« 三千三十四: 私の見かけたニュース_No.89 | メイン | 三千三十六: 私の見かけたビデオ_No.68 »

2016年12月13日 (火)

三千三十五: 公開討論会(フリー・ディスカッション)の奨め

この段落は、『三千二十八:「私達の常識」を考えてみると』の姉妹編です。

「フリー・ディスカッション」というのは、日本語の「公開討論会」という意味です。
しかし、ここでは、語呂として、「フリー・ディスカッション」と書いた方が響きが良いので、「フリー・ディスカッション」を使わせてください。

---------------------------

『三千二十八:「私達の常識」を考えてみると』で、明治時代初期に、民主主義的なやり方で決められなかった、その後の日本の社会スタイルを、幾つか挙げました。
以下に列挙してみます。

1.義務教育制度

2.結婚制度

3.金納制

4.中央銀行システム

5.株式市場

---------------------------

これらの上記の項目について、現代に仮想的に意見を出し合って、
現代社会で、民主主義的に導入を検討するならば、フリー・ディスカッションをするのも面白いことではないでしょうか。

つまり、ある程度、SFの世界に似ていますね。
それか、「もし歴史が、こうだったら」という、歴史上で行われたかもしれない、仮想的な過去の状況について、私達が自由に民主主義的に意見を出し合うわけです。

全ての人が政治に参加することが、本来の民主主義政治です。
しかし、現在、多くの国で採用されている政治スタイルは、「間接民主主義」と言われているものです。

これは、全ての人が政治に参加することが理想的なのですが、全ての人が自由に意見を討論して決めるのは、難しいですから、国民の代表者を選挙で選んで、一握りの代議士に、政治をしてもらおう、というスタイルです。

しかし、本来の民主主義政治とは、「直接民主主義」と言われているものです。
これは、全ての国民が政治に参加します(もちろん、政治に参加したくない自由もありますので、「私は政治に参加したくないから、政治的な意見を述べません」というのも、一つの政治と言えるでしょう)。

現代の「議会政治」というものが作られた頃の、17世紀とか18世紀には、交通の便や通信の都合もまだ悪い状態でした。
しかし、現代のように、通信網が発展し、また、交通の便も図れるようになれば、民主主義政治の本来の状態である、「直接民主主義」の実施の可能性が見えてきたでしょう。

例えば、インターネットを使って、多くの人々が様々な意見を出したり、あるいは、インターネットを使って、国策に関する、全ての国民の直接選挙を行えるようになるでしょう。

現代の多くの国々では、選ばれた数人の代議士達によって、国策であるところの、法律制定のための投票などが行われています。
しかし、これは、本来の民主主義政治の目指しているところではありません。
17世紀とか18世紀には、発達していない交通網や通信の都合の便宜のため、仕方なく、設けられた「間接民主主義」が、そのまま生き残っているので、国会内で、代議士達が、私達の政治を代行しているだけに過ぎないのです。

---------------------------

ですから、民主主義、本来の政治システムを行うかのように、インターネットの自分のブログなり、あるいは、何らかのコミュニティ・サイト上の自分の日記の中で、自由に自分の意見を出し合っても良いわけです。

フリー・ディスカッションですね。

また、現代でも、「間接民主主義」が残っていますが、そのような時勢でも、国民が、自分の意見を出しても良いわけです。
その意見が、すぐさま、国政に反映されるわけではないのですから。

「これぞ、開けた、本来の民主主義政治が行われるようになった」と感じて、内心、喜ぶ人々も多いのではないでしょうか。

(もちろん、「何らかの法律を定めるための投票」というのも、本来は、全ての国民の投票によって、決定されるべきものなのです。一部の代議士達の投票結果によるものではなく。本来の民主主義政治であるところの「直接民主主義」で行くならば。)

---------------------------

前置きが長くなりましたが、私が冒頭に列挙した、「明治時代初期に、民主主義的なやり方で決められなかった、その後の日本の社会スタイル」を、自由に意見を出してみたいと思います。

①:義務教育制度について

この義務教育制度も、当時の日本の全ての人々の意見を聞かずに、無理矢理、導入されたものです。
現代でも、様々な問題により、小学校や中学校に行きたくない人達が大勢いると聞きます。

ですから、そのような人達のことも考慮すれば、「明治時代の初期に、義務教育制度は導入されるべきではなかった」と思います。

もちろん、学問を学びたい人も大勢いますので、そのような方々には、江戸時代で言うところの「寺子屋(てらこや)」とか「藩校(はんこう)」に相当する教育システムは、残しておいた方が良かったと思います。

(「子供達や多くの学生達を競争させて、競争社会に入れさせたい」というのは、これは、競争を推奨しているカバールやイルミナティの狙いが込められているからです。多くの人々が競争を愛するようになると、お互いに競争しますので、それだけ、大量の必要物資を生産するようになります。その姿が、カバールやイルミナティが狙っている、全人類に対する強制作業に当たりますので。)

②:結婚制度について

これも、国家が恋愛中の男女を、拘束・監視をしてしまうことになる(正確には、戸籍法)ので、「明治時代の初期に、結婚制度は導入されるべきではなかった」と思います。

また、もし、本当に、明治時代の初期に民主主義的に、「このような婚姻制度や戸籍法を、全国民に適用したいのですが、あなた達(全国民)は賛成ですか?」と、とある政治家が、私達に聞いても、その当時の人々の本音としては、「そのようなものを採用してもらいたくない」と考えるのではないでしょうか。

③:金納制について

これなどは、ある程度、答えが出ていると思います。

私が、よく引用する文章を、再び以下に引用します。

『二千八百二十五:歴史について』
司馬遼太郎『街道を行く 9 信州佐久平みち、潟のみちほか』(朝日文芸文庫)より文章と写真を引用
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2016/01/post-8b14.html

-----------------------------------
明治維新後、太政官の財政基礎は、徳川幕府と同様、米穀である。

Photo


維新で太政官は徳川家の直轄領を没収したから、ほぼ六百万石から八百万石ほどの所帯であったであろう。
維新後、太政官の内部で、米が財政の基礎をなしていることに疑問をもつむきが多かった。


欧米は、国家が来期にやるべき仕事を、その前年において予算として組んでおく。
ところが日本ではそれができない。
というのは、旧幕同様、米が貨幣の代りになっているからである。
米というのは豊凶さまざまで、来年の穫れ高の予想ができないから、従って米を基礎にしていては予算が組み上がらない。
よろしく金を基礎とすべきであり、在来、百姓に米で租税を納めさせていたものを、金で納めさせるべきである

明治五年、三十歳足らずで地租改正局長になった陸奥宗光が、その職につく前、大意右のようなことを建白している(※筆者注:この私のエッセイ内では「右」ではなく、「上」となります)。
武士の俸給が米で支払われることに馴れていたひとびとにとっては、この程度の建白でも、驚天動地のことであったであろう。

が、金納制というのは、農民にとってたまったものではなかった。
農民の暮らしというのは、弥生式稲作が入って以来、商品経済とはあまりかかわりなくつづいてきて、現金要らずの自給自足のままやってきている。

『米もまた商品であり、農民は商品生産者である』というヨーロッパ風の考えを持ちこまれても、現実の農民は、上代以来、現金の顔などほとんど見ることなく暮らしてきたし、たいていの自作農は、米を金に換えうる力などもっていなかった。

どうすれば自作農たちが金納しうるかということについては、政府にその思想も施策も指導能力もなにもなく、ただ明治六年七月に「地租改正条例」がいきなりといっていい印象で施行されただけである。

これが高率であったこと、各地の実情にそぐわなかったことなどもふくめて、明治初年、各地に大規模な農民一揆が頻発するのだが、木崎村は、このときには一揆を起こしていない。
-----------------------------------
(引用終わり)

上記の引用に見えるように、「金納制というのは、農民にとってたまったものではなかった」あるいは「どうすれば自作農たちが金納しうるかということについては、政府にその思想も施策も指導能力もなにもなく、ただ明治六年七月に「地租改正条例」がいきなりといっていい印象で施行されただけ」あるいは「これが高率であったこと、各地の実情にそぐわなかったことなどもふくめて、明治初年、各地に大規模な農民一揆(※筆者注:現代で言うところのデモ)が頻発する」とあります。

要するに、当時の多くの日本人の意志に、逆らってでも、当時の政府が、全く国民の意見も聞かず、かつ、「政府にその思想も施策も指導能力もなにもなく」強引に導入したことがわかります。

ですから、これは民主主義的に言ったら、導入できるシステムでなかったのですから、「明治時代の初期に、金納制は導入されるべきではなかった」と思います。

④.「中央銀行システム」と「株式市場」について

結局、「③:金納制について」でも、考慮しましたが、当時の日本に、全く見慣れないものを導入しようとしていたことがわかります。

金納制についても、引用文にあるように、「武士の俸給が米で支払われることに馴れていたひとびとにとっては、この程度の建白でも、驚天動地のことであった」と、あるぐらいだから、「中央銀行システム」と「株式市場」についても、当時の日本人にとっては、全く見慣れないものを、無理矢理に導入したことが、読者の方々にも理解できるでしょう。

ですから、まず、民主主義的に、それらのシステムが導入されなかったのだから、民主主義な見方からしたら、「明治時代の初期に、中央銀行システムと株式市場は導入されるべきではなかった」と思います。

---------------------------

結局、今現在の私達が、当時のこれらの西洋のシステムを詳細に見直すと、政府の側の、一握りの人間達が、その他の多くの人々(全国民)を、一元管理できることに、読者の方々は気が付くでしょう。

また、実際に、西洋社会システムが、多くの人々を一元管理しようとしていた、カバールやイルミナティの下に、案出・創生されたことを考慮しても、「明治時代の初期に、それらの多くの社会システムは導入されるべきではなかった」と、感じる方も多いのではないでしょうか。

ブログ上ではありますが、明治時代の初期に導入された、現代社会にも見られる、社会システムについて、私なりに、フリー・ディスカッションさせて頂きました。


                                        坂本  誠

Powered by Six Apart
フォトアルバム