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2017年3月18日 (土)

三千九十六: ネクタイについて

ネクタイについて考える機会がありました。

あの、世の多くの男性達が首に巻いている布切れの事です。
過去記事の方で、「お墓や仏壇や位牌が本当に必要か?」という疑問を書いてみました。
それと同じように、生まれた時の赤ちゃんのような視点を持って、ネクタイについて感じてみました。

最近の日本の男性ならば、死ぬ前までには、一回ぐらいは、首にネクタイを巻く経験を持つかもしれません。
あるいは、最近では、女性もネクタイを巻いた経験も増えているのではないでしょうか。

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生まれたての赤ちゃんのような視点を持って、改めて、ネクタイを見てみると、以下のように感じました。

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身に着ける衣服とか、ハンカチならば、その用途がわかります。
しかし、首に巻きつけているネクタイというのは、実用的な用途が無いのに気が付きます。

身に着ける衣服ならば、実用的な用途を挙げるならば、衣服を着て湿寒を防ぐ、という実用的な目的があるでしょう。
また、ハンカチならば、トイレから出た後に手を拭く時に使用する、という実用的な目的があるでしょう。

しかし、ネクタイというものには、実用的な用途が無いのに気が付きます。
ハンカチには似ているのですが、それを使って、手を拭く事もありません。

ネクタイは、ただ、ひたすら、「飾り」とか「ファッション」としての役割があるだけだと気が付きます。

ここで、Wikipediaの説明も引用します。
私が気になった部分には、アンダーラインを引いたり、太字にしています。

(以下、『Wikipedia』より文章と写真を引用)
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●ネクタイ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8D%E3%82%AF%E3%82%BF%E3%82%A4

ネクタイ(英語: necktie)とは、男性の洋装で、首の周り装飾として巻く布のことである。

ルイ14世が見たクラバット

ネクタイの起源については諸説ある。
現在のネクタイの原型ができたのは17世紀頃とされる。

Photo

 

ネクタイの起源として伝わる有名な説として、ルイ13世を守るためにクロアチアの兵士(en)がフランスを訪れた際、彼らが首に巻いていたスカーフが起源である、というものがある。
彼らは無事な帰還を祈って妻や恋人から贈られたスカーフを首に巻いたが、それを見たルイ14世が興味を示し、側近の者に「あれは何だ?」とに尋ねたところ、側近の者はクロアチアの兵士について尋ねられたと勘違いし、「クロアチア兵(クラバット)です」と答えたため、その布をクラバット(cravat)と呼ぶようになったという逸話である。
この説には、14世紀にはすでにフランスでcravateという語は使われていたという反論がある。

どちらにせよ、1660年ごろに人気のあったクラバットは、単に幅広のネッカチーフを首に巻いたものに過ぎなかった[1]。

現在でもフランス語などではネクタイを "cravate" と呼ぶ。
またこれから18世紀にかけて、クラバットに限らず首に布を巻くスタイルは兵装としても用いられ、一般に広まった。
この形のクラバットは第一次世界大戦頃までの一般的な男性の正装となる。

最終更新 2017年3月9日 (木) 18:53 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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(引用終わり)

ネクタイとは、あくまで、「男性の洋装で」、「首の周り」の「装飾」であることがわかります。
ようするに、ネクタイは飾りだということが私達にわかります。

また、ネクタイの起源についても引用しましたが、ネクタイの起源を読んでも、伝説によれば、「無事な帰還を祈って」のお守りみたいなものであったことがわかります。

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最近の日本では、夏季にクールビズの一環として、ノーネクタイでも許されるようになりました。

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しかし、現実上のホワイト・ワーカーの正装として、夏季以外ならば、ネクタイ着用が義務付けられる程でしょうか。

しかし、このブログ記事のように、「ネクタイの本当の用途は男性用の飾りである」ということがわかれば、あながち、世の日本男性の多くに「ネクタイ着用義務付け」という話も奇妙なように感じないでしょうか。

また、この世の最初からネクタイが存在していたわけではない事もわかります。
しかし、上記の引用文によると、世間一般に、多くの人がネクタイを着用することが多くなり、それから、「ネクタイを着けている男性が世に多い」ということだけを持ってして、やがて時が経って、「現在の日本のホワイト・ワーカー達の正装と強制的に義務付ける」と、話が進むと、これはちょっとおかしなように感じないでしょうか。

昔は、ただの男性の飾りに過ぎないものが、巡り巡って、強制着用されるというのは、以下のような感じになるでしょう。

「単純に、世の多くの男性達が首にネクタイを巻いているので、その他の数の少ない、ネクタイを巻いていない男性達が、良いようには見えない。だから、いっそのこと、世の全ての男性達に、ネクタイ着用を、あたかも法律のように義務付けさせよう」

という、どこか、高圧的な考えが存在した、とか、あるいは、ネクタイを嫌っている男性達が存在すると仮定するならば、その男性達に向かって、服装差別を行った、と考えられないでしょうか。

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ですから、ネクタイの発祥を見てもわかったように、このネクタイとは、つまり男性の飾りであり、かつ、男性に対するネクタイ着用が法律化されていないことを見てもわかるように、世の多くの男性に課せられている、「ネクタイ着用の義務付け」からも、世の男性達は解放された方が良いのではないでしょうか。

もちろん、「ネクタイは男性の飾りである」ということが、私達にわかったのですから、ネクタイを着用したい人は、着用すれば良いとわかります。

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しかし、それにしても、クールビスの習慣が出来る前は、あたかも、「世の全ての男性達に、法律的にネクタイ着用を義務付ける」という高圧的で命令的な雰囲気が、日本の男性社会の間に存在していた事は多くの人の知るところでしょう。

これ自体が、かなり問題性の強い事項であったように人は感じないでしょうか。

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この問題は、ネクタイ・ピンを考えるとわかりやすくなると思います。

現在、ネクタイ・ピンは、正装扱いされていないでしょう。

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それはまだ、ネクタイ・ピンまでは、全ての男性が使っていないからでしょう。

しかし、「今後、かなり多くの男性がネクタイ・ピンを着用するようになった」と仮定します。
すると、世の人々は、ネクタイ・ピンを着用していない、少数派の男性達を見て、どこか、ぎこちなさを感じ始めるかもしれません。

そして、いつしか、そのネクタイ・ピンを常用している男性達が一斉に以下のように叫びだすかもしれません。

  「全ての男性の正装として、ネクタイ・ピンを着用すべし!」

と。

ネクタイ・ピンも、現在では飾りの一つでしょうが、そのネクタイ・ピンを常用している男性の数が多数派になると、そのネクタイ・ピンの着用が暗黙の内に規則化されるのだ、となると、この話に、奇妙なものを感じる読者の方も出てくるでしょう。

まさに、ネクタイのケースだと、「私が今、仮定で話した、ネクタイ・ピンの話題と、全く同じ道を歩んできたのだ」と人は気づかれるでしょう。

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私達の日常生活を見回しても、このネクタイに似たようケースが多いのに気が付くでしょう。

例えば、以前、日本の食卓では、箸を右手で使うことが、ほぼ強要されていました。
現実には、左利きの人も多いので、左利きの人は左手で箸を使う方が便利だったでしょう。
しかし、それにも関わらず、「世には右利きの人が多いので、左利きの人も、右手で箸を使って食べるべし」というような、強烈な禁止命令のような雰囲気がありました。

この記事を読まれている読者の方ならば、この話を聞いて、「これは左利きの人が変な扱いをされていたのでは?」と感じるでしょう。

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他にもまだ例を挙げるならば、小学校の廊下などでは、右側通行が規則的になっていると思います。

しかし、世の歩道に出れば、右側通行が規則に、なっていません。
歩道の右側でも左側でも歩いて良いことになっています。

これらの例を見ても、わかるように、とにかく、私達の間では「規則を作ろう。規則を作ろう!!」と、規則作りに躍起になっていることがわかるでしょう。

その他の、中学や高校での校則にしても同じことが言えることがわかるでしょう。

とにかく、「人は規則作りに飢えているのではないのか?」と思えるぐらいに、私達の間では規則作りが流行っていることに気が付くでしょう。

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しかし、この記事の読者の方ならば、次に以下の言葉が、脳裏をよぎるかもしれません。

  「人は、多くの自由を許されているのではなかったのか?」

と。

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ですから、「自由」という、ゆるやかで、穏やかで、広がりのある単語を愛する読者の方にとって、私達の社会を見ると、以下のように感じるかもしれません。

  「多くの私達は、互いに、束縛し合おうとしている」

と。

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なので、私が思いますに、現代の私達は、ゆるやかで、穏やかで、広がりのある、暖かい心で、「自由」という単語の意味と、その発音を、今一度、味わい返した方が良いと感じます。

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                                        坂本  誠

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