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2017年2月13日 (月)

三千七十五: 私達の世界で起きている様々な比較を見ていると(独白)

以前のどこかの記事にも書いたかもしれないのだけど、他の人と比較をすると、たいてい、その比較をした人は不幸になってしまう。

なぜなら、隣の人の年収を知って、自分の年収額を気にしたり、隣の家の子供のテストの点数の方が高く、我が子のテストの点数の方が低いとなると、人は、すぐにも嫉妬を起こしてしまい、その嫉妬の心があるので、不幸感覚を得てしまうことがほとんどだ。

だから、私達の処世術の一つとして、「他人と比較しない方が良い」と言えると思ってしまう。

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ところが、私達の身の回りを見てみると、如何に比較する行為ばかりで占められいるかが実感できてしまう。

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上の例で行くと、「隣の人の年収額」が出てきたから、お金の数値によって、私達は生活の至る所まで、大量の比較行為が行われていることに気が付く。

上の例で行くと、「隣の家の子供のテストの点数」が出てきたから、学生に限らず、私達は社会の至る所まで、大量の比較行為が行われていることに気が付く。

私達の身の回りに、大量の比較行為が行われているので、冒頭からの流れによって、他の人を見て、容易に大量の嫉妬を起こしてしまい、その嫉妬の心が、私達の心の内部に不幸感覚を作ってしまうことがほとんどだ。

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すると人は、「だったら、私達の身の回りに、大量の競争を置かなければ良いだろう」と気が付くだろう。

そして、ほとんど多くの人は、自分の身の回りに大量の競争を自ら、あえて実行しようとしていないのに私達は気が付く。

だから、私達の身の回りに何気なく置かれている大量の競争行為は、いわゆる、お上(おかみ)と呼ばれる存在達が意図的に私達に与えていることに私達は気が付く。

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例えば「世界の子供の学力テスト」と言われるものが、世界中の数多くの教育に関する役所が共同で、同一のテストを作り、各国の子供達に、そのテストを受けさせるのだ。

そして、役所はその結果を報道会社に回して報道させて、多くの人々に見せているのだ。

その報道中には、例えば、「E国が1番であり、J国が2番であり、C国が3番であり、A国が4番であり、、、」と、こんな感じで報道されているのを、多くの人は見かける。

このような報道を見せつけられた世界の多くの人々は、いまだ自分の目では見ていない、世界の他の人々と競争させられたので、嫉妬心が起こり、多くの人が不幸感覚を得る(また、このような競争の報道によって、世界の人々の競争意識を無理矢理に高めさせられていることに私達は気が付く)。

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また、「世界の国々の内で、どの国が最も富んでいるか」の競争の結果を人々に知らせるためにも、経済関係の人はGDP(国内総生産)の数値を作り、このGDPの値を毎年毎年、広く報道させて、世界の人々を経済競争に巻き込んでいることにも、私達は気が付く。

この競争の結果からも、世界の多くの人々は、競争心を高めさせられたので、嫉妬心が生まれ、世界の多くの人が不幸感覚を得てしまうだろう。

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上に挙げた幾つかの例以外にも、私達は様々な競争を見つける事が出来る。

例えば、会社の売上高の成績とか。
数字だけではなく、会社の内部で、様々な役職名を作り、それがいわゆるランク付けされているので、会社の内部構造でさえも、競争だ。

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結局、私達の社会の中で「多くの人の目に付かぬように、イニシアティブを握ろう」としている人々は、地球上の多くの人々に競争させようとしていることに気が付く。

Photo

 

多くの人々に競争心を植え付けるためには、様々なものを数値化した方が良いことがわかる。

例えば、子供達にテストをさせるのだけど、そのテストの結果は数値で表される。

また、個々の人々が「所有している」と思わされている、いわゆる「個々の人の富」の額を表すために、お金がある。
そして、上の例のように、そのお金の額の多寡により、隣の人との所持金の多寡を比較させられている。
私達の心の中に、競争から来る嫉妬心により、私達がいともたやすく不幸感覚を抱かせるようにしむけられていることに私達は気が付く。

あるいは、彼等は、私達の心に、多くの競争心を持たせようとしていることに私達は気が付く。

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ここから思い浮かぶ、彼等への対策の一つとしては、「数値で表現されているものに気を取られないようにする」ということだろうか。

私達の身の回りの多くの物や事柄を、数値化されてしまうことにより、その表現された数値によって、簡単に大量の比較行為が実行出来るようになっているのだ。

だから、私達の周囲に数多く存在している数値化された表現を、ほとんど無視する行為を実行すれば、良いことに気が付く。

確かに、今現在、私達の周囲に存在している大量の数値を、全て無視することは出来ないので、私達は極力意図的に、特に、人間に関わることが数値化されたものを、見ないようにした方が良いだろうと思ってしまう。

「人間に関わること」とは、たいていの場合、「個々の人間の能力を表せるもの」とか「個々の人間の所有している何かを数値的に表せるもの」と書けるだろうか。

大量の数値化が大量の競争を生む。
そして、大量の競争が私達の心の内部に多くの嫉妬心を作る。
そして、その多くの嫉妬心の結果、多くの私達が不幸感覚に陥る。
と、あるならば、私達は彼等の意図の逆を行わないといけない。
だから、私達は、身の回りに数多く書き表された大量の数値を軽視した方が良いとわかる。

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もっとも、「彼等は、なぜ、私達に大量の競争をさせようとしているのか?」という疑問が人の心に浮かぶ。

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彼等は人類支配をしたがっていた。
つまり、彼等は地球人類を奴隷にしたかった。
つまり、彼等の狙いで行くと、彼等は奴隷マスターの地位にある。

彼等が奴隷マスターであるので、本来ならば、どこかの何かの映画で見かけたような1シーンのように、奴隷マスター達が、その奴隷達に、激しく言葉を浴びせて、強制労働をさせていることになる。

ところが上記の映画のようなシーンを実行すれば、「彼等は奴隷マスターなのだ」と、簡単に誰もが気が付いてしまう。

だから、誰にも気が付かれないようにするには、彼等としては、以下のように考えただろう。

 「奴隷達が自分自身で、競争に励めば、良いだろう。だから、奴隷達の競争意欲を高めよう」

と。

こうすることにより、彼等は直接手を出さずとも、良くなる。
だから、彼等としては、私達の間に、競争意識を煽る(あおる)ような宣伝文句を、彼等なりのスピーカー(マスメディアとかだだろう)で、毎日、絶えず叫び続ければ良いことになる。

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その結果が「今、私達が眼前に見ている光景なのだ」と、人は気が付く。

「今、私達が眼前に見ている光景」とは、上で挙げた幾つかの例も含むし、様々なテレビや新聞でも伝えられているし、その他、日常生活で出会う様々な競争だろう。

彼等が多くの私達に競争意識を高めさせるには、何らかの報酬なり、あるいは、何らかの脅しを言わないといけなくなるだろう。

その競争意識を高めた結果の報酬としては、

 「あなたは、その競争に勝ったので、他の人々よりも優位に立っているので、気持ちが良いでしょ?」

とか。
あるいは

 「あなたは、その競争に勝ったので、その報酬により、他の人よりも多くの金銭を得たので、あなたが飢える心配はないでしょう」

とか。

そして、彼等としては、その競争社会から人が抜け出てもらっては困るので、脅しの文句としては、

 「あなたは他の人との競争に敗れたので、あなたの生活は苦しくなりますよ」

とか。
あるいは

 「あなた以外の外国人が技術競争に勝ったので、あなたの会社や国は、世界の技術競争に負けて、生活が苦しくなるでしょう。」
 
とか。

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このように改めて書いてみると、私達は16世紀ぐらいから20世紀まで続いていた「ヨーロッパ各国による、植民地拡大の時代」とか「帝国主義の時代」というのを思い出すだろう。

結局、私達は経済や技術面で、世界各国の人々と競争させられているのだが、その競争に勝った国が、負けた国を支配したり、経済的な植民地にする、という構図が、そのまま残されていることに気が付く。

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要するに、私達の間にばらまかれた大量の競争によって、世界の多くの人々は、その競争によって、互いを(経済的な或いは技術的な)敵と見なす癖を付けられてしまっている。

要するに、「多くの人の目に付かぬように、イニシアティブを握ろう」としている人々は、私達の心の内部に大量の争いを持ち込んだのだ。

大量の競争をもたらすことによって。

要は、彼等は大量の競争をもたらすことによって、多くの人の結束や絆を弱め、分断を図っている。

人は、互いの心の泉の内に滾々(こんこん)と湧き出づる、尽きることの無い友愛精神によって、我等自身の結束と幸福感と安らぎを高める筈であろうのに。

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要は、私のブログに時々出てくる彼等は、他の多くの人に欲の心を芽生えさせたり、あるいは、妬みの心を生まれさせるのに長けていた、というわけだ。

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日記のつもりで書いていた文章が、いつの間にか長くなってしまったので、あまり冗長になってもいけないので、この辺で筆を置きます。

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追加として。

あまりにもテレビを見過ぎない方が良いと思います。
なぜならば、テレビ中に出てくる「素晴らしい」と言われているような人物を見たり、華やかそうな生活ぶりを見たり、或いは、豪華そうな物品を見させられることにより、知らず知らずの内に妬みとか悔しさという感情を煽られるからです。

妬みや悔しさ或いは、それとは逆の優越感等を感じることによって、上記のように、不幸感覚を感じる方も多いと思われますので。


                                        坂本  誠

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