発展も、資本主義的な繁栄を目指した狙いから生まれ、その省エネ技術の発展自体も、特にエネルギー産業関係の資本主義社会の縮小を起こしているでしょう。

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ですから、読者の方は、実に「お金の不思議さ」を、しみじみと感じるのではないでしょうか。

上の流れから、読者の方の脳裏には、以下の疑問が浮かんでいるのではないでしょうか。

  「お金とは、資本主義社会を伸ばす道具なのか。それとも、お金とは、資本主義社会を縮小させる道具なのか」

つまり、資本主義社会には、強いては、お金というものには、深い矛盾が内蔵されていたのです。

そして、さらに書いてしまえば、現在の資本主義社会を育て上げ、現在までのお金という、仕組みを作り上げてきた人々の考えや心が、矛盾していることを意味しています。

■:疑問

ですから、読者の方は、胸の内に、さらなる疑問が湧くでしょう。

  「なぜ、彼等の行いや心には矛盾があるのだろうか」

と。

私達が、よく見てみると、彼等は「我々は経済システムを通して、人類に対する、深い貢献をしている」と言いつつも、「我々は人々を支配したい」という狙いを実行していることがわかります。

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つまり、彼等の心理や性格というのは、非常に幼稚で未熟だと感じるでしょう。
自らの心の中に確固とした柱が無く、二つの方向にぶれている。

「自分の心を支える信念が薄い」という現象が、このような人格に見られるのは、その人の心の愛情不足から来ています。

知識や能力があっても、愛の少ない精神から生まれてきたものは、「人に対する、愛情の基盤が少ない」ということになります。
ですから、彼等から流れ出てきた資本主義システムと現行のお金から、「笑いと苦しみの両方を同時に経験させられる」ということになりはしないでしょうか。

(実際には、彼等なりの愛情を表現し、かつ、彼等なりに多くの人々に対して、愛(賞賛)を求めていることがわかるでしょう。ただ、様々な紆余曲折を経て、彼等の心に愛情が不足したであろうと思えることに関しては、一つの不幸な結果となったのではないでしょうか。ここからも、過去からの彼等に必要だったのは、それなりの専門の病院とか、それなりの専門養護施設の中での、深い治療だったのではないでしょうか。それは、暖かいゆりかごの中で揺られつつ、何らかの忘却が必要とされる治療なのかも知れないけれど。少なくとも、「私は、この養護施設の専門スタッフであり、私は彼等の養護を確かに努めます」と、宣言したような人々に囲まれてでの養護が必要なのではないでしょうか。この観点から見ても、地上に住む多くの人々が、「私は彼等の養護を確かに努めます」と、宣言していないと感じるのですが。現在に至るまでの過ぎ去った過去を、とやかく言っても仕方ないけれど、彼等には、そのような環境が必要だったのではないだろうか。)

■:終わりに

この記事は長くなってしまいました。

本来ならば、以降に「お金との折り合いを考えて」とでも題せる文章を書く予定でした(実際には、既に色々と記述済みでもあると思うのですが)。

現在でも、私達はお金を使って生活していますから、日々の生活の中で、お金と折り合いをつけつつも、生活をやっていかないといけないでしょう。

それについて考えながら、書くつもりでしたが、長くなりましたので、日を改めて紹介するかもしれません。
今回は、この辺りで筆を置かせて頂きます。

長くなりましたが、ここまで読んで頂き、ありがとうございました。


(以下、過去記事、関連記事、及び、参考文献)
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『三千十一:現代と中世の商業事情を考えて』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2016/11/post-05f9.html
司馬遼太郎『街道を行く 9 信州佐久平みち、潟のみちほか』(朝日文芸文庫)より文章と写真を引用
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明治維新後、太政官の財政基礎は、徳川幕府と同様、米穀である。

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維新で太政官は徳川家の直轄領を没収したから、ほぼ六百万石から八百万石ほどの所帯であったであろう。
維新後、太政官の内部で、米が財政の基礎をなしていることに疑問をもつむきが多かった。


欧米は、国家が来期にやるべき仕事を、その前年において予算として組んでおく。
ところが日本ではそれができない。
というのは、旧幕同様、米が貨幣の代りになっているからである。
米というのは豊凶さまざまで、来年の穫れ高の予想ができないから、従って米を基礎にしていては予算が組み上がらない。
よろしく金を基礎とすべきであり、在来、百姓に米で租税を納めさせていたものを、金で納めさせるべきである

明治五年、三十歳足らずで地租改正局長になった陸奥宗光が、その職につく前、大意右のようなことを建白している(※筆者注:この私のエッセイ内では「右」ではなく、「上」となります)。
武士の俸給が米で支払われることに馴れていたひとびとにとっては、この程度の建白でも、驚天動地のことであったであろう。

が、金納制というのは、農民にとってたまったものではなかった。
農民の暮らしというのは、弥生式稲作が入って以来、商品経済とはあまりかかわりなくつづいてきて、現金要らずの自給自足のままやってきている。

『米もまた商品であり、農民は商品生産者である』というヨーロッパ風の考えを持ちこまれても、現実の農民は、上代以来、現金の顔などほとんど見ることなく暮らしてきたし、たいていの自作農は、米を金に換えうる力などもっていなかった。

どうすれば自作農たちが金納しうるかということについては、政府にその思想も施策も指導能力もなにもなく、ただ明治六年七月に「地租改正条例」がいきなりといっていい印象で施行されただけである。

これが高率であったこと、各地の実情にそぐわなかったことなどもふくめて、明治初年、各地に大規模な農民一揆が頻発するのだが、木崎村は、このときには一揆を起こしていない。
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(引用終わり)


『二千六百八十五:現在の資本主義を考える』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2015/10/post-6e5c.html
●『お金の原価はいくらなの?』
http://homepage2.nifty.com/osiete/s418.htm

(上記記事より抜粋引用)
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平成十二年度特別会計予算ベースで

一万円が約22.2円、
五千円は約20.7円、
千円札は約14.5円です。
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(引用終わり)


『二千六百八十五:現在の資本主義を考える』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2015/10/post-6e5c.html
●100ドル紙幣を1枚作るのにはいくらくらい原価がかかるのですか? - Yahoo!知恵袋
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q129971462

(上記記事より抜粋引用)
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参考のサイト(アメリカの印刷局)の説明によれば、2005年実績で、約5.7セント/枚(86億枚印刷時)だそうです。
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(引用終わり)


(Wikipediaより)
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●日本銀行
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E9%8A%80%E8%A1%8C

日本銀行は、政府から独立した法人とされ、公的資本と民間資本により存立する。
資本金は1億円で、そのうち政府が55%の5500万円を出資し、残り45%にあたる約4500万円を政府以外の者が出資する。
2010年(平成22年)3月末日時点における政府以外の出資者の内訳は、個人35.9%、金融機関2.4%、公共団体等0.2%、証券会社-%、その他法人6.5%となっている[1]。

最終更新 2014年6月19日 (木) 02:45 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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(引用終わり)


 

                                       坂本 誠

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