« 三千三十二: 私の見かけたニュース_No.88 | メイン | 三千三十四: 私の見かけたニュース_No.89 »

2016年12月10日 (土)

三千三十三:   『333ノ テッペンカラ トビウツレ』を思い出しながら

おはようございます。

今回のタイトル中に、『333ノ テッペンカラ トビウツレ』という文章があります。
この文章は、楳図かずお作の『わたしは真悟』に出てくる文章です。

この段落は、その『わたしは真悟』の感想文でもあります。
そして、この『わたしは真悟』に出てくる文章『333ノ テッペンカラ トビウツレ』も解説します。

同作を読まれた方ならば知っているでしょうが、簡単なあらすじを。

(掲載した写真は、同書、第3巻「空の階段」と同書、第4巻「光ふりて」からです)
///////////////////////////

この作品は、ロボットものです。

Pc080179


ロボットを扱う創作物は多いのですが、この作品は「ロボットが意識を持つ」ストーリーです。

主人公の小学生、「近藤悟(こんどうさとる)」と、ヒロインの「山本真鈴(やまもとまりん)」が、ある日、小学生の社会見学として、工場を見に行きます。
その工場には、近藤悟の父親が勤めているのですが、その工場に「モンロー」と言われる産業用ロボットが配置されています。
この産業用ロボットが、後に、意識あるロボット「真悟(しんご)」となります。

近藤悟(以下、さとる)と山本真鈴(以下、まりん)は、別々の学校だったのですが、出会ってすぐに、お互い同士を好きになります。
そして、さとるは、産業用ロボット「モンロー」も好きですから、次第次第に、さとるとまりんは、その工場で出会うようになります。
そして、産業用ロボット「モンロー」には、入力用のコンピューターが付いていますので、そのコンピューターに様々なデータをインプットして、遊ぶようになりました。
しかし、まりんは家族と一緒に、イギリスに旅立つ事が決まりました。

さとるとまりんは悲しみました。
そして、迷った挙句に、さとるとまりんは自分達の子供を作ろうと決意します。
しかし、さとるとまりんは、いまだ小学生ですから、子供を作れるような身体ではありませんし、子供の作り方も知りません。

まりんはモンローに質問します。

Pc080178

 

  「?ドウスレバコドモガ ツクレルカ(どうすれば、子供が作れるか?)」と。

すると、その答えが、モンローをコントロールしているコンピューターの画面に現れます。
その答えこそが、

  『333ノ テッペンカラ トビウツレ』

だったのです。

さとるとまりんは、『333ノ テッペンカラ トビウツレ』の文章中の「333とはどこか?」を探します。
その結果、高さ333メートルの東京タワーが思い浮かびました。
ですので、さとるとまりんは、東京タワーに向います。
そして、監視の人達の目をかいくぐって、東京タワーのてっぺんに向います。

当然、さとるとまりんを見つけた多くの人々が騒ぎ始めます。
にも関わらず、さとるとまりんは、東京タワーのてっぺんに到着します。

そして、救助のために、近づいてきたヘリコプターに飛び移ります。
つまり、この時に、333メートルのてっぺんから、飛び移ったことになるのです。

Pc080174

 

そして、東京は明け方であり、まだ、街は暗闇に包まれていたのですが、その飛び移った瞬間に、雲が割れて、光が降ってきます。
その光が、モンローのいる工場の窓から差し込み、モンローを照らします。
その時、工場内で動いていたモンローに意識が宿るのです。

以降は、あらすじを簡略化しますが、モンロー(真悟)は、「イギリスに旅立った、母である、まりんを追いかける」という冒険になります。
そして、なぜ、モンロー(真悟)が、イギリスのまりんを追いかけるかと言うと、父である、さとるの言葉「マリン ボクハ イマモ キミヲ アイシテ イマス」の、たった一文を送り届けるためなのです。

様々な出来事が、さとるとまりんとモンロー(真悟)を巻き込みながら。

///////////////////////////

以上が、『333ノ テッペンカラ トビウツレ』までの、大きなあらすじです。

このあらすじを読んでも、わかるように、なぜ、コンピューターが、『333ノ テッペンカラ トビウツレ』という解答を出したのかは、謎に包まれています。

Pc080177

 

そして、同書を読んでもわかるのですが、この作品中には、謎が多いことが知られています。
上のように、『333ノ テッペンカラ トビウツレ』という解答を、コンピューターが出すこと自体も不可解です。
また、同作品中には、「どうして、このような流れになるのか?」と、疑問を抱くシーンも多いです。

つまり、ストーリー中に、主人公や登場人物が、いつのまにか、パラレル・ワールド(別の世界、平行世界)に飛び込んで、そのパラレル・ワールド中で、行動していくのです。

例えば、ずっと、後のことになりますが、まりんが、いつの間にか、イスラエルでの砂漠上を旅しており、その砂漠の世界は、なんと核戦争後の世界です。
当然、日本にいる、さとるの方は、そのような核戦争を経験していません。

また、これも、物語の後の方になりますが、さとるの幼馴染(おさななじみ)の子供が劇中で死んでしまうのですが、その死んだ筈の子供が、コンピューターの画面上に出てきます。
つまり、さとるの幼馴染の子供が死んだ後で、その死後の世界とも言える、コンピューターの画面の中の世界で生活しており、画面を通して、さとる達と会話します。

私達にとって、このような世界は、「睡眠中の夢」と言えるでしょう。
「睡眠中の夢」の世界だと、私達には、脈絡の無いストーリーが展開されます。
そして、数多くの不思議を夢の中で経験します。

///////////////////////////

この『333ノ テッペンカラ トビウツレ』の解答自体も不思議ですが、さとるとまりんが、東京タワーのてっぺんからヘリコプターに飛び移った時に、コンピューターが意識を持つ、というのも、不思議なところです。

Pc080176

 

つまり、このような不思議の連続を見ることによって、読者が感じるのは「奇跡」です。

ですから、先にも表現しましたが、数多くの奇跡を感じさせるのは、やはり、「睡眠中の夢」が一番でしょう。

なので、『わたしは真悟』の作者としては、あらかじめ、そのような効果を狙っていたのでしょう。
作品『わたしは真悟』は、「睡眠中の夢」と堅固な現実世界がオーバーラップしているかのような雰囲気をかもし出しています。

その世界は、堅固な現実世界が描かれているような気がします。
しかし、その堅固な現実世界を取り囲んでいる「夢の世界」が、その堅固な現実世界を取り巻いているので、その世界で奇跡が起こりやすくなっているのです。

///////////////////////////

そして、当然、作中の大人達は現実的ですから、そのように多発している奇跡には、一向に気付きません。
作中の子供達だけが、その奇跡を受けて、気付いています。
そして、子供達は、その奇跡自体を、あまり不思議に思いません。

///////////////////////////

そして、この作品に見られるのは、作中の(ほとんど全てと言えるのですが)全ての大人達が、子供達の敵役とか悪役として描かれています。

結局、さとるとまりんを引き離し、妨害をかけていたのは、さとるとまりんの周囲の大人達でした。

ですから、読者の方が、この作品を読むに、「奇跡とは何か」とか「奇跡を受け取るのは、いつも、子供達なのに、大人達は奇跡を受け取れない」という点に気付くでしょう。

///////////////////////////

この作品自体は、脈絡の無い部分が多々あります。
また、作中では、登場人物に意味不明の示唆をされて、登場人物がその示唆にそって、行動していたら、何かの奇跡が起こったりします。

このような状態の作品を読むことによって、私達は「外の世界」というものを思い浮かべるかと思います。
その「外の世界」とは、地上に生きている私達では感知できない世界です。
しかし、その「外の世界」からの、トリガー(引き金のこと。つまり、何かが起きるための発生原因)によって、作中の現実世界に奇跡が起きたり、何らかの行動が起こされたりします。

ですから、この『わたしは真悟』を読む方々は、次第次第に、「外の世界」というものを意識するかと思います。

///////////////////////////

また、作中で、さとるとまりんは、東京タワーのてっぺんに行きます。
多くの人にとっては、東京タワーのてっぺんに立つことは、とても怖いことでしょう。
また、その東京タワーのてっぺんから、どこかへ飛び移るわけですから、これもとても怖いことでしょう。

しかし、作中で、さとるとまりんが東京タワーのてっぺんに向う途中で、少し休んで、東京の夜景を見ます。
その時に、まりんはさとるに言います。

Pc080175

 

  「わたし達・・・もしかしたら・・・」
  「一生のうちで、今が・・・」
  「いちばんしあわせなのかもしれないわ!!」

と。

この作品『わたしは真悟』を読む人が、現代の「大人」と呼ばれる年齢であるならば、その人は、自分の胸中にしまわれた少年少女時代の記憶を紐解き始めるかもしれませんね。


(以下、過去記事、関連記事、及び、参考文献)
******************************************
******************************************
『二千九百六十六:ゲーム(独白)』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2016/08/post-d3c8.html

--------------------------------------------
  奇跡は誰にでも一度は起きる。
  だが誰も起きたことには気づかない

                『わたしは真悟』(楳図かずお 作)より引用

  Everybody has had a miracle once .
  But , nobody has realized the miracle at all .

                 quotation from "MY NAME IS SHINGO ."
                   Author:Umezu Kazuo
--------------------------------------------


                                        坂本  誠

Powered by Six Apart
フォトアルバム