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2016年10月13日 (木)

三千五: 北九州市について_No.10

こんばんわ。
『二千九百三十四:北九州市について_No.9』の続きです。

■:頓田(とんだ)貯水池

晴れた日に、北九州市若松区にある頓田(とんだ)貯水池に行って来ました。
北九州市には、湖はありません。

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しかし、この『頓田(とんだ)貯水池』というのは、市民の間で湖に喩えられています。
『貯水池』というからには、過去、人工的に作った水溜りだとわかります。
この辺りの土地は、標高が低い事が知られています。

過去、水害もあったと聞いています。
なぜならば、この辺りの土地は、縄文時代に「海進時代(かいしんじだい)」と言われる時代がありました。
長い縄文時代には、地球的に気温の高い時代があったので、海面が上昇していた時代がありました。
これが縄文時代の海進時代です。

ですから、この縄文時代の海進時代には、北九州市の洞海湾と北九州市の西を流れる遠賀川が合体していました。
そして、広大な浅い海を作っていました。
その浅い海に当たる場所が、この若松区の頓田(とんだ)貯水池の辺りです。

ですから、低い土地なので、水害も多い事が知られていました。

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なので、この頓田貯水池が人手で作られたのではないでしょうか。

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それは、ともかく、現代では、この頓田貯水池に訪れると、人は湖を感じるでしょう。

冒頭にも書いたように、北九州市には湖はありませんが、ここは湖を感じます。

人は、水が側にあれば、なんとなく、落ち着くもの。
他の土地でも「湖のある場所」というのは、なぜか、人は安らぐのではないでしょうか。
「なぜ、湖がそばにあったり、清らかな水の流れが近くにあると落ち着くのか」という自分の疑問の答えまではわかりませんが。

当然、この頓田貯水池の周囲には、遊歩道やサイクリング用の道路も敷かれています。
ゆったりと湖のような景色を味わいながら、市民が頓田貯水池の周囲を散策しています。
当然、ボートの貸し出しもされています。

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休日の市民の憩いの場所です。

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変わった所と言えば、この頓田貯水池のほとりには、写真にあるように、「大北亭(だいほくてい)」と呼ばれる中国式の建築物があることです。

「なぜ、中国式の建築物があるのか」を書きます。

中国の上海の近くに『西湖(さいこ)』と呼ばれる、美しく、古来から有名な湖があります。
「この北九州市の頓田貯水池の雰囲気が西湖に似ている」ということと、中国との友好記念ということで、現代中国の建築家が、この「大北亭」を当地に建設しました。

ですから、このような中国とは、あまり関係の無いような土地に、いきなり、中国様式の建築物が現れているわけです。

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ここからは余談です。
私も、かなり以前に海外旅行として、中国の上海を訪れました。
中国の上海を選んだのは、安・近・短を考慮したからです。

それに、その当時、中国の上海からやって来ていた中国人の二人と友人でした。
その中国の二人と友人が、上海に帰国したので、当然、現地を日本語でもガイドしてくれる、ということで、中国の上海を海外旅行先に選んだ、といういきさつもあります。

中国の上海を訪れる前に、上海の海外旅行雑誌を読んでいると、上海周辺の観光として、この「西湖」が紹介されていました。
ですので、「西湖に行ってみたいな」と思っていたのですが、私の友人である中国の方が言うには、私の旅行日程だと、この「西湖」に訪れる余裕が無かったのです。

ですから、最近、この頓田貯水池を訪れて、自分の過去の海外旅行先で行きたかった「西湖」を思い出していました。

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ちなみに、上海に訪れた際に、私は、「じかに自分の目で揚子江を見てみたい」と思っていました。
しかし、この揚子江でさえも、結構、上海から遠いです。

世界地図で見ると、上海のすぐ近くを揚子江が流れているように見えますが、実際には、かなり離れています。
この辺りが、「大陸の広さ」とでも言えるようなところでしょうか。

結局、揚子江は機上の窓から見ただけとなりましたが、それでも、自分の記憶にしっかりと残っています。

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(以下、過去記事、関連記事、及び、参考文献)
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『二千九百三十四:北九州市について_No.9』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2016/06/_no9-2ea1.html

■:『平尾台(ひらおだい)_2』

『二千九百:北九州市について_No.8』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2016/05/_no8-72d6.html

■■■:関門海峡の海底の土砂
■■■:関門海峡の通過時のみの船長
■■■:関門海峡の冬の濃霧
■■■:関門海峡のその他
■■:周防灘を訪ねる
■■:終わりに

『二千八百九十九:北九州市について_No.7』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2016/04/_no7-de34.html

■:北九州市の沿岸の概観
■■:玄界灘を訪ねる
■■■:千畳敷(せんじょうじき)
■■■:若松の岸壁
■■:境川
■■:関門海峡を訪ねる

『二千八百七十:北九州市について_No.6』
■:『平尾台(ひらおだい)』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2016/03/_no6-bba4.html

『二千八百五十二:北九州市について_No.5』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2016/03/_no5-5883.html

■:北九州市の概観
■■:「3 corners(スリー・コーナーズ)」のある街
■■:北部九州の街の合併
■■:街のミックス感、それ自体の価値
■■:「海峡都市」イスタンブールを含めて考える
■■:北九州市に似た街、「東京」
■■:結びに

『二千八百五十:北九州市について_No.4』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2016/03/_no4-27cd.html

■:過去の国境線、境川
■■:現代の境川
■■:現代に残されている国境石
■■:私の推測
■■:往時の国境線を偲びつつ

『二千八百四十四:北九州市について_No.3』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2016/02/_no3-f552.html

■:北九州市の歴史概観
■■:昔の行政区分から感じる事
■■:北部九州の古代の中心地帯
■■:北部九州での銅の産出、採銅所

『二千八百四十二:北九州市について_No.2』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2016/02/_no2-d208.html

■:北九州市の特色
■:関所の町
■:北九州市の地形

『二千八百三十九:北九州市について』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2016/02/post-c75d.html


                                        坂本  誠

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