三千七十一: 資本主義に代わる道の模索
こんばんわ。
最近、続いている経済物のシリーズです。
以下は、私の旧ブログ中の記事『二千五百五十:経済的な事』を改訂したものです。
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先日、出版された本に以下のものがあります。
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『SHARE<共有>からビジネスを生みだす新戦略』
レイチェル・ボッツマン 著
ルー・ロジャース 著
小林弘人 監修・解説
関美和 訳
NHK出版
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その中に、以下の例があります。
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アメリカの半分の世帯(約5000万世帯)が電気ドリルを持っている。
しかし、それらは、人間の一生の間に、一つの世帯で、合計して6分か13分しか使用されていない。
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だいたい、以上の例が紹介されてありました。
つまり、5000万個の電気ドリルが70年間の間に、一つの世帯で、たったの6分か13分しか使用されていないわけです。
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改訂部分は、ここまでです。
上記の「70年間」というのは、「人間の一生の間」、つまり、人の一生の年齢を約70年と換算したものです。
読者の方も「アメリカの半分の世帯に、電気ドリルが死蔵されている」と聞いて、「これは大変な無駄が発生している」と、感じるのではないでしょうか。
つまり、資源の有効利用がなされていないことに気が付くでしょう。
これは、アメリカの世帯だけでなく、全世界の家庭でも言えることかも知れません。
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例えば、私の家の倉庫の中にも、ある一定の数の工具が眠っています。
現在で、大工さんや電気工事士や左官屋さんとかの建設関係に行事している方々ならば、それらの工具は、毎日、必要かもしれません。
しかし、現代のライフ・スタイルだと、それらの工具を毎日のように頻繁に使用する家庭の数は、かなり少なくなっていると言えないでしょうか。
同様のことが、世界の各地の家庭についても言えるかもしれません。
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上記で引用紹介した書籍『SHARE<共有>からビジネスを生みだす新戦略』も、欧米人の手になる著書でしょう。
同じく、上記のような資源の有効利用がなされていない問題の解決方法と思える手段の一つも、欧米から発信されたHPにありました。
私の旧ブログの記事『三千百十四:「トランジション」について_No.8』でも、紹介したのですが、ここにもう一度、紹介します。
(翻訳と引用部分。写真も同HPからの引用)
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●Welcome | Transition US
http://transitionus.org/
●Sustainable NE Seattle's Tool Library Grand Opening
http://transitionus.org/stories/sustainable-ne-seattles-tool-library-grand-opening
支持されている、NEシアトル・ツール・ライブラリ(ツール・ライブラリは「工具倉庫」の意味)。
グランド・オープン。
今月始め、NEシアトル・ツール・ライブラリは、多くの準備の後、その扉を市民のために公式に開けました。
NEシアトル・ツール・ライブラリは、持続可能なトランジション・イニシアティブのプロジェクトです。
そして、NEシアトル・ツール・ライブラリはCleanScapes Waste Reduction Award Programから補助金で支えられています。
また、建物の所有者(北シアトルFriends教会)の厚意にも、支えられています。
そして、西シアトル・ツール・ライブラリでは、多くの人々からの技術的なアドバイスと支持にも支えられています。
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NEシアトル・ツール・ライブラリは、コミュニティ主導のプロジェクトです。
それは、あなたが広範囲用の工具とトレーニングとアドバイスのためのコミュニティ・アクセスに支払ったものを提供するプロジェクトです。
ツール・ライブラリは、そのコミュニティを奮い立たせようという目的があります。
ツール・ライブラリは、例えば公園修復のようなコミュニティ・プロジェクトに参加します。
そして、ツール・ライブラリは、家庭庭園、家庭エネルギーの改善、そして、水を手に入れることのような楽しいプロジェクトを通して、その持続性を追い続けます。
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この美しいイラスト付きの投稿でツール・ライブラリについて、もっと読んでください。
シアトル・タイムズと同じく、このオンラインでも、もっと読んでください。
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(引用と翻訳終わり)
つまり、家庭の中で、あまり使用されていない工具や大工道具を、倉庫のような一か所に集めて、人が必要な時に、その倉庫から、その時に必要な工具等を借りる、という方法です。
こうすることにより、各家庭にとっては、工具や大工道具を購入する必要が無くなります。
そして、今まで、各家庭の中でその工具が場所を占めていた面積が空きますから、その空いた場所を、さらに有効活用することが出来るでしょう。
資源も有効活用され、さらに、これまで、有効活用されなかっただけの大量の工具を生産する必要が無くなる、とわかります。
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日本に住む私達ならば、町内会で、一つの倉庫を借り受けて、それを工具倉庫にすれば、私達の身近にある、上記のような資源の有効活用が出来るようになるでしょう。
ここから、私が思い出すのは、中学校時代の技術の時間です。
女性には馴染みが薄いかもしれませんが、私の中学校時代の技術の時間では、男子生徒が大工仕事等を覚えるためにも、鋸(のこぎり)とか、鉋(かんな)とか鑿(のみ)を、学校側から購入されました。
今でも、それらの大工道具が、私の家の中の倉庫部分に眠っています。
現在の中学校でも、それらの大工道具を買わされるのではないでしょうか。
ですから、上の事例を踏まえると、学校側で、生徒数分だけの大工道具を揃えて、学校の中の倉庫の中に、それらの道具を保管し、男子生徒の技術の時間の時にのみ、それらの工具を貸し出して、授業が行われれば良いかと思います。
こうすることにより、まず、社会の側で大量の工具を作成しなくても済むことが私達にわかります。
そして、生徒側の家庭の教育費を、わずかでも減らせます。
その少金を、月末等のファミリー・レストランでの家庭団欒のための外食費用にでも、回せるのではないでしょうか。
また、工具となると、家から学校まで運ぶ時に、重さを感じる生徒もいるでしょうが、上記のように学校に工具倉庫があれば、通学途中に、その重さを感じずとも良くなると思います。
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ここからは、ちょっと余談的になります。
この話題からも、資本主義の理屈の奇妙さに気が付く人も出て来るのではないでしょうか。
冒頭の電気ドリルの例を考えても、私達の家庭に眠っている、工具にしても、日常生活で、ほとんど使用していない家庭も多いのだから、それらを無理に買わなくても良かったでしょう。
そして、上記のように、工具倉庫等があって、必要な時に、必要な工具を貸し合えば、資源の有効利用が行われたことがわかります。
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しかし、その方向は、資本主義の願う方向とは逆方向だとわかるでしょう。
そのように、工具を貸し合えば、工具が売り上げが減少するので、工具のメーカーさんは困る筈です。
資本主義の喜ぶ方向というのは、冒頭の電気ドリルの例のように、たとえ、各家庭の中で死蔵された電気ドリルが大量に増えようとも、それらが売れて、つまり、販売利益という名のお金の数値の上昇が起きたので、資本主義的には、それが成功だった、ということになるからです。
資本主義的な成功が、資源の有効利用とは逆方向を向いているのがわかるでしょう。
また、アメリカの半分の世帯(約5000万世帯)が電気ドリルを買った後、人間の一生の間に、一つの世帯で、合計して約6分か13分しか使用されていない、ということは、その電気ドリルを買った人は、その分だけのお金を損していることが、私達にわかります。
当然、このケースをよく考えてみると、「アメリカの世帯だけ」とは言えないでしょう。
ところが、資本主義的な狙いから言えば、「電気ドリルを多くの家庭に買わせて、メーカーの売り上げ額の数値が上がったので、これが(資本主義的な)成功だ」と言われているわけです。
人は、この実例を聞いて、「資本主義の理屈って、どこか杜撰(ずさん)じゃない」と感じるのではないでしょうか。
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ですから、私達が落ち着いて考えるに、よく報道されている「各国のGDP(国内総生産)」のお金の数値に疑問を抱き始める人も出てくると思います。
なぜならば、上の例のように、多くの電気ドリルが死蔵されたのにも関わらず、その電気ドリルの売上高が、幾つかの国のGDPの中に、含まれているからです。
あの、世界各国が計上して、発表しているGDPの数値の中にも、上の電気ドリルのように「何らかの資源が有効活用されていないにも関わらず、とりあえず、それらは売れたので」、その分の売上高がGDPに含まれている筈です。
なので、この無駄となっている筈であろう分の、お金の数値を各国のGDPから差し引くと、様々な国の実際のGDPの値は、かなり低く見積もれるのではないでしょうか。
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また、上のように、私達の間に工具倉庫を作って、私達が、そこから、必要な時に、工具を借りるようになったとしましょう。
すると、誰もがわかるように、今度は、工具の売り上げが下がることにより、工具メーカーにとって、苦しい話となるでしょう。
しかし、毎日のように、工具を使用していない人にとっては、工具倉庫が町内に有る方が便利でしょう。
このように、お金のある世界だと「両天秤」というのは無理です。
どちらかを立てれば、もう一方の側が下がります。
似たような例として、私達の身近にあるのは、省エネです。
私達が各家庭で、省エネを実施すれば、そのエネルギー分のお金を省エネ出来るので、各家庭は助かります。
しかし、エネルギー産業の企業から見れば、多くの各家庭が省エネを実施すれば、そのエネルギーの売上高は下がるので、エネルギー産業の企業は困る筈です。
資本主義の狙いの一つとして、「全てのものの拡大や増大や上昇」があったのですが、「この看板には無理があった」と、人は感じ始めるのではないでしょうか。
坂本 誠