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2017年3月13日 (月)

三千九十四: 港町を訪れる時(独白)

港町には、夕陽がよく似合う。
港町に押し寄せる、さざ波が薄く夕陽に染まるからだろうか。

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船の汽笛が、その情景に一滴の潤いを与える。

どこか絵になる雰囲気が漂う。

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「港町」は、旅人にとっては、陸地の果てを指す。

なぜならば、そこで大地が終わり、海の向こうの土地に行こうとすれば、その港町から出向する船に乗って、行かねばならぬから。

大地の果てる場所。
それが港町。

しかし、船旅を終える旅人にとっては、港町は大地の始まりを意味する。
旅人の足にとっては、その港町に記す自分の足跡が、その大地の上での第一歩となるのだから。
要するに、港町というのは一つの接点だ。

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そのような接点となる場所での、人々の集合・融合というのは、ある意味、特別な雰囲気をかもし出してくる。

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様々な人が集まってくるからだ。

地元の人もいれば、外国人のような遠国の人もいるだろう。

その混濁ぶりが、他の地域とは違ったものとなるようだ。

逆に言えば、港町のように、多くの外国人が訪れている地域を作ると、それが一つの呼びとなるのかもしれない。

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おそらく世界中の港町を見ても、同じような雰囲気があると思われる。

港町にやって来て、様々な目的の外国人を見かけると、人は、どこか異国情緒に触れるものだ。

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そのような日常とは違った生活の中に入り、ホテルの窓から港を眺めてみるのも良いかもしれない。

港のさざ波の動きが夕陽に染まっているかもしれない。

そのさざ波の動きに合わせて、グラスに注いだコニャックをも、手の中で、たゆたわせてみる。

すると、グラスのコニャックにも、小さなさざ波が生まれるだろう。

港の中の赤く染まったさざ波を、酒の肴(さかな)にしつつ、琥珀(こはく)色をしたコニャックのさざ波を、口に含んでみるのも、港町に訪れた旅人にとっては、乙(おつ)なことかも知れない。

赤いさざ波と琥珀色のコニャックの間に、どこか、何かの共通点を感じてしまうかもしれない。
そして、「自分は、今、夕日に照らされた、さざ波を飲んでいるのではないだろうか」と、人は錯覚するかもしれない。
その錯覚と酒を混ぜ合わせ、その味を胃の中や舌の上で楽しめるかもしれない。

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時折、港に腰かけて、人がトランペットを吹いている。

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その人は水夫ではないようだが、様々な文献や漫画の中には、船乗り達が港でトランペットを吹いている光景をよく目にする。

なぜ、船乗り達が、港の一角でトランペットをよく吹くのかわからないけれど、港町にマッチしている光景だ。

だから、港町に流れるBGM(Back Ground Music:背景音楽)とは、さざ波の音の上に、トランペットの旋律が流れ、時折、ワンポイントとして、船の汽笛がその旋律上に混ざることになる。

ある街の中に自然に生まれ、自然に流れているBGMに気付くのも、旅の一興だと感じてしまう。

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港町を楽しむ一つのコツは「時を止める」ということかもしれない。

旅の上では「接点」を現す、港町には、どこか異国情緒があり、その異国情緒と地元の雰囲気が混合している。

その混合具合を味わうには、その港町の過去に遡り、調べることが多くなるから、自然と「自分の内で時計の針を止めてみる」という志を持って、その港町を訪れた方が良いようだ。

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                                        坂本  誠

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