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2017年1月14日 (土)

三千五十四: 楽園とは(独白)

楽園について考える機会があった。

普通、私達が「楽園」と聞くと、どのような世界をイメージするだろうか。
多くの人の念頭に浮かぶのは、「天国」と言われている世界のイメージだろうか。

そこには、お金も無く、人々が生きる際の苦しみは無い、と言われている。

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また、何かの目標があったとしても、そこでは、様々な人々の善意に満ち溢れた協力を持って解決されているだろうか。
また、天国と言うと、そのような場所には、私達の世界で見られているような「上司」とか「上流階級」という名称でランク付けされている「地位」というものも無いと思われる。

人々は、安らぎの中で、個人の目指した何かを求めているだろうか。

「楽園」という単語を聞いて、人が思い浮かべる光景というのは、大体、上のようなものかも知れない。

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「楽園」と言われている世界で、上のようなパターンばかりが繰り返されていると、人々は退屈してくるかもしれない。

その退屈自体が苦しみとなってくるので、逆に、ある人々は、生活の中で忙しさを求めるようになるかもしれない。

例えば、汗をかいたり、何らかの形で、自分の実行したい事に関して、自ら困難な状況を与えて、その困難を克服することにより、魂の爽快感を味わうのだ。

これは最初に挙げた「楽園」とは、ちょっと形式が違っている。

最初に挙げた「楽園」のパターンだと、生活が満たされているので、人が生ぬるい風呂に入って、生活し続けている雰囲気がある。

後者の場合は、自分の身の回りに、わざとハードな環境を作って、それを克服しようとしている所に、魂の喜びを感じるので、どちらかというと、前向きな人の幸福かもしれない。

スポーツ選手等が、自分の鍛え上げた筋肉に美しさを感じて、幸福感を得ている姿に似ていると言えるだろうか。

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上に挙げた二つの例の「楽園」を見てもわかるように、取り立てて、「楽園」と言われるものの、完全な姿があるわけではない。
一人一人の個性が違っているように、「楽園」と言われる状態も、それぞれの人によって違ってくる。

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だから、この世に無数の人がいるとするならば、その人の数分だけ、「楽園」と言われる状態も、数多く存在していることがわかる。

要するに、個々の人の追求しようとしている世界観そのものが、その人自身の楽園となって現れて来ることに私達は気が付く。
だから、「楽園」というものは、個々の人の追い求める幸福の状態とも言い換えることが出来る。

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そして、私達の現状を振り返ってみよう。

私達は幸福な生活を得ようと、誰もが追い求めて来た。

しかし、やんごとなき方々(一般に、「身分の高い」と言われている人々のこと)が言うには、「他社との競争に負けぬように、そして、他国との競争に負けぬように」と言いながら、激しい競争を強いられてきた。

その結果が、私達の社会で見られる長時間労働とか、終わりの無い競争生活なのだ。

そして、やんごとなき方々は、上のセリフを繰り返すだけなのだけど、「少なくとも、私達の見込みでは、この競争状態が、後3ヶ月ぐらい経てば、私達の激しい競争状態は終了し、地球上の全ての人々は、争いの無い楽園のような、つまり、幸福な生活を手に入れることが出来るだろう」とは、一言も言わない。

ただ、ひたすら、繰り返して、「この後、私達の競争状態は、永遠に先鋭化(何かの先端が、もっともっと鋭くなっていくこと)し続けていくだろう」と、言っていることに過ぎないことに、私達は気が付く。

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彼等は、永遠と言える程、私達に競争を進めていることに、私達は気が付く。

そして、例えば、彼等が言うには、「あなた達がお互いに永遠の競争をし続けないと、お金が手に入らないようにしたので、さらに、多くの物品の交換は、お金を仲介しないと手に入らないように人間社会をセットしたので、あなた達は飢えて死にますよ」という類の、脅迫の言葉が私達にかけられているような気がしてくるだろう。

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少なくとも、私が冒頭で例を挙げた「楽園」を作り出す狙いは一つも無いことがわかる。

つまり、カバールやイルミナティや、やんごとなき方々の望むライフ・スタイルというのは、彼等以外の人々に、奴隷労働させて、彼等自身は、多くの人々の上で、ふんぞり返っていることが、いわゆる、彼等の「楽園」のスタイルだという事になる。

私が上に書いたように、それぞれの人によって、「楽園」の状態は、一つ一つ違っているのだから、彼等が「これが私の目指している楽園です」と言っても、理解できる。

しかし、もっとよく見てみると、彼等以外の多くの人々は、長時間労働や永遠の競争にさらされて、心身が破壊され、多くの苦痛を感じるので、彼等以外の多くの人々にとっては、「そのような世界は楽園では無い」ということになる。

カバールやイルミナティやイルミノイドや、やんごとなき方々は、「この世界は楽園だ」と感じていても、彼等以外の多くの人々は、「この世界は楽園ではなく、永遠の闘争の世界に、彼等が誘導しようとしている」とわかるので、両者の間の認識違いによって、矛盾した世界が、私達の眼前に出現することになる。

これが私達が現在見ている世界だ。

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ちょっとだけ、話が横に反れるのだけど、もっとも、カバールやイルミナティは、彼等以外の地球の全ての人々を「奴隷」と見なしているのだから、このような世界が出現しても、当然だったかもしれない。

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もっとも、私が以前、どこかのHPで見た記憶があるのだけど、カバールやイルミナティは、彼等以外の地球の全ての人々を、正確には、「奴隷」として見ておらず、正しくは、彼等以外の地球の全ての人々を「家畜」として見なしている、と書かれてあった。

しかし、こうなれば、カバールやイルミナティにとっては、苦しむべき点が出て来ると思う。

なぜならば、彼等が言うところの「家畜」と同じように、彼等は、毎朝、トイレに行き、便器に座って、彼等が言うところの「家畜」と同じスタイルで用を足すからだ。
私達と、何ら変わっている所は無い。

また、私達が食べている食べ物と、彼等が食べている食べ物も非常に良く似ている。

また、思考形態も同じであり、彼等と私達が同じスタイルで、子孫を増やしている。

また、何と言っても、彼等と私達の容姿は、全く同じ人間の肉体を持っている。
だから、私達は、彼等の容姿を使ってでは、見分けることが出来ない。

だから、たとえ、彼等が、わななきながら、「神よ、なぜ、あなたは家畜とは違っている肉体を我々に与えなかったのか?」という、神への冒涜(ぼうとく)の言葉を放っても、もし神という存在がこの世にいるとするならば、その神は沈黙を守り給うかもしれない。

この点から、カバールやイルミナティのセリフを考えれば、「我々(カバールやイルミナティ)が、我々が家畜と見なしている奴らと、同じスタイルで、何もかも済ます事自体が、我々の苦しみでたまらない」という、その苦痛自体が、その彼等の優越感を傷つけられているからこそ、地球人類の奴隷化(家畜化)を目指していると言えないだろうか。

彼等の優越感を保つために。

話が横に反れ過ぎたらいけないので、簡潔に書くのだけど、「彼等(カバールやイルミナティ)の欲望は止まる(とどまる)ところを知らない」と、誰もが気付いていくだろう。

どんなに物資が豊富になっても、また、どんなに彼等の富が膨れ上がっても、彼等は満足することを知らないから、彼等の心の中は、「無限に飢えて、渇望(かつぼう)している」という状態であることが私達はわかる(つまり、彼等は幸福ではない)。

つまり、この状態の人間というのは、いわゆる、「最貧の人間」ということになってしまう。

なぜならば、どんなに大量の物資を所有しても、それに飽くこと無く、求め続けるのだから、彼等の心は、「最も貧しい者」と言えるのだから。

だから、通常、私達が彼等の所有している、お城のような家を見ても、彼等の所有している、何台もの専用飛行機を見ても、彼等の所有している、何台ものスポーツ・カーや何台もの高級車を見ても、心を動かさない方が良いことがわかる。

人の間で「最も富む者」と言われるのは、他ならぬ「自分自身に満足する者」であるのだから。

だから、彼等が一切の物に満足できないとあるならば、どうして、「彼等は富む者だ」と言えようぞ。

だから、この上の理屈から言えば、彼等は永遠と言える程に「飢えた者」と言えるので、「彼等こそ、最貧の人々だ」と、私達は言えることに気づく。

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話が横に反れ過ぎたので、本題に戻すのだけど、要するに、私達は生まれてから、今日に至るまで、カバールやイルミナティの、こっそりと(サブリミナル的に)推奨している競争世界に、どっぷりと洗脳教育され続けている。

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このような世界で、誰かが、何かの競争で一番になって、その快感に酔い知れれば、カバールやイルミナティにとっては、御の字なのだ。

カバールやイルミナティは、その何かの競争で一番になった人間を使って、さらに、この世界を競争に溢れさせるようにするのだ。

その結果、カバールやイルミナティにとっては、彼等流の楽園が得られるのだけど、地上に住む多くの人々にとっては、競争社会が生まれるので、闘争と長時間労働が流行って、いわゆる、楽園の世界からは程遠い、私達の見慣れている闘争社会が出現することになる。

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だから、わかりやすい例を考えると、世間一般に言われている、GDP(国内総生産)の値とか、「世界の子供達の学力テストの結果」という類の報道を見ない方にした方が良いと思う。

なぜならば、GDP(国内総生産)の値を使って、他の国との経済競争を進めるために、私達の心に競争意識を高めることが出来るのだから。

また、「世界の子供達の学力テストの結果」を私達が見て、他国の上にいる、数多い外国人の子供達と我が子との競争意識を高めることが出来るのだから。

その結果、私達が競争に苦しむのだから。

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ここまで来たら、私達がした方が良いことが見えてくる。

それは、(カバールやイルミナティの作った)私達の忙しい日常生活によって、通常は忘れてはいるけれど、幼い頃に心の中に思い浮かべていた筈の、私達の「楽園」の姿やイメージを思い出すことだ。

私達は幸福になるために生まれてきた。

とりもなおさず、「幸福になるために生まれてきた」ということは、私達は心の奥底で、「私達は私達の手で楽園を創造したい」という願いを、誰もが持っている。

だから、生まれてから、今日に至る、この日まで、私達は、カバールやイルミナティのこっそりと推奨している競争社会のイメージを洗脳教育され続けてきたのだけど、それらを一切、忘却の淵(ふち)に流し去って、一人一人の胸の底に秘められた、私達の、私達による、私達のための、「暖かい楽園」のイメージを思い出すことが大事なのではあるまいか。

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                                        坂本  誠

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