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2017年2月16日 (木)

三千七十九: 桜の巨木を見ながら(独白)

家の近所をウォーキングしている最中に、桜の巨木の脇を歩く。

どれくらい昔から花を咲いているのか、わからないが、100年以上前から、そこにいるのだろう。

当然、この季節だと花を咲かせてはいない。

しかし、枝に手を触れてみるとわかるのだけど、既に、つぼみがふくらんでいるのがわかる。

その枝の先端のつぼみに軽く手を触れながら、その桜の巨木の枝ぶりを見てしまう。

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その枝の広がりを見ても、ゆうに一軒の家の敷地分は超えている。

地面から出ている幹の太さを図ろうとして、大人が手をまわしても、二人は必要だ。

周囲に誰もいない状態で、その桜の先端の枝先のつぼみを触りながら、その巨大さにしげしげと見とれてしまう。

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私は、その巨木に何かの巨大なパワーを感じてしまうのだ。

その「パワー」と言っても、人が物を動かす時に使うパワーとは、ちょっと違う。

何と表現して良いかわからないのだけど、とにかく、何かのパワーを想像してしまう。

そのパワーとは「生命力」と言われるものかもしれない。

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もちろん、桜は植物だけど、目の前の桜の巨木を見ていると、どことなく、眼前に鯨がいるように感じてしまう。

そして、もちろん、桜は植物だけど、私はその桜の巨大さからか、威圧感を感じる程なのだ。

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100年か、どれぐらいの時間かもわからないのだけど、今でも、少しずつ成長しながら、ずっと遠方に広がる海を見続けているのだろう。

巨大な桜の老木を目の前にして、その桜と語る一時というのは、何か深遠なものを感じてしまう。

それも日常生活から抜け出る一時なのかもしれない。

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「桜の巨木」というと、阿蘇の一心行の大桜を思い出してしまう。

先年の地震が起きた際にも、その桜の報道は聞かなかった。

だから、今でも阿蘇の一心行の大桜は阿蘇のすそ野に鎮座していると思う。

そして、また今年の春も一心行の大桜は、人や生き物を楽しませてくれると思う。


                                        坂本  誠

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