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2016年7月29日 (金)

二千九百五十八: オカルトがオカルトで無くなる日

『オカルトがオカルトで無くなる日』と題する記事を書いてみました。

二千九百五十二:光の周波数の違いと私達の世界について』と『二千九百四十三:浄化の時代を考える』で、ヨーロッパのルネッサンスの出来事について書いています。
繰り返しになるのですが、ヨーロッパのルネッサンスの時代に、レンズの発明により、顕微鏡と望遠鏡が発明されました。

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その顕微鏡と望遠鏡の発明により、人々は極小の世界と極大の世界の存在を知りました。
これ自体が、人間の認識能力を飛躍的に広げたことがわかります。
それ以前では、人間は極小の世界の存在や極大の世界の存在を知らなかったのです。

現代となっては、多くの人々は極小の世界の存在や極大の世界の存在を知っています。
なぜならば、顕微鏡や望遠鏡は、誰でも知っているからです。
そして、顕微鏡や望遠鏡を覗けば、極小の世界と極大の世界が開けている事を知っているからです。

つまり、ヨーロッパのルネッサンスの科学的発明が世界を新しくしました。

ですから、仮に、もし、今でも顕微鏡や望遠鏡の存在を知らない人がいると仮定し、かつ、その人が極小の世界と極大の世界を知らないとしたら、その人にとっては、現代でも、極小の世界と極大の世界の存在は、彼にとって、オカルト的な物とわかるでしょう。

彼は、まったく、そのような情報を知らないので、極小の世界と極大の世界の存在は、あたかも、彼にとっては、幽霊のような存在である事がわかります。

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ここから、わかることは、ある一定の段階に科学技術が発達し、何らかの測定器具(ヨーロッパのルネッサンスの時代では、顕微鏡と望遠鏡)が発明されて、その器具の使用によって、通常、人間の肉眼では見ることの出来ない世界を確認する事が出来ると、今まで、見ていなかった、あるいは、確認できなかったと言われる状態が、「確認された」という状態になることです。

ですから、今現代でも、巷で、「それはオカルトだ」とか「オカルト的なものだ」あるいは「それは眉唾物(まゆつばもの)だ」と言われているものでも、現代に新たな科学技術を生まれ、それを使い、何らかの新しい測定器具が発明され、そして、「今現在、それはオカルトだ」と言われているものが、誰の目から見ても、完璧に十分に確認・解明できれば、それは、もう「オカルト物」では無くなる事がわかります。

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このような事も、十分にありえることだし、科学の発達によって、見知らぬ世界が、どんどん開けるのであるならば、今現在、「それはオカルト物だ」と、私達がなかなか言えなくなって来る事がわかります。

なので、ここから考えられることは、私達は、たとえ、今現在、オカルトのように見えるものでも、それらに「オカルト物」というレッテルを貼らずに、謙虚で誠実な探究心を持って、それらの解明に勤しむ(いそしむ)方がベターであろうと思います。

この点においては、私達は、謙虚に、飽くこと無く、道を究め続ける求道者(ぐどうしゃ)でありたいと願うものですよね。


                                        坂本  誠

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