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2017年2月22日 (水)

三千八十一:  長崎の街の特色を考える

長崎に訪れて、現地の方と話す時がある。

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現地の方が一様に言うのだけど、「この長崎の街の、どこが面白いのでしょう?」と、尋ねてくる。
実を言うと、これは誰でもそうなのだけど、自分の街に長く暮らしてみると、「自分の街が、他の土地の人から、どのように見られているか」が見えづらくなる。

長年、同じ場所に暮らしていると、いつもその土地に住んでいるため、慣れてしまい、自分の街の特色に気づきにくくなるのだ。

だから、私でもそうなのだけど、長崎の現地に長く住む人も、自らの街の特色を忘れてしまい、なぜ、多くの観光客が、自分の街に訪れているのかがわからなくなる。

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長崎の街以外の都市からの観光客が気付くのは、以下のような事だと思う。

まず、長崎という街は、自然の美しさから言えば、山から望める夜景があるけれど、長崎の街自体は、自然景観をメインとはした街ではない。
長崎という街は、あくまで、都市型観光がメインの街だ。

もっとも面白い点は、街の中に入れば、キリスト教の教会と中国寺と神社仏閣が共存していることだ。

つまり、街の中に、キリスト教文化と中国文化と大和(やまと)の文化が混在している。

江戸時代後期の鎖国政策終了以降、日本全国の街にも、多少なりとも、キリスト教文化や中国文化が流れ込んだと思う。
しかし、それらの町々は、それらの文化の混在の度合いが、長崎の街に比べると非常に小さい。

日本の中央都市や、その他の大型都市と言えども、キリスト教文化と中国文化の浸透の度合いは、ここ、長崎と比較すれば、圧倒的に小さい。
日本の他の街では、ほんのわずかながらに、文化の混合が見られる程度だ。

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ここ、長崎では、キリスト教文化と中国文化と大和(やまと)文化は見事に融合し、融和し、違和感も無い。

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なぜならば、数多くのキリスト教圏建築物や中華文明圏建築物があるのみではなく、実際に、江戸時代後期の鎖国政策終了以前より、それらにちなんだ人々が、実際に居住していた。
そして、彼等が、彼等の母国の文化を長崎の街に惜しみ無く流し続けた。

結果、今でも、キリスト教文化と中国文化の縮小版が、長崎の街頭の中を流れている。
それが大和文化とミックスしている。

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だから、かなりの無理をして書いてしまえば、「この原稿を書いている今でも、日本が海外に向けて開いている門戸(街)は、長崎のみ」とまで書けるかもしれない。

このような3つ以上の文化が混在・融合している街、というのは、世界中を探しても、あまり見つからないかもしれない。

ある日、長崎の民放のテレビが、地域版ニュースの作成時、長崎の街に訪れている留学生に取材していた。
その地域ニュースで紹介された、その留学生も「長崎の街は面白い」と言っていた。

今でも、海外からの旅行客を街中に見かけるけれど、彼等も長崎の街を面白く感じるのだろう。

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また面白い点は、長崎の街は、それら3つの文化が混在しているのだけど、それぞれの文化が持ち込んだ、それぞれのライフ・スタイルが、特に争いも無く、融和している点にある。

普通、海外文化の流入の激しい場所となると、それぞれのライフ・スタイルや持ち前の文化の違いにより、それぞれの民人(たみびと)同士がトラブルに陥るケースが多い。

しかし、長崎の街の歴史は約400年であり、その街の発端当初から、ほぼ海外向けの街として運営が続けられてきた。

だから、この長崎の街の歴史書を紐解くと、それなりに海外の人々との幾つかのトラブルが記されてある。
そのような幾つものトラブルを乗り越えて、長く、長崎の街は、その方針を変えること無く、400年以上も運営されてきた。

外国人との、幾つものトラブルを乗り越えて、ある時は外国人に対する融和的な行動も取られ、又ある時は、取り締まり的な行動も行われつつも、現在に至っている。

なので、長崎に訪れる観光客ならば、「古来からの長崎の民人(たみびと)と異人さんとの喜びや労苦を偲(しの)ぶべし」と書けるだろうか。

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長崎開港400年以来、日本人だけではなく、外国人も肩を交えて、この街が作り続けられてきた。

だから、日本の他の街では見ることの出来ない、あるいは感じることの出来ない程の異国情緒が路上に漂い流れている。
長崎以外の日本の他の街には無い雰囲気がここには流れている。

その異国情緒の薫りが、あなたの心を幽か(かすか)にかすめゆく。

その「生きどうしの」異国情緒を味わうために、他の街から観光客が訪れ続けている。

私はそう思う。

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世の多くの旅人が求めるのは、日常生活には無い珍しさだ。

その珍しさが、ここ、長崎にはある。

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そして、長崎は観光都市だ。

多くの旅人が旅先で求める代表的なものは、二つある。
その一つは美しい自然景観だ。
そして、今一つは、珍しいと思える都市の都市型観光だ。

「美しい自然景観」というのは、これはもっぱら、大自然がその基礎を作り上げる。
例えば、阿蘇とか、温泉地帯の別府とか雲仙とか。
これらの観光名所は、基本的には、人間のちからで作ることは出来ない。
原型を作るのは地球だから。

しかし、後者の「珍しいと思える都市」を、作るのは、もっぱら人間側だとわかる。

だから、長崎という観光都市を作り上げてきたのは、多くの人間だった。
だから、「人間」というのも、自然の一部なので、かなりの時間と、多くの人間と、かなりの労力を使えば、いわゆる「名所」とか「観光地」と言われる場所を作れることにも気が付く。

だから、人間の作った「名所」と言われるような場所を作るためには、上の流れから考えると、以下のような手順を踏むことになるだろう。

まず、その土地に住む人々が「他の街とは違う、ちょっと変わったことをやってみようぜ」という志が成り立つ。
そして、その志が、ある程度の長期間、その土地に住む多くの人々の手によって実行・運営され続ける。
そして、その長期間が過ぎてみれば、いわゆる、他の街とは違った雰囲気のある、珍しい「観光都市」が作られる。

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(※注:長崎の街作りの発端は、いわゆる、お上(おかみ)と言われる人々だけが先導しただけではない。当時の外国人の船乗りが、港作りに良い土地、現在の長崎港を発見して、お上に奏上していた。また、長崎から平戸に、いったん、外国人寄港地が移ったのだけど(1639年から1671年までの間)、その後、長崎の町民達が「外国人寄港地を長崎に戻して欲しい」と、幕府に頼み込み、外国人寄港地が長崎港に戻された。だから、この長崎の街作りは、決して、お上主導で街作りが行われたのではなく、多くの町民のちからもあって、街が作られたことがわかる。参考文献:『長崎歴史散歩』、劉 寒吉 著、創元社)
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個人的に感じるのが、似た雰囲気があるのが、島根県の出雲地方だ。
この出雲地方や松江地方は自然遺産も多いけれど、ここでは話の流れ上、出雲大社に話を絞らせてもらいたい。

この出雲大社の歴史は古い。
そして、この出雲大社の原型とは、本来、何千年も前に実在していたと言われる大国主命(おおくにぬしのみこと)のマイ・ホームだったと言われている。

だから、天地の開闢(かいびゃく)時より、この出雲大社が地上に存在していたわけではない。
大国主命が実在していたかどうかは、さておき、ある日、ある時を境にして、ある人間が、この出雲大社を建立(こんりゅう)したことがわかる。

以来、何千年間かわからないけれど、その出雲大社を守る側の人間が、長期間にわたり、その静謐(せいひつ)さや、その神々しさ、その神妙(しんみょう)さを守り続けてきたので、多くの民の崇める所となり、いわゆる信仰の社(やしろ)と定められた。
もっと、くだけて、わかりやすく書いてしまえば、多くの人々の崇める所の観光名所ともなったことがわかる。

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だから、長崎の街をぶらついていて、自然遺産を使った他の観光地ではなく「人間による観光名所の作り方」というのを感じたりもする。


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            長崎
            
                    聖母に
                    
      屋内の人々が 心を清めている。
      組み合わされた両の掌。
      そこから 一つの線が 天に向かって
      羽ばたき 飛び立っている。
      それらの多くの線を
      街の上に立つ
      巨大な女性が
      胸で受け止めている。

      洋風の館から 流れ出す気。
      カステラの味が 宙に漂っているかのよう。
      孔子の廟から 線香の匂いが流れている。
      北京ダックの味が 舌をかすめる。
      社(やしろ)の中で龍が踊って遊んでいる。
      龍の動きの線が 社の外に流れ出す。

      西洋から来た時と
      中華から来た時と
      日本から来た時が 流れている。
      何本かの時が 交錯し続けて
      大和(やまと)している。

      おわんのような大地に
      夜 家々の放つ 光が共鳴し合い
      何本もの時が行きかう様を
      街の上から
      巨大な女性が 静かな笑みを浮かべて
      見守っている。

      かつて
      その女性は
      やさしさ故にか 甘んじて
      プルトニウムの臭いも嗅いだ。

      しかし
      プルトニウムの臭いは
      人々の心までも
      毒することは出来なかった。

      今、幾つもの笑顔が 行きかい
      混じり合う様を
      彼女は 静かに 見ている。

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                                        坂本  誠

  

 

 

  

   

 

 

  

 

 

 

 

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