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2016年8月24日 (水)

二千九百七十一: 現代の日本教育について

現代の日本教育を考えてみたいと思います。

昨今、日本の小学校の段階で、英語教育とコンピューターのプログラミング教育が導入される事が決まったと聞きました。
小学校の教育現場でも、先生の方が、「もう、これ以上、ついていく事が出来ない」という言葉が出ていると聞きました。
つまり、小学校の先生だと、全ての教科を小学校の生徒達に教えないといけません。
国語、算数、理科、社会、体育とありますが、それ以上に、今後、英語とコンピューターのプログラミングが加わるわけです。

ですから、長く、小学校で教えている小学校の先生といえども、英語のちからが欠けていれば、英語の勉強をしたり、あるいは、コンピューターのプログラミングを自ら学習しないといけないことがわかります。

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ある小学校の先生だと、とても、そのような勉強が出来ないので、「もう、これ以上、ついていく事が出来ない」と言ったのでしょう。
ここから、私達が感じる事があると思います。
常日頃は、小学校の生徒達に向かって、「日々に勉強しなさい」というセリフを言っていたかも知れません。
しかし、いざ、今度は自分が新たに勉強しないと行けない段階になったら、「もう、勉強できない」というセリフが出たという事に至っては、読者の方々も、何かを感じる事が多いと思います。

「学びに年齢は関係無い」という言葉もあります。
ですから、上のセリフが出るという事も、ある何かを考えさせられますが、現代の学校教育というのは、「ひたすら、際限の無い、ゴールの無い、競争を人々に強いているのだ」とわかると思います。
とにかく、むやみやたらに、若い人々に知識的な競争のみを強いている事が分かります。

そして、当の生徒達には、「君たちは競争に勝ったのだ」という手合いのセリフを与えたりして、それによって、生徒達を満足させておけば良いのだ、という風潮があることにも気が付かれるでしょう。
(ところが、その競争が終わった後でも、「終わりの無い競争」ですから、またしても、新たな競争の舞台を与えるわけです。そして、その競争も終われば、さらに新たな競争を、、、という状態になっている事にも気が付かれるでしょう。)

ですから、一般の報道でも、しばしば、出て来る報道内容としては、世界各国の生徒達の学力結果です。
「あの国の生徒達が2番だ」、とか「その国の生徒達の成績は、まあまあだ」という感じで報じておけば、自然に多くの人々の自尊心などがくすぐられるので、人々は自発的に競争するわけです。
しかし、どこまでも、いつまでも、ただひたすら定期的に、世界各国の子供達の学力レベルが報道されるので、私達は永遠の競争を強いられている事が分かります。
そして、その競争にはゴールがありません。

つまり、このような感じで、私達は、ただひたすら競争させられている事が分かります。
そして、その競争自体も美徳だと思いこまされている事にも気が付くでしょう。

ですから、私達は、ただひたすらに知識の吸収とか、学歴のみを追いかけるようになるのにも気が付くでしょう。

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ですから、冒頭のように、学びを教える筈の教師の方でも、「もう、勉強についていけない」という本音が出ても、当たり前だと私は思います。

激しいまでの競争をさせられると、幸福も感じずに、その競争自体で不幸を感じるわけですが、周囲の人々が、そのスタンピード現象というみんながいっせいに同じ方向に動いてしまう現象の中にいたら、「これが当然の状態なのだ」と思いこんでしまうことにも気が付きます。

ましてや、その競争によって、激しい苦しみを感じるわけですから、この競争社会の目指しているものは、幸福追求ではないことがわかります。
しかし、周囲の人々のスタンピード現象によって、「その状態をやっていれば、いつの日にか、必ず、落ち着いた幸福を私達が得る事が出来るのだ」という、偽りの目標を私達が追いかけさせられている事に、本当の問題があることに気が付かれるでしょう。

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私達は「賽の河原(さいのかはら)」という言葉を思い出すと思います。
「賽の河原」について、書きます。

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この「賽の河原」というのは、あの世の地獄というところにあるとされています。
ある川原に人間の子供の亡者たちがいます。
その人間の子供の亡者たちは、なぜか理由は知らないのですが、ただひたすらに、河原の石を積み上げて、石の塔を作ろうとしているのです。
ところが、ある一定の段階まで、石が積み上げられると、どこからか鬼達がやって来て、その石の塔を壊すのです。
ですから、人間の子供の亡者達は、泣く泣く、再び、石を積み上げ始めるのです。

この「賽の河原」の逸話はギリシャ神話にもあります。

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結局、私達が、この「賽の河原」に気が付いたら、自発的に止めて、その世界から抜け出るしか手が無いと思います。
ところが、周囲の人々は、その競争社会こそが自然の状態なのだ、と思わされているわけです。
ですから、仮に、ある人が、その競争社会から抜けようとすると、周囲の人々から、かなりの反論や反対意見を聞かされるかも知れません。

しかし、現実には、カバールやイルミナティによる、全地球人の奴隷化計画及びその実行が進められており、その一端として、私達の競争社会が築かれていることに気が付くわけです。
ですから、反対意見や反論を言ってくる方々には、まず、カバールやイルミナティによる、全地球人の奴隷化計画及びその実行の話とか、あるいは、彼等の進めているNWO(新世界秩序)の話題を聞いてもらわないといけなくなるでしょう。

しかし、全く、記のようなカバールとかイルミナティとかNWOという単語を聞いた事の無い人で、それらの単語を始めて聴く人は、中には取り乱す人もいるかもしれません。
世に人は多いですから、私としても、誰が取り乱すかはわからないので、この辺りについては、個人の心の準備の出来次第、ということになるかもしれません。


                                        坂本  誠

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